しるし」としての言葉の力

小島 奈菜子

小林秀雄の『本居宣長』は、江戸時代の学者たちの思想劇として描かれているが、その真の主役は「言霊ことだま」であるように思われる。言霊とは、現代の通念にあるような、古代人の言語信仰を指すのではなく、今なお不思議としか言いようがない、言語本来の力のことだ。その本質を最も鋭敏正確に捉えたのが本居宣長である。我が国の言霊が辿ってきた変遷を、小林秀雄の案内に沿って追いかけていると、要所々々で「しるし」という語に出会う。一般的には「物事のあらわれ」という意味だが、『本居宣長』の中ではそれ以上の、深い意味合が込められており、この語に躓いて転ばないように、慎重に周囲を見渡すことで、その真意があらわになってくる。

 

「神代」とか「神」とかいう言葉は、勿論、古代の人々の生活の中で、生き生きと使われていたもので、それでなければ、広く人々の心に訴えようとした歌人が、これを取上げた筈もない。宣長によれば、この事を、端的に言い直すと、「神代の神は、今こそ目に見え給はね、その代には目に見えたる物なり」となるのである。ここで、明らかに考えられているのは、有る物へのしっかりした関心、具体的な経験の、彼の用語で言えば、「シルシ」としての言葉が、言葉本来の姿であり力であるという事だ。見えたがままの物を、神と呼ばなければ、それは人ではないとは解るまい。見えたがままの物の「情状カタチは、決して明らかにはなるまい。直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、「徴」としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先きでも後でもない。

(『小林秀雄全作品』第28集p.44 12行目~)

 

『本居宣長』全50章中の第34章、本居宣長の『古事記伝』に表れている言語観を語る上記の場面で、初めて「徴」という語が登場する。“直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、「徴」としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先きでも後でもない”という言い方で、物の経験は同時に、物に揺り動かされる己れの心の経験でもあることが示されている。宣長はこのことを、「ココロコトコトバとは、みな相称アヒカナへる物」であると言う。

 

「古事記伝」の初めにある、「そもそも意と事と言とは、みな相称へる物にして」云々の文は、其処まで、考え詰められた言葉と見なければならないものだ。「すべて意も事も、言を以て伝フるものなれば、フミはその記せる言辞コトバムネには有ける」とつづく文も、「意」は「心ばへ」、「事」は「しわざ」で、「上ツ代のありさま、人の事態シワザ心ばへ」の「徴」としての言辞は、すべて露わであって、その外には、「何の隠れたる意をもコトワリをも、こめたるものにあらず」という宣長の徹底した態度を語っているのである。

(同p.45 2行目~)

 

意(心の動き)と事(現実の物事)はすべて、言(言葉)によって今に伝わっている。当り前のようだが、小林秀雄はここに宣長の、認識論と言えるほど深い言語観を読み取った。簡単な言い方をすれば、言葉になっていない物事は、その存在を未だ認識されていないということだ。

無限に動き続ける森羅万象の中で、すべての物事を知ることは無論できない。国語の誕生から何万年を経ても、未だ言葉になっていない物事はいくらでもある。こうした世の中で上古の人々は、何を言葉にしてきたのか。ひたむきに生活を営む上で最も重要な、自分達の力の及ばない、優れたもの、恐ろしいもの、有り難いもの、不思議なものに出会って素直に驚き、声をあげたとき、それらはおのずと「カミ」と呼ばれた。言葉の力によって初めて、見えたがままの物(カミ)の情状カタチが明らかになったのだ。『古事記』の神々の名は、心の動揺に衝き動かされて発した彼等の声の形であり、それは神に出会った彼等の経験の「徴」だ。感情が動かなければ、物に対峙しても認識に至らず、出会いは無かったのと同じである。「徴」としての言葉の外には、“何の隠れたる意をも理をも”存在しない。

 

言語に関し、「身に触れて知る」という、しっかりした経験を「なほざりに思ひすつる」人々は、「言霊のさきはふ国」の住人とは認められない。

この言語共同体を信ずるとは、言葉が、各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、その徴として生きている理由を、即ち言葉のそれぞれのアヤに担われた意味を、信ずる事に他ならないからである。更に言えば、其処に辞書が逸する言語の真の意味合を認めるなら、この意味合は、表現と理解とが不離な、生きた言葉のやりとりの裡にしか現れまい。実際にやりとりをしてみることによって、それは明瞭化し、錬磨され、成長もするであろう。

(同p.49 4行目〜)

 

ここで言われている言葉のアヤとは、“各人に固有な、表現的な動作や表情”、つまり声の抑揚や表情など、発声時の動作をすべて含めた物の言い方のことだ。アヤに心の動きが表れ、聞く人の心に伝わることで、言葉に意味が担われる。声の形と意味合が、言語表現という行為の裡でひとつになり、「徴」としての言葉となる。

本文中、言葉の経験は物の経験と表裏一体である、と繰り返し強調されているのは、誤解し易く、また重要な点だからだ。すでに完全な国語組織を持っている私達の日常生活は、既存の語を使い回していれば事が足りる。例えば「お箸をとってください」「どうぞ」「ありがとう」といったやりとりだ。このとき私達は言葉を、物事を指し示すラベルのように使っている。身近な物や行いには決まった言葉が当てられており、物事を指し示して相手に伝われば、言葉の役割は終る。

だが一方、「ありがとう」という言葉ひとつをとっても、言い方は一人々々、一度として同じではない。発言者の心持ちは言い方に込められており、特別意識せずとも私達はそれを感知している。「ありがとう!」と感激した様子で言われるか、暗い表情と小さな声で言われるかで、受取る意味は全く違うだろう。卑近な例だが、上記の文中で言われている“辞書が逸する言語の真の意味合”とはこうしたことだ。言葉は今も、心の「徴」として生きている。単なる物事のラベルではない、というだけでなく、言葉の力こそ認識の力であると小林秀雄は言う。

 

堪え難い心の動揺に、どうして堪えるか。逃げず、ごまかさず、これに堪え抜く、恐らくたった一つの道は、これを直視し、その性質を見極め、これをわが所有と変ずる、そういう道だ。力技でも難業でもない、それが誰の心にも、おのずから開けている「言辞ことばの道」だ、と宣長は考えたのである。悲しみを、悲しみとして受取る、素直な心さえ持っている人なら、全世界が自分一人の悲しみと化するような、深い感情の経験は、誰にもあるだろう。ことばは、「あはれにたへぬところより、ほころび出」る、と言う時に考えられているのは、心の動揺に、これ以上堪えられぬという意識の取る、動揺の自発的な処置であり、この手続きは、詞を手段として行われる、という事である。どうして、そういう事になるか、誰も知らない、「自然の妙」とでも言う他はないのだが、彼は、そういう所与の言語事実を、ただ見るのではなく、私達めいめいが自主的に行っている、言語表現という行為の裡に、進んで這入って行く。

詠歌の行為の裡にいなければ、「排蘆あしわけ小船おぶね」で、言われているように、「詠歌ノ第一義ハ、心ヲシヅメテ妄念ヲヤムルニアリ」と合点するわけにはいかないだろう。心の動揺は、言葉という「あや」、或は「かたち」で、しっかりと捕えられぬうちは、いつまでも得体の知れない不安であろう。言葉によって、限定され、具体化され、客観化されなければ、自分はどんな感情を抱いているのか、知る事も感ずる事も出来ない。「妄念ヲヤムル」という言い方は、そういうところから来ている。「あはれ」を歌うとか語るとかいう事は、「あはれ」の、妄念と呼んでもいいような重荷から、余り直かで、生まな感動から、己れを解き放ち、己れを立て直す事だ。

(同p.58 13行目〜)

 

動揺する心を認識することが、「徴」としての言葉を得ることであるが、あくまでもそれは、対峙している物の経験と表裏一体だ。物に出会わなければ心は動かず、感情は言葉として、具体的客観的な「かたち」にならなければ認識できない。前述のように、心が言葉のあやとして、つまり声の抑揚や表情として表れるなら、それと表裏一体の物(カミ)に表情を観ずるのも、ごく自然なことだろう。古人達は、わが心のあやとして、神々の表情を目の当りに見ていたのだ。宣長が「神代の神は、今こそ目に見え給はね、その代には目に見えたる物なり」(同p.44)と言っているのは、このことではないだろうか。

 

そういう次第で、自己認識と言語表現とが一体を成した、精神の働きまで遡って、歌が考えられている事を、しっかり捕えた上で、「人に聞する所、もつとも歌の本義」という彼の言葉を読むなら、誤解の余地はない。「人に聞する所」とは、言語に本来備わる表現力の意味であり、その完成を目指すところに歌の本義があると言うので、勿論、或る聞いてくれる相手を目指して、歌を詠めというような事を言っているのではない。なるほど、聞く人が目当てで、歌を詠むのではあるまいが、詠まれた歌を、聞く人はあるだろう、という事であれば、その聞く人とは、誰を置いても、先ず歌を詠んだ当人であろう。宣長の考えからすれば、当然、そういう事にならざるを得ない。わが思いを歌うとは、捕えどころのない己れの感情を、「人の聞てあはれとおもふ」詞の「かたち」に仕立て上げる事なら、この自律性を得た詞の「かたち」が、自ら聞きてあわれと思う詞の「かたち」と区別がつく筈はない。ここに、彼が、「言辞の道」と「技芸の道」とを峻別せざるを得なかった所以があるのだが、「排蘆小船」の中で、「和歌ニ師匠ナシ」とか、「此道バカリハ身一ツニアル事ナリ」とかいう、強い言葉で言っているのも、その事なのである。

(同p.59 13行目〜)

 

“言語に本来備わる表現力”によって、己れの感情が “自律性を得た詞の「かたち」”となるこの働きは、血の通う肉体の、自発的な努力の裡で起こるのだ。だからこそ、真に物を知るためには、自分自身をその物に化さねばならない。宣長の「此道バカリハ身一ツニアル事ナリ」という発言を、小林秀雄はこのように受取ったのではないか。

後世からは非合理に満ちて見える『古事記』の裡に這入り込み、古人の心をわが心とし、彼等の心の動きと、神々の情状カタチとを表裏一体に観ることで、宣長は『古事記伝』を書き上げた。歴史の初めから人々の身に備わっていた言霊の働きを知り尽くし、また心から信頼していたからこそ、彼はこの信じ難いほどの大仕事を成し遂げることができたのだ。

(了)