一昨年の秋、箱根の山間にある美術館に琳派の作品を観に行った。館内は、平日ということもあり人もまばらで、周囲を気にすることなく、じっくり鑑賞が出来る最高のコンディションだった。私は「このチャンス、逃してなるものか」とランチタイム返上で、食い入るように作品を観続け、美術館を出たのは夕刻であった。
山肌は落陽に染まり、あたりの雑木林には冷たい空気が流れていた。感動の余韻はあるものの、集中力が切れたせいか、突然ひどい空腹感に襲われ、押し寄せる疲労に私は道端のベンチに腰を下ろした。そこで何となしに、向かいの木を眺めていると、驚くべきことが起こった。木の枝が徐々に豊かな色彩を帯び、鮮明に浮かび上がってきたのだ。表面に流れる滑らかな曲線模様、漆黒の幹に映える青磁色のコケ、光を反射し金色に輝く樹液、季節に染まる葉は艶やかに舞っている。私は眼を見開き、息を呑んだ。これはまるで光琳たちの描いた世界ではないか。先ほどまで、気にも留めていなかった雑木がこれほどまでに美しいとは。もしや、これがありのままの木の姿なのか!
一体なぜ私の眼は突然に木の姿を捉えることが出来たのか。これは憶測だが、スポーツの世界においては、頻繁に行われているイメージトレーニングというものがある。上手な人のフォームを見ることにより、体がそれに従うという練習方法だ。もしかすると、私の視覚にもそれと同じことが起こったのではないか。長時間、光琳たちの眼を通して描かれたものや自然を見続けたことで、偶然にも私は、わずかながら彼らのものの見方を、真似ることが出来たのではなかろうか。
普段、私たちはものを見るとき、眼だけではなく、知識や経験も使って見る。たとえば「木の絵を描いてください」と言われたらどうだろう? 木を見なくても手は動くのではないか。まっすぐ伸びた幹に、枝を3、4本加えて、モジャモジャっと葉っぱを付ければ、木のようなものは描ける。しかしこれはあくまで、木のようなものであり、私が自分の眼で見て表現した木ではない。概念や、意味を伝えるための記号のようなものであろう。ということは、実際に木を見るときに、その概念や思い込みが、視覚を鈍らせているのではないか。
ものの見方について、小林秀雄先生が「本居宣長」の中で、光琳と乾山、仁斎の名前を挙げて言及している一文がある。
――光琳と乾山とは、仁斎の従兄弟であったが、仁斎の学問に関する基本的な態度には、光琳や乾山が、花や鳥の姿に応接する態度に通ずるものがあったと考えてよい。(1)
仁斎は50年以上かけて「論語」を熟読した人物である。当時「論語」と言えば、幕府が官学として導入した朱熹による読み方、すなわち朱子学の読み方が圧倒的な主流であった。仁斎も若いころ儒学者を目指しこれを学んだが、一六歳の時、朱子の四書を読んで既にひそかに疑うところがあったと言う(2)。それから「熟思体翫」を積み、模索の末に辿り着いたのは、「論語」の原文に立ち戻ることであった。仁斎はそれまでに得た知識や概念を苦心しながら削ぎ落とし、何者も介さない直接的な関係の中で、もう一度「論語」と向き合うことで、その読み方を一変させた。「心ニ合スルコト有リト雖モ、益々安ンズル能ハズ。或ハ合シ或ハ離レ、或ハ従ヒ或ハ違フ。其幾回ナルヲ知ラズ」と語る仁斎の読書の態度について、小林先生はまるで恋愛事件のようだと言う(3)。とすればその相手は本の向こうにいる孔子という人間だろう。仁斎は深い愛情と信頼を持って、直に孔子と向き合ったのだ。
仁斎はその読書法について、言葉や文章の字義にとらわれず、文章の語脈とか語勢と呼ぶものを先ずつかめと教えた。全体の語脈の動きを捕らえられてこそ、区々の字義の正しい分析も可能であるという(3)。言葉の個々の意味を考えて読むのではなく、姿をつかむ。それはまさに「木」の見方にも通じるのではないか。実際私が木の姿を見たときも、全体を眺めているのに、細部まではっきりと見えるというような感覚があった。もしかすると仁斎の「論語」の読み方は、文字を読むというより、見るという感覚に近かったのではないか。小林先生の「光琳と乾山の花や鳥の姿に応接する態度に通ずるもの」という言葉には、対象を深く愛し見つめるという意味合いのほかに、姿を見るための眼と心の働かせ方についても、光琳、乾山、仁斎には通じるものがあったということなのではないか。仁斎は「六経ハナホ画ノ猶シ、語孟ハナホ画法ノ猶シ」という言葉を残している(2)。
「論語」と言えば、誰もが朱子が解釈した「論語」を頭に浮かべた時代、仁斎は研ぎ澄ました眼で「論語」を見つめた。するとそこに現れたのは「其ノ謦欬ヲ承クルガ如ク、其ノ肺腑ヲ視ルガ如ク」鮮明に浮かび上がる孔子の姿であった(1)。その姿を見つめる仁斎の眼は、まさに画家の眼だったのではないだろうか。
もののありのままの姿を感じる能力は誰にでも備わり、そういう姿を求める心は誰にでもあるのだと小林先生は言う。しかしこの能力は、養い育てようとしなければ衰弱してしまうと言うのだ(4)。今の時代、私たちの頭の中にはたくさんの情報や知識、概念が絶え間なく流れ込み、意識的にそれらを掻き出すことをしなければ、感じる力はあっという間に埋もれてしまうだろう。しかし努力と鍛錬により、その能力を取戻し、対象のありのままの姿を感じ、見ることが出来たならば、その喜びは格別なものに違いない。光琳たちが描き出した美しい世界を見、仁斎の「論語」を読んで「手ノ之ヲ舞ヒ、足ノ之ヲ踏ム所ヲ知ラズ」(1)と語るのを聴けば、そこに疑いの余地はないはずである。
それを確かめるために、私は再び箱根に向かう。
(了)
注(1)「本居宣長」第10章より、新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集所収
(2)「本居宣長」第9章より、同第27集所収
(3)「学問」より、同第24集所収
(4)「美を求める心」より、同第21集所収