小林秀雄さんの『本居宣長』を読み進める中で、次の箇所に目が留まった。
私は、彼の「源氏」論を、その論理を追うより、むしろその文を味う心構えで読んだのだが、読みながら、彼の文の生気は、つまるところ、この物語の中に踏み込む、彼の全く率直な態度から来ている事が、しきりに思われた。(『小林秀雄全作品』第27集p.173、6行目~、「本居宣長」第16章)
「彼」とは本居宣長、「物語」とは「源氏物語」のことであるが、宣長の「物語の中に踏み込む、全く率直な態度」とは一体どのようなものなのだろうか。これを“問い”として、拙いながら追いかけてみよう。
文章に生気が満ちる所以だと言うのであるから、物語を読む態度は大事な事に違いない。それにしても、具体的に何を指し、そしてどのような意味があるのだろうか。
小林秀雄さんが宣長の「率直な態度」に言及したのは、「蛍の巻」の源氏と玉鬘との会話に宣長が着目したことから発している。
会話は、物語に夢中になった玉鬘をからかう源氏の言葉から始まる。「あなむつかし、女こそ、物うるさがりせず、人にあざむかれんと、生れたるものなれ」。(中略)物語には、「まこと」少なく、「空ごと」が多いとは知りながら読む読者に、「げに、さもあらんと、哀をみせ」る物語作者の事を思えば、これは、よほどの口上手な、「空言をよくしなれたる」人であろう、いかがなものか、という源氏の言葉に、玉鬘は機嫌を損じ、「げに、いつはりなれたる人や、さまざまに、さもくみ侍らん、ただ、いと、まことのこととこそ、思ひ給へられけれ」とやり返す。(同p.142、15行目~、第13章)
(源氏は)これは、とんだ悪口を言って了った、物語こそ「神代より、よにある事を、しるしをきけるななり、日本紀などは、ただ、かたそばぞかし、これらにこそ、みちみちしく、くはしきことはあらめ、とてわらひ給」(同p.144、11行目~、第13章)
ここで小林秀雄さんは、「源氏物語」、その作者の紫式部、物語中の源氏、同じく玉鬘、評者の宣長、この五者の言わば、信頼関係に注目している。
「会話の始まりから、作者式部は、源氏と玉鬘とを通じて、己を語っている、と宣長は解している。と言う事は、評釈を通じて、宣長は式部に乗り移って離れないという事だ」(同p.143、6行目~、第13章)
宣長は、源氏と玉鬘の会話に作者式部の心の内が現れていると解し、また式部に全き信頼を置いて作者の内心を摑み評釈した、というのである。
それゆえ、「玉鬘の物語への無邪気な信頼を、式部は容認している筈」(同p.143、12行目~、第13章)、「先ず必要なものは、分別ある心ではなく、素直な心である」(同p.143、15行目~、第13章)とある。
ここから読めてくること、それは、玉鬘の物語への無邪気な信頼と同様に、宣長は玉鬘になりきり「源氏物語」を無邪気な信頼感で愛読し、それは作者式部の物語観を味わうことと同じであった、と推察できる。
さらに小林秀雄さんは、「源氏物語」の読みについての宣長の言葉を評して以下のように書く。
「此物がたりをよむは、紫式部にあひて、まのあたり、かの人の思へる心ばへを語るを、くはしく聞くにひとし」(「玉のをぐし」二の巻)という宣長の言葉は、何を准拠として言われたかを問うのは愚かであろう。宣長の言葉は、玉鬘の言葉と殆ど同じように無邪気なのである。玉鬘は、「紫式部の思へる心ばへ」のうちにしか生きていないのだし、この愛読者の、物語への全幅の信頼が、明瞭に意識化されれば、そのまま直ちに宣長の言葉に変ずるであろう。(同p.178、3行目~、第16章)
玉鬘の言葉も宣長の言葉も、無邪気であって、玉鬘の言葉は十全に物語を信頼した宣長の言葉に成り変わっている、と言うのだ。
此処まで読んできた小林秀雄さんの言葉から、本稿の始めの”問い”に対しての答えが、ほぼ姿を現したと思う。
宣長の「物語の中に踏み込む全く率直な態度」とは、一言で言えば、物語を信頼する「無邪気な態度」と考えてよいであろう。
では、物語を読む時に、無邪気な態度で読むことが、なぜ大切なのだろうか。
これを考える大きなヒントとして、小林秀雄さんが物語の根幹ともいうべきものに触れた文章を引く。
物語は、どういう風に誕生したか。「まこと」としてか「そらごと」としてか。愚問であろう。式部はただ、宣長が「物のあはれ」という言葉の姿を熟視したように、「物語る」という言葉を見詰めていただけであろう。「かたる」とは「かたらふ」事だ。相手と話し合う事だ。(同p.181、5行目~、第16章)
物語が、語る人と聞く人との間の真面目な信頼の情の上に成立つものでなければ、物語は生まれもしなかったし、伝承もされなかったろう。語る人と聞く人とが、互いに想像力を傾け合い、世にある事柄の意味合や価値を、言葉によって協力し創作する。これが神々の物語以来変わらぬ、言わば物語の魂であり、式部は、新しい物語を作ろうとして、この中に立った。(同p181、11行目~、第16章)
物語は、語る人すなわち作者からの一方的な発信ではなく、語る人と聞く人とが協力しあって創り出し、伝承されることから始まった、と言うのだ。ここで、物語の原型は語りと聞き、すなわち話し言葉であると、小林秀雄さんが考えていることにも注目すべきだろう。
確かに、物語る事が「かたらふ」事ならば、語るものと聞くものの間に、素直な信頼しあう心が無ければ、物語る事は成り立つはずがない。そして、互いに充分に信頼しあっているならば、「かたり」を聞く者は、先入観や疑念の無い態度、つまりは無邪気な態度で「かたる」者に接し、「ものがたり」の中に入り込むように聞いたのであろう。
同様に、物語を書いた作者と読む読者の間にも、信頼感があってこそ物語が成り立つ、という考えは、筆者には新鮮であった。そうであるならば、作者の書き記した物語を読む時にも、読者は何をおいても作者と作品を信頼することが、読みの第一歩となろう。そして、読者の読みの態度は、無邪気で素直なものとなろう。
物語は当然ながら言葉で書かれている。だが、物語の奥底、物語の真髄は、言うに言われぬ情感や、人の心の綾、即ち言葉で直接には表現できぬ何かを読者に伝えること、ではないか。作者の式部が「源氏物語」で真に伝えたかったものも、直接には言葉にできぬものであり、さればこそ精緻な文体で、語るように式部は書く必要があったのだ。
言葉で直接には表現できぬ何かを、作者とは時空を隔てた読者が受容するためには、まずもって、無邪気で素直な態度で読むことが大切なのだ。そうでなくしては、言葉の奥に潜むものに読者が感応することは望めないだろう。
「此物がたりをよむは、紫式部にあひて、まのあたり、かの人の思へる心ばへを語るを、くはしく聞くにひとし」という宣長の言葉は、物語を読む態度として、まさしく至言である。
無邪気な態度で読む、と何度も書いてきた。言うは易く、おこなうは難しいことと思われる。現代にも、溢れるばかりの物語が伝わってきている。しかし、情報にまみれた我々が、伝承されてきた物語を読む時に、無邪気な態度になることは果たして可能なのだろうか。また、どうすれば可能となるのか。この問いには、気づく限り小林秀雄さんは言及してはいない。それゆえ、筆者の仮説となるが、わずかながら記してみたい。
無邪気な態度という言葉で想起するのは、我々が、音楽とくに楽器演奏を聴く時の態度、との類似性である。
オーケストラでも、尺八でも、ジャズのピアノトリオでもよい。我々が、これら楽器の演奏を聴く時に、どのような態度をとっているか。分別を持った頭で楽器演奏を聴いて、何がおもしろいだろうか。作曲の経緯や曲の蘊蓄に捕らわれて聴いては、その音楽を真に聴き受容したことにはならないだろう。
非言語の芸術である音楽を聴く時には、我々も自然と、無邪気な態度、素直な態度、で聴いているではないか。これは、誰もが自然にできることだろう。
ならば、我々が物語を読む時にも、その物語の奥底を流れる、直接には言葉で表現できぬもの、いわば物語の音無き響きや旋律を聴き取ろうとするならば、無邪気な態度で読むことができる、と言えよう。
紫式部、本居宣長、小林秀雄、と長い年月を受け継がれてきた、作者と読者の対話の場は今も開かれており、我々も対話の場に読むという行為を通して参加できる。
そのような対話の場に、無邪気で素直な態度で臨むならば、人が世を生きることの手応えをも、受け取ることができるのではなかろうか。
(了)