「楽屋落ち」

荻野 徹

いつもながら、『本居宣長』を片手におしゃべりする四人の男女。今日は、どうだろう。

 

凡庸な男(以下「男」) 年末年始の休みに、テレビを見ていると、お笑いの人たちが内輪話で笑いを取っているのが結構多くて、普段、テレビもYouTubeも見ないロートルには、ちょっと疎外感があったなあ。

元気のいい娘(以下「娘」) ロートル?

江戸紫が似合う女(以下「女」) お年寄りのこと。もう死語ね。そういう言葉遣い自体、語るに落ちというか。

男 はいはい。分かりました。どうせ、感覚の古いジジイでございます。でも、楽屋落ちばかりというのは、どうかなあ。

生意気な青年(以下「青年」) 僕らでも、ちょっと鼻につくことはありますよ。

女 楽屋落ちというのは、江戸時代に書かれた歌舞伎の台詞にもあったりするらしいわ。当時の役者さん同士の楽屋話。今の人は分からないけれど、当時の観客には通じていて、きっと受けていた。

男 もちろん、生真面目なお芝居のところどころに、笑わせる場面を挟むのはよくあることだけど、楽屋話が受けるのは、本来そういう話題は出てこないはずの舞台の上で禁を破ってしまうところに、ドキリとか、ニヤリとかさせる面白さがあるわけでしょう?

青年 舞台と楽屋は、本来峻別されている、ということですかね。

娘 じゃあさ、和歌の楽屋入りってのは、どうゆうこと?

青年 えっ?

娘 「才学に公の舞台を占められて、和歌は楽屋に引込んだ」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集302頁)ってあるじゃない。

男 ああ、それはね、「極端な唐風模倣という、平安遷都とともに始まった朝廷の積極的な政策が、和歌を、才学と呼ばれる秩序の外に、はじき出した」(同上299頁)、その結果、和歌は「私生活のうちに没入した」(同上302頁)ということだよ。

青年 大陸の先進文明を必死で取り入れていた時代だからね。律令制とか仏教による鎮護国家みたいな統治のあり方ばかりでなく、今でいうテクノロジーやハイカルチャーの全体が大陸から流れ込んできて、支配層、知識階級の人々は、それを漢文、つまり外国語文献で学び、さらに自分たちも漢文を使いこなすようになった。自分の気持ちを漢詩で表すこともできた。

娘 それでも、国語は生き残ったのでしょう。

男 歴史を紐解けば、征服王朝で、被支配階級に、かつての被征服民族の言葉が残っているとか、珍しくはない。

女 そういうのとは、ちょっと違うと思うわ。支配層自身の問題でもあったのでしょう。だからこそ、「和歌は楽屋に引込んだので、何処に逃げ出したわけではない」ということになるのだわ。

娘 ああそうか、楽屋といえども、劇場の不可欠の一部だものね。そこにとどまった。

青年 この話は、和歌に限らないと思う。大陸由来の文明の様々なパーツを、有用なものとして、賞味したいものとして、あるいは外国に伍していくため必要なものとして、そっくりそのまま受け入れていったよね。そうやって、先進文明にキャッチアップしていくんだけど、それは、人々の心の中にまで及ぶものではなかった。おおやけわたくしという言葉遣いをすれば、支配層を含む文明全体として、わたくしの世界には、古来の、日本語の世界が残ったんだね。

娘 どこかで聞いたね。

男 『本居宣長』第二十五章で出てきた大和魂についての話だね。

娘 というと?

男 『源氏物語(乙女の巻)』で源氏君が「なほざえを本としてこそ、大和魂の世に用ひらるゝかたも、強うはべらめ」と言う(同上278頁)。小林先生は「才が、学んで得た智識に関係するに対し、大和心の方は、これを働かす知慧に関係するといってよさそう」(同上279頁)と書かれているね。

青年 しかも、大和心とか大和魂の「当時の日常語としてのその意味合は、『から』に対する『やまと』によりも、技芸、智識に対して、これを働かす心ばえとか、人柄とかに、重点を置いていた言葉として見てよいように思われる」(同上281頁)と論じている。

女 外国語と日本語の対立というより、漢文に代表される外来文明は消化済みであることを前提とした上で、人々の内面における公式の知識体系と心情的、感情的なものとの軋轢やすれ違いから生まれた言葉のように思えるわ。

青 だから、表舞台は才学でも、楽屋に戻ればやまと心みたいな、使い分けというか、支えあいみたいなものになったんだね。

娘 で、楽屋に引込んだ和歌は、その後どうなったわけ? 「私生活のうちに没入し」、「日常生活に必須の物」として「生活の一部」となったと書かれてるけど(同上302頁)、どういうこと?

青年 さっき、出てきた源氏君の言葉。あれは、学問という土台があってこそ大和魂を世間で強く働かせることが出来るという趣旨で、直接には、学問つまり公式の才を推奨するものではあるけれど、決して、公式の才と大和魂に主従があるという意味ではないよね。少なくとも、世間を渡っていくため大和魂が必要不可欠の存在であるとはいえる。和歌もまた、人々の暮らしに必要不可欠のものであった。

女 そうね。「和歌の贈答がなければ、他人との附合を暖める事もかなわぬ、それどころではなく、恋愛も結婚も出来ない」(同上)ということは、日々の暮らしの中で、思いを巡らし、心を砕くべき事柄について、言葉にして表そうとすると、それは和歌であったということじゃなくて?

男 人間関係というのは、書物に書かれた規則や先例を当てはめれば事足りるというものではないからね。

青年『古今集』に収められた歌は、『万葉集』の直情的な歌風に比べ技巧的だから、生活から遊離していたなんて人もいるけど、むしろ逆なんだね。

女 和歌は、公式の場面では使われなくなったけれど、人々の人間関係の機微を調ととのえるすべとしては、存分に働いていた。まさに大和魂の発揮の場所だったのね。

男 時代の経過とともに、和歌の表現の技法も、おのずと洗練されていくだろうね。

青年 技巧の洗練が、ついには、「叙事でも、抒情でもない、反省と批評とから、歌が生まれている」(同上303頁)いうことになったのかな? 

女 単なる技巧の話ではないと思うわ。日常生活の、さらに人生行路の種々の局面で去来する思いは様々なものがあるけれど、それを表すものが和歌しかないとして、和歌にどれほどのことが盛り込めるか、いろんな試行錯誤があったんじゃないかしら。

男 事績や自然の有様を述べたてる叙事の歌や、喜怒哀楽の感情をくみ取り表す抒情の歌は、和歌の最も普通の姿かもしれないが、それだけでは物足りないということだよね。

娘 じゃあ、反省と批評って、どんなこと? 

女 それは難題で、直接には答えられないけれど、少し考えていることはあるの。

娘 どういうこと?

女 歌を詠もうとして、複雑で陰影に富む感情のひだのようなもの、喜怒哀楽といった感情の定型に収まりきらないもの、そういう歌にうまく盛り込めないものが出て来る。作歌の過程で、そういう微妙な何かに、思いをはせることがあるのではないかしら。

娘 微妙な何か?

女 たとえば悲しいことがあったとして、悲しみに打ちひしがれるだけではなくて、悲しんでいる自分を眺めるもう一人の自分がいるのを感じたり、自分の悲しさについて人々が経験し共有してきた悲しみの記憶と引き比べてみたりすることがあるかもしれない。

男 自分の内面を見つめ直すということかな。

女 ええ、でも内面のことだけではないわ。歌を詠むという行為は、あの微妙な何かを直截には表していないかもしれないけれど、読めばその何かを思い起こさせるような言葉の連なりを目指している、そんな気がするの。

青年 歌にどういう姿を与えるかが、作者の内面に跳ね返ってくるし、歌を読む側の心中にどんな波を立てるのかも、それによって変わってくるんだね。

娘 そうか。和歌がそんな風に「出直」し、「己れを掴み直」したというのも(同上303頁)、大和心の働きなんだね。

女 そうね。よく、「古今集」は「手弱女たわやめぶり」だなんていうことがあるけど、そこじゃないのよね。

娘 そこじゃないって?

女 『古今集』を読んでいけば、手弱女を連想させるような繊細可憐な歌を見つけられるかも知れない。その人の好みでね。でも、大事なのは、そこじゃない。

男 「やまと歌は、人の心を種として」という、『古今集仮名序』の話かな。

女 ええ、でも、それは別の機会にしましょう。

 

男はちょっと物足りなさそうだが、四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)