私は、建築家として建築設計を生業としている。ひとつとして同じ条件で建築を設計することはなく、つねに顔のある「クライアント」と、地球上の「敷地」という大地の上で、仕事をしている。このとき、私がもっとも大切にしていることのひとつが「この人のために、この場所で、いま建てるべき建築は何か」という切実な問いであり、その答えをみつけるために必要とされるのが「他者への想像力」である。
建築家はゼロから空間を創造することで、自らの存在をどこか神の視点へと接近させてしまうという、勘違いをすることがある。しかし、もちろん、建築家は神ではない。むしろ、建築家は依頼主をはじめ、その建築の使い手たちへの想像力を最大限働かせることによって、設計した建築は初めて喜ばれる建築となる。しっかりとピントを合わせないといけないのだ。つまり、他者への想像力をもって建築家が「対話」を重ねることで設計の解像度が上がり、依頼主と同じヴィジョンを共有することができる。そうした強い思いを宿した建築は、豊かな空間を実現する、と私は信じている。
なぜこのような考えに至ったかというと、建築学科で建築の勉強をはじめた頃までさかのぼる。建築家になりたくて、建築の勉強をしていた私は、それまでの受験勉強に代表されるような仕方でしか勉強することができないでいた。それは、模範解答があり、問いに対して最短時間で、合理的に答える「記憶力」に根ざした勉強法である。素早く、正確に答えること。しかし、こと「建築設計」に関しては、勉強しても絶対的な模範解答など存在しなかった。そもそも、設計した建築を答え合わせすることができない。
それが最初は、ものすごく歯がゆかった。自分の設計した建築を明確に数値化して、評価することが難しいことを思い知ったからだ。要するに、建築を評価する基準や視点はたくさんあり、そうしたものの総合的なものとして空間が立ち上がるということ。そのための思想や美学をより成熟させていかなければならないと感じるようになったのである。建築にはたくさんの「ヒダ」があるといっても良いだろう。
それには、先に述べた勉強の仕方ではダメであることは明らかだった。本質的な学びはどのようにして発動するのだろうか。知識としての情報を手にいれるといった類の「交換原理」とは違い、自ら模範解答のない「切実な問い」を発見し、その答えらしきものを「考え続ける」深度こそ、本質的な学びのあり方ではないかと、思うに至った。
この考え続けるということは、「持続力」と言い換えられるだろう。模範解答がないからこそ、誠意を尽くして考えて、ずっと考え続けるしかないものが、この世の中には少なくないのである。模範解答がないのではなく、その都度変わっていくという方がより正確かもしれない。この本質的な学びにおいて、交換原理とは違って、弟子が師から「勝手」に学ぶことができるところに、大切な意味が隠れている。
というのも、私たちは、骨の髄までこの「交換原理」に慣れ親しんでしまっていて、交換ではない「本質的な学び」について、ものすごく無自覚であるからだ。なぜなら、模範解答がないということは、クリアカットに答えが存在しないことであり、「わからない」という宙釣りの状態のまま、考え続けなければならないから、実に大変なことである。
「わかる」ことがすっきりしていて、「わからない」ことはモヤモヤする。だから、ついわかったつもりになって、ことあるごとに思考停止に陥ってしまうのではないだろうか。やはり、自分自身の内的な「知りたい」という知的欲求を発動するのは、純粋に「わからない」という宙釣りの状態であり、それを埋めるのは、とある情報を手に入れて「わかる」という単純な話ではなく、わからないなりに考え続けるという「時間」が継続することで、交換原理から自由になれると思っている。
私の場合、娘が誕生したことで、日々の子育てを介してこの交換原理から自由な学びについて考えさせられることが多々ある。見返りを求めない「無償の愛」という経験が、学びの本質について教えてくれたのだ。二歳になった娘は、少しずつ言語世界が彼女の頭の中で構築され、父である私とも言葉によるコミュニケーションが少しずつ成立するようになってきた。その言葉の選択において、文脈の正確さには、いつもただただ驚かされている。
言葉の定義をはっきりと教えていなくても、娘は正確な文脈で言葉を使うことができるようになっていく。誰からも「査定」されることがないことと、誰とも「比較考量」しないということの意味は大きい。なぜなら、本質的な学びというものは、誰かに何かを教えてもらうという受動的な態度よりも、自らの内的な思いから能動的に発動するものであり、考え続けることでしか辿り着けない場所であると思っている。つまり、娘は親の背中を見て、自然と育つのである。
娘を見ていて思うのは、誠意をもって先人たちから受け取ったバトンを大切に、まだ誰も開拓したことのない場所に一歩踏み出す「勇気」をもつことの大切さである。そのためには、交換原理から自由になって、自らの身体感覚としての「わからない」からはじまる「知りたい」という心の声に耳を澄ませるしかない。
日々の子育て経験に加えて、私にとって本質的な学び、あるいは内的な学びを発動してくれるかけがえのない場所がある。それは、鎌倉駅より徒歩二十分ちょっとのところにある、かつて小林秀雄が住んでいた《山の上の家》で月に一度開催される勉強会の「池田塾」である。小林秀雄の最後の担当編集者のひとりであった池田雅延さんを塾頭として、脳科学者の茂木健一郎さんの呼びかけではじまった私塾だ。私は2012年の春からはじまった一期生として一緒に勉強させてもらっているが、三年ほどした2015年から神戸在住になったため、休会させてもらっている。ところが、今年になって関西でも池田塾が年に四回大阪で開催されることとなり、また一緒に勉強させてもらっているのである。
この池田塾の魅力は、ひとえにみんなが小林秀雄に対して深い愛情をもって集っているということに尽きる。また、何かの検定のように明確な目的があるわけではなく、各自が「新しい自分」に出会うために小林秀雄と徹底的に向き合う、無目的性がこの私塾の最大の特徴といえる。如何なる査定からも自由であり、みなが内発的な学びに対する強い信念をもって参加しているという点が本質的な学びを発動させるのだ。
忘れもしないのが、記念すべき第一回目のときのこと。それほど広くない旧小林秀雄邸の居間に、二十人弱の塾生たちがいて、その空間に心地よい緊張感が漂っていた。みな目を輝かせながら池田塾頭の丁寧な語りに耳を傾けていた。小林秀雄の名文「美を求める心」についてだった。
ふと、池田塾頭のとなりにあった空席の椅子が私の目に入ってきた。肘掛のついた上品なアンティーク調の椅子である。塾生たちがノート片手に、ソファや椅子、あるいは絨毯の上に座っているなかにあって、部屋の角に静かに置かれていたその椅子は、圧倒的な存在感を放っていた。誰も座っていない、不在による強い存在感。
このとき、私にはユダヤ教における食事を救済者と共にする姿勢に、小林秀雄の空席が重なったのである。
少々長いが引用させてもらいたい。
「このペサハの食事において、神は家族の招待客である。ユダヤのすべての家族の招待客である。神は一家の団欒を乱すことを望まれない。家族の親しみを邪魔することを望まれない。それゆえ、神は、じつに単純な仕方で、じつに親しい仕方で、人間たちの歴史のうちに書き込まれた神、生ける神として、生活のうちの最も平凡で、最も必要な儀礼に加わられるのである。
しかしイスラエルのつねとして、来るべき時への期待が、生きられたすべての瞬間に浸み入っている。だから家族の食卓には、一つだけ空席がしつらえてあるのだ。食器類は他の会食者の分と同じように整えられている。しかし食事が終わるまで、そこに座る者は来ない。それはメシアの前触れ、エリヤのためにしつらえられた席だからである。論理的に考えれば、その席が待ち人を迎えることはありえない。しかしそのことは、その席に誰も来なかったことを確認して気落ちすることを妨げる理由にはならない。部屋の扉は、彼の到来の障りにならないように開けてある。メシアの接近。これはユダヤ的な神話の典型そのものである。そこでは、感覚的な現実よりも意味の方が重要なのである。メシアの前触れが、食事の終わりまでにやって来ないことはよく分かっている。けれども大事なのは、彼が来るか、来ないかではない。彼の到来は、何日、何時という仕方では表すことができない。重要なのは、彼が必ずいつか来る、そしてどの日に来てもおかしくない、という前提でことが進められていることである。人々が生き、再び生きる歴史において、大事なことは事実の物質性ではなく、その意味作用なのである。主はその力を示すために、奇跡や自然法則の中断を必要とした、というような偶像崇拝的な考え方は、異教徒や実証主義者に任せておこう。歴史は日々の奇跡である。なぜなら人々は、奇跡がついに成就しないままに終わるだろうということを知りつつ、なお奇跡が成就することをつねに期待しているからである。生活を続けてゆくためには、ときには心苦しくあさましい手段をとらなければならないことがあるにせよ、生活は日々の奇跡である。生活が歴史に登録されてゆくあらゆる瞬間、あらゆる動作をつうじて、メシアは臨在するのである。
人生がはかないものであっても、歴史がついに成就することがなくても、たとえメシアが永遠に到来することがなくても、それでもなおメシアの席が私たちのかたわらにつねに用意されてあることに変わりはないのである。」
(『ユダヤ教』R・アロン、A・ネエール、V・マルカ、内田樹訳、ヨルダン社、p111-112)
この「空席」に対する期待と敬意は、本質的な学びの発動において、大変示唆に富んでいる。それは、師を待望していることの証でもあるからだ。小林秀雄がそこにいるか、いないかという霊的な話ではなく、そこに小林秀雄が座っていたらと想像することで、私たちの前に広がる風景は一気に広がるのである。常識によって固められてしまった自らの殻を破り、「わからない」ことばかりの暗闇からわずかな光を頼りに一歩踏み出すためには、こうした師への眼差しが不可欠といえよう。この空席がもたらす「意味作用」こそ、決して交換原理では説明できない、もうひとつの次元へと私たちの思考を引き上げてくれるのだ。
解像度の高い想像力は、社会全体が「同じ」を優先的な価値観として集団の秩序を保とうとするのに対して、芸術分野では逆に「違う」ことを豊かな価値として多様な世界を認めるときにこそ、その力を発揮する。つまり、空席が意味するものは、自らの物差し(価値観)をつねに疑う柔軟な可塑性の構築であり、知性の健全なあり方として物事を深く探求する水準を教えてくれるのではないだろうか。
私は残念ながら小林秀雄と直接お会いする機会がなかったものの、あの空席を目にしたとき、たしかな実感として小林秀雄を感じ、私にとって師となった瞬間なのである。池田塾が、かけがえのない本質的な学びを発動してくれる場所であるのは、そのためである。
(了)