小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)七月一日
発行人 茂木 健一郎
発行所 小林秀雄に学ぶ塾
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)七月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
玉井 裕香子
私はお恥ずかしいことに、本にじっくりと向き合い、ひとつひとつの言葉を解釈しながら自分の中で咀嚼して読み進めるという経験をしたことがありません。
小林秀雄先生に関しては、講演の音源をいくつか聞いたことがあるものの、ご著書をきちんと拝読するのは今回購入した本が初めてです。
この塾を通して、皆様との対話を重ねながら学ぶ機会を得、本当の意味での本との向き合い方、学ぶこととは、を考えて参りたいと思っております。
(了)
本多 哲也
独りで学ぶことを体得したい。小林秀雄先生の仕事を改めて見返すと、批評した作品や人物の多さに圧倒される。ただ、いわゆる博覧強記とは異なる。どの文章でも、小林秀雄という個性が、真剣に相手にぶつかっていることが伝わるからだ。私は、これこそ独学なのだと感動する。現代で独学と言うと、効率よく知識を入力し、意見を出力する方法論を指すように思うが、そんなことは気にせず、小林先生の生き方から、独学を体得したい。
(了)
「歴史の中に生きる」
越尾 淳
入塾以来、何度も読んできたつもりの「本居宣長」は、結局私にとっては昔の碑文のようなもので、読むともなく眺めてきただけとも思える。
ただ、自問自答を繰り返すことで、藤樹、仁斎、徂徠、宣長、そして小林秀雄先生が連なる学問の歴史が確かに存在し、自分もその流れの先端に生きているのだと自覚する。自問自答というのは、歴史の大河に問いかけ、今を生きる自分という存在を捉え直すことなのかもしれない。最後の年も、全力で歴史に体当たりしてみたい。
(了)
「美を求める心」
入田丈司
私は「美を求める心」、「物の美しい姿を求める心」を養って少しでも得たいと思います。一体、自分は「美しい姿を求める」ことをしてきたろうか、今のままでは一度の私の人生あまりに勿体ないのでは、という想いがあります。具体的には、小林秀雄先生の著作、普段から好んでいる多様な音楽、日常で目にする花々、この三つを重点に「物の美しい姿を求める心」、美が与える「沈黙の力に堪える経験をよく味わう」ことを養います。
(了)
溝口朋芽
「歌は、言葉の粋」であると小林秀雄先生が『本居宣長』本文の中で書かれています。本年度は、この一文の意味を会得できるよう読んでいきたいと考えています。
古代より、人間が言葉を発して、歌となり、文字となる、その歴史を宣長さんと一緒に本文の中で小林先生が辿っている、そのことを私という人間が読みながら辿る、小林先生の言葉で言えば、「思い出す」ことを通じて、この山の上の家の塾で私がこの十年考えてきた事柄を、繋がりをもって捉えることができたら、とてもありがたいと思います。
(了)
生亀 充子
これまで池田雅延塾頭、塾生の皆様のお話を通じて、小林秀雄先生の「本居宣長」を何とか読み進める力を頂いてまいりました。
今年一年は、「もののあはれ」や「やまと心」など、古人たちが「まごころ」の有り様を表現するためにどのようなことばを選び、用いてきたのかについて思索を深め、日常生まれては消える心象が、ことばによっていかに助けられ、また姿かたちとなっているのかといった気づきを掬い上げたいと考えております。そして、先人たちの苦心によって紡がれてきたことばをたどることで日本人の心の姿を知り、日常を生きる力(好信楽)になる学ぶ喜びを得たいと考えております。
(了)
橋本 明子
この一年で私が得たいもの、考えたいこと、それは心の不思議について、です。令和五年度の塾で、私は「やまと心と漢意」について自問自答を行いました。いくつか引いた熟視対象の中で、いまの私の心に響いたのは「『わが心ながら、わが心にもまかせぬ物』たるところに、その驚くべき正体があるという、そういうところに、行着いているのが感得される。それが、彼の『物の哀』論の土台を成している」という件です。
心の驚くべき正体、これについて考えを巡らせ、本居宣長の「物の哀」論の土台について理解を始めたい。これが私のこの一年で目指すところです。
(了)
冨部久
私の今年度の一番の学びは、「本居宣長」に出てくる「紫式部の夢」という言葉の中の「夢」が、小林秀雄先生の批評家としての出発点ともなった「様々なる意匠」の中に出てくる、「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」という言葉の中の「夢」と同じものではないかという池田雅延塾頭からのご教示を受けたことです。それまでこの「紫式部の夢」という言葉の中の「夢」の意味をはっきりと捉えられずに、頭の中に渦巻いていたもやもやが、池田塾頭のひとことによって一気に雲散霧消し、更には紫式部のことを大批評家という小林先生の真意も分かったような気がしました。そして、そこに小林先生の、批評家として処女作を書いたころから晩年の大作までの思想の一貫性のようなものを感じました。
そのほかにも、小林先生について池田塾頭に教えを頂いたことにより、小林先生の姿というものが、今まで以上にはっきりと見えて来た一年だったという思いがしております。
(了)
「言葉とイメージ」
鈴木順子
昨年以来、四十九章の、小林秀雄先生の言われた、「今もなお古伝説の流れに浸った人々の表情は、故意に目を閉じなければ、誰にも見えている。それは、私達が国語の力に捕らえられているのと同じように、私達の運命と呼ぶべきものである。」が、ずっと頭から離れない。
三十五章で、小林先生は、「歌は、凡そ言語の働きというものの本念を現す」と、宣長の言葉を借りて、「いひきかせたりとても、人にも我にも何の益もあらね共、いはではやみがたきは自然の事」と、そして、「言語に本来内在している純粋な表現力が、私達に、しっかりした共同生活を可能にしている、言わば、発条となっているという考えが、宣長の言語観の本質を成していた。」と説明する。
言葉が共同生活を成し、そこからまた言葉が生まれるとすれば、私達の使う言葉は、古代からの言葉を引き出していると言えないだろうか。イメージにも同じことが言えないだろうか。
(了)
「私が山の上の家の塾で学んだこと」
本多哲也
小林秀雄先生は、ニイチェについて次のように言っている。
――私には、ニイチェは思想の宝庫というより寧ろ考えるという意志の源泉の様に思われる。思想と象徴とが或は論理と詩とが、そこで一緒に爆発するのに立会うのである。(「ニイチェ」117頁、新潮社刊「小林秀雄全作品」第18集所収)
言葉を凝視した向こうに人を見ている。言葉の意味よりも、その出処にある原始的な力を信じる。小林先生にとって批評とは何か、この一節から感じられる。おそらく小林先生が進んで批評の対象としたものは、少なからず、「考えるという意志の源泉」や「思想と象徴、或は論理と詩の爆発」が感じられる作品や人であった。ドストエフスキイもモオツァルトもゴッホも。もちろん本居宣長もである。小林先生に導かれて、彼らと出会い直してみる。表現力、より正確には表現しようとする力は、彼らにおいては圧倒的だが、それは私の中にも確かにある、人間の基本的な力ではないかと思い出される。
(了)
「令和五年度の山の上の家の塾で私が得たもの、考えたこと」
越尾淳
今年度の私の自問自答は、生成AI(人工知能)への驚きに触発され、中江藤樹はじめ学問界の豪傑達について取り上げました。「考える」という当たり前の行為が機械に代替されると世界は今後どうなっていくのか。期待と不安の入り交じる気持ちです。いずれにせよ、「考える」ということを考える機会に恵まれたことは大きな喜びでした。
ここからさらに進んで、考え方の一つの方法である「討議」ということについて、小林秀雄先生はどのように考えていたのだろうと思いました。ある問題を複数人で話し合い、様々な意見や知恵を集め、一定の結論を得るという行為は今日重視されています。しかし、小林先生は徹底して身一つで事物に向き合い、交わることが「考える」ことだと述べています。この討議ということに関して、小林先生がお考えを示されていれば、この機会に教えていただきたいと思います。
(了)
「令和五年度の山の上の家の塾で私が得たもの、考えたこと」
森本ゆかり
率直に生きると言うことを、人間関係で実践した一年でした。
結果は、とても酷いもので、率直では無く、感情的な行動ばかりとなり、思ったことを曲げて表現してしまったり、あるいは感じたことを、そのまま言葉に出しすぎて、相手と口論になったり、そのことで激怒してしまったり、できれば、知らずに済ませたかった、私自身の嫌な一面を思い知ることとなり、振り返ると苦しい一年でした。
この塾で、私が提出した、「本居宣長」第二十六章の質問に対して、池田雅延塾頭からご指導いただいた「人間によって生きられた歴史を見るという、小林秀雄さんの言葉の深さを知る」ということは、私自身の人間関係や日々の生活での課題と共通しており、本当に不思議な思いでした。
本を読むということの学びを深め、言葉の姿を感じられるようになることで、率直な生き方に少し近づけるのではないかと思いました。
今後ともご指導下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
(了)
「年度末に思うこと」
松広一良
十二年かけて「本居宣長」を読む、毎年通読し、それを十二回繰り返す、その最終年度がいよいよやってくる。私は四期生なので、通読は最終年度が十回目になる。おかげで本はマーカーペンや多色ボールペンの線だらけになり、紙もゴワゴワになっている。これほど同じ本を繰り返し読んだことはない、にも拘らずこんなことが書いてあったのかという発見を今だにしたりする、奥の深い本だからか自分の読みが浅いからか。そういう極めて稀な体験をさせてくれた池田雅延塾頭には深謝したい。その馬力、熱意には舌を巻く、とても真似はできない。最終年度は質問を二件は出したいと思う。塾頭にダメ出しされるかもしれないが……。
(了)
「質問する事」
入田丈司
小林秀雄に学ぶ塾では、自問自答を通じて上手な質問を行う事が根幹です。今年度に私は、この自問自答しながらの質問を、塾以外の場でも実践しました。必ず答えを予測したうえで質問をするのです。すると、シンプルな質問であれ、相手の方と対話が成り立ち、手応え有る時間となるのです。ある時、ボクシングの現役・全日本チャンピオンの談話を聞く珍しい機会がありました。彼のファイト溢れる生活談を聞いた後、「試合に至るまで怖くないのですか?」と、トレーニングに集中するから怖くないという答えを予測して質問しました。彼の答えは逆でした。パンチを浴びる事、負けてベルトを失う事、どちらも怖い。怖いから相手を冷静に研究し、怖いからトレーニングに耐えられるというのです。そして、危機に向き合い怖さを感じる事は、実生活でも大事ですね、という良き対話になったのです。この時の私の質問は、答えを予測するからこそ生まれたのです。
(了)
「この一年、私が得たもの、考えたこと」
溝口朋芽
今年度の山の上の家で、八月と十二月の二回質問に立たせていただきました。
この二つの質問について自問自答を深める中で、言葉とは何か、ということについてあらためて考えを深めることができた一年でした。
八月の質問は「即物的な方法」について、十二月は「人のまごころ」についてでした。いずれも、宣長さんの物への向かい方に関しての質問です。
物、言葉、歌について自身の出した質問に沿ってどのような思索をたどったのか、そのあらましと感じたことを当日はお話できれば思っております。
(了)
橋本 純
思い込みとは怖いもので、作曲家の小林秀雄さんの作品をいつか歌ってみたいと思っていたことを志望動機のひとつにあげていたのですが、その後で別人であることに気がつきました。それでも奇跡的に十二期として迎え入れていただけて、作家小林秀雄と本居宣長と出会いました。
講義を聴く中では、今使っている言葉と昔の書物の中に出てくる言葉の意味が変化していることと、人によってその概念が違うことを知りました、小林秀雄氏の使う言葉の概念を知りたいと思いました。
また、黙読、音読、頭で考えること、感想を述べること、書くこと、はそれぞれ違うところを使っていると感じていることです。考えることと感想を言うことはそう難しくはなくても書くという時、文字にするには考えをまとめないとならなくて、書けたら理解度が深まる気がしています。
以前からピアノの仕事でも生徒に口頭で教えている時と講評を書くことは全く違う能力が必要と思っていたこともあり、五感のうちより多く使い感じると心に残りやすいと思いました。本題に入る前の質疑応答の時間で小林秀雄先生と池田雅延塾頭のエピソードを聴くのが好きです。特に西洋医学のお薬のお話しには共感しました。
現在科学的に解き明かされているものが全てではない、胃腸の調子を整えるという朝鮮人参の成分の+αにも目を向けること、そのものの解明されていない成分も含めて全体が作用している。というようなエピソードは小林秀雄氏の考え方の根底になっているように思いました。
難しいけれども令和六年度こそは、自問自答にチャレンジしたいです。
(了)
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)四月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)一月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和五年(二〇二三)十月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和五年(二〇二三)七月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和五年(二〇二三)四月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
「小林秀雄に学ぶ塾」(通称、山の上の家の塾)では、年度最後の月例会となる三月に、「フリートーク・スペシャル」と銘打って、塾生が一年間の学びを振り返り、その学びをさらに深め合う場を設けています。ここに、その要旨集を転載します。読者の皆さんにもその場の熱気を感じ取っていただければ幸いです。(編集部)
*
松宮 真紀子
今回初めて勉強会に参加させていただき、「本居宣長」を読み通すことが出来たことは大変有難い経験でした。それもただ読むだけでなく、小林秀雄先生の作品を書写する如くデータ化して、章ごとに自分なりに要約する作業を完遂したことで得た収穫は大きいものでした。
「意より詞を先きとする」ということの意味を、音声ではなく文字を通してではありましたが、この作業の中でも実感できることが多くありました。
また、講義を通して、小林先生の言葉はたとえ語彙が平易であっても、読み解くのがなぜこれほど難解なのか、あらためてわかった気がします。先生の言葉は、すべて「本を辿る」必要がありました。語彙の一つ一つ、文章のそれぞれに、先生の深い考察の背景・主観的思索の歴史が込められている。自ら蓄積した経験や知識を総動員し、その上で先生が宣長に対してしたような、先生の考え方の系譜や作品群に体当たりしなければ見えてこないものもあるのだと思います。
(了)
冨部 久
私は山の上の家の塾以外でも、池田雅延塾頭による『本居宣長』の講義、小林秀雄先生の様々な作品を味わう「小林秀雄と人生を読む夕べ」、そして「萬葉集」の講義にも参加させて頂いております。小林先生の作品に関する講義の素晴らしさは言わずもがなですが、今まで読んで来なかった「萬葉集」の講義は、毎回、まっさらな頭の中に今まで知り得なかった萬葉秀歌の深い味わいを教わることができ、大変刺激になっています。千二百年を超えても、人の心も言葉の魔術も少しも変わっていないということに驚かされています。
令和五年度も引き続き池田塾頭の講義で様々なこと学びながら、小林先生の思想と人間像に少しでも迫って行ければと思っています。
(了)
松宮 研二
学生時代から遙かに仰ぎ見てきた『本居宣長』に一年間取り組み、曲がりなりながらも通読できたことに感慨を覚えます。昨年度まで大阪塾で小林秀雄先生の文章を何編か読んできましたが、『本居宣長』に接すると「小林山脈」は、いよいよ高く、いよいよ深い。
自問自答の発表をさせていただく中で、ようやく小林先生の歴史観が胸に落ちた気がします。字数以外に制約がある中で文章を書くのは久しぶりでしたが、池田雅延塾頭に御閲読いただく中で、文意が収束していくことがわかりました。また、当日、池田塾頭から御指摘いただいたクローチェの歴史観について、『好*信*楽』の原稿を準備する中で学ぶことができたのも、大きな収穫でした。
小林先生の文章に向き合うことは、「いかに生きるべきか」という問いに自分自身が向き合うこと。これも今年度の塾に参加する中で、よくわかりました。これからも、そのように歩んでいきたいと思います。
(了)
森本 ゆかり
私の心の中にある弱さに、どのような姿勢で向き合うかということを考えた一年でした。
池田雅延塾頭に「小林秀雄さんは怒りの感情についてどのように対処されていたのでしょうか」と質問した際「小林秀雄さんは率直な人であった」というお話を伺いました。
では、率直な生き方とはなんだろうと考えるうちに、「率直」と「信じる」ということは「責任を伴う」という共通点があるように感じました。率直な生き方とは、日常生活の中で、見る、聞く、読む、信じるという訓練の積み重ねによって、自分の心の動きと向き合い、心の姿を整えることで身に付いていくのでしょうか。
(了)
磯田 祐一
最近の大きな気づきは、自問自答を「書く」という経験から得たものです。物を書くとは、第二十四章で述べられた、「見るにもあかず、聞にもあまる」という現実の経験が、言葉によって、意識され明らかになり、自らの心の[大かた人の情(ココロ)のあるやう]が見えるということです。言葉によって自分の心を写し取ることが、物を書く行為であると学びました。白紙の原稿用紙に向かい、何処から言葉がやって来るかわからない、不思議があります。一つのわずかな言葉の振動が、波のように繰り返す言葉の列になるか、音楽のように聞こえるか、誰もが言霊の働きによって詩人になれる。言葉が動かず息を潜めることもあるだろう。
自分で、自分を知るのではなく、物との交わりを通して結果として自分を知る、とは、言葉の経験なのであり、「事の世界は、言の世界」と本居宣長は言った。
「書く」という表現が、私の日常に文学の中に、学問のある生活をもたらすことになりました。
(了)
入田 丈司
「読むことで作者の声を聴く」ことが少し分かりかけた実感があります。『本居宣長』にも「作者(式部)の声に応じ」宣長が歌を詠んだ一節があります。そのような読み方ができるのは何か極意でもあるのか、今まで解りませんでした。この一年間で結局はシンプルなこと、先入観を持たず作者が記した言葉を、真っ直ぐに繰り返し何度も読むことだと実感しました。以前は、読み始めると自分の感想や考えを混ぜながら読んでいたのだと思います。あたかも、人の話を聞く時に相手の話を遮り、自分の意見を相手にぶつけるかのように。言葉を真っ直ぐ読むと、作者が込めたものが次第次第に解ってくる。そうして、作者の想いが解ってきた後に、それでも自分はこう思った、という作者と読者である私の違いも自覚できます。こうして、私が作者と対話ができるようになってきたことが学びです。そして次の一年間、宮沢賢治全集を読み通そうという課題を設けました。
(了)
越尾 淳
この冬、四十代から七十代までの約十名の方々に小林秀雄先生について、僭越にも私から話をする機会がありました。今までの塾での学びを総動員して話をしましたが、池田雅延塾頭の準備がいかに大変なものであるか、その一端を知った思いがしました。
私からは、「直感に頼るな」「歴史は繰り返す」など現代の「常識」に小林先生がどう述べているか、自問自答の大切さなどについて話しました。出席者からは、そうした常識やすぐに答を求める風潮への危惧や、対象と親身に交わって考えることの大切さがよく分かったとの声がありました。
そして、多くの人が小林先生の声を初めて聞いたのですが、「あの難解と言われる小林秀雄がこんなに分かりやすく、親身に語りかけているのか」と強い感銘を受けていました。小林先生は録音を好まれなかったと聞きますが、先生に会うことのできない現代、そして未来の日本人にとって、先生の息遣いの伝わる録音が残されたことはまさに宝だと改めて感じました。
(了)
鈴木 順子
最近、よく足が攣る。身体を冷やしてしまう。つい、良い状態に保つことを怠ってしまう。このようなことは、精神についても同じである。幸い、私は、月に一回、「小林秀雄に学ぶ塾」があり、精神について考えることができる。
今年度を振り返って、小さな進歩があった。自問自答で、身の丈に合わせて問いを作ることが出来るようになった。身の丈の問いには、身の丈の答えが返ってくる。ここでいう身の丈とは、今ある力で、素直に言葉と向き合うことである。また、自問自答へ向かう態度が、こう在らねばならないから、こう在りたいに変わってきた。ここに来て、言葉に自由さが出て、精神に良く影響しているように思う。塾の、読む書く修練のお陰である。
入塾して四年、学びに心が躍る。来年度は、特に、書くことで身体と精神を鍛えたい。
(了)
片岡 久
昨年三月の山の上の家の塾のフリートークの場で、折口信夫さんの別れ際の言葉、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ」の言葉がずっと気になっておりますと申し上げたところ、池田雅延塾頭から「ぜひそれをテーマに自問自答してください」との言葉をいただきました。四月の塾で質問をさせていただき、「好*信*楽 秋号」に掲載をしていただきました。池田塾頭のご指摘とともに、掲載に至るブロセスでの、坂口慶樹さんの幾度にもわたる丁寧なご指導をいただき、校正のたびにフォーカスの甘さや、思い込みが過ぎる点に気づかせていただくことができました。徹底的な校正作業という素晴らしい経験をさせていただき、感謝いたします。
(了)
生亀 充子
小林秀雄先生の「本居宣長」は、「ヨットのユニバーサル・エンジンのようなものだ」という池田塾頭の喩え話はぴったりで、毎回、心の軸に育てたい思想であると実感しております。目まぐるしく変貌する世界の様相や日常の過剰に便利になる環境変化に言いようのない不安を覚えるのですが、「本居宣長」の「人生いかに生きるべきか」の問いは、確かな判断を与えて下さるように思います。
皆さまのお力を借りながら「本居宣長」を読むことで、古人がいかにことばという道具を用いて「こころあまりて言葉足らず」の思いを表し遺してきたかを知り、古の人々と今の私たちの心の働きになんら変わりない姿を確認できることに、驚きと安堵感を抱いています。第二十七章にある「言霊のさきはう国」という表現にとても心惹かれました。大らかな感性の溢れる自国に生きることに感謝し、その恵みを味わいたいと思いました。そして、ことばの産み出す言霊の不思議を探究し経験したいと思っております。
(了)
本多 哲也
小林秀雄先生は、本居宣長という一人の人間を信じ、それについて書きたいと希った。これは古書を信じ、模傚した先人の学者たちの学脈に通じるのではないか。徂徠は「習ヒテ以テ之ニ熟スレバ、未ダ喩ラズト雖モ、其ノ心志身体既ニ潜ニ之ト化ス」と言い、宣長は「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」と言った。自らが信じる古書や古人を対象化せずに、その内側に這入る。信じる心が自らを反省し、それが自ずと註釈の形になり、また信を新たにする、という無心の反復を経て、書物や人物の微妙な姿と出会う楽しみ。小林先生が「本居宣長」を書く中で一貫した実践は、私たちの目に学脈の生きた姿として映らないだろうか。その姿はあるいは、名優が役の人物や劇そのものに迫った姿である。
昨年七月、池田雅延塾頭は、私の口頭質問の後で「本多君、君はどう考えたんだ、と小林先生に問われている」とおっしゃった。私は小林先生に、本多君、と呼びかけられたように感じた。池田塾頭の言葉もまた、小林秀雄という人間に肉薄した俳優だけが体現できる肉声だったのではないか。「本居宣長」を熟視し、自問自答という実践を続けることで、私自身が学脈を体現する、その機が熟するのを待ちたい。
(了)
荻野 徹
「小林秀雄全作品」第二十七集、第二十八集によって『本居宣長』を読み始めて十年近くになり、訳もわからず引きまくった傍線やら、半可通の書き込みやらで、紙面をずいぶん汚してしまった。これでは、知らず知らずに蓄積した先入観にとらわれ、理解が進まぬのではないか。そこで思い立って、単行本版の『本居宣長』、それもせっかくだから初版本を入手し、初めて読むような心持ちで、一気に読み通すことを試みた。
すると意外にも、すらすらと読み進めることはできたのだが、その分、難しさを痛感した。行論の自由自在さ、思考の高速回転のようなものについていけない。そこでふと思ったのは、(論理の飛躍はお許しいただきたいのだが)「訓詁」とは何か、ということである。
第十章なかほどに、徂徠らが素読に疲れ、「本文計を、見るともなく、讀ともなく、うつらうつらと見居候内に……」というエピソードがある。このような不思議な体験を経て、ある種の理解に至ることが、訓詁なのだろうか。
まだまだそういう境地には遠いなと、半ば意気消沈し、半ば希望を抱いている。
(了)
溝口 朋芽
今年度は第二十四章にある「明瞭な人間性の印」という一文に注目して、「好*信*楽」に文章を書かせていただきました。徴とは何か、というテーマでわたし自身ながらく「本居宣長」を読み進めるなかで、特に今年度は「書く」という行為が自身の言葉によって思考を展開することにつながる、ということを身をもって教わることができました。最近あらためて講演CDで小林秀雄先生のお話を聞きなおしていた際に、人間が言葉を生み出す時、それは身体全体から出た「物」である、という表現をされている箇所に気がつきました。徴としての言葉とは、身体全体から出た言葉のことであり、脳のような局所から出た言葉とは違う、思わず識らず長息のように出てくる類の言葉が、徴としての言葉である、ということなのではないかと、今さらながらに思い当たりました。そして、あらためて自身の文章を読んだ時、あらたな気づきがいたるところに生まれるという経験をしました。
(了)
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和五年(二〇二三)一月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延