ひとりのクリスマス

孤独に押しつぶされそうになったのは昨年十二月のこと。ハンガリーでの留学生活がスタートし半年たったあたりで真っ黒な何かがドンと私に覆いかぶさってきた。クリスマスと合わせた約二週間の冬休暇は、翌年の大学入試に備え勉強しようと、特に旅行の計画を立てずにいたのだがどうやらこれが間違いだったようだ。休暇中に多めに勉強し貯めを作っておくはずが、現実は逆で勉強への意欲はほとんど湧かなかったのである。クリスマスと新年の日付は予想以上に爛々と光って見え、かえって「一人で過ごす云々」という頭の中の考えを際立たせる。時期的にも、冗談を言っていられないほど夜の長い季節で、私は何に対しても気力という気力を失いかけていた。

 

どうせ勉強が手に付かないなら、とコンサートやオペラをネットで漁り、都合良く行われる教会でのオ−ケストラのコンサートを一つ、何も考えず安値で購入した。

オーケストラだと思って行ったコンサートは当日蓋を開けてみれば弦楽七重奏で、演目も殆ど知らずに券を買った自分に少々落胆したものの、弦が聴けるならまあいいか、と特に期待もせず私は席に着いた。このコンサートが、―小林秀雄の大阪道頓堀でのあの経験―とまではいかないが、私を組み替えた出来事となる。

 

パッヘルベルのカノンに始まり、ヴィヴァルディ、バッハ、サン=サーンス、そしてモーツァルトが続く。教会の端の席で、じっと固まって弦楽七重奏に耳を傾けていたのだが、演奏も半ばくらいの頃、急に、締め付けられていた脳がふと緩んだ気がした。息が苦しかったわけではなかったのに呼吸が突然楽になる感覚を覚え、何故か「嗚呼、大丈夫だ、生きていける」と思ったのだった。

理由は未だに分からない。何の曲だったかも正直覚えてない。しかし、年末のこのコンサートが、来る二〇一八年への心配を一気に軽くしてくれた気がする。弦の音が、目には見えない何かの縛りを解き、私は救われた気分になったのである。

凍てついた夜空の下、旧市街の真ん中のその教会だけがポッとオレンジの光に包まれて光っている、あの景色が脳裏に焼き付いている。

 

クラシック音楽は、母の嗜好で三歳から始めさせられたピアノのおかげもあり、幼少期からよく聴いている。だから、今回もクラシックが聴きたいという一心で券を買ったのだ。

 

ピアノは結局高校卒業時まで続け、その間に色々な作曲家の曲を弾いてきた。弾く側として誰が好きかと言われると、好きなのはショパン、苦手なのはモーツァルトである。大学に入ってからはピアノに触れる機会がほとんどなくなってしまったので演奏者としての最近の嗜好は分からない。

 

なぜモーツァルトが苦手かと言うと誤魔化しが一切利かないからだ。どれを取ってもモーツァルトの曲はよく磨かれた鏡となり、弾いている私のコンディションを正確に映し出す。ペダルで誤魔化そうとしてもすぐバレるし、心に引っかかる何か心配事があるときは全くピアノが鳴ってくれない。コンクールの緊張はタッチミスとなって現れる。モーツァルトの曲で一度コンクールに出たことがあるのだが、事前に全く同じ部屋を借りて練習したにも拘わらず結局本選には進めず奨励賞止まりだったことがある。聴くのは好きだが弾くとなると心から好くことができなかったモーツァルト。その気持ちが鏡に映ったのだろう。

 

小林秀雄の「モオツァルト」を初めて読んだのは二十歳前後のことであるが、読みながら思わず「ひぇっ」と声を漏らしてしまったのを覚えている。私の頭に引っかかる、モーツァルトを心から好けない何かを、するりと絶妙な言葉で表現されているのを見つけたからだ。

 

「モオツァルトは、ピアニストの試金石だとはよく言われる事だ。彼のピアノ曲の様な単純で純粋な音の持続に於いては、演奏者の腕の不正確は直ぐ露顕せざるを得ない。曖昧なタッチが身を隠す場所がないからであろう」 (新潮社刊『小林秀雄全作品』第15集所収)

 

翻って、ショパンは弾いていて気持ちが良い。多少のタッチミスは道端の些細な石ころでそれより演奏で表現したいのは曲全体の流れ、つまり道そのものである。石ころの無い道に越したことはないのは分かっているが、技術が完璧でない私の道には石ころが出てくることがある。曲を弾いている最中にそれらに躓いている暇はないし 、ショパンの曲ならそれらを道にさり気なく組み込める。だから気持ちが良いのだと思う。モーツァルトの曲では小さな石ころにさえスポットライトが当たってしまうのだ。

 

先ほどの引用に続き小林秀雄は浪漫派についても語る。

「だが、浪漫派以後の音楽が僕らに提供して来た誇張された興奮や緊張、過度な複雑、無用な装飾は、僕等の曖昧で空虚な精神に、どれほど好都合な隠所を用意してくれたかを考えると、モオツァルトの単純で真実な音楽は、僕等の音楽鑑賞上の大きな試金石でもあると言える」 (同)

 

小林秀雄は「過度な複雑、無用な装飾」という言葉で浪漫派を表現した。確かにそうかもしれない。ショパンは、しかし、浪漫派音楽家の一人とは言われているが、他の同時代の浪漫派音楽家の中ではかなり異色な存在だということに少し触れたい。

文学や言葉が音楽の中に融合していったということが一九世紀の浪漫派音楽の特徴のひとつなのだが、多くの作曲家は作品に標題を付けている。しかし、ショパンの作品の中で標題付きのものは、あるにはあるが非常に少ない。また、当時の周りの浪漫派音楽家と違い、彼は文筆上の仕事を全く行わなかった。

もう一つ気になることがある。ショパンはモーツァルトを尊敬している。彼の葬儀において、本人の生前からの希望でモーツァルトの「レクイエム」が演奏されたことからはっきり分かるだろう。

 

私の好きな中田耕治のショパン批評の中にこんな一説がある。

「私にとってショパンはおよそロマン主義の音楽家ではない。あえていえば、強靭なリアリストにほかならない。だからこそ、ショパンの内面にはやはり『他人にはうかがい知れぬ一つの世界』 があると考える。それはもとより孤独な制作を彼に強いたに違いないし、だからこそ、私のような何も知らない人間の心をつよく打つのだと思っている。他人にはうかがい知れぬ一つの世界をかいま見る思いで、私はいつもショパンを聞く。モーツァルトは誰が演奏してもモーツァルトだが、ショパンは誰が演奏してもその人のショパンなのだ」(1)

だから、モーツァルトは試金石になりうるし、ショパンはそうはなれない。中田耕治は、「それでいいのではないだろうか」とこの文章を締めくくるが、私もそれでいいと思う。両者とも音楽家といえども私には比べることは出来ない。音楽鑑賞という点において、例えば、モーツァルトはこう聴け、ショパンはこう聴け、という鑑賞の仕方というのがあるとすれば私は知らないので何も言えないが、その中であの作曲家が試金石とかそうでないとか云々というのがあるだけで、結局音楽は己の好きなように聴くので良いのではと個人的に考える。その時々でモーツァルトの態度が変わる反面、ショパンはいつまでも心地好い、ということはあるかもしれないが。

 

音楽は勝手に私の心を揺さぶる。どうして揺さぶられているのか分からない。それがいい。それでいい。少なくとも今の私にとっては。

 

これからハンガリーでの長い留学生活が待っている。遠い先など考えられず、兎に角明日の試験を乗り越えるので必死な生活になるだろう。しかし、「モオツァルトは歩き方の達人であった」と小林秀雄が言うように、まずは目の前の課題に必死になる生活を全うするので良いのでは、と思っている。と言うより、そうやって進んで行く他はなさそうだ。先のことなど、先になった時に考えればいい。

心が折れることなど山ほどあるだろう。折れに折れて立ち上がれなくなった時はコンサートにでも足を運び慰められながら、ドナウ川の景色を前にぼうっとしながら、明日を生きていきたい。

 

(1) 遠山一行『ショパン』新潮文庫 p191

(了)