素読と直観

小林秀雄に学ぶ塾の姉妹塾である素読塾では、古典を読むのに最も適した方法は素読であるという、小林秀雄先生の教えに倣い素読を続けている。二〇一四年、数人の塾生からベルグソンが読みたいという声があがり、ならば素読でという池田雅延塾頭の教示の下、素読塾は始まった。ベルグソンの『物質と記憶』と『古事記』の素読会が同時に開催され、『古事記』の素読を終えた後の二〇一七年五月からは『源氏物語』の素読を続けている。現在はベルグソンと『源氏物語』の素読会を隔月で開催しており、『源氏物語』の方は謝羽しゃゆうさんに舵をとってもらいながら、私の方はベルグソン素読塾の幹事を担当している。

素読とは、声に出して作品を読むという、言ってみればそれだけの方法である。その特徴をあえて強調すれば、内容の理解は云々せず、リズムを大切にしながら、言葉を肉声にするという点になる。素読という方法はなぜ、古典を読むうえで有効なのだろうか。ここでは、素読の意義について、ベルグソンの著作を通して私が感じているところを書いてみたい。

 

ベルグソンの『物質と記憶』を読み始めた当初の印象は、今でもよく覚えている。ベルグソンの著作、とりわけ『物質と記憶』が難解であるとは一般によく言われるようだが、私にとってもそれはともかく難解であった。例えば、『物質と記憶』を読み始めると、真っ先に「イマージュ」という言葉に出会う。これがもう難しい。何が難しいのかと言えば、分かりやすい定義がどこにも書かれていないのだ。「持続」という、彼の有名な言葉にしても事情は同じである。言葉の定義を頼りにするような方法では、彼の著作を上手に読み進めることは難しいのである。

どうして、ベルグソンの著作にはそうした難解さが生じるのか。それはベルグソンの哲学の対象が、彼が真の哲学の方法と呼んでいる「直観」によってしか捉えられない、生命や精神だからである。彼は、真の哲学の方法を悟った当時を、「言葉による解決を投げ棄てた日である」と回想する。ベルグソンが自身の哲学の方法を論じた『思考と動き』では、「直観についての単純で幾何学的な定義を求めないでもらいたい」と読者に注意を促したうえで、その基本的な意味について次のように説明している。

 

「とはいえ、直観の基本的な意味が一つある。すなわち、直観的に考えるとは持続のなかで考えることである。知性はふつう不動なものから出発し、不動を並置することによって運動をなんとか回復しようとする。しかし直観は運動から出発し、運動を実在そのものとして定立する、というよりはむしろ実在そのものとして知覚するのであって、不動なるものは精神が動きに対して撮ったスナップショットあるいは抽象的瞬間としか見ない。知性はふつう事物を自らに与え、それを安定したものと考え、変化はそこに付加された偶然の出来事であるとする。しかし直観にとっては、変化が本質的なのである。直観の眼からすれば、知性の考えるような事物は、生成のただなかで精神によって切り取られ、全体の代用物に仕立てられたものでしかない。(中略)

(平凡社「思考と動き」,Ⅱ序論(第二部)問題の提起について, 48頁)

 

知性は、事物の安定した側面を切り取って、静的な概念で理解しようと試みる。これは、事物に対して私たちがどう対処すれば有用であるかという、実利的な関心に根差した精神の拭い難い傾向であるとベルグソンは説明する。そうした知性の働きは、物質を扱う場合には多いに有効なものであり、物理学や化学といった物質の科学の成功がこれを証明している。しかし、生物学や心理学といった生命や精神が問題となる領域では、知性は物質を相手にする場合ほど上手くは働かない。それは、生命が変化を本質としているからであり、常に新しい何かを創造し続ける生命を、静的な概念で置き換えることはできないからだ。「直観」とは、絶えず変化する動きにより沿い、安定を求めることなくこれを直知する精神の働きであり、「直観とは精神による精神の直接的な視覚(ヴィジョン)」であると、ベルグソンは述べている。

直観を語るうえで、ベルグソンが頻繁に用いる例えにメロディーがある。あるメロディーが異なるテンポで演奏されたなら、元のメロディーと同じ印象を与えることはないだろう。また、メロディーをいったん停止して、同じ個所から演奏を再開したとしても、それが一連のメロディーと同じ印象を与えることはもはやない。私達の精神は、変化する音と一体となりながら、メロディーをその全体性で感じ取る。音楽を聴く際には自然と体験している、運動そのものを直知する精神の働きが直観なのである。また、ベルグソンの言う「持続」とは、伸縮や分断が許されない、直観において経験される時間を意味しており、私達の精神におけるそうした時間は、物理学が扱う均質な時間とは異なるものである。「直観的に考えるとは持続のなかで考えること」とは、メロディーに耳を傾けるようにして、対象の動きに寄り添い、考えることである。

素読では、音楽作品を味わうかのように、言葉をリズムよく肉声へと変えていく。従って、ベルグソンの言葉を借りるなら、素読とは持続のうちで作品を味わうための方法であると、そう表現してもよいだろう。より平たく言えば、著者の声に耳を傾けながら作品を読む方法が、素読であるわけだが、時間を省かずに言葉と向き合うというのは、意識していなくてはなかなか実践することが難しい。現代を生きる私達は、つい時間を省いて、既に自分の頭の中にある枠組みにとって都合の良い言葉を探しだすかのように、言葉を情報として扱ってしまいがちである。ベルグソンの著作は、そうした安易な理解、観念論や実在論とかいった哲学の既存の枠組みに基づく理解を拒絶するかのように書かれている。と言うより、そうした知的な概念では捉え難い生命の実在を表現しようと紡ぎ出された言葉が、「イマージュ」や「持続」といった言葉であって、直観による素読的な方法だけが、その意味を感じ取る唯一の方法となるのだろう。また、哲学者ベルグソンが対象としているのは生命や意識の問題だが、人生を扱う作品においても同じことが言えるはずである。著者が描き出す人生が、生命の実在に深く触れたものであるほど、読者にはそこで描かれた人生を持続のうちで辿りなおす努力が求められる。そうした直観の努力を求める作品を、私たちは古典と呼んでいるに違いない。ただし、私がいう直観を本能や感情とかいった概念で解釈しないでもらいたいと、ベルグソンは読者に注意を促す。「直観とは熟慮反省である」と彼は言う。絶えず自分自身であるには努力を要するのだ。

 

さて、話は変わるが、読者の中には何と時代遅れな方法を説いた文章だろうかと、怪訝けげんに思われた方がおられるかもしれない。現代では、インターネット上に情報が溢れており、それらを如何に効率的に処理するかが求められる時代である。加えて、これを書いている今まさに、米国の人工知能研究所OpenAIが開発した文章生成AI「ChatGPT」が世界中で話題となっている。ChatGPTは、生身の人間では生涯で扱いきれないほどの大量の文字情報から、文字と文字の統計的な関係性を学習することで、私たちの言語活動を予測し、操作する。ユーザーとの言葉のやりとりを通じた自律的な学習も行われているため、今後その精度は益々向上し続けていくのだろう。ChatGPTのような文章生成AIが、我々の生活や社会に多大な影響を与えていくであろうことは、疑いの余地がない。

しかし、これは私の個人的な予測ではあるが、その精度が今後どれだけ向上しようとも、人工知能が操作する言葉の意味が、あくまで統計的なものであって、ある人物がその言葉に込めた固有の意味合いを感じ取ることはできない、という根本的な事実が覆ることはないだろう。全く同じ言葉であっても、それを発する人が異なれば、その意味合いが違ってくるというのは、私たちの言語活動においては常識である。それは、人間の言語活動は、その言葉を発する人物や、彼が生きてきた経歴という固有な条件と不可分なものだからであり、人工知能にとって、そうした人生の持続に根差した言葉の意味を扱うことは難しい。そんな複雑な議論を経なくとも、ChatGPTを使ってみたことがある人なら誰しも、この人工知能が人物という固有性に関わる情報に関しては息を吐くように嘘をつくことを、既に体験しているはずである。人物の名前の問題は今後に技術的な次元で解決されていくだろうとは思うのだが、生まれたての文章生成AIが人物の名前を苦手としているという事実は、案外に大事なことであるのだろうと私は見ている。

素読とは、まさに文章生成AIが苦手とする類の言葉と向き合うための方法であり、その意義は人工知能時代においてもおそらくは変わらない。文章生成AIという偉大な発明やその影響力を否定したいわけではない。私たちの言語活動にとって、文章生成AIはあくまでも道具であり続けるであろうという、原理的な問題が指摘したいだけである。その事実を改めて認識してみたい方は、ChatGPTに「人生の意味とは何か?」とでも質問してみるとよい。優れた答えが返ってくるはずだが、その答えが今後どれだけ精巧なものになろうとも、私という固有な人生の意味に答えを出すことは原理的に不可能であるのだ。こうした問題については、ちょうど三年前の「好*信*楽」(2020年3・4月号)「生命の創造性」という文章を書いているので、そちらをご覧いただければ幸いである。

 

(了)

 

「かたち」について

「人間は現実を創る事は出来ない、唯見るだけだ、夜夢を見る様に。人間は生命を創る事は出来ない、唯見るだけだ、錯覚をもって。僕は信ずるのだが、あらゆる芸術は『見る』という一語に尽きるのだ」

小林秀雄「芥川龍之介の美神と宿命」

 

小林秀雄先生は、哲学者アンリ・ベルクソンを若い頃より愛読されてきた。小林先生の生命に対する認識の奥底には、ベルクソンの哲学がじっと坐っている、先生の著作を読んでいるとそう感じる瞬間がしばしばある。『本居宣長』という最後の大仕事においても、ベルクソンとの対話を通じて磨かれた生命の哲学は、存分に活かされていたのではないかと思う。その事を証するかのように、小林先生は江藤淳氏との対談で、宣長とベルクソンには本質的な類似があると、次のように述べている。

 

「ところで、この『イマージュ』という言葉を『映像』と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている『かたち』という古い言葉の方が、余程しっくりとするのだな。『古事記伝』になると、訳はもっと正確になります。性質情状と書いて、『アルカタチ』とかなを振ってある。『物』に『性質情状アルカタチ』です。これが『イマージュ』の正訳です。大分前に、ははァ、これだと思った事がある。ベルグソンは、『イマージュ』という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋な知覚経験を考えていたのです。更にこの知覚の拡大とか深化とか言っていいものが、現実に行われている事を、芸術家の表現の上に見ていた。宣長が見た神話の世界も、まさしくそういう『かたち』の知覚の、今日の人々には思いも及ばぬほど深化された体験だったのだ。この純粋な知覚経験の上に払われた、無私な、芸術家によって行われる努力を、宣長は神話の世界に見ていた。私はそう思った。『古事記伝』には、ベルグソンが行った哲学の革新を思わせるものがあるのですよ。私達を取りかこんでいる物のあるがままの『かたち』を、どこまでも追うという学問の道、ベルグソンの所謂『イマージュ』と一体となる『ヴィジョン』を摑む道は開けているのだ。たとえ、それがどんなに説き難いものであってもだ」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集、「対談『本居宣長』をめぐって」、229頁)

 

『本居宣長』では、事物の「性質情状(カタチ)」を含めて、物の「かたち」や、神の「かたち」など、「かたち」という言葉が様々な文脈で使われている。対談からも明らかなことだが、小林先生は宣長の使った「かたち」という言葉を、ベルクソンが言う「イマージュ(image)」と密接なものであると捉えた。『古事記伝』における「性質情状アルカタチ」という言葉にもなると、「これが『イマージュ』の正訳です」とさえ述べている。イマージュは、ベルクソンが精神の働きについて考える上で不可欠とした、『物質と記憶』における思索の中核を成す言葉である。従って、『本居宣長』で「かたち」という言葉に込められた意味合いが、重要なものでない筈がない。小林先生の言う「かたち」とは、一体何を意味しているのだろうか。

 

「ベルグソンは、『イマージュ』という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋な知覚経験を考えていたのです」と小林先生は言うが、「性質情状アルカタチ」はイマージュの正訳であるのだから、これを「純粋な知覚経験」を意味するものと受け取って間違いはないだろう。「主観的でもなければ、客観的でもない」という微妙な表現に、この言葉の奥深い意味合いの謎がある筈ではあるが、ひとまず、ここでは事物の「性質情状」を「純粋な知覚経験」と解しておく。「天地はただ天地、男女はただ男女、水火はただ水火」の、「おのおのその性質情状アルカタチ」が有る、と宣長は言う。川の水に手を入れた際のヒンヤリとした質感や、彼方に燃える火に感じられる、赤さや暖かさ、そうした事物の純粋な知覚経験が、「性質情状アルカタチ」という言葉で表現されているものと思われる。次の引用は、『本居宣長』本文で「性質情状」に触れている箇所である。純粋な知覚経験は、私達が現実を知る根源的な手段であり、誰しもに備わる基本的な智慧であると言えるが、物の「性質情状」は宣長にとって学問の与件であったと、小林先生は言う。

 

「空理など頼まず、物を、その有るがままに、『天地はただ天地、男女メヲはただ男女メヲ水火ヒミヅはただ水火ヒミヅ』と受取れば、それで充分ではないか。誰もが行っている、物との、この一番直かで、素朴な附き合いのうちに、宣長の言い方で言えば、物には『おのおのその性質情状アルカタチ』が有る、という疑いようのない基本的な智慧を、誰もが、おのずから得ているとする。これは、宣長が、どんな場合にも、決して動かさなかった確固たる考えなのであって、彼は、学問は、そこから出直さなければならない、と言うのである」(同40頁)

 

「物には『おのおのその性質情状アルカタチ』が有る」。しかし、私達にとってこれはあまりに当たり前な話のようにも思える。何故、こうも当たり前なことが問題となるのか。それは、小林先生がベルクソンによって初めて目を開かれたと言う『言葉というものの問題』のためだろう。江藤氏との対談で小林先生は、「話が少々外れるが、私は若いころから、ベルグソンの影響を大変受けて来た。大体言葉というものの問題に初めて目を開かれたのもベルグソンなのです。それから後、いろいろな言語に関する本は読みましたけれども、最初はベルグソンだったのです」(同228頁)と、ベルクソンの話題を切り出している。言葉を操る人間は、言語に内在する論理の力を借りて、物を考える。言葉の力が正しく働かされるなら、経験はより詳しい認識へと進展していく。しかし、その論理の力の故に、言葉というものはややもすると経験から離れ、空理へと陥る危険と常に隣り合わせにある。それが、ベルクソンが説いた「言葉というものの問題」であり、彼は自身が哲学の真の方法に開眼した際のことを、「それは、私が、言葉による解決を投げ棄てた日であった」(「小林秀雄全作品」別巻1、「感想」、23頁)と回想する。言葉というものが抱えるこの問題は、いつの時代も変わることはないようであり、『本居宣長』では、荻生徂徠が、自然の理で人間の歴史を解釈しようと試みた宋の時代の儒学者らを難じる姿が描かれている。宣長も、「無きことを、理を以て、有げにいひなす」(同38頁)虚しい理の働かせ方を批判し、事物の経験から離れず、これを精しくする実理を空理から明確に区別した。事物の「性質情状(カタチ)」、純粋な知覚経験から物を考える学問の道は、言語に馴れきった私達にとって、これを強く意識していなくては歩み難いものなのである。

「言葉というものの問題」について、小林先生は折に触れては繰り返し言及されている。その一つに、小中学生に向けて書かれた文章「美を求める心」における次の有名な一節がある。ここでは「言葉というものの問題」とともに、「見る」という純粋な知覚経験が、愛情という努力を要する行為であり、汲み尽くしがたい知の源泉であることが説かれているのである。『本居宣長』に親しんでいる方には、宣長の使った「ながむる」という言葉が連想されることだろうと思う。

 

「言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それはすみれの花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難かしいことです。菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は、皆そういう風に花を見ているのです」(「小林秀雄全作品」第21集、『美を求める心』)

 

ベルクソンが「イマージュ」という言葉を必要とした理由も、「理」が生み出す偽りの問題から離れ、事物の純粋な経験から哲学を始める必要があったからである。イマージュについて、小林先生は江藤氏との対談で次のように述べている。

 

「実在論も観念論も学問としては行き過ぎだ、と自分(筆者注;ベルクソン)は思う。その点では、自分の哲学は常識の立場に立つと言っていい。常識は、実在論にも観念論にも偏しない、中間の道を歩いている。常識人は、哲学者の論争など知りはしない。観念論や実在論が、存在と現象とを分離する以前の事物を見ているのだ。常識にとっては、対象は対象自体で存在し、而も私達に見えるがままの生き生きとした姿を自身備えている。これは『imageイマージュ』だが、それ自体で存在するイマージュだとベルグソンは言うのです。この常識人の見方は哲学的にも全く正しいと自分は考えるのだが、哲学者が存在と現象とを分離してしまって以来、この正しさを知識人に説く事が非常に難かしい事になった。この困難を避けなかったところに自分の哲学の難解が現れて来る。また世人の誤解も生ずる事になる、と彼は言うのです」(「『本居宣長』をめぐって」、229頁)

 

ベルクソンが『物質と記憶』(1896年)を書いた頃、物質の解釈について、哲学では実在論と観念論という二つの極端な理論が机上で争わされていた。観念論は、感覚的な諸性質から成る知覚を出発点に置いて、知覚こそが物質の全てであると論じる。実在論では、知覚の背後にはそれに対応する普遍的な諸法則の数々に従う実在があって、その実在こそが物質であり、物質は知覚とは何ら関係のないものであると考える。ここで言う実在と知覚は、先の引用で小林先生が「存在」と「現象」と表現しているものだが、物質における「存在」と「現象」のこうした分離が生じた背景には、物質の科学の成功がある。「デカルトは、物質を幾何学的延長と同一視してしまったために、物質をわれわれからあまりに遠いところに置いてしまった」(「物質と記憶」、杉山直樹訳、講談社学術文庫、11頁)とベルクソンは言うが、実在論者はデカルトが踏み固めた道の延長線上にいる。そこでは、色彩や匂いといった知覚が、物質とは何ら関係のない錯覚のごとき「現象」としか見なされないわけだが、それを錯覚であると捉えるにせよ、実在論者も何らかの仕方で知覚というものが存在する事自体は認めざるを得ない。こうなると、論理の必然的な帰結として、物質と精神という異なる二つの実体を打ち立てる通俗的な二元論へと陥るか、或いは、知覚を脳という物質に付随して生じる謎めいた現象とでも見なさざるを得ない。

要するに、「観念論においても実在論においても、人は二つのシステム(筆者注;知覚と物質)のうち一方を措定して、他方のシステムをそこから導出しようとしている」(同35頁)のであり、通俗的な二元論が両者の間を曖昧に揺れ動く、という次第なのだ。ここでは、物質と知覚は互いの定義からして永遠に関係性が断たれており、どこまで行っても、本質的な意味で両者が接点を持つことはない。理論の詳細化は進んだにせよ、現代も基本的には同じ難問を抱えた状況にあると言うべきだろうと思う。

何故、このような解き難い問題が生じてしまうのか。ベルクソンはこれを悟性というものの避けがたい傾向の故であると言う。「われわれの悟性は論理的な区別を、ということははっきりした対立を立てることを、まさに自分の役割としているので、そうした二つの道のそれぞれに突進し、どちらでも道の果てまで進んでしまう」(同352頁)。その結果、他方には感覚的な諸性質が剥ぎ取られた分割可能な延長としての「存在」が、もう片方には延長を持たない感覚的な諸性質から成る「現象」が拵えられ(注1)、「悟性はこうやって自分から対立を作り出しておいて、大仰に騒ぎ立てて見せるのだ」(同352頁)。この「悟性」の問題とは、言うなれば先に論じた「理」と同質な問題であって、これをどれだけ推し進めようとも困難を解く道が開かれることはないのである。

では、物質をどのように捉えたならば、精神の理解に通じる道は開かれるのか。その問いの出発点として、ベルクソンが不可欠とした概念こそが「イマージュ」であり、常識から出発せよ、と彼は言う。あなたが眼を閉じたなら、あなたの知覚が消えると同時に物質も消え去ってしまうのだと、そうした観念論の過激な主張を、私達の常識は受け入れたりはしていない。また、哲学に関わり合いのない人に向かって、実在論者がそう考えるように、物質はあなたの知覚経験とは一切関係のないものとして存在しているのだと説いたなら、彼はその主張を疑うだろう。常識に生きる人は、物質というものを、見たり、触れたり、感じたりと、自身が見て取る姿のままに存在していると、素朴に考えているはずである。次の引用は『物質と記憶』の序文でイマージュについて説かれた箇所であるが、ベルクソンの言うイマージュとは、常識が見て取っている物質のことに他ならない。

 

「常識にとっては、ものはそれ自体で存在しているものであり、しかも他方、われわれが見て取るがままにそれ自体、色彩豊かなものでもある。これはイマージュだが、それ自体で存在しているイマージュなのだ。……本書の第一章における「イマージュ」という語は、まさに以上のような意味で用いられる。われわれは、哲学者たちの論争をいっさい知らないような人の観点に立つ。そのような人は、ごく自然に、物質は自分が見て取る姿のままに実在している、と考えているだろう。そして、彼は物質をイマージュとして知覚しているのだから、物質とはそれ自身、イマージュなのだと考えるはずである。観念論や実在論は、物質についてその存在と現れを分離してきたわけだが、要するに、われわれはこの分離以前において物質を考察するのだ」(同「第七版の序」、10-11頁)

 

また、附言しておくと、「宣長は、一切の言挙を捨てて、直ちに『古事記』という『物』に推参し、これに化するという道を行った」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集、34頁)というように、『本居宣長』で小林先生が「物」という言葉を使うとき、ベルクソンの「物質とは『イマージュ』の総体のことだ」(「第七版の序」10頁)という、そうした意味での「物質」の理解が念頭にあったことは、疑いようのないことのように思われる。

 

このイマージュから出発して、『物質と記憶』においてベルクソンは、私達の精神の働き方を、日常生活における何気ない経験や、失語症などの臨床的事実に照らし合わせながら、記述していく。悟性による惰性を投げ棄てたベルクソンの哲学は、現実の複雑さの要請から難解なものとなるが、彼の思索を辿る上で、その導きとなる目印として二つ原理を手放さないでほしいとベルクソンは読者に呼びかける(注2)。第一の原理は、私達の精神の諸機能が、生きるという根源的な要求に根差していること、『物質と記憶』の表現に従えば、本質的に「行為」に向けられているということ、精神のいかなる分析もそのことを目印として進められるべきである、とベルクソンは言う。第二の原理は、先にも論じてきた「理」の問題に関わるものであり、私達が「行為」のために身に着けた習慣は思考の領域に逆流して、そこに偽りの問題を拵えてしまう、そうした傾向があることに注意しなくてはならない、というものである。例えば、知覚の働きにしても、観念論も実在論も「知覚にはいつもまったく思弁的な目的を割り当てて、知覚が目指すのは何か分からない利害関心なき認識だということにしたがる」(同92頁)のだが、第一の原理を基にすれば、純粋な「知覚」とは、物質というイマージュから身体が行為の要請に従い切り出す「ある特定のイマージュ、つまり私の身体の可能的行為に関係づけられたもののこと」(同28頁)であると、ベルクソンは第一章で説く。第二章以降も同様の原理に基づき、記憶の問題を扱いながら、精神の働き方が明らかにされていく。その詳細をここで要約することは叶わない。

しかし、彼の哲学の歩みを次のように要約することは可能だろう。ベルクソンは、悟性の習慣的な働きを警戒しながら、常識が見て取っているイマージュを追い、精神の働きを見極めた。生命に対する、ベルクソンが「精神による精神の直接的な視覚」と評する「直観」をもって(注3)。「ベルクソンが行った哲学の革新」とはそのことであり、これと同質な歩みを、「あるがままの人の『ココロ』の働き」を極めれば足りるとした宣長の仕事に感じると、小林先生は言うのである。また、私は思うのだが、小林先生の『本居宣長』という仕事は、ベルクソンによって見極められた精神の働きが、人間の生涯で如何に展開されているのか、これを宣長という個性に即して明らめるという、そうした意味合いがあったのではないか。「かたち」という言葉の扱われ方を見ていても、小林先生の批評におけるベルクソンの哲学の活かし方、その位置づけについては、相当に意識的なものがあったように感じられる。そうでなければ、解釈というものをあれほど嫌った小林先生が、宣長とベルクソンに本質的な類似を見ようはずがないだろう。

 

 

注1:ベルクソンがイマージュと呼ぶ、常識人が見て取っている物質には、色彩や手触りなどがある。ガリレオは、この経験的与件としての物質から感覚的性質を剥ぎ取り、物体の大きさ、ないしその距離の変化のみを扱うことで、「落体の法則」といった私達が初等教育で習う物理学への第一歩を踏み出した。ちなみに、「熱さ」という経験を捨象して、これを透明なガラスに封入した液体の膨張、すなわち「幾何学的延長」として計測する温度計を最初に考案した人もガリレオである。ここで言われている「延長」については、物理学が扱う、物差で計測可能な物質がもつ性質をイメージしてもらえればよい。デカルトは、この「延長」を物質の本質的性質であると見なし、「デカルト座標系」を考案して延長としての物質の運動を代数的に扱う道を踏み固めた。こうした物質の科学の歩みをベルクソンは否定しないが、同じ方法を精神の理解に適用することの問題を説いている。

注2:「しかしながら、実在の錯綜そのものであるこうした錯綜の中でも、二つの原理を手放さないでおけば、そうそう迷うことはないだろうし、実際、それらはわれわれ自身にとっても研究の導きの糸になったのである。第一の原理は、われわれの精神の諸機能は本質的に行為に向けられたもので、心理学的分析は常にそれらの実利的な性格を目印にしながら進むべきだ、というものだ。第二の原理は、行為する中で身についてしまった習慣は思弁の領域にまで逆流し、そこにまがいものの問題を作ってしまうということ、そして形而上学はまず最初にこの種の人為的な曖昧さを一掃しなければならないという、このことである」(ベルクソン「物質と記憶」、杉山直樹訳、講談社学術文庫、19頁)

注3:「したがって、私の語る直観は何よりもまず内的な持続へ向かう。直観がとらえるのは並置ではなく継起であり、内からの生長であり、絶え間なく伸びて現在から未来へ食い入る過去である。直観とは精神による精神の直接的な視覚である。そこにはもはや何ものも介在しない。空間を一面とし言語を他面とするプリズムを通した屈折も起こらない。状態が状態に隣り合い、それが言葉となって並置される代わりに、そこには分割できず、したがって実体的で、内的生命の流れの連続性がある。それゆえ直観とはまず何より意識を意味するのだが、しかしそれは直接的な意識であり、対象とほとんど区別のつかない視覚であり、接触というより合一する認識である」(ベルクソン「思考と動き」、原章二訳、平凡社、44-45頁)

(了)

 

生命の創造性

「私が生命のはずみというのはつまり創造の要求のことである。生命のはずみは絶対的には創造しえない。物質に、すなわち自分のとは逆の運動にまともにぶつかるからである。しかし生命はそうした必然そのものとしての物質をわが物にして、そこにできるだけ多量の不確定と自由を導入しようとつとめる。どんな風にその仕事にとりかかるか」

アンリ・ベルクソン著『創造的進化』(真方敬道訳, 岩波文庫, p.297-298)

 

私とは何か。非常に難しい問題であると思う。デルフォイのアポロ神殿には「汝、自身を知れ」という言葉が、格言として彫られてあったという。私は、私自身が最も良く知っている筈であるのだから、これはなかなかに微妙な問題を含んだ格言であると言えるだろう。どうして、自分自身を知るという事が問題になるのだろうか。

私という問題について、最近、スピルバーグ監督がハーバード大学の卒業生へと向けたスピーチをネット上で聞き、改めて考える機会を得た。映画は、登場人物が自分自身が何者であるかに気付く瞬間をよく描いているが、映画界ではそうした瞬間の事をキャラクター・ディファイニング・モーメント(character-defining moment)と呼んでいるらしい。キャラクターという言葉は、物語では登場人物の事であり、性格とか気質とか言う意味が含まれた言葉であるから、キャラクター・ディファイニング・モーメントとは自分自身を知る瞬間の事であると言える。ここでは、私という問題について、スピルバーグ監督のスピーチから考えた事について書きたいと思う。以下は、スピルバーグ監督がキャラクター・ディファイニング・モーメントについて触れている箇所の引用である。

 

「……あなた方が次にやるべきことは、映画の世界で『キャラクター・ディファイニング・モーメント』と呼ばれていることです。そうした瞬間は映画では身近なもので、例えば、(筆者注;スター・ウォーズの)レイが自身の内なるフォースに気が付き、フォースに目覚める瞬間や、インディアナ・ジョーンズがヘビの山を飛び越えて恐怖ではなく使命を選択する瞬間のことです。2時間の映画の中では、そうした瞬間は一握りのものでしかありません。ですが、実際の人生では毎日、そうした瞬間と出合います。人生とは、一本の強くて長いキャラクター・ディファイニング・モーメントの糸のようなものです。幸運なことですが、18歳で私は既に自分が何をやりたいのか知っていました。ですが、私は自分が何者であるかは未だ知りませんでした。私にとっても、他の誰にとってもそれを知るのは難しいことです。なぜなら、人生の最初の25年間、私たちは自分以外の声を聞くように訓練され続けるからです。(中略)私の高校生の頃がそうであったように、耳を傾けるべき内なる声は最初の頃はとても聞こえづらく、目立ちませんでした。ですが、その後に私はより多くの注意を払うようになり、私の直感が動き始めました。(中略)ここで、直感というものが良心とは異なるものである事をハッキリさせておいてください。それらは一緒に働きますが、両者は別物です。良心は「これはあなたのやるべき事だ」と叫び、直感は「あなたならそれができるかもしれない」とささやきます。あなたに何ができるかを告げる内なる声に耳を傾けてください。その他に、あなたが何者であるかを決めるものはありません。……」

 

「人生とは、一本の強くて長いキャラクター・ディファイニング・モーメントの糸のようなものです」と、スピルバーグ監督は言う。これは、生きる上では大切にしていたい認識である。映画の中でキャラクター・ディファイニング・モーメントは劇的な一場面として描かれる事が多いけれど、実際の人生においては、スピルバーグ監督も言う通り、それは日々刻々と創り出されるものだからである。「私」とは、一種の創造であるというわけだ。そうした認識は、社会的な常識とか過去の惰性から自身を守って、自発的に生きる努力にとって大切なものであるように思う。

 

また、スピルバーグ監督は「あなた方が次にやるべきことは」と、キャラクター・ディファイニング・モーメントという課題を卒業生に向けて提示しているけれども、それはつまり、キャラクター・ディファイニング・モーメントという課題が、大学を卒業するといった社会的な課題とは質が異なる課題であると言うことだろう。私の事は、私自身が一番に良く知っている筈である。そうであるのに何故、キャラクター・ディファイニング・モーメントが人生における課題になるのだろうか。なかなかに微妙な問題であると個人的には思うのだけれど、おそらくそれは、「私」や、或いは同じ事だが人生というものにとって、決断というものが大事な問題になるからではないだろうか。僕自身も課題の真っ只中であるわけだけれども、この問題についてもう少し書いておきたい。

 

僕ら人間は皆、非常な可能性を秘めて生まれてくる。子供の可能性は無限大であるとは、よく言われる事だが、考えてみるとこれは大事な事実であると思う。そうした可能性を僕たちは、時間と言う資源を消費しながら、具体的な人生という形に変えていく。具体的に成し得る事は、可能性とは違って限りがあるわけだから、この過程では何かしらの取捨選択が不可欠となってくる。誰もが理解している当たり前な話だ。蛇足だが、僕らの脳は大人になるにつれてシナプスの刈り込みと呼ばれる機能の効率化を図っていくものであるらしい、興味深い生理学的事実である。では、人生というものがどうしてそうした構造をしているのかと言うと、その理由の根源を辿ってみると、僕が思うに、生命というものが創造的な存在であるからではないだろうか。生命は創造的な存在であるから、全く同じ環境を生きる人生というものはあり得ない。彼が生まれる時と場所に適切な能力や、或いは人生の意味は、誰にも予め決められない。だから子供は無限の可能性を秘めて生まれてくるのだろう。だから、僕らの人生においてはキャラクター・ディファイニング・モーメントが大切な課題になるのだろう。

 

僕は大学生になってから本を読み始めたのだが、最初の動機は、受験という目標から解放された事もあって、人生の意味が知りたくなったからである。しばらく色々と読み漁ってみて、自分が生きる意味を本の中では見つける事が出来ないという事実に気が付き、不思議な思いがした。人類には長い歴史があって、無数の人たちが既に人生を歩んできたというのに、どうして他人が生きた人生の意味を借りることが出来ないのだろうかと、不思議に思ったのである。

生きている意味は、一人一人が自分自身で見出さなければならない。当時の僕が不思議に思ったその事実については、繰り返しになるが、今では次のように理解している。

何にもない地球上で生命が誕生して、それまでの生態系を土台としながら新たな種が生じ、生態系そのものが持続的に進展していくように、人類の歴史も繰り返さない。生命は創造的な存在である。従って、全く同一な人生というものは存在し得ない。他人が生きた人生の意味をそのまま借りることの出来ない理由は、当然な事ではあるが、生命の創造性に由来する。また、この課題は生命が創造的な存在であるが故に、生涯のどこかで完結するようなものではないのだろう。

 

スピルバーグ監督は、自分自身を知るという課題にとって、唯一の大切な手がかりとなるものが直感であると助言している。直感は、僕らが創造的に生きるために意識に与えられている大切な働きであるのだと思う。直感のこうした捉え方は、実のところ、冒頭で言葉を引用しているアンリ・ベルクソンという哲学者のものでもあって、意識的な知性に対して直感こそが「生命そのもの」であると彼は言う。直感については、また稿を改めて詳しく書いてみたいと思っているけれど、ここでは最後に、生命における創造が抱えているように感じられる本質的な困難について触れて、話を終えたい。

恒常性(ホメオスタシス)という概念があるように、生命は無秩序な環境の内で安定した状態を維持しようと努める存在である。他方で、そうした秩序を破る生命の飛躍がなければ生命現象は成り立たない。遺伝の本質を成す過程である突然変異は、種に進化と言う飛躍をもたらす生命にとって不可欠な機構であるが、同時にそれは個々の生命体にとっては有害なものにもなり得てしまう。また、天才と呼ばれる、社会に飛躍をもたらす文化的な現象が確率論的にしか存在し得ない理由も、おそらくは生命における創造の本質的ジレンマに由来しているのだろう。

直感の声を聞くのに努力を要するという事実は、思うに、生命がその初動から抱え続けてきた創造の困難に由るものであるのだと思う。生きている限りは出来るだけ、耳を傾けるよう努力していたい。

 

 

参考文献:

・ Steven Spielberg’s Harvard University 2016 Commencement Speech (May, 2016)

 

引用箇所の原文

… Well, what you choose to do next is what we call in the movies the ‘character-defining moment.’ Now, these are moments you’re very familiar with, like in the last Star Wars: The Force Awakens, when Rey realizes the force is with her. Or Indiana Jones choosing mission over fear by jumping over a pile of snakes. Now in a two-hour movie, you get a handful of character-defining moments, but in real life, you face them every day. Life is one strong, long string of character-defining moments. And I was lucky that at 18 I knew what I exactly wanted to do. But I didn’t know who I was. How could I? And how could any of us? Because for the first 25 years of our lives, we are trained to listen to voices that are not our own. … And at first, the internal voice I needed to listen to was hardly audible, and it was hardly noticeable — kind of like me in high school. But then I started paying more attention, and my intuition kicked in. … And I want to be clear that your intuition is different from your conscience. They work in tandem, but here’s the distinction: Your conscience shouts, ‘here’s what you should do,’ while your intuition whispers, ‘here’s what you could do.’ Listen to that voice that tells you what you could do. Nothing will define your character more than that. …

 

(了)

 

常識について

小林秀雄さんは常識の人である。「批評という仕事は、科学の考え方よりもよほど常識の考え方に近いやり方をするものなのである。つまり、理屈というものの扱い方が、科学的というより寧ろ常識的なところに批評があると私は思っている」と自ら仰るほど、常識というものに信を置いて批評を続けた人だ。それでは、小林さんが批評の拠りどころとした「常識」とは、一体どういったものであるのか。小林さんの『常識』と題された文章に以下の言葉がある。

 

「なるほど、常識がなければ、私達は一日も生きられない。だから、みんな常識は働かせているわけだ。併し、その常識が利く範囲なり世界なりが、現代ではどういう事になっているかを考えてみるがよい。常識の働きが貴いのは、刻々に新たに、微妙に動く対象に即してまるで行動するかのように考えているところにある。そういう形の考え方のとどく射程は、ほんの私達の私生活の私事を出ないように思われる。事が公になって、一とたび、社会を批判し、政治を論じ、文化を語るとなると、同じ人間の人相が一変し、忽ち、計算機に酷似してくるのは、どうした事であろうか」

(新潮社刊『小林秀雄全作品』第23集所収)

 

常識と言えば、普通、誰しもが知っている知識のようなものを思い浮かべる人が殆どであると思う。そうした通俗的な意味合いからすれば、随分と変わった常識の捉え方をするものだと、そう思われるに違いない。小林さんは、私達の私生活を支える常識の本質を、その働きの俊敏さや柔軟性に見ている。

『常識』は人工知能という言葉も無い頃に書かれた文章である。常識の貴さが計算機との対比から何気なく語られるこの文章にも、人間性の本質を射貫く小林さんの慧眼が光っている。と言うのも、近年の目覚ましい人工知能の発展が明らかにした事実が、他でもない、常識という人間にとって身近な知性こそが、人工知能にとっては最も得難いものであるという事実であるからだ。小林さんの言う「常識」を、現代の人工知能が抱える問題から照らし出してみたい。

 

機械による計算と人間の知性の違いについて、気になって色々と調べてみた事がある。学生の頃であったから、計算機に取って代られるような人生は歩みたくないと、そんな気持ちを抱きながらであったと記憶している。その際、「フレーム問題」という人工知能が抱える古典的な問題がある事を知った。1969年に『人工知能に見る哲学的問題』という論文で提起された問題であり、著者の一人であるジョン・マッカーシーは人工知能 (AI: Artificial Intelligence)という言葉の生みの親でもあるそうだ。コモン・センスという言葉と共に議論がなされるフレーム問題は、人工知能が抱える常識の問題だ。

フレーム問題とは、要点だけ述べれば、私達にとっては何気ない行為でも、AIが処理できるように論理的にその記述を試みるなら膨大な前提条件が必要とされるという問題だ。どんな推論にも、その土台となる知のフレーム(枠組み)が必要とされる。人間にとっては自明な前提の一々を記述していけば切りがないが、AIに自然な前提といったものは何もない。では、人工知能は如何にして、人間が判断の土台としている無数の前提を持ち得るのか。これが、マッカーシーらがフレーム問題と名付けた、人工知能にとっての常識の問題である。

 

フレーム問題は純粋に論理的な観点から提起された問題だが、人類はその後、AIの設計において常識をプログラミングすることの困難に直面した。例えば、クイズに答えるAIを設計する上でも、常識が障壁となった。計算機は、人が一生涯かけても覚え切る事が困難であるような膨大な知識を、一瞬にして情報として記録する。ところが、いざクイズに解答する段となると、その記録された情報の中から問われている内容に沿う適切な情報を選び出してくる事が難しい。

また、囲碁や将棋といった盤上ゲームのAIの設計では、「直観」と呼ばれる類の知性をプログラミングすることが困難であった。コンピュータは毎秒何万という人間が到底及びもつかない速度で先の展開を計算することができる。いわゆる「読み」と呼ばれる能力において、人間は計算機に太刀打ちできない。けれども、人間の棋士が「読み」を始める以前に働かせる、無数の手の中から若干の有望な手を何気なく選び取る直観が、計算機には得難いものであった。

各々の棋士の直観は、考えるというよりは感覚に親しい、対局という経験のうえに築き上げられた常識であると表現してもよいものだろう。

 

人工知能にとっては常識こそが難しい。これはAIに関心を寄せる者にとっての今やである。とは言え、近年のAIは機械学習と呼ばれる、経験を活かすアルゴリズムの開発により飛躍的な発展を遂げた。クイズにせよ、盤上ゲームにせよ、現代のAIは既に人類を凌駕している。

小林さんの『常識』という文章は、自らが学生時代に翻訳を手掛けた『メールツェルの将棋指し』の話で始まる。将棋を指すイカサマの機械が登場するこの物語の主人公であるエドガア・ポオは、「将棋盤の駒の動きは、一手々々、対局者の新たな判断に基づくのだから、これを機械仕掛と考えるわけにはいかない。何処かに人間が隠れているに決まっている」という常識的な考えを手放さず、機械の目的が将棋を指すことにあるのではなく、人間を上手く隠す事にあるという事実を暴く。常識から出発し、これを手放さず、粘り強く考え続けること、その困難と大切さがポオの物語を通じて語られる。また、将棋を指す計算機は常識に反するものとして、未来におけるその実現の可能性がそれとなく否定されもする。

今、人工知能は驚異的な発展を遂げている。2016年にはディープマインド社の人工知能アルファ碁が、人類最高の棋士の一人に勝利した。人工知能の黎明期にその礎を築いたノーバート・ウィーナーでさえ、「もちろんメールツェルの詐欺機械のような”強い”機械はできないであろうが」と、そう考えていたのだから、現代のAIの躍進は人類の殆ど誰しもが予想だにしなかった事件であると言える。人類のテクノロジーは、ポオを含むかつての人々が抱いた常識の一面を越えていった。とは言え、私たちが私生活において発揮している常識をAIは未だ手にしてはいない。

 

20代の頃、高校を卒業して社会的な決まり事に触れる機会が多くなり、いわゆる常識を疎ましく思う時期があった。物覚えは良くない方だから知識としての常識は今も好きにはなれないが、私生活の何気ない場面にもっと「常識」があればと思う瞬間は多々ある。相手の気持ちが分からず、上手な言葉がかけられない時などは常識の不足を恥ずかしく思う。

小林さんには『常識について』(同第25集所収)という、常識を論じたもう一つの文章があり、その中で「中庸」という言葉について触れている。私達が常識という言葉を持つ以前、中庸がこれに相当する言葉であったのだろうと小林さんは言う。中庸は孔子によって初めて使われた言葉だが、以来、定義を与えて安心したがる学者達によりあれこれとやかましい議論がなされてきたそうだ。小林さんは、伊藤仁斎の言葉を借りながら、「中庸という言葉は、学者達の手によって、『高遠隠微之説』の中に埋没して了ったが、本当は、何の事はない、諸君が皆持っている常識の事だ」と言い、また「中庸とは、智慧の働きであって、一定の智慧ではない」と言う。ただし、中庸は誰しもに備わっていて、自然と働かせてもいるから、この働きの価値を改めて反省してみる人は少ない。

挨拶、買い物、会話、全く同じ状況というものはないから、私生活の何気ない行いの一つ一つに常識の働きは欠かせない。そして、その働きの貴さについては、現代の人工知能が図らずも人類に明かしてくれている。AIはある特定の課題においては驚異的な能力を発揮する。しかし、AIが上手に計算が出来るのは、その力を働かせる領域や目的が明確に規定されている場合に限られる。「汎用人工知能」の実現がAIの次なる課題であると言われているが、AIが盤上という枠組みを越えて、私達が暮らす境界線の無い実生活で上手に機能できるか否かは分からない。AIの知性は、狭く、硬いのである。

人間の常識は俊敏で柔らかい。私達の誰しもが、計算機には得難いそうした常識を備えている理由は、私達が生きているからだろう。生物が野生環境を生き抜くためには、考えるより先ず行動しなければならない。生きるという一番に大切な目的のため、私達の祖先が脈々と築き上げてきた智慧が常識の源流であるに違いない。私達の常識が私生活において最も生き生きと発揮されるのも道理だ。

 

AIには俊敏で柔軟な知性としての常識を得る事が難しい。そうした技術的な問題に加えて、最後にもう少し、より根本的な問題に触れて常識の話を終える。

既に述べた通り、機械学習と総称されるアルゴリズムに基づく現代のAIは、人間が規則をプログラミングするという方法では実現が困難であった数々の知的機能を備えている。パターン認識もそうした機能の一つであり、現代のAIには写真や絵に写された物が「何であるか」を人間以上に正確に判断する能力がある。とは言え、AIが私達と同じように写真や絵を見ているかどうかは、また別の話だ。色や形、或いはそれが写る素材のテクスチャーを含めて、感覚と呼ばれる独特な経験として私達は物を見る。機械的なセンサーは光の波長の差異を検知することで、赤を青やその他の色から区別する事は出来ても、そこに私達と同質な「赤らしさ」の経験が伴うとは限らないし、常識はそうは考えない。私達の経験を形づくる独特の質感は現代では「クオリア」という言葉で呼ばれ、計算機がこれを持ち得るか否かについての哲学的な議論が続けられている。

私達が現に体感している経験の質感を計算機が持ち得るか否か、ここで私見を主張するつもりはない。ただ、そうした経験の最も深い謎に関わる哲学的な問いと、AIに常識が持ち得るかという技術的な問いの間には、案外に密接な関係があるに違いないと個人的にはそう思う。赤い物を見て、青でも緑でもなく、そこに赤らしさを感じること。感覚を形作る私達の質感は、知の確かな土台として、私達の判断を根底において支えてくれているものだ。これがなければ、経験から考え、過去を振り返ることが全く意味を成さなくなる。従って、独特の直観とでも言うべき私達の感覚は、私達にとって最も根源的な常識であると言えるだろう。

 

「源は常識だ。誰でも知っている事を、もっと深く考えるのが、学問というものでしょう」

(「交友対談」、同第26集所収)

 

常識の奥は深いのだ。

(了)

 

幸福について

「われ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従って矩をこえず。(孔子『論語』)」

 

「年をとるほど幸せになる”Older people happier”」という講演がTEDの中にある。スタンフォード大学高齢化センターのローラ・カーステンセンという方の講演で、印象に残っている話の一つだ。大人になると、歳を経るということを別段に嬉しく思う人は少ないかもしれない。けれど、「あなたは日々どれだけ幸せを感じていますか?」といった幸福度の実証的な調査をすると、「人は歳を経るほど幸せになる」という結果が出るという。喜びや感謝といった感情は年齢を経るにつれて増し、ストレスや不安、腹を立てるといった頻度は減ってゆく。何度やっても同じ調査結果が出るとのことらしい。高齢者が若い者より幸せであることは、統計的な事実であるようだ。

 

幸福、それは私たちの人生にとって最も大切なものであると言えるが、捉えどころのない漠然としたものでもある。ハッピー、とカタカナで表現でもすれば何となくお気楽な感じもする。そもそも、幸福度の調査というが、幸福を測ることなど可能なのだろうかと疑問にも思う。定義のしようがないところに、幸福という概念の本質があるようにさえ思われるというのに。

 

とは言え、幸福と年齢のこうした現象は、今のところは僕にも当てはまるような気がする。実証的なデータから「人は歳を経るほど幸せになる」ものだと言われたら、そういうものかという気がしてくるし、ぜひそうであってほしい。

高齢になると一般的には体力が落ち、健康上の問題も増えてくるから、高齢者の幸福度が若い者よりも高いという観測的事実は「高齢のパラドックス」とも呼ばれている。この事実については、単なる認知機能の低下が原因だろうと考える学者も多いのだそうだ。人生は良い事ばかりではないから、悪い出来事に対する認知が低下すれば、主観としての幸福度は増すに違いない。また、高齢による認知機能の低下は確かに起きることだろうから、幸福度の増大は、認知機能の低下が引き起こす単なる副産物に過ぎないというわけだ。有り得ない理屈ではないし、僕自身も幸福そうな大人を見るたび、似たような事を密かに思いもしてきた。今でも、そうした考えの半分は正しいと思っているが、一方では、浅はかな考えであったと反省してもいる。カーステンセンはというと、パラドックスとされる幸福の現象を人間性に関わる問題として捉えている。

 

「高齢のパラドックス」は単なる認知機能の低下による結果ではない、数々の実験結果がそう示唆しているのだそうだ。なにせ、認知機能の高い者ほど「高齢のパラドックス」は当てはまるとのことらしい。歳を経た人は悲しい出来事が認識できないのではなくて、悲しみと上手に向き合っているのだと、カーステンセンは言う。彼女のそうした考えは実験の裏付けを得たものであり、多様な年齢の人たちに色々な顔の写真を見せると、高齢な者ほど笑顔に注意が向かい、嫌そうな顔や怒った顔は自然と避ける傾向があるのだそうだ。また、記憶においても、色々な映像を見せると高齢な者ほどポジティブな映像の記憶が残りやすく、ネガティブな映像の記憶は残りにくい。こうした認知的な傾向は、高齢者が幸福である事実と無関係ではないのだろう。

彼女はまた、幸福へ通じる高齢者のそうした態度は、人生に残された時間の長さに係わる問題であろうと言う。当然だが、若者に比べて高齢者に残された人生の時間は短い。だから、残された人生の時間を意識しながら、良い出来事に出来る限り目を向けて、より生産的であろうと今この時間を大切にし、より感謝し、より多くの和解を受け入れる。それが「高齢のパラドックス」の内実であるに違いないと述べている。

 

30歳の若輩者が「高齢のパラドックス」について語るのは、何となく失礼な気がしている。同じ「幸せ」という言葉で呼んでいても、40代、50代、或いは60代や70代といった年齢の方にとっての幸せは、30歳である僕のような若造のそれとは全く質が異なるものであるに違ない。それだけは、この歳でようやく分かるようになった。それなのに、どうして「高齢のパラドックス」の話をしているのかというと、このパラドックスの他方の端、若者にとっての意味合いについては思うことがあるからだ。人生に残された時間が少なくなるにつれて、物事の前向きな側面へと意識が向かい幸福になる傾向が「高齢のパラドックス」の内実であると言うのなら、若者が不幸を感じやすい傾向も同様に人間性の一端として認めていけないはずはない。だから、ここでは「高齢のパラドックス」の若者にとっての意義について考えてみたい。

 

「僕はただもう非常に辛く不安であった。だがその不安からは得をしたと思っている。学生時代の生活が今日の生活にどんなに深く影響しているかは、今日になってはじめて思い当る処である。現代の学生は不安に苦しんでいるとよく言われるが、僕は自分が極めて不安だったせいか、現代の学生諸君を別にどうという風にも考えない。不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいいではないか。学生時代から安心を得ようなどと虫がよすぎるのである」(「僕の大学時代」、新潮社刊『小林秀雄全作品』第9集所収)

 

若者の精神について想うとき、僕にとって、自然と思い出されるのが小林秀雄さんのこうした言葉である。「精神の不安は青年の特権である、という考えを僕は自分の青年時代の経験から信じている」とも、小林さんは書いているが、僕自身は20代を通してこうした言葉に非常に支えられてきた。「高齢のパラドックス」に係わる文献について調べてみると、人生における幸福度はU字カーブを描き、50歳頃まで緩やかに下降し、その後は上昇を続けるというのが一般的な傾向のようである。だから、「人は歳を経るほど幸せになる」という話を、そのまま青年期を含む若い年代へ当てはめることは出来ないが、とは言え、感情的な側面に限ってみれば、これは人生の全般を通じてよく当てはまる事実であるようだ。ストレスや不安といった感情は青年期に上昇し、その後は歳を経るにつれて緩やかに下降する。青年の特権とまで言い切ることは統計的には難しいが、若者には年輩者よりもネガティブな感情を抱きやすい傾向が確かにある。

認知的な側面においても、若者の意識はポジティブな事柄と同様にネガティブな事柄へも向かい、悪い出来事の記憶も年輩者に比べて残りやすい。これら精神の傾向は幸福度を押し下げる要因となるに違いないが、若者の精神にはどうして、そうした傾向がわざわざ備わっているのだろうか。単なる未熟さの結果である、と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、話はそう単純であるとは思えない。「不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいいではないか」。小林さんの言葉も示唆するように、若者の精神の特性にも何かしら人生における得があるように思われる。どういった意義があるのか。若者の精神の意味合いも、高齢者の幸福へと通じる態度の由来と同様に、人生に残された時間の長さから考えてみてもよいだろう。

 

若者には長い人生の時間が与えられている。人生をどのように生きていけばよいか、そうした未来に対する問いを抱くことは、だから、若者にとっては必然だろう。自分はどういった人間で、何になりたいのか、発達心理学の言葉を借りるならアイデンティティの確立が、未来を想う若者にとっては大事な課題となる。そうした選択にとっては、現実の良いも悪いもありのままに受け止める批評的な精神が不可欠であると思う。経験の蓄積が少ない、過去の惰性を知らない若者にとっては尚更そうであるように思うのだが、意識が物事のネガティブな側面へも向かう若者の精神は批評的な精神に通じるものであると言っていい。これについては、例えば、ローレン・アロイとリン・アブラムソンによる次のような面白い実験がある。

ハッピーな学生とそうでない学生の認知の傾向を比較するため、ボタンの操作でライトの点滅がコントロールできる状態と、他方で、ボタンの操作ではライトの点滅がコントロールできない状態を設定し、学生に、ライトの点滅をどの程度までコントロールできたと思うかを自己申告させてみる。気分が落ち込んでいる学生は何れの設定においてもコントロールできたか否かの判断が正確である。これに対し、ハッピーな学生ではコントロールできる状態の判断は正確であるのに対して、全くコンロトールができない状態のときにでもコントロールできたと思う者の割合がかなり多くなる。気分が落ち込んでいる者の方がハッピーな者に比べて、失敗の経験を正確に把握し記憶する、つまり、現実主義者なのである。

日常の生活においては全くコントロールが不可能な状況というのは稀だろうから、上手くいく可能性に意識が向かう者の方が、現実を正しく把握しているのかもしれない。少なくとも、物事はポジティブに考えた方が生産的である。とは言え、自分にとって本当に大事な問題を浮かれた気分のままに決断する人はきっと少ないに違いない。それは、幸せな気分というものが必ずしも冷静な判断にとっては適さないという、実験が示唆するような事実を私たちが経験的に知っているからなのだと思う。

青年時代は人生という時間軸で捉えるなら、たくさんの価値と出会い、未来に自分はどう生きていくのかを選択する時期にあたると言える。批評的な精神にとってハッピーは必ずしも適切であるとは限らない。若者の精神の傾向は、そうした事情を反映した結果であるのかもしれない。或いは、むしろ、現実への期待や無知に由来する楽観性と釣り合いをとるためにネガティブな精神も必要とされるのかもしれない。いずれにせよ、現状を正しくないと感じる精神の傾向は、未来における理想の実現へと向かう原動力にはなるだろう。

人間は自身の幸福の度合いを調節しながら生きている。若者にとっての意義も認めるなら「高齢のパラドックス」と呼ばれる現象はそう捉えることもできる。「歳を経るほど人は幸せになる」という傾向が事実であるなら、それは人生というものに適応的な精神の性質であるに違いない。満ち足りて少しでも生産的であろうとする大人と同様に、理想を精一杯に探究する若者の精神も「高齢のパラドックス」の内実の一端を担う大切な人間性なのではないだろうか。幸福と年齢の現象について知ったときそう僕は思った。

 

冒頭で引用したのは孔子が年齢に応じた心の在り様を説いた言葉である。その一つ一つについて僕には未だ知る由もないが、人間の心の在り方は、人生を通じて確かに変わってゆくのだろう。僕の場合、きちんと幸福でありたいという思いは年々強くなっている。幸福と年齢の間に法則性があるのなら、これに沿えるようきちんと努力していたいと願う。

(了)

 

メモ:

・Stone,A.A., Schwartz,J.E., Broderick,J.E.&Deaton,A. (2010) A snapshot of the age distribution of psychological well-being in the United States. PNAS, 107(22).

ギャラップ社による2008年のアメリカにおける34万人を対象とした調査に基づく、幸福と年齢の関係の統計的な分析結果。全般的な幸福度が50歳を境にU字カーブを描くという知見が再確認され、またこれに加えてネガティブな感情は20代の初期から緩やかに減少してゆくという結果を報告。

・Carstensen, L.L.&Mikels J.A. (2005) At the intersection of emotion and cognition: Aging and the positivity effect. Current Directions in Psychological Science, 14(3).

ポジティブ優位性効果(positivity effect)と呼ばれる、年齢に伴い認知や記憶がポジティブな事柄へ向けられる傾向がある事実について等を紹介。

・BiRinci, F.&Dirik, G. (2010) Depressive Realism: Happiness or Objectivity. Turkish Journal of Psychology, 21(1).

うつ傾向にある人の方が健常な人よりもむしろ現実を正しく認知しているという考えは、抑うつリアリズムの仮説(depressive realism hypothesis)と呼ばれる。今なお議論が続く問題ではあるが、健常者の認知には一般的に楽観的な偏向があることは事実として認められている。

・Alloy, L.B.& Abramson, D.Y. (1979) Judgment of contingency in dpressed and nondepressed students: Sadder but wiser?. Journal of Experimental Psychology: General, 108(4).

ローレン・アロイとリン・アブラムソンによる、抑うつリアリズムの仮説の発端となった実験。

 

主観と客観について

初めて小林秀雄さんの文章に触れたとき、本質を射抜く言葉の数々に驚いた。その驚きは、小林さんの作品集を少しずつ読み進めている今も変わらない。小林さんの批評文は鋭い、その鋭さに読みながら僕はしばしばハッとなる。小林さんの言葉は、どうして心に刺さるのか。それは、小林さんが常に主観で物を言っているからだと思う。心で感じたことが真っすぐに言葉に込められているからだと思う。作品と向き合う際に小林さんは、通念とか、知識だとか、客観を装うようなものに惑わされることなく、自分の心の動きを何よりも大切になさっていたのではないだろうか。小林さんの、作品と向き合うそうした態度は、批評の秘訣を明かした言葉としても有名な、次の一文からも窺い知ることができる。

 

物指で何かを計ればその何かは何でも物指の結果になる事は必定である。人は芸術的問題の決定に於いて、批評とは物指を使うだけでは足りないという事を考えるべきである。批評するとは自己を語る事である。他人の作品をダシに使って自己を語る事である。(「アシルと亀の子Ⅱ」、『小林秀雄全作品』第1集所収)

 

自己を語る事、それは、主観を語る事と言い換えてもよいだろう。小林さんは常に主観を語る。とは言え、そうやって語られた自己が小林さんの場合、人間性の普遍とでも呼びたくなるようなものに触れている。だから、小林さんの言葉はいつも僕の心を動かすのだろう。小林さんの批評文は主観的であると同時に、科学的であると評したくなるような客観性をも併せ持っている。主観に貫かれた客観性、そうした魅力が、小林さんの文章が時代を越えて読み継がれる端的な理由であるに違いないと思うし、そこに、小林さんの批評の芸術性があるのだと思う。小林さんの語る自己は単なる印象批評とは別ものだ。なのだけれど、それでも引用した言葉がそう告げている通り、「自己を語る事」が小林さんにとっては批評する事に他ならなかったのだと思う。小林さんの文章からは、読んでいると声が聞こえてくるような感じがする。

 

批評に対する小林さんのこの姿勢は、批評家としてのデビュー作『様々なる意匠』(同第1集所収)を書いた若い頃から、『本居宣長』(同第27・28集所収)という晩年の著作に至るまで全く変わりがないということを、作品集を読み進めながら改めて感じている。どうして小林さんは、自己を語るという批評の道を一度たりとも踏み外さなかったのか。それは、主観と客観というものの関係についての、一貫した認識があったからではないかと思う。どういう認識か。主観というものは、客観ではけっして捉えきれないという認識だ。物指ではけっして、人間というものは測り得ないという認識である。小林さんの批評の礎には、主観と客観の関係に対するそうした確たる信念があったのではないだろうか。ここではだから、小林さんの批評の態度に通ずるような、そうした主観と客観の関係についての話がしてみたい。

 

主観と客観の関係、それは現代においてはクオリアという言葉によって議論される問題でもある。客観的には捉えがたい経験の主観的な側面を意味する概念がクオリアだ。「小林秀雄に学ぶ塾」の発起人である茂木健一郎さんが提唱し続けている概念でもある。有名な議論は多々あるが、ここではアンリ・ベルグソンという哲学者による「時間」についての思索に触れながら、主観と客観の関係について述べてみたい。ベルグソンは意識と呼ばれている人間の主観的経験について深く考え抜いた哲学者である。小林さんが最も敬愛なさった哲学者でもある。小林さんは、生きた時代からしてクオリアという言葉は知らなかったはずだ。しかし、ベルグソンを通して間違いなくクオリアの問題に触れている。『意識に直接与えられたものについての試論』という処女作において、ベルグソンは次のような思考実験を述べている。僕のアレンジしたものだが、オリジナルは本文後の補足に引いておいた。

 

時間を操るデーモンが現れて、「時間よ、進め!」と、自然現象が二倍速く進む時の魔法を唱えた。全ての自然現象が二倍速で進み始める。すると、その世界に身を置く私は、自然現象が速く進んでいることを感じ、また時計の針も速く進んでいるような感じがして、「一時間」と呼ばれる時間が短く感じられる。こうした時間の変化は、好きな本を読むにしても、また退屈な話を聞くにせよ、いずれの経験においても私にとっては大問題である。デーモンの時の魔法は私の主観的な経験に確かな変化をもたらした。ところが、不思議なことに、こうした時の魔法を物理学者は一向に気に掛けていないようだ。というのも、物理学の方程式には何らの修正も不要であるとのことらしい。方程式は自然現象を記述しているはずだというのに。時の魔法は客観的な時間、方程式の中のtという記号には影響せず、物理学が扱う時間をいくら調べてみても、私にとって大事な時間の質に関わる問題は何処にも顔を出さない。時の魔法によって、私は一時間という時間に確かな変化を感じる、けれども客観的な一時間は一時間のままである。客観的な時間というものには、私にとって大切な何かが欠けてしまっているようだ。(補足を参照)

 

これは、時計が測る客観的な時間が、私たちが感じている主観的な時間とは異なるという事実について述べた思考実験だ。同じ「一時間」であっても、自分が好きな事をしている時間と退屈な時間では感じる時間の長さは異なる。それは経験的事実であると言えるが、例えばまた、物事に集中している時などに、ふっと時計に目をやる。すると、「もう、こんな時間か」と感じる場合があるが、これも時計の針が刻む時間と、感じられる時間の食い違いから漏れ出た言葉であると言える。このように、私たちが時間と呼んでいるものには、実は、時計で測られたものと、感じられるものとの二つがあるわけだ。客観的な時間と主観的な時間である。

これを書きながら、読み進めている作品集で今さっき出会った小林さんの言葉も引いて置く。

 

放心している時の時間は早く、期待している時の時間は長い、そういう簡単な僕等の日常経験にも既に時間と言うものの謎は溢れているのであって、心理的錯覚という様なものでは到底説明が附かぬ。錯覚に落入るまいとすれば、僕等には放心も期待も不可能となるだろう。錯覚があるとするなら、放心や期待そのものが錯覚であろう。だが、この錯覚が疑いもなく確実な処に、時間の発明者たる僕等の時間に関する智慧がある。(「ドストエフスキイの生活」、『小林秀雄全作品』第11集所収)

 

時計の針が指し示さない時間というものはある。経験されているのは、自然の側のものではない生命である僕等の発明した、生きられた時間だ。

 

それでは、客観的な時間と主観的な時間のどちらが本物か。そうした問いもあり得るが、ここでは真偽の定義を争うようなそうした話はせず、ただ、「客観によっては捉え切れない主観がある」という事実についての話がしたい。それが、小林さんの批評を根底において支えている認識論であると思うからだ。小林さんは客観的事実のみから作品を理解するといった、学者が陥りがちな客観的な方法をキッパリと否定なさるが、そうした態度に通じる話がしたい。

 

楽しい時間と退屈な時間の質的な違いを時計は捉えきれないわけだが、では何故、客観的な時間は主観的な時間を捉えきれないのだろうか。客観的な時間は「比」であって「間隔」そのものではないからだ、とベルグソンは説明する。どういう意味か。時間が定量化されるカラクリを見てみよう。

時間というものは如何にして、数を伴う客観的な時間となるのだろうか。それは例えば、ガリレオがその原理を発明した振り子時計が時間を測るところを想像してみると分かり易い。振り子が左から右へ、そして右から左へと、一往復するのに必要な時間の間隔というものがある。これを基準にして、振り子が二往復すれば一往復するのに要する間隔の二倍の時間、三往復すれば三倍の時間、という具合に、振り子が一往復するのに要する時間の間隔との比によって時間は定量化される。三時間という量はつまり、一時間という間隔の何倍かという比の事なのだ。数を伴う定量的な時間とは、ある間隔(それは単位と呼んでもよい)に対する比の事である。

客観的な量が間隔に対する比であるという事実は、時間とは違って目に見えるから、空間的な長さというもので考えるともっと分かり易いかもしれない。時間の場合と同じように、物指で物の長さを測るところを想像してほしい。長さは物指の目盛によって測られるが、物指の目盛とは、例えば、一ミリといった間隔が並んだ物の事である。だから物の長さが五ミリであるとは、それが一ミリという間隔の五つ分の長さに相当するという事だ。「量は間隔との比として測られる」、それが空間・時間の定量化のカラクリだ。最も原始的な物指は、人間の手の親指と人指し指の先から先までの長さを一尺としたように、身体の大きさであろうし、太古の時計は、天体の周期的な運動であっただろう。より精緻な間隔をもつ自然現象の探求が、人類にとっての物指や時計の歴史となるわけだが、空間・時間を定量化するカラクリそのものは皆同じである。

ある基準として定めた間隔との比が、客観的な空間・時間の正体である。さて、ここで、立ち止まって考えてみて欲しい問題がある、とベルグソンは問う。その基準となっている当の間隔そのものは一体何であるかと。この間隔そのものは、客観ではけっして捉えきれない主観に相当するものであるとベルグソンは説明する。量は間隔そのものには関わらない、それは間隔に対する単なる比でしかないからだ。デーモンが時の魔法で変化させたのは時間の間隔そのものである、だから、客観的な時間はこれに関わらない。主観的に感じられる時間の質は、間隔そのものに関わるものだ。客観的な時間はこれに触れていないし、触れられもしない。

これが、最も純粋な主観と客観の関係だ。主観というものは客観的な物指では捉えきれないものなのである。

 

主観は客観では捉えきれない、現代においても議論は絶えないが、少なくとも物指や時計が測る客観的な量はそのまま経験を意味するものではない。私たちが最も信頼している時間や空間でさえそうなのだ。まして、人間の心という豊かなものが客観的な物指で測れるはずはない。ないのだけれど、色々と知識を覚えたり、また社会の要請なんかもあって、こうした主観と客観の関係を純粋なかたちで心の内に留めておくのは難しいことのように思う。時間に追われていると、時間を忘れて遊ぶ子供心を、つい忘れてしまう。

小林さんは客観を装う物指には頼らず、常に主観を語られた。そうした態度は、客観的な物指では主観はけっして捉えきれないという、ベルグソンが説いたような最も純粋な主観と客観の関係に対する確かな認識があったからではないだろうか。心を測る事の出来る唯一の物指は自分の心の他にはないという信念があったからだと僕は思う。

ただ、そうした認識があるからと言って、他者の生きた心にその唯一の物指をきちんと添わせることの難しさに変わりがあるはずもない。だから小林さんにとって自己を語る事は批評における努力に他ならず、それ故、喜びでもあったのだろう。

 

 

補足

ベルグソンは客観的な時間に対して、主観的に経験される時間を「持続」という言葉で呼びました。本文で触れたベルグソンの思索を引いて置きます。

 

これらの主要な違いを明示するために、しばらく、デカルトの邪霊よりもさらにいっそう強力な邪霊が宇宙のあらゆる運動に二倍速く進むように命じたと仮定してみよう。天文現象には、あるいは少なくとも私たちがそれらの現象を予見するのを可能にする方程式には、何の変化も生じないであろう。というのは、これらの方程式のなかでは、tという記号は、一つの持続を示すものではなく、二つの持続のあいだの関係、時間の一定数の単位、あるいは結局、一定数の同時性を示すからである。これらの同時性、これらの同時生起はやはり以前と等しい数だけ起こるわけで、ただこれらを分かつ間隔だけが減少したはずだが、しかしこれらの間隔は計算のなかには入ってこないのである。ところで、これらの間隔こそまさに生きられた持続、意識が知覚する持続である。だから、もし日の出と日の入りとのあいだで私たちのもつ持続が減少するとしたら、意識は日の短くなったことをすぐにも私たちに知らせるだろう。もちろん意識はその減少を測るわけではないし、おそらくそれを、直ちに量の変化という相の下に捉えるわけでもないだろう。けれども意識は、何らかのかたちで、その存在の普段の豊饒さが低下したこと、日の出と日の入りとのあいだでその存在がいつも実現してきた進行に変化が起きたことを確認するはずである。(アンリ・ベルグソン『時間と自由 (原題: 意識に直接与えられたものについての試論)』(岩波文庫, 中村文郎訳, p. 232)

(了)

 

「物質と記憶」と「古事記」を素読して

「小林秀雄先生の思索は、生涯にわたってベルグソンとともにあった」と、池田雅延塾頭は言う。昭和33年(1958)、56歳の5月から『新潮』に連載されたベルグソン論の「感想」は、38年6月、第56回をもって打ち切られ、小林秀雄さんはそのまま「感想」の単行本化も全集収録も禁じられたというが、そのこと自体が小林さんにとってどれほどベルグソンが格別な存在であったかを物語っているように思う。

そこで、鎌倉の「小林秀雄に学ぶ塾」で「本居宣長」を読み始めて一年余りが経った頃、塾生の何人かがベルグソンのことも知りたいと思い、誰か専門家に来てもらって定期的に教えを受ける会を課外活動として始めたいと池田塾頭に相談したそうだ。すると塾頭は、それを聞くなり渋面をつくってこう返したらしい。

 

「ここは小林秀雄に学ぶ塾だ、ベルグソンのことを知りたいと思うなら小林秀雄に学べ、誰であろうと小林秀雄以外の人間がとやかく言うベルグソンを小林先生が喜ぶと思うか、だが小林先生は、自分のベルグソン論を封印してしまっている、かくなる上は道は一つしかない、君たち自身が独力でベルグソンを読んで、君たちなりの得心を得ることだ、方法も一つしかない、ベルグソンを素読することだ、小林先生が古典の読み方として強く奨めていた素読によってベルグソンとつきあうことだ……」

 

こうして2014年10月、「小林秀雄に学ぶ塾」の「ベルグソン素読会」が始まった、と聞いている。僕は未だ入塾していなかったから、幸か不幸かその場に居合わす事は出来なかったが、素読しか方法はないんだと語気を強くする池田塾頭と、それを聞きながら困惑している皆の顔を勝手に想像しながら、素読会が誕生した時のこの話を聞いた。

 

素読とは、文章の意味や内容を頭でわかろうとはせず、ひたすら文字を音読する本の読み方である。毎月一度の素読会では誰か一人が先ず声に出して文章を読み、それに続いて皆で声を合わせながらベルグソンの「物質と記憶」を読み進めている。2015年4月からは「古事記」の素読がここに加わり、会の名も「ベルグソン素読会」から「小林秀雄素読塾」へと改められた。僕はその回から参加している。「古事記」は先々月の4月に素読を終え、5月からは「源氏物語」の素読が新たに始まっている。

素読会は皆で一緒になってひとつの音楽を奏でているような感じがして、とても心地が良い。参加して間もない頃は皆で奏でる言葉の音楽を楽しみたいがために、僕にとっては一人で読むには少しばかり億劫ですらあった本を扱う素読会に通い続けた。そうして素読を始めてから今、二年と少しばかりの時が経っている。

 

先にベルグソン素読会が誕生した時の話を少し意地悪く想像したことについて書いたが、そんな想像を勝手にするのも、僕自身が素読というものに初めは懐疑的なところがあったからである。ベルグソンの「物質と記憶」は意識の問題を扱った哲学書だ。素読ではこれをひたすら音読してゆくわけだが、「頭を使わない哲学書の読み方などあるもんか」と内心で反抗しながら、言葉の定義を逐一確認してゆくような読みを一人で続けもした。こうした反抗は、僕が建築を学ぶ理系の学生で分析的な読み方に慣れていたこともあるのかもしれないが、一番の理由は、入塾してから日の浅かった頃は未だ、池田塾頭のこと、そして小林秀雄先生の言葉をきちんと信じることができていなかったからだと思う。ただ、ベルグソンの「物質と記憶」という著作は、それを手に取る多くの人にとって難解だ。池田塾頭によれば、小林秀雄さんですら最初は何が書いてあるかちっとも分からなかったと仰っていたというのだから、その難しさはもはやお墨付きであると言ってよいだろう。僕も読み始めた当初、こんなに難しい読みものがあってよいものかと思った。独りよがりな方法ではさっぱり読めなかった。

あんまりにも分からないから、ある時、「物質と記憶」を頭で読むことを諦めた。諦めたのと一緒に、池田塾頭の言葉を信じて、素読に打ち込んでみることにしようと思った瞬間があった。振り返ってみるとそれは、僕が「物質と記憶」を読めるようになるための最も大切な瞬間であったように思う。

 

ベルグソンの「物質と記憶」が読めなかったという話ばかり書いているが、素読会では「物質と記憶」だけを素読してきたわけではない。ちょうど先々月には「古事記」の素読をやり終えた。ここ「好・信・楽」では、僕が「物質と記憶」と「古事記」の素読をやってみて感じたこと、考えた事について書いてみたいと思う。まずは「本居宣長」ともより直接的に関係が深い「古事記」の素読体験から話を始めたい。

 

「古事記」は本居宣長が蘇らせた日本最古の歴史物語である。素読会ではこれを白文で素読した。白文とは、言ってみればただ漢字が並んでいるだけの文章であり、古典を読む訓練をしていない僕にとっては何が書いてあるのか分からない碑文のようなものである。とは言え、僕は一人で「古事記」の白文を素読するなんてことは出来ない。素読会では池田塾頭が先ず読んで下さる。だから僕がやることはと言えば、白文を眼で眺め、先生の声に耳を傾けながら、聞いた通りに音読すればいい。頭ではなく眼と耳を使いながら言葉と向き合う。そうやって二年間、池田塾頭の声に導かれるようにしながら「古事記」の素読を続けた。素読をし始めた頃は、読まれている箇所を追いかけることすら僕には難しかった。密かに迷子になったりもして、こんなんで大丈夫かなと思ったりもした。だけど、何度か素読を続けているうちに迷子になるような事は自然と無くなり、また、白文から「古事記」で描かれている情景が絵として浮かんできたりするようにもなった。「古事記」の文章がもつリズムに馴染んできて、ともかく親しみが湧いてきた。それが素読による言葉の体験を最初に実感した出来事であったように思う。

「現代人は意識出来るものに頼りすぎている。意識は氷山の一角に過ぎないなんて生意気な事を言いながらね」と、意識に頼り過ぎ、意識にのぼるものだけが知恵であると思い込んでいる事が、現代の教育の根本的な誤りであると小林秀雄さんは言う。学校で古文を習うとき、時間をかけて慣れるよりも先に、古語の意味や文法といった、知識を覚えることが求められる。学校では古文を頭から学んだわけだが、素読会では反対に、ひたすら眼と耳から「古事記」を学んでいった。素読会では古語の意味や文法の知識を逐一教わるといった事は一切していない。にもかかわらず、馴染んでくると、古語の意味や文法でさえ自然と分かるところも増えてくる。こんな学び方があるものかと、素読を面白く思った。

また、小林秀雄さんは「古典はみんな動かせない『すがた』です」と言う。素読は、たとえその意味は理解できなくとも、古典の「すがた」に親しませるための唯一の教育の方法であると仰る。

 

「古典はみんな動かせない『すがた』です。その『すがた』に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。『すがた』には親しませるということが出来るだけで、『すがた』を理解させることは出来ない。とすれば、『すがた』教育の方法は、素読的方法以外には理論上ないはずなのです」(「人間の建設」より。新潮社刊『小林秀雄全作品』第25集所収)。

 

素読をやり終えた今、「古事記」の文章がもつリズムがしっかりと体に刻まれているという確かな実感がある。「古事記」の「すがた」に親しむことは出来たように思う。素読し終えたときに池田塾頭は、「いっぺん素読をやり終えたので、皆さんは今後、独りでも『古事記』を楽しむことができるでしょう」と仰った。池田塾頭のその言葉を聞いたとき、なんとなく、確かに後は独学できそうだなという感じがした。体に染み込んでいる「古事記」のリズムを感じながら、後は独りで頭も使いながら学んでいくことができるように思った。何より、池田塾頭や一緒に素読をした皆の声で彩られた「古事記」という音楽が記憶に残っている。この音楽は、無意識にまで響いてくれているように思う。高校までやっていた吹奏楽の経験を思い出したりしながら、皆と音楽をやるみたいに僕は「古事記」の素読を楽しんだ。

 

ところで、茂木健一郎塾頭補佐と小林秀雄さんの本当の出会いは、書かれた言葉からではなく、小林さんの声からであったそうだ。茂木さんは『脳と仮想』という著作で新潮社の小林秀雄賞を受賞されたが、その中で、録音テープに残された小林秀雄さんの講演を聞いて、小林さんが親しい人になったと書いておられる。学生時代に文章を読み「過去の人」だと思ってきた小林秀雄さんが、肉声を聞くことにより、「同志」と勝手に思い込むまでの存在になったと言う。テープに刻まれた小林秀雄さんの声を、繰り返し聴かれたそうだ。

 

「夜の道の暗闇を歩きながら、車を運転しながら、繰り返し繰り返し聴いた。聴く度に、小林の言っていることが、心の奥底に染み込んでいった。予想もしない出会いだった。思いもしない場所で生涯の恋人に出会ったかのようだった」(新潮社刊『脳と仮想』)

 

何度も繰り返し聴かれた小林秀雄さんの声、それは茂木さんにとってひとつの素読体験のようなものであったのかもしれないなと勝手に思う。

 

小林秀雄に学ぶ塾では月に一度、鎌倉の山の上の家に集まって、池田塾頭の声、そして質問に立つ塾生の声に耳を傾ける。月に一度というのは、よくよく考えてみると頻度としてはそれほど多いものではない。にもかかわらず、一年や二年すると真摯に参加し続けてさえいれば皆、自然と「本居宣長」が読めるようになってきたと言う。三年目の僕も少しは読めるようになってきた。これにしても、池田塾頭の声や、他の塾生の声が知らず知らずのうちに体に染み込んでいくことで、頭からではなく、耳から読めるようになっているのかもしれない。声となった言葉には書かれた言葉にはない、何か不思議な力があるに違いない。

 

そうした声の力もあってのことなのだろうか。ベルグソンの「物質と記憶」の素読においても、同じことが起こった。あれほど分からなかった「物質と記憶」が素読を続けるうちに読めるようになってきたのだ。最初は何が書いてあるのか本当にさっぱりであっただけに、「古事記」や「本居宣長」が読めるようになってきたとき以上に驚きの体験でさえあった。素読による経験は後から後から効いてくるものであるらしい。一回目に素読している最中には分からなかったベルグソンの「物質と記憶」が、今はこれ以上にないほど明快な表現で書かれているように見えるのだから本当に不思議である。読んでいるとベルグソンの声が聴こえてくるようで、言葉のリズムに馴染むにつれて、ベルグソンの語る意識の理論は透明なものに見えてくる。皆の声で奏でられた「物質と記憶」という音楽にただ耳を傾け素読を続けているうちに、気が付けば、ベルグソンが語る意識の難しい問題にきちんと向き合えるまでになっていた。

「私は、学生時代から、ベルグソンを愛読して来た」と小林秀雄さんは「感想」(『小林秀雄全作品』別巻1・2)の中で述べておられる。池田塾頭は「小林先生はベルグソンが言ったことを生涯を通して確かめてこられたのではないか」とさえ仰る。若い頃から読まれ続けたベルグソンの言葉は小林秀雄さんの中で少しずつ成熟していったに違いない。ベルグソンの言葉が、小林さんの中でどのように育っていったのか。そうしたことを考えながらベルグソンや小林秀雄さんの著作を読むのが今は本当に楽しい。

 

これが僕の「物質と記憶」と「古事記」の素読体験である。素読というものを体験するまでは、頭を使う読み方が何よりも賢い本の読み方だと考えてきた。ただ今は、そうした分析的な読み方を、自分の理解の範疇に言葉を押し込めてしまう解釈のための読み方であるように感じる。少なくとも、最初から頭を使って読もうとしていては、古典と呼ばれるような本当に豊かな内容を秘めた作品を味わうことは出来ないのだろう。それが、僕がベルグソンの「物質と記憶」を読めなかった理由であるように思う。解釈を交えることなく、ただ言葉に耳を傾けること。古典をきちんと味わうには、そうした謙虚な態度が何よりも大切であるのかもしれない。言葉を一つ一つ丁寧に声に出して、頭ではなく眼と耳を使う素読は、古典を味わうための確かな方法であるのだろう。

また、考えてみると、そうした態度は何も素読に限らず、学びにおいては常に大切なものであるのかもしれない。自分の解釈を押し付けることなく、ただ信じて、耳を傾けてみる。そうした謙虚な姿勢のない限り、作品や他者から、今の自分を変えてくれるような本当の意味での学びを得ることはできないのかもしれない。素読の体験からもそのように思う。信じてみなければ学べないことがあるということ、これは僕が小林秀雄に学ぶ塾で得た一番に大切な学びの態度であるように思うが、「物質と記憶」と「古事記」の素読においても改めてそのことを実感した。

 

小林秀雄素読塾では先月から「源氏物語」の素読が新たに始まった。言葉の響きが柔らかく、歌のように流れる日本語がとても美しい。「源氏物語」は素読し終えるまでに概算すると十四年の年月を要するらしい。「とにかく時間をかけて向き合うことが大切である」、これは、小林秀雄さんから池田雅延塾頭へと受け継がれた大切な思想であるように思うが、言葉を省くことなく音にしてゆく素読は、時間をかけた言葉との交わりを大切にする読み方であるとも言える。僕は未だ二年と少しばかりしか素読を経験していない。これからどんな景色が見えるようになるのか、楽しみにしながら素読を続けていきたい。

(了)