奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年十・十一月号

発行 平成三十年(二〇一八)十月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

坂口 慶樹

渋谷 遼典

小島奈菜子

藤村 薫

岩田 良子

Webディレクション

金田 卓士

 

奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年八・九月号

発行 平成三十年(二〇一八)八月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

坂口 慶樹

渋谷 遼典

小島奈菜子

藤村 薫

岩田 良子

Webディレクション

金田 卓士

 

奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年六月号

発行 平成三十年(二〇一八)六月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

坂口 慶樹

渋谷 遼典

小島奈菜子

藤村 薫

岩田 良子

Webディレクション

金田 卓士

 

奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年五月号

発行 平成三十年(二〇一八)五月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

坂口 慶樹

渋谷 遼典

小島奈菜子

藤村 薫

岩田 良子

Webディレクション

金田 卓士

 

奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年四月号

発行 平成三十年(二〇一八)四月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

坂口 慶樹

渋谷 遼典

小島奈菜子

藤村 薫

岩田 良子

Webディレクション

金田 卓士

 

春、帰りなむ(後編)

しゃ ゆう

[前編のあらすじ]

夫、大江匡衡おおえのまさひらの赴任地である尾張に住む赤染衛門は、三河守みかわのかみから歌を贈られ、思い出が蘇った。乳母がおらず困っていた衛門は、娘のために長旅をしてきた若い母親、伊香と出会う。そのひたむきな姿にうたれ、衛門はこの人を乳母にしようと決めた。

 

4

 

夜半の月が上った。衛門は簾の隙間から仄かにさす光を眺めていた。

衛門の快い返事をもらった伊香は、気力を使い果たし、丹後の部屋で休んでいる。明日は一度、近江に帰るそうだ。

指先がひんやりとして、簾を元に戻そうと体を傾けたとき、庭の足音に気がついた。衛門ははっとした。気のせいだと思いたかった。しかし足音は止むことなく、まもなく妻戸の階段のほうから簾を上げる袖が、月の光に照らされた。

「待っていたのかい。今宵は冷えるね」

「ええ」

夫の大江匡衡だった。夫のふみをもらってから数日が経っており、久しぶりの訪れといえた。夫が寝床へ近づく気配に、衛門は身を硬くした。

落葉らくようか」

「ええ。お気に召しましたか」

「ああ、落ち着くね」

落葉は薫物のひとつで、先日、倫子りんしふみに添えてあったものだった。衛門は気に入って着物に焚き染めていたのだが、夫が話すまでそのことを忘れていた。

よりによって、このような日に夫が訪れようとは。衛門はまだ乳母の話をする心の用意ができていなかった。

匡衡は、衛門のすぐ隣まで来て、脇息きょうそくにもたれかかった。

「よく眠っているようだな」

夫の微笑みが、声で伝わって来た。

やがて薄暗闇のなかで、我が子の頭をなでる夫の手が見え、衛門はようやく少し落ち着いた。

「そういえば、さきほど丹後の部屋に誰かがいるのを見たよ。親戚かい」

「いえ、長旅の親子で、足をくじいたお嬢さんがいて、お泊めしたところなのです」

衛門は思わず早口になった。

「ほう……暗がりでよく見えなかったが、ずいぶんやせ細った女人にょにんだった」

「娘さんが縫物と染物が得手で、それを見込まれて、近江守のご親戚のところで雇われたそうなのです」

「ではもう用は済んだのかい」

「ええ。明日は近江に帰るそうですが、実は……あの方に、乳母としてこのままいてもらうことにしようかと思っています」

もっと慎重に伺いを立てるつもりでいた。しかし逸る心が、言葉を口に乗せてしまった。

「決めてしまったのか」

衛門は、夫の声が急に冷たくなったのに気づかずにいられなかった。

「お人柄はよいようですし、私もこれ以上、乳母がいないのは困りますから」

匡衡は不機嫌をあらわにしたまま、妻から目を逸らした。

「それはどうだろうか」

「どういうことでしょう」

匡衡は妻から離れて、文机ふづくえのほうへと歩み出した。まもなく、苛立ちの混じった音が遠くの硯から聞こえはじめた。

「素性も知れない人間なのだろう」

「ええ、まあ……何かあれば、そのときにお断りすればいいのですから。そういう意味では、他人であるほうが楽でしょう」

「何かがあってからでは遅いだろう」

匡衡の声がしだいに大きくなっていた。衛門は慌てて夫のもとへ歩み寄った。

「何があるというのでしょうか」

匡衡はすぐには答えず、畳紙を出し、字を書きながら、無造作に口を開いた。

「乳は出るのか」

かなりやせ細った体で、乳が出るのか怪しいものだった。

衛門は声が出なかった。

「そもそも、もう少し学問のある者を雇ったらどうだ」

そう言い終わると、匡衡は書きあがったばかりの文を手渡した。

 

はかなくも 思ひけるかな ちもなくて 博士の家の めのとせむとは

(乳〈知〉もないというのに、博士の家に乳母にくるとは、浅はかなものだ)

 

夫の歌を見るなり、衛門はすっと筆を取り、歌のすぐ横にすらすらと書いた。

 

さもあらばあれ やまと心し 賢くば 細乳につけて あらすばかりぞ

(それならそれで構いません。やまと心さえ賢ければ、細乳であっても、知識がなくとも、乳母につけて困ることなどありましょうか)

 

衛門の素早い所作は、いつもの柔らかい物腰からは遠く、匡衡は、突然冷水をあびせられたかのようだった。

 

大江匡衡は、儒家として名高く、代々の天皇に「老子」などを教授したこう納言の孫として生まれた。学者と一口にいっても、匡衡は、儒学と漢詩という、この時代の文化の中心にある学問と教養では右に出るものはいない文章博士もんじょうはかせであった。そしてこのたび、若き一条天皇の侍読となった大学者なのだ。このような夫が、身元もわからぬ乳母にどういう態度をとるかは、衛門には察してあまりあるものがあった。

しかし、衛門には衛門の思うところがあった。

伊香は芯が強く、ものごとに懸命だった。娘の性質にもよく気がつくような、根が賢い人であったからこそ、衛門も二つ返事で受け入れた。それに夫が博士という名前はあっても仕事はまだまだ少なく、衛門も幼子がいる今、生活もままならないからこそ、夫の反対を承知でそのように決めたのである。

博士、博士と日頃から夫は言うが、文章生もんじょうせいとして長く勉学を励んで来た割には、しばらくは仕事らしい仕事がなかったことを衛門は知っていた。今でこそ公の文書や、公達きんだち願文がんもんの制作などを仕事としているが、今日のような職を得るに至ったのは、衛門が女房をしていた倫子の夫である、藤原道長公との縁が深く関わっていた。衛門は、匡衡との仲が深まるにつれ、公達方を前にして、事あるごとに夫の話題を出してきた。それが功を奏してか、大江匡衡は道長公の詩会にも呼ばれるようになり、藤原家の人々をはじめ、殿上人たちとのつながりを持った。公達の間では、赤染衛門がもっぱら夫の話ばかり出すものだから、衛門はいつのまにか「匡衡衛門」というあだ名をつけられ、おしどり夫婦とみなされて有名になった。

たしかに漢学は大事である。文章ひとつで世の中が動くこともあるだろう。衛門は自らの小さな工夫などで、夫に恩を着せるつもりはなかった。しかし人生において、漢学だけが、学問だけが大事だと、果たして言えるのだろうか。

 

衛門が朝起きたとき、夫はいなかった。衛門は胸のうちに鈍い痛みをおぼえたが、悔いは感じなかった。

一日がまた、始まろうとしていた。

 

5

 

匡衡は、もう長いこと牛車にゆられていた。春が立って間もなく、珍しく思い立って、都の外れまで行きたくなった。このところ忙しかったこともあるが、旅ともなると、日頃考えぬこともぽつぽつと浮かぶ。

乳母についての妻とのいさかいが起きてから、匡衡は妻の姿を見ることなく三月みつきを過ごした。妻である衛門には、祖父から続く江家こうけの血筋と使命のことを、いつも話して聞かせているというのに、乳母のことでは始めからうまくいかなかった。先の乳母は、学問がある家の出身ではなかったものの、衛門の親戚であるからこそ大目に見たが、今度は、行きずりの親子を拾ってきて乳母にすると言う。

この世に生を享け、物心ついてからというもの、匡衡は常に、祖父である江納言の生き方を目指し、学問の道を進むことを考えてきた。儒学をおさめ国の助けとなる人を育てる、それが江家の務めと教えられてきたのだ。儒学こそが、人が歩む最良の道であり、主君を助け、よき政治の道を開くことができる。それは、詩や漢文こそが正統な文学であり、和歌や物語は戯れにすぎなかった時代に、匡衡が当然のごとく背負って来た誇りと伝統だった。

匡衡は、言うことをきかぬ妻に腹をたてていた。しかし時が経つうちに、少しずつ、別の思いが湧いてきていた。子が生まれるまで、妻は藤原家の女房だった。藤原道長公の妻、倫子が衛門の賢さを気に入って、娘の女房にしたいと考えているとの噂も聞いたことがある。娘の乳母のことで焦っているのには、そういった事情があったのかもしれなかった。

それに、あの歌は……。

「旦那さま、着きましたよ」

物見窓から見ると霞が立ち込めていて、近くの景色さえよく見えなかった。簾の隙間から、早春の香りがした。昨年、子が生まれたのもこの頃であった。

匡衡はため息をもらした。衛門といくつも歌をやりとりしてきたなかで、あのような辛辣なものはなかった。どこか、歌で負かされた感じもあって、いたたまれず、家に寄る気にさえなれなかった。いつも夜離よがれがちな時は、妻のほうから何かしら便りがあるのだが、このたびは何も言ってこなかった。娘は元気にしているだろうか。学問を継ぐことのない女児とはいえ、はじめての我が子であり、姿を見ないと、なにがなしそわそわした。

もう少し行けば嵯峨野である。嵯峨野はちょうどたけのこの季節のはずであった。匡衡はあることを思い立って、さらに牛車を進めることにした。

 

日も暮れた頃、匡衡は衛門の住まいの前にいた。車を止めて入ると、丹後は食事の支度をしていたようで、慌てた様子で迎えにきた。匡衡を見ると顔をほころばせた。

「旦那様……。さあさあ、おくつろぎくださいませ」

衛門はいなかった。家に入ると見覚えのない女が赤ん坊をあやしていた。思わず振り返ると、丹後はこうなるとわかっていたのか、にっこりと笑った。

「あれが伊香さんですよ。秋の終わりに乳母になっていただいた……」

女はしっかりとした手つきで赤ん坊を抱いており、ゆりかごのように子守唄を歌っていた。頰にはうっすらと紅がさしていた。幼子はすっぽりと伊香の袖のなかにおさまって、すやすやと寝息をたてていた。記憶と全く違う様子に、匡衡はあのときの女人だとはなかなか信じられなかった。

女は子守唄を歌いはじめた。外はしとしとと雨が降り始めた。

衛門は今日、藤原倫子のところに挨拶にいったのだという。聞けば数か月前から文のやりとりをしていたらしい。やはり噂の通り、倫子のところで女房になる話があったようだ。部屋に入ると、文台も、硯も筆も、出ていったときのまま整えられ、埃も見当たらなかった。折りたたまれた畳紙を広げると、あのときの歌がそのまま残っていた。

博士の家に生まれても、子供を育てるのに漢文になど頼る必要はない。もともとわれわれ大和人が持っていた心さえあれば、それで十分である。

改めて読み返すと、三月前とはまったく違う気持ちがした。すっかりたくましくなった乳母を見たせいだろうか。いや、きっとそれだけではない。春の花が、だんだんと色濃くなっていくように、知らぬうちに染められて、いま匡衡は、衛門の心がよくわかった。

丹後に水をとってこさせ、匡衡は硯の準備をはじめた。

 

しばらくして、牛車の音がしはじめたかと思うと、にぎやかに挨拶を交わす声が聞こえた。牛車が去っていくと、今度は女たちの話す声が、少しずつ大きく、近くなり、にわかに静まり返った。

「倫子さまのもとに行っていたのだそうだね。わたしは嵯峨野にいってきたよ」

しばらくぶりに見る夫の姿に、衛門は込み上げてくる懐かしさで息苦しかった。

匡衡が見せた籠のなかには、たけのこがぎっしりと詰まっており、文が添えられていた。

「まあ、こんなに」

ようやっと発した言葉は、少し甲高く、自らの声とは思えなかった。

 

匡衡

親のため 昔の人は 抜きけるを たけのこにより 見るもめずらし

(親のために昔の人は抜いたと聞きますが、子のために抜いた珍しい笋ですよ)

 

衛門は読むなり筆をとると、新しい紙に丁寧に書いた。

 

霜を分けて 抜くこそ親の ためならめ こは盛りなる ためとこそ聞け

(霜を分けいって、白髪を抜くように抜くのが親のためでしょうが、竹の“子”は、育ち盛りだからこそ抜くのだと聞きますよ)

 

学者というものは、男でなければ出世はどうしてもかなわない。かの『源氏物語』で高名な紫式部も「この子が男だったら……」とお父上に「惜しい」と言われた。才ある女性ほど、男性でないことが「惜しい」のは当然である世の中に、学者の家の女児というものほど、邪険な扱いを受けるものもなかった。匡衡も、自らの最初の子が女児であるとわかったとき、失望を隠せなかった。

しかし衛門は、貴人に仕え、教養の面で支えるという仕事を、気苦労も多いが、生き生きとこなしていた。たとえ女であっても、生まれ持った才があり、教養を身につけることができれば、時の人に仕え、それだけ良縁に恵まれる機会も増える。だから生まれた子には、できる限りのことをしてやらねばならない。

伊香を乳母にと決めたとき、衛門の心を吹き抜けた不安な風は、はじめて産まれた子が女児とわかったときの、夫の無念な顔を思い起こさせた。今、衛門が夫の顔にみるのは、妻に粘り強く説かれ、娘に読み書きを教えると首を縦にふった、あのときと同じ、暖かさの混じった色であった。

衛門は、気がつくと笋を撫でていた。

雨の音はしだいに広がり、夫婦は静かになった。

それは、春のはじまりの、何もかもが育ちはじめるような、細やかな音だった。

 

6

 

三河守は、むろん、「やまと心」がわかる、一流の貴族である。亡くなった妹の世話になったからと、姉の家に挨拶にわざわざ寄り、からの高価な土産を包みながら、そのことを冗談めかして歌に読み込む手腕を持っていた。そこにわが夫との大きな差を認めざるをえない、と衛門は思った。「やまと心」の歌を見た夫の、青ざめた顔を思い起こすと、またひとしきり笑いが起きそうだったが、さすがに自重する。

結局、夫は乳母の件に関しては、あのあと何も口を出さなかった。時折話を聞くだけで、すべてを任せてくれた。あのとき生まれた子は、匡衡自身が読み書きはじめを行い、母が和歌の手ほどきをし、美しく嗜みのある子に育った。やがて、歌人として名高い藤原兼房かねふさ朝臣の妻となり、ふたりの子をもうけた。二年前に病で亡くなるまで、明るく穏やかな道を歩んだようだった。

 

乳母をしていた伊香の娘は、腕が四方に聞こえ、あちこちからひっきりなしに染物の頼みが来るらしい。それに貴人の女房たちのもとで、読み書きを習ったようで、衛門のもとに幾度か文が届いた。

衛門は忘れぬうちにと、硯と筆を近くまで持ってこさせて三河守への返事を書き終え、それを枕元に置き、もう一眠りすることにした。夫が帰って来たら、使いを出してもらうように頼むつもりであった。

 

夜も半ば、京の宮廷の務めから長い旅路を帰って来た大江匡衡は、家のなかにかすかに漂ういつもと異なる香りに、不審な思いを募らせた。香りのもとを辿ってゆくと、妻が眠る床に、贈り物らしき包みとともに、文が置かれていた。何か不埒なことでもあったのではと、匡衡は思わず文を摑んで外に持ち出した。激しく揺れ動く心を調えるのに時を要した。

この十年来、妻との仲は良好だった。田舎に下るたびについてきてくれて、子供たちにも尽くしてくれていた。息子の挙周たかちかが相応の地位を与えられたのも、母の和歌を見て不憫に思った道長公が、力添えしてくださったおかげである。

そのようななかで、妻は軽はずみな素振りは一度も見せたことがない。しかしこの期に及んで誰かと恋文をやりとりしているのだとしたら……まだ文を読まぬうちから、匡衡は手が震えた。

しかし、衛門の文は、匡衡が推し量ったものとはかけ離れていた。匡衡はほっとすると同時に、なつかしいことを思い出した。乳母のことで妻に反対したときのこと、しかし娘は妻がそう予期したように立派に育ったこと、衛門をたたえるような気持ちで妻との「やまと心」の歌のやりとりを自らの歌集に入れたこと、それが宮中で評判になったこと……。匡衡は、胸に痛みがそっと忍び込むのを覚えた。

尾張への赴任は、当時、みやこで輝かしく務めていた妻にはひどく無念だっただろう。しかも二度目は、娘が亡くなったばかりで、せめて娘のことを思い出せる京に留まっていたかったであろう。文章博士になりながらも、出世しきれず、都から最も遠い地への赴任……しかし、それでも妻はついてきてくれたのだ。

ふたたび家に入ると、匡衡は床にはつかず、書斎へ入った。都の近くに任地を変えていただけるよう、帝に訴える文を書くつもりだった。外を見やれば、心なしか闇夜が和らいでいる。夜半の月がひっそりと出ていた。音を立てぬように書物を広げながら、匡衡はいま一度、衛門の文に灯を近づけた。

 

はじめから やまと心に 狭くとも をはりまでやは かたくみゆべき

(始めはやまと心に乏しくとも、終わりまで同じとは限りませんよ)

 

(了)

 

【参考附記】

以下、小林秀雄「本居宣長」第二十五章(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集P.280)より

赤染衛門は、大江匡衡まさひらの妻、匡衡は、菅家と並んだ江家ごうけの代表的文章もんじょう博士である。「乳母せんとて、まうで来りける女の、乳の細く侍りければ、読み侍りける」と詞書ことばがきがあって、妻に贈る匡衡の歌、―「はかなくも 思ひけるかな もなくて 博士の家の 乳母せむとは」―言うまでもなく、「乳もなくて」の「乳」を「知」にかけたのである。そのかえし、―「さもあらばあれ 大和心し 賢くば 細乳につけて あらすばかりぞ」―この女流歌人も、学者学問に対して反撥する気持を、少しも隠そうとしてはいない。大和心が賢い女なら、無学でも、子供に附けて置いて一向差し支えないではないか、というのだが、辛辣な点で、紫式部の文に劣らぬ歌の調子からすれば、人間は、学問などすると、どうして、こうも馬鹿になるものか、と言っているようである。

この用例からすれば、「大和心しかしこくば」とは、根がかしこい人なら、生まれつき利発なタチならとかいう事であろう。意味合からすれば、「心しかしこくば」でいいわけで、実際、「源氏」の中ででも、特に「才」に対して使われる時でなければ、単に「心かしこし」なのである。大和心、大和魂が、普通、いつも「才」に対して使われているのは、元はと言えば、漢才カラザエ、漢学に対抗する意識から発生した言葉である事を語っているが、当時の日常語としてのその意味合は、「から」に対する「やまと」よりも、技芸、智識に対して、これを働かす心ばえとか、人柄とかに、重点を置いていた言葉と見てよいように思われる。

 

奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年三月号

発行 平成三十年(二〇一八)三月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

坂口 慶樹

渋谷 遼典

小島奈菜子

藤村 薫

岩田 良子

Webディレクション

金田 卓士

 

「小林秀雄に学ぶ塾」サテライト塾のご案内

☆大阪塾についてのご案内

 

2018年1月から、池田雅延塾頭を講師とする「小林秀雄と人生を縦走する勉強会」を年4回、関西学院大学梅田キャンパスにおいて開催中です。

 

* 2018年の予定

第3回 7月7日(土)

「美を求める心」について

第4回 10月13日(土)

「ドストエフスキイの生活」について

【13:00 開場 13:30 開会 15:30 閉会】

 

* 会費

 正会員
  年会費 :
8,000円
  勉強会1回単位会費 :
2,500円
 学生会員
  年会費 :
4,000円
  勉強会1回単位会費 :
1,500円

 

* お申込み・お問合せ
宛先:ikedalabinkansai◆gmail.com
◆を@に変えてメールをお送りください。
詳細は以下のTwitterにも掲載しています。
小林秀雄と人生を縦走する勉強会‏ @ikedalabkansai

 

 

☆広島塾について

 

小林秀雄の思想に触れ、困難な現代を生きる糧とすることを目的とした池田塾をより広く知ってもらい、参加してもらうため、2015年に広島塾が発足しました。「池田塾in広島」と称して、春と秋に開催しています。

 

*第7回池田塾 in 広島

日時

2018年10月14日(日)14:00~17:00
※16:00~17:00 質疑応答

「もののあはれを知る事」

講師

池田雅延塾頭

参加費

一般3,000円、学生1,000円
(参加者数により変わる場合があります)

場所

合人社ウェンディひと・まちプラザ
広島市まちづくり市民交流プラザ

申し込み

お名前、ご住所、お電話番号をお書きの上、次のアドレスまでご連絡ください。
宛先:yositen2015◆gmail.com
◆を@に変えてメールをお送りください。

以 上

 

春、帰りなむ(前編)

しゃ ゆう

1

 

どこからであろうか、懐かしい音が聞こえて、衛門えもんはまぶたを薄く閉じてじっと耳をすませた。ひそひそとした話し声や、木の車輪がきしむ音や、ゆっくり響く微かな足音が、風の音と混ざり合いながら少しずつ大きくなってくる。

夫である大江匡衡おおえのまさひらに伴って、赤染衛門あかぞめえもん尾張おわりに下ったのは、これが二度目のことだった。

かつて藤原道長の妻、倫子りんしに仕えていたころ、夜毎日毎よごとひごと牛車ぎっしゃの音は聞こえていた。

とくに思い出深いのはある春、一条院へと花見の会へゆく際に、和泉式部とともに乗った牛車である。それは屋根に檳榔びろうをあしらった四人乗りの牛車で、まだ新しい車輪がてらてらと光っていた。あの日の一条院には、人が降りられないほど牛車がつめかけ、従者が芋を洗うようであった。

音はさらに近づいて来て、それからぴたりと止まった。目頭に涙を浮かべていた衛門は、そのとき我に返った。

どうやら衛門を訪れる客のようであった。
 「衛門さまは病を得られて」

奥の間に聞こえたのはそこまでで、あとは風の音にかき消されてしまった。病と聞いて、対面は望めぬと思ったのであろう、牛車は離れていった。強い風がひとすじ、奥の間まで届いた。衛門はやや肩を縮め、身をすくめた。しばらくすると、ふみとともに、両手にしっかりと抱えねばならぬほどの大きな包みが衛門に手渡された。衛門は娘を枕元に呼び、包みを解かせた。とたんに、鼻がつんとする香りが、辺り一面にたちこめた。
 「まあ、これは何の香りでしょう」
 「これは丁子ちょうしですよ。こちらは甘松かんしょうね」

都でもなかなか手に入らない、珍しい香の原料が少しずつ、丁寧に包まれていた。貴族たちはこれらを調合して薫物にする。衛門はかつて、倫子が調合した香を分けてもらうために仲間の女房たちと列に並んだことを思い出し、口元がほころんだ。
「どなたがくださったのでしょう」

興味深そうに顔を床に近づける娘に、衛門はすぐには答えず、静かに文を広げた。案の定、見慣れた字があった。
 「三河守みかわのかみですよ」

三河守となった菅原為理ためよしは、かつて衛門の妹のもとに長らく通っていた。その縁で三河国へと下る道すがら、衛門のところへ立ち寄ったのは、梅の咲き始めのころであった。いまや風がさすように冷たくなってきたとは、早いものだ。妹が亡くなったのは五年前、為理が通っていたのはさらに昔のことだ。
 「あの方が生きていたら、尾張と三河は近くてよかったのですが」

為理はそう言い残し、任地へと下っていった。

為理は、妹のほかに多くの通いどころがあった。人が悪いわけではないのだが、あまりに風流に生まれつき、ごく自然な成り行きで、あちこちの女に心が移る質だったのだろう。妹が深く悩むうちに病で亡くなったのには、この方も一役買っているような気がして、為理との付き合いは気後れがした。病と伝えてよかったと衛門は思った。季節の変わり目に咳を少しわずらったが、すでにあらかた治っていた。

ところがしばらくして、衛門は小刻みに肩をゆらしはじめた。隣にいる娘がはっと気がついたときには、声さえもらして笑った。

為理の文には、歌が詠まれていた。

 

唐国の 物のしるしの くさぐさを やまと心に  乏しとやみむ

(唐のものをいろいろとお贈りしたことを、やまと心が足りないとご覧になりますか)

 

目を丸くして驚いている娘を見ても、衛門は緩んだ顔を引き締めることができなかった。やまと心をこのように話題にするとは、あの歌のことを聞き知ったに違いない。衛門はこれまで一度も、そのことを人に話したことはなかった。きっと夫が、どこかで話題にしたのだろう。衛門は心が温まった。月日はほんとうに早い。あの歌を贈ったばかりのころ、もはや夫婦の契りもこれまでかと衛門は覚悟していた。それはちょうど今と同じ、美しい虫の音が、木枯らしでかき消される、冬の初めであった。

 

2

 

 「お白湯さゆをお持ちしました」

丹後たんごのささやくような声が頭の上で聞こえたので衛門は頷いた。赤ん坊をあやしながらも、目は文机ふづくえに置かれた文の字を追っていた。文の主は藤原倫子、かつて衛門が仕えていた、藤原道長の妻である。

丹後が椀を持っていてくれるので、衛門は体を動かすことなく白湯をひと口啜った。顔を上げると、丹後が心配そうな顔でのぞきこんでいる。
 「早く乳母が見つかるといいのですがね……」

丹後はなんでも察しがよく、衛門は嬉しくなった。しかしそれもつかの間のこと、考え出すとため息がもれる。倫子からの文には、娘の彰子しょうしの女房としてそなたを召したいと書かれており、いつ京に戻れるのかと促すものだった。衛門としても、はやく倫子の役に立ちたい。だが、幼子につける乳母がいなくては、叶うはずもなかった。
 「あの人の赤子はもう、生まれたころでしょうか」

少し前までは、衛門の姪が乳母をしていた。しかし衛門の娘が生まれてから一年も立たぬうちに姪にも懐妊のきざしが見え、すぐ里帰りさせてしまった。丹後はその娘のことを言ったのである。
 「ええ、この間、たよりが来ました。女の子だそうよ」

かわりの乳母を、親類じゅう当たって探させてはいるが、すぐには見つからなかった。たとえふさわしい人が見つかっても、たやすく決まることはないだろう。
 「あの方は、旦那様がようやく首を縦に振ったというのに……」

衛門はしばらく返事をしなかった。

衛門の夫、大江匡衡は、学者であった。学者というものが、ここまで気難しいものだということを知ったのは、子が生まれてからのことであった。
 「姪は少し若すぎたのです」
 「けれどあの方は朗らかで、歌もお上手だったようなのに」

衛門は姪を思い出したようで言葉に詰まった。ため息がもれた。
 「歌が得手でも仕方がないのでしょう」
 「いいえ。そのようなことはございません。なんといっても旦那様は、歌では衛門さまには勝てないですもの」

これには衛門は笑ってしまった。丹後もつられて笑ったが、思い出したようにおもむろに白湯を衛門の口元に運んだ。
 「さあ、もう一口おあがりください」

衛門は若いころから和歌の名手だった。大臣家の歌合の歌は必ず評判になったものだ。

一方、夫の大江匡衡はもともと和歌が好きではなかった。一通り学びはしたものの、和歌を詠む暇があるならば、少しでも多く漢文の聖典にふれていたかった。その態度を一変させたきっかけが、衛門への恋であった。

 

匡衡

恋わびて 忍びにいづる 涙こそ 手に貫ける 玉と見えけん

(恋に悩み、人知れずこぼれる涙が、手に通した数珠の玉のように見えます)

 

数珠とともに贈られた歌に、衛門はすぐさま返事をした。

 

赤染衛門

ちづらなる 涙の玉も 聞こゆるを 手に貫ける 数はいくらぞ

(千にも連なる涙と世間では言いますが、あなたの手に連なる涙の数はいくつでしょうか)

 

手ひどく返しても間もなく歌はふたたび贈られてきた。

 

匡衡

あら浪の うち寄らぬまに 住の江の 岸の松影 いかにしてみん

(荒波が打ち寄せないうちに 住の江の松の姿をなんとかして見たいものです)

 

返し
赤染衛門

住の江の 岸のむら松 陰遠み 浪寄するかを 人は見きやは

(住の江に群れて生える松は、その姿を遠方から見るので、波が寄せるかどうかは見えないものです。あなたは見たのですか、見てはいないでしょう)

 

匡衡

岩代の 松にかかれる 露の命 絶えもこそすれ 結びとどめよ

(岩代の松にかかっている露のように儚い私の命が消えてしまいそうです。つなぎとめてください)

 

返し
赤染衛門

結びても 絶えんを松の はばかりに かけばにで見る 露の命ぞ

(露なら結んでも消えるものです。まして松の葉などにかけるというのでは、なおさらはかない露の命ですね。つなぎとめられません)

 

苺を檜破籠ひわりごに入れて
匡衡

紅の 袖匂ふまで ける玉 なにのもるとも 数へかねつつ

(紅に映える袖になるまで、血の涙の玉が貫いたのです。檜破籠に何が盛ってあるにしても、数は数えられないでしょう)

 

返し
赤染衛門

もりつらん 物はことにて 紅の 袖にはなにの 玉か数えん

(盛ってある物はさておいて、もともと紅色をした袖で何の玉を数えればいいのでしょう)

 

衛門とのやりとりをするうちに、匡衡は歌に深入りしていった。明らかに和歌においては、衛門のほうが数段上だということを、匡衡は認めざるをえなかった。幼いころから秀才と呼ばれ、周囲の期待を集めてきた匡衡にとって、勝てないものがあるというのは、それだけで心が惹きつけられた。いくら歌を贈っても、返ってくるのはつれない歌ばかりだった。しかし衛門は必ず返歌を寄こした。まるでつれない素振りさえ、どこか楽しんでいるかのようであり、それが匡衡を次の歌へとかきたてた。

 

泣き声が聞こえて来た。つい物思いにふけったかと、衛門は思わず腕のなかの赤ん坊を見たが、すやすやと眠り続けている。どうやら声の主は外にいるらしい。丹後はすぐに立った。
 「様子を見てまいります」

衛門の腕に力が入った。

戻ってきた丹後は困ったような顔をして、言葉も発しないので、衛門が急かすと、小さな声でぼそぼそと言った。
 「旅のお方だそうです。今夜一晩、泊めてさしあげてもよろしいでしょうか」

丹後が御簾を上げると、親子らしき姿があった。

女童めのわらわは十歳ほどだろうか、しゃがみこんで泣いていた。女童の背中をやさしくさするたびに、母親の薄い背中で幼子が大きく揺れた。
 「お嬢さんが足をくじいてしまったそうなのです」

子を見つめる母親のほうも顔が青ざめていた。衛門はわが子をおいて親子のほうへと近づいていった。
 「どちらからいらしたのですか」
 「近江でございます」

娘がこれから世話になる人に会いにきたのだが、ようやく京に入ったところで、当の娘がどうしても歩けなくなってしまったという。外は暗くなりつつあり、このままでは外で夜を越すことになるだろう、丹後が思わず声をかけたのも無理はない。衛門がうなずくと、丹後の声が弾んだ。
 「さあ、お上がりください」

母親は背中の幼子を下ろし、腕にしっかりと抱えながら幾度も礼をした。立ち上がっても小柄なその若い母親は、名を伊香いかといった。いい名だと伝えると、父が住んでいた近江の地名なのだという。丹後はすぐに女童をおぶって奥へと連れていった。伊香がおもむろに歩きはじめたとき、衛門は声をかけた。
 「外にいる方もお入りになって」

伊香は驚き、身をすくめた。
 「あれは外でいいのです」

伊香は旅に男衆を連れていることを言わないようにしていたが、この女主人は、広い心の持ち主だったようである。
 「このあたりは、夜とても冷え込みますから」

そう言い残して衛門は奥に下がっていった。その背に向けて、伊香はもう一度深々と頭を下げた。

 

3

 

翌朝、衛門が起きてみると、炊事場のほうから話し声が聞こえた。甲高い声が交っている。昨夜足を痛めていたという女童めのわらわが何か手伝いをしているようだった。

こちらの気配を察したのであろう、お目ざめになりましたか、と丹後に声をかけられた。その横から、元気そうな女の子がちょこんと顔をだした。
 「昨夜はどうもありがとうございました」

お辞儀をしてすっと上げた顔は、かすかに赤みがかっていた。

足の痛みはもういいのか、少女は素早く動き回っていた。頰と同じ、紅葉のような赤い小袖が似合っていた。
 「母は、今、水を汲みにいっています」
 「お断りしたのですが、どうしても行くといって」

お優しい方です、と丹後は独り言のように言って食事の支度を続けた。

少女は何かを見つけたのか、目を細めてつぶやいた。
 「紫に染まるかしら」

丹後はかまどに薪をくべていて、少女の声が届いていないようだった。視線の先を追うと、庭に残っていた朝顔が、光のなかで揺れていた。

井戸から帰ってきた伊香は、衛門の姿を見つけると、大切そうに水を抱えて庭のほうへやってきた。衛門が尋ねると、娘は生まれつき手先が器用で、裁縫や染物がことのほか好きなのだと話しはじめた。
 「最初に気がついたのは、私が着物のほつれを直しているときでした」

伊香の背中の赤子は、人形のように静かだった。
 「縫い物をしながらつい、うとうとしていたところ、娘が残りを縫ってしまったのです。八歳のときでした。見様見真似で覚えてしまったのでしょう。その場では叱りましたが、嬉しい思いでした。それからいつだったか、一度花染めを見せてからは、一緒に野山に出かけては植物をとってきて、始終染物をしています」

衛門が見やると、少女と朝顔がじっと見つめあっていた。
 「着物も自分で染めたのですか」
 「ええ」

きれいに染まっていると伝えると、伊香は明るい声になった。
 「椿です。何日も野をかけまわったり、ご近所にも頼み込んだりして、落ちた花をたくさん集めて、ひとりで染めたのです」
 「名残の紅葉のようですね」

伊香は嬉しそうに頷いた。娘の手による染物が季節に合っていると褒められるのはこのうえもない喜びのようだった。
 「いまは庭の朝顔を見て、考えているようですね」

伊香は頷いた。
 「紫は、娘の憧れの色なのです。花染めで濃い紫色を出すのは難しく、すぐ色あせてしまうのですが」

娘がこちらにやってきて、母の膝へ甘えるように顔をうずめた。
 「お母さま、私、いつかはあんな色も染められるかしら」
 「紫草むらさきで染めればきっと美しいわ。都へいけば、紫草で染めることができるかもしれないと楽しみにしていたのよね」

娘の顔はとたんに輝いたが、次の瞬間、眉間にも口元にもしわを寄せて衛門を驚かせた。
 「きっととっても冷たいわ」
 「お水のことね」

娘は大きく頷いて、まるで冷水のなかに両手を入れたかのように身を震わせた。衛門は笑った。
 「花染めは、温めた色水に浸してから、冷水の中で生地を洗うのを、何度も繰り返すことで、少しずつ色づいて、むらなく美しく染まります」

それは初耳だと衛門が伝えると、伊香は恥ずかしそうに微笑んだ。
 「何度もしているうちに娘が自分で気がついたのです」

伊香の誇らしげな姿に、衛門も心が浮き立つのを覚えた。まるで自分の娘が育ってゆく喜びを、先取りしたかのようだった。
 「これだけ好きで得手なことを持って生まれたのだから、何か縁があるに違いないと、いつも思っておりました」
 「それで京まで旅をされたのですね」

伊香はうなずき、これまでの旅のことを一通り語った。
 「夫の親戚に、代々着物の仕立てを生業なりわいとする家の主人がいるのです」

それは衛門も噂で聞いたことがあった。貴婦人たちはたいてい、みずからの着物を仕立ててもらうため、針仕事や染物を担う女房を抱えるものだが、急な入り用に間に合わぬときや、凝った仕立てを頼むときは、そういった家に頼むことがあった。伊香は、娘をその家の針子にしようというのだろう。
 「幾度となく頼んでも、なかなか聞き入れてくださいませんでした。でも夫が亡くなった際、ようやく文をくださって」

それで丸一日かけて、念願の都へと旅をしてきたのだと話し終えると、伊香は黙って、娘の着くずれを直した。衛門は、少女が去ったあとの朝顔を見つめ、あのような濃い紫の生地は、都でもなかなか手に入らないことを思った。花は、前に見たときより色が深まっていた。

 

赤ん坊の声がした。まるで話の区切りを待っていたかのような間の良さだった。

 

衛門は机の前に向かい、倫子への返事を書く準備を始めた。

硯に水をさし、墨をなじませて幾度か磨ってから、大きな木箱を開けて、紙を出そうとして、衛門は思わず苦笑をした。さきほどとは別の角度から泣き声が聞こえた。衛門の娘が起き出したようであった。

衛門は丹後を呼び、持ったばかりの筆を置いた。そして昨夜からやや痛む腰をようやくあげたころ、几帳を隔てた隣の部屋から、赤ん坊を抱えた母親がこちらをのぞいた。遠くから、お乳をさしあげてもいいでしょうか、と声が聞こえる。そばに来た丹後が、是非そうさせてあげてください、と言葉を添えた。
 「そうはいっても……」

伊香は小柄で、どちらかというと痩せていた。旅の疲れからか顔色も芳しくなかったので、食事を多めにするように丹後に言いつけたほどだった。傍目からはどう見てもふたり分のお乳が出るようには思えなかった。
 「何かお礼がしたいと、昨日から口を開くとそればかりで」

衛門が小さく頷き、無理はせぬように伝えてほしいと言った。衛門は筆を持ったが、幾度か字を書き損じた。泣き声の合間から、「伊香さん、しっかり」と励ます声がした。風で持ち上がった几帳の隙間から、背中をさする丹後の手が見えた。しばらくして泣き声は風とともに消え、鈴虫の声が聞こえて来た。

 

親子はその日のうちに用をすませ、伊香は夕方、衛門の家にもう一度立ち寄った。今朝の女童はおらず、背中の赤ん坊がすやすやと眠っていた。静かな人だと衛門は思った。

深々と礼をしたのちに顔を上げると、伊香は衛門の顔をまっすぐに見つめた。
 「見知らぬ私どもを泊めてくださって、なんとお礼を申し上げたらよろしいのか……その上で、このようなことを申し上げるのは、まことに無礼だと存じてはいるのですが」

一瞬の沈黙の間に、深い呼吸が聞こえてきそうであった。声が震えていた。
 「乳母として、このお家においていただけないでしょうか」

娘と一緒に都へ来たのは、自分も雇ってはもらえまいかと考えていたからだったようだ。しかし娘の奉公先では、人手は足りており、用がなかったのだという。
 「あの子は、ほんとうは姉の子なのです。姉は産後すぐに亡くなったので、私が育てようと決めたのです。母のふりをするうちに、本当のことは言えなくなりました」

伊香は、そっと背中のほうへ目をやった。
 「この子が産まれてから、今度は夫が亡くなりました」

今にもこぼれ落ちそうな涙に、伊香は耐えていた。
 「あの子がひとりで食べていけるとわかるまで、見届けてやりたいのです」

先に声を出したのは丹後であった。
 「衛門様、あの……」

衛門は微笑みながら、言葉を重ねた。
 「実は困っていたのです。今朝も助かったの」

幼子の母は、絞り出すような声でお礼を言い、赤ん坊を起こさないようにと、それ以上は話そうとしなかった。突然、強い風が吹きぬけていった。
 「さあ、もう遅いですから、おあがりなさい」

風は、暖かくなった衛門の心にまで吹き込んだように思えた。誰にもわからぬよう、衛門は小さくため息をこぼした。

(つづく)

 

奥付

小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

好・信・楽  二〇一八年二月号

発行 平成三十年(二〇一八)二月一日

編集人  池田 雅延
発行人  茂木 健一郎
発行所  小林秀雄に学ぶ塾

編集スタッフ

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