編集後記

小林秀雄に学ぶ塾、通称山の上の家の塾における「本居宣長」精読十二年計画は、令和七年(二〇二五)三月をもってお開きを迎えた。そのため、塾生が事前に時間をかけて懸命に考え、塾の場で披露し池田雅延塾頭からのアドバイスを得て、エッセイとして練り上げていくという過程を通じて産み出された作品の掲載は、前号をもって小休止という状況である。そのため今号では「『本居宣長』自問自答」への寄稿はなく、連載稿中心の小編成の号となった。

 

とはいえ連載稿もまた、文字通り小林秀雄先生に学ぶという本塾での長い体験を通じてそれぞれの筆者が自身のものとしてきた、古典や古人に「身交むかふ」態度をもって執筆されているものばかりである。読者の皆さんには、ぜひお目通しいただき、忌憚のないご指導やご鞭撻を心底からお願いする次第である。

 

そのように、本塾はひとまずのお開きを迎えたものの、塾生の学びもそれで終わってしまったということでは決してない。なぜならば、私たちが繰り返し挑んできた自問自答の根底には、小林秀雄先生の一生涯のテーマである「人生いかに生きるべきか」という自問が生き続けているからである。当たり前のことだが、塾生一人ひとりは今、日々自身の生活を生きている。そのなかでこそ、本塾で学んできたことについての、より深くより本質的な気付きや反省があるに違いない。その気付きや反省こそが、さらに深化した「『本居宣長』自問自答」になるものと確信している。塾生による、そのような寄稿を今から心待ちにしているところである。

 

最後に、小林先生の「還暦」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第24集所収)という作品にある、「荘子」の中で孔子の言葉として言及されている「陸沈りくちん」についてのくだりをご紹介して、筆をおきたい。先生は「世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。世間に迎合するのも水に自然と沈むようなものでもっと易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の直中ただなかに、つまり水無きところに沈む事だ」と孔子が考えたと述べたうえで、このように言っている。

「孔子は、七十三で死んだが、誰も知る通り、彼は、十五で学に志してから、幾つかの年齢の段階を踏み、七十歳で学が成就した、と言った。これが、自分には、そういう次第であったが、他人には又別のやり方があろう、という彼の告白だったとしたら、何も面白い事はない。又、そんな事では、彼の出現が、学問史上の大事件になった筈もない。彼は単に学問的知識を殖やすのには時間がかかると言ったのではない。そんな事は、彼の考えてもみなかった事で、彼は、まるで違った意味で、年齢は真の学問にとっては、その本質的な条件をなすと言ったのである。世の中は、時をかけて、みんなと一緒に暮らしてみなければ納得出来ない事柄に満ちている。実際、誰も肝心な事は、世の中に生きてみて納得しているのだ。この人間生活の経験の基本的な姿の痛切な反省を、彼は陸沈と呼んだと考えてみてはどうだろうか」

 

(了)