「本居宣長補記Ⅰ」の最後に、「虚数」という言葉がある。この言葉がどれほど私を驚かせたか、おそらくそこまで到達する事は出来まいが、先ずは、私を驚かせたその情景を、眺めさせてもらいたい。
――時間単位を光速度という虚数で現さねばならない、そういう思想史の成行きの裡で、「来経数」と呼ばれていた古人の時間の直かな体得につき、宣長がその考えを尽したところは、どういう照明を受けるであろうか。それを考えてみることは空想ではない。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集、p.300)
ここを読んで、私は、小林秀雄と言う人がどこまで物理や数学の感覚を持っていたのか、非常に知りたくなった。というのも、この文章は、物理学の知見を持っていない人間に書けるものではないし、物理学の知見を持っているだけの人間に書けるものでもないからだ。専門知識云々ではなく、物理というものを身につけた人の文章であると見えたからだ。
なるほど、ここで使われている用語は、必ずしも物理学における正確な使い方ではないとも言える。だがそれは、小林秀雄は物理学の専門家でない事以上の、何を言っているだろうか。季節の和歌を詠む人々が暦法を目指して詠んだわけではないように、そうでありながら、誰よりも「こよみ」というものを、「時を知る」というコトを知っていたように。
小林秀雄は、物理学を利用して宣長の考えを正当化したのではない。ただ、物理学の行きついた、「『時を知る』という言葉の意味」(同第28集、p.300)、万物に共通・共有なる「時間」という観念の危機と刷新につき、「科学」というものに依存している現代の思想や社会に染められた私達にとって、「真暦」や「来経数」というものについて本居宣長という人が考えを尽くしたところは、決して他人事ではない、そう言っているのだ。
無論、宣長が異をとなえた当時の暦法よりは、現代技術に裏打ちされた今の暦の方が天体に対し正確であるし、そも、桜の開花時期など季節の移り変わりの出来事を日時のみに依存するのではなく、気象観測に頼むところが大きいという点においては、当時の暦法より「真暦」に近いと、言って言えなくはないだろう。もっともそれは、あくまで技術的な水準の話であって、宣長の難じた暦法の考え方は変わらず存在し、そこからすれば、当時の暦法も現代の暦も、大差はないと言っていい。すなわち、世の移ろいの見極めを気象学者や公共機関に任せきりにするのではなく、一人一人が自ずから行っていたという事、この一人一人の「わざ」が「こよみ」というものの根っこにある事こそが本居宣長という人の得た確信なのであって、この確信こそが、小林秀雄を驚かせたのだ。
実際、電子機器が生活の至るところで働く現代において、本居宣長の抱いたこの確信が決して無縁でない事は、良くわかるだろう。数多の機械を制御する時計群は、折に触れ互いに同期している事を確認し、同期し続ける事を求められる。そして、この機械に支えられている私達の生活もまた、その便利さを許容する瞬間、この時計に同期する事を求められる。しかし、この時計群の指し示す時間は、決して、私達の命や心そのものではないだろう。でなければ、私達が目覚まし時計のベルに苛立つ理由など、どこにもないはずだ。
とはいえ、この便利な生活を全て捨て去れなどという気はない。宣長も、生活を蔑ろにして良いなどと、言うような人ではない。彼は誰よりも確かな生活人であり、生活を捨て去ったところに彼の学問など、あるはずがない。
だが、そんな生活人たる本居宣長は、しかし決して、生活の秩序に屈服せよとは言わなかっただろう。或いは、人の心が生活に服従する事など出来る筈がない、とすら言ったかもしれない。ただ生きる事に満足出来るならば、人には言葉などなかっただろう。
少し話を進めすぎたかもしれない。今一度、「真暦」というものにつき、宣長が抱いた確信に立ち戻ろう。
「時を知る」、時を測るというのは、一人一人がめいめいに行う「わざ」であり、一個人の中でさえ、木花の振る舞い、空気のにおい、月の満ち欠けやお日様の明け暮れに至るまで、全ての「わざ」は、同種ではありえても、同一ではありえない。であると同時に、この種の「わざ」は、時代を問わず全ての人が、少なからず身に付けているものだ。でなければ、秩序ある「生活」というものを持つ事など出来まい。暮れゆく夕日から「時を知る」事が、どれほどしっかりとした「わざ」であるか、私達も日々感じているところだろう。まして、この「わざ」が切実であった古の人々の感ずるところは、どれほどのものか。
――時を測るという、生活を秩序づける根柢的な行為を語っている古言には事を欠かぬ。これを慎重に忠実に辿りさえすれば、今日の人々もおのずから、この古人の「わざ」の直中に導かれる。その内容を成す暦の観念の発生が、明らかに想い描かれた時、「うけひかぬ人かならず有べけれど、かならずかくあらではえあらぬわざぞかし」という強い発言となったのである。(同第28集、p.294)
人が一つの人である以上、また、生活が複数人の集まりで行われる以上、その生活を秩序づける中で各々の「わざ」を束ねる観念が形成される事も、当然の成り行きであろう。しかし、この観念が、人々の全ての「わざ」を受け止められる保障も必要も、実のところありはしない。なるほどこの観念は必要があって生み出されたものだが、逆に言えば、用さえ成せば、それで事足りるものだ。これを更に逆様に言うなら、用を成さないような観念は、それがどれほど強固な理論を備えていたとしても、ここでは無用の長物に過ぎない。
重要なのは、そこにある観念が人々の「わざ」と確かに響きあっている事であり、それは人々の「わざ」から切り離された観念でもなければ、一個人の「わざ」だけに左右されてしまう観念でもないという事だ。この観念の上に人々の「わざ」があるのではなく、この観念が根をはっているところに人々の「わざ」があるという事だ。
この、人々の「わざ」とそこにある観念との、微妙な関係を摑んで放さない事こそ、本居宣長という人の手つきであり、これを分断して分かりやすく整理する用など、彼の頭にあるはずもない。というより、本当に丹念に整理を進めたならば、自ずから元の微妙な関係に立ち返る他ない、そういうところに、彼の徹底した分析力は向かっていくのだ。
――暦法の合理化の限りを尽くそうとする、「こちたき」分析力が、分裂を知らぬ「大らかな」生き方に収斂する、そういう形で、彼の説くところが終るのを、読者ははっきりと見るだろう。(同第28集、p.295)
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冒頭の文章には未だ至っていないが、どうか、ここまでにさせてもらいたい。これ以上続けても、私は、同じ事を繰り返す事しか出来ない。そして、冒頭の、「虚数」という言葉に私が抱いた驚きも、ここに書き留めた話と、同心円を描いているのだ。
とは言え、このままでは、物理や数学の知見をお持ちでない方も、物理や数学の知見をお持ちの方も、ピンと来るものが無いかも知れない。なので最後に、この話の詞書として、物理学の側からも、解説めいた余談を置かせてもらおうと思う。
本文で話の書き出しとした「時を知る」、時を測るという事についてだが、これは言うまでもなく、物理学の最も基礎にあるものだ。
本誌2018年1月号に有馬雄祐氏が書いたように、殆どの、いや、時間という変数を含む全ての物理的数式は、それ自体では時間の進む早さに頓着しない、どころか、その向きにすら頓着しない(それゆえ数式を破綻させる特異点と出会わない限り過去へと遡れる)のだが、しかし、時間という変数そのものを抜き去ってしまえば、物理学は空中分解するしかない。
また、時を測るという事は、繰り返す何かを世の中に見出すという事だが、本当の事を言えば、世の中に繰り返される事など、何一つとしてない。しかし、繰り返すものなどない世の中に、繰り返すと見えるものを見出すところから出発し、繰り返すと看做したものの法則を確かめ合う、それが物理学というものだ。こう言えば、物理学は傲慢なものと見えるだろう。しかし、そもそも生活とは、生活の秩序とは、そういうものだろう。だからこそ、科学は生活を便利にするのだ。
かように、「時を知る」という事は物理学の根底に関わる問題であり、特殊相対性理論によって「『時を知る』という言葉の意味が、根柢から問い直された事」が、どれほど重大事件であったか、多少は分かっていただけただろうか。
特殊相対性理論は、光速度を受け入れるために純粋時間・純粋空間を否定する代わり、複数の時空間の捉え方、即ち観測点の間に変換式を設ける事で、物理学の空中分解を防いだ。つまり、全ての観測点が従うべき純粋な時間や空間など必要なく、逆に、変換式さえ通せば、任意の観測点が基準となるという事だ。これを更に進めて言えば、物理学とは、変換式で繋がり得る観測点のみを扱うという事でもある。これが、物理学の要請する客観性だ。取り上げられた観測点を離れた時空間の想定は、客観的にそうあるべき世界ではなく、計算を簡略化するための便宜的観念に過ぎない。
――或る観測点が、他のどんな可能な観測点にも、変換式により正確に連結されるものである以上、或る部分的な観測点は、そのままで絶対的な観測点でもあるという意味だ。「天地のありかた」は、何処から何処まで一様で、純粋な計量関係に解体され、物理学が要請する客観性と同義の言葉となる。(同第28集、p.300)
そして、この変換式の中で、時間という、直接物差しを当てる事の出来ない観測対象が、空間、即ち人工的加工によって作られた物差しで計量しうる領域、或いは物差しそのものの延長線上と呼んでもいい世界に対し、虚数として、文字通り軸の違う、しかし、物差しを利用する=数を利用する限り暗黙の内に発明されている有り方として表現される。これが、どれほど驚くべき事か。もう一度、冒頭に置いた、この文章に続く、小林秀雄の文章を眺めてもらいたい。
この驚きを本当に知ってもらうには、「虚数」というものについても話さなければならないだろうが、しかし、ここまででも、充分、驚きうる事は分かってもらえると思う。
無論、小林秀雄という人がこれを意図して「虚数」という言葉を置いた、と言えば、深読みが、というより、牽強付会が過ぎるだろう。ただ、小林秀雄という詩魂が垣間見せたこの言葉に、日本語と数学に育てられた私の詩魂は、感かずにはいられなかった。
だから、始めに言った通り、この余談は、あくまでも私の驚きを知ってもらうための詞書のようなものであり、今回の話は、「本居宣長補記Ⅰ」の文章の解説ではなく、小林秀雄の文章に現れた情景を目の当たりにした私が、詠まずにはいられなかったウタなのだ。
(了)