編集後記

坂口 慶樹

今号も、荻野徹さんによる「巻頭劇場」から幕が上がる。いつもの四人が話題にしているのは、本居宣長が北条時頼の遺偈いげ、いわゆる辞世の句について述べている「さとりがましい」という言葉だ。話は「……がましい」という接尾辞の細かなニュアンスにまで及ぶ。本文を丁寧に、詳細に見て行くと、宣長も、小林秀雄先生も、それだけくわしく応えてくれる。私たち「小林秀雄に学ぶ塾」の塾生も、四人組に負けてはいられない。

 

 

「『本居宣長』自問自答」には、鈴木順子さん、橋本明子さん、吉田宏さん、冨部久さん、本多哲也さんの五名の方が寄稿された。

鈴木さんは、小林秀雄先生による「躍る」という表現が眼に飛び込んできた。「踊る」ではない、「躍る」なのである。それは「難局で、挑むような勢いで」使われていると鈴木さんは言う。さらに、本文を丁寧に見ていくと、「努力」という言葉とついになるように使われていた。そこに込められた小林先生の深意とは? 本文熟読に時間をかけた、鈴木さんならではの発見があった。

橋本さんが立てた自問は、小林先生が、本居宣長の言う「古学の眼」について述べているくだりで「生きた知慧には、おのずから備っている、尋常で健全な、内から発する努力」が必要だ、と言うところの「尋常で健全な、内から発する努力」とは何か? である。先生の文章を丹念に追っていくと、宣長や先生が、「生きた個性の持続性」や「あるがままを見続ける」ことを重視していることが直観できた……

「本居宣長」の冒頭、第一章の第二段落に、次のような一文がある。「物を書くという経験を、いくら重ねてみても、決して物を書く仕事は易しくはならない」。吉田さんは、小林先生による、その独白のような言葉について思いを巡らせた。そこに、先生の文章が、今でも多くの読者に読み継がれていることを考え合わせてみた。新たな自問が浮んだ。なぜ、先生の文章を読んでいると元気が出てくるのか?…… 吉田さんと一緒に、じっくりと思い巡らせてみよう。

冨部さんは、こんな自問を立てた。宣長は「無き跡の事思ひはかる」は「さかしら事」と弟子たちに説いてきたにも拘わらず、生前、山室山の妙楽寺に墓所を定めた。宣長という思想的に一貫した人間が、なぜ自らの思想と相反した行動を取ったのか? 考えるヒントは、宣長が詠んだ歌中の、桜との「ちぎり」という言葉にあった。新たな疑問も浮かんだ。それは、菩提寺の樹敬じゅきょう寺と妙楽寺という二つの墓所に関する「申披六ヶ敷まうしひらきむつかしき筋」についてである……

小林先生は、若き宣長が京都遊学時代にしたためた書簡について、「萌芽ほうが状態にある彼の思想の姿を見附け出そうと試みる者には、見まがう事の出来ない青年宣長の顔を見て驚く」と書いている。本多さんは、その「顔」という言葉に注目した。「作家の顔」「思想と実生活」「文学者の思想と実生活」という小林先生が三十代半ば頃の作品を読み込み、「顔」という言葉の用例分析を行った。新たな発見が、深く自得するところがあった。

 

 

石川則夫さんには、令和四年(2022)秋号に続く寄稿をいただいた。前稿の終盤では、小林先生の言葉が引かれていた。「『物のあはれ』は、この世に生きる経験の、本来の『ありよう』のうちに現れると言う事になりはしないか。……この『マコト』の、『自然の』『おのづからなる』などといろいろに呼ばれている『事』の世界は、又『コト』の世界でもあった」。宣長は、「源氏物語」熟読によって自得した教えに準じ「古事記」に身交むかった。そのことは、「本居宣長」第三十八章と三十九章において詳述されていて、本稿で詳しく考察されるのは、小林先生が「宣長の文勢を踏まえつつも、遥かにこれを超えようとしているのではないか」という、石川さんの直観の子細である。

 

 

今号の「『本居宣長』自問自答」には、五名の方が寄稿された。それぞれが、これは! と直観した言葉に向き合い、時間をかけて考え、文字にして、また考え……というような試行錯誤を何度も繰り返すことで練り上げられてきた作品ばかりである。

その「言葉」を具体的に見てみよう。鈴木さんは「躍る」、橋本さんは「尋常で健全な、内から発する努力」、吉田さんは「物を書くという経験を、いくら重ねてみても、決して物を書く仕事は易しくはならない」、冨部さんは「ちぎり」、本多さんは「顔」という言葉である。五人の方は、それぞれの言葉に小林先生や本居宣長がどう向き合ったかに、向き合った。

例えば本多さんは、三百~四百字という字数制限のなかで書き上げた「自問自答」を準備のうえ山の上の家の塾での質問に立ち、池田雅延塾頭との対話、より正確に言えば、塾頭を介した小林秀雄先生との対話を行った。そのうえで、「作家の顔」「思想と実生活」「文学者の思想と実生活」という小林先生の作品を読み込み、「顔」という言葉で、小林先生が二通りの使い方をしていることを発見した。さらには、その自得した体験を原稿に書き記してみた。文章の試行錯誤と推敲も重ねた。その結果、当初の「自問自答」よりもさらに深い自答に到達できた。

小林先生は、「文学と自分」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第十三集所収)という作品で、このように言っている。

―文章というものは、先ず形のない或る考えがあり、それを写す、上手にせよ、下手にせよ、ともかくそれを文字に現すものだ、そういう考え方から逃れるのは、なかなか難しいものです。そのくらいな事は誰でも考えている、ただ文士というのは口が達者なだけだ、というのが世人普通の考え方であります。しかし文学者が文章というものを大切にするという意味は、考える事と書く事の間に何の区別もないと信ずる、そういう意味なのであります。つたなく書くとは即ち拙く考える事である。拙く書けてはじめて拙く考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。書かなければ何も解らぬから書くのである。

 

この「小林秀雄に学ぶ塾」では、小林先生が大著、「本居宣長」の執筆にかけた十二年半にならい、平成二十五年(2013)から「本居宣長」を十二年かけて十二回繰り返して読むことを目指し、その歩みを続けてきている。

拙くてもいい、改めて「自問自答」という小林先生への質問を練り上げる、という基本に立ち返ってみよう。泣いても笑っても、私たちに残された時間は、あと一年半なのである。

 

 

連載稿のうち、杉本圭司さんの「小林秀雄の『ベエトオヴェン』」は、著者の都合によりやむをえず休載します。ご愛読下さっている皆さんに対し、著者とともに心からお詫びをし、改めて引き続きのご愛読をお願いします。

 

(了)