「読書とは自分を読むことです、作曲とは自分を聴くことです」というのは、私の作曲の師である佐藤眞先生が、何かの折にくださった手紙のなかの一文です。そのとき、私は東京芸術大学の学部生で、この言葉の真意はわからずとも、なにか大事な言葉をくださっているということは、直感でわかりました。何度も読み返し、いただいた手紙は、お守りとして持ち歩いていました。
それから数年が経ち、これまでの自らの経験を通じて、師の言葉の意味が、実感として、身体でわかるようになってきました。いまの私にとって、作曲とは、音楽言語という、長い歴史を経て養われた巨きな意味構造を使わせてもらい、自らの思考がどのような道筋を辿るのか、すなわち、自分が何者であるのかを、自分自身で知るような行為です。私たちの心は、おのずから、音という、物理的には空気の振動にすぎないものに、美しさや感情など、様々なものを聴き出そうとします。私は作曲という行為を通して、その心の働きの謎を探り、自分の、そして、ひとの心が如何につくられているかを知ろうとしているのです。おそらく、すべての芸術的な行為は、そういうものであろうと思います。
そして、「読書とは自分を読むこと」であると、特に実感するのは、小林秀雄先生の「本居宣長」を読んでいるときです。「本居宣長」を読み返すたびに、以前読んだとき、こんなことが書いてあったかしら、と思うような新しい発見があるとともに、この部分はまるで自分のために書かれているようだ、と錯覚してしまうような一節が「現れ」ます。私がその一節に出会うのと、その一節が私に向かってくるのは、全く同時といった感覚で、その一節は、光源となって私の内面を照らし、その影かたちの細部までを浮き上がらせるのです。つまり、自分がいま何を考えているのか、何に興味があるのか、何を必要としているのか、自らもはっきりと知覚できていない、自身の内の奥底にある問題に、「本居宣長」を読むことによって、気づくことができるのです。
前回「本居宣長」を読み返したとき、妙に目についたのは「宣命譜」という言葉でした。この数年、仏教の声楽である声明の取材を続けている経験から、「宣命譜」は声明でいう博士のようなものであろうと推測しています。声明の楽譜では、詞章(歌詞であるお経)に、博士とよばれる線や、点や、言葉書きなどが付けられ、音高と旋律形(どのように音を伸ばし、装飾して唱えるか)が示されています。「今は伝わらないが、『宣命譜』という古書があった事が知られている。恐らく、儀式をととのえて、詔書を宣る際の、その『
この部分を何度も読んでいると、「
さらに、「文」については、小林先生は、本居宣長が「石上私淑言」巻一に書いている以下の文章をたびたび引用しています。「猶かなしさの忍びがたく、たへがたきときは、おぼえずしらず、声をささげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばはりて、むねにせまるかなしさをはらす、其時の詞は、をのづから、ほどよく文ありて、其声長くうたふに似たる事ある物なり。これすなはち歌のかたち也。ただの詞とは、必異なる物にして、かくのごとく、物のあはれに、たへぬところより、ほころび出て、をのずから文ある辞が、歌の根本にして、真の歌也」(同第27集259頁3行目)
以上の参照箇所から、「
私たちは日常の会話のなかで、気持ちを伝えようとするときには、緊張して、声が上ずったり、どもってしまったりします。聞いてもらいたい、伝えたいと強く思うときほど、声は大きくなり、身振り手振りがつき、しつこく繰り返して口に出してしまいます。このような、ひとの無意識にしてしまう動作が「文」のひとつの側面であり、いま現在も、人々の関わり合いのなかで「文」が取り交わされているように、「古事記」の時代には、人々の間で、神々の間で、そして、神とひととの間で、当たり前に「文」が取り交わされていたのでしょう。そうすると、どうにか祈りを聴いてもらいたい、神々の注意を引きつけたいと考えたときに、切実な願いであればあるほど、音声の強弱、長短、音高の変化、抑揚などで、祈りの言葉の読み上げ方を工夫したのは、極めて自然なことのように思われます。その上で、祈りの言葉の読み上げ方の工夫が発達し、ますます複雑化して、旋律のようになったところに、声楽が始まったのだと考えられます。
音楽は、グレゴリオ聖歌、前述の声明など、洋の東西を問わず、声楽からその歴史が始まっています。その声楽の起源は、「神と人との文の取り交わし」であるといえるでしょう。また、器楽の歴史は、声楽の旋律をなぞったり、伴奏をしたりすることから始まっています。つまり、音楽のすべては「文をなす」事の延長にあり、「文」という表現性の、音声としての面が発達したところに、音楽があるのではないでしょうか。
さらに、宣長のいう「歌といふ物のおこる所」とは、音楽という物のおこる所でもあるのではないでしょうか。ここで言われている「歌」とは、「古事記」「日本書紀」に見られる古代の歌謡や、「萬葉集」の短歌、長歌、旋頭歌などの和歌ですが、宣長の言葉を承けて小林先生は次のように言います。「宣長は、『歌といふ物のおこる所』に歌の本義を求めたが、既述のように、その『歌といふ物のおこる所』とは、すなわち言語というものの出で来る所であり、歌は言語の粋であると考えた事が、彼の歌学の最大の特色を成していた。『物のあはれにたへぬところよりほころび出て、おのづから文ある辞』と歌を定義する彼の歌学は、表現活動を主題とする言語心理学でもあった。(中略)詞は、『あはれにたへぬところより、ほころび出』る、と言う時に考えられているのは、心の動揺に、これ以上堪えられぬという意識の取る、動揺の自発的な処置であり、この手続きは詞を手段として行われる、という事である」(同第三十六章、同第28集58頁2行目)
悲しい事や堪え難い事があったとき、つまり、外から何か圧力がかかったとき、私たちは自然と口をつぐみ、息がつまり、呼吸が止まり、緊張の状態になります。すると、その状態から解放されるために、自身の内部に感じられる混乱を整えようとする働き、要するに「
言葉は、ひとの内部の働きが整えられてこそのもの、ひとの身体から発せられるエネルギーのようなものなのです。音楽も同様に、「事」によって生まれた、音楽以前のひとつの音を基礎とし、その繋がりで成り立っています。つまり、言葉と音楽の基本は、ひとが己れの感情をどうにかしようとする、ひとの内部の働きであり、言葉と音楽の表現の質について問おうとすると、その元である、感情の質を問うことになります。ひとの身体性を無視して、言葉と音楽を考えることはできないのです。東洋も西洋もない、ひとに元来備わった内部の働きから、音楽の発生の起源を考える、それが音楽をつくるものの使命だと思っています。
(了)