編集後記

坂口 慶樹

おなじみの、荻野徹さんによる「巻頭劇場」は、「元気のいい娘」の甥っ子が驚いたように発した、(友だちの)「ユータにもバーバがいる」という言葉から始まる。今回の四人の談話のテーマは、まさに「言葉」である。宣長は言葉の転義に注目した。この談話も、まるで生き物のように広がり、深まっていく。ゆうたくんの心の世界も、今回の直知をきっかけに、大きく大きく成長を遂げていくことだろう。

 

 

「『本居宣長』自問自答」には、片岡久さん、冨部久さん、鈴木美紀さん、越尾淳さんが寄稿された。

片岡さんが注目したのは、「本居宣長」の冒頭で紹介されている、小林秀雄先生が折口信夫氏の自宅を訪れた別れ際、駅の改札越しに折口氏から投げかけられた「本居さんはね、やはり源氏ですよ」という言葉である。片岡さんには、さらなる自問が湧いた。その前段で「古事記伝」の読後感が言葉にならないことをもどかしく感じ、それを「殆ど無定形な動揺する感情」と表現した小林先生の真意とは……?

一方、冨部さんも、「本居宣長」の最後に小林先生が綴っている一文を踏まえ、片岡さんと同じ折口氏の言葉に着目した。冨部さんは、池田雅延塾頭から、「本居宣長」や「モオツァルト」など、小林先生の作品の冒頭近くにおかれる身近なエピソードは、「結論です」と聞いて驚いた。しかしそれは、ただの結論ではなかった。先生の全集を紐解くことで、新たに見えてきたものがあった。

鈴木さんは、従来から「神世七代」が一幅の絵と見える宣長の眼が気になっていた。今年に入り、大切な学びの友の急逝に接し、在原業平の歌を思い出した。その歌を、繰り返し、繰り返し眺めてみた。近くには、契沖の「大明眼」があった。中江藤樹の眼には、「論語」の「郷党篇」が孔子の肖像画と映じていた。その心法が伊藤仁斎の学問の根幹をなしていた。そして、私たち塾生が「本居宣長」を十二年半かけて読んでいる意味が、鈴木さんの眼に映じてきた。

越尾さんは、「源氏物語」の「蛍の巻」において、光源氏と玉鬘との間で交わされる物語論に、宣長が紫式部の物語観を読み取ろうとしたことを小林先生が紹介されているくだりから、丁寧に本文を追っていく。越尾さんは、式部の豊かな読書経験から、物語には「まこと」と「そらごと」の単なる区別を超えた、固有の「まこと」があるということを彼女自身が体得していた、という。そこには、人がおのずと物語に惹かれてしまう本質があった。

 

 

村上哲さんは、宣長が門弟からの「人々の小手前にとりての安心はいかゞ」という疑問に答えた「小手前の安心と申すは無きことに候」という言葉に注目している。そこから思いを馳せたのは、子を思う親のまごころだ。そこに「安心」はあるのか? 村上さんが向き合ったものは、その宣長の言葉そのものというよりも、むしろその言葉の姿、その答えを返した宣長の姿ではなかったか?

 

 

石川則夫さんによる「特別寄稿」のテーマは、前号に続き「物語」についてである。わけても今号では「その人間生活全般への拡張を見通せれば……」とのことである。そこには、「宣長が『物語』という用語について思い描いていた特殊な意味あい」があり、「宣長は『源氏物語』から非常に抽象度を高めた人間心理の原理論を抽出している」という。ぜひ「本居宣長」を手許において、じっくりと味読いただきたい。

 

 

今号も、手前味噌ながら、収穫の秋にふさわしく実り多き号となった。改めて全稿を読み直してみると、ある言葉や人物に着目し、たっぷりと時間をかけ向き合い続けた結果として、そんな豊饒な実りが育まれたのではないかと思われてくる……

 

実り多き、と言えば、この場を借りて、もう一つの大きな実りを紹介したい。この「小林秀雄に学ぶ塾」(通称、山の上の家の塾、鎌倉塾)の姉妹塾、兄弟塾として、池田雅延塾頭が講師(語り部)を務める「私塾レコダl’ecoda」の新しいホームページ 『身交ふ(むかう)』が、九月末に公開された。

「私塾レコダl’ecoda」の今後の日程や申し込みの手続きはもちろん、過去の講義概要や、塾生同士の交流の場である「交差点」など、盛りだくさんなコーナーが設けられている。本誌『好・信・楽』で築き上げてきた雰囲気を共有する姉妹誌、兄弟誌という位置付けであり、気軽にお立ち寄りいただき、お手許でさまざまにご愛顧いただければ幸いである。

 

本塾では、「私塾レコダl’ecoda」とも緊密に連携を図りながら、「本居宣長」を読む営みを、さらに豊かな実りをねがいつつ、留まることなく続けていきたい。早くも本年最後の刊行を迎え、引続き読者諸賢のご指導とご鞭撻を心底よりお願いする。

 

 

杉本圭司さんの連載「小林秀雄の『ベエトオヴェン』」は、杉本さんの都合によりやむをえず休載します。ご愛読下さっている皆さんに対し、杉本さんとともに心からお詫びをし、改めて引き続きのご愛読をお願いします。

 

(了)