寄席通い

……小林秀雄『本居宣長』を読んでは取りとめもないおしゃべりをする男女四人、今日は第十四章あたりが話題になっているようだ……

 

元気のいい娘(以下「娘」) 落語を聴いて、「もののあはれを知る」って、できるかな。

生意気な青年(以下「青年」) なにそれ。

娘 最近、寄席に通っててさ。滑稽噺に大笑いするんだけど、なにか胸に残るんだよね。

江戸紫の似合う女(以下「女」) どういうことかしら。

娘 紙入れ、ってお噺あるよね。

女 あら、ちょっと色っぽい。

凡庸な男(以下「男」) どんな噺?

青年 こういう噺ですよ。とあるおたなしん、奥方ですね、このひとが出入りの若い職人の新さんを誘惑、旦那の留守中に引っ張り込むんだけど、さあこれからというときに急に旦那が帰ってくる。ほうほうの体で逃げ出した新さん、紙入れ、つまり財布、それも御新造の手紙なんかも入ってるのを、忘れてきちゃう。

男 ほう、おとこものか。

青年 翌朝、新さんはお店に出向き、前夜の出来事をよその家でのことのように旦那に話して、紙入れに気づいているか探りを入れる。新さんは気が気でないのに、旦那は興味津々であれこれと聞き出す。ゴシップ話くらいのつもりなんだね。

男 で、どうなる?

青年 そこへ御新造が登場、我がことと知らず面白がっている当の旦那に、「旦那の留守に若い人を引っ張り込もうって女ですからねえ、抜かりはありませんよ」。「紙入れを見つけて、ちゃあんと、旦那に分からないようにしまってあるに決まってますよ。ねえあなた」。

男 といいながら、若い男に合図を送っているわけだ。

青年 そうとは知らない旦那が得意げに「そりゃそうだ。よしんば見つかったところで、女房を寝取られるような間抜けな野郎だ、そこまでは気がつかねえだろう」とのたまって、下げ、ってわけです。

男 フランスの艶笑小咄えんしょうこばなしみたいだね。しゃれてる。

娘 旦那の間抜けぶりを笑う滑稽噺だけど、何度聞いても面白い。後味が悪くない。すじがきは単純だけど、噺家さんの話芸を通じて、ああ、人間ってこうだよなって感じがしてくる。

青年 浮気は不道徳だとか、恋愛は純粋だとか、善悪美醜の詮索を離れ、弱さや愚かさやずるさを含めて、ありのままの人間を感じることが、落語を聴く醍醐味ではありますね。

娘 だからさ、宣長さんが「源氏物語」を読んで、「王朝情趣の描写」にとどまらないものを感じたのと、ちょっと似てるんじゃないかって。

青年 あのね、「源氏物語」も確かに色好みの物語ではあるけどね、「源氏」を深く深く読んだ宣長さんと、寄席でゲラゲラ笑ってるだけのきみとじゃ、月とスッポンでしょう。

娘 私と宣長さんが似てるわけない。そうじゃなくて、落語を聴いても、「源氏物語」を読んでも、心がどううごくのか、自分でもよく分からないことがある。分からないってとこが似てるんじゃないかって。

男 小林先生も、心というものが「事にふれてうごく、事に直接に、親密にうごく、その充実した、生きたこころの働き」という言い方をされているね。

女 それが私たちの心の不思議なところ。私は、私の心と切り離せない、というか、心を取り去った私というものは想像もできないけれど、じゃあ自分の心を自分で分かっているかというと、そうでもないのよね。

男 確かに、小林先生も、書いておられるね。「よろずの事にふれて、おのずから心がうごく」。しかし、それは、分析的に、あるいは知的に理解することは出来ない。このような「習い覚えた知識や分別には歯が立たない」ものこそ、「基本的な人間経験」である。これが、宣長さんの考えだった。

青年 まあ、自分で自分が分らないってことも、あるにはあるけど。でも、いつもそうだったら、まともに生きていけないよね。

女 そういうことじゃないの。心はこんなふうに動くんだということを、頭で理解することはできない、ということ。もちろん、私たちが現に生活を続けている以上、心の働きそのものは、時々刻々、現実のものとして私たちを律している。だから、「生活感情の流れに身をまかせていれば、ある時は浅く、ある時は深く、おのずから」心というものが意識されてくるのではないか、きっと宣長さんはそう考えたんじゃないかしら。

娘 それが、「生活感情の本性への見通し」ってやつか。「もののあはれを知る」につながるんだね。

青年 そうですかねえ。情に棹さしゃ流される、感情に身をゆだねても知的な理解には程遠いよ。

男 えーと、宣長さんは「知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識が説きたい」のだって、小林先生はおっしゃっているよね。

青年 「全的な認識」って、分かるの、あなたがた。

女 分かるのかと言われると、正直、困ってしまいますわ。でも、何か、心惹かれるものはあるのよ。イメージがわいてくるの。むかしむかし、人間がこころなるものを持ったそのとき、知性と感情という区別などなかったのではないかしら。子どもが、初めて自分以外の存在に気づくとき、それは、頭でわかるとも心で感じるとも言えない、驚きのようなものじゃなくって?

男 それが、「そのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力」だって言いたいわけ?

青年 (女に)イメージとか言って、まさにあなたの妄想でしょう。筋道だった説明が欠落している。

女 (少し、はにかむように)そうね、妄想よね……でも、人間のこと、ご自分のことって、お知りになりたいでしょう。

青年 ……

女 人間って、多彩で多様よね。感情のありようも、人柄も。赤ちゃんのときは何にも知らないのに。

青年 確かに、人間の精神は、歓喜から絶望に到る種々の感情を味わい、ひいては崇高から極悪に及ぶ多様な人格を形成しますけどね。

女 その、なんていうのかしら、人間の心が、どこからスタートして、どんなふうに枝分かれして、どう育っていくのか、それってお知りになりたいでしょう。

娘 人間とは何か、私とは何か、ということかな。

女 「もののあわれを知る」というのは、こういうことかもしれないって思いますの。

娘 紫式部ちゃんが、思想家であり、批評家であるというのは、そういうことかな。

女 そんな気がするの。人間について、深く深く考えて、それを、自覚的に物語として描いたんだわ。

男 宣長さんが「道」と言うのも、同じようなことかな?

女 私たちの心情というのは、それこそ千々に乱れるというか、定まりのないように見えるものだけれど、私たちが生きていくということは、そこに「脈絡をつけ、或る一定の意味に結び、意識された生き方の軌道に乗せる」何か、そういう何かがある、ということじゃないかしら。

娘 宣長さんは、その何かが、知りたかったってこと?

男 それが、「純粋な、或いは基本的な、と呼んでいい経験」というわけ?

女 さあ、そこまでは、わたくしには分かりかねますけれど。宣長さんは、「源氏物語」を深く深く読んで、式部の目を通して、人間が人間であるということの根っこにある何かを見つめていたのではないかしら。そこで何かが分かったというより、その何かを知ろうとする努力を、「道」と呼んだのではないかしら。

娘 宣長さんは、文学を突き抜けて、人間研究をしてたんだね。

女 きっとそう。こころとは何かを知りたかった。そう考えますと、「源氏」を読んでも、名人の落語を聴いても、人情の機微に触れ、人間の業に気づかされるという点では、情こころの中では同じようなことが起きているのだと思いますの。

青年 (娘に)落語聴いて人間研究でもしてきたおつもりかな。

娘 バカじゃん。寄席では大笑いするだけ。それに痛快よね、このお噺。なんてったって、御新造よ。二人の男を手玉に取り、でも、どちらも傷つけないようにしてあげて、場面を乗り切る。ボク、こういう大人の女を目指すぞ!

(男と青年、顔を見合わせる)

娘 でもね、寄席がはねて、木戸口を出て、夜道をそぞろ歩きしてるとさ、何かほっこりしてくるんだ。ダメ男二人も、ちょっとかわいいかなって。

男 おっ、ダメ男の、どの辺が。

娘 大物ぶってるけど間抜けな旦那さんや、好人物だけど弱っちい新さんにも、好感が持てるなって。

青年 たまにはいいこと言うじゃないか。

女 あら、あら、お二人とも。(娘に)素質は十分ですわ、とっても楽しみ。

 

……取り留めもないおしゃべりは、取り留めもなく続いてゆく……

(了)

 

めでたき器物を手に取れば

……小林秀雄『本居宣長』を読んでは取りとめもないおしゃべりをする男女四人、今日は第十三章から第十五章あたりまでが話題になっているようだ……

 

元気のいい娘(以下「娘」) 人間のココロって不思議よね。

生意気な青年(以下「青年」) なにさ、急に。

娘 お茶碗をもらったの。去年なくなったおばあちゃんの形見分けで。

江戸紫が似合う女(以下「女」) おばあさま、お茶なさってたから、そのお道具かしら。

娘 うん。骨董なんかじゃないらしいけど、手に取ってじっと見てると、いろんなこと考えちゃって。

凡庸な男(以下「男」) おばあちゃんの思い出かい?

娘 うん。お茶碗手に持ってるだけで、おばあちゃんとのことが全身にじわっとしみわたってきた。でもね、それだけでもないんだな。いつの間にか、おばあちゃんに連れてってもらった幼稚園でさ、馬鹿な男の子と取っ組み合いのけんかして、やっつけて、やったぜって思ったときのことなんか、浮かんできて。

男 そういえば、宣長さんも、人のココロは、「とやかくやと、くだくだしく、めめしく、みだれあひて、さだまりがたく」、決して「一つかたに、つきぎりなる物にはあらず」と言っているね。とにかく不安定でとらえようがない。

女 確かに、わたくしたちの心って、見たり聞いたり、どなたかと言葉を交わしたりするだけで、揺れ動きますわ。

男 宣長さんは、「よろずの事を、心にあぢはふ」のは、「事の心をしる也、物の心を知る也、物の哀れを知るなり」とも言っている。

娘 「心にあぢはふ」って、ビミョーだけど、でもピンとくるな。夕焼けを見てほっこりしたり、しおれた花を見てしんみりしたり、優しい言葉ににんまりしたり、シカトされて砂をかむような思いをしたり。こういう、キモチつーか、キブンつーか、ボク自身のココロのナカミみたいなのが、自然と湧き上がってくる。自分のまわりの世界って、自分の外側にあるはずなのに、自分のココロの中と区別がつかない気がする。

青年 結局、人間心理の精妙なるメカニズムということですよね。

娘 えっ、なにそれ。

青年 要するに、外界の刺激に対する反応を問題にしているんですよね、違います?

女 違いましてよ。そういう反応の記録をいくら集めても、心の中がわかるわけではないんですわ。そもそも、メカニズムというとらえ方自体、心の動きを記述して、説明を与えようという企てじゃございませんの? そういう他人事みたいな話ではございません。わたくし思いますに、人間誰しも、見たり聞いたり触ったりする外の世界の動きと、嬉しかったり悲しかったりする内面の動きとが、影響を及ぼしあっているなかで生きておりますけれど、でもそれは、原因と結果ではありませんわ。切り離せない何か、そういうものじゃございませんの。

男 それが、小林先生のおっしゃる、「事物とココロとの緊密な交渉」とか、「事物を感知する事が即ち事物を生きる事だ」、ということなのかなあ。

青年 しかし、自分の心だからくっきり分かるということでもないんですよね。

娘 それはそうなんだよね、シャクだけど。自分の心がどう動いていくのか自分でもわからない。

女 物事を見聞きし、体験すれば、心が動きますわね。でも心は、そこにじっとしておりませんの。先生のご本にも「みるにもあかず、聞くにもあまる」という言葉がございます。どんどんと連想が広がり、想像が膨らんでいくのですわ。自分の心が温かい言葉に耕されて豊かになったり、逆につらい思い出に切り裂かれて血を流したりいたしますの。

娘 それを言葉に出して伝えれば、聞いた人の心の中で同じようなことが起きるんだね。

青年 しかし、あなたがた、自分で自分が分からないって言うよね。ならば、他人の事ならなおさらじゃないか。コミュニケーションの不可能性、みたいなことをいいたいわけ?

娘 そうじゃない。人間どうし、心が通じ合うことも確かじゃん。当たり前でしょ。だからそれは、人間が人間であれば、何か、時もところも超えて変わらない、大人と子供の区別もない、同じようなものが心のなかにある、ということじゃないのかな。

青年 えっ、えっ、何それ?

女 おやまあ、お感じになれないのかしら。心の中に、ふわふわ、どろどろしたモノがあって、それが動くというか、働いている。その動き方、働き方というのは、善悪や損得の判断なんかよりもっと単純で、好き嫌いや快不快の感情よりもっと原始的な何か。こういうのって、どなたにでもあるのではないかしら。

男 宣長さんの言う「ココロウゴき」ということかな。式部は、源氏の中で、そういう「情の感き」を、人々の心の深いところまで見抜いた上で上手に描いた、ということらしいよ。

女 ですから、一見しますと、「おろかに、未練なる」「児女子の如くはかなき」物語でございますが、にもかかわらず、いえ、むしろそうであるからこそ、人の心の、時を超えて変わらないものを照らし出し、後世にも通じるものとなる。そういうことではございませんか。そしてそういう、心の奥深いところでの動きというのは、わたくしたち一人一人の外界とのかかわり方そのもの、人間が人間である根元みたいなものではないかしら。

娘 だから、そういうのって、誰にでも備わっているはずだよね。でも、その当たり前のことが、説明しようとするとチョー難しい。濡れた石鹸をつかもうとしてするりと手から抜け落ちてしまうように、自分ではよくつかめない。

女 それを、式部さんが「源氏」という物語として書いてくださったからこそ、人の気持ちというものはこのように動くのだということが、手に取るように分かるのですわ。

娘 手に取る、ああ、それって、器みたいだね。おばあちゃんの茶器を手に取ったときみたいに、そこからすべてが感じ取れる。式部ちゃんって、そんなにすごいんだ。

男 宣長さんも、式部の表現は、「くもりなき鏡にうつして、むかひたらむがごとく」迫真性を持つといっているよね。そうすることによって、「人の情のあるやう」を、一挙に、「まざまざと直知させる物語の世界」を作り出した、この、式部の卓越した表現が、宣長さんが考えるめでたさなんだ、小林先生もそうおっしゃっているよね。

女 式部さんのおかげですわ。わたくしたちが暮らすこの世界とは別に、「源氏」という物語の世界が確かに在る。物語は「そら言にして、そら言にあらず」、むしろ物語こそ「まこと」なのですわ。

娘 ああそれで、宣長さんも小林先生も、「めでたき器物」といってるんだね。それにしても、式部ちゃん、すごいね。どうやったら、こんなことができるのかな。

女 宣長さんも小林先生も、式部の制作過程に関心を寄せていらっしゃる。小林先生は、式部さんの「内部の出来事」という言い方をされているわ。

青年 式部は、読者の好奇心におもねる商業主義的打算に堕することなく、自分の才気を誇る類の自我の迷妄に足を取られることもなく、ねえ分かるでしょうとばかり読者を共犯関係に巻き込むこともなかった。この辺は評価してもいいけど。

女 相変わらず品のないお言葉づかいですけれど、たまには、当たらずとも遠からずかしら。

男 式部は、自分というものを殊更押し出そうとせずに、同時代の人々の心のありようをしかと見つめ、自分として書けることを書いて、見事な作品を創作した。あっ、無私の創作ということか。

女 あら、あなたも、たまにはご自分の言葉で、、、

男 えっ。

女 いえいえ何も。それで、その、宣長さんの学問の道、つまり、古人の用いた言葉とその言いざまを、ただただそのとおりに受け止め受け入れ、「古事記」を読み解こうとした宣長さんの学問の在り方と、式部さんの無私の創作とが、深く共鳴したのではないかしら。

男 そういう式部との出会いが、宣長さんにとっては、「無私の名の下に、自己を傾けつくそうとする学問」を進めることに確信を抱かせるような、重要な「内部の出来事」であったということなのかな。

青年 宣長の学問というのは、古人の心情を知るため、それがよく現されている「歌」を学び、心情を追体験しようとした、というものですよね。その際、詠まれている歌の題材だけでなく、言葉遣いや息遣いといった歌の言いざまのなかに、古人の心情を読み取ろうとした、ということですよね。

女 そう、そこまではそう。でも、宣長さんは、きっと、出来上がった歌の向こう側にあるもの、歌を詠もうとする歌人の胸の内もお知りになりたかった。それが宣長さんの学者としてのご関心なのね。

娘 ああそうか。名歌もまた「めでたき器物」なんだね。でも歌そのものには、創作の秘密っていうか、歌人の「内部の出来事」みたいなものは描かれていないんだ。

男 小林先生も、「歌の道を踏んで創られてはいても、歌の道について語りはしない」とおっしゃっているね。

女 そして、「『源氏』という名物語は、その自在な表現力によって、物語の道も同時に語った。物語の道という形で、歌の道とは何かと問う宣長に、答えた」と書かれていますわ。

娘 そうか、そうやって、式部ちゃん、宣長さん、小林先生って、連なっているんだね。そして、ボクたちも。

女 (『本居宣長』を手に取って)このご本も、なにか、持ち重りいたしますこと。

 

 ……取り留めもないおしゃべりは、取り留めもなく続いてゆく……

(了)

 

アイドルは豪傑クン

……小林秀雄『本居宣長』を読んではとりとめもないおしゃべりをする男女四人、今日は第八章から第十章あたりまでが話題になっているようだ……

 

元気のいい娘(以下「娘」) ボク、決めた。

生意気な青年(以下「青年」) 決めたって何?

娘 ゴーケツになるの。

青年 ええええええ!

凡庸な男(以下「男」) うーむ、それは、小林先生のいう豪傑のことかな。

娘 そう。「万葉」を読んだ契沖、「語孟」を読んだ仁斎、「六経」を読んだ徂徠、「万葉」を読んだ真淵、「古事記」を読んだ宣長。こういうオジサンたち。

男 ええと、その、どういうところが豪傑なの?

娘 卓然独立してるところなし、でしょ。決まりだわ。

青年 そんな無茶な。

江戸紫の似合う女(以下「女」) 元気がおありで、よろしゅうございますわ。

娘 他人は知らず自分はこの古典をこう読んだ、そういう責任ある個人的証言が出来るような人でしょ。立派。こういう人に私はなりたい!

女 素敵、Girls, be ambitious!

青年 そんなこと、できるわけないさ。非現実的だよ。

女 君はいつもそう。Boys, be suspicious ! (笑)

青年 からかわないでください、謙虚なだけです。

男 それで、その、「自分」とか、「個人的」とかいうのは、個性とか、独創とかいうことなのかな。

娘 そうじゃない。他人の受け売りをしないで、ということ。

男 ううむ、古典には、膨大な註釈の伝統があるからね。註釈の集積から抽出された理論ではなく、古典の本文を読みなさいということかな。

青年 そういう原典主義っていうのは、なにかモダンな感じがする、方法論的に。

娘 それは全然違う。あくまで、無私の精神よ。

青年 いまの学問だって、客観主義というか、実証主義というか、個人の恣意は排除しているよ。

女 でも、その中身が大違いじゃなくて。現代の学問は、それぞれの分野の専門家集団が、皆が共有する方法論で研究を進め、先行業績を踏まえつつ一定の差異が認められれば、独自業績として受け入れられるわけでしょう。個々の研究者の恣意は許されないっておっしゃるけど、その担保は、結局、他人の評価でしょう。

青年 (娘に)君の言う豪傑さんたちは違うっていうのかい。

娘 そうよ。自分一人の決断として、古典への信を新たにするためひたすら努力した。「論語」であれば、孔子が言おうとしたことそのものに耳を傾けようとしたの。

青年 何でそんな無理をするんだい。タイムマシンがあるわけでなし、孔子の声を直接聞こうなんて。僕らの目の前にあるのは、時の経過の果て、たまたま残った文献だけじゃないか。だから、厳密なテクストクリティークを経てさ。宣長さんたちの文献校合も厳格なもので、実証主義の萌芽だって聞くけど、現代の学問にはより洗練された方法論があるのさ。

女 そうやって、古典を切り刻んでしまう、それが今の学者さんたちのなさりよう。古典はあくまで、ご自身の理論構築のための素材に過ぎないのでしょう。「見るともなく、読むともなく、うつらうつらとながめ」て初めて分かるようなことは、はなから対象になさらない。再現性がないものは実証的ではないとされてしまう。現代の価値観では受け入れられない部分は、時代の制約とか、歴史的限界とかおっしゃって、切り捨てておしまいになる。

青年 じゃあ、貴女たちいったい、何が知りたいわけ。

娘 道とは何か、人生如何に生きるべきか、ということよ。

青年 そんな、いきなり戦前の学校教育における「修身」の授業みたいなこといわれても。道学者流の封建道徳の押し付けはご免だね。

女 あら、モダンの世界でも、個人の尊厳とか、人格の尊重とか、よくおっしゃるでしょう。それは何のことかしら。生きることの意味って、何かしら。

青年 意識高いのは結構だけど、答を出す見通しがあるの。

娘 豪傑くん達は、道を知るには歴史を深く知ることだ、と考えたの。

男 ええと、それは、貴女たちがさっき否定した、先人の注釈の蓄積を踏まえることと、どう違うのかなあ。

女 今風の用語法に頼らずに、古人が発した古言そのものを知りたい、だから、歴史を意識するのですわ。

男 それは、そのう、倫理的な価値の体系の歴史的な変遷をフォローする、みたいなことかな。

女 いいえ。確かに、歴史って変化ですわ。人々の暮らし向きは、時代とともに遷り変わりますもの。でも、人間が生きるということに何か意味があるとすれば、それは、太古の昔から変わりようがないと思うの。人間の価値というか、人生如何に生きるべきかについての教えというようなものが、歴史の変転の中を貫いて、伝えられているのではないかしら。それを見出すため、過去を、つまり古人の言葉や立ち居振る舞いを上手に思い出す努力をする。歴史を知るというのは、こういうことではなくて。

男 そ、そんなこと、できるのかなあ、思い込みじゃないのかなあ。

女 もちろん、簡単な事だなんて申しません。古今の別ある歴史の中に、古今を貫透する古人の教えを見出そうというのだから、大変な精神の緊張を要することですわ。でも、時代が違えばそれぞれの時代に色々な考えがある、なんて言い出したら、古人の教えにはたどり着けませんわ。豪傑といわれた方々は、時代の変化やら歴史の相対性とやらに逃げず、張り詰めた思考を妥協せず持続なさったの。

男 そうはいっても、世の中って、どんどん変わっていくよね。歴史について僕らが知り得るのは、結局、過去の人々の生活の痕跡だけじゃないのかな。しかも、言葉も変わる。人々の日々の暮らしを支えているのはその時々の言葉なんだから。そういう言葉の変化が、歴史と言うものなんじゃないの。だから、文書でも、他の物的資料でも、過去の言葉の残像でしかない。とんだ判じ物だね。

女 おっしゃるとおりですけれど。でも、過去と今とをつないでくれるのも、また、言葉でしょう。生身の人間も、その暮らしも思いも、みな消えてしまうけれど、言葉は残る。世はコトバを載せてもって遷る。

男 でもなあ、古今変わらぬ古人の教えというものがあったとしても、如何に生きるべきかという智慧に変わりがないとしても、それを伝え表す言葉が変化してしまうことは避けがたいのじゃないの。言は道を載せてもって遷る。そうだとすると、歴史を、つまり言葉を学んでいて、「道」にたどり着くことができるというのは、なぜなんだろう。

娘 それは、きっと、言葉が「物」だからよ。

青年 えっ、何を言い出す。

女 あら、あら、あら、そうそう、そうですわ。言葉は私たちの外にある。もちろん、私たちの頭の中、心の中、いや体の中にも言葉が詰まっていて、私たちは、言葉なしには、考えることも、喜んだり悲しんだりすることも、痛いとか寒いとか感じることもできないわ。でも私たち人間は、たとえ宣長さんみたいな大学者だって、日本語そのものを生み出すことはできない。原始の頃からの長い長い時間のなかで営まれた人々の生活の膨大な集積として、ことばが生まれた。

青年 だからなんなのさ。

女 言葉は私たちの思う通りになる道具ではないの。だから、かつて古人の口から発せられ長い年月を経て今に伝わる言葉は、石碑に刻まれ風雨にさらされ消えかけた文字の痕跡を見るように、その形を、やすらかに、見るほかはないの。

青年 で、何かが見えてきたとでもいうつもり?

女 滅相もない。わたくしなりの考えを、勇を鼓してお話ししているだけですわ。古人の言行が今に伝わるというのは、古人が言葉を発したり、何かの立ち居振る舞いをなさったりしたそのときの、人々の驚きや悦びが口伝えに広まっていき、そしてそれが、後々の世のそれぞれの時と所で、あらためて人々の気持ちを動かし続けてきたということでしょう。そういう言葉には、時と所を超えた、人間の変わらぬ姿が映し出されているのではなくて。

男 そうだとしても、それは、僕らにとってはどういう意味があるんだろう。

女 それは、ご自身でお考え遊ばせ。わたくしについては、そうね。人間の変わらぬ姿、本来の在りようが多少とも見えてくれば、それとひき照らして自分を見つめてみる。いつどこで生まれて、カクカクシカジカの生き方をしてきたというような、「時代的社会的制約」とかいうのかしら、そういう余分な物を取り払った本来のわたくしの姿が見えて来るかもしれないわ。そうなれば、人生如何に生きるべきかという問いを独りで考え抜く勇気が湧いてくるような気がするの。

男 独りになる勇気か。(娘に)で、豪傑にはなれそうかな。

娘 あのね、さっきは豪傑になりたいなんて言っちゃったけど、ホントはあこがれっていうか、ボクのアイドルだな、豪傑くんたち。だって、カワイイじゃん。

青年 カワイイ???

娘 とっても難しいコト考えてるはずなのに、しかめっ面じゃなくて、何か楽しそう。学問をする悦びっていうのかな。古人の教えに近づけば近づくほど、ハラハラドキドキしてくる。ボクも、プレゼントたくさんもらうけど、本命のカレシからのは、リボンを解くの、ちょっとためらうみたいな。

青年 そういう譬えって、何さ。だいいち、君っていったい……、

女 (さえぎって)およしなさい。小林先生も、仁斎についてこう書いているわ。(「論語」という)「惚れた女を、宇宙第一の女というのに迷いはなかった筈はあるまい」(*)

 

……取り留めもないおしゃべりは、取り留めもなく続いてゆく……

 

(*)「好き嫌い」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第23集33頁)

 

(了)

 

藤樹さんに会いに行く

(テーブルを囲む四人の男女。山の上の家での「自問自答」の提出期限を控え、話はどうしても『宣長』談義となる)

 

いまどきの元気娘(以下「娘」)  今度の質問のお題、やばくネ?

粋な若い衆気取りの青年(以下「青年」)  藪から棒に、なに言い出すんだい。するってえと、質問が出せなくて、べそかいてるな。

娘  そうじゃない。だって「道」でしょ。人生いかに生きるべきか、自分はどう作られているか。ボクがこんなスゴイこと考えてるなんて、これってやばい!

青年  こりゃまいったね、とんだ怖いもの知らずだ。で、質問は、どうするんだい。

娘  でもくらしい、だよ。

青年  ええっ? デ・モ・ク・ラ・シ・イ?

娘  ボクの心の中で、下剋上が起きるんだ。

青年  なんだそりゃ。

存在感の希薄な男(以下「男」)  おや、『大言海』の下剋上の語釈、「この語、でもくらしいトモ解スベシ」っていうあれだね。

青年  それは知ってるよ。『本居宣長』の第8章、中江藤樹のところで引用されている。(娘に)でも、それがお前さんとどう関係するんだい。

娘  ボクってさ、(『本居宣長』を手に取って)こういう本を読んでたりして、クラスでもちょっと浮いてるんだよね。女の子たちのトークになんとなく入っていけない。男はバカばっかだし。でも、トージュ君はイケてる。

江戸紫の似合う女(以下「女」)  あら、面白いこと。藤樹さんのどこが気に入ったのかしら。

娘  トージュ君の声が聞こえるんだ、心の中に「でもくらしい」があり、「下剋上」もあるって。ボクはボク、この世の中で独りぼっちかもしれないけど、独りぼっちってことに価値があるって。ちょっと元気が出た。

青年  そいつぁ、牽強付会ってやつでしょ。ちゃんと本文を読まなきゃ。

娘  うざっ!

青年  藤樹の生きた時代のこと、分かってるわけ?

男  小林先生が、「藤樹先生年譜」の「六年庚申。先生十三歳」の項を長々と引用しているね。

青年  藤樹が育ったのは、戦国からまだ日も浅く、領主配下のお奉行にさえ武力で刃向かう野武士みたいなのがいて、日常生活のなかで命のやりとりが行われる、そんな時代だった。それが「藤樹の学問の育ったのは、全くの荒地であった」ということ。

女  それはおっしゃるとおりですけれど。でも、小林先生は、その先のお話をされているわ。「下剋上」とは「でもくらしい」であるという『大言海』の語釈も、藤樹さんならよく理解しただろうって。

男  下剋上が、秀吉が裸一貫から実力でのし上がって天下人になったみたいなことだとすると、「でもくらしい」って、人々が内心に秘めていた本音をむき出しにするようになったということかな。

青年  そいつはね、伝統や因襲の束縛から逃れ、欲望を肯定する人間が現れた。つまり、近代的自我の萌芽ってやつね。僕の歴史観からすると。

男  ほうほう、歴史かね、歴史。

青年  もうひとつ言わせてもらうとね、宗教の呪縛から解放されて、世俗化というか、脱魔術化というか、そういう面も指摘しときたいのね、思想史的に。

男  思想ね、なるほど、なるほど。

女  懲りないのねえ、二人とも。

男  えっ

女  歴史も思想もお分かりになってない。聞いていて、恥ずかしゅうございますわ。だいいち、藤樹さんのお話はどこにいったのかしら。

男  いや、だから、藤樹さんの生きた時代には、「地盤は、まだ戦国の余震で震えていた」んでしょ。

女  どういう時代だったとお考え?

青年  破壊と混乱、死と再生、デモーニッシュな魅力はあるなあ。

女  おやおや。小林先生はこんなふうにおっしゃるの。「戦国」とか「下剋上」とかいう言葉の否定的に響く字面の裏には、健全な意味合が隠れている。『大言海』の解はそれを示しているって。

男  健全な意味合か。

女  こうおっしゃるのよ。実力が虚名を制する。武士も町人も農民も、身分も家柄も頼めぬ裸一貫の生活力、生活の智慧から、めいめい出直さねばならなくなる。

男  なるほど、だから「でもくらしい」なのか。で、藤樹さんの場合には?

女  小林先生は、藤樹さんが「目に見える下剋上劇から、眼に見えぬ克己劇を創り上げた」と書かれているわ。

娘  「眼に見えぬ克己劇」って、何だろう。

男  そういえば、小林先生は、「藤樹先生年譜」について、「長い引用を訝る読者もあるかもしれないが」と断りつつ、「この素朴な文は、誰の心裏にも、情景を彷彿とさせる力を持っていると思うので、それをとらえてもらえれば足りる」と書いている。

女  「心裏に情景を彷彿とさせる」って、奥行きのある表現ですわ。

男  情景に入り込んで、藤樹さんに会いにいって、「眼に見えぬ克己劇」とはなんですかって、聞いてみたいね。

娘  それって、ひょっとして、「学問をするとは母を養う事だ」ってことじゃない?

青年  ちょっと待ちなよ。そりゃ、藤樹は、貧窮のなか家族を養いつつ学問をしたさ。でもそういう存在条件と学問の内実とは、別次元だよ。

女  これはまた大仰なお話ぶり、聞いていられませんこと。小林先生は、「学問をするとは即ち母を養う事だという、人に伝え難い発明があ(った)」と書いてらっしゃるわ。

娘  やむにやまれぬっていう感じ。ボクの心にもささるなあ。

女  そうね。藤樹さんの学問について、小林先生は「誰の命令に従ったものでもなく、誰の真似をしたものでもないが、自身の思い附きや希望に沿ったものでもない。実生活の必要、或いは強制に、どう処したかというところに、元はといえば成り立っていた」と書いていらっしゃる。

娘  真似でもなければ、思い附きでもないってところが、なんか、すごい。

男  それよりさ、そもそも、実生活の必要や強制に処するって、どういうことだろう。これも、藤樹さんに聞いてみたい気がする。

青年  そういう了見じゃあ駄目でしょう。藤樹も、師友百人ござそうろうても、独学ならでは進み申さずそうろう、といっている。自分でよく考えなさいって言われるのが関の山。

女  あなた、いいことおっしゃることも、あるのね。

青年  小林先生も、藤樹に関し、真知は普遍的なものだが、これを得るのは、各自の心法、或いは心術の如何による、だから、「書を見ずして、心法を練ること三年なり」となると書いている。

女  さようですわ。

青年  かかる心法ないし心術において、藤樹の独創性を看取することが、、、

女  あら、それは違いましょう。よくお読みになって。「当時、古書を離れて学問は考えられなかった」。にもかかわらず、「書を読まずして、何故三年も心法を練るか。書の真意を知らんが為である。それほどよく古典の価値は信じられていた」とありますのよ。

男  ああそうか。軽々しく独創だなんていっちゃだめなんだ。「心法を練るとは、古典に対する信を新たにしようとする苦心」であり、それが「無私を得んとする努力であった」というわけだね。

女  書物という鏡に向き合って、何かが映じて来るのを待つ、ということかしら。

娘  待つだけ? 待っていればいいの?

女  だからこそ、「絵は物を言わないが、色や線には何処にも曖昧なものはない」ということになるのじゃなくて。

娘  えっ、どういうこと。

女  藤樹さんは「論語」を講じていても、孔子の言葉を追いかけたりなさらない。孔子の言葉を自分たちの言葉を用いて分析しようとしても、ついには、言葉で言い尽くせぬところに行き着いてしまう。でも、言葉によって古人があらわそうとした当のものは、確かな色と形をもっていたはず。

娘  言葉はアイマイ、それは分かるけど、じゃあどうやって?

女  そう、私たちの目の前には書物という言葉のかたまりしかないわね。だからこそ、その部分部分を自分が知っている言葉や人々が使っている言葉に置き換えるのはやめ、ただただ眺めて、元々の色と形が映じて来るのを待つ、こういうことじゃないのかしら。

男  それが小林先生の言われる「眼に見えぬ克己劇」なのかな。

娘  そうか、トージュ君も苦労したんだね。

男  私も、さっきの長い引用、もういっぺん読み返してみよう。藤樹少年の顔つきが見えてくるといいな。

女  それがよろしゅうございます。小林先生は、こうもお書きですわ。「『藤樹先生年譜』は、その文体から判ずれば、藤樹から単なる知識を学んだ人の手になったものではない」。

 

(四人の『宣長』談義はすずろに続いていく。「自問自答」は当分提出できそうにない)

 

(了)

 

或る大晦日

(テーブルを囲む四人の男女。傍らのテレビに、誰が見るともなしに、紅白歌合戦が映っている)

 

古風な女(以下「女」)  ちょっとお疲れのようだけれど、山の上の家塾の宿題の質問文、もう提出なさって?

凡庸な男(以下「男」)  いや、まだなんだ。考えがまとまらなくて、困っていてね。

女  まとまらないって、相当な難問に取り組んでいらっしゃるのかしら。

男  ううむ、そうでもないんだ。『本居宣長』第12章、「玉かつま」の引用で始まる辺りを熟視しようとしているんだが、小林先生のおっしゃる「文体は平明でも、平明な文体が、平明な理解と釣合っているわけではない」というのが、謎めいていて、考えていると頭がぼうっとしてくる。

元気のいい娘(以下「娘」)  ボーっと生きてるからじゃないの。いったいどんな読み方をしてるの。

男  おや、これは手厳しいね。小林先生にならって「頭を動かすより、むしろ眼を働かして見てみよう」とおもって、、、

娘  で、なにか見えてきたの。

男  ううむ、それが気がつくと、うつらうつら眠ってたりするんだよ。

娘  馬鹿みたい!

生意気な青年(以下「青年」)  少なくとも理論的には、全く無私な態度で古書に推参するというのが、宣長の基本的な方法論ではないでしょうか。

女  そうかしら。理論とか方法とか、品のない言葉づかいは、おやめになったほうがよくてよ。

青年  なるほど、実践から遊離した理論とか、実体と無縁な方法論は、確かに空疎だと考えられます。その上で、宣長をめぐるわれわれの知的営為においては、このような観点からのアプローチこそが、、、

女  (さえぎって)度し難い馬鹿ね。

男  ううむ。確かに宣長さんは、そういう難しい言葉遣いはしない。「ただ古の書共を、かむがへさとれるのみこそあれ」、そして「考へてさとりえたりと思ふかぎりは、みな書にかきあらはして、露ものこしこめたることはなきぞかし」、となれば後学の者は「ただあらはせるふみどもを、よく見てありぬべし」となる。あっさりしたものだ。宣長さんは、古書の中の何かを探し当て、取り出そうとしたのではなく、古書のいわんとすることが自然と宣長さんに乗り移ってくるようなそんな読み方が出来て、そして弟子たちにもそのように学ぶことを示唆した。物学びをする者たちが、時空を超えて列をなし、古書のなかにすうっと入り込んでいくような、静謐な光景が垣間見えるような気はする。しかし、その列に自分で並ぼうとすると、逃げ水のようにとらえどころがないんだな。

女  あら、もっともらしいことおっしゃるけど、あなたには、ご自分というものがあるのかしら。無私の態度のお積りかもしれないけれど、本当にそうかしら。

娘  ただ逃げているだけじゃないの。

女  今あなたが取り組んでいる文章は、宣長さんが晩年に至り、自らの学びの来し方を振り返り、その全体の骨組みを素描したものだから、自ずと淡々とした口調になる。でも、これは、宣長さん自身が、ただただ受け身で古書を眺めていたということではないと思うわ。

男  でも、小林先生も「頭を働かすより、むしろ眼を働かして見てみよう」とおっしゃっているよ。初学者として、まずは、余計な解釈を排して、ただぼんやりと見るということが、、、

女  それは全然ちがうわ。小林先生は、眼を働かしてとおっしゃっている。深くものを考えるときに頭を働かすように、古書に相対して、頭ではなく眼を働かす、ということではないかしら。

娘  オジサン、本当に物を見たことあるの。花を見ても、月を見ても、これは桜だ、おや満月だ、で終わりでしょ、どうせ。でも、本当は、どの花を見ても、いつ月を見ても、同じなんてことはない。それに気づくのが眼を働かせることじゃないかな。夜空を見上げて、おや月だ、ではなくて、青白かったり黄色味を帯びたりする光のいろどりをじっと見つめ続ける。集中力かな、いやちょっと違うな、何かを決めつけるとかじゃなくて、気がつくといつの間にか光の束がワタシの中に入り込んでくるような、、、うまく言えないけど。

女  よく分かるわ。読書でも同じようなことがあるわ。小林先生のご本って、すらすらと読めないことも多いけれど、それでも、すてきなフレーズに出会い、どきりとすることがあるでしょう。そんなときって、おっしゃることが分かったわけではないのに、頭が少し冴えてきたような気がして、ああそうなのか、そうとなればあれも知りたい、これも教えていただきたい、そのためにはあの本にもこの本にも挑戦しよう、というふうに、何かわくわくしてくる。こういうこと、みなさんにはなくて?

男  私にだって、読書の愉しみはある。でも、正しく読めてるかどうか、自信が持てないんだよ。

女  もちろん、わたくしの申しあげることも、見当違いかもしれません。間違っているかもしれない。でもこれが、わたくしにとっての読むということですわ。

娘  そういえば、「歌とは何かという小さな課題が、彼の全身の体当たりを受けたのである」。と書いてあるね。「体当たり」って、すごい。いったい何が起きたんだろうって、思っちゃう。

青年  謎ですね。

女  そうね。でも、少しわかる気もするの。

青年  謎は解いてはいけないし、解けるものは謎ではない。

女  馬鹿なことをいわないで。

青年  えっ

女  君の引用、というか受け売りのことよ。もちろん、わたくしに、若き日の宣長さんの頭の中を覗いてみるなんてできない。小林先生のご本に体当たりするなんてできない。でもわたくしは、このご本を読むことが楽しくてたまらないし、きっと何かが分かる日が来るって信じることもできる。

青年  なるほど。小林先生が、「この意識の直接の現れが、『あしわけ小舟』の沸騰する文体を成している」と書いたのは、小林先生ほどの読み手となれば、青年宣長が京都遊学中に契沖と出会い、その後の学問の道すじについて何らかの直感を得、意欲を掻き立てられた様子を、宣長を読むことで追体験することができた、ということかもしれません。

女  そうね。そして、これが「この大学者の初心の姿であって、初心は忘れられず育成された」とも書かれている。

男  そういうことなのか。淡々と語られる「玉かつま」の簡素な構造物の奥深くに、語られざる沸騰する思いを見て取れるかどうか、読者が試されているんだね。

女  そう、でも、試されているというのは、ちょっと違う。私たちが古き書を信じているからこそ見えてくるものがあるの。あなたには、信じる勇気が欠けているわ。

男  じゃあ、どうすればいいんだ。

女  そんなに怖い顔なさらないで。わたくしにも分からないことだらけ。でも、さっき、わくわくすることがあるって申しましたでしょう。文章をぼんやりと眺めていたり、傍線を引きながら何度も読み返してみたり、ときに声を出して読んでみたり、そうしていると、文章の意味とは別に、何か声のようなものが聞こえてくるような気がするの。

娘  素読会で声を出すと、何か感じるよ。それかな。

女  そうね。声を出さなくても、黙読で文字を目で追っていて、ここはすらすら読み流してはいけないと感じさせるような箇所とか、思わず本から目を離し宙に視線を泳がしてため息がつきたくなるような箇所とか、いろんな本を読んでいて、そういう出会いがある。文章の中身とは別に、その著者の意気込みや確信や迷いや躊躇いが感じられるような。こういうのって、文体ということかしら。

青年  小林先生は、宣長を読み込んでいって、その文体の背後に宣長さんの気持ちの動きのようなものを感じ取っていたのかもしれません。

男  そういうことだったのか。小林先生の文章は、深い洞察が緻密に配置されているから、前後左右に目配りをして、きちんと読まなくちゃ、ということかな。

女  そう、でも、何か足りない気がするの。わたくし、先ほど、あなたには自分がないって。

男  随分なおっしゃりようだね。

女  あら、そんなふくれっ面なさらないで。悪口ではないの。ただなんていうのかしら、あなた、答え探しをしてらっしゃると思うの。ここにこういう記述があるからこうなんだ、みたいに。

男  小林先生の本文に即して、きちんと根拠を示すのは当然じゃないか。

女  それはそう。

男  勝手な思い込みを持ち込まず客観的に読むことこそ、全く無私の態度じゃないか。

女  それもそう。でも、そこで引用される証拠ってなんなのかしら。自分の意見を書物の文言にすり替え、あたかも著者がそう言っているかのようなお芝居をする、そういうのは論外、無私の対極ね。

男  だから、私も、勝手読みだけはすまいとしているんだが。

女  気持ちは分かるわ。でも、結局、頭を働かして分析しているのよ。出来合いの概念を物差しにして対象を色づけして分類し、思い思いに配列する。自分では考えているつもりでも、出来合いの物差しを使うのだから、結局、世間通用の考えを借りているだけ。古書に宿る古意に出会うのではなくて、古書の言葉を切り取って、都合よく自分の弁論の証拠扱いしているだけ。客観でも何でもないわ。

青年  そこはやはり、近代知の悪弊である分析という陥穽に陥ることなく、全的な認識へと、、、

女  (さえぎって)お黙り。全的な認識なんて、そう簡単に言えることかしら。お二人とも、誤りを指摘されるのが怖くて、小林先生の文章のあちこちを切り抜いて逃げ隠れしているだけ。一体何を教わってきたの。無私でも何でもないわ。

娘  サイテーね。

女  それはちょっとお可哀そう。でも、自分がないって申し上げたのは、そういうことなの。

男・青年  じゃあ、どうすれば、、、

女  それは、ご自分で。

娘  あっ、紅白もう終わりだ。

 

(傍らのテレビでは、綾瀬はるかが嬉しそうに手を振っている)

(了)

 

松阪の旅(広告)

松阪旅行の効能のことは、世人のよく知るところであり、一々ここに挙げるに及びませんが、しかるに、およそ旅行と言いましても、方角は同じでも、時期の佳悪により、また行程の精粗により、その効能に格段に優劣があり、これまた世人のほぼ知るところとはいえ、いざ旅に出るに際し、そんなにも吟味することなく、グループ・ツアーともなれば、殊更、時期の佳悪も、行程の精粗も知ろうとはせず、同じ方角ならどれも同じと思い込み、しっかり吟味をしないというのは、粗忽の至りでございましょう。

 

そこで今回ご紹介いたしますのは、過日催行いたしました「松阪うしの旅」、いえ、ウシといっても松阪牛ではなくて、松阪で大人うしたちに出会う旅でございます。

第一日目、まず訪れましたのが、松阪公民館で行われていた『宣長十講』平成29年度最終回、吉田の大人(吉田悦之・本居宣長記念館館長)による「宣長学に魅せられた人々」という講義です。

ここで、吉田大人は、鈴屋の大人(宣長)の「物まなび」が育っていく様子を、宣長の周囲にいた人々の側から、お話ししてくださいました。とりわけ、「松坂の一夜」において縣居の大人(賀茂真淵)に出会い学者として出発する前、宣長の学問の揺籃期における嶺松院会を中心とする松坂の人々の深い教養は、驚くべきものです。豆腐屋、文具店、木綿問屋などの若旦那たちが、昼間の仕事を終え、学問を楽しみにやってくる。宣長と彼らとのやりとりが、手に取るように、目に見えるように語られます。安永年間にタイムスリップしたかのごとし。

たとえば、須賀直見。もと豆腐屋を営み、これを稲懸棟隆(のちに宣長の養子となる大平の実父)に譲り文具店主人となったこの人物は、20代そこそこで、自宅にて、宣長とともに、「二十一代集」の校合会読を始め、さらに「栄花物語」、「狭衣物語」へと読み進みます。もし長命であれば大平ではなく彼が宣長の養子になったであろうと大平自身が後に述懐したとされる直見は、「狭衣」の校合会読を終えたその三日後に、35歳の短い生涯を終えるのです。なんたる学識、なんたる壮烈。普段感情をあらわにすることの少ない宣長も、いづちにいけむ、いづちにいけむ、と何首もの歌を詠まずにいられない。たとえば(注1)

 

我をおきて いづちにいけむ 須賀の子は 弟とも子とも 頼みしものを

 

宣長の嘆きやいかばかりか。直見はまた、「すみれの花をめで、野べに行きて摘みもし、根からも掘り持て来て、庭に植えられし」(大平の述懐)(注2)、などという、おとめちっくな御仁でもありました。その没後20年余、「源氏物語玉の小櫛」の執筆を終えたばかりの宣長は、こう歌うのです。(注3)

 

なつかしみ またも来て見む つみのこす 春野のすみれ けふ暮れぬとも

 

野べに咲く一輪の美しい花に目をとめた晩年の宣長の胸中には、直見と過ごした校合会読の日々が去来したのではないでしょうか。

そして、宣長という存在がなければ、歴史に名をとどめることもなかったかもしれぬ、直見という学問好きの町人の短い生涯もまた、「宣長という独特な生まれつきが、自分はこう思う、と先ず発言したために周囲の人がこれに説得されたり、これに反撥したりする、非常に生き生きとした思想の劇」(注4)の一幕といえましょう。直見はまだ、生きているのです。寛政9年の宣長とともに、そしてまた、吉田大人を通じて、平成の松阪公民館の私たちの目の前に。

 

ああ、吉田大人とは何たる人物でしょう。俗に「切れば血の出る」云々というけれど、この方のお体からは、どくどくと血潮が流れ出るのではなく、ノリナガ・ノリナガ・ノリナガ……という不思議な音とともに、宣長の全人格とでもいうほかない巨大な何かが、ほとばしり出ているのではないか。いったい吉田の大人はいつの時代の人なのか。いつの間にか、私たちまで、安永年間の松坂に導かれているのではないか。

 

そういえば、鈴屋大人の没後140年、小林の大人(小林秀雄)は次のように書いています。

 

<歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ僕らは過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。……(子供に死なれた)母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。……母親の愛情が何も彼もの元なのだ、死んだ子供を今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実があるのだ。>(注5)

 

どなたか鎌倉に行かれる機会があれば、池田の大人にこう質問してくださいますか。宣長への愛情が、あるいは無私の信頼が、吉田大人をして、時空を超え、宣長に推参せしめているのではないでしょうか。「歴史に正しく質問しようとする」(注6)とは、このような姿をいうのでしょうか。

 

はてさて、初日第一行程のご紹介に紙幅を費やしてしまいましたが、このたび、当社が提供いたしております松阪ツアーは、まず第一に、訪問先を吟味し、いずれも極上のものを選び用い、なおまた、体験コースとしても、奥墓参拝から、「古事記伝」音読に至るまで、いずれも物まなびの道のとおり、少しも手抜きすることなく、念には念を入れ、その効能が格別に発揮されるよう、プログラムしております。かつまた、ご代金も、世のカルチャーセンター並みよりずいぶんと引下げ、売り弘めるものでございます。(終)

 

(注1~3)宣長の和歌と大平の述懐は、吉田悦之氏の講演レジュメから引用。
(注4)小林秀雄「本居宣長」(『小林秀雄全作品』第27巻所収)40頁
(注5)小林秀雄「歴史と文学」(『小林秀雄全作品』第13巻所収)211・212頁
(注6)小林秀雄「本居宣長」(『小林秀雄全作品』第27巻所収)59頁

(了)

 

ボクもやってみた、本歌取り

アノ、ここ、座っていい? この図書館ときどき来るんだけど自習室は受験生ばかりで息が詰まるから、宿題とかこのロビーで。「ほう、草庵集かい」って、オジサン知ってるの? 変な宿題でサ。ボクの高校の国語の先生がモトオリノリナガって人の大ファンで、その人がどうのこうので、トンアとかいう昔のお坊さんの作った和歌をもとに、本歌取りっていうパロディみたいなことさせてる。「確かに、宣長さんは、頓阿の歌は手本になるといっているね」って、オジサン、ノリナガさんと友達なの? 結構昔の人みたいだよ、ノリナガって人。オジサンひょっとして、メージとかショーワとかの人、それって江戸時代だっけ? オジサンくらいになると、そのあたり、もうどうでもいいよね。

でね、ボクに割り当てられたトンアさんの「本歌」は、これ(注1)。

 

小萩原 花咲く秋ぞ 紫の 色こき時と 野辺は見えける

(「草庵集」456 巻第四 秋上)

 

でもこれには、さらに「本歌」があって、

 

むらさきの 色こき時は めもはるに 野なる草木ぞ わかれざりける

(「古今集」雑上・在原業平、「伊勢物語」四十一段)

 

「伊勢物語」のこの段は、むかしむかし、お嬢さん育ちの姉妹がいて、一人が貧乏人と、一人が金持ちと結婚したんだけど、貧乏人と結婚したほうの女の人が夫の着物の洗い張りを自分でしようとして、でもそんな召使のするようなことしたことないから着物がやぶれちゃって、ただただ泣くばかり、これを気の毒に思った金持ち男が立派な着物に歌を添えて貧乏男に贈ったという話。歌は「紫の色が濃い時は、目のとどく遥か遠くまで、野に生えている草木はみな紫草と区別がつきません。妻を愛する心が強いので、その縁者であるあなたのことも、他人事とは思われないのです」という意味で、「貧しい義弟を物的に援助するとき、相手が抱くかもしれない惨めな劣等感を、この歌は注意深く拭い取る暖かさを有する」ということなんだって(注2)。大人の美学ってことかな。でもちょっとビミョー、女どうしどうなんだろう、ボクには女のキョーダイいないからわかんないけど。

 

で、このナリヒラくん(アイドルだったらしい)の歌を本歌として詠んだトンアさんの歌。一面の萩の野原に花が咲く秋となり、紫の色が濃く色づく時節と見えることだなあ、この野原は、というような意味らしい(注3)。言ってることはわかるけど、だからどうしたの、って感じだよね。原っぱを眺め渡したら、やっぱハラっぱ見えちゃった、みたいな。

 

だいたい、トンアさんて、有名じゃないよね。百人一首にも入ってないし、ノリナガさんはほめてたのかな。

 

<<宣長は、頓阿を大歌人と考えていたわけではない。……「新古今ノコロニクラブレバ、同日ノ談ニアラズ、オトレル事ハルカ也」>>(注4)

 

げっ、だめ出しされてるわけ。なんでそんな人が手本なの?

 

<<「頓阿の歌は、……異を立てず、平明暢達を旨としたもので」、「一番手近な、有効な詠歌の手本になる筈だ」。「その平明な註釈は、歌の道は、近きにある事、足下にある事を納得して貰う捷径であろう」>>(注5)

 

ショウケイとか、オジサンむずかしいこと言うね。でも確かに、目を閉じて頭の中に一面に花咲く秋の野原を思い浮かべて、眼の前全部ムラサキだあって感じるの、そんなにむずかしいことじゃないよね。いまならインスタだね。でも、言葉だけでおんなじことができるのかな。

 

<<「此ふみかけるさま、言葉をかざらず、今の世のいやしげなるをも、あまたまじへつ。こは、ものよみしらぬわらはべまで、聞とりやすかれとて也」>>(注6)

 

もの読み知らぬ童ってなんかちょっと馬鹿にされてる気もするけど、でもそうか、無理して難しい言葉を使わなくていいし、今のことばでもいいんだ。まず自分がよく分かるものじゃないとね。

でも、本歌取り、なんかルールみたいのがあるんだよね、言葉を一句か二句もらって、でも季節は変えて、とか。トンアさんは「紫の 色濃き時」を取ったんだね。で、ナリヒラくんの歌にあるビミョーな人間関係はスルーして、ただただ、紫の美しさだけを思い浮かべて詠んだんだね。トンアちゃんの頭の中の紫色って、どんなんだったのかな。風が吹いて草がそよげば、一面の紫も波を打って、いろんな色合いが見えたんだろうな。トンアちゃんも、少しだけ心がしくしくしたんじゃないのかな。

 

<<宣長にとって、歌を精しく味わうという事は、……(歌の歴史の)巨きな流れのうちにあって、一首々々掛け代えのない性格を現じている、その姿が、いよいよよく見えて来るという事に他ならない。>>(注7)

 

あっ、それでノリナガさんはトンアちゃんを薦めているわけか。陳腐だとか平凡だとか決めつけちゃダメなんだね。決めつけといえば、パパがさ、フランス出張のお土産にヴィトンのお財布買ってきてくれたんだけど、ボクにはローズピンクで弟がブルー。こういう決めつけって、だからヘーセー生まれは古いんだっつーの。

あっ、ローズピンク、そうか、紫ばかりというのは、ちょっと切ないよね。季節を春にして、春っぽいカラーで、温ったかくしたいな。野原一面のサクラソウ。薄紅色の可憐な花と明るい青空が引き立てあって、いや、一面ピンクがいいな。夕日が紅色に空を染め、野原を照らし、空と地面の境もなくなって、ぼんやりと融けあって、ピンクのふわふわの中にみんながつつまれている。恥ずかしいけど、こんなのどうかな。

 

夕日照り 色こき時ぞ さくら草 空も融くると 野辺は見えける

 

「伊勢物語」の姉妹。今や境遇が大きく隔たって、後戻りできない。でも、二人がまだ子供のころ、一緒に野原で遊んで、さくら草を摘んだなんてこともあったんじゃないかな。貧乏な女の人も、そのころのことを思い出して、ちょっとほっこりすることもあるんじゃないかな。ボクの歌はへたくそだけど、あの女の人に暖かいものが届くといいな。

 

<<(宣長は)自分にとっては、歌を味わう事と、歴史感覚とでも呼ぶべきものを練磨する事とは、全く同じ事だと、端的に語っているだけである。歌を味わうとは、その多様な姿に一つ一つ直に附合い、その「えも言はれぬ変りめ」を確かめる、という一と筋を行くことであ(る)。>>(注8)

 

そうか、本歌取りって、ただのパロディごっこの言葉遊びじゃないんだね。本歌を詠んでぴんと来たり来なかったり、自分で言葉を並べてみてしっくり来たり来なかったり、この繰り返し。どの句を取ろうかな、どんなふうに趣かえてみようかな。オモムキなんて、先生の受け売りでよくわかんないけど、ゲームの世界観みたいなやつかな。こういうの、自分の頭の中だけのやりとりにみえちゃうかな、キモイかな。でも、そうじゃない。本歌っていうのは、うまく言えないけど、確かに、そこに、在る。不思議。本歌取りって、タイムマシン付SNSみたいだ。

 

<<宣長は議論しているのではない。自分は、言わば歌に強いられたこの面倒な経験を重ねているうちに、歌の美しさがわが物になるとは、歌の歴史がわが物になるという、その事だと悟るに至った、と語るのだ。>>(注9)

 

オジサンのいうこと、ちょっと分かる気がする。男女4人のビミョーな関係にビミョーな歌を投げ込んじゃうナリヒラくんがただのイケメンじゃないことも分かったし、トンアちゃんも、ぱっとしないけど一生懸命なとこが意外とかわいいかも。友達が増えた気がする。でもこの人たち、大昔の人なんだよね、どのくらい? 戦前生まれってやつ?

 

<<現在が過去を支え、過去が現在に生きるとは、伝統を味識している者にとっては、ごく当たり前な心の経験であろうが、そのような伝統の基本性質でさえ、説明を求められれば、窮するであろう。伝統に関する知は、伝統と一体を成しているとも言えるからだ>>(注10)

 

オジサン、また難しいこと言っちゃって。せっかく何かわかった気がしてたのにサ。えっ、「だから質問しなさい」って、オジサンに質問するの? 「本当にうまく質問することが出来たら、もう答えは要らない」って。あれ、オジサンの今のセリフ、どっかで読んだよ。そうだ、先生が貸してくれた本。バッグに入ってるから、見せてあげるね、ちょっと待ってて。これこれ、小林秀雄『学生との対話』。

あれ、オジサン、どこ、うそっ、消えちゃった。

あっ、この写真の人。

マジ、ヤバイ!

 

(注1) 和歌文学大系65巻『草庵集/兼好法師集/浄弁集/慶運集』77頁

(注2) 新潮日本古典集成『伊勢物語』56頁(渡辺実校注)

(注3) 前掲(注1)77頁(酒井茂幸校注)

(注4)~(注10) いずれも、『小林秀雄全作品』第27集所収『本居宣長』第21章より。順に、(注4)238頁、(注5)238頁、(注6)237頁、(注7)241頁、(注8)241頁、(注9)241~242頁、(注10)243~244頁。

(了)

 

宣長さんの入り込んだ場所

小林先生、何をご覧になっているのですか。あっ、急に話しかけて、申し訳ありません。先生が何かを食い入るように見ておられるので、気になってしまいまして。「自分で見よ」と、はい。

大勢の人がいます。ずいぶんにぎやかですね、みんな楽しそう。何かの宴でしょうか。大きな声で何か言っています。ずいぶん昔の人たちですね、狩猟民でしょうか。野生に近いようなギラギラとしたものを感じます。でも一人だけ、近世風の着物を着た、でもお侍とはちょっと違いますね、あの男の着物、長袖ちょうしゅうというのですか、すると医者。えっ、もしかして宣長さんですか。

ほかの人たち、上古の人々とでもいうのでしょうか。でも、みんな、聡明そうな目をしています。考えてみれば当然ですね。上古の人々こそは、大自然の過酷に耐え、またその恵みに与かって、自力で生き抜かなければならなかったのですから。

<<宣長は、自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい、どういう態度を取り、どう行動したらよいか、「その性質情況アルカタチ」を見究めようとした大人達の努力に、注目していたのである>>(1)

上古の人々は、大自然の猛威と豊穣とを、何とか理解しようと、文字通り命がけだったのですね。

<<彼等は、言うに言われぬ、恐ろしい頑丈な圧力とともに、これ又言うに言われぬ、柔らかく豊かな恵みも現している自然の姿、恐怖と魅惑とが細かく入り混じる、多種多様な事物の「性質情状」を、そのまま素直に感受し、その困難な表現に心を躍らすという事になる>>(2)

あの人たちの言葉、いえ、言葉を話しているのでしょうか。叫んでいるような、うめき声のような。歌っているようにも聞こえます。「本当にそう思うのか、耳を澄ませよ」と。ううむ。ううむ。不思議だ。何一つ分かるはずがないのに、何かが胸に伝わってきます。

<<これは、言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そして、この働きも亦、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方から、彼等の許に、やってきたと考えるほかないのであった>>(3)

それにしても、伝わる、というか、なんとなく分かることが不思議です。きっと宣長さんには、彼らのうれしさ、悲しさ、誇らしさ、悔しさのようなものが、伝わってくるのでしょう。それだけではない。上古の人々は、いかにして自然の猛威を生き抜き、自然の恵みに与るか、そのために、五感を総動員して冷徹に外界を観察し、慎重に判断し果断に行動しているに違いない、そういう真剣さを感じ取ることができたのでしょう。

<<「伝説」は、古人にとっては、ともどもに秩序ある生活を営む為に、不可欠な人生観ではあったが、勿論、それは、人生理解の明瞭な形を取ってはいなかった。言わば、発生状態にある人生観の形で、人々の想像裡に生きていた>>(4)

こんなふうにして、上古の人々は、世界を理解しようとしていた。そしてそれを後世に伝えてくれたからこそ、私たちの人間としての生存がある。上古の人々が、生物としてのヒトの生存と自然界のかかわりに、初めて秩序を与えようとしたそのとき、人間にとっての生活というものが生まれた、そういうことでしょうか。

それが伝説つたえごとという形をとった。きっと、途方もない時間をかけ、無数の人々のかかわりの中で、少しずつ出来上がったのでしょう。

<<思想というには単純すぎ、或いは激しすぎる、あるがままの人生の感じ方、と言っていいものがあるだろう、目覚めた感覚感情の天真な動きによる、その受け取り方があるだろう、誰もがしていることだ>>(5)

そうか、あるがままの感じ方か。確かに僕らは概念を振り回してしまいます。何々であると認識するとか、此々であると判断するには証拠が足りないとか。でもそれは、誰かの作った概念という道具を介してものを見ているだけでしょう。

単純であるがゆえに激しい感じ方、借り物の概念で曇らされていない目覚めた感覚、そういう受け取り方こそが、誰もがしているはずの、つまり人間本来の、外界の受け取り方だというわけですね。

<<其処で、彼等は、言うに言われぬ、恐ろしい頑丈な圧力とともに、これ又言うに言われぬ、柔らかく豊かな恵みも現している自然の姿、恐怖と魅惑とが細かく入り混じる、多種多様な事物の「性質情状」を、そのまま素直に感受し、その困難な表現に心を躍らすという事になる。これこそ人生の「実」と信じ得たところを、最上と思われた着想、即ち先ず自分自身が驚くほどの着想によって、だれが言い出したともなく語られた物語、神々が坐さなければ、その意味なり価値なりを失って了う人生の物語が、人から人へ大切に言い伝えられ、育てられてこなかったわけがあろうか>>(6)

多種多様な事物の性質情状とは、何でしょうか。言葉にする前の何かのことでしょうか。

するとこういうことですか。まだ人々がまだ文字を知らなかったころ、言葉は発話者ごと、発話場面ごとの多様な意味を抱えていた。しかし話し言葉は、いつか消えてしまうはかないものであった。文字があって初めて、意味内容が特定され、言葉として安定する。しかし、無文字の時代のほうが、ことばはむしろ豊かであり、それが長い年月を経て、伝説つたえごととして成熟していった。

<<古人の素朴な人情、人が持って生まれて来た「まごころ」と呼んでもいいとした人情と、有るがままの事物との出会い、「古事記伝」のもっと慎重で正確な言い方で言えば、―――「天地はただ天地、男女メヲはただ男女、水火ヒミヅはただ水火」の、「おのおのその性質情状」との出会い、これが語られるのを聞いていれば、宣長には充分だった>>(7)

そうか、話し言葉が生まれ育っていくことばかりではないのですね。もっとその奥に、まごころと有るがままの事物が出会う瞬間がある。天地はただ天地、男女はただ男女、水火はただ水火という受け取り方によって、言葉そのものが生み出される瞬間がある。宣長はその様子を聞いていた。

<<この受け取り方から、直接に伝説は生まれて来たであろうし、又、生れ出た伝説は、逆に、受取り方を確かめ、発展させるように働きもしたろう。宣長が入込んだのは、そういう場所であった>>(8)

でも、そのときにはまだ、言葉もなかったのではないか。言葉になる直前の単純かつ激しい受止め方が、肉声を介して、上古の人々の間に渦巻いていた。そして、あるとき気付くと、私たちすべてを取り囲む国語というものが生まれていた。

宣長さんは、そして小林先生も、言語の発生という途方もない時間の経過を一瞬に凝縮させた場面にまで入り込んでしまった。そういうことでしょうか。

最後に、私なりの自問自答をお預けいたします。小林先生のお返事をいただくためには、「本居宣長」を読み返すほかはないのですが。

(自問自答)
 宣長は、「上古言伝へのみなりし代の心に立かへりてみれば、其世には、文字なしとて事たらざるはなし」と述べ、小林先生は「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々には、人性の基本的構造が、解りにくいものになった、と彼は見ていた」と述べられています。宣長は「古事記」の注釈により、古人たちの人生観が伝説という形で生れ出た場所に入り込み、先生も「古事記伝」の訓詁により、これを追体験する様を語られます。そこには、書かれた文字の背後にそれに先行する話し言葉の在り様を見出そうという段階をさらに遡り、古人にとっての人生の在り方すなわち道についての思いが、言葉という形を取る瞬間にまで至ろうとする気迫を感じますが、いかがでしょう。

[ 注 ]
(1) 小林秀雄「本居宣長」第四十九章、『小林秀雄全作品』第28集p.188より
(2) 同p.189より
(3) 同p.189より
(4) 同p.187より
(5) 同p.187より
(6) 同p.189より
(7) 同p.188より
(8) 同p.187より

 (了)