本誌前号(「好*信*楽」2024年夏号)に掲載された「弱さと向き合う」でも触れたように、小林秀雄氏の文章を読む際、「自分の価値観を一切捨てて文章を読む」ということが難しく、なかなか実践できずにいました。
過去に、山の上の家の塾で提出した、自問自答形式の質問について、池田雅延塾頭からご指導頂いたことと、日常生活で私が抱えている問題で改善すべきことが不思議なほどに共通していたため、文章と向き合う時だけではなく、日常生活でも私自身の考え方の癖を直すことで、読書について何か掴めるのではないかと思いました。
令和六年七月七日に行われた、山の上の家の塾に向けて提出した質問は、今、私が直面している子育てにおいて、自分の価値観を通してでしか、子どもと向き合っていなかったことを思い知らされた出来事がきっかけでした。
この出来事を通して、これまで何年も山の上の家の塾で学んできたにもかかわらず、私は、未だに「読書」に近づくどころか、どんどん遠ざかっているようで、本当に情けなくなり、落ち込んでいた時、塾頭から「第一章から第十五章でも、自問自答がさらに整えられるなら追加してお送りください」という内容の言葉を頂きました。偶然頂いた言葉ですが、この章の中に、今の私に必要な学びがあるのだと直感し、対象章を読み進めてみると、今回の質問として提出した「模される手本と模俲する自己との対立」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第27集p.122)の一文が気になりました。
宣長さんは「模俲される手本と模俲する自己との対立」をどのように受け入れ、自分のものにしたのだろうと思い、次のような質問を提出しました。
――「模俲される手本と模俲する自己との対立、その間の緊張した関係そのものが、そのまま彼等の学問の姿だ。古書は、飽くまでも現在の生き方の手本だったのであり、現在の自己の問題を不問に附する事が出来る認識や観察の対象では、決してなかった」について質問です。「模俲される手本と模俲する自己との対立」と、宣長はどのように向き合ったのでしょうか。
「彼は、どんな『道』も拒まなかったが、他人の説く『道』を自分の『道』とする事は出来なかった」とあります。宣長は、自己の生き生きとした包容力と理解力によって、古書と向き合い、「模俲される手本と模俲する自己との対立」によって、現在の自己の問題を知り、己れを知るに至ったのでしょうか。
この質問については、何度か改訂・再提出し第四版で完成となりましたが、完成に至るまで塾頭からご指導いただいたことは、まず「模俲される手本と模俲する自己との対立」を、誰が見てもわかるように、藤樹、仁斎、徂徠、宣長の中から、本文中で言われている内容を踏まえて具体的に説明し、「対立とは何か」をしっかり押さえること。また、私の質問文は、具体性を欠いており、本文で言われている抽象的な言葉をそのまま質問文のなかで使ってはいけない。その言葉の、具体的な中身の理解と説明、わけても著者が言わんとしている肝心要の理解が大切である。そのうえで、
・ 「対立」とは、真似できない個体差、信念の相違である。
・ 徂徠が模俲したものは、古文辞であり、これについて辞書で調べること。
・ 「惣而学問の道は文章の外無レ之候。古人の道は書籍に有レ之候。書籍は文章ニ候。能文章を会得して、書籍の儘済し候而、我意を少も雑え不レ申候得ば、古人の意は、明に候」(「答問書」下、同、p.115)は、徂徠の学問の中心軸であり、この具体的な説明を本文から探し、自答に盛り込むこと。
・ 「過去の人間から呼びかけられる声を聞き、これに現在の自分が答えねばならぬと感じたところに、彼等の学問の新しい基盤が成立した」(同、p.120)は、徂徠が古典を模倣すると言うことであり、これも盛り込むこと。
・ 「彼等の遺した仕事は、新しく、独自なものであったが、斬新や独創に狙いを附ける必要などは、彼等は少しも感じていなかった。自己を過去に没入する悦びが、期せずして、自己を形成し直す所以となっていたのだが、そういう事が、いかにも自然に、邪念を交えず行われた事を、私は想わずにはいられない」(同、p.120)から、私が第三版での質問文に入れていた「自省による批判」と言うことの具体的な説明を探すこと。
以上のように、塾頭に、自答の導き方まで、丁寧にご指導頂き、次の第四版の質問文で完成となりました。
――「模俲される手本と模俲する自己との対立、その間の緊張した関係そのものが、そのまま彼等の学問の姿だ。古書は、飽くまでも現在の生き方の手本だったのであり、現在の自己の問題を不問に附する事が出来る認識や観察の対象では、決してなかった」について質問です。
「模俲される手本と模俲する自己との対立」とは、「近世の訓詁の学の自立と再生とに、最も純粋に献身した学者達」が行ってきた、「自己を過去に没入」し「自己を形成し直す」ということであり、徂徠は古文辞を模俲することによって、「学問は歴史に極まり候事ニ候」「惣而学問の道は文章の外無レ之候。古人の道は書籍に有レ之候。書籍は文章ニ候。能文章を会得して、書籍の儘済し候而、我意を少も雑え不レ申候得ば、古人の意は、明に候」という、歴史を深く知るために、「過去の人間から呼びかけられる声を聞き、これに現在の自分が答え」る努力によって古文辞学を発展させたのでしょうか。
今回の自問自答では、塾頭からご指導頂くまで、古文辞という肝腎要なことが、私の意識には入っておらず、それが何なのか、どういう事なのかの理解もできていませんでした。
「大辞林(三省堂)」で、古文辞、古文辞学の意味を調べてみると「【古文辞】①古代の文章の言葉。②中国で、秦・漢以前の文、盛唐以前の詩の総称。【古文辞学】荻生徂徠が唱えた儒学。宋学を否定し伊藤仁斎の古義学や明の古文辞派の影響を受けつつそれを批判し、中国古代の言語(古文辞)と制度文物の研究によって六経に記載された先王の道を知ろうとするもの。その思想と方法論は本居宣長などの国学に影響を与えた。徂徠学」とあり、古文辞という漢字の中に、これ程、大きな意味があったことを知り感動しました。
今まで「読書ができるようになりたい」と言いながら、自分の狭い価値観の範囲でしか小林氏の文章を読もうとせず、また、知るための努力も全くしていなかったことに、さらには、子育てや日常生活の場でも、同じ姿勢で向き合っており、相手が発する言葉や行動の中には、沢山の意味や背景があるのに、私は自分にとって都合のよい部分だけを切り取り、そこから相手を判断していたことに改めて気づかされたのです。
塾頭から繰り返しご指導頂き、また、この度の「好*信*楽」への寄稿の機会を頂いていたお陰で、第十一章の自問自答を完遂することができました。
貴重な学びの機会を下さり本当に有難うございました。
(了)