知り過ぎる筈なきこと

入田 丈司

小林秀雄さんの「本居宣長」を読んでゆくなかで、どのように読み取ったらよいのか、考え込んできた箇所がある。まず、その文章を引用しよう。

この評釈で、宣長が出会っているもう一つの困難がある。彼は確かに、「物の哀をしる」とは、いかに深く知っても、知り過ぎる筈のない理想と見極めたのだが、現実を見下す規範として、これを掲げて人に説くという事になれば、嘘になり、空言となる。これも式部がよく知っていた事だ、と彼は解する。だから、「式部が心になりても見よかし」と言うのである。誠に「物のあはれ」を知っていた式部は、決してその「本意」を押し通そうとはしなかった。通そうとするさかしらな「我執」が、無心無垢むくにも通ずる「本意」を台なしにしてしまうからである。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.158、8行目~、「本居宣長」第十四章)

 

小林秀雄さんは宣長の考えに沿い、「誠に『物のあはれ』を知っていた式部は、決してその『本意』を押し通そうとはしなかった。通そうとするさかしらな『我執』が、無心無垢むくにも通ずる『本意』を台なしにして了うからである」、と書かれている。これは何故なのだろう。

この問題のヒントになるところは、第一には、次の文章ではなかろうか。

「感ずる心は、自然と、しのびぬところよりいづる物なれば、わが心ながら、わが心にもまかせぬ物にて、しくよこしまなる事にても、感ずる事ある也、是は悪しき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所より感ずる也」(「紫文要領」巻上)、よろずの事にふれて、おのずから心がウゴくという、習い覚えた知識や分別には歯が立たぬ、基本的な人間経験があるという事が、先ず宣長には固く信じられている。心というものの有りようは、人々が「わが心」と気楽に考えている心より深いのであり、それが、事にふれてウゴく、事に直接に、親密にウゴく、その充実した、生きたココロの働きに、不具も欠陥もあるはずがない。それはそのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力である筈だ。問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、そこなわず保持して行く事が難かしいというところにある。難かしいが、出来る事だ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、「物のあはれを知る」という「道」なのである。彼が、式部という妙手に見たのは、「物のあはれ」という王朝情趣の描写家ではなく、「物のあはれを知る道」を語った思想家であった。(同、第27集p.151、18行目~)

 

「感ずる心は、自然と、しのびぬところよりいづる物なれば、わが心ながら、わが心にもまかせぬ物」と言う宣長の言葉は、踏み込んで言えば、人の心はことに触れて自然と動き感じてしまうもの、知識や世の習いといった自分の意思では制御できぬもの、ということだろう。それは心の基底を成すものであり、人の内面はそのようにできている、としか言いようのないもの、ということでもあろう。同時に、本来の感ずる心は、先入観を持たずに見通す全的な認識力でもあると、小林秀雄さんは書かれている。

そうであれば、小林秀雄さんが述べるとおり「心というものの有りようは、人々が『わが心』と気楽に考えている心より深い」も得心できるが、この“心の深さ”はどのようにとらえたらよいだろうか。思うに、人は何かを感ずる心の動きを、望遠鏡あるいは顕微鏡で見るように言わば高い解像度で、自ら意識し把握できるのだろうか。私も時に、僕の心は……と独り言を呟くこともあるが、自分の心の内や心の動き(小林秀雄さんが「ウゴき」と表記されているもの)など底の見えない深海のようで、どれだけ見つめても意識で捉えることなどできないのが実感である。誰もが、そう感じていることだろう。そして、その心が動き感ずる時は確かに、生の感覚としか言いようのないものが湧き起こる。ただ、その心の動きは、そのままでは何も形をとっておらず、とても移ろい易い。

心が直接に感じ取ったものに形を与え、意識がそれをしっかりと見定めるには、言葉をはじめ、何らかの表現をおこなうことが必要なのだ。小林秀雄さんが「これを高次な経験に豊かに育成する道はある」と述べているのは、このことであろう。

 

では、言葉による表現によって、人が心で感じ取ったことや、心の動きが完全な形として見えるようになるだろうか。いや、人の感ずる心の深さは、言葉に書き尽くすことなどできないものだ、と言えるのではなかろうか。例えば、秋の夕焼けとそよ風に自分のこれからを思う心持ちを言葉で表しきれるか、あるいは、初恋でも伴侶でも誰かに惚れた想いではどうか、それは誰もが言葉にしても表しきれないと直観していることだろう。

それは、物語を書くときも、歌を詠む時も、同じことではないか。物語に登場させた人物の心の有り様を描こうと丁寧に言葉を紡ぎ出しても、心の有り様はどこまでも深遠であって、言葉で尽くせるものではないだろう。ならば、宣長の言う「物のあはれを知る道」として、紫式部は物語り、歌人は歌を詠み、と言葉を駆使して描き表しても、やはり言葉で描き尽くせぬものが在り続ける、すなわち「物のあはれを知る」とは「いかに深く知っても、知り過ぎる筈のない理想」ということだろう。そして、紫式部はよくこれを知っていたと宣長は解しているのだ。

 

そうすると、物語として全てをあからさまに言葉にしさえすれば、より深く「物のあはれを知る」とはならないだろう。書き手としては、どこかで書き表すことをやめ、限られた文章を読み手が味わい、奥深い世界を垣間見ることに委ねる他ないのではなかろうか。それを示すかのように、小林秀雄さんの「本居宣長」の中に次のような文章がある。

なるほど物語には、「もののあはれしり過ぐす」という用例が見られるが、これは、物語という制約の命ずる心理的な用例であって、作者の「本意」は、裏面に隠れて了っているのである。そこに着目し、作者の「本意」を汲めば、「過る」という言葉の意味合は、「よろづの事に、物の哀をしりがほつくりて、けしきばみ、よしめきて、さし過たる事也。それは、誠に物の哀しれるにはあらず。かならずしらぬ人に、さやうなるが多きもの也」と解すべきものだと、宣長は言う。(同、第27集p.158、2行目~)

 

ここまで来てようやく、冒頭の問題に対して私なりに読み取った答え、が書けると思う。

紫式部は、「物のあはれを知る」とは、いかに深く知っても知り過ぎる筈のない理想であって、言葉で書き尽くすことなどできないとよく知っていた。それゆえ、式部は『本意』である、「物のあはれを知る」ということについて、「源氏物語」でひたすら書き尽くしたいという思いを、押し通す書き方はしなかった。自分の思いを押し通そうと執着し、書き尽くそうと際限なく綴ったならば、むしろそのことが、先入観なく無垢に物のあはれを書き表そうという『本意』自体を壊してしまうことになる。このことを式部はよく理解していたのだ、と言えよう。

 

ここまで、「物のあはれを知る」という、知り過ぎる筈のない理想について、精読をしてきた。ここに至って、私には新たな問いが芽を吹き始めている。物のあはれをよく知るために、また読み手に伝えるためには、言葉でどのようにどこまで描くことがよいのだろうか。紫式部は物語の描き方をどのように考えて書き進め、宣長はどのように受けとめたのだろうか。これに対するヒントは、「本居宣長」に散りばめられているように直覚するが、やはり、さらなる読み込みが必要なのは当然である。「本居宣長」を巡る私の旅は、これからも続いてゆく。

 

(了)