本居宣長は『源氏物語』の読後感を「やまと、もろこし、いにしへ、今、ゆくさきにも、たぐふべきふみはあらじとぞおぼゆる」と言っている。『源氏物語』の他に、比べることのできるものはない、という最上級の賛辞を残しているわけだが、『本居宣長』の中で、小林秀雄氏はこのことを「異常な」評価と書いて、読者に注意を促し、『源氏物語』の味読による宣長の「開眼」という言い方をしている。宣長自身が「紫文要領」の後記でこのことについて触れているくだりで、小林氏は、「彼(宣長)が此の物語を読み、考えさとった(中略)自分の考えには、見る人を怪しませずには置かない、本質的な新しさがある事に、注目して欲しいと言うのである」と言って、宣長の“本質的な新しさ”という表現をしている。宣長は、『源氏物語』をどう読んだのか、どう新しかったのだろうか。
宣長は、『石上私淑事』(巻下)において、
――「此物語は、紫式部がしる所の物のあはれよりいできて、(中略)よむ人に物の哀をしらしむるより外の義なく、よむ人も、物のあはれをしるより外の意なかるべし」……
と書いているように、『源氏物語』は、「物のあはれを知る」物語であると断言している。そして『源氏物語』の主人公、光源氏について、
――「物のあはれを知る」という意味を宿した、完成された人間像と見た……
という言い方をしている。
宣長に歌の道を示した先達、契沖は、『源氏物語』についてはただ一言、「定家卿云、可翫詞花言葉。かくのごとくなるべし」とだけ残した。詞花言葉を翫ぶ……、「歌や文章の見事さを楽しむ」べきであるという言葉の意味するところを実践したのが宣長であった、と小林氏は言う。当時の、賀茂真淵にしろ、上田秋成にしろ、誰もが“詞花言葉を翫ぶ”とは程遠い反応を示したことが書かれているが、同時に、現代を生きる我々に対しても触れ、
――「源氏」の理解に関して、私達が今日、半ば無意識のうちに追込まれている位置を意識してみる事は、宣長の仕事を理解する上で、どうしても必要だと思っている……
と書いている。
――写実主義とか現実主義とか呼ばれる、漠然とはしているが強い考えの波に乗り、詩と袂を分った小説が、文芸の異名となるまで、急速に成功して行く、誰にも抗し難い文芸界の傾向のうち……
にいる私たちにとっても、『源氏物語』そして光源氏という存在を“翫ぶ”のは至難の業なのであろう。小林氏は、主人公の光源氏について、
――作者(紫式部)は、「よき事のかぎりをとりあつめて」源氏君を描いた、と宣長が言うのは、勿論、わろき人を美化したという意味でもなければ、よき人を精緻に写したという意味でもない。「物のあはれを知る」人間の像を、普通の人物評のとどかぬところに、詞花によって構成した……
と言っているが、これを、歌とは何かを知り尽くした紫式部が、『源氏物語』という壮大な歌物語の世界(詞花言葉の世界)を展開する上で、「歌」を「人」に見立てて、「光源氏」と名をつけ、式部の意のままに、歌の世界=物のあはれを知るという世界、で演技をさせた、ということは、光源氏をはじめ、『源氏物語』に登場する「人」は皆がみな「歌」である、と考えたらどうであろうか、すなわち、歌の“擬人化”である。
もしこの推察が許されるなら、
――光源氏という人間は、本質的に作中人物であり、作を離れては何処にも生きる余地はない。……
と書いた小林氏の説明にもつながり、また、
――光源氏を、「執念く、ねぢけたる」とか、「虫のいい、しらじらしい」とかと評する(上田)秋成や(谷崎)潤一郎の言葉を、宣長が聞いたとしても、この人間通には、別段どうという事はなかったであろう……
という言葉にも素直に共感できるのである。
宣長は、
――平凡な日常の生活感情の、生き生きとした具体化を成し遂げた作者(紫式部)の創造力或は表現力を、深い意味合で模倣してみるより他に、此の物語の意味を摑む道は考えられぬとし……
――「此物語の外に歌道なく、歌道の外に此物語なし」(『紫文要領』巻下)……
と明言するにいたったのではないだろうか。物のあはれを知るという、“みなもと”とも呼べる心を持った、“歌が人”となった光源氏が主人公であるこの物語とじっくり付き合ってみれば、歌が人であるからには、あらゆる物事に、人(光源氏)の心も、そして彼に相対した周囲の人の心も感く。
――「目に見るにつけ、耳にきくにつけ、身にふるるにつけて、其よろづの事を、心にあぢはへて、そのよろづの事の心を、わが心にわきまへしる、是事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀をしる也……」
と書かれているように、その全てが「もののあはれを知る」ということへ、我々をいざなっているのである。作者である式部がそのような“下心”で書いているからである。我々はいざなわれるままに『源氏物語』を読み、眺め、楽しめば足りる。式部はそう願ったのではないか。好き嫌いや、良し悪しの判断を訊かれているのではない。人間の心のありのままを見せられているのだ。「いましめの心」をもってこの物語をみるのは「魔」である、と宣長は言う。式部が光源氏という「詞花」に課した演技から誕生した物語の迫真性を、「いましめ」の方向に受け取ってしまうことで、「歌道」に従った用法によって創り出された“調べ”を直知する機会を逃してしまう人々のなんと多いことか。契沖が残した「定家卿云、可翫詞花言葉」は、先にも引いたように
――「そっくりそのまま宣長の手に渡った」……
――言ってみれば、詞花を翫ぶ感性の門から入り、知性の限りを尽して、又同じ門から出て来る宣長の姿が、おのずから浮び上って来る……
と、小林氏は書いている。ひたすら「詞花言葉を翫」ばんとして、宣長が、
――「源氏」の詞に熟達しよう、これを我物にしようとする努力を自省すれば、そこから殆んど自動的にどんな意味が生じて来るか、それが彼が摑んだ「物のあはれという心附き」……
すなわちそれが、宣長の“新しさ”なのではないだろうか。
『源氏物語』が繰り広げる歌の世界を、小林氏はこう表現している。
――普通の世界の他に、「人の情のあるやう」を、一挙に、まざまざと直知させる世界……
と。私には、このくだりを読んだときに、第五十章にある次の文章が想起された。
――(古事記の)「神世七代」の伝説を、その語られ方に即して、仔細に見て行くと、これは、普通に、神々の代々の歴史的な経過が語られているもの、と受取るわけにはいかない。むしろ、「天地の初発の時」と題する一幅の絵でも見るように、物語の姿が、一挙に直知出来るように語られている、宣長は、そう解した。……
『源氏物語』を語る際には「一挙にまざまざと直知させる」、そして『古事記』を語る際には、「一挙に直知出来る」と同様の表現を使っているのである。この二つの確たる世界に、宣長はいずれも“素早い、端的な摑み方”で臨み、とうとうこれら二つの本来の姿を感知しえた。そして『源氏物語』と同様に『古事記』においても、
――詞花を翫ぶ感性の門から入り、知性の限りを尽して、又同じ門から出て来……
た宣長が、自身の全てを込めた『古事記伝』を書き終えたその喜びを、
――「古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし」 ……
と歌に詠んだ。
――『古事記伝』終業とは彼には遂にこのような詠歌に到ったというその事であった。……
と小林氏は書いているが、一見おだやかに詠まれたように受取れるこの歌に、宣長の困難を見たのではないだろうか。「物の哀れをしる」について、人に説くという事の困難を式部が感じていたことを、宣長は
――「式部が心になりても見よかし」……
と言い、
――誠に「物のあはれ」を知っていた式部は、決してその「本意」を押し通そうとはしなかった。……
と宣長は解したと小林氏は書いている。
宣長が『古事記伝』を書き終えて詠んだ歌について、
――「古への手ぶり言とひ聞見る如」き気持ちには、その気になればなれるものだ、とただそう言っているのではない。そういう気味合いのものではないので、学問の上から言っても、正しい歴史認識というものは、そういう処にしかない、という確信が歌われているのである。……
と力強い語調で書いているのは、小林氏が『古事記伝』について、「宣長が心になりても見よかし」と念じて悟った眼力が言わせた言葉であるとは言えないだろうか。
(了)