小林秀雄さんの『本居宣長』を読み込んでゆく中で、ずっと注目していることの一つに、和歌と言葉についての次の文章がある。
「和歌ハ言辞ノ道也。心ニオモフ事ヲ、ホドヨクイヒツゞクル道也」という彼(宣長)の言葉は、歌は言辞の道であって、性情の道ではないというはっきりとした言葉と受取らねばならない。(第二十二章、新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.252、9行目~)
この「和歌ハ言辞ノ道也」とは、どのような意味を持っているのだろうか?
これを問いとして自答を追求していこうと思う。上に引用した少し後に、次の文章が書かれている。
私達の現実の性情は、変異して消滅する他はないが、この消滅の代償として現れた歌は、言わば別種の生を享け、死ぬ事はないだろう。「心ニオモフ事」は、これを「ホドヨクイヒツゞクル」ことによって死に、歌となって生れ変る。(中略)宣長は、こう言っている事になる、――もし「心ニオモフ事ヲ、ホドヨクイヒツゞクル」詠歌の手続きが、正常に踏まれ、詠歌が成功するなら、誕生したその歌の姿は、「マコトノ思フ事ヲ、アリノマゝニヨムト云モノニナル也」と。(第二十二章、同p.252、12行目~、)
確かに、私達の現実の感情や思いは移ろうていく。例えば、悲しみが残り続ける場合も、その悲しみの内実は固定されたものではなく、思いが強まることも含め、時を追って変化していくだろう。それゆえ、その時の思いは移り変わって、やがて消滅するが、歌を詠むことで新たな形になって生を受けるというのは素直に納得できる。
難解なのは、宣長が「歌は言辞の道であって、性情の道ではない」、言わば歌は言葉の道であって思いの道ではないと述べると同時に、「誕生したその歌の姿は、『マコトノ思フ事ヲ、アリノマゝニヨムト云モノニナル也』」と述べていることである。
これは、次のように考えられると思う。心というものは移ろいやすく、そのまま心の中を覗いたのでは、自らの心中がどのような状態であるかを認識することはできない。むしろ、良い歌になるよう言葉を選ぶこと、また歌としての語調を整えることに集中して努力を尽くせば、できあがった歌は心の真実が映し出されたものになっている。これが、宣長の考えていたことと読み取れる。
さらに、小林秀雄さんは次のような力強い文章で書いている。
まだ「歌の実」という表現性を得ない「実の心」の単なる事実性などは、敢えて「妄念」とか「散乱した心」とか呼ぶがよろしい、と宣長は言うのである。
「情は自然也」と言っただけでは足りない。「自然と求めずして在る」心は、そのままでは、「心散乱シテ、妄念キソヒオコ」る状態を抜けられるものではない。言葉という「手がかり」がなければ、心は心で、どう始末のつけようもないものだ。思う心を「ほどよく言ふ」では言い足りない。一歩すすめて、乱れる心を「しづむ」「すます」「定むる」と言うべきだ。「石上私淑言」では、「むねにせまるかなしさを、はらす」と同じ意味合で「はらす」という言葉が使われている。悲しみを詠むとは、悲しみを晴らすことだ。悲しみが反省され、見定められなければ、悲しみは晴れまい。言葉の「手がかり」がなくて、どうしてそれが人間に出来よう。(第二十二章、同p.257、6行目~)
ここで、筆者自らを振り返ってみると、苦しいことに出会った時には、自然と言葉を探しはじめ、心の内で言葉を使って自分との対話をしていた。歌を詠んでいたわけではないものの、いつも自分自身との対話によって、つらい心境を整え心の平衡をなんとか得ていたことが思い起こされる。
古の時代に、言葉とは単に人と人との連絡を担い社会を形作るためのものだけではなく、自らの心や人の心を認識するために必須のもので、言葉の手がかりがあって心の内の認識が初めてできる、むしろそこが一番大事だと宣長が見抜いていたのは、素晴らしい慧眼である。
和歌が長い歴史を通じて詠み続けられ、現代においても短歌という形で受け継がれている理由のひとつは、この歌を詠むことに自らの心を認識する作用があるからかもしれないと思う。
小林秀雄さんは、和歌と言辞の関係についての宣長の考え方に触れ、次のように書いている。
何故、「只心ノ欲スルトヲリニヨム、コレ歌ノ本然ナリ」という単純明白な考えに立ち還ってみようとしないのか。其処から考え直そうという気さえあれば、「歌の道」の問題は、「言辞の道」というその源流に触れざるを得まい。そうすれば、歌とは何かという問題を解くに当り、「うたふ」という言葉が、どういう意味合で用いられる言葉として生れたかを探るところに一番確かな拠りどころがあると悟るだろう。言語表現というものを逆上って行けば、「歌」と「たゞの詞」との対立はおろか、そのけじめさえ現れぬ以前に、音声をととのえるところから、「ほころび出」る純粋な「あや」としての言語を摑むことが出来るだろう。この心の経験の発見が、即ち「うたふ」という言葉の発明なら、歌とは言語の粋ではないか、というのが宣長の考えなのである。(第二十三章、同p.260、16行目~)
ここまで読み進めてきたことを踏まえれば、「和歌ハ言辞ノ道也」とは、どのような意味を持っているのかという問いについて、自答を書くことができると思う。
「和歌ハ言辞ノ道也」とは、和歌は言語の精髄であるということ。即ち、和歌を詠むに当たって、心に思うことを、事実にとらわれることなく、こういう歌に表したいと心が欲する通りに、言葉の「文(あや)」、「姿」が良きものとなるよう、徹底的に言葉をつかみとって、和歌を形作っていく。そうすると、生れた和歌には、自分が本当に思っていた心が映し出されており、歌を詠むことによって自分の内で騒がしく散乱していた妄念が静まり、心の在り方が定まってくる。そして、詠歌によって自分の内面の真実を知ることができる。このような意味合と言える。
これまで和歌と言葉について詳しく自問自答を進めてきたが、和歌の実例をあげての説明までは『本居宣長』に記述されておらず、筆者が述べた文章も、やや抽象的なものとなっている。
それゆえ、あえて筆者が和歌と短歌を一首ずつ選び、説明の補強を試みたいと思う。
いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る
(小野小町 「古今和歌集」 巻十二 恋歌二 554番歌)
一説によれば、小町の時代には夜具を裏返して着ると、夢で想い人に会えるという俗説があったそうだが、実際に小町が夜具を裏返して眠ったのかは問題ではないだろう。想い人が恋しく会いたくてたまらない心境を、気高い女性が俗説に頼ろうとまでする心根に託し、「むばたまの夜」という黒髪を思わせる言葉を選んで、心の内の苦しさせつなさを見事な和歌にしている。元々の、乱れてやまないであろう小町の心の中が、言葉を駆使することで形作られ見定められた、と言えるのではなかろうか。
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
(塚本邦雄 歌集『感幻樂』 昭和44年)
馬を洗うのならば魂が冴えるほど徹底して、ひとを恋するなら殺してしまうほど一途な心で、という大胆な比喩と対比を使っての短歌である。過剰な表現にもかかわらず心に残るのは、「洗はば」「戀はば」というリフレインを含む言葉、「たましひ冴ゆる」「人あやむる」の並立で生まれる歌全体の透明感が、良い響きを成しているからだろうと思う。この昭和時代の短歌も、作者の元々の心情そのものではなく、言葉の選択や並び、音の響きに至るまで工夫を凝らしたがゆえに、作者の真の想いが形作られたと言えるのではなかろうか。
小林秀雄さんの『本居宣長』には、宣長の考えを批評する形で、言葉が人に、とくに言葉が人の内面に対して、どのような働きをしているかの深い考察が籠められている。その考察は、「自分を知り、より良く生きるには」という答えの出ない問いに対する大きなヒントである、と改めて感じている。
(了)