「躍る」という言葉から学んだこと

昨日の雨で、満開だった桜はずいぶん散った。本居宣長さんが好きだった桜花の、咲き散る季節に、小林秀雄先生の『本居宣長』に向かっている。

 

第四十九章を繰り返し読んでいて、「躍る」という言葉が心に留まった。理由ははっきりとしない。言葉が、フワッと立ち上がってきた。小林先生の言われる直観であろうか。

しかもこの言葉は、その場ですぐさま、私にとって、大事な物に思えた。それまで、本文の中身、具体的には、神、自然、人との関係、古学の眼、古伝説について考えてきたが、あのとき以来、この「躍る」が私の思索のほとんどを占めてしまい、どうにもならなくなった。そこで急遽方向を変え、この言葉の第四十九章でのあり様を辿ることにした。小林先生の『本居宣長』を理解する手がかりになるかも知れないという、予感めいたものがあった。

本文の「躍る」を追って辿ると、二箇所に似た表現を発見した。一つは、「古学の眼」の説明のところで、小林先生は、宣長の身振りを「理解と信念が織りなす難題の中心に躍り込んだ」と言われ、二つ目は、「古伝説」の説明のところで、上古の人々の生活を「柔らかく豊かな恵みも現している自然の姿、恐怖と魅惑とが細かく入り混じる、多種多様な事物の『性質情状』(カタチ)を、そのまま素直に感受し、その困難な表現に心を躍らす」と言われている。どちらも、難局で、挑むような勢いで「躍る」が使われている。実際の文は、次のようにある。

―このような、畳み掛けるような語調は、「古学の眼」を得んとして、理解と信念とが織りなす難題の中心に躍り込んだ、その宣長の身振を、よく現していると言ってよかろう。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集p.182、15行目〜)

―神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼等に通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。そういう声が、彼等に聞えて来たという事は、言ってみれば、自然全体のうちに、自分等は居るのだし、自分等全体の中に自然が在る、これほど確かな事はないと感じて生きて行く、その味いだったであろう。其処で、彼等は、言うに言われぬ、恐ろしい頑丈な圧力とともに、これ又言うに言われぬ、柔かく豊かな恵みも現している自然の姿、恐怖と魅惑とが細かく入り混る、多種多様な事物の「性質情状」を、そのまま素直に感受し、その困難な表現に心を躍らすという事になる。(同p.189、3行目〜)

私はこれまで、書き言葉で、「踊る」と「躍る」の違いを意識して使っては来なかった。その違いを調べようと、辞書を引くと、「踊る」は、音楽やリズムに合わせて体を揺れ動かすことで、ある文献には、この文字は、人に操られて行動するときも用いられるとあった。

一方、「躍る」は、飛んだり跳ねたりして勢いよく動くこと、文献には、「胸が躍る」「心臓が躍る」のように喜び、驚き、期待、緊張などで、胸がわくわくする、ドキドキする、動悸が激しくなるなどについても用いられるとあった。小林先生は、敢えて、「躍る」の方を、第四十九章で使っているのだ。私自身が、この第四十九章ばかりでなく、作品『本居宣長』全体を通して、わくわくドキドキしてきたことを思い起こす。宣長や小林先生の、古伝説から学ぶ鼓動、真の学びに伴う身体の反応を、私は感じてきたのかも知れない。先生が「躍る」と綴ったのは、そのような本当の学びを伝えるために、必要だったからに違いない。そう考えると、「躍る」との出逢いは、偶然ではないと思いたくなる。

次に、「躍る」が、「努力」の言葉に繋がるのを、二箇所に発見する。宣長の「古学の眼」が書かれ、上田秋成の学問への姿勢を問うところと、「古伝説」について、宣長の考え方を説明するところで、使われている。小林先生は、読者に分かるように、意図して、ついに置いたに違いない。私にとって、これらの言葉との出会いは、必然であるし、運命であると確信する。小林先生は、次のように熱く語っている。

―そんな馬鹿な事があるか。生活の上で、真を求めて前進する人々は、真を得んとして誤る危険を、決してそのように恐れるものではない。それが、誰もが熟知している努力というものの姿である。この事を熟慮するなら、彼等が「かしこき事」としている態度には、何が欠けているかは明らかであろう。欠けているのは、生きた知慧には、おのずから備っている、尋常で健全な、内から発する努力なのである。(同p.183、15行目〜)

―そういう彼の考えからすれば、上古の人々の生活は、自然の懐に抱かれて行われていたと言っても、ただ、子供の自然感情の鋭敏な動きを言うのではない。そういう事は二の次であって、自分等を捕えて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向い、どういう態度を取り、どう行動したらいいか、「その性質情状アルカタチ」を見究めようとした大人達の努力に、注目していたのである。これは、言霊の働きをたなければ、出来ない事であった。そして、この働きも亦、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方から、彼等の許に、やって来たと考える他はないのであった。神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼等に通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。(同p.188、15行目〜)

小林先生は、真実を求めて前進する人は間違う危険を恐れてはならないと言う。それが、努力の姿であると、強く示している。先生自身の、経験から出た確信のある言葉に、圧倒される。ここでは、生半可な努力を言っているのではない。上古の大人たちの、彼らを捕らえて離さない自然の威力の「性質情状」を見極めようとした努力を言う。言霊の働きを信じて俟つ、血の滲むような努力を見せた結果、神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼等に通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろうと説明するのである。小林先生の使う言葉には、「躍る」にも、「努力」にも、生命の胎動、新しい知慧が生まれる脈打ちを感じる。

以上の通り、小林先生は、これまで取り上げた、「躍る」と「努力」を、学ぶことや生きることの意義に、躍動感が伝わるように使っている。これらを、段落のなかに、リズムを作るかのように置き、まるで散文詩のように構成している。読者には、二つの言葉から、古伝説の学び方がはっきりと見えてくる。本物の学びとは、今で言う主観的あるいは客観的視点という物差しに踊らされず、自らの内から生まれて来る感覚、素朴な情、あるがままの事物を素直に受け止めて、真実を追求するものである。事物と自らの直接的な対峙があり、相見あいまみえて、信じて、始まる。そこに、心が躍り、学びの厳しさや喜び、学びを押し進めようとする努力が生まれる。事物と相見えることのない学びは、形だけで、中身が伴わないものと言ってよいだろう。残念ながら、そのような学びは、人を豊かにしない。社会に還元されないし、良い未来も作らない。

 

私は、「小林秀雄に学ぶ塾」に入塾して、今年で四年になる。やっと学びの出発地点に立つことができたように感じる。これまで脈々と続いてきた国語の力や、古代から伝えられてきた人々の心ばえ、気立て、心遣いや気配り、風情や趣向に支えられ生きていると思うと、今使っている言葉や、振る舞いが、違って見えてくる。信じることの大切さや、責任を考えさせられる。恥ずかしい話だが、これまで、自分に、運命という言葉を使ったことがなかった。本章における小林先生の問い、「誰のものでもない自分の運命の特殊性の完璧な姿、それ自身で充実した意味を見極めて、これを真として信ずるという事は、己れの運命は天与のものという考えに向い、これを支えていなければ、不可能ではないか」には、滝に打たれるような感じがした。遅ればせながら、自らの可能性を、天与の運命と信じて生きていかなければならないと思う。今、小林先生の「本居宣長」に、出会えていることに感謝したい。

 

今週末で、東京の桜は散ってしまう。宣長さんは、山桜の花が好きで、山桜の歌を三百首も詠む。また、山桜の木を墓の後ろの塚に植えるよう生前に言い遺す。松坂の山桜は、これからが花の見頃となるだろう。最後に、宣長さんの歌に心を重ねて、古代に想いを馳せたい。

桜花 ふかきいろとも 見えなくに ちしほにそめる わがこゝろかな

(同27集、p.36、12行目)

 

(了)