松阪の旅(広告)

荻野 徹

松阪旅行の効能のことは、世人のよく知るところであり、一々ここに挙げるに及びませんが、しかるに、およそ旅行と言いましても、方角は同じでも、時期の佳悪により、また行程の精粗により、その効能に格段に優劣があり、これまた世人のほぼ知るところとはいえ、いざ旅に出るに際し、そんなにも吟味することなく、グループ・ツアーともなれば、殊更、時期の佳悪も、行程の精粗も知ろうとはせず、同じ方角ならどれも同じと思い込み、しっかり吟味をしないというのは、粗忽の至りでございましょう。

 

そこで今回ご紹介いたしますのは、過日催行いたしました「松阪うしの旅」、いえ、ウシといっても松阪牛ではなくて、松阪で大人うしたちに出会う旅でございます。

第一日目、まず訪れましたのが、松阪公民館で行われていた『宣長十講』平成29年度最終回、吉田の大人(吉田悦之・本居宣長記念館館長)による「宣長学に魅せられた人々」という講義です。

ここで、吉田大人は、鈴屋の大人(宣長)の「物まなび」が育っていく様子を、宣長の周囲にいた人々の側から、お話ししてくださいました。とりわけ、「松坂の一夜」において縣居の大人(賀茂真淵)に出会い学者として出発する前、宣長の学問の揺籃期における嶺松院会を中心とする松坂の人々の深い教養は、驚くべきものです。豆腐屋、文具店、木綿問屋などの若旦那たちが、昼間の仕事を終え、学問を楽しみにやってくる。宣長と彼らとのやりとりが、手に取るように、目に見えるように語られます。安永年間にタイムスリップしたかのごとし。

たとえば、須賀直見。もと豆腐屋を営み、これを稲懸棟隆(のちに宣長の養子となる大平の実父)に譲り文具店主人となったこの人物は、20代そこそこで、自宅にて、宣長とともに、「二十一代集」の校合会読を始め、さらに「栄花物語」、「狭衣物語」へと読み進みます。もし長命であれば大平ではなく彼が宣長の養子になったであろうと大平自身が後に述懐したとされる直見は、「狭衣」の校合会読を終えたその三日後に、35歳の短い生涯を終えるのです。なんたる学識、なんたる壮烈。普段感情をあらわにすることの少ない宣長も、いづちにいけむ、いづちにいけむ、と何首もの歌を詠まずにいられない。たとえば(注1)

 

我をおきて いづちにいけむ 須賀の子は 弟とも子とも 頼みしものを

 

宣長の嘆きやいかばかりか。直見はまた、「すみれの花をめで、野べに行きて摘みもし、根からも掘り持て来て、庭に植えられし」(大平の述懐)(注2)、などという、おとめちっくな御仁でもありました。その没後20年余、「源氏物語玉の小櫛」の執筆を終えたばかりの宣長は、こう歌うのです。(注3)

 

なつかしみ またも来て見む つみのこす 春野のすみれ けふ暮れぬとも

 

野べに咲く一輪の美しい花に目をとめた晩年の宣長の胸中には、直見と過ごした校合会読の日々が去来したのではないでしょうか。

そして、宣長という存在がなければ、歴史に名をとどめることもなかったかもしれぬ、直見という学問好きの町人の短い生涯もまた、「宣長という独特な生まれつきが、自分はこう思う、と先ず発言したために周囲の人がこれに説得されたり、これに反撥したりする、非常に生き生きとした思想の劇」(注4)の一幕といえましょう。直見はまだ、生きているのです。寛政9年の宣長とともに、そしてまた、吉田大人を通じて、平成の松阪公民館の私たちの目の前に。

 

ああ、吉田大人とは何たる人物でしょう。俗に「切れば血の出る」云々というけれど、この方のお体からは、どくどくと血潮が流れ出るのではなく、ノリナガ・ノリナガ・ノリナガ……という不思議な音とともに、宣長の全人格とでもいうほかない巨大な何かが、ほとばしり出ているのではないか。いったい吉田の大人はいつの時代の人なのか。いつの間にか、私たちまで、安永年間の松坂に導かれているのではないか。

 

そういえば、鈴屋大人の没後140年、小林の大人(小林秀雄)は次のように書いています。

 

<歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ僕らは過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。……(子供に死なれた)母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。……母親の愛情が何も彼もの元なのだ、死んだ子供を今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実があるのだ。>(注5)

 

どなたか鎌倉に行かれる機会があれば、池田の大人にこう質問してくださいますか。宣長への愛情が、あるいは無私の信頼が、吉田大人をして、時空を超え、宣長に推参せしめているのではないでしょうか。「歴史に正しく質問しようとする」(注6)とは、このような姿をいうのでしょうか。

 

はてさて、初日第一行程のご紹介に紙幅を費やしてしまいましたが、このたび、当社が提供いたしております松阪ツアーは、まず第一に、訪問先を吟味し、いずれも極上のものを選び用い、なおまた、体験コースとしても、奥墓参拝から、「古事記伝」音読に至るまで、いずれも物まなびの道のとおり、少しも手抜きすることなく、念には念を入れ、その効能が格別に発揮されるよう、プログラムしております。かつまた、ご代金も、世のカルチャーセンター並みよりずいぶんと引下げ、売り弘めるものでございます。(終)

 

(注1~3)宣長の和歌と大平の述懐は、吉田悦之氏の講演レジュメから引用。
(注4)小林秀雄「本居宣長」(『小林秀雄全作品』第27巻所収)40頁
(注5)小林秀雄「歴史と文学」(『小林秀雄全作品』第13巻所収)211・212頁
(注6)小林秀雄「本居宣長」(『小林秀雄全作品』第27巻所収)59頁

(了)