藤樹さんに会いに行く

(テーブルを囲む四人の男女。山の上の家での「自問自答」の提出期限を控え、話はどうしても『宣長』談義となる)

 

いまどきの元気娘(以下「娘」)  今度の質問のお題、やばくネ?

粋な若い衆気取りの青年(以下「青年」)  藪から棒に、なに言い出すんだい。するってえと、質問が出せなくて、べそかいてるな。

娘  そうじゃない。だって「道」でしょ。人生いかに生きるべきか、自分はどう作られているか。ボクがこんなスゴイこと考えてるなんて、これってやばい!

青年  こりゃまいったね、とんだ怖いもの知らずだ。で、質問は、どうするんだい。

娘  でもくらしい、だよ。

青年  ええっ? デ・モ・ク・ラ・シ・イ?

娘  ボクの心の中で、下剋上が起きるんだ。

青年  なんだそりゃ。

存在感の希薄な男(以下「男」)  おや、『大言海』の下剋上の語釈、「この語、でもくらしいトモ解スベシ」っていうあれだね。

青年  それは知ってるよ。『本居宣長』の第8章、中江藤樹のところで引用されている。(娘に)でも、それがお前さんとどう関係するんだい。

娘  ボクってさ、(『本居宣長』を手に取って)こういう本を読んでたりして、クラスでもちょっと浮いてるんだよね。女の子たちのトークになんとなく入っていけない。男はバカばっかだし。でも、トージュ君はイケてる。

江戸紫の似合う女(以下「女」)  あら、面白いこと。藤樹さんのどこが気に入ったのかしら。

娘  トージュ君の声が聞こえるんだ、心の中に「でもくらしい」があり、「下剋上」もあるって。ボクはボク、この世の中で独りぼっちかもしれないけど、独りぼっちってことに価値があるって。ちょっと元気が出た。

青年  そいつぁ、牽強付会ってやつでしょ。ちゃんと本文を読まなきゃ。

娘  うざっ!

青年  藤樹の生きた時代のこと、分かってるわけ?

男  小林先生が、「藤樹先生年譜」の「六年庚申。先生十三歳」の項を長々と引用しているね。

青年  藤樹が育ったのは、戦国からまだ日も浅く、領主配下のお奉行にさえ武力で刃向かう野武士みたいなのがいて、日常生活のなかで命のやりとりが行われる、そんな時代だった。それが「藤樹の学問の育ったのは、全くの荒地であった」ということ。

女  それはおっしゃるとおりですけれど。でも、小林先生は、その先のお話をされているわ。「下剋上」とは「でもくらしい」であるという『大言海』の語釈も、藤樹さんならよく理解しただろうって。

男  下剋上が、秀吉が裸一貫から実力でのし上がって天下人になったみたいなことだとすると、「でもくらしい」って、人々が内心に秘めていた本音をむき出しにするようになったということかな。

青年  そいつはね、伝統や因襲の束縛から逃れ、欲望を肯定する人間が現れた。つまり、近代的自我の萌芽ってやつね。僕の歴史観からすると。

男  ほうほう、歴史かね、歴史。

青年  もうひとつ言わせてもらうとね、宗教の呪縛から解放されて、世俗化というか、脱魔術化というか、そういう面も指摘しときたいのね、思想史的に。

男  思想ね、なるほど、なるほど。

女  懲りないのねえ、二人とも。

男  えっ

女  歴史も思想もお分かりになってない。聞いていて、恥ずかしゅうございますわ。だいいち、藤樹さんのお話はどこにいったのかしら。

男  いや、だから、藤樹さんの生きた時代には、「地盤は、まだ戦国の余震で震えていた」んでしょ。

女  どういう時代だったとお考え?

青年  破壊と混乱、死と再生、デモーニッシュな魅力はあるなあ。

女  おやおや。小林先生はこんなふうにおっしゃるの。「戦国」とか「下剋上」とかいう言葉の否定的に響く字面の裏には、健全な意味合が隠れている。『大言海』の解はそれを示しているって。

男  健全な意味合か。

女  こうおっしゃるのよ。実力が虚名を制する。武士も町人も農民も、身分も家柄も頼めぬ裸一貫の生活力、生活の智慧から、めいめい出直さねばならなくなる。

男  なるほど、だから「でもくらしい」なのか。で、藤樹さんの場合には?

女  小林先生は、藤樹さんが「目に見える下剋上劇から、眼に見えぬ克己劇を創り上げた」と書かれているわ。

娘  「眼に見えぬ克己劇」って、何だろう。

男  そういえば、小林先生は、「藤樹先生年譜」について、「長い引用を訝る読者もあるかもしれないが」と断りつつ、「この素朴な文は、誰の心裏にも、情景を彷彿とさせる力を持っていると思うので、それをとらえてもらえれば足りる」と書いている。

女  「心裏に情景を彷彿とさせる」って、奥行きのある表現ですわ。

男  情景に入り込んで、藤樹さんに会いにいって、「眼に見えぬ克己劇」とはなんですかって、聞いてみたいね。

娘  それって、ひょっとして、「学問をするとは母を養う事だ」ってことじゃない?

青年  ちょっと待ちなよ。そりゃ、藤樹は、貧窮のなか家族を養いつつ学問をしたさ。でもそういう存在条件と学問の内実とは、別次元だよ。

女  これはまた大仰なお話ぶり、聞いていられませんこと。小林先生は、「学問をするとは即ち母を養う事だという、人に伝え難い発明があ(った)」と書いてらっしゃるわ。

娘  やむにやまれぬっていう感じ。ボクの心にもささるなあ。

女  そうね。藤樹さんの学問について、小林先生は「誰の命令に従ったものでもなく、誰の真似をしたものでもないが、自身の思い附きや希望に沿ったものでもない。実生活の必要、或いは強制に、どう処したかというところに、元はといえば成り立っていた」と書いていらっしゃる。

娘  真似でもなければ、思い附きでもないってところが、なんか、すごい。

男  それよりさ、そもそも、実生活の必要や強制に処するって、どういうことだろう。これも、藤樹さんに聞いてみたい気がする。

青年  そういう了見じゃあ駄目でしょう。藤樹も、師友百人ござそうろうても、独学ならでは進み申さずそうろう、といっている。自分でよく考えなさいって言われるのが関の山。

女  あなた、いいことおっしゃることも、あるのね。

青年  小林先生も、藤樹に関し、真知は普遍的なものだが、これを得るのは、各自の心法、或いは心術の如何による、だから、「書を見ずして、心法を練ること三年なり」となると書いている。

女  さようですわ。

青年  かかる心法ないし心術において、藤樹の独創性を看取することが、、、

女  あら、それは違いましょう。よくお読みになって。「当時、古書を離れて学問は考えられなかった」。にもかかわらず、「書を読まずして、何故三年も心法を練るか。書の真意を知らんが為である。それほどよく古典の価値は信じられていた」とありますのよ。

男  ああそうか。軽々しく独創だなんていっちゃだめなんだ。「心法を練るとは、古典に対する信を新たにしようとする苦心」であり、それが「無私を得んとする努力であった」というわけだね。

女  書物という鏡に向き合って、何かが映じて来るのを待つ、ということかしら。

娘  待つだけ? 待っていればいいの?

女  だからこそ、「絵は物を言わないが、色や線には何処にも曖昧なものはない」ということになるのじゃなくて。

娘  えっ、どういうこと。

女  藤樹さんは「論語」を講じていても、孔子の言葉を追いかけたりなさらない。孔子の言葉を自分たちの言葉を用いて分析しようとしても、ついには、言葉で言い尽くせぬところに行き着いてしまう。でも、言葉によって古人があらわそうとした当のものは、確かな色と形をもっていたはず。

娘  言葉はアイマイ、それは分かるけど、じゃあどうやって?

女  そう、私たちの目の前には書物という言葉のかたまりしかないわね。だからこそ、その部分部分を自分が知っている言葉や人々が使っている言葉に置き換えるのはやめ、ただただ眺めて、元々の色と形が映じて来るのを待つ、こういうことじゃないのかしら。

男  それが小林先生の言われる「眼に見えぬ克己劇」なのかな。

娘  そうか、トージュ君も苦労したんだね。

男  私も、さっきの長い引用、もういっぺん読み返してみよう。藤樹少年の顔つきが見えてくるといいな。

女  それがよろしゅうございます。小林先生は、こうもお書きですわ。「『藤樹先生年譜』は、その文体から判ずれば、藤樹から単なる知識を学んだ人の手になったものではない」。

 

(四人の『宣長』談義はすずろに続いていく。「自問自答」は当分提出できそうにない)

 

(了)