「譜づら」というもの

楽譜には「譜づら」というものがある。「譜」と「面(つら)」を組み合わせた造語で、文字通り、楽譜の顔立ちのようなものを意味する。「譜面づら」ともいう。初対面の人との会話で、顔つき、表情、声色や仕草などから、咄嗟に人となりを察知するように、初めて相見える楽譜の「譜づら」から、その音楽の気質を読もうとする。

楽譜を前にして、「譜づら」を見るのと、音を読みながら頭の中で鳴らすのとは、ほとんど同時に、ほぼ自動的に行われるので、どこからどちらの領域に入るか、はっきりと意識も区別もしていない。が、音をひとつひとつ精査する以前に、どんな音楽で、作曲家が何を意図したか、内容の善し悪し(音楽にそういうものがあれば、の話ではあるが)などを、「譜づら」が語ってくれる。善い面構えの楽譜は、不思議と善い音が鳴り、善い音楽にできあがっている。

高校生のとき、レッスンに持って行った出来たてほやほやの作品の楽譜を、ピアノに広げながら、ひとつも音を出さずに「まず、譜づらで判断する」と師匠がおっしゃっていたのは、記憶に新しい。そのとき初めて「譜づら」という言葉を耳にし、「譜づら」とは何だろうかと考えながらも、おっしゃる意味は直観で理解できた。師匠譲りか、やがて私も、自然とそういう楽譜の読み方をするようになった。

「譜づら」という語は、こうして、音楽をする者のあいだで、なかば曖昧に使われていて、明確に定義された用語ではない。なので、使う人や、時と場合によって、用いられ方は微妙に異なり、その意味するところにはいくつかのレベルがある。

 

「譜づら」とは、まずひとつに、楽譜の「景色」である。音符、休符や発想記号など、楽譜上に書かれた全てを、絵や模様のように捉えたとき、それらが楽譜の1ページにどう配置されているか。黒と白の割合、音符の分布や密度の具合、要素間のコントラスト、線の動きと流れなどを、まるで絵を見るかのように観察する。加えて、音楽には必ず時間がともなうので、ページをめくりながら、絵の状態とその変化を追っていく。すると、音楽的時間がどう構成されているか、音響がどのようにオーケストレーション、すなわち、デザインされているか、その大体のところは把握できる。

私は、作曲に行き詰まると、そこまでの楽譜を床に広げてみることがある。時系列に沿ってずらっと並べた楽譜をぼんやりと眺め、音楽の稜線みたいなものを、なるべく客観的に辿るようにする。かと思えば、ある一部分を凝視したり、焦点が合わないくらい近づいてみたりする。そんなことを繰り返しているうちに、その先どうすべきかが見えてくるのだ。

 

より細かいレベルで「譜づら」を考えると、作曲家が如何に楽譜をつくるか、という話になる。西洋音楽の文脈で、作曲と演奏がほぼ分業化するようになってから、楽譜は、作曲者と演奏者をつなげる重要なメディアだ。

ところで、聴衆は楽譜で音楽を享受するのではない。音楽はあくまでも、音として聴かれ、聴き手のなかで完成する。音を発するのは演奏者である。奏者が、楽譜という設計図から読み取ったものを、音楽という建築物にして、この世に現出させる。作曲者が曲のためにできるのは、思いえがく音楽を楽譜にし、奏者に託すところまでだ。運良く、もう一歩進んで関わることができたとしても、リハーサルに立ち合い、演奏を聴いて意見を述べるところまで。公演やコンサートで、楽譜が音楽として具現化される、まさにそのとき、作曲者は曲に対して、何もしてあげられない。奏者の手に委ねるしかない。よって、作曲者が自らのなかに聴き出した音楽を、できるだけ精度を保った状態で聴衆に届けるために、奏者の協力は不可欠だ。まず、奏者に納得してもらえるか、共感してもらえるか、善い音楽だと思ってもらえるかにかかっている。

そうすると、作曲家に必要なのは、楽譜というメディアを高精度につくり、作品に説得力を持たせることだ。私は、その音を出すために必要なことはすべて楽譜に書くタイプの作曲家である。私の作品は、音程の正しさ以上に、細かなニュアンス、質感、ダイナミクスのコントロールを要求する。音ひとつひとつの抑揚が重なり合い、相互に関わり、作用し合って、音楽の身振りがつくられていく。なので、例えば、弦楽器の作品であれば、右手の弓の位置や力の加え方までも、仔細に指示する。伸び縮みしたり、揺らいだり、溜まったりする時間を何とか書き留めようとするため、拍子も一定でないことの方が多く、結果的にとても複雑な拍のとり方になる。だから、私の作品の楽譜は、情報量が多い。それが奏者にプレッシャーを与えてしまうことも稀にあるので、何事も塩梅が肝要だとは思うものの、「書かれている通りに演奏したら、ちゃんと音楽になる」と言われるのはうれしい。

一方、奏者にある程度任せたいタイプの作曲家もいて、その場合は、その意図が伝わる楽譜にする必要がある。制限する要素とオープンにする要素の区別、楽譜に何を書き、何を書かないのか。作曲家の仕事は、さまざまな段階で、求めるものを詳細に決定していくことだ。

 

また、すべて書くとはいっても、本当にすべてを楽譜に書き留められるかといったら、それは無理な話である。音の方向性、身体性、形、細さ太さの加減、いきおい、緊張の度合い、手触り、少しの翳りや煌めき、呼吸、間の取り方など、書き表せないものの方が、むしろ多いくらいだ。それらは、リハーサルに立ち会って、口頭で伝えるしかないが、善い「譜づら」はそういう「微妙さ」まで、奏者に伝えてくれることがある。

どうしたら善い「譜づら」になるのだろう。まず、奏者が現実的に演奏しやすい譜面にすべきなので、無理なく感覚的に音楽の流れをつかめる譜割り、音の長さがぱっと把握できるような各小節内の音の配置に気を配る。そのうえで、各パートの五線の幅、五線同士の間隔、ページ上のレイアウトと余白の割合、奏法を指示する用語や文章の字のフォントやサイズ、グリッサンドやスラーの角度など、気にし始めるといくらでも手をつけるところは出てくるが、実際の音楽に直接の影響は無いと思われる細かな点にまで腐心する。1ページ1ページをアートピースのように、大事に「譜づら」を整えていくと、そこには作曲家の姿勢が宿る。裏を返せば、「譜づら」は、その作曲家が、音、音楽や楽譜をどのように考えているかを、否が応でも表出させてしまう。

作曲と演奏とは相互関係にあるので、楽譜が音になる経験を積めば積むほど、「譜づら」を洗練させていくことができる。私の楽譜のつくり方も、十年前と今とでは別人のようにちがう。私の作品は、海外と国内と、半々くらいの割合で演奏されている。とくに海外で演奏されるにあたって、言語感覚の違いを、むしろ楽譜で超える必要があった。一時間半×三回のリハーサルと本番で、音楽を理想とするクオリティにまで持っていくために、楽譜をどこまでつくり込めばよいか、その試行錯誤を繰り返してきて、私の「譜づら」はずいぶんと鍛えられた。

 

今日、作曲家は、コンピューターの浄書ソフトによって楽譜をつくることが多い。私の場合は、編成や作品の意図、奏者にどのような演奏を求めるかに照らし合わせ、手書きと浄書ソフトとを使い分けている。タブ譜や、グラフィックなど、いわゆる通常の五線譜ではない記譜を用いることもしばしばだ。私の作曲は、記譜のフォーマットをえらんだり、時には発明したりするところから始まる。

そういえば、一般に、浄書ソフトは、手書きよりも手軽に綺麗な楽譜がつくれると思われていて、かちんと来ることが時折あるので、付け加えておきたいのだが、浄書ソフトを用いて、実用的且つ美しい「譜づら」をつくるのは、手書きよりよっぽど難しい。むろん、ただの綺麗な楽譜をつくるだけなら、浄書ソフトのほうが容易いだろう。しかし、「譜づら」を追求した楽譜をつくろうと思ったら、ソフトに予め設定されているレイアウトそのままでは、思うようにはならないのだ。小節幅の変更、音符や発想記号の位置の修整など、ひとつひとつ手作業で、骨の折れる微調整を重ね、やっと理想の「譜づら」を実現できる。クリックひとつで簡単にできあがるわけではない。また、別の角度から考えると、手書きで楽譜を書いた経験なしに、浄書ソフトで音楽的な楽譜をつくることはできないだろう。楽譜を書く最初の経験がすでにコンピューターである場合、理想とする「譜づら」の姿を自分のなかに持つことは難しいのではないかと思う。

 

浄書ソフトで楽譜をつくるとき、私はマウスもMIDI鍵盤(*1)も使わないので、コンピューター付属のキーボードを時々叩きながら、トラックパッド上で指を動かす作業がひたすら何時間も続く。そうすると、指の動きがそのまま音の身体性に変位していくような感覚を覚える。手書きのときも、シャープペンシルを持つ指先が、音自体の身体と直結しているように感じる。ちなみに、私は作曲をするときに楽器は一切使わない。浄書ソフトで楽譜をつくるときも、プレイバック機能は使わない。つまり、作曲をするときに音は出さない。自分の内部に音をひたすら聴きながら、トラックパッドや紙の上で指先を動かす、その内なる聴覚と触覚の連動が、音を探し当てていく。粘土を捏ね回しながらオブジェの形を見出す過程や、絵の具を一筆ずつ塗り重ねて徐々に絵が出来上がっていくのと同じ感覚ではないだろうか。「譜づら」で音楽の全体像を俯瞰しながら、指先の動きが細部を積み上げていく。

「神は細部に宿る」というが、全体があって細部があるのではない。細部を積み重ねていくことによって全体が成る。本居宣長の歌論に「姿ハ似セガタク、ココロハ似セ易シ」という言葉がある。小林秀雄先生は「姿は似せ難く、意は似せ易しと言ったら、諸君は驚くであろう。何故なら、諸君は、むしろ意は似せ難く、姿は似せ易しと思い込んでいるからだ、先ずそういう含意が見える」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第27集286頁13行目)「意は似せ易い。意には姿はないからだ」(同287頁8行目)という。おそらく「意」は、「姿」を丹念に整えて行った先に、自然と現れるものだ。先に「意」があることはない。

 

さらに付け加えておくが、多くのバージョンが出版されている大家の作品、また、助手や浄書者などを付けている作曲家の場合、その作品の「譜づら」は、編集や浄書の影響を多大に受けていることがある。それを鑑みて、研究熱心な演奏家は、遺された自筆の楽譜から、作品の意図を得ようとする。私の作品もドイツで出版され始めたところだが、それらについては、私がつくった譜面をそのままpdf化したものが使用されているので、「譜づら」にはほとんど手が入ることなく、奏者にわたるのがありがたい。

 

ここまで読んでくださった方の中には、自分の音楽を表現するために、楽譜というメディアを介すことによって、こんなに苦労するのであれば、自作自演すれば良いじゃないかと考える方もいるかと思う。が、それはまた別の話である。私の音楽は、作曲と演奏の行為のせめぎ合い、そして、演奏家の持つ能力と表現力の限界で、やっと成立する種のものだ。善い作曲家であろうとするなら、善い「譜づら」をつくるための闘いはずっと続くのであろう。

 

(*1)Musical Instrument Digital Interfaceの略称。電子楽器やコンピュータ等のメーカーや機種に拘わらず音楽の演奏情報を効率良く伝達するための統一規格。

(了)

 

「ぽかん」考 ―作曲家として個展を終えて

いつもこうだ。公演や作品の発表が終わると、ぽかんとしてしまうのである。祭りの後という言葉があるくらいだから、何かをやり遂げたあとの虚脱感は、だれもが経験することなのだろうが、公演の翌日から私をさいなむそれは、ただの「ぽかん」ではない。文字通り、穴であり、奈落のような「ぽかん」である。公演や作品に対しての思い入れが強ければ強いほど、その「ぽかん」は大きく、黒々として、ブラックホールのように内側から私を吸い込もうとする。それに抵抗するのは、なまやさしいことではない。しかし、そんなことにはお構いなしに、次の作品の締め切りは容赦なくやってくるので、なんとか仕事をしようと試みるのだが、どういうわけだか涙が溢れて止まらなくなってしまう。布団にもぐってわんわん泣いているうちに、いつの間にか寝てしまっていたことが何度もある。

この数年、その「ぽかん」に慣れることを心がけてきた。作曲を生業なりわいとする者として「ぽかん」とうまく付き合うことも日常の習慣にしなければいけない。公演数が増え、次から次へと作品を書かなければならない状況で、毎回毎回それにかまってもいられないが、最近は努力の甲斐あって「ぽかん」がブラックホールにまで膨れ上がることは少なくなってきた。「ぽかん」と折り合いをつける術を何通りか身に付け、「ぽかん」にとらわれてしまう時間は徐々に短くなってきていた。ところが、さすがに、今回の個展(「影も溜らず――桑原ゆう個展」 2019年7月19日 於東京オペラシティ リサイタルホール。文末参照)後の「ぽかん」となると、そうは問屋が卸さなかった。個展への思い入れは、私が自覚していたよりずっと深かったようだ。終わった翌日からの落ち込みようといったらなかった。1ヶ月近く経ったいまも、それから完全に抜け出せているかといえば、そうは言い難い。落ち込んだ自分と、未だに向き合い続けている。

この「ぽかん」とは、一体何であろうか。私の場合、作品を書き上げたときにぽかんとすることはないので、作品が音として世に出、人に聴かれたことによるものであろう。そして、毎回「ぽかん」に悩まされることがわかっていて、私はなぜ作品を発表するのだろう。

 

なぜ私は作曲をするのか、それについては、年々少しずつ、自分自身で説明がつくようになってきた。私にとって、作曲は思考の手段だからである。そして、おそらく、私は曲を書くこと自体が好きなのだ(「おそらく」というのは、私は、作曲が、ひいては、音楽が本当に好きなのだろうかと、未だに疑問に感じることが時々あるからである。作品をつくっている最中は、正直なところ、つらくてしょうがないので、もう書くもんかと思ったことなど数え切れない。それにもかかわらず、懲りずにいまも作曲を続けているのは、好きだからとしか言いようがない)。ならば、曲を書くだけじゃだめなのか。終止線を引いたら、そこで出来上がりでよいじゃないか。音にしなくても、そして、人に聴かせなくてもよいのではと思うのだが、作品がそうさせてはくれないのだ。作品は、音になりたい、人に聴かれたいと私に訴えてくる。私が人に聴かせたいかどうかにかかわらず、作品自体が人に聴かれようとする。

本居宣長は、こう言っている、「たへがたきときは、おぼえずしらず、声をささげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばはりて、むねにせまるかなしさをはらす、其時の詞は、をのづから、ほどよくアヤありて、其声長くうたふに似たる事ある物也。これすなはち歌のかたち也。ただの詞とは、必異なる物にして、かくのごとく、物のあはれに、たへぬところより、ほころび出て、をのずから文ある辞が、歌の根本にして、真の歌也」(小林秀雄「本居宣長」、新潮社刊「小林秀雄全作品」第27集、259頁、3行目)。

また、小林秀雄先生はこう言っている、「今は伝わらないが、『宣命譜』という古書があった事が知られている。恐らく、儀式をととのえて、詔書をる際の、その『ヨミアゲざま、音声の巨細長短昂低曲節などを、しるべしたる物』と思われるが、宣命という『ワザ』は、余程やかましいものであった。――『神又人の聞て、心にしめてカマくべく、其詞にアヤをなして、美麗ウルハシく作れるもの』であったと言う」(同第28集、46頁、15行目)

「古事記」の時代から、神と人との間で「アヤ」が取り交わされ、音楽のすべては「アヤをなす」事の延長にあり、「アヤ」という表現性の、音声としての面が発展したところに音楽が起った。つまり、古代人がどうにか祈りを聴いてもらいたい、神々の注意を引きつけたいと考え、祈りの言葉の読み上げ方を工夫した、その延長に音楽があるのだとすると、音楽というのは元来、だれかに聴かせることを前提としている。よって、私の作品も、だれかに聴かれるために生まれてくる。私は作曲家として、その本性を無視することはできない。

 

作曲家は、作者としての責任を取ろうとする。作品を世に出すからには、できるだけ良い音楽として聴いてもらいたい。だから、その御膳立てをし、より良い環境をつくってやり、磨きあげ、送り出してやる。

私の場合は、自作自演はほぼないので、作品を音として実現してくれる奏者とのコミュニケーションの在り方を考えるのは、最も重要なことだ。限られた時間のなかで、公演本番により良い演奏が実現できるよう、最善を尽くす。まず、作品の音楽性をできるだけ精しく伝える、且つ、気持ちよく読める楽譜をつくることにつとめる。楽譜というのは、私からの奏者への手紙のようなものである。必要な要素を、ふさわしい方法で、適切に楽譜に書き表すことができたら、音の情報以上のものを譜づらが語ってくれるようにさえなる。その上で、リハーサルがうまく行くようにつとめる。奏者の様子、演奏の完成度などを見極めつつ、楽譜では伝えきれなかった部分を、注意深く、言葉で補っていく。時には、強く発言しなければならないこともあるが、作品に筋が通っていれば、リハーサルを重ねていくなかで、奏者に納得してもらうことができる。奏者自身に作品の魅力を発見してもらえるように先導し、演奏し甲斐を感じてもらえたら、もう、こっちのものである。

個展のような場であれば、公演全体のテーマ、選曲、曲順、会場、配布物の内容とデザインなど、公演にかかわるすべての要素を、作品をより良く聴かせるために取り扱うことになる。今回の個展は、私の人となりを見せることを第一の目的とした。作品が、その一作品だけで成立していることはまずない。作品を書いているうちに新しい問題が浮上してきたら、次の作品でそれに取り組む。前作で扱ったアイデアのとある一部分に、さらに集中的に取り組んだり、同じアイデアを違う楽器編成で実現したらどうなるかを試したりすることもある。すべての作品は、その周辺の作品と相互に関係して生まれてくる。だから、私のこれまでの創作を俯瞰的に見てもらった上で、それぞれの作品を聴いてもらうのが、個々の作品の心を伝えるのに最善の方法だと思った。そのために今回は、トークイベントを行ったり、多くの方のご協力を得て、プログラムというよりは読み物のような冊子を配布することにした。選曲は、曲想や楽器編成に多様性を持たせるよう気を配った。個展は同じ作曲家の作品を並べるので、聴衆に「全部同じ曲のように聴こえた」という感想を抱かせてしまいやすい。すべての作品が互いに響き合い、引き立てあいながら、それぞれがより面白く聴こえるよう、選曲、曲順の決定には時間をかけた。

これらのような、作品をより良く聴かせるための工夫のすべてが、本居宣長の言う「アヤ」のうちに含まれるのではあるまいか。「何も音声のアヤだけに限らない、眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現わそうとする身体のワザの、多かれ少なかれ意識的に制御されたアヤは、すべて広い意味での言語と呼べる事を思うなら、初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではないという言い方も、無理なく出来るわけであり、少くとも、先ず意味を合点してからしゃべり出すという事は、非常に考えにくくなるだろう」(同、48頁、4行目)とも小林先生は言っている。

 

ここまで、作品をより良く聴かせることについて書いてきたが、実は、それとは矛盾して、作品本来の力だけでもって、人になにかを感じさせるべきなのではという考えが、ふと頭をもたげ、私のなかで葛藤が起こることがある。そのとき思い出すのは、池田雅延塾頭の話である。小林先生の「本居宣長」の校正過程で、先生は担当編集者だった塾頭にこう言ったという。編集者は読者の代表だ、しかも僕の文章を最初に読んでくれる読者だ、そういう読者である君が、僕の文章で理解できないと思うような箇所は、一般読者にはもっとわかってもらえない、読者にわかってもらうためにはできるかぎりの工夫をする、だからどんな小さなことでも言ってくれ……。作品の心を的確に読者に届けるためであれば、いくらでも工夫を凝らし、そこに著者の自我など決して持ち出さないという、小林先生のお考えが身に沁みる。

とはいえやはり、作者が自らのことや作品について語るのは、最終的に作品に立ち還ってもらうためなのだ。どれだけ語ったところで、作品の本質は変わらないのだから、受け取り手が作品に戻ってくることを信じて、サービス精神旺盛にふるまえばよいのだろう。それがいま生きている作者のすべきことであり、それはいずれ、未来の受け取り手へのメッセージにもなる。

 

思いつくままに書き連ねてきてしまったが、話を元に戻したい。あの「ぽかん」の正体とは、一体何であろうか。

私が自らの作品に対して抱く気持ちは、子を想う親のそれと似ているのかもしれない。作品が音となって人に聴かれるときの気持ちは、手塩にかけて育てた子が巣立っていくときの親のそれと近いのではあるまいか。作品をできるだけ良い音楽として聴衆に受け取ってもらえるよう、私はありとあらゆる手を尽くす。しかしながら、結局のところ、音楽作品は聴衆ひとりひとりのなかで完成するものである。その最終段階において、私は何もできない。私がどれだけ手を尽くしたところで、受け取り手の問題意識のなかで、作品はかたちとなり、完成する。そして、完成したあとも、どんどん成長していく。作品が音になったとき、私はそれをしみじみと実感して、途方にくれ、かなしく感じてしまうのだろう。

作品は、独自性を持った生き物のようである。私の作品は私の分身ではないのだ。私の作品ではあるが、私に属さず、私の思い通りにはならない。音になる以前、つまり書いている過程で、すでに私の意図をも超えて、成長していくことさえある。作品とはきっと、そういうものだ。

実のところ、私はずっと、自分の作品に確固とした自信が持てずにいる。念のために言っておくと、自信が持てないというのは、作品に価値がないと思っているということではない。「ベエトオヴェンは、(中略)自分の意志と才能との力で新しく創り出すところは、又万人の新しい宝であるという不抜の自信を抱いていたという事です」(「表現について」、同第18集、32頁、13行目)と小林先生が書かれている、このくらいの自信は、私も抱いている。しかし同時に、作品に対して、一種の諦めのような気持ちも抱いているのだ。こうやって考えてみると、それにも合点がいくような気がする。だって、作者はいつも、作品に置き去りにされてしまうのだから。

これからも私は「ぽかん」と向き合いながら、作者としての責任を果たすためだけに、作品を磨き続けるのだろう。いつの日か、「ぽかん」を感じずにすむときが来るのだろうか。

 

 

●影も溜らず — 淡座リサイタルシリーズVol.1 桑原ゆう個展

 

日時/2019年7月19日(金)19:00開演(18:30開場)

会場/東京オペラシティ リサイタルホール(東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワーB1F)

作曲・構成/桑原ゆう

演奏/水戸博之(指揮)、梶川真歩(フルート)、本多啓佑(オーボエ)、西村薫(クラリネット)、中田小弥香(ファゴット)、嵯峨郁恵(ホルン)、籠谷春香(トランペット)、村田厚生(トロンボーン)、大田智美(アコーディオン)、鈴木真希子(ハープ)、大須賀かおり(ピアノ)、中山航介(打楽器)、三瀬俊吾(ヴァイオリン/淡座メンバー)、松岡麻衣子(ヴァイオリン)、笠川恵(ヴィオラ)、竹本聖子(チェロ/淡座メンバー)、佐藤洋嗣(コントラバス)、本條秀慈郎(三味線/淡座メンバー)

主催・企画/一般社団法人淡座

宣伝美術/川村祐介

協賛/株式会社エボラブルアジア、日本ビジネスシステムズ株式会社

後援/株式会社システムアリカ アートジョイ、東京芸術大学同声会

 

プログラム/全曲、桑原ゆう作曲作品

・ピグマリオン(2003)木管五重奏のための

・だんだらの陀羅尼(2018)6人の奏者(fl/picc, cl/bcl, 三味線, vc, perc, pf)のための【日本初演】

・ラットリング・ダークネス(2015/17-18)トロンボーン独奏のための【改訂日本初演】

・月すべりⅡ(2014/19)ハープ独奏のための【改訂世界初演】

・影も溜らず(2017)ヴァイオリン独奏と8人の奏者(fl, cl/bcl, tb, perc, vn, va, vc, cb)のための【日本初演】

・柄と地、絵と余白、あるいは表と裏(2018)三味線独奏と7人の奏者(fl/afl, cl/bcl, perc, pf, vn, va, vc)のための【日本初演】

・にほふ(2012-13/18-19)16人の奏者(1.1.1.1-1.1.1.0-1perc-1pf-1hp-1acc-2.1.1.1)のための 【世界初演】

 

 

●桑原ゆう個展プレイベント――自作語りとミニライブ

 

日時/2019年7月13日(土)18:00開演(17:30開場)

会場/JBSトレーニングセンター(東京都港区西新橋2-3-1マークライト虎ノ門9F)

出演/桑原ゆう(トーク)、三瀬俊吾(ヴァイオリン)、竹本聖子(チェロ)、本條秀慈郎(三味線)

(了)

 

「心」と「情」

「本居宣長」はいつも、光源となって私の内面を照らし、その影かたちの細部までを浮き上がらせる。読み返すたびに、新しい”引っかかる語”が眼前に立ち現れ、私がいま何を考えているのか、何に興味があり、何を必要としているのかを教えてくれる。“引っかかる語”とはつまり、自身の内の奥底で問題意識を持っている事柄に関係する単語であり、それは「本居宣長」を読んでいくための方位磁針にもなるだろうと思われる。

私は、楽譜でも本でも、音や言葉の構成要素を分類し、それらの関係性を見つめるために、ラインマーカーを引きながら読んでいくのが好きだ。「本居宣長」を読むにあたっても、”引っかかる語”を文中に見つけるたびに印をつける。”引っかかる語”は読み返すたびに増え、単語ごとに色を変えて印をつけていくので、私の「本居宣長」はとてもカラフルだ。

 

“引っかかる語”のひとつに「こころ」がある。「本居宣長」において「こころ」は、「心」、「ココロ」、「こころ」または「こゝろ」と書き分けられ、表記の違いによって意味が違う。「こころ」または「こゝろ」と平仮名で表記されるのは、主に、本居宣長や賀茂真淵らの文章から引用されている場合である。また、「意」にも、「ココロ」とルビが振られる場合がある。「ココロ」は、その漢字のとおり「意味」という語義で使われているようだが、それをわざわざ「ココロ」と読ませるのだから、何か意図するものがあるに違いない。そこで、「こころ」については、表記の違いによってさらに色分けし、印をつけることを徹底して行った。私が「こころ」という単語に引っ張られてしまうのは、やはり、作曲家として、人の心の働きについて知りたいと、無意識ながらも、常に思っているからだろう。私は作曲という行為を通して、自分の、そして、人の心が如何につくられているかを知ろうとしている。

 

今回は、「心」と「ココロ」の微妙な違いに焦点を当ててみたい。私なりに「本居宣長」を精査した結果、人の心には「心」と「ココロ」の両方を用い、事物の心には「心」のみが用いられていることがわかった。つまり、人の心は「ココロ」になり得るが、事物の心は「ココロ」にはなり得ないということのようだ。私たちは日頃、「心」という言葉を曖昧に使ってしまっている。一般的には、人の精神活動をつかさどるもの、気持ち、物事の本質などを意味するが、そもそも「心」とは何であろうか。まず人の「心」について考えてみたい。小林秀雄先生は「紫文要領」から、以下の部分をたびたび引用している。

「目に見るにつけ、耳にきくにつけ、身にふるゝにつけて、其よろづの事を、心にあぢはへて、そのよろづの事の心を、わが心にわきまへしる、是事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀をしる也、其中にも、猶くはしくわけていはば、わきまへしる所は、物の心、事の心をしるといふもの也、わきまへしりて、其しなにしたがひて、感ずる所が、物のあはれ也」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集、151頁、8行目)

すべての事を心で味わい、事の質を自らの心で分別する。人の「心」には、事物を味わい、分別する働き、つまり、事物を味識する働きが備わっているというのである。さらに本文を参照していく。

「『感ずる心は、自然と、しのびぬところよりいづる物なれば、わが心ながら、わが心にもまかせぬ物にて、悪しく邪なる事にても、感ずる事ある也、是は悪しき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所より感ずる也』(『紫文要領』巻上)、よろずの事にふれて、おのずから心がウゴくという、習い覚えた知識や分別には歯が立たぬ、基本的な人間経験があるという事が、先ず宣長には固く信じられている。心というものの有りようは、人々が「わが心」と気楽に考えている心より深いのであり、それが、事に触れてウゴく、事に直接に、親密にウゴく、その充実した、生きたココロの働きに、不具も欠陥もある筈がない」(同第27集、151頁、18行目)

「しかし、事物を味識する、『ココロ』の曖昧な働きのその曖昧さを、働きが生きている刻印と、そのまま受取る道はある筈だ。宣長が選んだ道はそれである。『ココロ』が『ウゴ』いて事物を味識する様を、外から説明によって明瞭化する事は適わぬとしても、内から生き生きと表現して自証することは出来るのであって、これは当人にとって少しも曖昧な事ではなかろう」(同第27集、164頁、4行目)

「『人の実の情をしるを、物の哀をしるといふなり』(『紫文要領』巻下)。『人の実の情』は知り難い。こんなに不安定なものはないからだ。『感は動也といひて、心のうごくこと』(『玉のをぐし』二の巻)だからだ」(同第27集、262頁、2行目)

以上の参照箇所などから、人の「心」とは、事物に触れた際に機能するセンサーのようなものであろうと思われる。その感じて動く性質、それ自体が、心を「心」たらしめる。そして、人の心の機能は、その心の本体を所有している本人でさえ、コントロールすることができない。心が事物に触れたら最後、自ずからその機能が働いてしまうのだと強調されている。

ココロ」は、動いている状態の「心」の本体とその機能を表すようだ。「『ココロ』の曖昧な働き」「『ココロ』が『ウゴ』いて事物を味識する様」「ウゴく人のココロ」などのように、「ココロ」は必ず、動きを伴っている。「心」は事物に触れて動く。その動くさまが「ココロ」であり、「ココロ」が自らその動きの質を見極めることによって、対象の事物を味識する。

人はみな、本能的に、「心」を自らの内に所有していることを知っている。が、実のところ、自分の内に心が在ることを意識するのは、気持ちや感情を見出したとき、つまり、「心」本体が「心」として機能して動き、「ココロ」となって「ココロ」の機能が働いたときだ。それらの働きは瞬時に起こるので、すべてを一緒くたにしてしまいがちだが、本質的には「心」と「ココロ」の機能が、実情や感情を見出している、というのが正しいのではないだろうか。

「問題は、人の情というものの一般的な性質、更に言えば、その基本的な働き、機能にあった。『うれしき情』『かなしき情』という区別を情の働き浅さ深さ、『心に思ふすぢ』にかなう場合とかなわぬ場合とでは、情の働き方に相違があるまでの事、と宣長は解する。何事も、思うにまかす筋にある時、心は、外に向って広い意味での行為を追うが、内に顧みて心を得ようとはしない。意識は『すべて心にかなはぬ筋』に現れるとさえ言えよう」(同第27集、150頁、9行目)

 

事物の「心」は、その事物の「本質」という語義で使われている。しかし、事物の心といっても、「事の心」と「物の心」とは、私たちにとって大きく違うように思う。「事」とは出来事であり、「事」が起きたとき、私たちはすでにその出来事に関わっていて、起こった「事」を自身の内に受け取っているので、自然に、事の心を自らの心で感じることができる。しかし、物の心は知り難いように思う。なぜなら、物の心のほうから、人の心に近づいてくることはないと思われるからだ。私たちが積極的に「物」に関わり、物の心を知ろうと努力しない限り、私たちの心が物の心に触れることはできないだろう。

ココロ」というのが、動いている「心」の状態とその機能であるならば、本文中で、事物に対しては「ココロ」が使われていないことに、納得がいく。事物の心は人の心のようには機能しない。しかしながら私は、事物の心も、ある一定の動きを持っているのではないかと感じることがある。私たちの心は、おのずから、音という、物理的には空気の振動にすぎないものに、美しさや感情など、様々なものを聴き出そうとする。その聴き出そうとする努力により、感動することができる。そのとき「心」は、実際に空気の振動によって振るわせられ、それによって感動を見出しているのではないだろうか。

「心が事に触れてウゴく」という表現に、心同士が物理的に「触れて」いるような感覚を得ることができる。「心が事に触れてウゴく」とき、人の心と事物の心とは、現実に「触れ」合っているのではないだろうか。事物の心はある一定の振動を持ち、人の心は、実際に事物の心に触れることによって、事物の心の振動を受け取る。すると、人の心は事物の心と共振する。人の心は共振を引き起こされることによって、事物の心の振動の質を知ることになる。これが、「事の心を知り、物の心を知る」ことではないだろうか。

「触れる」ということに関しては、小林先生の文章にこのような表現がある。

「焼き物好きは、いつの間にか、触覚に基づいて視力を働かすようになっている。陳列棚の焼き物も、硝子越しに、触るように見ているものだ」(同第25集、132頁、10行目)

「心が事に触れ」ることを「事物とココロとの交渉」とも言い換えることができるようだ。

「宣長が、『源氏』に、『人のココロのあるやう』と直観したところは、(中略) ただ人間であるという理由さえあれば、直ちに現れてくる事物とココロとの緊密な交渉が行われている世界である」(同第27集、164頁、13行目)

さらに、小林秀雄先生の文章のなかには、「物に心が在ったら」などと、物を人に見立てるような表現が時折見られ、それらにも、事物の心の振動を感じることができる。

「『源氏』という物に、仮りに心が在ったとしても、時代により人により、様々に批評され評価されることなど、一向に気に掛けはしまい。だが、凡そ、文芸作品という一種の生き物の常として、あらゆる読者に、生きた感受性を以て迎えられたいとは、いつも求めて止まぬものであろう」(同第27集、196頁、14行目)

「誰にとっても、生きるとは、物事を正確に知ることではないだろう。そんな格別な事を行うより先きに、物事が生きられるという極く普通な事が行われているだろう。そして極く普通の意味で、見たり、感じたりしている、私達の直接経験の世界に現れて来る物は、皆私たちの喜怒哀楽の情に染められていて、其処には、無色の物が這入って来る余地などないであろう。それは、悲しいとか楽しいとか、まるで人間の表情をしているような物にしか出会えぬ世界だ、と言っても過言ではあるまい」(同第27集、277頁、2行目)

「私は壺が好きだ。もし焼き物に心があるなら、盃も徳利も皿も鉢も、みんな壺になって安定したい、安定したいと願っているようにさえ感じられる」(同第25集、133頁、12行目)

 

おそらく、この世の事物の心は、すべて振動している。私たちは、自らの心の機能を鍛えていくことによって、より多くの事物の心の振動を察知することができるようになり、より深く、事物との交渉を試みることができるのだろう。私たちは事物と関わることによって、自らの心をチューニングすることができるのだ。

(了)

 

音楽の起りと歌の起り

「読書とは自分を読むことです、作曲とは自分を聴くことです」というのは、私の作曲の師である佐藤眞先生が、何かの折にくださった手紙のなかの一文です。そのとき、私は東京芸術大学の学部生で、この言葉の真意はわからずとも、なにか大事な言葉をくださっているということは、直感でわかりました。何度も読み返し、いただいた手紙は、お守りとして持ち歩いていました。

それから数年が経ち、これまでの自らの経験を通じて、師の言葉の意味が、実感として、身体でわかるようになってきました。いまの私にとって、作曲とは、音楽言語という、長い歴史を経て養われた巨きな意味構造を使わせてもらい、自らの思考がどのような道筋を辿るのか、すなわち、自分が何者であるのかを、自分自身で知るような行為です。私たちの心は、おのずから、音という、物理的には空気の振動にすぎないものに、美しさや感情など、様々なものを聴き出そうとします。私は作曲という行為を通して、その心の働きの謎を探り、自分の、そして、ひとの心が如何につくられているかを知ろうとしているのです。おそらく、すべての芸術的な行為は、そういうものであろうと思います。

そして、「読書とは自分を読むこと」であると、特に実感するのは、小林秀雄先生の「本居宣長」を読んでいるときです。「本居宣長」を読み返すたびに、以前読んだとき、こんなことが書いてあったかしら、と思うような新しい発見があるとともに、この部分はまるで自分のために書かれているようだ、と錯覚してしまうような一節が「現れ」ます。私がその一節に出会うのと、その一節が私に向かってくるのは、全く同時といった感覚で、その一節は、光源となって私の内面を照らし、その影かたちの細部までを浮き上がらせるのです。つまり、自分がいま何を考えているのか、何に興味があるのか、何を必要としているのか、自らもはっきりと知覚できていない、自身の内の奥底にある問題に、「本居宣長」を読むことによって、気づくことができるのです。

前回「本居宣長」を読み返したとき、妙に目についたのは「宣命譜センミョウフ」という言葉でした。この数年、仏教の声楽である声明ショウミョウの取材を続けている経験から、「宣命譜」は声明でいう博士ハカセのようなものであろうと推測しています。声明の楽譜では、詞章(歌詞であるお経)に、博士ハカセとよばれる線や、点や、言葉書きなどが付けられ、音高と旋律形(どのように音を伸ばし、装飾して唱えるか)が示されています。「今は伝わらないが、『宣命譜』という古書があった事が知られている。恐らく、儀式をととのえて、詔書をる際の、その『読揚ヨミアゲざま、音声の巨細長短昂低曲節などを、しるべしたる物』と思われるが、宣命という『ワザ』は、余程やかましいものであった。——『神又人の聞て、心にしめてカマくべく、其詞にアヤをなして、美麗ウルハシく作れるものであったと言う」(「本居宣長」第三十五章、新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集46頁15行目)

この部分を何度も読んでいると、「ワザ」と「アヤ」について深く探る必要を感じます。数行後には、以下のように書かれています。「神々の間を行き交い、神々の間を動かしている言葉は、ココロとしての、と言うより、むしろアヤとしての言葉であったという事になる。宣命の言霊は、先ずるというワザが作り出す、音声のアヤに宿って現れた。これが自明ではなかった人々に、どうして『宣命譜』などが必要だったろうか。何も音声のアヤだけに限らない、眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現わそうとする身体のワザの、多かれ少なかれ意識的に制御されたアヤは、すべて広い意味での言語と呼べる事を思うなら、初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではないという言い方も、無理なく出来るわけであり、少くとも、先ず意味を合点してからしゃべり出すという事は、非常に考えにくくなるだろう」(同48頁1行目)

さらに、「アヤ」については、小林先生は、本居宣長が「石上私淑言」巻一に書いている以下の文章をたびたび引用しています。「猶かなしさの忍びがたく、たへがたきときは、おぼえずしらず、声をささげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばはりて、むねにせまるかなしさをはらす、其時の詞は、をのづから、ほどよく文ありて、其声長くうたふに似たる事ある物なり。これすなはち歌のかたち也。ただの詞とは、必異なる物にして、かくのごとく、物のあはれに、たへぬところより、ほころび出て、をのずから文ある辞が、歌の根本にして、真の歌也」(同第27集259頁3行目)

以上の参照箇所から、「ワザ」とは、ひとの内の心の動きを外に現わそうとする働きのことであり、「ワザ」と「アヤ」の間には「ワザアヤを作り出す」という関係性があることがわかります。また、「アヤ」とは、言葉の音声に関わる部分であり、且つ、眼の表情、身振り、態度など、「ワザ」によって、ひとの内の心の動きが身体に表面化されたものでもある、と読み取ることができます。

私たちは日常の会話のなかで、気持ちを伝えようとするときには、緊張して、声が上ずったり、どもってしまったりします。聞いてもらいたい、伝えたいと強く思うときほど、声は大きくなり、身振り手振りがつき、しつこく繰り返して口に出してしまいます。このような、ひとの無意識にしてしまう動作が「アヤ」のひとつの側面であり、いま現在も、人々の関わり合いのなかで「アヤ」が取り交わされているように、「古事記」の時代には、人々の間で、神々の間で、そして、神とひととの間で、当たり前に「アヤ」が取り交わされていたのでしょう。そうすると、どうにか祈りを聴いてもらいたい、神々の注意を引きつけたいと考えたときに、切実な願いであればあるほど、音声の強弱、長短、音高の変化、抑揚などで、祈りの言葉の読み上げ方を工夫したのは、極めて自然なことのように思われます。その上で、祈りの言葉の読み上げ方の工夫が発達し、ますます複雑化して、旋律のようになったところに、声楽が始まったのだと考えられます。

音楽は、グレゴリオ聖歌、前述の声明など、洋の東西を問わず、声楽からその歴史が始まっています。その声楽の起源は、「神と人とのアヤの取り交わし」であるといえるでしょう。また、器楽の歴史は、声楽の旋律をなぞったり、伴奏をしたりすることから始まっています。つまり、音楽のすべては「アヤをなす」事の延長にあり、「アヤ」という表現性の、音声としての面が発達したところに、音楽があるのではないでしょうか。

さらに、宣長のいう「歌といふ物のおこる所」とは、音楽という物のおこる所でもあるのではないでしょうか。ここで言われている「歌」とは、「古事記」「日本書紀」に見られる古代の歌謡や、「萬葉集」の短歌、長歌、旋頭歌などの和歌ですが、宣長の言葉を承けて小林先生は次のように言います。「宣長は、『歌といふ物のおこる所』に歌の本義を求めたが、既述のように、その『歌といふ物のおこる所』とは、すなわち言語というものの出で来る所であり、歌は言語の粋であると考えた事が、彼の歌学の最大の特色を成していた。『物のあはれにたへぬところよりほころび出て、おのづから文ある辞』と歌を定義する彼の歌学は、表現活動を主題とする言語心理学でもあった。(中略)詞は、『あはれにたへぬところより、ほころび出』る、と言う時に考えられているのは、心の動揺に、これ以上堪えられぬという意識の取る、動揺の自発的な処置であり、この手続きは詞を手段として行われる、という事である」(同第三十六章、同第28集58頁2行目)

悲しい事や堪え難い事があったとき、つまり、外から何か圧力がかかったとき、私たちは自然と口をつぐみ、息がつまり、呼吸が止まり、緊張の状態になります。すると、その状態から解放されるために、自身の内部に感じられる混乱を整えようとする働き、要するに「ワザ」が起こり、思わず知らず長くため息をつきます。そのような、ひとが極めて自然に取る動作から「ほころび出」た、言葉以前のひとつの声が、言葉の基礎であり、そのひとつの声の繋がりで成り立ったものが、言葉であり、言語であるのだと、宣長はいっているのでしょう。

言葉は、ひとの内部の働きが整えられてこそのもの、ひとの身体から発せられるエネルギーのようなものなのです。音楽も同様に、「ワザ」によって生まれた、音楽以前のひとつの音を基礎とし、その繋がりで成り立っています。つまり、言葉と音楽の基本は、ひとが己れの感情をどうにかしようとする、ひとの内部の働きであり、言葉と音楽の表現の質について問おうとすると、その元である、感情の質を問うことになります。ひとの身体性を無視して、言葉と音楽を考えることはできないのです。東洋も西洋もない、ひとに元来備わった内部の働きから、音楽の発生の起源を考える、それが音楽をつくるものの使命だと思っています。

 (了)