「小林秀雄に学ぶ塾」、通称「池田塾」には、歌会という課外活動がある。三十一文字の和歌を詠むのである。私たちが歌を詠む場は、メールでの投稿を参加者と共有するメーリングリストを利用したネット上の「メーリング歌会」と、三ヶ月に一度開かれる「山の上の家歌会」とから成り、綺羅星のごとく個性豊かな歌人たちが、歌を詠み、仲間の歌を味わい、楽しみつつ真剣に言葉と日々向き合っている。「山の上の家」とは、月に一度のペースで塾が開かれる小林秀雄先生の旧宅で、先生がここにお住いの頃からこの家は「山の上の家」と呼ばれていたという。
「万葉集」や「古今和歌集」のような和歌を詠むなど、教養人のする遊びだと多くの人は思うだろう。たしかに私たちも、四年前は誰ひとりとして、自分が和歌を詠むことになるとは、そして歌がこんなにも面白いものだとは、夢にも思っていなかった。
私自身、詠歌を始める前は、百人一首すら一首も覚えていなかった。池田塾頭に「詠みなさい」と言われなければ、歌を詠むことはなかったと思う。でも、振り返ると、「詠めるか詠めないか」ではなく「詠むか詠まないか」、それだけだった。そして詠み続けてきてよかった、と心の底から思っている。
歌会の起こりは、四年前に私が池田塾で発した質問にさかのぼる。
小林先生の「本居宣長」を初めて読んだ時、「物のあはれを知る」という言葉が目に留まった。「物のあはれ」とは「見る物、きく事、なすわざにふれて、情の深く感ずること」であり、それを「知る」こと、即ち「認識する」ことが肝要なのだという(第14章)。小林先生はこう述べられている。
「それはそのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力である筈だ。問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、損なわず保持して行く事が難かしいというところにある。難かしいが、出来る事だ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、『物のあはれを知る』という『道』なのである」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.152)
「誰の実情も、訓練され、馴致されなければ、その人のはっきりした所有物にはならない。わが物として、その『かたち』を『つくづくと見る』事ができる対象とはならない」(同p.263)
私は、自分には「認識」という行為が欠けていた、と思った。私は心が大きく動いたときほど、その切実な感情や経験が自分の陳腐な言葉で薄れてしまうことを恐れ、言語化することを避けてきた。しかし、言葉にされなかった経験は、結局消えてしまうことにも気づいていた。心身揺さぶられた経験を、言葉で「かたち」にすることで認識し、自分のものにしなければならないのではないか、その場しのぎの言葉ではなく、その動揺を少しでも甦らせるような、正確な言葉で。
私が塾でこう述べ、「もののあはれを知るにはどうすればいいでしょうか」と質問をすると、池田塾頭は、言下に「歌を詠むことです」と言われた。『古今和歌集』を手本に一日一首詠みなさい、と。そしてなんと塾が終った直後、和歌専用のメーリングリストを作りました、との驚くべき知らせが塾生のひとり、謝羽さんから届き、池田塾頭からも、近々歌会を山の上の家で開催します、と知らせが届いた。「メーリング歌会」と「山の上の家歌会」の誕生である。
「メーリング歌会」では、いつでも和歌をメーリングリストに投稿することができ、毎日数首が投稿されている。四年もの間、毎日歌を詠み続けている鉄人もいる。自分の歌を読んでくれる人がいる、ということは何よりの励みで、このメーリングリストのおかげで、日々歌と向き合う姿勢を保ち続けられていると思う。
「山の上の家歌会」は三ヶ月に一度開催される実地の歌会で、これまでに十五回開催されている。まず作者名を伏せた上で好きな歌に投票を行い、作者を明かした上で、一首ずつ感想や改善案を皆で話し合う。必ずしも良い歌が得票を集める訳ではないが、自分の歌がどれだけの人の心を動かせたのか、参加者は毎回自分の得票数に密かに一喜一憂している。また、名前を伏せていても作者がわかったり、各々投票する人に傾向が出たりするのも面白い。和気あいあいと行われるこの歌会は、日頃聞くことができない自分の歌に対する感想や批評に接する貴重な場であり、自分が意図した以上の読みがされていることやほんのわずかな修整で歌が様変わりするのに驚くことも多い。和歌についての知識を持たなかった私たちは、この場で池田塾頭から基本的な作法を学んだ。
さて、塾頭に言われて和歌を詠むこととなった私は、参ったなと思いつつ、『古今和歌集』の書写を始め、最初の一年半ほどは毎日「メーリング歌会」に投稿していた。始めてすぐに痛感したのは、いかに自分が身の回りの物を見ていないか、そして感じていないか、ということである。自然の移ろいや自分の感情に思いを馳せながら、帰宅の途で、ああ今日も詠むことがないと月を見上げ、布団の中で一日を思い返しつつ睡眠時間を削っては歌を詠む日々が続いた。少しずつ、ものを見ること、聞くこと、そしてそれを自分がどう感じているか、ということを意識するようになり、心の動きに気づくと、「歌に詠もう」と記憶に留めるようになった。たまに自分でもいい歌が詠めた、と思えた時は嬉しかった。塾頭や塾生仲間からほめられると、もっと嬉しかった。
「メーリング歌会」でも「山の上の家歌会」でも、私たちが詠むのは現代の短歌ではなく、和歌である。長歌や旋頭歌といった歌と並んで短歌も和歌の一つだそうだが、現代の短歌が現代の心を現代の言葉で詠むのに対して、私たちは現代の心を古語で詠む。なぜかといえば、私たちの歌会の目的は、小林先生の「本居宣長」をより深く読むための修練として、本居宣長が教えた詠歌の心を体得するところにあるからだ。それを忘れないために、私たちはあえて「和歌」を詠むと言っている。
とはいえ、こういうことも、私は歌を詠み始めてから知った。当初は私を含め多くの塾生が古語を使いこなせず、現代の言葉で歌を詠んでいたが、『古今和歌集』や鎌倉時代の歌人、頓阿の『草庵集』を読むことによって、そしてそこから本歌取りを行うことで、古語やその時代のものの感じ方、表現の仕方に習熟し、今では勅撰和歌集に載っていても遜色のないような(?)歌も見られるようになったと思う。
以下、本年五月に行われた第十五回山の上の家歌会の「本歌取り歌会」に参加した歌の一部を紹介する。歌会開催時に提出された元歌、本歌、そして歌会後に修整した歌の順となっている。
五月雨にこもりて薫る橘を 誰にかみせむ我ならなくに 村上 哲
本歌 君ならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る
(古今和歌集・巻第一春歌上・紀友則)
修整歌 五月雨にこもりて薫る橘を 誰にかみせむ君ならずして
五月闇どこで変わるか五月山 千種にものを思ふ間もなく 吉田 宏
本歌 秋の野に乱れて咲ける花の色の 千種にものを思ふころかな
(古今和歌集・巻第十二恋歌二・紀貫之)
修整歌 五月闇いつ移れりや五月山 千種にものを思ふ間もなく
雨降れば紫陽花ごとに置く露の 濡れにし袖を見るぞわびしき 越尾 淳
本歌 雪降れば木ごとに花ぞさきにける いづれを梅とわきて折らまし
(古今和歌集・巻第六冬歌・紀友則)
修整歌 紫陽花の一房ごとに露置きて 人と別れしわが袖思ほゆ
あかつきを待たで去にける憂し人は 迷ふべらなりくらき山路に 荻野 徹
本歌 人知れぬたが別路にならふらん あかつき待たで帰る雁がね
(草庵集・巻第一)
修整歌 あかつきを待たで去にける憂き人は 迷ふべらなりくらき山路に
宵ながら明けぬる空にほのかなる 初音わたりて夏雲のゆく 櫛渕万里
本歌 ほのかなる初音は雲のいづくとも 知られぬ夜半の時鳥かな
(草庵集・巻第三)
修整歌 宵ながら明けぬる空にほのかなる 初音わたりて時鳥ゆく
ゆく道にひとり夏野のすみわたる 目にあたらしき古里なりけり 謝 羽
本歌 里人のことは夏野のしげくとも 枯れ行く君にあはざらめやは
(古今和歌集・第十四恋歌四・よみ人しらず)
修整歌 ひとりゆく道に夏野はすみわたる いとあたらしき古里なりけり
この四年の間、歌会は、少しずつ仲間と活動を増やしながら歩みを進めてきた。題詠や本歌取り、相聞歌、連歌、百人一首かるた大会、そして池田塾頭の古稀を祝う賀歌。詠歌の体験を重ねる中で、各々の個性がだんだんと明確になり、深まってきたように思う。それぞれ好きな歌集や歌人がいて、独自の感受性やその表現の仕方がある。日々の生活での心の動きを詠む人、情景を詠む人、フィクションの恋を詠む人。自分自身の言葉を持つ人、言葉から想いがあふれる人、美しい歌を詠む人。周りに多種多様な歌人がいることで、自分の特性や陥りがちな癖も見えてくる。
私がこの四年で最も身に染みたのは、言葉は思い通りにならないものだ、ということである。長時間唸っても最後の一句が決まらないこともあれば、ふとした瞬間に三十一文字がまるごと降りてくることもある。時に言葉がぴたりとはまり、思わぬ着地点に連れて行かれることもあれば、言葉により自分が経験したことのない感情が生まれることもある。詠歌を通じて私は言葉の力、不思議さ、そして豊かさを知った。
私に欠けていたものは、もののあはれを知ろうとする姿勢と努力であったと思う。五感を働かせて自分の心の動きに気づき、言葉で掴もうとするたえざる修錬、そして時に自分が意図した以上の働きをする言霊への信頼。詠歌経験を重ねても、歌を詠むこと、「もののあはれを知る」ことの難しさは変わることがない。でも、難しいからこそ面白い。そして小林先生は「難かしいが、出来る事だ」と述べられている。
振り返ると、一人では決して歌を詠むことは、詠み続けることはできなかった。きっかけを与え指導してくださった池田塾頭、メーリングリストを作り、共に歌を詠んでくれた塾生たち。仲間がいることを、本当に有り難く思う。私たちはまだ歌を詠み始めたばかりで、修錬の先には数々の驚きや喜びが待っていることと思う。これからも「もののあはれを知る道」を、倦まず弛まず一歩ずつ、共に歩んでいきたいと思う。
(了)