内から発する努力、とは……

橋本 明子

本居宣長は、『古事記』の真を得んとして、それまで誰も読むことのできなかった『古事記』の註解を始めました。小林秀雄先生は、私たち人間が真を得るためには、「生きた知慧には、おのずから備っている、尋常で健全な、内から発する努力」が必要である、と述べています。では、「尋常で健全な、内から発する努力」とは何でしょうか。これが私の自問でした。

 

この自問について考える手掛かりとして、池田雅延塾頭が示されたのは、「本居宣長」の第四十九章に出ている「京極黄門の小倉山庄百枚の色紙」のたとえ話でした(『小林秀雄全作品』第28集180頁3行目〜)。「藤原定家が一首ずつ百枚に書き、京都の小倉山麓にあった山荘の障子に貼ったと伝えられる、京極黄門の小倉山庄百枚の色紙」を例に引きながら、宣長は「贋物に欺かれない事と、真物を信ずる事とは、おのずから別事であろう。どちらが学者にとって大事か」を、問うのです。似たものを持つ人も多い、その色紙の山を前にして「これは偽物である」という証拠を探し、偽物に欺かれないように必死になることと、そこから一枚の真筆を見分け「真である」と信じることとは全く別のことであり、学者として取るべき道は後者であると、宣長は明言しています。宣長は全てを真と信じてかかりますが、他の学者はほとんどを偽物だとして疑ってかかります。「古事記」における神話や伝説についても、宣長は全てを真と言い、他の学者は全てを単なる寓話だと言うのです。

 

古人の心をもって真を信じる。この古学に関する考えは宣長の精神の中心にあり、文中何度も繰り返し現れます。―「古学の眼を以て見る」とは、眼に映じて来るがままの古伝の姿を信ずるという事であり、その姿を見ず、姿から離れた内容を判じ、それが理解出来なければ信じないとか、理解の行く程度だけ信じて置くとかいうような事は、「古学の眼」の働きからすれば、まるで意味を成さない、と彼は言い切っているのだ。……」(同102頁18行目〜)素直な心と態度で「眼に映じて来るがままの古伝の姿を信ずる」、これを貫くことがどれだけ困難か、宣長も小林秀雄先生も、また読者である私たちも知っています。

 

私の日常を振り返っても、次々と現れる目前の俗事への対応を求められる。ところが、時間と心に余裕を持たないので、眼に映じて来るがままの姿を頭が理解しない。また、誤って偽りのものを手に取れば、足元が崩れ落ちるような恐ろしさを感じている。なぜ真か、なぜ偽りか、常に証左と説明を求められる。そういう次第で、「眼に映じて来るがままの古伝の姿を信ずる」ことは、私たち現代人にとってはもはや思いもよらないことですが、いや、これは今に始まった事ではなく、宣長の時代から人間の本質は変わっていないのかもしれないとも思います。

 

では、このあたりで、冒頭の自問を意識しながら自答につながる小林先生の本文を読みたいと思います。

 

―生活の上で、真を求めて前進する人々は、真を得んとして誤る危険を、決してそのように恐れるものではない。それが、誰もが熟知している努力というものの姿である。この事を熟慮するなら、彼等が「かしこき事」としている態度には、何が欠けているかは明らかであろう。欠けているのは、生きた知慧ちえには、おのずから備っている、尋常で健全な、内から発する努力なのである。彼等は、この己れの態度に空いた空洞を、恐らく漠然と感じて、これをおおおうとして、そのやり方を、「かしこげにいひな」す、―それで、学者の役目は勤まるかも知れないが、「かしこげにいひな」して、人生を乗り切るわけにはいくまい、古人の生き方を明らめようとする宣長の「古学の眼」には、当然、そのように見えていた筈である。真と予感するところを信じて、これを絶えず生活の上で試している人々が、証拠が揃うまで、真について手をこまぬいているわけもなし、又証拠が出揃う時には、これを、もう生きた真とも感じもしまい、というわけである。(同183頁15行〜)

 

―宣長が、此処に見ていたのは、古人達が、実に長い間、繰返して来た事、世に生きて行く意味を求め、これを、事物に即して、創り出し、言葉に出して来た、そういう真面目な、純粋な精神活動である。学者として、その性質を明らめるのには、この活動と合体し、彼等が生きて知った、その知り方が、そのまま学問上の思惟の緊張として、意識出来なければならない。そう、宣長は見ていた。そういう次第なら、彼の古学を貫いていたものは、徹底した一種の精神主義だったと言ってよかろう。むしろ、言った方がいい。観念論とか、唯物論とかいう現代語が、全く宣長には無縁であった事を、現代の風潮のうちにあって、しっかりと理解する事は、決してやさしい事ではないからだ。宣長は、あるがままの人の「ココロ」の働きを、極めれば足りるとした。それは、同時に、「ココロ」を、しっくりと取り巻いている、「物のココロ、事のココロ」を知る働きでもあったからだ。(同208頁17行〜)

 

―宣長の思想の一貫性を保証していたものは、彼の生きた個性の持続性にあったに相違ないという事、これは、宣長の著作の在りのままの姿から、私が、直接感受しているところだ。(『小林秀雄全作品』第27集40頁6行〜)

 

さらに、『本居宣長』とは別に、『学生との対話』(新潮社刊)では次のように言われています。

―「もののあはれ」を知る心とは、宣長の考えでは、この世の中の味わいというものを解する心を言うので、少しもセンチメンタルな心ではない。「もののあはれ」を知りすごすことはセンチメンタルなことですが、「もののあはれ」を知るということは少しも感情に溺れることではないのです。これは柔軟な認識なのです。そういう立場から、あの人は『古事記』を読んでいます。三十五年やって、『古事記伝』が完成した時、歌を詠みました。

古事ふることの ふみをら読めば いにしへの 手ぶり言問こととひ 聞見る如し

この「ふみをら」の「ら」は「万葉」などにも沢山でてくる調子を整える言葉で、別に意味はない。「言問ひ」とは会話、言葉、口ぶりの意味です。これはつまらない歌のようだけれども、宣長さんの学問の骨格がすべてあるのです。宣長の学問の目的は、古えの手ぶり口ぶりをまのあたりに見聞きできるようになるという、そのことだったのです。(『学生との対話』23頁10行〜)

 

読んでわかるのは、「生きた真」「生きた個性の持続性」という小林先生の言葉に見られるように、宣長の価値は「生き」ていること、「あるがまま」に置かれていることでしょう。ここで思い出されるのは、小林先生が敬い慕った哲学者ベルグソンの言葉、「直観」です。直観とはベルグソンの言う哲学の方法で、ベルグソンの素読を続ける本塾生の有馬雄祐さんは、「絶えず変化する動きにより沿い、安定を求めることなくこれを直知する精神の働き」であると記しています(『好・信・楽』令和五年春号「素読と直観」)。宣長もベルグソンも、時と共に変わってゆく対象の、その時々のあるがままを心の眼でおおらかに続け、そこに真を得ようと努めたという点で、共通しているのだと思います。

 

ここまで思いを廻らせてみて、そろそろ冒頭の自問に戻ります。小林秀雄先生が、真を得るために必要だと述べた「生きた知慧には、おのずから備っている、尋常で健全な、内から発する努力」は、具体的には先に引いた小林先生の文で言われている、「古人達が、実に長い間、繰返して来た事、世に生きて行く意味を求め、これを、事物に即して、創り出し、言葉に出して来た、そういう真面目な、純粋な精神活動」にありありと現れているのではないでしょうか。

(了)