編集後記

坂口 慶樹

時が巡るのは早い。本誌も、今号をもって平成三十(2018)年最後の刊行となる。

「巻頭随筆」は、荻野徹さんが筆を執られた。猛暑となった7月の山の上の家で行われた「自問自答」は、大晦日の晩、男女四人によって繰り広げられる対話劇、という果実に熟した。古書を味読する態度について、対話という体裁のなかでこそ立ち現れる妙味を、まさに戯曲を愉しむように堪能いただきたい。

 

 

「『本居宣長』自問自答」には、橋本明子さんと櫛渕万里さんが寄稿された。

橋本さんは、今回の自問自答の経験を通じて、学問や古典というものへの認識を新たにされたようである。加えて、百歳を生きた某思想史学者の偲ぶ会に参加した折、「思考を止めてはなりません」という生前の言葉を聞き、「宣長の真髄」を感得された。そこに橋本さんの、ある決意の声を聴いた。

櫛渕さんは、6回目となる「自問自答」をもとに綴られている。今回は、歴史と歌との間に共通する連なりがあるのではないか、という直覚が端緒となった。その連なりから聞こえ見えてきたものは、天武天皇の「哀しみ」であり、宣長のいう「もののあはれを知る心」の働きであり、さらには、両者に思いを馳せる小林秀雄先生の姿ではなかったか。

 

 

村上哲さんは、本居宣長が「言葉という道具の上手」であることについて、熟考を重ねた内容を「考えるヒント」に寄稿された。一見、哲学的な文章の外観はあるが、「赤ん坊」の例が出されているように、主題は人間誰しもが実生活のなかで体感していることであり、読者各位には、日常の所作や趣味など具体的な場面をイメージしながら読み進められることをお薦めしたい。

 

 

「人生素読」には、橋岡千代さんが寄稿された。母と子の日常を過ぎていく時間のなかにも、「もののあはれ」は満ちている。小林先生の「当麻」や「私の人生観」という作品は、そのことを橋岡さんに認識させてくれる契機となったようである。

なお、文中で言われている「うしろみの方の物のあはれ」については、池田雅延塾頭による「小林秀雄『本居宣長』全景 五・六」(本誌2017年10月号・11月号)も、併せてお目通しいただきたい。

 

 

「美を求める心」の酒井重光さんは、大阪塾に参加されている料理人である。本稿では、日々調理場で体感していることを踏まえ、小林先生が池田塾頭に仰った「甘味が一貫していないんだ。……魚の甘味の系統に……人間が施す甘味はすべて揃える」という言葉の深意に迫る。酒井さんならではの筆によって、味にも「美しい姿」を求めた小林先生の真髄に、また新たな光が当てられたように思う。

 

 

紅葉が美しくなる、この晩秋という季節を迎えると、小林先生が「天という言葉」について語っている文章が、思い出される。

「私は、長い歴史を通じて、人間の自覚という全く非実用的な問題が現れる毎に、この言葉が、人々の内的生活のうちに現れたのは、あたかも、同じ木の葉が、時到れば、繰返し色づくのを止めなかったようなものだ、天という言葉は沢山な人々によって演じられて来た自覚という精神の劇の主題の象徴であった、それを想って見ている」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第24集所収)。

今号の多彩な作品のなかにも、人生の意味について自問する精神が通底していることを感じる。山の上の家の塾での「自問自答」の歩みも、年度終盤に向けて、一層実り豊かな学びを目指していきたい。

 

最後に、読者の皆さまの明年のご健勝を、心よりお祈り申し上げる。

(了)