それは、人生を通じて最も耀く一日でした。
迷いに迷って広島で開催される小林秀雄に学ぶ塾に参加を決めたのは、二月の中旬でした。昨年から少しずつ進めていた『本居宣長』の通読を三月にようやく終え、四月からは今回の塾のテーマである「常識とは何か」に備えて『常識について』(新潮社刊「小林秀雄全作品」第25集所収)を読む生活。当日に質問できることは限られるであろうから、何を質問するかは熟考を要します。そうやって一生に一回になるかも知れない機会にと決めた質問は次の二つになりました。
- 「『物』に推参する」ということも大変難しい事だと思いますが、他人を知るということを小林秀雄先生はどのように考えておられたのでしょうか。他人も物と考えていいのでしょうか
- 年を重ねて自分の凡庸さを思い知るようになってきました。無私ということも考えていくと、いよいよわからなくなってきます。小林先生はデカルトの無私を「非凡な無私」とおっしゃっているように、無私にも才能があるのでしょうか
これらを何とか一つでも伺いたいと思って臨みました。
私の住む熊本から広島までは新幹線で二時間弱。『常識について』を読みながら時折窓の外を眺めていると、不意に瀬戸内の輝く海が現れ、それからしばらくすると広島に到着しました。
会場へは早めに着いたためか、正面に近い席に座ることができました。心の高ぶりに合わせるように少しずつ席が埋まっていきます。意外だったのは、若い方もかなり多く参加されていたことです。終了後の懇親会でも何人かの若い方と小林秀雄先生について話す機会がありましたが、そのとき京都在住で前日の大阪塾にも参加したという男性は、坂口安吾の格好良さが好きで、坂口は盛んに小林秀雄を批判していたが、実は尊敬していたこともそのうち分ってきて、自分も惚れ込むように小林秀雄が好きになった、と仰っていました。
しばらくして、主催者の吉田宏さんに案内されて、池田塾頭が部屋に入って来られました。インターネットで写真を拝見していましたが、そのときの周りを見渡す目つきの鋭さに、これが小林先生の担当編集者だった方か、と内心身の引き締まる思いでした。しかし、講義が始まると、語り口は柔らかで、時々駄洒落なども言われ、和やかな雰囲気で広島の塾は進んでいきました。
「要するに、彼(筆者注:デカルト)に言わせれば、 常識というものほど、公平に、各人に分配されているものは世の中にないのであり、常識という精神の働き、『自然に備った知恵』で、誰も充分だと思い、どんな欲張りも不足を言わないのが普通なのである。デカルトは、常識を持っている事は、心が健康状態にあるのと同じ事と考えていた」
とは、小林先生の言葉ですが(『常識について』、同第25集p.85)、池田塾頭は「常識は生まれながらに誰もが持ち、心臓の鼓動が感情の振幅に合わせて動くように常識も動く」、また、「常識は、社会問題のような大きな問題について、というよりむしろ、身の回り、実生活上の出来事について動く」と仰いました。
そして、会の後半で塾頭は、小林先生の『人形』(同第24集p.130-p.131)という作品を朗読され、時代背景なども解説した上で、
「食堂車で、子どもの代わりに人形をつれた夫婦とたまたま食事を共にした女子大生が、余計なことを言わなかったのは、常識の働きによるものである」
と、仰いました。戦火をくぐり抜けてきた小林先生がそうされるのはもちろんのことであるが、戦争というものをよくは知らないであろう若く人生経験の少ない女子大生においても、「誰もが持つ」という常識が働いて平穏なまま食事が済んだ、そういう実生活上のシーンを小林先生は描写されたのだということです。
この後、質疑応答が始まりました。どうしても質問したかった私は、最初に「他人も物と考えて良いのか」という質問をしました。塾頭が、「ものというのにもいろいろあるのだけれども」と前置きして話されたことは、要約すれば、自分だけでいろいろ考えていても自分を知ることはできない、ものという他者に触れ合うことで自分を知ることができる、ということでした。
他に、「忖度」についての質問が出ていたのを憶えています。「忖度」も元々は悪い意味の言葉ではなかったものを、不祥事を起こした人達が自己弁護のために良いイメージの言葉を使用する、それが、結果として、本来の言葉そのものを悪くする場合がある。「豹変」もその一つで、「君子豹変す」とは、あるときヒョウの毛皮が、季節がくると抜け替わって綺麗になるように、君子は過ちをきっぱりと改めるという意味だった、そういう意味での「豹変」を小林先生は色紙に書かれている、ところがいまは悪い意味だけに使われている 、と言われた塾頭は憤っておられるように拝見しました。
私はもう一つの質問、「疑えばどこまでも疑える無私というものを、私のような凡人は中途半端に疑うことを止めてしまう。それは才能の差なのだろうか」という疑問もできれば伺いたいと思っておりました。最後の質問だと言われたときに小さく手を挙げていた私を塾頭が見つけられて、なんとか質問することができました。
塾頭は「先ほどお尋ねになった他人、他者、そういう自分ではない他者の身になって他者をわかろうとする努力、己れを捨てて彼らに抱き取られようとする精神の集中、そういう他者との一心不乱のつきあい、これを意識的に続けていればデカルトのようにではなくてもわかってくると思います。ただし、時間はかかります、私も無私ということがいくらかわかってきたかと思えたのは最近です」と優しくお答え下さいました。
塾はそれでお開きとなりました。新幹線の時間に余裕があったため、懇親会にも参加でき、いろいろな方とお話しをする機会を得ましたが、大変不思議だったのは、性別、年齢にとらわれず、小林秀雄先生のことでその場の誰とでも気軽に話すことができたということでしょうか。
私はお酒を飲まなかったにも関わらず、酔っ払ったような気分でした。対面に座らせて頂いた池田塾頭にもいくつかの質問をさせて頂きました。ぶしつけなところもあったと思いますが、面白がられてそれを書いたらよいと仰って下さいました。
また、溝口朋芽さんや坂口慶樹さん等、関東にお住まいの塾生の方々とお話する機会も得ました。溝口さんには、『本居宣長』第一章についての私の拙い説を熱心に聴いていただきました。また、坂口さんには、「鎌倉の塾ではもう何年も『本居宣長』を繰り返して読まれている、私は自分なりにがんばっているけれども、そこまでじっと一つのものごとを見つめることができない。どうしたらそんな風にできるのですか」と尋ねたところ、「まず、松阪にある宣長さんのお墓参りに行くとよい、そして本居宣長記念館の吉田悦之館長に会えば、貴重な資料も拝見できる可能性がある」と教わりました。おそらく、まだまだ私は人間、本居宣長を体感できていないということのご指摘だと思い大変感謝致しました。
他にも小林秀雄に学ぶ塾の何人もの方が、東京などから前日の大阪や本日の広島にも来ておられるのを知り、また、逆に広島からも何人かの方が鎌倉の塾に参加されているのを知って、大いに驚かされました。
かくも熱心な方々が多く存在するということは、熊本でひっそりと小林秀雄先生の著作を読むだけの私にも大変励みとなったのは言うまでもありません。また機会を見つけて参加させて頂きたいと思っております。
かくてこの日は、広島まで行って本当によかったと思える一日、人生を通じて最も輝やかしい一日となりました。
(了)