宣長さんを「思い出す」

冨部 久

「歴史を知ることは、己れを知ることだ……」

「本居宣長」の第30章に出てくる小林秀雄氏のこの言葉の真意を、一昨年十一月の山の上の家の塾の自問自答で何とか摑み取ったという感覚を脳裏に残したまま、もう一度第1章から読み進めていた時、第6章で本居宣長の以下の言葉にぶつかった。

「すべて万ヅの事、他のうへにて思ふと、みづからの事にて思ふとは、深浅の異なるものにて、他のうへの事は、いかほど深く思ふやうにても、みづからの事ほどふかくはしまぬ物なり、歌もさやうにて、古歌をば、いかほど深く考へても、他のうへの事なれば、なほ深くいたらぬところあるを、みづからよむになりては、我ガ事なる故に、心を用ること格別にて、深き意味をしること也」(「うひ山ぶみ」)

そしてこの小林秀雄氏と本居宣長の二つの言葉は、それぞれ歴史と古歌に言及したものではあるが、両者には通底するところがあるのではないだろうか、というのが昨年十月の私の、山の上の家の塾における自問自答の要旨であった。これに対し、池田雅延塾頭がまずおっしゃったのは、「通底」というのは便利な言葉だが落とし穴がある、むしろ、その違いをまずはっきりと認識する必要がある、ということだった。

確かに、歴史上の人物を味う事と、古歌を味う事は根本的に違っている。前者で味うべきは、ありとあらゆる人間経験の多様性であるのに対し、後者では、歌の世界に限定して得られる意味合である。また、「本居宣長」の本文をよく読むと、歴史を知ることは結果的に己れを知ることに繋がるという趣旨に対して、「うひ山ぶみ」からの引用文は、古歌の深き意味を知ろうとするなら歌をみづからよむべきだ、と説いている。つまり、後者では、みづから歌を詠むということをしないでは古歌の意味合を精しく知ることはできないと言っていて、自分と対象との間の方向性が、歴史上の人物を味うときとは逆になっている。だがこれは、どちらも一方向性的なものではなく、自分と対象との検証をさらに深めていけば、いずれも双方向性となることは自明であろう。

以上のようなことを踏まえたうえで、池田塾頭はさらにおっしゃった。上記のような違いはあるが、歴史を思い出すということと、古歌を思い出すということ、この、「思い出す」という行為においては、共通のものがある、と。そして、例えば、「万葉」の歌を「思い出す」には、万葉の言葉が自在に使いこなせるくらいにならないとその「ふり」が見えてこないと釘を刺された。

「思い出す」ということ。小林秀雄氏の最重要キーワードのひとつであるこの言葉の重みを考えるなら、「思い出す」という行為を、頭の中で想像して蘇らすというだけでは軽過ぎるだろう。それは単に想像するだけでなく、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を駆使し、全身全霊をもってして味う、ということでなければならない。また、過去をこちらに呼び寄せるのではなく、こちらが過去の方に遡って行って味うべきものに違いない。そういう意味において、この「本居宣長」は、小林秀雄氏が、自ら編み出した意味での「思い出す」という行為を、三十数年にも渡って実践した、途方もない精神力の軌跡と言えるだろう。

 

そんなことを考えながら、自分が本居宣長という人物をうまく「思い出す」には何をどう実践していけばよいかに想いを巡らした。

まずはその著作を徹底して読むことだろう。そう思って、手始めに今回の自問自答の発端となった「うひ山ぶみ」をじっくりと読んでみた。これは本居宣長が亡くなるわずか三年ほど前に、学問をこれから学ぼうとする人のために書いた入門書のようなものである。構成としては、最初に総論のようなものがあり、そのあと各論に続くが、その総論の最初の方で、「世に物まなびのすぢ、しなじな有て、一トようならず……みづから思ひよれる方にまかすべき也」とあり、また、「その学びやうの次第も……ただ其人の心まかせにしてよき也」とある。要はどの学問を選んでもよいし、その学び方も各自自由にやってよいという事であるが、続けて、「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」とある。これは、池田塾頭が「随筆 小林秀雄」(『Webでも考える人』連載)に書かれていた「頭の良し悪しは、思考を継続できるかどうかにかかっている」という小林秀雄氏の言葉を思い起こさせる。そして、「其中に主としてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより志を高く大にたてて、つとめ学ぶべき也」とある。さらに、学問を続けていくなかで、「その主としてよるべきすじは、何れぞといへば、道の学問なり」とある。つまり、何をどう学んで行こうとも、道というもの、人の道はいかなるものかということに力を用いるべきだと言うのである。そのためにくりかえし読むべきは、「古事記」「日本書紀」であるが、「殊に古事記を先とすべし」と言い、その際、大事なこととして、「漢意からごころ儒意を、清くすすぎ去て、やまと魂をかたくする事を要とすべし」ということが繰り返し述べられている。

「うひ山ぶみ」に何度も出てくるこの「やまと魂」という言葉について、もし、山の上の家の塾に通っていなかったなら、戦時中の国粋思想を鼓舞するのに用いられた、日本古来の武士の勇ましい魂というふうに読んでいただろう。そうではなく、「やまと魂」とは、もともとは「源氏物語」を初出とする、日本人が持つ「もののあはれ」の感情から来た言葉で、本居宣長は「古事記伝」において、倭建命やまとたけるのみことが西方の蛮族の討伐を終え、疲労困憊して戻ってくると、父の景行天皇はすぐに今度は東征を命じたため、倭建命は叔母の倭比売命やまとひめのみことを訪ね、「父天皇は自分は死ねと思っておられるのか」と涙を流して嘆いた、その人間らしい心こそが「やまと魂」であると言っている、と池田塾頭に教わった。「敷島のやまと心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」という本居宣長の歌も、「もののあはれ」の感情から自然と綻び出た素直な歌だと思えば、より味わい深く感じられる。

さらに読んでいくと、次のような言葉に出会った。

「書を読むに、ただ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限りあるものなるに、みづから物の注釈をもせんと、こころがけて見るときには、何れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也」

本居宣長の注釈というのは、単に意味を解説するだけでなく、「古事記伝」における倭建命についての注釈のように、「やまと魂」を働かせ、相手の心の中に入り込んで書かれたものであり、ここでこうして書を読むについて言われていることも、古歌を「みづからの事にて思ふ」のと同じ心ばえを働かせて読めと言っているのではないだろうか。そして、これはまさに、小林秀雄氏の、「歴史を知ることは、己れを知ることだ」という言葉に繋がるものであろう。

 

ところで本居宣長は、「古事記」「日本書紀」などの歴史ものの次には、「万葉集をよくまなぶべし」と言っている。まさに神の思し召しとしか思えないのであるが、この4月から、池田塾頭が新潮講座で「『新潮日本古典集成』で読む萬葉秀歌百首」を開講される。塾頭によると今回テキストとされる「新潮萬葉」は、小林先生の「本居宣長」でも重要な位置を占めている契沖の「萬葉代匠記」「古今余材抄」の精神に則っているのだそうだ。「不才なるひとといへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすこともあり」という「うひ山ぶみ」に出てくる本居宣長の有難い言葉に大変励まされたので、是非ともこの機会に「万葉集」を真剣に学ぼうと思っている。

(了)