発刊の言葉

茂木 健一郎

命とは何だろう、生きるとはどういうことか?

このような、人生で避けて通れない重要な問いに向き合う方法は様々だろう。

学問は、本来、生きる上で切実な問いに答えるための人間の試みであった。しかし、今、探求者の魂の熱に応える学びの場が、どれくらいあるのだろうか。

現代の科学や技術は、生活を便利にし、新しい世界を見せてくれる。しかし、出会い、よろこび、時に傷つき、そしてやがては老いて死んでいく人間の問題に響き合うには、それだけでは足りない。

小林秀雄さんの人と作品を、今日においても慕う人が多いのは、「ああ、この人は何かを知っている」という予感を抱かせるからだろう。

小林秀雄さんは文芸評論から出発して、やがて美術や音楽、歴史などありとあらゆるものに独自の見解を示す「知の巨人」となった。その作品群は高き峰々をつくり、今でもその奥山に踏み入らんとする人たちは多い。

小林秀雄さんは、一貫して、人間について、そして人生についてのある見方、感じ方を示している。そこに何かがある、と予感されるからこそ、その作品世界への「うひ山ぶみ」をする者が後を絶たないのだろう。

小林秀雄さんから学ぶ上では、その残された文章を読むのがまずは大切である。講演の音声に耳を傾けるのもいいだろう。その上で、私たちは、かけがえのない学びの水路に恵まれることとなった。

新潮社にて、小林秀雄さんの編集者を長年された池田雅延さんが、実際にその肉声に接した人でなければかなわない機微をもって、小林秀雄さんの思想、お人柄について語ってくださる。そのような学びの機会を、魂のふるえるようなよろこびとともに私たちは重ねてきた。

受け取ったものは、何らかのかたちで世の中に返さなければならない。それでこそ命のサイクルは一回りする。

読者諸賢においては、小林秀雄さんから、池田雅延さん、そして「池田塾」の塾生たちへの魂のリレーの一端を、ここに集った文章から受け取ってくださればと思う。

困難な時代の一隅を照らし出す一灯となれば幸いである。

2017年春