今、「考える」とは何かを考えてみる

越尾 淳

近頃、ChatGPTをはじめとする生成型AI(人工知能)に関するニュースを聞かない日はないと言ってよいだろう。先日、ある生成型AIに関するセミナーへ出席する機会があったのだが、米国の司法試験問題について、最新の生成型AIであれば、上位成績の合格解答を書くことができるという話を聞き、大変驚いた。ある大学教授は、自分のゼミの入室試験問題を試しに生成型AIへ入力してみたら、十分合格レベルの解答が出力されたことに驚き、検討していたオンライン試験を中止したという話をしていた。

また、ある経済誌では、羽生善治日本将棋連盟会長が、将棋の強さはもはやAIが人間を上回っており、人間しかできないことは何か、価値を感じてもらえることは何かということを突き詰めるという、本質的な問いを投げかけられていると述べていた。

今年四月に行われた今年度の山の上の家の塾の初回講義で、茂木健一郎塾頭補佐から生成型AIをめぐって、小林秀雄先生の価値はこの時代にますます増すという講義があったことを改めて思い出した。「考える」という人間が誰しも行う基本的行為が揺らぐような時代が突然やって来たことに、正直面食らっている。そうした心の動揺を抱えつつ、改めて「本居宣長」に向き合ってみると、この機会に「考える」とは何かということについて考えてみなさいと小林先生に言われているような気がして、今回ここに筆を執ってみた。

 

江戸時代前期の陽明学者、熊沢蕃山ばんざんは中江藤樹の第一の門人と言われるが、師である藤樹の学問の態度についてこう記している。

「家極めて貧にて、独学する事五年なりき。しれる人、母弟妹のあるをしり、飢饉の餓死に入なんことを憐みて、ツカヘを求めしむ。其比中江氏、王子の書を見て、良知の旨を悦び、予にも亦さとされき。これによりて大に心法の力を得たり。朝夕一所にをる傍輩にも、学問したることをしられず、書を見ずして、心法を練ること三年なり」(「集義外書」)(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集102ページ)

ここに出てくる「良知」とは、陽明学の背骨を成す言葉である。『孟子』においては、人には良知という正邪を直感的に判断し、適切に対応することができる完成された心の働きが生まれながらに備わっているとされた。しかし、その「良知」は私欲といったもので曇っていては自分のものとすることができない。本来自分の中にあるものなのに、その潜む力を引き出し、きちんと動かすことは難しいのである。

この蕃山の藤樹回顧に続けて、小林先生は言う、

「当時、古書を離れて学問は考えられなかったのは言うまでもないが、言うまでもないと言ってみたところで、この当時のわかり切った常識のうちに、想像力を働かせて、身を置いてみるとなれば、話は別になるので、此処で必要なのは、その別の話の方なのである。書を読まずして、何故三年も心法を練るか。書の真意を知らんが為である。それほどよく古典の価値は信じられていた事を想わなければ、彼等の言う心法という言葉の意味合はわからない。彼等は、古典を研究する新しい方法を思い附いたのではない。心法を練るとは、古典に対する信を新たにしようとする苦心であった。仁斎は『語孟』を、契沖は『万葉』を、徂徠は『六経』を、真淵は『万葉』を、宣長は『古事記』をという風に、学問界の豪傑達は、みな己れに従って古典への信を新たにする道を行った。彼等に、仕事の上での恣意を許さなかったものは、彼等の信であった。無私を得んとする努力であった。この努力に、言わば中身を洞にして了った今日の学問上の客観主義を当てるのは、勝手な誤解である」(同第27集103ページ)

ここで小林先生は、藤樹のほか、伊藤仁斎、契沖、荻生徂徠、賀茂真淵、本居宣長という名前を列挙して、学問界の豪傑だとしている。何故、豪傑なのだろうか。

小林先生は、藤樹の学問の姿勢についてこのように記している。

「『我ニ在リ、自己一人ノ知ル所ニシテ、人ノ知ラザル所、故ニ之ヲ独ト謂フ』、これは当り前な事だが、この事実に注目し、これを尊重するなら、『卓然独立シテ、倚ル所無シ』という覚悟は出来るだろう。そうすれば、『貧富、貴賤、禍福、利害、毀誉、得喪、之ニ処スルコト一ナリ、故ニ之ヲ独ト謂フ』、そういう『独』の意味合も開けて来るだろう。更に自反を重ねれば、『聖凡一体、生死息マズ、故ニ之ヲ独ト謂フ』という高次の意味合にも通ずる事が出来るだろう。それが、藤樹の謂う『人間第一義』の道であった。従って、彼の学問の本質は、己れを知るに始って、己れを知るに終るところに在ったと言ってもよい。学問をする責任は、各自が負わねばならない。真知は普遍的なものだが、これを得るのは、各自の心法、或は心術の如何による。それも、めいめいの『現在の心』に関する工夫であって、その外に『向上神奇玄妙』なる理を求めんとする工夫ではない。このような烈しい内省的傾向が、新学問の夜明けに現れた事を、とくと心に留めて置く必要を思うのである」(同第27集100ページ)

ここで小林先生が述べているのは、藤樹の学問の姿勢が、他の誰でもない、藤樹にしかできない、彼自身の責任において行う、独自で、唯一無二の古典の信じ方のことであると思う。

これで思い出したのは、小林先生が「学生との対話」の中で、信ずることと知ることについて、このように述べている一節である。

「僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない、そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです」(新潮社刊『小林秀雄学生との対話』46ページ)

この小林先生の話は分かりやすい一方で、とても重要なことを述べていると思う。

今日においても、書物、絵画、音楽といったもののうち、長い時を経て、多くの人々に愛好されてきたものが「古典」と呼ばれているという感覚は多くの人々に共有されていると思う。他方、これらの古典には、様々な解釈や解説が行われてきたこともよく知っている。例えば、美術館へ行ったときには、目的の絵を観るより先に、その脇に付された解説を読んでしまい、その上で絵を観るということが私自身当たり前になってしまっている。このように、誰かによって作られた観点を離れ、自分にしかできない古典との向き合い方をするということは、正直、私にとっては非常に難しいと言わざるを得ない。

藤樹の生きた時代でも、当時の古典をめぐる様々な言説、解釈、その中には大家と呼ばれる人のものもあっただろうし、そういうものも読んで勉強していたはずだ。また、良い学問がしたい、名を成したい、という我欲も生まれたかもしれない。だが、それらは良知の上では心を乱す毒であって、藤樹が書を三年も離れたというのは、毒を抜くための、滝に打たれる修行のような時間ではなかったかと想像する。仁斎、契沖、徂徠、真淵、宣長も、それぞれが彼らなりの毒を抜く、心法を練る時間があったのではないだろうか。だからこそ、他人の拵え物からできた「観点」という膜を脱ぎ捨て、自分の真心で古典と交わり、人の心が持つ本来の力を十全に発揮することで、彼等にしかできない信じ方で古典の読みを行い、古典が持つ本来の力を引き出すことができた。それが宣長の場合には、千年もの間、誰も読めなかった「古事記」を読むことができたということになったのではないか。孤独で真剣な古典との交わりというそれぞれの信じる道を突き詰めることで、普遍に至る。こうした非常に困難で険しい道を行った彼等だからこそ、小林先生は豪傑と呼んだのだろう。

 

生成型AIというのは、膨大なデータやパターンを学習することで、情報の特定や予測ではなく、新しいコンテンツを創造することができるものだという。確かにそれはすごいことだと素直に思うが、小林先生が記した学問界の豪傑達のことや、信じることと知ることについての文章を改めて読んでみて、本稿冒頭に記した茂木塾頭補佐による今年四月の講義の意味がより深く分かったような気がした。学問界の豪傑達、そこには小林先生も含めてよいと思うが、彼らは誰かに聞いたのでも、指示されたのでもなく、自分がひっかかり、疑問に感じたり、感動したりしたという心の動きを素直に感じ取り、その直感から自分の責任において、自分の身一つで対象と真心で交わるということを徹底して実行できた人々だと思う。その直感という端緒は、いくらAIに聞いても、出力されることはない。なぜなら、何を、どうしたら直感するかは、一人ひとり独自のものでしかあり得ないからだ。そう考えると、この山の上の家の塾で課される「自問自答」の深さに驚く。よく問うことが即ち答えであるとも言われるが、まさにどう問うかとは、何に心を動かされたかに自分自身で気づくことから始まる。もしかすると、そういう心の動きというのは、将来、脳を流れる電気信号としてスマートフォンのセンサーなどで簡単に感知できるものになるのかもしれない。しかし、たとえ感知できたとしても、何に心が動くかはやはり人によって異なる、その人自身のオリジナルなものだ。生成型AIといったプログラムやコンピュータなどの機械が考えるという行為を助けるとしても、そのきっかけとなる「気づき」は、いつまでもその人次第でしかないのではないか。誰かの作り物の「観点」を離れ、真心で事物と向き合うための、自分にしかできない「気づき」こそが、考えるという行為の核心なのではないだろうか。

この私の考えは誤っているかもしれない。生成型AIに聞いたわけでもない。ただ、私による、私にしかできない「気づき」から生まれたものであることに間違いないのだ。そういう「気づき」に気づくということに鋭敏になり、これに向き合って考えるということを日々の生活の中で鍛錬することはできるはずだ。現代において、自分の考える力を衰えさせないために、今回とても大事なことに気づくことができたように感じている。

(了)