「人間は現実を創る事は出来ない、唯見るだけだ、夜夢を見る様に。人間は生命を創る事は出来ない、唯見るだけだ、錯覚をもって。僕は信ずるのだが、あらゆる芸術は『見る』という一語に尽きるのだ」
小林秀雄「芥川龍之介の美神と宿命」
小林秀雄先生は、哲学者アンリ・ベルクソンを若い頃より愛読されてきた。小林先生の生命に対する認識の奥底には、ベルクソンの哲学がじっと坐っている、先生の著作を読んでいるとそう感じる瞬間がしばしばある。『本居宣長』という最後の大仕事においても、ベルクソンとの対話を通じて磨かれた生命の哲学は、存分に活かされていたのではないかと思う。その事を証するかのように、小林先生は江藤淳氏との対談で、宣長とベルクソンには本質的な類似があると、次のように述べている。
「ところで、この『イマージュ』という言葉を『映像』と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている『かたち』という古い言葉の方が、余程しっくりとするのだな。『古事記伝』になると、訳はもっと正確になります。性質情状と書いて、『アルカタチ』とかなを振ってある。『物』に『性質情状』です。これが『イマージュ』の正訳です。大分前に、ははァ、これだと思った事がある。ベルグソンは、『イマージュ』という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋な知覚経験を考えていたのです。更にこの知覚の拡大とか深化とか言っていいものが、現実に行われている事を、芸術家の表現の上に見ていた。宣長が見た神話の世界も、まさしくそういう『かたち』の知覚の、今日の人々には思いも及ばぬほど深化された体験だったのだ。この純粋な知覚経験の上に払われた、無私な、芸術家によって行われる努力を、宣長は神話の世界に見ていた。私はそう思った。『古事記伝』には、ベルグソンが行った哲学の革新を思わせるものがあるのですよ。私達を取りかこんでいる物のあるがままの『かたち』を、どこまでも追うという学問の道、ベルグソンの所謂『イマージュ』と一体となる『ヴィジョン』を摑む道は開けているのだ。たとえ、それがどんなに説き難いものであってもだ」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集、「対談『本居宣長』をめぐって」、229頁)
『本居宣長』では、事物の「性質情状(カタチ)」を含めて、物の「かたち」や、神の「かたち」など、「かたち」という言葉が様々な文脈で使われている。対談からも明らかなことだが、小林先生は宣長の使った「かたち」という言葉を、ベルクソンが言う「イマージュ(image)」と密接なものであると捉えた。『古事記伝』における「性質情状」という言葉にもなると、「これが『イマージュ』の正訳です」とさえ述べている。イマージュは、ベルクソンが精神の働きについて考える上で不可欠とした、『物質と記憶』における思索の中核を成す言葉である。従って、『本居宣長』で「かたち」という言葉に込められた意味合いが、重要なものでない筈がない。小林先生の言う「かたち」とは、一体何を意味しているのだろうか。
「ベルグソンは、『イマージュ』という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋な知覚経験を考えていたのです」と小林先生は言うが、「性質情状」はイマージュの正訳であるのだから、これを「純粋な知覚経験」を意味するものと受け取って間違いはないだろう。「主観的でもなければ、客観的でもない」という微妙な表現に、この言葉の奥深い意味合いの謎がある筈ではあるが、ひとまず、ここでは事物の「性質情状」を「純粋な知覚経験」と解しておく。「天地はただ天地、男女はただ男女、水火はただ水火」の、「おのおのその性質情状」が有る、と宣長は言う。川の水に手を入れた際のヒンヤリとした質感や、彼方に燃える火に感じられる、赤さや暖かさ、そうした事物の純粋な知覚経験が、「性質情状」という言葉で表現されているものと思われる。次の引用は、『本居宣長』本文で「性質情状」に触れている箇所である。純粋な知覚経験は、私達が現実を知る根源的な手段であり、誰しもに備わる基本的な智慧であると言えるが、物の「性質情状」は宣長にとって学問の与件であったと、小林先生は言う。
「空理など頼まず、物を、その有るがままに、『天地はただ天地、男女はただ男女、水火はただ水火』と受取れば、それで充分ではないか。誰もが行っている、物との、この一番直かで、素朴な附き合いのうちに、宣長の言い方で言えば、物には『おのおのその性質情状』が有る、という疑いようのない基本的な智慧を、誰もが、おのずから得ているとする。これは、宣長が、どんな場合にも、決して動かさなかった確固たる考えなのであって、彼は、学問は、そこから出直さなければならない、と言うのである」(同40頁)
「物には『おのおのその性質情状』が有る」。しかし、私達にとってこれはあまりに当たり前な話のようにも思える。何故、こうも当たり前なことが問題となるのか。それは、小林先生がベルクソンによって初めて目を開かれたと言う『言葉というものの問題』のためだろう。江藤氏との対談で小林先生は、「話が少々外れるが、私は若いころから、ベルグソンの影響を大変受けて来た。大体言葉というものの問題に初めて目を開かれたのもベルグソンなのです。それから後、いろいろな言語に関する本は読みましたけれども、最初はベルグソンだったのです」(同228頁)と、ベルクソンの話題を切り出している。言葉を操る人間は、言語に内在する論理の力を借りて、物を考える。言葉の力が正しく働かされるなら、経験はより詳しい認識へと進展していく。しかし、その論理の力の故に、言葉というものはややもすると経験から離れ、空理へと陥る危険と常に隣り合わせにある。それが、ベルクソンが説いた「言葉というものの問題」であり、彼は自身が哲学の真の方法に開眼した際のことを、「それは、私が、言葉による解決を投げ棄てた日であった」(「小林秀雄全作品」別巻1、「感想」、23頁)と回想する。言葉というものが抱えるこの問題は、いつの時代も変わることはないようであり、『本居宣長』では、荻生徂徠が、自然の理で人間の歴史を解釈しようと試みた宋の時代の儒学者らを難じる姿が描かれている。宣長も、「無きことを、理を以て、有げにいひなす」(同38頁)虚しい理の働かせ方を批判し、事物の経験から離れず、これを精しくする実理を空理から明確に区別した。事物の「性質情状(カタチ)」、純粋な知覚経験から物を考える学問の道は、言語に馴れきった私達にとって、これを強く意識していなくては歩み難いものなのである。
「言葉というものの問題」について、小林先生は折に触れては繰り返し言及されている。その一つに、小中学生に向けて書かれた文章「美を求める心」における次の有名な一節がある。ここでは「言葉というものの問題」とともに、「見る」という純粋な知覚経験が、愛情という努力を要する行為であり、汲み尽くしがたい知の源泉であることが説かれているのである。『本居宣長』に親しんでいる方には、宣長の使った「ながむる」という言葉が連想されることだろうと思う。
「言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難かしいことです。菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は、皆そういう風に花を見ているのです」(「小林秀雄全作品」第21集、『美を求める心』)
ベルクソンが「イマージュ」という言葉を必要とした理由も、「理」が生み出す偽りの問題から離れ、事物の純粋な経験から哲学を始める必要があったからである。イマージュについて、小林先生は江藤氏との対談で次のように述べている。
「実在論も観念論も学問としては行き過ぎだ、と自分(筆者注;ベルクソン)は思う。その点では、自分の哲学は常識の立場に立つと言っていい。常識は、実在論にも観念論にも偏しない、中間の道を歩いている。常識人は、哲学者の論争など知りはしない。観念論や実在論が、存在と現象とを分離する以前の事物を見ているのだ。常識にとっては、対象は対象自体で存在し、而も私達に見えるがままの生き生きとした姿を自身備えている。これは『image』だが、それ自体で存在するイマージュだとベルグソンは言うのです。この常識人の見方は哲学的にも全く正しいと自分は考えるのだが、哲学者が存在と現象とを分離してしまって以来、この正しさを知識人に説く事が非常に難かしい事になった。この困難を避けなかったところに自分の哲学の難解が現れて来る。また世人の誤解も生ずる事になる、と彼は言うのです」(「『本居宣長』をめぐって」、229頁)
ベルクソンが『物質と記憶』(1896年)を書いた頃、物質の解釈について、哲学では実在論と観念論という二つの極端な理論が机上で争わされていた。観念論は、感覚的な諸性質から成る知覚を出発点に置いて、知覚こそが物質の全てであると論じる。実在論では、知覚の背後にはそれに対応する普遍的な諸法則の数々に従う実在があって、その実在こそが物質であり、物質は知覚とは何ら関係のないものであると考える。ここで言う実在と知覚は、先の引用で小林先生が「存在」と「現象」と表現しているものだが、物質における「存在」と「現象」のこうした分離が生じた背景には、物質の科学の成功がある。「デカルトは、物質を幾何学的延長と同一視してしまったために、物質をわれわれからあまりに遠いところに置いてしまった」(「物質と記憶」、杉山直樹訳、講談社学術文庫、11頁)とベルクソンは言うが、実在論者はデカルトが踏み固めた道の延長線上にいる。そこでは、色彩や匂いといった知覚が、物質とは何ら関係のない錯覚のごとき「現象」としか見なされないわけだが、それを錯覚であると捉えるにせよ、実在論者も何らかの仕方で知覚というものが存在する事自体は認めざるを得ない。こうなると、論理の必然的な帰結として、物質と精神という異なる二つの実体を打ち立てる通俗的な二元論へと陥るか、或いは、知覚を脳という物質に付随して生じる謎めいた現象とでも見なさざるを得ない。
要するに、「観念論においても実在論においても、人は二つのシステム(筆者注;知覚と物質)のうち一方を措定して、他方のシステムをそこから導出しようとしている」(同35頁)のであり、通俗的な二元論が両者の間を曖昧に揺れ動く、という次第なのだ。ここでは、物質と知覚は互いの定義からして永遠に関係性が断たれており、どこまで行っても、本質的な意味で両者が接点を持つことはない。理論の詳細化は進んだにせよ、現代も基本的には同じ難問を抱えた状況にあると言うべきだろうと思う。
何故、このような解き難い問題が生じてしまうのか。ベルクソンはこれを悟性というものの避けがたい傾向の故であると言う。「われわれの悟性は論理的な区別を、ということははっきりした対立を立てることを、まさに自分の役割としているので、そうした二つの道のそれぞれに突進し、どちらでも道の果てまで進んでしまう」(同352頁)。その結果、他方には感覚的な諸性質が剥ぎ取られた分割可能な延長としての「存在」が、もう片方には延長を持たない感覚的な諸性質から成る「現象」が拵えられ(注1)、「悟性はこうやって自分から対立を作り出しておいて、大仰に騒ぎ立てて見せるのだ」(同352頁)。この「悟性」の問題とは、言うなれば先に論じた「理」と同質な問題であって、これをどれだけ推し進めようとも困難を解く道が開かれることはないのである。
では、物質をどのように捉えたならば、精神の理解に通じる道は開かれるのか。その問いの出発点として、ベルクソンが不可欠とした概念こそが「イマージュ」であり、常識から出発せよ、と彼は言う。あなたが眼を閉じたなら、あなたの知覚が消えると同時に物質も消え去ってしまうのだと、そうした観念論の過激な主張を、私達の常識は受け入れたりはしていない。また、哲学に関わり合いのない人に向かって、実在論者がそう考えるように、物質はあなたの知覚経験とは一切関係のないものとして存在しているのだと説いたなら、彼はその主張を疑うだろう。常識に生きる人は、物質というものを、見たり、触れたり、感じたりと、自身が見て取る姿のままに存在していると、素朴に考えているはずである。次の引用は『物質と記憶』の序文でイマージュについて説かれた箇所であるが、ベルクソンの言うイマージュとは、常識が見て取っている物質のことに他ならない。
「常識にとっては、ものはそれ自体で存在しているものであり、しかも他方、われわれが見て取るがままにそれ自体、色彩豊かなものでもある。これはイマージュだが、それ自体で存在しているイマージュなのだ。……本書の第一章における「イマージュ」という語は、まさに以上のような意味で用いられる。われわれは、哲学者たちの論争をいっさい知らないような人の観点に立つ。そのような人は、ごく自然に、物質は自分が見て取る姿のままに実在している、と考えているだろう。そして、彼は物質をイマージュとして知覚しているのだから、物質とはそれ自身、イマージュなのだと考えるはずである。観念論や実在論は、物質についてその存在と現れを分離してきたわけだが、要するに、われわれはこの分離以前において物質を考察するのだ」(同「第七版の序」、10-11頁)
また、附言しておくと、「宣長は、一切の言挙を捨てて、直ちに『古事記』という『物』に推参し、これに化するという道を行った」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集、34頁)というように、『本居宣長』で小林先生が「物」という言葉を使うとき、ベルクソンの「物質とは『イマージュ』の総体のことだ」(「第七版の序」10頁)という、そうした意味での「物質」の理解が念頭にあったことは、疑いようのないことのように思われる。
このイマージュから出発して、『物質と記憶』においてベルクソンは、私達の精神の働き方を、日常生活における何気ない経験や、失語症などの臨床的事実に照らし合わせながら、記述していく。悟性による惰性を投げ棄てたベルクソンの哲学は、現実の複雑さの要請から難解なものとなるが、彼の思索を辿る上で、その導きとなる目印として二つ原理を手放さないでほしいとベルクソンは読者に呼びかける(注2)。第一の原理は、私達の精神の諸機能が、生きるという根源的な要求に根差していること、『物質と記憶』の表現に従えば、本質的に「行為」に向けられているということ、精神のいかなる分析もそのことを目印として進められるべきである、とベルクソンは言う。第二の原理は、先にも論じてきた「理」の問題に関わるものであり、私達が「行為」のために身に着けた習慣は思考の領域に逆流して、そこに偽りの問題を拵えてしまう、そうした傾向があることに注意しなくてはならない、というものである。例えば、知覚の働きにしても、観念論も実在論も「知覚にはいつもまったく思弁的な目的を割り当てて、知覚が目指すのは何か分からない利害関心なき認識だということにしたがる」(同92頁)のだが、第一の原理を基にすれば、純粋な「知覚」とは、物質というイマージュから身体が行為の要請に従い切り出す「ある特定のイマージュ、つまり私の身体の可能的行為に関係づけられたもののこと」(同28頁)であると、ベルクソンは第一章で説く。第二章以降も同様の原理に基づき、記憶の問題を扱いながら、精神の働き方が明らかにされていく。その詳細をここで要約することは叶わない。
しかし、彼の哲学の歩みを次のように要約することは可能だろう。ベルクソンは、悟性の習慣的な働きを警戒しながら、常識が見て取っているイマージュを追い、精神の働きを見極めた。生命に対する、ベルクソンが「精神による精神の直接的な視覚」と評する「直観」をもって(注3)。「ベルクソンが行った哲学の革新」とはそのことであり、これと同質な歩みを、「あるがままの人の『情』の働き」を極めれば足りるとした宣長の仕事に感じると、小林先生は言うのである。また、私は思うのだが、小林先生の『本居宣長』という仕事は、ベルクソンによって見極められた精神の働きが、人間の生涯で如何に展開されているのか、これを宣長という個性に即して明らめるという、そうした意味合いがあったのではないか。「かたち」という言葉の扱われ方を見ていても、小林先生の批評におけるベルクソンの哲学の活かし方、その位置づけについては、相当に意識的なものがあったように感じられる。そうでなければ、解釈というものをあれほど嫌った小林先生が、宣長とベルクソンに本質的な類似を見ようはずがないだろう。
注1:ベルクソンがイマージュと呼ぶ、常識人が見て取っている物質には、色彩や手触りなどがある。ガリレオは、この経験的与件としての物質から感覚的性質を剥ぎ取り、物体の大きさ、ないしその距離の変化のみを扱うことで、「落体の法則」といった私達が初等教育で習う物理学への第一歩を踏み出した。ちなみに、「熱さ」という経験を捨象して、これを透明なガラスに封入した液体の膨張、すなわち「幾何学的延長」として計測する温度計を最初に考案した人もガリレオである。ここで言われている「延長」については、物理学が扱う、物差で計測可能な物質がもつ性質をイメージしてもらえればよい。デカルトは、この「延長」を物質の本質的性質であると見なし、「デカルト座標系」を考案して延長としての物質の運動を代数的に扱う道を踏み固めた。こうした物質の科学の歩みをベルクソンは否定しないが、同じ方法を精神の理解に適用することの問題を説いている。
注2:「しかしながら、実在の錯綜そのものであるこうした錯綜の中でも、二つの原理を手放さないでおけば、そうそう迷うことはないだろうし、実際、それらはわれわれ自身にとっても研究の導きの糸になったのである。第一の原理は、われわれの精神の諸機能は本質的に行為に向けられたもので、心理学的分析は常にそれらの実利的な性格を目印にしながら進むべきだ、というものだ。第二の原理は、行為する中で身についてしまった習慣は思弁の領域にまで逆流し、そこにまがいものの問題を作ってしまうということ、そして形而上学はまず最初にこの種の人為的な曖昧さを一掃しなければならないという、このことである」(ベルクソン「物質と記憶」、杉山直樹訳、講談社学術文庫、19頁)
注3:「したがって、私の語る直観は何よりもまず内的な持続へ向かう。直観がとらえるのは並置ではなく継起であり、内からの生長であり、絶え間なく伸びて現在から未来へ食い入る過去である。直観とは精神による精神の直接的な視覚である。そこにはもはや何ものも介在しない。空間を一面とし言語を他面とするプリズムを通した屈折も起こらない。状態が状態に隣り合い、それが言葉となって並置される代わりに、そこには分割できず、したがって実体的で、内的生命の流れの連続性がある。それゆえ直観とはまず何より意識を意味するのだが、しかしそれは直接的な意識であり、対象とほとんど区別のつかない視覚であり、接触というより合一する認識である」(ベルクソン「思考と動き」、原章二訳、平凡社、44-45頁)
(了)