沈黙の花

橋岡 千代

このごろは、季節と言えば春、それも淡雪が思い出したように降る時季が一番気になるようになった。それは数年前の三月、明日我が子に会えるという臨月に見た景色がきっかけである。

しばらく外をゆっくり歩けないと思った私は、桂川の土手を散歩することにした。少し向こうには吹雪でぼんやり霞む嵐山が見え、淡雪が横から下から顔にはり付いてくる。引き返そうかと思っていたら、一瞬にして雪が止み、今度は木漏れ日にぽかぽかした浅みどりの山肌が現れた。薄紅色の小枝も交り、なんとも長閑な春の山だと思っていたら、また吹雪……数秒後に山のてっぺんは雪化粧である。こんなことがあるのだなぁと、この繰り返し反転する景色を眺めていて、私はそうかと楽しくなった。以前から気になっていたが、嵐山の麓の渡月橋や中州は強風がよく吹いている。「嵐」という国字は、もともと山から降りてくる風を表すそうだが、もしかしてこの言葉はこの場所で生まれたのかもしれない……そう思って見ると、山の上から川に吹き下ろす風の道が見えるようだ。

 

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

(古今和歌集 巻五・秋下 文屋康秀)

 

昔の人の心を想像すると、なお勝手な思い込みを正当化したくなるが、それにしても自分の目に間違いないと思わせるほど、一瞬の中にある自然の力は凄まじい。こんなことを思いながら、実際には大きなお腹に眠る命を抱えて、あの時は訳のわからぬ不安と愛おしさで胸が締めつけられそうであった。けれど、この泣き笑いの景色を眺めているうちに、私の気持ちは治まっていったのである。

小林先生は、「眺める」ことについて、『本居宣長』の中で宣長のこんな言葉を引用されている。

 

物思ふときは、常よりも、見る物聞く物に、心のとまりて、ふと見出す雲霞草木にも、目のつきて、つくづくと見らるゝものなれば、かの物おもふ事を、奈我牟流ナガムルといふよりして、其時につくづくと物を見るをも、やがて奈我牟流ナガムルといへるより、後には、かならずしも物おもはねども、たゞ物をつくづく見るをも、しかいふ事にはなれるなるべし(「石上私淑言」巻一)

 

今は、このような、心に這い上ってくる、直な自然は、わざわざ会いに行かなければ出会えないほど身近なものではなくなってしまったが、古の人は、どんな瞬間にも自分の心を現しているかのような自然と、当たり前に対話をしていたように思う。それほどに、自然には「人目を捕らえて離さぬ」美しさがあり、これは小林先生が『美を求める心』で仰っている「私たちめいめいの、小さな、はっきりした美しさの経験」であると思う。

心動かされるものに出会うため、展覧会に出かけるのは楽しいことであるが、何となくここ数年、徐々にその回数が減ってきた。私の場合、それが自然を取り込む「お茶」に移行し、流れる時間の中で、からだ全体で美に出会う方が楽しくなってきたのかもしれない。

「茶の湯とは ただ湯を沸かし 茶を点てて のむばかりなる事と知るべし」と利休居士は言っているが、この一見日常の所作を非日常にすり替えていく一連の時間には、小林先生の言う「小さな、はっきりした美しさの経験」が、何百年もの人々が導く知恵や経験と相まって詰まっている気がするのだ。「お茶」は、ガラスケースの向こうの作品と向き合うのとは違って、数人の人の気が行き交う中で、感じることの蓄積された「自分」が、直に五感を通して動き出し、突然現れる美を待つ時間なのである。

 

三月の初旬、まだ雪が落ちては溶ける中、私と友人五名は山裾の知人宅の茶事に出かけていった。私たちは身支度をして、寒い腰掛待合で晴れたり曇ったりする空に淡雪を見ながら、ご亭主が迎えに来るのを待った。庭の木々や敷き詰められた苔は水分をたっぷり吸ってきらきらしている。どこからか種が飛んできたのだろう、つぼ菫がつくばいの石の間から顔を出している。露地の丸い飛び石も、よく打ち水を吸い込み、朝の陽光に湯気が立っている。茶庭に飛び石が敷かれたのには実用もあるけれど、その形や配置は大人でも飛んで渡りたくなる楽しさがある。気持ちが弾んだ先に、小さなにじり口が静かに待っている。

薄暗い三畳ほどの茶室の戸を開けると、何か背筋の伸びる難しい禅語が床に掛けてあり、私はわからないながら拝見し、自席に着いた。

ご亭主は、まず一番に火をおこしてくださる。これがうまくいかなければ、おいしいお茶がいただけないし、部屋もぬくもらない。釜が上げられると、真っ赤に菊の花が燃えているような種火が三つ炉中を暖めていた。それをのぞく私たちの顔も火照ってくる。そこへご亭主は大小きれいに洗われた炭を配して、最後に香をべる。

釜が煮える間、私たちは時季の一汁三菜と酒をご馳走になる。このころから気持ちが和ぎ、会話も弾んで掛物の字のありがたさがわかってくる。「明歴々露堂々」。なるほど、森羅万象は堂々とその姿をあらわにして真理を語っているという、春の自然の躍動を感じ、この時期には噛みしめやすい言葉である。

私たちは一旦、庭に出て気分をリセットする。見上げると、雲の間から真っ青な空が美しい。あんなに寒かったのに、冷たい空気が気持ちよくて、思い切り深呼吸をした。どこからか遅がけの梅の香りがし、鶺鴒せきれいが木の上で鳴いている。もう一度手や口を蹲で清めて茶室に入ると、今度は軸に替わって暗い床に一輪の白い花が、ぽっと明かりのように活けられている。その小さい蕾をそばでよく見ると、薄桃色の西王母という椿であった。西王母は、孫悟空にも出てくるが、一度食べたら三千年寿命が延びると言われる桃を庭に持つ仙女の名前である。霧が落ちたように瑞々しく活けられた姿は、部屋いっぱいに広がる練り香の清い香りに包まれ、妖艶な仙女が確かにいる気配が感じられた。上巳じょうしの節句を祝って数ある椿の中から、ご亭主があちこち探されたに違いない。

ここからはクライマックス。ご亭主はすっと襖を開け、無言でお辞儀をし、私たちも無言でそれを受ける。音は、シュンシュンと湯けむりを立てる釜の煮え音と、かすかにご亭主が茶を練る茶筅ちゃせんの音だけだ。その間、薄暗くしている窓の簾が外から巻き上げられ、畳にゆっくり陽が差し始める。陰から陽への室礼である。

そこで、出された一碗の濃茶を皆でいただく。分かっているけれど、実際、その茶の甘さは至福である。あとからあとから、ご亭主のお気持ちが全身に行き渡ってくる。私たちは、皆で回しのんだ茶碗をゆっくり拝見する。古萩で、少しゆがんだ形が州浜のように三角であり、釉薬ゆうやくは薄く、手にしっとりなじみがいい。色は川のような空のような、少し寒そうな色合いの景色で、銘は「帰鴈」。この時季、北方へ帰っていく渡り鳥……後になって知ったのだが、本居宣長も「朝帰鴈」という歌を詠んでいる。

 

朝霞 月も今はの 山端を 越えて消えゆく 春の鴈金かりがね

 

茶の湯はできるだけ日常の言葉を少なくし、自然や、人々の手仕事の技、道具の語らない力に話させて、美を求めようとする時間だ。小林先生は、「言葉の邪魔が入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかったような美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう」と仰っている。茶事は、同じ道具、同じ季節、同じ場所で行われたとしても、そこで味わう豊かな時間はそのたびごとに一回きりだ。それは、毎年巡り来る季節の美しさに似ている。茶を楽しむ人々はそこにしか咲かない美を見つけるために、じっと心を開けて待ち続けるのだろう。「お茶」にはそういう「沈黙の花」に出会う、限りない美の楽しみがある。

(了)