教師のいる風景

安達 直樹

松阪の本居宣長記念館を訪れるたびに、小林秀雄先生が講演で語った言葉を思い出す。

昭和36年8月15日、長崎県雲仙。「現代思想について」という演題の講演(注)で、一年後に還暦を迎える小林先生が語るのは、歳をとることと物を考えることとの関係、ユングやフロイト、ベルグソンの思想、そして教師というものについてである。

このなかで先生は、伊藤仁斎が京都で開いた塾を例に、教師とは「真理とはこういうものだと人に教えようとする一人の人物」のことだと力強く説く。

 

私にとって七度目の松阪、本居宣長記念館。すべて、池田塾の塾生とともに、本居宣長の奥墓参拝と吉田悦之館長のお話を伺うことが目的の旅である。今回は、宣長研究者を招いて年に十回開催される「宣長十講」、平成29年度の最終講義で、吉田館長が「宣長学に魅せられた人々」というお話をされた。配られた資料のはじめに、小林秀雄「本居宣長」から「或る時、宣長といふ独自な生まれつきが、自分はかう思ふ、と先づ発言したために、周囲の人々がこれに説得されたり、これに反発したりする、非常に生き生きとした思想の劇の幕が開いたのである」の一文が引かれている。吉田館長は、宣長とその学問に魅せられて、これを支えた松坂の人々や、学者としての素質を見抜いて宣長学に大きな影響を与えた堀景山や賀茂真淵、宣長の熱心な読者から門人となる人や思想的な対立にいたる人物までを含めて、宣長の学問に関わる運命にあった人々の、まさに「思想劇」を具体的に描き出してくださった。

 

幸運なことに、今回も、吉田館長のご配慮で、記念館の資料収蔵庫を見学することができた。吉田館長はこの収蔵庫を「宣長さんのアタマの中」と表現する。そこには、本居宣長直筆の書物や、「古事記伝」の版木、その他宣長の学問に関する資料が保管されている。暖かい色合いの優しい照明を受けながら吉田館長が書物を紐解く場面では、歴史に直に触れている感覚が生じて、緊張の中、大きな安心感に包まれるような不思議な心持ちになる。

いつも思うことなのだが、ついさっきまで本居宣長と会っていたのかと錯覚するほど、吉田館長から伝え聞く「宣長さん」にはリアリティがある。質問があるとすぐに、数ある資料の中から該当するものを取り出しては、宣長や宣長学に関わった人々のエピソードを、思い出話のように話してくださる。そして「宣長さんの学問や生活への気配りは、とても一人の人間がやれる仕事の量ではない。不思議だ。不思議だ」と言って、首をかしげている。膨大な資料が整然と保管されている様が美しいその場所は、宣長さんのアタマと吉田館長のアタマが時を超えて重なり合う空間なのだ。

 

二日目には、記念館で毎月行われている「古事記伝」の音読を体験した。参加しているのは、松阪の老舗旅館の女将など、生まれ育った町を愛し、松阪が生んだ宣長を誇りに思う人たちだ。

吉田館長の音読に続いて参加者が音読する。時折、館長の解説が入る。皆、「古事記伝」原本の複写に目を落とし、必死に漢字を追いかけながら音読する。それだけを繰り返す。全四十四巻、宣長三十五年間の思索の轍を辿る旅。吉田館長が「この音読、自分の寿命を勘案すると、とても最後までたどり着けない」と笑うと、続いて参加者も笑う。

このような光景に接するとき、私は、「教師」について語った小林先生の言葉を思い出すのである。

小林先生は冒頭の講演の中で、教師というのは、自分の信念を受け取る人があると信じている人であり、これは弟子に魂がうつるということで、それこそが教育の原理だと述べる。松阪の人たちが、吉田館長という教師と向かい合って、共鳴し合う光景。私にはそれが美しいと感じられた。その共鳴がある空間には、音にはならない振動があって、なんとも心地が良い。吉田館長は、自分が好み、信じる宣長さんの姿と魂を追いかけながら、生徒のほうを振り返っては、これをできるかぎり伝えようと努めておられる。そういう教師のもとに集う人の心のなかでは、宣長さんに魅せられていることと、吉田館長に惹かれていることとは判別できないものになる。仁斎や宣長が行った講義に集まった人々も、きっと、同じような心持ちで学んでいたのだろう。

 

宣長が「源氏物語」の講釈を行っていたその土地に、宣長の魂を伝えようとする一人の教師が現れた。松阪の、歴史を湛えたような町並みのなかで、「古事記伝」の音読を淡々と続けている吉田館長と松阪の人たちの姿が、長い年月をかけて学問を続けた本居宣長や小林先生と重なり、宣長が「うひ山ぶみ」で言っている「倦まずおこたらず」の大切さを、はっきりとした形で認識することができた、貴重な松阪訪問となった。

(了)

 

(注)新潮CD小林秀雄講演 第4巻所収。