2020年度は、41章に出てくる「古学の眼を以て見る」をめぐって考えてみた。宣長は古学の眼を獲得し体現した人である。小林秀雄先生曰く、「古事記」は、宣長という博識な歌人によって、初めて歌われ物語られた、直覚と想像との力を存分に行使して、古人の「心ばえ」を映じて生きている「古言のふり」を得たことにより到りついた高所である。一方の、相対する人物として取り上げられた上田秋成の古学への眼差し、その使い方、見えたものから表現するものは、宣長としっくり重なることはなく、日神の御事の論争というものがあった。秋成は「雨月物語」の作者であるが、「古事記」を見る際には常見の人であることをやめなかった。この二人の違いというものがそれぞれ個性であろうし、違うということをめぐり一考するのは面白い。
「凡て神代の伝説は、みな実事にて、その然有る理は、さらに人の智のよく知ルべきかぎりに非れば、然るさかしら心を以て思ふべきに非ず」(古事記伝)
秋成は、古伝の通り、天照大神即ち太陽であるという宣長の説を、筋を通して論難しようとした。小林先生曰く、秋成は批判者であり、自説を主張したわけではない。秋成は宣長の古伝説尊重を、頭から認めなかったのではない。「太古の事蹟の霊奇なる、誰か其理を窮むべき、大凡天地内の事、悉皆不可測ならぬはあらず」とは秋成の言葉である。しかし、二人には、古伝尊重の念の質の違いがあった。秋成の言うところは、古伝説を古伝説としてそのまま容認するのは、素直な心の持ち主には当然のことであるという意味からは出ない物言いであり、秋成にとって、古伝説を読むことと古伝説の研究とは、全く別の話であったと小林先生は書いている。
秋成は、物語作者や古伝研究者として、思いをめぐらす場面に応じて分裂する。だから、秋成が説いた古伝の本文批評は、宣長にとっては文の姿から離れた内容吟味であり、言葉の遊戯を出ない。宣長は「詞」と「意」とが決して離れなかったのに対し、秋成も含め常見の人は「詞」と「意」が離れる、というか時と場合によって「詞」と「意」の距離を変える。決して離れない宣長はいつも言語の内部から考える人で、常見の人は本人も気付かないうちに己の語る言葉ですらいつのまにか外から見る視点に立ってしまっているのであろう。宣長は理解する所と唱道する所が一体となって生きており、その思想には自発性があり、内部からのあふれんばかりの力があっても決して分裂することはなく、人々が難題とするところを実際に生きて見せるところに、宣長の努力と緊張があった。
宣長にとって、古伝の問題とは、直ちに言語の問題である。だから、言葉によってその意味を現す古伝の世界を、その真偽を吟味する事実の世界と取り違えては困る、と小林先生は言う。宣長には、歌と物語は、言語の働きの粋をなすものだという考えがあり、言語の本質は、広く「人の心」を現す働きにあるというのが、宣長の基本的な考えだ、と言う。歌人は、外部からは伺えぬ言語の機微を、内から捕え、言葉とは私だ、と断定できる喜びを知っている。言葉の表現力を信頼し、これに全身を託して、疑わない、その喜びを知っている。宣長の古学の大事は、古伝についての、疑いを知らぬ、素直な感情にある、と言う。
いうまでもなく「古事記」は、天武天皇、阿礼、安万侶の三人が廻り合って成し遂げられた偉業である。安万侶の仕事は、漢字による国語表記という、未だ誰も手がけなかった大規模な実験だったと小林先生は書いている。安万侶が「なべての地を、阿礼が語と定め」編纂した「古事記」という国語散文を読者にどう訓読させるか、この宣長の仕事は一種の冒険であり、言わば安万侶とは逆向きの冒険に、宣長は喜んで躍り込み、自分の直観と想像との力を、要求されるがまま、確信をもって行使したと、小林先生は書いている。だが、古言の「ふり」「いきほひ」は「古事記」の本文には露わでなく、阿礼の口ぶりは安万呂の筆録の蔭に隠されていたから、この仕事はとても難儀なものであった。
そんな宣長を、「宣長は、心のうちに、何も余計なものを貯えているわけではないので、その心は、ひたすら観察し、批判しようとする働きで充たされて、隅々まで透明なのである。ただ、何が知りたいのか、知るためにはどのように問えばよいのか、これを決定するのは自分自身であるというはっきりした自覚が、その研究を導くのだ。研究の方法を摑んで離さないのは、つまるところ、宣長の強い人柄なのである。彼は、証拠など要らぬと言っているのではない。与えられた証拠の言うなりにはならぬ、と言っているまでなのだ」と、小林先生は書いている。
「古学の眼を以て見る」とは宣長の言葉だが、これを示唆することは、「本居宣長」のなかで繰り返し書かれている。契沖の「大明眼」から宣長の「古学の眼」までのつながった流れを、小林先生は本当に忍耐強く、あるときは御本人も言われるようにくだくだしく、宣長の言葉を挙げ、かみ砕いて教えてくれているが、この複雑に渦を巻き変奏する潮流を眺め味わいきるにはまだまだ時間がかかりそうである。
2020年は新型コロナウイルスの世界的大流行で、改めて感染症の怖さというものが身近になった。同じ屋根の下に暮らす家族が、入院を待つうちに死んでしまうことが実際に起きてしまっている。世界中で、自分が目覚めた時、隣の人は死んでいる、生と死が隣り合わせであったことを、目の当たりにしている人々がいるのだ。今は、出来るだけ家に居ることを求められる暮らしの中、「グレートヒマラヤトレイル」という番組を見た。8,000メートル峰を望みながらの大縦走で、そもそもが、めったなことでは人を寄せ付けない天空の絶景は、映っているすべてが美しかった。しかし夜はさぞかし寒いであろう。無事に目覚めることができたことに感謝するような厳しい晩もあっただろう。そして朝早く、暗いうちから目的地に向かう。夜が明け、まずは高い山の峰に朝日が当たりだす。動くものは自分達だけの大自然のなか、切り立った峰が赤く染まる姿は、画面越しにも畏敬の念を懐く神々しさがあった。そして、登山者たちにも日が当たり出したとき、ふと「ああ、あたたかい、太陽の力はすごいな」と、もれ出た言葉に心打たれた。日神と申す御号を口にする上古の人の気持ちを、ほんの少し垣間見た気がした。なるほど、「ただゆたかにおほらかに、雅たる物」という感じがした。太陽と登山者が直にかむかった瞬間の言葉で、まさに生きた言葉を感受した気がした。「其の可畏きに触れて、直に歎く言」、「古の道」と「雅の趣」が重なり合う、「自然の神道」は「自然の歌詠」に直結している姿といえるような趣は、こういう感じなのかな、と思った。宣長曰く「物のあわれを知る心」と「物のかしこきを知る心」は離れる事が出来ない、と小林先生は言うが、登山者が太陽はあたたかくてすごいと思った気持ちは純粋であり「言意並朴」で、「物のかしこきを知る心」に近いのではと思った。もちろん、これは私が勝手に思ったというだけのことであるが、自分の道しるべとして、「本居宣長」を読んでいても迷子にならない手がかりにはなる気がする。
41章の最後には以下の文章がある。
「天照大御神という御号を分解してみれば、名詞、動詞、形容詞という文章を構成する基本的語詞は揃っている。という事は、御号とは、即ち当時の人々の自己表現の、極めて簡潔で正直な姿であると言ってもいい、という事になろう。御号を口にする事は、誰にとっても、日についての、己の具体的で直かな経験を、ありのままに語る事であった。この素朴な経験にあっては、空の彼方に輝く日の光は、そのまま、『尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物』と感ずる内の心の動きであり、両者を引離す事が出来ない。そういう言い方をしていいなら、両者の共感的な関係を保証しているのは、御号に備わる働きだと言っても差支えあるまい。そういう事が、宣長の所謂『古学の眼』に映じていたのだが、彼は論敵を、そういう処にまで、引入れることは出来なかったのである」。
上古の人々が暮らしの中で幾度となく口にして大切にしてきた物語をまとめた「古事記」は、まだ文字がなかった時代に、互いに語り合い、記憶し合い、その言葉は吟味されて鍛え抜かれ、言語表現の純粋な純度の高い結晶のような姿になっている。時間的にも空間的にも、あまりに密度が高いものを、阿礼は語り尽し、安万侶は書き尽し、宣長は訓読し尽くした。なるほどそれなら、読むにも時間がかかると思えば、すこしは気持ちが楽になる。
最後に、2020年度の塾用に提出した自問自答を記す。
「古学の眼を以て見る」とは、すなわち眼に映じて来るがままの古伝の姿を信じるという事だと小林先生は言う。眼に映った景色や物事をどれだけ分かるかは、心眼に描き出す個々の想像の力によるもので、古伝の姿を味わいきるには、それだけ緊張が強いられる。文の姿が見えるようになるためには「常見の人」たる事を止める、歌の姿が神異なら神異で、ただ仰てこれを信ずる。文体の隅から隅まで、行間まで、立体的に生き生きと感じられるようになる、この態度を貫く。人の心は動くが、信じ切ることが出来たということが宣長の個性である。宣長の信じたものは、具体的には言葉の力である。言葉を生むのも、操るのも、言葉に動かされるのも人であり、それは神代から変わらないのだろう。
(了)