編集後記

池田 雅延

須郷信二さんに、今月は「『本居宣長』自問自答」を書いてもらった。内容は先月の松阪訪問記と対で、今回は本居宣長記念館の館長、吉田悦之さんが聞かせて下さった宣長とどうつきあうか、宣長から何をどう学ぶかの話がより詳しく報告されている。

 

吉田さんは、「トータルの宣長体験」、「全体としての宣長理解」ということをしきりに言われたという。今年の二月、吉田さんは『宣長にまねぶ』という本を出されたが(致知出版社刊)、この名著こそはまさに「トータルの宣長体験」記である。「まねぶ」は真似をするという意味の古語である。「学ぶことは、真似ることだという。本居宣長をまねてみよう」という言葉でこの本は始まる。

 

私たちの塾は、「小林秀雄に学ぶ塾」と名乗っているが、その心はやはり、「小林秀雄をまねぶ塾」なのである。「まなぶ」と「まねぶ」の語源は同じで、「まなぶ」も元は真似をすることだと辞書にある。そこから「小林秀雄に学ぶ塾」は、小林秀雄の言ったこと、書いたことを学ぶ塾というより、小林秀雄がそれを言うためにしたこと、考えたことを真似る塾でありたいのである。小林先生自身がそう言っているからである。

 

小林先生は、真似る、模倣するということが、私たちが生きていくうえでどんなに大切かを何度も言っている。昭和二十一年(一九四六)、四十四歳で発表した「モオツァルト」では、―模倣は独創の母である。唯一人のほんとうの母親である。二人を引離して了ったのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会えようか……(新潮社刊『小林秀雄全作品』第15集p.98)と言っている。

 

同じことを、「本居宣長」でも言っている、―「學」の字の字義は、かたどならうであって、「学問」とは、「物まなび」である。「まなび」は、勿論、「まねび」であって、学問の根本は模傚もこうにあるとは、学問という言葉が語っている……(同第27集p.121)。ここで言われている「模傚」は「模倣」と同じであるが、―本居宣長をはじめとする近世日本の学者たちにとって、古書吟味の目的は、古書を出来るだけ上手に模傚しようとする実践的動機の実現にあった。従って、当然、模傚される手本と模傚する自己との対立、その間の緊張した関係そのものが、そのまま彼等の学問の姿だ……(同第27集p.122)。

 

この教えに準じて、私たちも小林秀雄を模倣するのである。「本居宣長」を十二年かけて読むというのがその中心だが、これと相携えて「歌会」と「素読会」が続いている。「萬葉集」「古今集」などの古語を用いて和歌を詠む「歌会」と、語意や文意はいっさい顧みず、ひたすら声に出して古典を読む「素読会」である。その「歌会」と「素読会」の消息を、藤村薫さんと有馬雄祐さんに伝えてもらった。

 

これらもそれぞれ、小林先生の模倣である。先生が「本居宣長」で言われている、近世の学者たちの出来るだけ上手に古典を模倣しようとした実践的動機、模倣される手本と模倣する自己との対立、その間の緊張した関係、そこを先生は模倣された、その先生の模倣を私たちも模倣するのである。模倣の模倣の模倣である。

 

本田正男さんの「巻頭随筆」、山内隆治さんの「『本居宣長』自問自答」も、小林先生の「いかにして生きるということの機微を知るか」の模倣である。坂口慶樹さんの「マティスとルオー展を観て」は、先生の美の経験の模倣である。三氏それぞれ、虚心に小林先生を模倣することによって、まちがいなく「模倣出来ぬもの」に出会い始められている。

 

杉本圭司さんの「ブラームスの勇気」に、同じことを教えられる。「本居宣長」を書くにあたって、小林先生は、ブラームスを模倣した。

 (了)