小林秀雄における「ポスト真実」について

松井 孝治

昨年末、世界最大の英語辞典である「オックスフォード英語辞典」は、2016年を象徴する「今年の単語」(ワード・オブ・ザ・イヤー)に、形容詞「post-truth」を選んだ。客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を示す言葉で、英国のBrexitや米国大統領選挙などを反映した流行語だという。この選定に半ば納得しつつも、もし小林秀雄氏がご存命でコメントを求められれば、「物事が本物か贋物かなどというのは必ずしも事の本質ではないのだ」と一蹴されたような気もするのである。

昨今、こうした時流への危機感もあるのか、知識層を中心に、政治家の主張などが客観的データや科学的根拠に基づくものかどうかという議論が花盛りである。確かに、商品の効能、個別の施策の効果などにおいて客観的事実が重要であることは否定できないし、内外を問わず、あまりに客観的事実をないがしろにした情緒的な議論が幅を利かせているという批判もあろう。だが、では、客観的事実をみつめることで、我々が正しき道を選べるのかと考えてみると、答えはそう簡単とも思えない。問いかけが本源的であればあるほど、例えば、我々がいかなる人生を歩むべきかといった問いに対して、客観的な事実が容易に答えを導いてくれるとは思えないのだ。

小林秀雄氏が詳述する、本居宣長と上田秋成の呵刈葭かがいか論争(「本居宣長」第四十章~、新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集p.90~)は、まさに、この問題に光を当てている。「古事記」、特に神代紀の記述は、時に荒唐無稽な描写を含んでおり、そうした描写を「客観的な事実」と認めることは困難ではある。しかし、現代の我々から見た客観性・科学性の乏しさを理由に、古代人の物語や心情と正面から向き合わぬという姿勢は、我々が古代の物語から自らの姿を見つめる貴重な機会を奪ってしまうことになりかねない。

「この『さかしら』が、学者等と神書との間に介在して、神書との直かな接触を阻んでいる、というのが実相だが、彼等は、決してこの実相に気附かない。何故かというと、彼等の『さかしら』は因習化していて、彼等はその裡に居るからだ。彼等は、神書の謎に直面した以上、当然これを解かねばならぬという顔をしているが、実は、解くべき謎という、自分等の『さかしら』が作り上げた幻のうちに、閉じ込められているに過ぎない」(「本居宣長」第四十三章、同第28集p.120)

大切なことは、古代の物語やそこに表された心情に直截に向き合うことである。そのためには、古代人を科学的知識に欠けた未開人と見下したり、その記述から目をそらしたりするのではなく、むしろ、古代の人々が、現代の科学的常識などに依存せず、然るがゆえに、人間の本性のみに基づき、ある種の畏敬の念をもって自然や事物に向き合っていた、その同じ心持ちで、彼らの残した物語を追体験することではないか。

小林秀雄氏が、

「文字も書物もない、遠い昔から、長い年月、極めて多数の、尋常な生活人が、共同生活を営みつつ、誰言うとなく語り出し、語り合ううちに、誰もが美しいと感ずる神の歌や、誰もが真実と信ずる神の物語が生まれて来て、それが伝えられてきた。(中略)宣長には、『世の識者モノシリビト』と言われるような、特殊な人々の意識的な工夫や考案を遥かに超えた、その民族的発想を疑うわけには参らなかったし、その『正実マコト』とは、其処に表現され、直かに感受できる国民の心、更に言えば、これを領していた思想、信念の『正実』に他ならなかったのである」(「本居宣長」第四十二章、同p.116)

また、

「宣長は、古伝説を創り、育て、信じて来た古人の心ばえを熟知しなければ、我が国の歴史を解く事は出来ぬ、神々が、伝統的心ばえのうちには、現に生きている事は、衆目の見るところである、そういう風に考えていた。(中略)今もなお古伝説の流れに浸った人々の表情は、故意に目を閉じなければ、誰にも見えている。それは、私達が国語の力に捕えられているのと同じように、私達の運命と呼ぶべきものである」(「本居宣長」第四十九章、同p.189)

と述べているのは、まさにこの点を示すものである。

小林秀雄氏は、「本居宣長」以外にも、様々な著作において、同じ問題を問いかけている。

「ゲエテが、エッケルマンにこんな事を言っていた。(中略)ロオマの英雄なぞは、今日の歴史家は、みんな作り話だと言っている、恐らくそうだろう。本当だろう。だが、たとえそれが本当だとしても、そんな詰まらぬ事を言って一体何になるのか。それよりも、ああいう立派な作り話を、そのまま信ずるほど吾々も立派であってよいではないか」(「歴史と文学」、同第13集p.228)

「この『対話篇』は、パイドロスがソクラテスに向い、本当のところを打ち明けて戴きたいが、あなたは、このような神々の物語を、事実あった事とお信じになるかという質問と、これに対するソクラテスの答えから始まっている。ソクラテスは、もし私が当今の利口者なみに、そのような伝説は信じないと言えば、妙な男と思われないで済むだろうがと言葉を濁し、このような面倒な問題を、あまり単純に受け取っているパイドロスの、無邪気な問いをはぐらかすのだが、その婉曲なはぐらかし方に、全篇を形成する種が宿っている。(中略)気に入らなかったのは、当時のアテナイの知識人の風潮、神話に託された寓意を求めるという、学問めかした神話解釈であった。宣長は『神代の伝説ツタエゴトアヤしさ』を『つたなき寓言』と解した熊沢蕃山の説を、きっぱりと斥け、貴下のように、『コトワㇼ深げに見え聞えたる』言を繰っているようでは、神書の『そこひなき淵のさわがぬことわり』には到達出来ないとした」(「本居宣長補記Ⅰ」、同第28集p.257)

冒頭に述べた、我々自身のもっとも本質的な問いかけ、「いかに生きるべきか」を自問自答するにふさわしい材料は、先人の歴史、すなわち古来の物語や伝承のなかにある。先人がいかなる環境において、何を感じ、思い、どのように行動したのか。我々はどこに共感し、反発を覚えるのか。我々一人一人が歴史に対峙し、己れ自身を再認識し、そして自分がどのように生きるべきかを思索する。そうした思索を行う上で、歴史や伝承に含まれる様々な事象、言い伝えの客観性や科学的根拠を批判し、その物語や伝承を否定し、あるいは寓言と解することには何の意味もない。それどころか、むしろ、現代科学では解明され得ない古代の人々の物語の中にこそ我々が噛みしめるべき人生の道標や奥義が含まれている場合が少なくないのではないか。

小林秀雄氏は、呵刈葭論争や寓言説への宣長の反駁、ゲエテの言葉、パイドロスへのソクラテスの返答、さらには夫を戦場で亡くした夢を見た婦人についてのベルグソンの回想(「信ずることと知ること」、同第26集p.178)など、「客観的事実」や「科学的思考」の有効性・絶対性について、幾度となく疑問を呈するとともに、古代人の生活を領していた「実体験」の重要性を説く。

氏は、現代科学をはじめとして、託するものがありすぎて自律的思考を失いがちな現代人に対し、秋成ほかを参照しつつ、根深い常見や分別、「さかしら」、言い換えれば、「客観的事実信仰」から自らを解き放ち、古代人の「あやし」と感受する心ばえに「直く安らか」に向き合い、古伝を観照することによって雑音抜きに精神の鋭敏な活動を得ることを求めているのだ。

そうした態度こそが、漢心からごころを排した大和心であり、己れが何者で何ゆえに生きるかという問いの答は、この、いわば歴史への向き合い方を通じて初めて得られることを、我々は、今こそ、しっかりと再認識しなければならない。

「ポスト真実」という流行語は、存外、その命名の本義を超えて、すでに社会に深く根を下ろしているのかもしれない。

 (了)