生命の創造性

有馬 雄祐

「私が生命のはずみというのはつまり創造の要求のことである。生命のはずみは絶対的には創造しえない。物質に、すなわち自分のとは逆の運動にまともにぶつかるからである。しかし生命はそうした必然そのものとしての物質をわが物にして、そこにできるだけ多量の不確定と自由を導入しようとつとめる。どんな風にその仕事にとりかかるか」

アンリ・ベルクソン著『創造的進化』(真方敬道訳, 岩波文庫, p.297-298)

 

私とは何か。非常に難しい問題であると思う。デルフォイのアポロ神殿には「汝、自身を知れ」という言葉が、格言として彫られてあったという。私は、私自身が最も良く知っている筈であるのだから、これはなかなかに微妙な問題を含んだ格言であると言えるだろう。どうして、自分自身を知るという事が問題になるのだろうか。

私という問題について、最近、スピルバーグ監督がハーバード大学の卒業生へと向けたスピーチをネット上で聞き、改めて考える機会を得た。映画は、登場人物が自分自身が何者であるかに気付く瞬間をよく描いているが、映画界ではそうした瞬間の事をキャラクター・ディファイニング・モーメント(character-defining moment)と呼んでいるらしい。キャラクターという言葉は、物語では登場人物の事であり、性格とか気質とか言う意味が含まれた言葉であるから、キャラクター・ディファイニング・モーメントとは自分自身を知る瞬間の事であると言える。ここでは、私という問題について、スピルバーグ監督のスピーチから考えた事について書きたいと思う。以下は、スピルバーグ監督がキャラクター・ディファイニング・モーメントについて触れている箇所の引用である。

 

「……あなた方が次にやるべきことは、映画の世界で『キャラクター・ディファイニング・モーメント』と呼ばれていることです。そうした瞬間は映画では身近なもので、例えば、(筆者注;スター・ウォーズの)レイが自身の内なるフォースに気が付き、フォースに目覚める瞬間や、インディアナ・ジョーンズがヘビの山を飛び越えて恐怖ではなく使命を選択する瞬間のことです。2時間の映画の中では、そうした瞬間は一握りのものでしかありません。ですが、実際の人生では毎日、そうした瞬間と出合います。人生とは、一本の強くて長いキャラクター・ディファイニング・モーメントの糸のようなものです。幸運なことですが、18歳で私は既に自分が何をやりたいのか知っていました。ですが、私は自分が何者であるかは未だ知りませんでした。私にとっても、他の誰にとってもそれを知るのは難しいことです。なぜなら、人生の最初の25年間、私たちは自分以外の声を聞くように訓練され続けるからです。(中略)私の高校生の頃がそうであったように、耳を傾けるべき内なる声は最初の頃はとても聞こえづらく、目立ちませんでした。ですが、その後に私はより多くの注意を払うようになり、私の直感が動き始めました。(中略)ここで、直感というものが良心とは異なるものである事をハッキリさせておいてください。それらは一緒に働きますが、両者は別物です。良心は「これはあなたのやるべき事だ」と叫び、直感は「あなたならそれができるかもしれない」とささやきます。あなたに何ができるかを告げる内なる声に耳を傾けてください。その他に、あなたが何者であるかを決めるものはありません。……」

 

「人生とは、一本の強くて長いキャラクター・ディファイニング・モーメントの糸のようなものです」と、スピルバーグ監督は言う。これは、生きる上では大切にしていたい認識である。映画の中でキャラクター・ディファイニング・モーメントは劇的な一場面として描かれる事が多いけれど、実際の人生においては、スピルバーグ監督も言う通り、それは日々刻々と創り出されるものだからである。「私」とは、一種の創造であるというわけだ。そうした認識は、社会的な常識とか過去の惰性から自身を守って、自発的に生きる努力にとって大切なものであるように思う。

 

また、スピルバーグ監督は「あなた方が次にやるべきことは」と、キャラクター・ディファイニング・モーメントという課題を卒業生に向けて提示しているけれども、それはつまり、キャラクター・ディファイニング・モーメントという課題が、大学を卒業するといった社会的な課題とは質が異なる課題であると言うことだろう。私の事は、私自身が一番に良く知っている筈である。そうであるのに何故、キャラクター・ディファイニング・モーメントが人生における課題になるのだろうか。なかなかに微妙な問題であると個人的には思うのだけれど、おそらくそれは、「私」や、或いは同じ事だが人生というものにとって、決断というものが大事な問題になるからではないだろうか。僕自身も課題の真っ只中であるわけだけれども、この問題についてもう少し書いておきたい。

 

僕ら人間は皆、非常な可能性を秘めて生まれてくる。子供の可能性は無限大であるとは、よく言われる事だが、考えてみるとこれは大事な事実であると思う。そうした可能性を僕たちは、時間と言う資源を消費しながら、具体的な人生という形に変えていく。具体的に成し得る事は、可能性とは違って限りがあるわけだから、この過程では何かしらの取捨選択が不可欠となってくる。誰もが理解している当たり前な話だ。蛇足だが、僕らの脳は大人になるにつれてシナプスの刈り込みと呼ばれる機能の効率化を図っていくものであるらしい、興味深い生理学的事実である。では、人生というものがどうしてそうした構造をしているのかと言うと、その理由の根源を辿ってみると、僕が思うに、生命というものが創造的な存在であるからではないだろうか。生命は創造的な存在であるから、全く同じ環境を生きる人生というものはあり得ない。彼が生まれる時と場所に適切な能力や、或いは人生の意味は、誰にも予め決められない。だから子供は無限の可能性を秘めて生まれてくるのだろう。だから、僕らの人生においてはキャラクター・ディファイニング・モーメントが大切な課題になるのだろう。

 

僕は大学生になってから本を読み始めたのだが、最初の動機は、受験という目標から解放された事もあって、人生の意味が知りたくなったからである。しばらく色々と読み漁ってみて、自分が生きる意味を本の中では見つける事が出来ないという事実に気が付き、不思議な思いがした。人類には長い歴史があって、無数の人たちが既に人生を歩んできたというのに、どうして他人が生きた人生の意味を借りることが出来ないのだろうかと、不思議に思ったのである。

生きている意味は、一人一人が自分自身で見出さなければならない。当時の僕が不思議に思ったその事実については、繰り返しになるが、今では次のように理解している。

何にもない地球上で生命が誕生して、それまでの生態系を土台としながら新たな種が生じ、生態系そのものが持続的に進展していくように、人類の歴史も繰り返さない。生命は創造的な存在である。従って、全く同一な人生というものは存在し得ない。他人が生きた人生の意味をそのまま借りることの出来ない理由は、当然な事ではあるが、生命の創造性に由来する。また、この課題は生命が創造的な存在であるが故に、生涯のどこかで完結するようなものではないのだろう。

 

スピルバーグ監督は、自分自身を知るという課題にとって、唯一の大切な手がかりとなるものが直感であると助言している。直感は、僕らが創造的に生きるために意識に与えられている大切な働きであるのだと思う。直感のこうした捉え方は、実のところ、冒頭で言葉を引用しているアンリ・ベルクソンという哲学者のものでもあって、意識的な知性に対して直感こそが「生命そのもの」であると彼は言う。直感については、また稿を改めて詳しく書いてみたいと思っているけれど、ここでは最後に、生命における創造が抱えているように感じられる本質的な困難について触れて、話を終えたい。

恒常性(ホメオスタシス)という概念があるように、生命は無秩序な環境の内で安定した状態を維持しようと努める存在である。他方で、そうした秩序を破る生命の飛躍がなければ生命現象は成り立たない。遺伝の本質を成す過程である突然変異は、種に進化と言う飛躍をもたらす生命にとって不可欠な機構であるが、同時にそれは個々の生命体にとっては有害なものにもなり得てしまう。また、天才と呼ばれる、社会に飛躍をもたらす文化的な現象が確率論的にしか存在し得ない理由も、おそらくは生命における創造の本質的ジレンマに由来しているのだろう。

直感の声を聞くのに努力を要するという事実は、思うに、生命がその初動から抱え続けてきた創造の困難に由るものであるのだと思う。生きている限りは出来るだけ、耳を傾けるよう努力していたい。

 

 

参考文献:

・ Steven Spielberg’s Harvard University 2016 Commencement Speech (May, 2016)

 

引用箇所の原文

… Well, what you choose to do next is what we call in the movies the ‘character-defining moment.’ Now, these are moments you’re very familiar with, like in the last Star Wars: The Force Awakens, when Rey realizes the force is with her. Or Indiana Jones choosing mission over fear by jumping over a pile of snakes. Now in a two-hour movie, you get a handful of character-defining moments, but in real life, you face them every day. Life is one strong, long string of character-defining moments. And I was lucky that at 18 I knew what I exactly wanted to do. But I didn’t know who I was. How could I? And how could any of us? Because for the first 25 years of our lives, we are trained to listen to voices that are not our own. … And at first, the internal voice I needed to listen to was hardly audible, and it was hardly noticeable — kind of like me in high school. But then I started paying more attention, and my intuition kicked in. … And I want to be clear that your intuition is different from your conscience. They work in tandem, but here’s the distinction: Your conscience shouts, ‘here’s what you should do,’ while your intuition whispers, ‘here’s what you could do.’ Listen to that voice that tells you what you could do. Nothing will define your character more than that. …

 

(了)