「考えるとは、合理的に考えることだ」と小林秀雄は言った(文春文庫『考えるヒント』所収「良心」、新潮社刊『小林秀雄全作品』第23集所収)。なぜ、そんなことを言うのかといえば、「現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている」。
「合理的に考える」ということについて、私なりに体験したことがある。私は、公務員だったので、公共性を突き詰めようと考えを巡らすうちに、「論語」に行き当たった。孔子は、乱世に秩序をもたらそうとし、どうしたら穏やかで幸せな暮らしを実現できるかを考え抜いた。その結晶が「論語」である。だとすれば、「論語」は、公共性の教科書ともいうべきものではないか。
その「論語」を読んで、不思議に思ったことがある。いわゆる、ことばの「定義」がないのだ。「仁」ということばは100回以上出てきて、孔子が最も重視した徳だとされている。しかし、「仁」とは何かといえば、直接的な問答は「樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す」(顔淵篇)とあるだけだ。だから、「仁」とは愛情に関する徳だということは分かるが、それ以上は、他の文脈から解いていくしかない。
「中庸」という徳もそうだ。雍也篇に「子日く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな」とあり、「中庸」は最上の徳と孔子自身が語っているが、「中庸」とは何か、について、「論語」には書かれていない。「論語」とは別に、「中庸」という書物があり、君子の中庸は「時に中す」、小人の中庸は「忌憚なし」などと書いてあるが、これだけ読んでもよく分からない。
私は、当初、これらのことに違和感があった。定義がないとは、大事なことがすっぽり抜け落ちているではないか。そう思って、いろんな書物を物色しているうちに、小林秀雄の「中庸」(角川文庫『常識について』所収、同第25集所収)という文章に行き当たった。これを読んだ時の衝撃は、今でも忘れられない。まさしく、目からウロコである。そうか! これが「中庸」か! と初めて理解した(少なくとも、そういう体験ができた)。
そして、了解したのである。なぜ、「論語」にことばの定義がないのか。「仁」や「中庸」は、ことばで説明し、定義できるものではなく、すべきものでもないのだ。様々な文脈で使われている中で、その意味を考え、自分の経験と照らし合わせ、感得するしかないのだ、と。
同時に感じたのは、小林秀雄という人の思考の深さと論理の明晰さである。「中庸」が何かは、ことばでは定義できず、その意味を自分で考え、感得するしかない。しかし、何らかの手がかりがなければ、そもそも、どこから手を付けたらよいかすら分からない。そんな時、小林秀雄は、膨大な知識に裏付けられた深い思考と、明晰な論理展開によって、迷える読み手を案内し、「分かった!」という体験の地点まで、導いてくれるのである。
もちろん、小林秀雄が丁寧に案内してくれても、「分かる」のは読み手だから、本人が「思惟」しなければ、「分かる」ところまでたどり着けない。また、「分かった」と思っても、それが正しい分かり方であるという保証はない。しかし、分かり方が他人と違うことが分かれば、また、考えていけばよいだけのことである。
そして、思ったのだ。このプロセスこそ「合理的に考える」ことではないかと。「能率的に」考えれば、辞書を引き、「中庸とは片寄らず、中正なこと」という説明を読み、なるほど、バランスよくやれ、ということだな、と理解して、以上、終わり ! である。しかし、これで「中庸」を「分かった」とは言えない。「考えている積りだが、実は考える手間を省いている」だけである。
合理的に考えるには手間がかかる。しかし、そのプロセスを踏んでいくことで、思わぬ発見や感動がある。そこが面白い。池田塾頭は、「小林秀雄の批評は認識活動だ」と仰ったが、この世の事象が「何か」を合理的に突き詰めていくこと、そんな「認識活動」が小林秀雄の魅力である。
私は、昨年(2017年)の11月、山の上の家の塾での「質問」を用意する過程で、再び、「合理的に考える」体験をさせていただいた。それは、「詩」と「楽」が古人にとって、いかに重要な学問だったかについてである。
古人が学んだという「詩書礼楽」のうち、「書」と「礼」は想像がつくが、「詩」と「楽」がどんなものだったかは、想像が難しい。「論語」には、「詩」と「楽」について、「子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(泰伯篇)、「子曰く、詩三百、一言以てこれを蔽う、曰く、思い邪無しと」(為政篇)などの章があり、「詩」や「楽」が当時の学問で重要な位置を占めていたことは想像できる。しかし、現代の感覚では、詩や音楽は娯楽に近く、学問の世界で、なぜそんなに重要だったのか、理解できない(池田塾の塾生は別として)。
中国文学の大家の子安宣邦氏も、「論語における詩と楽とは、それらがまだ人々の共同世界とのかかわりを失っていなかった時代の迹を残すもの」であり、もはや、詩と楽が生活に欠かせないような意味をもたなくなった現代では、その重要さは理解できないと言っている(子安宣邦著「思想史家が読む論語」)。
ところが、である。小林秀雄は、「古代人にとっての詩や楽」の理解の端緒となる「合理的思考」を「本居宣長」の第32~35章の中で展開している。
私が興味をひかれたのは、徂徠が、詩の「観の功」について、「天下ノ事、皆ナ我レニ萃ル」とし、「興の功」についても、同じ趣旨のことを説いているというくだり(同第28集「本居宣長 下」p.13。以下、ページのみ示す)である。この部分を読んだ時、「天下の事がすべて自分のところに集まるというのは、何と剛毅な!」と思った。
孔子は、「詩ハ以テ興スベク、以テ観ルベク、以テ羣フベク、以テ怨ムベシ」(陽貨篇)とし、詩の特色として、興、観、羣、怨の四つを挙げている。徂徠は、この中で、興と観が肝腎だとし、興の功と観の功を説いている。興の功は、薪についた火が広がるように、比喩、連想が感興をもたらす効用であり、観の功は、世の人情風俗などについて、知らない世界を知ることのできる効用をいう。このような興観の功を存分に発揮させれば、その場にいたような感動や共感を得、あらゆることを知ることができるから、「天下ノ事、皆ナ我レニ萃ル」というわけだ。
なぜ、このようなことが可能になるのか。そのカギは、古人の言語生活という世界の性質と、その言語を学ぶ、学び方の双方にある。
言語生活とは、「人々が皆合意の下に、協力して蓄積して来た、この言語によって組織された、意味の世界の事」であり、「徂徠が『天下』という名で呼んだのは、この世界だ」(p.14)。古代の人々は、言語を意味伝達の手段として分析的に使っていたのではなく、「ただ言語を信じ、言語活動のうちに素直に生きていたのだが、言語は、そういう人々にしか見せない顔を見せていたと、そう宣長は考えている」(p.47)。
徂徠は、そのような言語の生態を「文」と言っている。「何も音声の文だけに限らない、眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現わそうとする身体の事の、多かれ少なかれ意識的に制御された文は、すべて広い意味での言語」(p.48)なのであり、「言語共同体を信ずるとは、言葉が、各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、その徴として生きている理由を、即ち言葉のそれぞれの文に担われた意味を、信ずる事に他ならない」(p.49)のである。
この言葉の「文」の交換という「一種の実験を、反覆して、やり直して行かなければ、言語共同体は、生きつづける事が出来まい。それほど、共同生活の精神に寄せる私達の信頼の情は深いのである。言ってみれば、各自が、この精神を信じて、これを自分流にわがものとする以外に、この精神の普遍性を保証するどんな道もない」(p.52)。
そこで、「天下ノ事、皆ナ我レニ萃ル」ための第二のカギが、言語への接し方、言語の「学び方」になってくる。
徂徠は、学問とは「思フコトヲ貴ブ」ことだと考えた。学問の仕方として、「理」と「思フ(思惟)」がある。「理」とは、論理を知ることである。徂徠は、「弁名」の中で「物」と「名」の関係性を説いているが、「理とは名とは言えぬ、道という統名の仲間入りは出来ぬ」から、名でも物でもないもの、すなわち、「無名無物なる者とでも言うより仕方なかった」(p.23)。
これに対し、「物」とは「形有り準有るもの」であり、「詩」や「楽」がこれにあたる。それらは、「それ自身の動かせぬ定式定準を具えていた」と徂徠は見ていた。だから、「詩」、「楽」を学ぶというのは、「それぞれ特殊な、具体的な形に即して、それぞれに固有な意味なり価値なりを現している、そういう、物を見定めるという事になろう」(p.29)。
だから、「『詩書礼楽』を学ぶ者は、そういう古人の行為の迹を、古人の身になって、みずから辿ってみる他ない」、「作った人の制作の経験を、自分の心中で、そのまま経験してみる他に、道はあるまい」ということになる(p.30)。
だとすれば、「物を以てする学問の方法は、物に習熟して、物と合体する事である。物の内部に入込んで、その物に固有な性質と一致する事を目指す道だ」。これに対し「理を以てする教えとなると、その理解は、物と共感し一致する確実性には、到底達し得ない」。観察に基づく「分析的な記述的な言語がどんなに精しくなっても、習熟の末、おのずから自得する者の安心は得られない」ということになる(p.31)。
このように、「詩書礼楽」という「物」を「思惟」し、これに習熟すれば、「其ノ心志身体既ニ潜ニ之ト化ス」(p.31)ことになり、古人の遺した言語生活の世界に入り込むことになる。これが「天下ノ事、皆ナ我レニ萃ル」という状態で、それは、「全的な経験、体験、体得」(p.32)と考えられる。
私自身は、到底、その境地には達し得ない。しかし、小林秀雄の思考(正確には、小林秀雄が辿る徂徠の思考)に沿って、「合理的に考える」過程を通じ、「天下ノ事、皆ナ我レニ萃ル」ということが何なのかは、少し理解が進んだように思う。この知的体験が小林秀雄の魅力なのである。
(了)