旅の空から

秋山 太郎

年のうち、20回以上は旅に出ている。若いころは、イラン・キプロス・モロッコ・ポーランド・チェコ・ネパール・インドなど海外でのバックパッカーをやっていたので、いまでも旅はすべてリュックで行く。基本的に仕事で旅に出ることはないので、いわゆるスーツケースなるものは持ったことがない。旅の最中にスーツを着るのはお伊勢さんの御垣内参拝をさせていただくときくらいのものだが、そういうときでもソフトケースにスーツを入れてリュックと一緒に持っていく。(実は、日常的な出勤もリュックで行っている)

旅の目的は、高校時代の同級生との登山であったり、歌舞伎・文楽・その他の芝居・落語を楽しむことであったり、祭りを見ることであったり、神社さんにお参りすることであったり、小林秀雄さんの文章に学ぶ会であったりするが、旅先での様々な出会いがおもしろい。

昨年、岐阜県は瑞浪へ行き、移築された歴史ある相生座という小屋で歌舞伎を観たとき、遅れて入った私に「お客さん、席わかりますか」と舞台から声を掛ける人がいる。なんと中村勘九郎さんだった。こんなことは、歌舞伎座などの大きい劇場ではあり得ない。江戸の風情を感じさせる地歌舞伎の小屋の内部も素晴らしかったが、観客と演者との接近感がたまらない。

今年の正月に、大阪の国立文楽劇場へ竹本織大夫さんの襲名披露公演に行き、お仲間と楽屋裏で織大夫さんにご挨拶させていただいた際、偶然、鎌倉で小林秀雄さんの「本居宣長」を読む池田塾でご一緒させていただいている山内隆治さんと遭遇した。お互い、示し合わせたわけでもないのに不思議なものである。

山内さんとは、今年4月に開催された大阪と広島での池田塾でもご一緒させていただいた。広島でいろいろとお話をしたのだが、そのときは気づかなかったことが後日、判明する。山内さんは記録映画アーカイブのプロジェクトに尽力されているのだが、私の父である秋山矜一が岩波映画という記録映画の会社で監督として撮った作品がこのアーカイブに65作品も保存されていることがわかったのだ。父は昨年亡くなったのだが、過疎問題や日本再発見シリーズなどの作品があり、山内さんのご厚意で上映会を企画していただけるとのことで、たいへん楽しみにしている。

毎月開催される鎌倉での池田塾では、塾生が事前に提出する「質問」に対して池田塾頭がお話をされるのだが、大阪と広島の池田塾では塾頭が講義形式でお話をされる。鎌倉ではあまりお話にならない内容を聴けたのは貴重だった。

広島での池田塾の翌日、現地の幹事である吉田宏ご夫妻のご案内で、広島県庄原市東城町で満開の千鳥別尺山桜を愛でながら地酒「神雷」をいただいたのも忘れがたい。少しでも時期をはずしたり、雨が前日に降ったりしたら、見頃の山桜には会えなかったわけで、仲睦まじいご夫妻の人徳のおかげと感謝するばかりである。山桜といえば、本居宣長さんである。宣長さんの桜の歌で最もよく知られているのが「しきしまの 大和心を 人とはば 朝日に にほふ 山ざくら花」だが、山桜を目の前にして、その美しさにうっとりするしかない気持ちは今も昔も変わらないのかもしれない。

 

先日、黒田月水さんという土佐琵琶奏者の方主催の伊勢ツアーに参加して、本居宣長さんが暮らした松阪に旅をした。松阪駅までお迎えにいらしていただいたのは初めてお会いする方だったが、創業天正三年という老舗の和菓子屋さんである柳屋奉善さんの奥さまだった。伊勢の地の空気感がとてもいい。山や緑に囲まれている感覚もいい。柳屋奉善さんの敷地の奥には庭があるのだが、喫茶室のお客さんだった左官職人さんが手づくりで最近つくられた茶室があり、柳屋奉善さんのご主人がいろいろな楽器の演奏をしながら伊勢松阪の歴史を話してくださったのが興味深かった。その後、茶室で月水さんの演奏を聴いてから鯛屋さんという、これまた老舗の旅籠に泊まって松阪牛の夕食を楽しんだ。以前、池田塾のメンバーで松阪合宿をした際に山内隆治さんが幹事だったのだが、その際、鯛屋さんの大女将にお世話になったことがわかった。大女将にはお会いできなかったのだが、池田塾のメンバーがお世話になったお礼を伝言していただいた。

翌日、伊勢ツアーのメンバーは午前10時に外宮さんに向けて出発することになっていたのだが、その前に私にはどうしても寄りたいところがあった。本居宣長さんが暮らした建物を移築した鈴屋と本居宣長記念館である。1時間弱と短い滞在時間だったが、「古事記伝」にまつわる興味深い資料を見ることができた。写真撮影可なのもうれしい。帰り際に、本居宣長記念館館長の吉田悦之さんが書かれた「宣長にまねぶ」を購入させていただいた。吉田さんとお話しする時間がなかったのが残念だが、それはまたの機会に取っておこうと思う。

伊勢の外宮さんには、柳屋奉善さんのご主人に運転していただき車で移動したのだが、その後、森の奥に連れて行っていただき、湧水を飲ませていただいた。このご主人はケーナを常に持っていて吹くなど、老舗の大旦那というより粋人という感じの方で、数年前にマヤの最高神官さんが来日されたときにもセレモニーの幹事をされたという。セレモニーは国内3か所で計画されたのだが、マヤにも「人間は最初、水の中から現われた」などという言い伝えがあるとのことで、伊勢の地が選ばれたのは当然という気がする。ちなみに他の2か所は悪天候等のため実施されず、伊勢でマヤの最高神官さんがお祈りを捧げるセレモニーが実現したとのお話だった。それでは、伊勢のどこでこのセレモニーは行われたのか。それは、その晩に、伊勢ツアーメンバーが泊まる二見浦の音無山だという。

二見浦の宿に着いた私が、ひとりで夫婦岩のある興玉神社さんにお参りして、宿に戻ろうかと歩いていたら、高潮時の避難場所として音無山の表示が出ているではないか。よし、これは行くしかないと音無山にビルケンシュトックのサンダルで登りはじめた。標高はそんなに高くないが、汗が噴き出てくる。かつては伊勢参りの方たちが多く訪れケーブルカーまであったというのが信じられないくらい、ひっそりとしている。それでも山頂から見る海の景色は素晴らしく、セレモニーの地にふさわしい。

急いで宿に戻ってきて、ひとっ風呂あびてから、黒田月水さんの活動30周年記念演奏会を聴く。「壇ノ浦」や「嫗」など迫力ある土佐琵琶の演奏と語りに酔いしれた。

「平家物語」も琵琶法師が語ってきたものであり、語りのリズムや腹式呼吸など、文楽との共通性も感じる。文楽の太夫さんは、合びき(尻引き)をお尻に入れて、腰をぐっと伸ばして、足をつま先立ちにして語るという。腰が定まらないと声が出ないのだ。「嫗」には「古事記」に出てくる淤能碁呂嶋などカミにゆかりのある日本各地の名が出てくる。そもそも、「古事記」は天武天皇が稗田阿礼に誦習(暗唱)させたものであり、声に出してみるのがいい。

翌日は、伊勢ツアーのメンバーで内宮さんの御垣内参拝を初めてさせていただいた。旅の最中にスーツ・ネクタイなのはこのときくらいだが、身が引き締まる思いがする。天気に恵まれ、最高の旅になったことはツアーメンバーの皆さんのおかげであると感謝したい。

旅を通じて、新たな出会いがあったり新たな学びがあったりする。あらためて、「古事記」を読み直してみたいと思う。

(了)