『本居宣長』の<時間論>へⅥ―「物語」と「道」と「歌」

石川 則夫

1 精神の古層

 

令和4年という年の夏も漸く過ぎて行ったが、今夏もまた、と繰り返すのも躊躇されるほどの異常気象であった。梅雨という季節が極端に短かったという話が広まったと思う頃、否、実は異様に長かったのだと、盛夏に至ろうとする間の長雨をも梅雨の延長上とする話が気象予報関連の人々から流れて来てもいた。そして、この秋の実りも心配されつつ、今年の秋刀魚は異様に小さいと首をかしげる鮮魚店の噂話も事実となって現れているこの頃である。以前、いささか言及しておいた「真暦」を生きていた遥か昔の人々ならば、この変動止む方のない季節の動きをどう捉えたろうか。そして、どのような言葉として受け止めていたろうか。

また一方で、今夏を長く記憶に留める出来事があった。ある特定の宗教団体と政治、特に我が国の政治の中心にいた為政者たちとの関わりについて、その契機となった7月初頭の事件があまりにも衝撃的なものだったこともあり、政治と宗教の関係についてかつてないほどの論議がなされ、これは現在も進行中である。マスコミ各社の報道に流される、その宗教団体への入会と脱会にまつわる家族や個々人の訴えは目を覆うばかりの被害を伝えているが、本来ならば人間の生の導きとなるべき信仰という精神内面の志が、宗教団体というかたちで社会内に構造化された時、場合によっては信徒の家族そのものの崩壊さえも起こしかねないという皮肉なありようは、実を言えば、我々の誰もが身近に知っているし、おそらくほとんどの人々がどこかで多少とも経験していることではなかろうか。また、それ故にこそ、この論議は今後も止めどなく続けられて終息をみることはあるまいと思われる。「政」という漢字が、日本語で「まつりごと」と訓まれる限りは、近代の意識において祭政一致がまことしやかに分離分割されたとしても、人々の生の営みにおいては、この祭事と政治の奇妙な融合が精神の深部に潜在的に息づいているのであろう。それにしても、信仰の証の高低を測るかのように高額な寄進を促す行為が再び批判の核心に据えられて来ているが、そこへ誘われる契機として、「先祖の障り」ということを持ち出すあたり、墓じまいなどということが巷で流布されている現代にあっても、我々の精神の古層にはまだまだ先祖を敬慕する心が根強く残存していることの証しなのであろうか。そうしたところ、まさしく急所を突かれたという想いが禁じ得ないのである。たとえば、柳田国男がこの現状を見たらどう言うだろうか。

そこで、政治と宗教の論議をもう一度繰り返すと、この言い争いには、信仰という本来的に個人の深層に潜んでいる精神の志向性と、善悪正邪という共有知とその普遍性を要請する価値判断という決して交わることのない二つの領域がせめぎ合っているのである。これを簡潔に言い換えるならば、「信ずることと知ること」の問題ということになる。すなわち、このことは、小林秀雄が生涯をかけて追究した問題であり、書かれた文章、作品の深層に渦巻いている問いの姿であり、逆に言えば、この問いの姿を象った言葉の総体が、数々の作品となって現れていると捉えるべきであろう。もちろん、『本居宣長』という大著にもそうしたヴィジョンが透けて見えるはずであり、この手がかりを掴んで離さないということが、この著作を読解する上で、私が自らに課して来た努力のすべてと言えるのかも知れない。

さて、前稿では「物語」というものが如何なる語りの姿を現す言語行為であるのかについて、折口信夫『死者の書』を手がかりに考察を試みたが、そこでは、「当麻たぎまノ語部のうば」が「藤原南家の郎女いらつめ」へ向かって、彼女の潜在意識に働きかけようとする「昔語り」の語り方に、遙かなる過去におけるそこと、現在のここというかけ離れた時空を無化するように機能する「旋回する文体」が現れることについて詳述した。本稿では、こうした「物語」なるものの文化的な有り様にもう少々肉付けをしておきたい。そして、これもまた「精神の古層」に関わる独特な表情を持つものであることを考えてみたい。

 

二 「蛍」の巻再見

 

長雨例の年よりもいたくして、晴るる方なくつれづれなれば、御方々絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方は、さようのこともよしありてしなしたまひて、姫君の御方に奉りたまふ。西の対には、ましてめづらしくおぼえたまふことの筋なれば、明け暮れ書き読み、営みおはす。つきなからぬ若人あまたあり。さまざまにめづらかなる人の上などを、まことにやいつはりにや、言ひ集めたる中にも、わがありさまのやうなるはなかりけりと見たまふ。住吉の姫君のさし当たりけむをりはさるものにて、今の世のおぼえもなほ心ことなめるに、主計頭がほとほとしかりけむなどぞ、かの監がゆゆしさを思しなずらへたまふ。

 

『源氏物語』第二十五帖「蛍」の巻、本居宣長がもっともこだわった物語論が展開される箇所の始まりである。ことの起こりは、例年にない長雨、つまり梅雨の季節が長引いている時、天気も心も晴れぬまま退屈な時間だけが流れていく屋敷の部屋の中から始まる。「西の対」に住む姫、玉鬘にあっては、見たこともない「絵物語」の数々にすっかり夢中になっているというところで、それらに描かれている登場人物たちは、本当か嘘か見当がつかないほどの特異な人生を送っているのだが、やはり自分のような数奇な運命を生きた人はいないのだと玉鬘は思っている。つまり、絵物語に展開されている人々の有様をいろいろ読みながら、自分のことと比較対照して、「わがありさまのやうなるはなかりけり」と嘆息しているわけである。そして、このことを本居宣長は「紫文要領」(1763年)において、『源氏物語』から「昔物語」、「むかし物語」の使用例を確認した上で、次のように説く。(なお、「紫文要領」本文の表記は大変読みにくいので、漢字、仮名遣いは現代表記へ整えている。)

 

大方、物語という物の心ばえ、かくのごとし、ただ世にあるさまざまの事を書けるものにて、それを見る人の心も、右に引けるごとく、むかしの事を今の事に引き当てなぞらえて、昔の事の物の哀れをも思い知り、又、己が身の上をも昔に比べ見て、今の物の哀れも知り、憂さをも慰め、心をも晴らすなり。さて、右のごとく、巻々に古物語を見る人の心ばえを書けるは、すなわち今又、源氏物語を見る人もその心ばえなるべき事を、古物語の上にて知らせたるものなり。右のように古物語を見て、今に昔をなぞらえ、昔に今をなぞらえて読み習えば、世の有様、人の心ばえを知りて、物の哀れを知るなり。とかく物語を見るは、物の哀れを知るという事第一なり、物の哀れを知る事は、物の心を知るより出て、物の心を知るは、世の有様を知り、人の情けの様をよく知るより出るなり。されば源氏の物語も右の古物語の類にして、儒仏百家の人の書の類にあらざれば、由なき異国の文によりて、論ずべきにあらず、ただ古物語をもてことわるべし。(「紫文要領」巻上)

 

ここを注意深く読み解くと、「物語」という語の意味するところは、「儒仏百家の人の書の類」とは本質的にジャンルを異にしたモノであり、後世の読者に未知のことを教え諭すというような学びの対象物、たとえば、『論語』、『孟子』や諸子百家の思想書などとして存在しているモノではなく、かつての有意義な情報を格納してある倉庫のような働きをするモノでもない。「物語」の本質は、玉鬘の姫君が、夢中になった絵物語のどこにも自分のように生きた登場人物が見当たらないと嘆き、わずかに「住吉物語」の姫君の経歴が我が身のそれと引き比べられると見ているところに、実は垣間見えると言うのである。つまり、「蛍」の巻の先の引用の後半部には、「住吉物語」中で、継母からの辛い仕打ちに耐えている姫君が、七十余歳となる主計頭かぞえのかみに盗まれそうになる場面が描かれており、その危機一髪の状況を読んだ時、それはそのまま玉鬘の姫君自身が、かつて肥後の豪族で野卑極まりない「かの監」、つまり、「玉鬘」の巻に登場した「大夫監たいふのげん」に危うく結婚させられそうになって逃げ出したという経験を重ね合わせるところ、そこに宣長は「住吉物語を読みて、我が身の上に有りし事を、思いあたるなり」と注目しているのである。つまり、玉鬘にとって、今は、光源氏によって六条院の西の対に庇護されている自分自身の、それまでの経験を顧みるということころに注目せよと言う。そこにこそ「物語」というモノの働き、逆に言えば、「物語」に記された他の人々の生き、経験している多様な有り様が、読んでいる自分自身の現在の経験の質と意味とを照らし出し、そこに自らの姿を発見していくプロセス、そうした一連の行為全体を「物語」と呼んでいるのである。どうやら、宣長がここで取り上げる「物語」とは、読む対象としての書物のことではないといった趣きがあるようなのだ。そして、「物語」の中の他者の経験を知り、それが自分の経験の自覚に結びつくとき、「世の有さま、人の心ばえを知りて、物の哀れを知るなり」という「心」という実在の先験的な動きを把握出来るというのである。

したがって、上記のことを思い切って簡潔に言うなら、「物語」を読むとは、己を読むということ、我が身の有り様を知ることだということになる。

これを「紫文要領」から33年後に成った「源氏物語玉の小櫛」のより分かりやすい評釈で確認してみよう。(漢字以外は原文のまま)

 

大かた物語をよみたる心ばへ、かくのごとし、昔の事を、今のわが身にひきあて、なすらへて、昔の人の物のあはれをも、思ひやり、おのが身のうへをむかしにくらべみて、もののあはれをしり、うきをも思ひなぐさむるわざ也、かくて右のごとく、巻々に、古物語をよみたる人のこころばへを書るやう、すなはち今源氏物語をよまむ人の心ばへも、かくのごとくなるべきこと、しるべし、よのつねの儒仏などの書を、よみたらむ心ばへとは、いたくことなるものぞかし。 (「源氏物語玉の小櫛一の巻」)

 

一読して明らかなように、33年の月日を閲しても、表記の細部の整理はおいて、この文章の主旨に変化したところはまったく認められない。ただし、念のための補足を少々すれば、「物語」はすべて「昔物語」、「古物語」とも書かれているのだが、上記のように、「昔の事」を尊重の対象として学び、それを現在に活かすという読み方を意味するのではない。そういう意味では、「物語」はいわゆる歴史書ではまったくないのである。『源氏物語』の中の人々が作中で「昔物語」を読むことによって、今の自分を認識しているように、その読み方で、今の読者も『源氏物語』を読まなければならないと言う。そして、そうした読書行為において、初めて、「大かた人のこころのありよう」が彷彿として来る。書かれた心理を読み取ることは、そのまま自らの心理を発見することであり、その認識と発見の行為論的な見定めとして「物語」という特権的な経験があるということなのだ。

さて、小林秀雄の『本居宣長』では、この間の事情をどのように記述していたか。

 

三 「物語」をいかに語るか

 

『本居宣長』十三回の後半から十八回にかけて、この「蛍」の巻の物語論への言及は始まっている。そこで特筆すべきなのは、先に記した「物語」を読む行為の具体相への考察、つまり、この経験の自照性、もしくは自証性とでもいうべき機能よりも、その結果、結論としての「もののあはれを知る」というヴィジョンの特権性と、なぜそれが可能になるのかという問題の方に、より焦点が当てられていることであろう。さらに、後者を解く鍵が、「物語」の文体、言語表現の本質を巡る考察に展開していくことは十六、十七回に詳述されている通りである。

 

式部は、われ知らず、国ぶりの物語の伝統を遡り、物語の生命を、その源泉で飲んでいる。

物語は、どういう風に誕生したか。「まこと」としてか「そらごと」としてか。愚問であろう。式部はただ、宣長が「物のあはれ」という言葉の姿を熟視したように、「物語る」という言葉を見詰めていただけであろう。「かたる」とは「かたらふ」事だ。相手と話し合う事だ。「かた」は「言」であろうし、「かたる」と「かたらふ」とどちらの言葉を人間は先きに発明したか、誰も知りはしないのである。世にない事、あり得ない事を物語る興味など、誰に持てただろう。そんなものに耳を傾ける聞き手が何処に居ただろう。物語が、語る人と聞く人との間の真面目な信頼の情の上に成立つものでなければ、物語は生れもしなかったし、伝承もされなかったろう。語る人と聞く人とが、互に想像力を傾け合い、世にある事柄の意味合や価値を、言葉によって協力し創作する、これが神々の物語以来変わらぬ、言わば物語の魂であり、式部は、新しい物語を作ろうとして、この中に立った。これを信ずれば足りるという立場から、周囲を眺め、「日本紀などは、たゞ、かたそばぞかし」と言ったのである。(十六回)

 

「物語」とは言うまでもなく「そらごと」によって作られている。すなわち虚構=フィクションであることは分かりきっている。しかし、人々は「世にない事、あり得ない事を物語る興味」など頭からないし、聞いてみる気もないのである。しかし、光源氏が玉鬘へ語りかけるように、「物語」に書かれていることについては、「はかなしごとと知りながら、いたづらに心動」かされてしまうことが起きる。うっかり真実と思い込みそうになる際に、これは「そらごと」であったと思い返す。騙されたと分かった上でも、現実に心を動かされた事実は動かない。では、この事態をどう処理するか、それは「そらごとをよくし慣れたる口つきよりぞ言ひ出すらむ」と反省するしかない。嘘をつくのが上手な者のまことしやかな口ぶりによって、うっかり騙されてしまうというわけだ。つまり問題は、言語表現の指し示す内容、出来事が「まこと」なのか「そらごと」なのかではなく、反省すれば「そらごと」なのに、まるで「まこと」のように読み手に思わせてしまう言語表現の方法に関わる問題へと考え方を変更しなければならないのだ。ということは、言語表現自体の持つリアリティ、説得力の強弱という問題にならざるを得ない。そうすると、要は「よくし慣れたる口つき」から表現された文体の力へ思い至ることになる。そして、このことは『本居宣長』十五回の半ばにおいて、次のように正確に扱われている。

 

彼(=本居宣長・稿者注)は、啓示されたがままに、これに逆らわず、極めて自然に考えたのである。即ち、「物語」を「そらごと」と断ずる、不毛な考え方を、遅疑なく捨てて、「人のココロのあるやう」が、直かに心眼に映じて来る道が、所謂「そら言」によって、現に開かれているとは何故か、という、豊かな考え方を取り上げた。取り上げれば、当然、物語には「そら言にして、そら言にあらず」とでも言うべき性質がある事、更に進んで、物語の本質は、表現の「めでたさ」を「まこと」と呼んで、少しも差支えないところにある事を、率直に認めざるを得なかったのである。(十五回)

 

書いてある内容が「そらごと」、虚構であることを前提としながら、それを表現する言葉遣いの「めでたさ」を要件として「人の情」の真相への想像力が展開されると説くわけである。

そこで再び『源氏物語』「蛍」の巻の本文へ眼を向けると、光源氏の会話中には、物語行為へと人が誘われてしまうこと、物語ることへの欲求が発動する契機について次のように書かれていた。

 

その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節ぶしを、心に籠めがたくて、言ひおきはじめたるなり。

 

これを「源氏物語玉の小櫛一の巻」の評釈で確認してみよう。

 

見るにもあかず、聞くにもあまるとは、見る事聞く事の、そのままに心にこめては、過しがたく思はるるをいふ、すべて世にあらゆる、見る物きく物ふるる事の、さまざまにつけて、うれしとも、おかしとも、あやしとも、をかしとも、おそろしとも、うれたしとも、うしとも、かなしとも、ふかく感ぜられて、いみじと思ふ事は、心のうちにこめてのみは、過しがたくて、かならず人にもかたり、又物にかきあらはしても、見せまほしくおもはるるものにて、然すれば、こよなく心のさはやぐを、それを聞見る人の、げにと感ずれば、いよいよさはやぐわざなり

 

本居宣長はこの引用文の後、『源氏物語』中に現れている登場人物たちの物語衝動とでも呼ぶべき表現箇所をいくつか挙げて行き、さらにこのことを敷衍して行く。

 

さて此の、何事にまれいみしと思ふことの、心にこめて過しがたきすぢは、今の世の、何の深き心もなき、大かたの人にても、同じことにて、たとへば世にめづらしくあやしき事などを、見聞たる時は、わが身にかからぬ事にてだに、心のうちに、あやしきことかな、めづらしき事かなと、思ひてのみはやみがたくて、かならずはやく人にかたりきかせまほしく思ふもの也、さるはかたりきかせたりとて、我にも人にも、何のやくもなけれども、さすれば、おのづから心のはるるは、人の情のおのづからの事にて、歌といふ物のよまるるもこれ也

 

この二つの引用文の間は『源氏物語』の用例を引いた十行ほどが挟まれているだけであるが、この後の文章が前の文章をそのまま反復しているわけではないのは、一目瞭然であって、もちろんその主旨の核心部には、「もののあはれ」を深く感ずるところから極めて自然に湧き起こってくる「かたり」への欲求という物語衝動が押さえられている。すなわち、ある感覚の発露から出発して、これが臨界に達した時、飽和状態の感覚が語るべき言葉の数々として発生し、「物語」として整序されるというプロセスは同一であることを示している。

しかし、最も注目すべきなのは、横溢した感覚が自発的に言葉へと変化していくという時の、その言葉という概念は、含意として聞き手の存在を既に想定しているということなのである。持って回った言い方になるが、「言葉」、「言語」という用語には、叫びとか絶叫という行為とは本質的に異なる意味があり、ある発せられた音声が「言葉」であるとは、聞き手の了解が得られる有意味な音声であることが前提になっているはずなのである。だから、「かたり」という用語も、その単語としての意味の中には、一人ではない複数の人々、ある人間の「かたり」を聞いている他の人間、「聞き手」がいること、つまり言語的コミュニケーションの存在を暗に含んでいるのである。逆に言えば、聞き手、読み手があってこそ、その音声は「言葉」であり、その白い紙片に記しづけられた黒線は、「文字」としてあることが可能になる。妙な例だが、縄文土器に現れたデザインは、今の我々には文字通り縄で記された紋様としか見て取れないが、これが「言葉」として、言語的コミュニケーションのプロセスにおいて確認出来る時が、将来、来ないとも限らないのである。また、このことは初めて学ぶ外国語の文字(特にアルファベット文字ではないもの)を読むことを想い起こせばよいだけのことかもしれない。

さて、問題を元に戻して「源氏物語玉の小櫛一の巻」の引用文の考察を続けると、まず前文に加筆されている箇所が一つ、そして、前文をさらに言い換えた箇所が一つあることが分かる。引用した後文の一行目から二行目に「今の世の、何の深き心もなき、大かたの人にても、同じことにて」とあり、これは「もののあはれ」の発動が、『源氏物語』の本文から解釈できるだけのことではなく、現代に生きている特に趣味もなく、和歌などに通じてもいない人々であってもあてはまる、人性上の普遍的なことであると言う。そして、言い換えている箇所を見ると、前文では「それを聞見る人の、げにと感ずれば、いよいよさはやぐわざなり」という箇所が、後文では「歌といふ物のよまるるもこれ也」となっているのである。

先に「かたり」、「言葉」、「言語」という用語についての回りくどい説明を繰り返したのは、この箇所を問題化しようという意図からであったが、『源氏物語』本文の精読から読み取れること、すなわち、登場人物たちにおける「物語」、「昔物語」を読む行為の意味を確認することと、それが『源氏物語』を今、読んでいる者の読み方を指定し、それに従いさえすれば登場人物たちと同様な経験を反復するはずだということ、それを踏まえて「源氏物語玉の小櫛」の引用文の後文にあっては、「大かた人にても、同じこと」というように、人間心理の一般的な機能分析へと一気に普遍化してみせる文言が展開されているのであって、これは本稿の二において詳述しておいたこと、本居宣長が「物語」という用語について思い描いていた特殊な意味あいを再認識させるに足ることと言えよう。つまり、ここでも本居宣長は『源氏物語』から非常に抽象度を高めた人間心理の原理論を抽出しているのであり、これはもう古典文学の一作品として存在する『源氏物語』という文学作品の解釈を超えており、読む者の視線の向こう側に対象としてある書物の中に客観的に指示可能な意味ではないだろう。小林秀雄『本居宣長』の十三から十八回、そしてまた二十四回などで言葉の限りを尽くし、執拗に記されていることは、こうした宣長自身の、我が身に引きつけた深読みなのである。しかし、その読み方とは、たとえば「紫文要領」や「源氏物語玉の小櫛」において述べられている通り、『源氏物語』の中の人々の生き方を、現在の我が身に照らして読むことに他ならなかったはずである。だから、本居宣長自身の深読みとは、彼自身の『源氏物語』の読書行為において、初めて我が身の複雑さに出会っただけのこと、とも言えるのだ。

さて、肝心のもう一つの言い換え箇所を見てみよう。しかし、これも先に述べた通りで、自分のいっぱいになった感覚からこぼれ出た「かたり」が他人に聞き取られると「こよなく心のさはやぐ」ことになるのだが、聞く人が「げにと感ず」れば感ずるほど、それだけ語った者の心は「いよいよさはやぐわざなり」となる。当たり前のことだが、自分の話を聞いて、全幅の信頼を寄せつつ感動してくれる聞き手がいれば、語り手の心は、ますますいっそう晴れやかになるわけである。では、聞き手が「げに」と本心から感動してくれるには、どうすれば良いか。『本居宣長』第十五回をもう一度振り返ろう。

 

物語の本質は、表現の「めでたさ」を「まこと」と呼んで、少しも差支えないところにある

 

横溢して止まない感覚の増大から、「かたり」が誕生するところにあって、その語り方を工夫すること。そして得られた「めでたさ」は、やがて「まこと」として聞き手、読み手に作用し、リアリティの強度として受け止められていくのである。そして、この言語表現の「めでたさ」を求めて行くまでの流れ、その全体を俯瞰すれば、引用後文の「歌といふ物のよまるるもこれ也」という結論に達するのは必然と言わなければならない。

ということで、これまでの考察は、次に引く『源氏物語』蛍の巻の光源氏の会話、玉鬘の姫君に向かってもっとも深く、長く説いて聞かせるところの最終部に着地する。

 

仏の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便といふことありて、悟りなき者は、ここかしこ違ふ疑ひをおきつべくなん、方等経の中に多かれど、言ひもてゆけば、一つ旨にあたりて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人のよきあしきばかりの事は変りける(*)。よく言へば、すべて何ごとも空しからずなるぬや

 

話題は、物語中に描かれる善人、悪人などの人物造型の差異について、それほど重大なことではないとしているところで終わろうとしているようだが、その最後の箇所である。描くことがら、対象が善であれ、悪であれ、何であれ、「よく言へば」という条件を乗り越えさえすれば、「物語」に書かれた事柄すべては、空しい「そらごと」ではなくなるという。この「よく言へば」とは、その表現に「めでたさ」が備わっていれば、という条件なのである。すなわち、現代語訳を試みるなら、<上手に表現すれば>とすべきところなのである。この場合の<上手に>とは、「めでたさ」という深々とした印象が匂い立つような美を意味することは言うまでもない。すなわち、<文学として>と拡張しても良いはずなのだ。

 

四 道のことと歌のこと

 

我々の普段の生活が本質的に言語生活そのものを意味しており、その際の「言語」とは何を意味するかについては、これまで記述して来たところで大体のイメージは描けたかと思う。この世に生まれ出るとは、日本語の中に、あるいは日本語で語り、聞かれる「物語」のただ中に産み落とされるということで、身の周りからとめどなく放射される身体的な刺戟に、身体的な反応を繰り返しつつ、いわば非言語的なコミュニケーションが蓄積されていく、そこに自らへ働きかける行為と共に聴覚を襲う音声を言語として認識するようになり、遂には日常的な会話に習熟していく。そしてある時、こうした言語的経験の延長線上に「物語」なるお話の世界が与えられ、これを読む楽しみに浸ることを覚える。そのように、幼児における言語習得のプロセスを考えることは極めて自然なことのように思われるところである。しかし、本当にそうだろうか。

人間は、言語なる有用な道具を手にしてから後にお話の世界を獲得していくのだろうか。自らの記憶が遡れる限りの昔、いや親の記憶に寄らなければ思い出せもしない時において、ほとんど身体的な欲求の世界に生きていた赤児が、泣き声を上げる度に何かが与えられたり、触覚に関わる温感が訪れたりする、そうした体感がすべてのような時にあっても、親がそれと認めた身体的な要求とそれへの反応として行われた様々な作業、「おまえは泣いているばかりだった」と回想される時間とは、既に身体を介したお話の時間ではなかったか。母親はしっかりと赤児の発する「物語」を聞き取り、赤児もまたその「物語」を体得していったはずである。そうして、この「物語」とは、明瞭な始点と終点を示すことはなく、一定の時間内で同じ長さを以て反復されるものではない。むしろ、一定の長さの同じ事を切断して反復することで、いつでも使用可能な記号として「言語」を約束事の中に共有化は出来たのである。

しかし、こうした硬い記号としての「言語」も、いつしか元の「物語」という流動体へ、本質的な動態へ帰ろうとする兆しを帯びて動いているはずなのだ。それならば、「言語」という概念は、日常的なコミュニケーションの回路、話し、聞く、書き、読むという回路の中に硬く閉鎖させて考えられるものではなく、その言語活動の総体の動きとして、「言語場」を包み込んだ動きとしての「物語」の中に置き直して考えるべきなのではないか。すなわち、「物語」とは、人間の生きていく有り様を紡ぎ出す文化装置としての大きな潮流をなしており、ここからある視点の下、特定の時空を始めと終わりのある出来事として切り出すことで、そのたび毎に記号として扱われる言語(日常言語)を確定させつつ、視点の変化(社会・環境の変化)につれてその時々の構造を更新していくという仕組み、そうした動き全体をいうことになろう。「紫文要領」で言う「昔物語」の読み方とは、そうすることによって読み手がこの潮流に参加する、あるいは戻って行こうとする機縁を述べていたことになる。さらに、こうした行為論上のプロセスは、「人の道」と言い換えてもいいはずなのだ。

さて、本稿の結論として、これまで考察して来たところをいっそう「」表現し切った小林秀雄『本居宣長』の第二十四回を確かめて終えようと思う。

 

私達は、話をするのが、特にむだ話をするのが好きなのである。言語という便利な道具を、有効に生活する為に、どう使うかは後の事で、先ず何を措いても、生の現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印しはなかろうし、その有用無用を問うよりも、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又根本的な人生経験であろう。……(略)……

ところで、この人生という主題は、一番普通には、どういう具合に語られるのか。特に何かの目的があって語られるのではなく、宣長に言わせれば、ただ「心にこめがたい」という理由で、人生が語られると、「大かた人の情のあるやう」が見えて来る、そういう具合に語られると言うのである。人生が生きられ、味わわれる私達の経験の世界が、即ち在るがままの人生として語られる物語の世界でもあるのだ。……(略)……

「物のあはれ」は、この世に生きる経験の、本来の「ありよう」のうちに現れると言う事になりはしないか。宣長は、この有るがままの世界を深く信じた。この「マコト」の、「自然の」「おのづからなる」などといろいろに呼ばれている「事」の世界は、又「コト」の世界でもあったのである。

 

この「コト」の世界というものが、また、「歌が出て来る本の世界」(同二十四回)であることは、先に記した通りである。してみれば、「道」の有り様が「歌」を引き出して来るのは「おのづからなる」ことなのである。

(つづく)

 

注……本稿に引用した「紫文要領」、「源氏物語玉の小櫛」の本文は、『本居宣長全集』第四巻(昭和四十四年十月十日 筑摩書房刊)にすべて寄っている。また本稿中にも補足したように、「紫文要領」本文については、宣長自身の修正、訂正文が随所に書かれており、確定した本文は未定のまま活字化されているので、本稿では内容は変更しないよう留意しつつ、漢字の表記や仮名遣いを現行の形に改めてあることを再度お断りしておく。

また、本稿中に引用した『源氏物語』蛍の巻は、所謂「青表紙本」の本文に基づいているが、『新日本古典文学全集』(小学館刊)を参照して、漢字表記を分かりやすい現行の形に適宜整えてある。

また、光源氏の会話文として引用した(*)を付した箇所、「菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人のよきあしきばかりの事は変りける」の「菩提と煩悩との隔たり」というこの二者は、常識的には、悟りと悩みの差異であり、その隔たりは大きいものであるが、ここでは「方等経」(=法華経などの大乗経典)が念頭にあり、大乗仏教中の用語としての「煩悩即菩提」を意味している。したがって、ここでは、一見すると大きな距離だが、実はほとんど表裏一体のものなのだという意味である。