小林秀雄さんの『本居宣長』を読み進めていく中で、人が言葉を使うことを巡る次の箇所が目に留まった。
この人生という主題は、一番普通には、どういう具合に語られるのか。特に何かの目的があって語られるのではなく、宣長に言わせれば、ただ「心にこめがたい」という理由で、人生が語られると、「大かた人の情のあるやう」が見えて来る、そういう具合に語られると言うのである。人生が生きられ、味わわれる私達の経験の世界が、即ち在るがままの人生として語られる物語の世界でもあるのだ。宣長は、「源氏」を、そう読んだ。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.276、16行目~、「本居宣長」第24章)
初めて読んだ当初は、この「人の情のあるやう」が見えて来る人生の語られ方について、言われてみればそのような気もするなあ、という風にしか読みとれなかった。しかし日を追うごとに、いわば私を捕えて離さない。ただ一介の読者に過ぎぬ私が、このシンプルで直截な文章に魅了されているのだから、よほど大切なことがその奥に在るのではないか。
そもそも、宣長はなにゆえに、このような認識を持つに至ったのだろうか?
脳裏に浮かび上がった、この問いについて自問自答の山登りを試みようと思う。
自問は、「特に何かの目的があって語られるのではなく、宣長に言わせれば、ただ『心にこめがたい』という理由で、人生が語られると、『大かた人の情のあるやう』が見えて来る」という認識に、なにゆえに宣長は達することができたのだろうか、である。
この問いのヒントになろうかと思えるのは、宣長が「源氏物語」から受け取った、人が言葉を使う仕方について、小林秀雄さんが書いている次の文章である。長いが大事な引用である。
「見るにもあかず、聞にもあまる」ところを、誰も「心にこめがたい」、こんなわかり易い事はない。生活経験が意識化されるという事は、それが言語に捕えられるという事であり、そうして、現実の経験が、言語に表現されて、明瞭化するなら、この事はおのずから伝達の企図を含み、その意味は相手に理解されるだろう。「人にかたりたりとて、我にも人にも、何の益もなく、心のうちに、こめたりとて、何のあしき事もあるまじけれ共」、私達は、そうせざるを得ないし、それは私達の止み難い欲求でもある、と宣長は言う。私達は話をするのが、特にむだ話をするのが好きなのである。言語という便利な道具を、有効に生活する為に、どう使うかは後の事で、先ず何を措いても、生まの現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印しはなかろうし、その有用無用を問うよりも、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又根本的な人生経験であろう。「源氏」は、極めて自然に、そういう考えに、宣長を誘った。(同p.276、2行目~、第24章)
人は実生活の何かの目的のために言葉を使うだけではない。どうにも人に伝えたくなって語り出す、あるいは思わず語ってしまうことも多々あるではないか、と書かれている。日常の目的に沿って使う言葉は、多くの場合に目的を果たす短時間で役割を終えて心にとくに残ることは少ない。むしろ、無目的に語られる話の方が、語る人、聴く人、双方の内面、精神生活に強く長く影響することが多いと、私は実感する。また、「生まの現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印しは」無いのも確かである。
では、どうにも人に伝えたくなることは何かと言えば、「見るにもあかず、聞にもあまる」ことで、それは「心にこめがたい」からだ、「私達は、そうせざるを得ないし、それは私達の止み難い欲求でもある、と宣長は言う」と書かれている。
これらのことを考え合わせると、宣長は、「源氏物語」の熟読によって、人々が「心にこめがた」く語り出すであろう、生きていく上での切実な出来事が描かれていることに気づき、「人の情のあるやう」である人生そのものが「源氏」から感じとれたのだろう。それゆえに、宣長は、「ただ『心にこめがたい』という理由で、人生が語られると、『大かた人の情のあるやう』が見えて来る、そういう具合に語られる」という認識に達したのだと言えよう。
しかし私には、まだ以下の点が腑に落ちない。それは、なにゆえ人は「見るにもあかず、聞にもあまる」ところを、誰も「心にこめがたい」と語り出す、そのような行動を取るのだろうか、という点である。これは宣長の認識であり、小林秀雄さんも「こんなわかり易い事はない」「それは私達の止み難い欲求でもある、と宣長は言う」と書いているのだが、私にはどうも合点がいかなかった。
この疑問を考えていく中で、以前より気になっていた、少し前の章の宣長の言語観についての文章に注目し、引用する。
私達の身体の生きた組織は、混乱した動きには堪えられぬように出来上っているのだから、無秩序な叫び声が、無秩序なままに、放って置かれる事はない。私達が、思わず知らず「長息」するのも、内部に感じられる混乱を整調しようとして、極めて自然に取る私達の動作であろう。其処から歌という最初の言葉が「ほころび出」ると宣長は言うのだが、或は私達がわれ知らず取る動作が既に言葉なき歌だとも、彼は言えたであろう。いずれにせよ、このような問題につき、正確な言葉など誰も持ってはいまい。ただ確かなのは、宣長が、言葉の生れ出る母体として、私達が、生きて行く必要上、われ知らず取る或る全的な態度なり体制なりを考えていた事である。言葉は、決して頭脳というような局所の考案によって、生れ出たものではない。この宣長の言語観の基礎にある考えは、銘記して置いた方がよい。(同p.261、8行目~、第23章)
「言葉は、決して頭脳というような局所の考案によって、生れ出たものではない」とは、驚くべき深遠な認識である。
加えて小林秀雄さんは、「私達の身体の生きた組織は、混乱した動きには堪えられぬように出来上って」おり、「内部に感じられる混乱を整調しようと」すると書いている。人の心身は、そのように出来ている、そういう構造なのだと宣長は言っており、小林秀雄さんも同じ認識である、と考えてよいであろう。
この認識からすれば、「見るにもあかず、聞にもあまる」ところを、誰も「心にこめがたい」と語り出す、そのような行動を人が取るのは、至極自然と言えよう。
そして、「ただ『心にこめがたい』という理由で、人生が語られると、『大かた人の情のあるやう』が見えて来る」のも自然のことであって、その起源は人間の心身の出来に由来しているとも言ってよいであろう。
さらに小林秀雄さんは、悲しみが声となるところの宣長の考えに触れ、次のように書いている。
誰も、各自の心身を吹き荒れる実情の嵐の静まるのを待つ。叫びが歌声になり、震えが舞踏になるのを待つのである。例えば悲しみを堪え難いと思うのも、裏を返せば、これに堪えたい、その「カタチ」を見定めたいと願っている事だとも言えよう。捕えどころのない悲しみの嵐が、おのずから文ある声の「カタチ」となって捕えられる。(同p.264、12行目~、第23章)
生きて行く途上で出会った、悲しみや心が震える思いを人は、言葉はもちろんのこと、何かを表すことで堪えがたくともそれを堪えようとし、整えた「カタチ」として人々に伝えようとする。伝えられた人々は、それを我がことのように分かち合う。人はそういう存在だと言っているのだろう。美しいことだと思う。それは、いわゆる文芸のみならず、今日の芸術と呼ばれる多様な表現の源泉ともいえるのではないだろうか。
そしてもうひとつ、小林秀雄さんのこの文章から、とても大切なことが見えるように思う。
「実情の嵐の静まるのを待つ」、「叫びが歌声になり、震えが舞踏になるのを待つ」、その「待つ」時に起きるものは沈黙である。心が揺さぶられる経験を、人が心身の出来に従い、言葉にするなど「カタチ」に整えるには、その時間の長短は様々であれ、沈黙の時間が必要だと示唆しているように思う。
もちろん、ただ無為にボーッと沈黙していても「カタチ」は生まれない。適した言葉が見つからないが、感受性と認識が充実した沈黙の時間と言ったらよいか、そのような沈黙が、人の心を打つ言葉など「カタチ」を生むには必須なのではなかろうか。
そして、現代に生きる私達は、このように充ちた沈黙の時間というものに、気づいているのだろうか。
ここまで、「ただ『心にこめがたい』という理由で、人生が語られると、『大かた人の情のあるやう』が見えて来る」という宣長の認識を問うことから始めて、人が生きていく途上で出会う心を震わす経験、人生そのものと言ってよい経験と、生きた言葉の生まれ方についての考察にまで至った。
人は人生で、過酷な運命を逃れられないことも多い。にもかかわらず、生きて手応えある道を進むために、言葉が与えられたのではなかろうか、ということも想像してみる。
生きて出会ったことの情感を充全に認識し、沈黙を経て言葉へと整え、表出する。この、人間の心身の出来、構造に根差した行いをしていくことで、生きる旅路に時に応じた青空が覗くのではなかろうか、と私は思う。
(了)