今号は、平成三十一(2019)年、初の刊行となった。
「巻頭随筆」には、鈴木美紀さんが寄稿された。本稿は、昨年11月、山の上の家で行われた「小林秀雄に学ぶ塾」の「質問」、すなわち、鈴木さんの「自問自答」から生まれたものである。小林先生の著作「本居宣長」に幾たびも向き合い、よし自分は読めている! と我が心のなかで秘かに快哉を叫ぶ瞬間はあれど、いざ300字の質問作りに入るや絶壁が立ち現れる、という状況は、塾生なら誰しもよく実感しているところであろう。
そんな「自問自答」は、当日の塾頭や塾生とのやりとりだけでは終わらない。その後、各自が日常生活を送るなかでの省察や熟成の時を経て、本誌への寄稿作品として生まれ変わる。
安田博道さんは、介護のために帰省したご実家で蘇った「お父さん」という言葉をきっかけに、ある直覚を得た。久保田美穂さんは、幼い頃に入院していた病室で、思わず自ら発してしまった言葉と真摯に向き合った。本田正男さんは、弁護士として接した少女が、審判廷でおじさん夫妻に放った「なんだ、来たのかよ」という悪態のような言葉の奥底にある色調の深みまで、思い出した。そして、小島奈菜子さんは、以前より、本居宣長や小林先生が使う「徴」という言葉を、ひた向きに追い求め続けている。
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「脳科学者の母が、認知症になる」(河出書房新社刊)という本を上梓した恩蔵絢子さんは、「私の人生観」に寄稿された。急に直面することになった状況下で、日々お母さまと向き合う構えや勇気は、小林先生の言葉や山の上の家での「自問自答」を通じて得られたものだという。読者各位には、ぜひ同書も手に取って、併せて味読いただきたい。
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「人生素読」は、北村豊さんによる紀行文である。北村さんが直知しようと追い求めたのは、小林先生が下諏訪の「みなとや旅館」で言った「諏訪には京都以上の文化がある」という言葉であった。
有馬雄祐さんにとって、まさに「考えるヒント」となったのは、「人は歳をとるほど幸せになる」という言葉である。「高齢のパラドックス」を若者の側から見つめ直すという画期的な試みを寄せられた。
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今号から新しく、三浦武さんによる連載「ヴァイオリニストの系譜」が始まった。小林先生は、旧制中学時代という若い時分から生涯をかけて、ヴァイオリンを、ヴァイオリニストを愛してこられた。今後読者が、小林先生による、音楽やヴァイオリンについての文章を読み進めるうえでも大いなる助けになるものと確信している。まずは、自ずとそう思わせる三浦さんらしい「序曲」からお愉しみいただきたい。
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2019年1月某日、本年最初の塾が山の上の家で開かれた。塾生による「自問自答」発表後の午後の茶話会では、いくつもの話の輪が広がり、午前の発表内容について、「自分はこう思う」「私はこう考える」という会話が絶えない。この見慣れた光景を眺めながら、改めて感じたことがある。これは、小林先生のいう「対話」ではないか、と。
先生は、昭和53(1978)年、熊本県阿蘇で行われた、学生向けの講義「感想――本居宣長をめぐって――」の後の質疑応答で、女子学生が、身勝手な考えに陥らない自問自答について質問したのに応えて、こんなことを言っている。
「現実に語る相手がいる場合は、君は空想に陥ることはないだろう。二人で協力するし、向うの知恵もありますからね。向うが質問する場合もあるだろう。お互いに協力して知恵を進めることができる。(中略)だから最初に言ったように、ディアレクティークというもの、つまり対話というものが純粋な形をとった時、それは理想的な自問自答でありえるのです。……」(「学生との対話」国民文化研究会・新潮社編)
独力で作り上げた自問自答を塾頭にぶつける、塾生にぶつける、そして本誌に寄稿する。この営みの繰り返しこそ、理想的な自問自答であるし、私たち塾生が歩むべき道にほかならない。
そんなことを思っていると、窓の外には、寒風のなか大きく開いた梅一輪が、やさしく微笑んでいた。
(了)