小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和七年(二〇二五)七月一日
発行人 茂木 健一郎
発行所 小林秀雄に学ぶ塾
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
副編集長
小島奈菜子
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和七年(二〇二五)七月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
副編集長
小島奈菜子
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二五)一月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)十月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)七月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
玉井 裕香子
私はお恥ずかしいことに、本にじっくりと向き合い、ひとつひとつの言葉を解釈しながら自分の中で咀嚼して読み進めるという経験をしたことがありません。
小林秀雄先生に関しては、講演の音源をいくつか聞いたことがあるものの、ご著書をきちんと拝読するのは今回購入した本が初めてです。
この塾を通して、皆様との対話を重ねながら学ぶ機会を得、本当の意味での本との向き合い方、学ぶこととは、を考えて参りたいと思っております。
(了)
本多 哲也
独りで学ぶことを体得したい。小林秀雄先生の仕事を改めて見返すと、批評した作品や人物の多さに圧倒される。ただ、いわゆる博覧強記とは異なる。どの文章でも、小林秀雄という個性が、真剣に相手にぶつかっていることが伝わるからだ。私は、これこそ独学なのだと感動する。現代で独学と言うと、効率よく知識を入力し、意見を出力する方法論を指すように思うが、そんなことは気にせず、小林先生の生き方から、独学を体得したい。
(了)
「歴史の中に生きる」
越尾 淳
入塾以来、何度も読んできたつもりの「本居宣長」は、結局私にとっては昔の碑文のようなもので、読むともなく眺めてきただけとも思える。
ただ、自問自答を繰り返すことで、藤樹、仁斎、徂徠、宣長、そして小林秀雄先生が連なる学問の歴史が確かに存在し、自分もその流れの先端に生きているのだと自覚する。自問自答というのは、歴史の大河に問いかけ、今を生きる自分という存在を捉え直すことなのかもしれない。最後の年も、全力で歴史に体当たりしてみたい。
(了)
「美を求める心」
入田丈司
私は「美を求める心」、「物の美しい姿を求める心」を養って少しでも得たいと思います。一体、自分は「美しい姿を求める」ことをしてきたろうか、今のままでは一度の私の人生あまりに勿体ないのでは、という想いがあります。具体的には、小林秀雄先生の著作、普段から好んでいる多様な音楽、日常で目にする花々、この三つを重点に「物の美しい姿を求める心」、美が与える「沈黙の力に堪える経験をよく味わう」ことを養います。
(了)
溝口朋芽
「歌は、言葉の粋」であると小林秀雄先生が『本居宣長』本文の中で書かれています。本年度は、この一文の意味を会得できるよう読んでいきたいと考えています。
古代より、人間が言葉を発して、歌となり、文字となる、その歴史を宣長さんと一緒に本文の中で小林先生が辿っている、そのことを私という人間が読みながら辿る、小林先生の言葉で言えば、「思い出す」ことを通じて、この山の上の家の塾で私がこの十年考えてきた事柄を、繋がりをもって捉えることができたら、とてもありがたいと思います。
(了)
生亀 充子
これまで池田雅延塾頭、塾生の皆様のお話を通じて、小林秀雄先生の「本居宣長」を何とか読み進める力を頂いてまいりました。
今年一年は、「もののあはれ」や「やまと心」など、古人たちが「まごころ」の有り様を表現するためにどのようなことばを選び、用いてきたのかについて思索を深め、日常生まれては消える心象が、ことばによっていかに助けられ、また姿かたちとなっているのかといった気づきを掬い上げたいと考えております。そして、先人たちの苦心によって紡がれてきたことばをたどることで日本人の心の姿を知り、日常を生きる力(好信楽)になる学ぶ喜びを得たいと考えております。
(了)
橋本 明子
この一年で私が得たいもの、考えたいこと、それは心の不思議について、です。令和五年度の塾で、私は「やまと心と漢意」について自問自答を行いました。いくつか引いた熟視対象の中で、いまの私の心に響いたのは「『わが心ながら、わが心にもまかせぬ物』たるところに、その驚くべき正体があるという、そういうところに、行着いているのが感得される。それが、彼の『物の哀』論の土台を成している」という件です。
心の驚くべき正体、これについて考えを巡らせ、本居宣長の「物の哀」論の土台について理解を始めたい。これが私のこの一年で目指すところです。
(了)
冨部久
私の今年度の一番の学びは、「本居宣長」に出てくる「紫式部の夢」という言葉の中の「夢」が、小林秀雄先生の批評家としての出発点ともなった「様々なる意匠」の中に出てくる、「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」という言葉の中の「夢」と同じものではないかという池田雅延塾頭からのご教示を受けたことです。それまでこの「紫式部の夢」という言葉の中の「夢」の意味をはっきりと捉えられずに、頭の中に渦巻いていたもやもやが、池田塾頭のひとことによって一気に雲散霧消し、更には紫式部のことを大批評家という小林先生の真意も分かったような気がしました。そして、そこに小林先生の、批評家として処女作を書いたころから晩年の大作までの思想の一貫性のようなものを感じました。
そのほかにも、小林先生について池田塾頭に教えを頂いたことにより、小林先生の姿というものが、今まで以上にはっきりと見えて来た一年だったという思いがしております。
(了)
「言葉とイメージ」
鈴木順子
昨年以来、四十九章の、小林秀雄先生の言われた、「今もなお古伝説の流れに浸った人々の表情は、故意に目を閉じなければ、誰にも見えている。それは、私達が国語の力に捕らえられているのと同じように、私達の運命と呼ぶべきものである。」が、ずっと頭から離れない。
三十五章で、小林先生は、「歌は、凡そ言語の働きというものの本念を現す」と、宣長の言葉を借りて、「いひきかせたりとても、人にも我にも何の益もあらね共、いはではやみがたきは自然の事」と、そして、「言語に本来内在している純粋な表現力が、私達に、しっかりした共同生活を可能にしている、言わば、発条となっているという考えが、宣長の言語観の本質を成していた。」と説明する。
言葉が共同生活を成し、そこからまた言葉が生まれるとすれば、私達の使う言葉は、古代からの言葉を引き出していると言えないだろうか。イメージにも同じことが言えないだろうか。
(了)
「私が山の上の家の塾で学んだこと」
本多哲也
小林秀雄先生は、ニイチェについて次のように言っている。
――私には、ニイチェは思想の宝庫というより寧ろ考えるという意志の源泉の様に思われる。思想と象徴とが或は論理と詩とが、そこで一緒に爆発するのに立会うのである。(「ニイチェ」117頁、新潮社刊「小林秀雄全作品」第18集所収)
言葉を凝視した向こうに人を見ている。言葉の意味よりも、その出処にある原始的な力を信じる。小林先生にとって批評とは何か、この一節から感じられる。おそらく小林先生が進んで批評の対象としたものは、少なからず、「考えるという意志の源泉」や「思想と象徴、或は論理と詩の爆発」が感じられる作品や人であった。ドストエフスキイもモオツァルトもゴッホも。もちろん本居宣長もである。小林先生に導かれて、彼らと出会い直してみる。表現力、より正確には表現しようとする力は、彼らにおいては圧倒的だが、それは私の中にも確かにある、人間の基本的な力ではないかと思い出される。
(了)
「令和五年度の山の上の家の塾で私が得たもの、考えたこと」
越尾淳
今年度の私の自問自答は、生成AI(人工知能)への驚きに触発され、中江藤樹はじめ学問界の豪傑達について取り上げました。「考える」という当たり前の行為が機械に代替されると世界は今後どうなっていくのか。期待と不安の入り交じる気持ちです。いずれにせよ、「考える」ということを考える機会に恵まれたことは大きな喜びでした。
ここからさらに進んで、考え方の一つの方法である「討議」ということについて、小林秀雄先生はどのように考えていたのだろうと思いました。ある問題を複数人で話し合い、様々な意見や知恵を集め、一定の結論を得るという行為は今日重視されています。しかし、小林先生は徹底して身一つで事物に向き合い、交わることが「考える」ことだと述べています。この討議ということに関して、小林先生がお考えを示されていれば、この機会に教えていただきたいと思います。
(了)
「令和五年度の山の上の家の塾で私が得たもの、考えたこと」
森本ゆかり
率直に生きると言うことを、人間関係で実践した一年でした。
結果は、とても酷いもので、率直では無く、感情的な行動ばかりとなり、思ったことを曲げて表現してしまったり、あるいは感じたことを、そのまま言葉に出しすぎて、相手と口論になったり、そのことで激怒してしまったり、できれば、知らずに済ませたかった、私自身の嫌な一面を思い知ることとなり、振り返ると苦しい一年でした。
この塾で、私が提出した、「本居宣長」第二十六章の質問に対して、池田雅延塾頭からご指導いただいた「人間によって生きられた歴史を見るという、小林秀雄さんの言葉の深さを知る」ということは、私自身の人間関係や日々の生活での課題と共通しており、本当に不思議な思いでした。
本を読むということの学びを深め、言葉の姿を感じられるようになることで、率直な生き方に少し近づけるのではないかと思いました。
今後ともご指導下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
(了)
「年度末に思うこと」
松広一良
十二年かけて「本居宣長」を読む、毎年通読し、それを十二回繰り返す、その最終年度がいよいよやってくる。私は四期生なので、通読は最終年度が十回目になる。おかげで本はマーカーペンや多色ボールペンの線だらけになり、紙もゴワゴワになっている。これほど同じ本を繰り返し読んだことはない、にも拘らずこんなことが書いてあったのかという発見を今だにしたりする、奥の深い本だからか自分の読みが浅いからか。そういう極めて稀な体験をさせてくれた池田雅延塾頭には深謝したい。その馬力、熱意には舌を巻く、とても真似はできない。最終年度は質問を二件は出したいと思う。塾頭にダメ出しされるかもしれないが……。
(了)
「質問する事」
入田丈司
小林秀雄に学ぶ塾では、自問自答を通じて上手な質問を行う事が根幹です。今年度に私は、この自問自答しながらの質問を、塾以外の場でも実践しました。必ず答えを予測したうえで質問をするのです。すると、シンプルな質問であれ、相手の方と対話が成り立ち、手応え有る時間となるのです。ある時、ボクシングの現役・全日本チャンピオンの談話を聞く珍しい機会がありました。彼のファイト溢れる生活談を聞いた後、「試合に至るまで怖くないのですか?」と、トレーニングに集中するから怖くないという答えを予測して質問しました。彼の答えは逆でした。パンチを浴びる事、負けてベルトを失う事、どちらも怖い。怖いから相手を冷静に研究し、怖いからトレーニングに耐えられるというのです。そして、危機に向き合い怖さを感じる事は、実生活でも大事ですね、という良き対話になったのです。この時の私の質問は、答えを予測するからこそ生まれたのです。
(了)
「この一年、私が得たもの、考えたこと」
溝口朋芽
今年度の山の上の家で、八月と十二月の二回質問に立たせていただきました。
この二つの質問について自問自答を深める中で、言葉とは何か、ということについてあらためて考えを深めることができた一年でした。
八月の質問は「即物的な方法」について、十二月は「人のまごころ」についてでした。いずれも、宣長さんの物への向かい方に関しての質問です。
物、言葉、歌について自身の出した質問に沿ってどのような思索をたどったのか、そのあらましと感じたことを当日はお話できれば思っております。
(了)
橋本 純
思い込みとは怖いもので、作曲家の小林秀雄さんの作品をいつか歌ってみたいと思っていたことを志望動機のひとつにあげていたのですが、その後で別人であることに気がつきました。それでも奇跡的に十二期として迎え入れていただけて、作家小林秀雄と本居宣長と出会いました。
講義を聴く中では、今使っている言葉と昔の書物の中に出てくる言葉の意味が変化していることと、人によってその概念が違うことを知りました、小林秀雄氏の使う言葉の概念を知りたいと思いました。
また、黙読、音読、頭で考えること、感想を述べること、書くこと、はそれぞれ違うところを使っていると感じていることです。考えることと感想を言うことはそう難しくはなくても書くという時、文字にするには考えをまとめないとならなくて、書けたら理解度が深まる気がしています。
以前からピアノの仕事でも生徒に口頭で教えている時と講評を書くことは全く違う能力が必要と思っていたこともあり、五感のうちより多く使い感じると心に残りやすいと思いました。本題に入る前の質疑応答の時間で小林秀雄先生と池田雅延塾頭のエピソードを聴くのが好きです。特に西洋医学のお薬のお話しには共感しました。
現在科学的に解き明かされているものが全てではない、胃腸の調子を整えるという朝鮮人参の成分の+αにも目を向けること、そのものの解明されていない成分も含めて全体が作用している。というようなエピソードは小林秀雄氏の考え方の根底になっているように思いました。
難しいけれども令和六年度こそは、自問自答にチャレンジしたいです。
(了)
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)四月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和六年(二〇二四)一月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
編集顧問
池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和五年(二〇二三)十月一日
副編集長
入田 丈司
副編集長・Webディレクション
金田 卓士
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池田 雅延
小林秀雄に学ぶ塾 同人誌
発行 令和五年(二〇二三)七月一日
副編集長
入田 丈司
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金田 卓士
編集顧問
池田 雅延