教フルニ物ヲ以テスル

『好・信・楽』の編集会議において、大学時代に荻生徂徠の『論語徴』の授業を受講し、その先生が、テクストを学ぶだけでなく、実際に絵や音楽を見聞きすることを大変重視されていたことを何気なく話したところ、池田塾頭にぜひその体験を「自問自答」の質問と一緒に発表してくださいと言って頂いた。

それ以来、どのような質問をしたらよいか頭の片隅におきながら、暇を見つけては『本居宣長』の徂徠について書かれたくだりを繰り返し読んでいたのだが、徐々に、なぜ徂徠に傾倒していた先生が絵や音楽にそれほどまでの重きを置いていたのか、そこを出発点として徂徠について考えてみたいと思うようになった。

改めて、当時のノートや資料を読み返していたところ、当時その先生が他の授業のために記した講義要綱があり、その感じをよく表わしていたため、ここに引用する。

 

日本中でめずらしく存続している上級武士文化人集団の伝統たる致道館徂来学を一緒に学習研究する。彼らの教養と強健と品格を求めて体得すれば今の世界市民ビジネス上層青年に文化的中軸を与える。その古典主義の新たな創造的体現への練習を積むことが、ここでの我々の目的であり方法でもある。初心者が対象なので素養は問わない。出席者に応じたレベルから出発する。題目は文字通りの無骨でも、内容は、狩野永徳の絵をどう見るか、京都派の雅楽はどう演奏されていたか、古流剣道のかたは、どういう呼吸でするかという部類の問題である。

 

勿論、いま池田塾で小林秀雄先生について学んでいる身としては、学問における芸術の重要性は論を俟たないのだが、当時、現代の学問の体系にどっぷり浸かっていた大学生の私にとって、絵や音楽のみならず武道までもが学問に繫がっているという考えは新鮮で、強い感銘を受けたのを覚えている。

『論語徴』の講義は、土曜日の午前中に三田のキャンパスで行われていた。後に伺ったところ、土曜日の午前中に講義を行なっていたのは、本当にやる気のある学生しか履修しないようにとのことで、その思惑通り、聴講者は私と、一緒に歴史や思想の本を読んで議論したりしていた友人の2名という、大変恵まれた環境だった。講義の内容は、『論語徴』をテクストとしながらも、都度、様々な資料を用意され、荻生徂徠という思想家の様々な側面について解説されるというものだった。

ただ、私にとっては、授業の内容よりも、しばしば授業が終わった後、ご自宅に招待して下さった時のことの方がより鮮明に印象に残っている。招待頂いた際は、リビングに通され、オーディオセットでクラシック音楽をひたすら聴くというのが常だったが、その時の先生の音楽に対する熱の入れようは相当なもので、しばしば鬼気迫るものを感じたものだった。そして、学問をするうえで音楽がいかに大切かということをよく話して下さった。また、これはという展覧会があった際には、必ず観に行くようにと言われ、後日その感想を話し合ったものだった。とにかく、音楽でも絵画でも、経験するということをとても重視されていた。

 

当時は、なぜそれほどまでにその先生が絵や音楽を経験する重要性について語っていたのか、正直なところあまりピンときていなかった。その後、本塾で学ばせて頂けるようになり、徐々に心に得るようになってきてはいたが、今回、改めて『本居宣長』の徂徠の言語の用についてのくだりを読んだ際に合点がいった気がした。

 

古人には、言語活動が、先ず何を置いても、己れの感動を現わす行為であったのは、自明なことであろう。比喩的な意味で、行為と言うのではない。誰も、内の感動を、思わず知らず、身体の動きによって、外に現わさざるを得ないとすれば、言語が生れて来る基盤は、其処にある。(第28集30頁)

 

この箇所は、あくまで古人の言語活動について説明した箇所であるが、現在の言語活動の裡にある「後世の人々」である私たちが、理を離れて学問をするためには、まず「物」に触れて、こころうごくことを経験することが必要だと、その先生が考えられていたからではなかったか。そう考え、さらに徂徠の著作である『弁道』に遡ってみたところ、「礼楽」とりわけ「楽」の効用が書かれている箇所を見つけた。

 

礼楽はものいはざれども、能く人の徳性を養ひ、能く人の心思をふ。心思一たび易れば、見る所おのづから別る。故に知を致すの道は、礼楽より善きはなし。(中略)いやしくもらく以てこれに配せずんば、またいづくんぞ能く楽しみて以て生ぜんや。故に楽なるものは生ずるの道なり。天下を鼓舞し、その徳を養ひて以てこれを長ずるは、楽より善きはなし。(『弁道』)

 

また、『弁名』の「礼」について書かれたくだりでは、「教ふるに理を以てする教え」の限界とともに、「礼楽」における「化」の重要性が書かれている。

 

それ人は、ものいへばすなわちさとる。言わざればすなはち喩らず。礼楽は言はざるに、何を以て言語の人を教ふるにまされるや。化するが故なり。習ひて以てこれに熟するときは、いまだ喩らずといへども、その心志身体、すでにひそかにこれと化す。つひに喩らざらんや。かつ言いて喩すは、人以てその義これにとどまるとなし、またその余を思わざるなり。これその害は、人をして思はざらしむるに在るのみ。(『弁名』)

 

とここまで考え、「自問自答」の質問においては、まず「礼楽」によって「物に習熟して、物と合体する」経験をしてから「詩書」を学ぶことが必要なのではないかという趣旨の質問をした。しかしながら、池田塾頭からは、『詩経』『書経』も四術をなすものであり、順序づけするような類のものではないというご指摘を頂いた。

その後、改めて本文に立ち返ってみると、「詩書」も元々は「古人の言語による、それ自身で完了した表現行為の迹」すなわち「物」であり、「詩」は言語の教えであるという認識が抜け落ちていたことに思い至った。ただし、そうであったとして、「後世の人々」である我々は、どのようにして「詩書」を「物」として経験することができるのであろうか。そのことが暫く頭を離れなかったのだが、徂徠の著作に目を通していると、『徂徠先生答問書』において、『詩経』を学ぶにはどうしたらよいかとの質問に対する徂徠の答えが目を引いた。

 

詩経御覧被成候大段の意得に候故申進候。詩経之詩も。後世之詩も全く替目無之候。詩経は只詩と御覧被成候が能御座候。(「徂徠先生答問書 下」)

『詩経』の詩も、後世の詩も、まったく違いはありません。『詩経』は道徳の書などではなく、ただ詩の書物、すなわち文学書とお考えになるのがよいのです。(中野三敏訳)

 

詩作被成度由能御心付と存候。上代の詩も後世之詩も同時に候。詩作不被成候へば詩経は済不申物に候。(同上)

詩をお作りになりたい由、承りましたが、たいへんよいお心がけと存じます。前にも申しましたとおり、『詩経』の詩も、後世の詩も同じことです。ご自分で詩をお作りにならないと、『詩経』もおわかりにならないものです。(同上)

 

そのような次第で、「詩書」を学ぶにおいても、「礼楽」と同様に「物の親身な経験をかさねているうちに、無理なく知見は開けて来る」といった姿勢が大事なのだろう。

 

まだまだ考えきれていないという思いはあるが、「自問自答」の質問を考えるにあたり、改めて経験から学問に向かうという姿勢が大事であるということを再認識するとともに、そういった姿勢を大学時代に教えてくれた、恩師にその感謝の思いがこみ上げてきた。もし、大学でそのような機会に恵まれていなかったら、いま本塾で学ぶこともなかっただろうと思う。つい、世事に追われ、学問が疎かになりがちだが、その恩師への感謝を胸に、学問にきちんと取り組んでいきたいとの思いを新たにした。

 

[参考文献]

吉川幸次郎・丸山真男・西田太一郎・辻達也校注『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店・1973年)

島田虔次編『荻生徂徠全集1 学問論集』(みすず書房・1973年)

(了)

 

二十二歳の所感

僕がはじめて小林秀雄の名前を知ったのは高校2年の冬です。2013年のセンター試験において小林秀雄の「つば」が出題されたのですが、これは国語の受験業界に激震が走った事件でもありました。試験翌日の古典の授業で、先生がそのことについて熱心に語っていらした思い出があります。高校時代までの僕は部活オンリーで読書習慣など全く持ち合わせていませんでしたから、その時、小林秀雄という名前だけ知ってそれっきりでした。そういった文豪の名前は知ることはあれど実際に読むことはなく、この先そういう機会があることも、当時は考えられませんでした。

 

しかし僕はいま、運命の巡り合わせによって「小林秀雄に学ぶ塾」へ通っています。初めは小林秀雄旧宅という建物の荘厳な佇まい、集う雅びな大人の方々、そして小林秀雄を読むという塾のぴりりとした緊張感に19歳の青年は完全に気圧されていました。加えて塾頭と塾生の言っていることが全然理解できない。入塾当初に比べればいくらか見通しは良くなりましたが、まだまだ分からないことは多いです。しかし、塾に来るたび「分からないけど、何かすごそうなことを言っているぞ」というような直感と感動がないまぜになった感情を覚えるのです。これが塾に通うようになった大きな動機です。分かったとか分からないとかということも大切ではあるのですが、何よりも塾に来てその学びの空気を体いっぱいに感じることそれ自体が、とても意味のあることのように思えるのです。

 

この学ぶ塾にて塾生が行うことは、小林秀雄著の『本居宣長』を読んで「質問」することです。質問と言っても好きな食べ物は何かというようなことではありません。質問という言葉について、『小林秀雄 学生との対話』(新潮社)の中に次のような言葉があります。

 

「実際、質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますからね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。

だから諸君、正しく訊こうと、そう考えておくれよ。ただ質問すれば答えてくれるだろうなどと思ってはいけない。『どうしますか、今の、現代の混乱を?』なんて問われてもどう答えますか。質問がなっていないじゃないか。質問するというのは、自分で考えることだ。僕はだんだん、自分で考えるうちに、『おそらく人間にできるのは、人生に対して、うまく質問することだけだ。答えるなんてことは、とてもできやしないのではないかな』と、そういうふうに思うようになった。さあ、何か僕に訊いてみたいことはありますか」

 

はい、いの一番に手を挙げたくなる。この人なら、誰にも聞けず、胸に秘めていた質問に答えてくれそうだ。この学ぶ塾において、質問者は「うまく質問する」ために労を惜しまず作品に向き合い、質問を仕上げます。塾頭もその本気さに応じ、質問に関するお話をされる。質問の出来を激賞されることもあれば、手厳しい指導をされることもしばしばです。早い話が道場です。ある方は質問を一刀両断された後の懇親会で、「幸せな時間であった」と語っていらっしゃいました。歳を重ねるほど、自分に対して真剣になってくれる人がどれだけ貴重なことか。ありがたさが身に染みるという様子が伝わる言葉として印象的でした。この学ぶ塾は、小林秀雄の著書『本居宣長』を、小林秀雄自身が執筆に費やした時間と同じ、12年6ヶ月かけて読もうとしています。えらい計画なのですが、それだけ腰を入れて取り組む価値のある作品なのです。質問道もそれだけ奥が深いのです。

 

僕は、『本居宣長』の文中に出てくる「誦習」という言葉をめぐって質問を作りました。「誦習」とは、簡単に言うと「古事記」の編纂を勅命した天武天皇が、臣下である稗田阿礼に「古事記」の元となる資料を読んで聞かせ、暗誦させたことを表しています。この天武天皇の唱えたお言葉が「古事記」の元になったのです。阿礼が暗唱するお言葉を、文字に起こして「古事記」という本の形にまとめた人物が太安萬侶であり、その安萬侶が「古事記」編纂の経緯について記述した「古事記序」において、「誦習」という言葉をただ一度だけ使っています。「古事記」の研究をした本居宣長がこの言葉に着目し、その宣長がなぜ「誦習」を大切にしたのかということに関して、小林秀雄は『本居宣長』の文中で丁寧に語っています。この小林秀雄の言葉を読んで感動したことが僕の質問の出発点です。『本居宣長』を繰り返し読むことで、この言葉を中心に置いた全体像はある程度見えてきました。しかし、肝心要の「誦習」という言葉そのものに対するイメージが自分の中でまだ摑めていないところがあって、質問としてはいまいちピンボケしているような状態だったのです。小林秀雄で分からないなら本居宣長に直接聞くしかないな。こうして『古事記伝』を開きました。

そして『古事記伝』を読みこんでみて、最終的に出来上がった質問が以下の通りです。

 

―宣長が稗田阿礼の「誦習」を大切にしたことについて考えたいと思います。「古の実のありさま」とも言うべき、古言の世界は、会話の上に生きているものであり、それでもなんとか文字にして後世に伝えたく、苦心した天武天皇は、まず阿礼の内に、自身の中にある古言をうつし、阿礼という人の口から発せられた言葉を、その姿そのままに書きうつさせようと考えた。阿礼は「誦習」によって、天武天皇が保持しつづけていた古来の言語世界に習熟した、すなわち阿礼の口から出た言葉は、天武天皇の唱えた貴き古語そのものであり、そのことを伝える太安萬侶の言葉を、宣長はまっすぐに信じたのではないでしょうか。……

 

ご覧いただいたように、質問というのは、長い時間をかけて本と向き合うことで、自分の感動を認識する経験であります。「小林秀雄に学ぶ塾」において、質問は、ただ問うだけでなく「自問自答」という形になるまで練り上げる必要があり、この自答にその認識の練度が表れます。この認識とはつまり自分を知るということにほかなりませんね。身の周りの全ての物事が自分を知るきっかけになるとは思うのですが、自分がどんなことに感動し、どんなことを考えるのか、質問とは長い時間をかけて、己を深く知る経験でもあります。当初は思いもよらなかった感動が突然訪れ、そして感動している自分に出会う。己を見つめ上げたと言えるまでに、この認識を極限まで研ぎ澄ませた質問が美しい。小林秀雄が「本当にうまく質問ができたら、もう答えはいらない」と語るのは、真の言葉なのです。

 

この、塾での質問は、非常に時間と労力を要する根気のいる作業です。自分の質問が近づくと1か月前から気が重いです。そしてこの塾は、カルチャーセンターではありません。明日から役立つ生活の知恵を教えてもらうというような、そんな即効性もお手軽さも期待しない方がよいです。それでも人が集うのです。学ぶ塾にはコミュニティとしての一面もあり、そこで得られる恩恵もあることは確かですが、それが一番の理由では継続して通塾できません。何よりの理由として、現代において「質問」という行為を通じ、好きで学問をやっているという、その純粋な営みに魅力を感じる人が多いからこそ、塾の今日があるのだと思います。世代も背景もばらばらな人間がその道場に通って勉強する。まさに学ぶ塾は「人生の鍛錬」の場であると実感しております。

(了)