「一番好きなのは、どこ?」

いつものような『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、どの辺が話題だろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」)『本居宣長』のなかで、どこが一番好き?

江戸紫が似合う女(以下「女」)好きかどうかっていわれても困るけれど、初めて通読し   たとき一番心に残ったのは、第四十九章の最後の方、「そういう次第で、宣長が『上古言伝へのみなりし代の心』を言う時、私達が、子供の時期を経てきたように、歴史にも、子供の世があったという通念から、彼は全く自由であった」という一文から始まる数節かな(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集188頁)

凡庸な男(以下「男」)大河ドラマが大団円に近づいきてたときみたいに、読んでいて、力が入るというか、緊張してしまうところだね。

女 いや、そんな大それたことじゃないの。まだ、何もわからなかったし。とにかく、投げ出さずに、文字を追うのが精いっぱいで、論旨を追うなんて段階ではなかったわ。

娘 じゃあ、どうしてそこが、印象に残ったの?

女 お恥ずかしい、というか、申し訳ない話だけど、いわゆる原始人を想像しちゃったのね。

男 いわゆる原始人?

女 ええ。子供向けの図鑑とか学習漫画とかにあったじゃない。毛皮を腰に巻いて、ひげもじゃで、石斧みたいなのを手にした、ザ・原始人。

生意気な青年(以下「青年」)あああれね。ちょっと粗野だけど純朴で、みたいなステレオタイプのやつ。

女 うん、それでね、その原始人のおじさんが子供と手をつないで、夕陽を見てるのよ。

男 なんだって?

女 そういうイメージがわいてきたの、読んでいて。

娘 それって「……自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい……」(同)という辺りかなあ。

女 そうそう。青息吐息でページをめくり続けてきて、何にも頭に残らなかったんだけど、なぜかそこで、パっと、何かが見えたような気がしたのね。

青年 見えてきたって、理解のきっかけというか、ヒントが得られたとでもいうのですか?

女 いえいえ、全く。文章の意味とか、そんなレベルじゃないのよ。小林秀雄先生のお考えとかとは全く関係なく、なにか、イメージが湧いてきたの。

男 お得意の「妄想」かな。

女 ええ、まさにそう。上古の人々が、長い時の流れのどこかで、言葉を獲得していく。そこだけ見ると未開の原始人なんだけど、「どんな昔でも、大人は大人であった」(同)。つまり、上古の人たちは、文明の利器に囲まれ、人工的な環境に保護されている私達とちがって、大自然の猛威に生身の体で向き合っていたわけでしょう。五感の働きもはるかに鋭敏だったはずだし、周囲の状態を観察して、これから起きることを予期する力なんかも、はるかに強かったと思うの。命がけなんだから。「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々」(同)なんかには、及びもつかぬことだわ。

男 講釈師見てきたようななんとやら、だね。結局は妄想の域を出ないよね。

青年 あっ、そこなんだけど。

娘 なにか手がかりがあるの?

青年 最近、ゴリラ学者の講演を聞いてね。

娘 ゴリラ?

青年 うん。ゴリラも人間も、一千万年くらいさかのぼれば共通の祖先がいて、そこから枝分かれしたわけ。だから、共通する特徴もあるし、もちろん違いもある。ヒトはヒトとして進化し、ついに言葉を獲得する。

男 それがどうかしたのかい?

青年 ゴリラの生態を観察してほかの霊長類と比較したり、ゴリラと別れた後の人類の進化の過程を調べたりすると、いろんなことが分かって来るらしいんだ。

娘 たとえば?

青年 うん。たとえば、「現代人の脳の大きさはゴリラの三倍ある。では、いつ脳が大きくなり始めたかというと二百万年前である。しかも現代人並みの脳の大きさになったのは四十万年前で、言葉の登場よりずっと前だ」(注1)っていうんだ。

男 脳が大きいからこそ、言葉を使えるわけでしょう、万物の霊長たる所以だよ。

青年 でもね、人間が言葉を獲得したのは、七~十万年前ということらしいんだけど、「ホモサピエンスは二十~三十万年前に登場し、それ以前に脳は現代人並みの大きさになっている」(注2)というんだな。そして、霊長類の場合、「集団のサイズが大きい種ほど、脳の新皮質比(脳に占める新皮質の旧皮質に対する割合)が大きい」ことが分かっていて「日常的につき合う仲間の数が増えるとそれを記憶する脳の容量が増える」(注3)というわけ。言葉が登場する遥か前の二十~三十万年前に、百五十人くらいの集団ができあがっていたというんだな。

女 ああ、そうか。言葉が誕生する前にも、社会生活のようなものがあって、何らかのコミュニケーションが行われていたということね。

娘 身振りや手振り、足踏み、踊りのようなしぐさ、色んな音色の声を出すとかかなあ。なにか、楽しそうね。

男 誰かさんの妄想に出てきた原始人の親子の間にも、そういう、言語以前の身体的なコミュニケーションがあったのかもしれないね。

娘 言葉以前の身体的なコミュニケーション?

女 そういえば、人々が赤ちゃんに話しかけるときの言葉遣いには、文化圏を超えた共通性があるって話を聞いたことがある。

青年 対乳児発話とかいうやつかな。むくつけきオッサンでも、赤ちゃんには、ゆっくりとしたテンポで、抑揚がある高めの声で話すよね。

男 それで赤ちゃんがニッコリしてくれると、オッサンも満更でもない、ってことだね。

娘 そうやって、気持ちを伝えあう。まだ、言葉にはなっていないけど、人間どうしのコミュニケーションの原点がそこにあるわね。

女 言葉の、原型というか芽吹く前の種というか。そこに、言葉を生み出す原動力が宿っている感じね。

娘 ひょっとして、言霊?

男 それは飛躍。妄想も甚だしい。それはともかく、ちょっとホッコリする話だよね。

青年 でも、ショッキングな話もある。一万二千年前くらい前と比べると、現代人の脳は十~三十パーセント縮んでいるという説があるんだって。

娘 どういうこと?

青年 「人間が言葉の獲得に至った理由の一つは、脳の中の記憶を外に出すためだったのではないか」(注4)というんだ。

女 なるほど。赤ちゃんをあやすみたいな、その場面に応じて行われる身体的なコミュニケーションと違って、言葉というのは、なんていうか、一種の記号だから、データとして処理しやすくなる。脳の機能を外部のデバイスで代替しちゃうのね。

娘 あっ、それってやばいかも。スマホなくすと、自分の予定も、決済情報も、友達の連絡先も分かんない。好きな曲も聴けないし、気になる動画も見らんなくて、どうやって生きていけばいいか分かんない。

青年 他人ごとじゃないな。「今後、脳が不要になる時代が来るかもしれない」(注5)なんてことまでいうんだ。

女 でもそれは、書き言葉のことじゃないかしら。

青年 確かに、話し言葉であれば、「同じ言葉でも、それを発する人、受け取る人、互いの関係、置かれている状況、さらには声の大きさ、高さ、抑揚、手振り、身振り、態度によって意味は微妙に変わる。それが文字になった時には、相手はいない。発信者の意図と受信者の解釈にはずれがあり、それを即座に修正することはできない」(注6)からね。

女 そうでしょう。

青年 でもね、比喩の働きなんかは、話し言葉でも、十分に発揮されるよね。誰かのことを、オオカミのように残忍な、といえば、その人の行動を事細かに説明するより、はるかに簡単に済む。一瞬のうちに、強烈なイメージを喚起できる。敵愾てきがい心をあおって、一緒に戦う同志的連帯感まで湧いてくるかもしれない。

女 いまのは随分剣呑けんのんな喩えだけど、太陽のように輝くとか、海のように青いとか、山のように気高いとか、比喩の働きによって物事の捉え方や、感じ方、その伝達の仕方をより豊かに、よりきめ細かくしてくれるわね。

青年 そうなんだ。そしてその前段階の物事に名前を付けるということ自体に、重要な意味があるよ。サルだって、空を見上げれば何かがまぶしいとか、目の前に水の流れがあって進めないみたいなことは分かるかもしれないけど、それらに、お日様とか川とか名付けることで、その時その場で目にした光景の記憶にとどまらない、色んな意味を持つようになるよね。

女 単に気持ちを通わせるというだけじゃなくて、「世界を切り取って要素に分け、意味を付与して物語にし、それを仲間と共有する」(注7)というところにまで行くわけね。

青年 そういう意味で、たとえ無文字であっても、言葉を獲得したということの意味は大きいよね。

娘 身体的なコミュニケーションだけの世界から言葉が誕生していく過程は、実に神秘的よね。

女 だからこそ、宣長さんは、(輝く太陽、青い海、高い山などの)「計り知りえぬ威力に向かいどういう態度を取り、どう行動したらいいか、『その性質アル情状カタチ』を見究めようとした大人達の努力に、注目していた」(前掲書188頁)のね。

娘 それに続く、「これは言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そしてこの働きも亦(また)、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方(かなた)から、彼等の許にやって来たと考える他はないのであった。神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼らに通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。そういう声が、彼等に聞こえて来たという事は、言ってみれば、自然全体のうちに、自分等は居るのだし、自分等全体の中に自然が在る、これほど確かなことはないと感じて生きて行く、その味わいだったであろう」(前掲書189頁)という文章も、とても美しいね。

男 でも、難解だよ。

女 そうね、私も書かれた文章の意味というか、論理的な内容を理解できているわけではないわ。

青年 そもそも、人間が言葉の象徴作用を獲得したプロセスなんて、それを言葉で表現しようとすること自体、無理があるんじゃないの?

女 そうかもしれないわね。でも、このあたりの文章、声に出して読みたいほどだわ。そして、音楽を聴くように文章のリズムと響きに感じ入っているうち、何かが頭の中に下りて来て、イメージを映し出してくれるような気がするの。

男 それが、原始人親子のイメージってわけ?

女 図柄が陳腐で、センスがないのは認めるわ。でも。

男 でも、何?

女 小林先生は、文章の力で色んなイメージを喚起することによって、普通では表現できな いこと、伝達できないことを、読者の心の中に再現してくださってているような気がするわ。

男 おやおや、大きく出たね。『本居宣長』の理解が進んだってわけ?。<マル、トル>

女 あら、そんなつもりはないわ。せっかくの美しく力強い文章なのに、月並みのイメージしか浮かんでこないのは、お恥ずかしいかぎり。でも、好きなんだわ、この一節が。

娘 初めからそういえばよかったのに。

女 そうね。難しいことを理解できたわけではないけれど、この一節に出会えたことで、この本全体がとても好きになったわ。それで、あなたは?

娘 なあに?

女 一番好きなのは、どこ?

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

注1 山極壽一『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)77頁

注2 前掲(注1)85頁 

注3 前掲(注1)77頁n

注4、注5 山極壽一『共感革命』(河出新書)13頁

注6 前掲(注1)94頁

注7 前掲(注1)86頁

 

「不適切にもほどがある?」

いつものような『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、どの辺が話題だろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」)『本居宣長』のなかで、どこが一番好き?

江戸紫が似合う女(以下「女」)好きかどうかっていわれても困るけれど、初めて通読し   たとき一番心に残ったのは、第四十九章の最後の方、「そういう次第で、宣長が『上古言伝へのみなりし代の心』を言う時、私達が、子供の時期を経てきたように、歴史にも、子供の世があったという通念から、彼は全く自由であった」という一文から始まる数節かな(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集188頁)

凡庸な男(以下「男」)大河ドラマが大団円に近づいきてたときみたいに、読んでいて、力が入るというか、緊張してしまうところだね。

女 いや、そんな大それたことじゃないの。まだ、何もわからなかったし。とにかく、投げ出さずに、文字を追うのが精いっぱいで、論旨を追うなんて段階ではなかったわ。

娘 じゃあ、どうしてそこが、印象に残ったの?

女 お恥ずかしい、というか、申し訳ない話だけど、いわゆる原始人を想像しちゃったのね。

男 いわゆる原始人?

女 ええ。子供向けの図鑑とか学習漫画とかにあったじゃない。毛皮を腰に巻いて、ひげも  じゃで、石斧みたいなのを手にした、ザ・原始人。

生意気な青年(以下「青年」)あああれね。ちょっと粗野だけど純朴で、みたいなステレオタイプのやつ。

女 うん、それでね、その原始人のおじさんが子供と手をつないで、夕陽を見てるのよ。

男 なんだって?

女 そういうイメージがわいてきたの、読んでいて。

娘 それって「……自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい……」(同)という辺りかなあ。

女 そうそう。青息吐息でページをめくり続けてきて、何にも頭に残らなかったんだけど、なぜかそこで、パっと、何かが見えたような気がしたのね。

青年 見えてきたって、理解のきっかけというか、ヒントが得られたとでもいうのですか?

女 いえいえ、全く。文章の意味とか、そんなレベルじゃないのよ。小林秀雄先生のお考えとかとは全く関係なく、なにか、イメージが湧いてきたの。

男 お得意の「妄想」かな。

女 ええ、まさにそう。上古の人々が、長い時の流れのどこかで、言葉を獲得していく。そこだけ見ると未開の原始人なんだけど、「どんな昔でも、大人は大人であった」(同)。つまり、上古の人たちは、文明の利器に囲まれ、人工的な環境に保護されている私達とちがって、大自然の猛威に生身の体で向き合っていたわけでしょう。五感の働きもはるかに鋭敏だったはずだし、周囲の状態を観察して、これから起きることを予期する力なんかも、はるかに強かったと思うの。命がけなんだから。「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々」(同)なんかには、及びもつかぬことだわ。

男 講釈師見てきたようななんとやら、だね。結局は妄想の域を出ないよね。

青年 あっ、そこなんだけど。

娘 なにか手がかりがあるの?

青年 最近、ゴリラ学者の講演を聞いてね。

娘 ゴリラ?

青年 うん。ゴリラも人間も、一千万年くらいさかのぼれば共通の祖先がいて、そこから枝分かれしたわけ。だから、共通する特徴もあるし、もちろん違いもある。ヒトはヒトとして進化し、ついに言葉を獲得する。

男 それがどうかしたのかい?

青年 ゴリラの生態を観察してほかの霊長類と比較したり、ゴリラと別れた後の人類の進化の過程を調べたりすると、いろんなことが分かって来るらしいんだ。

娘 たとえば?

青年 うん。たとえば、「現代人の脳の大きさはゴリラの三倍ある。では、いつ脳が大きくなり始めたかというと二百万年前である。しかも現代人並みの脳の大きさになったのは四十万年前で、言葉の登場よりずっと前だ」(注1)っていうんだ。

男 脳が大きいからこそ、言葉を使えるわけでしょう、万物の霊長たる所以だよ。

青年 でもね、人間が言葉を獲得したのは、七~十万年前ということらしいんだけど、「ホモサピエンスは二十~三十万年前に登場し、それ以前に脳は現代人並みの大きさになっている」(注2)というんだな。そして、霊長類の場合、「集団のサイズが大きい種ほど、脳の新皮質比(脳に占める新皮質の旧皮質に対する割合)が大きい」ことが分かっていて「日常的につき合う仲間の数が増えるとそれを記憶する脳の容量が増える」(注3)というわけ。言葉が登場する遥か前の二十~三十万年前に、百五十人くらいの集団ができあがっていたというんだな。

 

女 ああ、そうか。言葉が誕生する前にも、社会生活のようなものがあって、何らかのコミュニケーションが行われていたということね。

娘 身振りや手振り、足踏み、踊りのようなしぐさ、色んな音色の声を出すとかかなあ。なにか、楽しそうね。

男 誰かさんの妄想に出てきた原始人の親子の間にも、そういう、言語以前の身体的なコミュニケーションがあったのかもしれないね。

娘 言葉以前の身体的なコミュニケーション?

女 そういえば、人々が赤ちゃんに話しかけるときの言葉遣いには、文化圏を超えた共通性があるって話を聞いたことがある。

青年 対乳児発話とかいうやつかな。むくつけきオッサンでも、赤ちゃんには、ゆっくりとしたテンポで、抑揚がある高めの声で話すよね。

男 それで赤ちゃんがニッコリしてくれると、オッサンも満更でもない、ってことだね。

娘 そうやって、気持ちを伝えあう。まだ、言葉にはなっていないけど、人間どうしのコミュニケーションの原点がそこにあるわね。

女 言葉の、原型というか芽吹く前の種というか。そこに、言葉を生み出す原動力が宿っている感じね。

娘 ひょっとして、言霊?

男 それは飛躍。妄想も甚だしい。それはともかく、ちょっとホッコリする話だよね。

青年 でも、ショッキングな話もある。一万二千年前くらい前と比べると、現代人の脳は十~三十パーセント縮んでいるという説があるんだって。

娘 どういうこと?

青年 「人間が言葉の獲得に至った理由の一つは、脳の中の記憶を外に出すためだったのではないか」(注4)というんだ。

女 なるほど。赤ちゃんをあやすみたいな、その場面に応じて行われる身体的なコミュニケーションと違って、言葉というのは、なんていうか、一種の記号だから、データとして処理しやすくなる。脳の機能を外部のデバイスで代替しちゃうのね。

娘 あっ、それってやばいかも。スマホなくすと、自分の予定も、決済情報も、友達の連絡先も分かんない。好きな曲も聴けないし、気になる動画も見らんなくて、どうやって生きていけばいいか分かんない。

青年 他人ごとじゃないな。「今後、脳が不要になる時代が来るかもしれない」(注5)なんてことまでいうんだ。

女 でもそれは、書き言葉のことじゃないかしら。

青年 確かに、話し言葉であれば、「同じ言葉でも、それを発する人、受け取る人、互いの関係、置かれている状況、さらには声の大きさ、高さ、抑揚、手振り、身振り、態度によって意味は微妙に変わる。それが文字になった時には、相手はいない。発信者の意図と受信者の解釈にはずれがあり、それを即座に修正することはできない」(注6)からね。

女 そうでしょう。

青年 でもね、比喩の働きなんかは、話し言葉でも、十分に発揮されるよね。誰かのことを、オオカミのように残忍な、といえば、その人の行動を事細かに説明するより、はるかに簡単に済む。一瞬のうちに、強烈なイメージを喚起できる。敵愾てきがい心をあおって、一緒に戦う同志的連帯感まで湧いてくるかもしれない。

女 いまのは随分剣呑けんのんな喩えだけど、太陽のように輝くとか、海のように青いとか、山のように気高いとか、比喩の働きによって物事の捉え方や、感じ方、その伝達の仕方をより豊かに、よりきめ細かくしてくれるわね。

青年 そうなんだ。そしてその前段階の物事に名前を付けるということ自体に、重要な意味があるよ。サルだって、空を見上げれば何かがまぶしいとか、目の前に水の流れがあって進めないみたいなことは分かるかもしれないけど、それらに、お日様とか川とか名付けることで、その時その場で目にした光景の記憶にとどまらない、色んな意味を持つようになるよね。

女 単に気持ちを通わせるというだけじゃなくて、「世界を切り取って要素に分け、意味を付与して物語にし、それを仲間と共有する」(注7)というところにまで行くわけね。

青年 そういう意味で、たとえ無文字であっても、言葉を獲得したということの意味は大きいよね。

娘 身体的なコミュニケーションだけの世界から言葉が誕生していく過程は、実に神秘的よね。

女 だからこそ、宣長さんは、(輝く太陽、青い海、高い山などの)「計り知りえぬ威力に向かいどういう態度を取り、どう行動したらいいか、『その性質アル情状カタチ』を見究めようとした大人達の努力に、注目していた」(前掲書188頁)のね。

娘 それに続く、「これは言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そしてこの働きも亦(また)、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方(かなた)から、彼等の許にやって来たと考える他はないのであった。神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼らに通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。そういう声が、彼等に聞こえて来たという事は、言ってみれば、自然全体のうちに、自分等は居るのだし、自分等全体の中に自然が在る、これほど確かなことはないと感じて生きて行く、その味わいだったであろう」(前掲書189頁)という文章も、とても美しいね。

男 でも、難解だよ。

女 そうね、私も書かれた文章の意味というか、論理的な内容を理解できているわけではないわ。

青年 そもそも、人間が言葉の象徴作用を獲得したプロセスなんて、それを言葉で表現しようとすること自体、無理があるんじゃないの?

女 そうかもしれないわね。でも、このあたりの文章、声に出して読みたいほどだわ。そして、音楽を聴くように文章のリズムと響きに感じ入っているうち、何かが頭の中に下りて来て、イメージを映し出してくれるような気がするの。

男 それが、原始人親子のイメージってわけ?

女 図柄が陳腐で、センスがないのは認めるわ。でも。

男 でも、何?

女 小林先生は、文章の力で色んなイメージを喚起することによって、普通では表現できな いこと、伝達できないことを、読者の心の中に再現してくださってているような気がするわ。

男 おやおや、大きく出たね。『本居宣長』の理解が進んだってわけ?。<マル、トル>

女 あら、そんなつもりはないわ。せっかくの美しく力強い文章なのに、月並みのイメージしか浮かんでこないのは、お恥ずかしいかぎり。でも、好きなんだわ、この一節が。

娘 初めからそういえばよかったのに。

女 そうね。難しいことを理解できたわけではないけれど、この一節に出会えたことで、この本全体がとても好きになったわ。それで、あなたは?

娘 なあに?

女 一番好きなのは、どこ?

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

注1 山極壽一『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)77頁

注2 前掲(注1)85頁 

注3 前掲(注1)77頁n

注4、注5 山極壽一『共感革命』(河出新書)13頁

注6 前掲(注1)94頁

注7 前掲(注1)86頁

 

「歴史の枠と人間の自由」(対話ふうに)

男 今回の熟視対象は、どこかな?

女 第三十章の結語部分に「歴史を限る枠は動かせないが、枠の中での人間の行動は自由でなければ、歴史はその中心点を失うであろう」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集351頁)とあるでしょう。

男 そのどこが気になるの?

女 「自由」という言葉が、何かを感じさせるの。

男 僕はむしろ、「歴史を限る枠」っていうのにひっかかる。どういう意味かな?

女 引用文と同じパラグラフの前の方に「歴史を知るとは、己れを知る事だという、このような道が行けない歴史家には、言わば、年表という歴史を限る枠しか摑めない」(同上)とあるでしょう。ここでいう「年表という歴史を限る枠」のことよ。

男 ああそうか。「年表的枠組」という表現もあるね。でも、年表って、過去を振り返って作成された記録だよね。それがどうして、歴史を限る枠になるのかな?

女 言ってることがよく分からないわ。

男 証拠に裏付けられた客観的な事実とは別に、歴史なんてありえないよね。年表って、客観的な事実の集合体なんだから、歴史そのものなんじゃないの?

女 ああ、そういう話ね。もちろん、いついつ何々が起きたという記録を無視した歴史認識はあり得ないし、「かくかくの過去があったという証言が、現存しないような過去を、歴史家は扱うわけにいかない」(同350頁)

男 学問なんだから、客観主義に徹すればいいんじゃないの?

女 確かに、そういう「証言証拠の受身な整理が、歴史研究の風を装っている」(同349頁)こともあるわ。でも、宣長さんの学問はそうではないの。

男 というと?

女 宣長さんは、「『古事記』という『古事のふみ』に記されている『古事』とは何か」(同)を突き詰めていった。その際「主題となる古事とは、過去に起った単なる出来事ではなく、古人によって生きられ、演じられた出来事だ。外部から見ればわかるようなものではなく、その内部に入り込んで知る必要のあるもの、内にある古人のココロの外への現れとしての出来事、そういう出来事に限られる」(同)ということなのね。

男 年表は、「過去に起った単なる出来事」の羅列に過ぎないというわけだね。客観的な証拠や証言だけでは不十分なのかな?

女 そうね。「証言が現存していれば、過去は現在によみがえるというわけのものではあるまい。歴史認識の発条は、証言のうちにはない」(同350頁)ということよ。

男 歴史認識のバネか。でも、客観的な証拠や証言を離れて、どうするのかな?

女 「古人が生きた経験を、現在の自分の心のうちに迎え入れて、これを生きてみる」(同)ということなんだわ。

男 共感とか、追体験とか、そういうことかな。でも、そんなことが可能かな?

女 簡単なことではないわ。それでも、「過去の経験を、回想によってわが物とする、歴史家の精神の反省的な働きにとって、(中略)総じて生きられた過去を知るとは、現在の己れの生き方を知る事に他なるまい。それは、人間経験の多様性を、どこまで己れの内部に再生して、これを味う事が出来るか、その一つ一つについて、自分の能力を試してみるという事」(同350,351頁)はできる、そう考えてはどうかしら?

男 面白そうな話だけど、うまくいくのかな。各自が勝手に、自分の願望を投影しただけのものにならないのかな?

女 少なくとも宣長さんは、こういう方法で、「古事記」について何百年たっても通用するような読み解きをすることができた。でも、誰でもできることではないわね。「確実に自己に関する知識を積み重ねて行くやり方は、自己から離脱する事を許さないが、又、其処には、自己主張の自負も育ちようがあるまい」(同351頁)ということじゃなくて?

男 宣長さんも、もちろん、勝手な自己主張をしたわけではないよね?

女 そうよ。「宣長は、心のうちに、何も余計なものを貯えているわけではないので、その心は、ひたすら観察し、批判しようとする働きでみたされて、隅々まで透明」なの(同349頁)

男 何か、強烈な意思のようなものを感じるけど、どうかな?

女 宣長さんの場合、「何が知りたいのか、知る為にはどのように問えばよいのか、これを決定するのは自分自身であるというはっきりした自覚が、その研究を導」いていたのね(同349頁)。そういう宣長さんなればこそ、「倭建命の『言問ひ』は、宣長のココロに迎えられて」はじめて、「息を吹き返した」(同351頁)。「年表的枠組は、事物の働きをかたどり、その慣性に従って存続するが、人のココロで充たされた中身の方は、その生死を、後世の人のココロに託している」(同)というわけね。

男 そうなると、生死を託された後世の人のココロの働きがどのくらいあて・・になるか、心もとない気がするけど、どうかな?

女 そうよね。後世の私たちは答えを知っている。いくさの帰趨であれ何であれ、結局どうなったのか分かっている。そういう年表的枠組には手を付けないでいて、「過去の経験を、回想によってわが物とする」(同350頁)ことになる。

男 そうするとさ、追体験するにしても、所詮この人は最後はこうなる、なんて考えてしまう。それで、本当の意味で、過去を蘇らせたことになるのかな?

女 たしかに、過去の人々の行動について、大きな時代の流れの中の一つのエピソードくらいに考えがちよね。歴史的な必然性とか法則性、あるいは実証主義に基づく歴史解釈とか、そういったものの具体的な一事例として扱ってしまう。

男 それでは結局、「証言証拠のただ受身な整理」(同349頁)としての歴史学と大差ないんじゃないかな?

女 だからこそ、「歴史を限る枠は動かせないが、枠の中での人間の行動は自由でなければ、歴史はその中心点を失う」(同351頁)ということなんだわ。

男 どういうこと?

女 過去の人々にとって、その時点での未来は、当然、未知のものだった。結果論で言えば、「抗しがたい運命に翻弄されていた」ということになるかもしれないけど、彼らは、その運命に抗おうと奮闘していた。行動の自由があったんだわ。それを、「所詮、時代の流れには抗しがたかった」みたいに後知恵で裁いてしまうと、歴史の中心点を失うことになる。

男 中心点を失うっていうと?

女 結果論や後知恵では、年表的枠組しか掴めない。たまたま目の前にある証言証拠を眺めて、いつでも誰でも分かることを再確認しているだけなんだわ。それでは過去は現在によみがえらない。歴史の中心点、つまり歴史認識の最も重要な部分にたどり着けない。こういうことじゃないかしら。

男 なるほど。そうすると、自問自答の域を超えてしまうかもしれないけど、こうも言えるかな。今を生きる僕らも、過去の経緯とか、漠然とした時代の流れとかいったものには、何か抗いがたいものを感じている。でも、宣長さんのように歴史に向き合い、過去の人々の行動の自由に想いを馳せ、人間経験の多様性を自己の内部に再生して味わうことができれば、僕ら自身が、社会通念や固定観念から離れて、未来に向けての自由を取り戻す道が開かれることになる。なんて。言い過ぎかな。

女 ええ、言い過ぎは言い過ぎね。でも、同感、そうこなくっちゃ、だわ。

 

(了)

 

「ワインは分かる?」

「本居宣長」を手におしゃべりするのが大好きな四人の男女。今日も三々五々集まってきたようだ。

 

江戸紫が似合う女(以下「女」) あら、お買い物?

凡庸な男(以下「男」) 週末にワイン会があるので、買い出しに行ってきた。

女 ワインがお好きみたいね。

元気のいい娘(以下「娘」) ただの飲んだくれでしょう?

男 ご指摘は重く受け止める、でもね……

娘 記者会見みたいだね。「でもね」って、何か言いたいの?

男 呑めば酔っ払ってしまうけど、それでも、ワインというのは、奥深い世界だなと思うんだ。

娘 ほんと?あんた、ワインが分かるの?

生意気な青年(以下「青年」) だいたい、ワインって、構えからしてイヤミだね。こぶしがすっぽりと収まるほどの大きなグラスの、下四分の一ほどに白ワインを注ぐ。細く長い脚の根元を指で挟み、台座をテーブルの上で滑らせ、グラスを何度かゆっくりと回す、なんてね。

娘 そして、こう来るのよね。液体はグラスの中で揺れ、その膨らんだ部分に香りが満ちる。ゆっくりと香りを確かめ、おもむろにワインを口に含む、とかなんとか。

青年 極め付きは、「かりんや梅酒のような香り、それにかすかな蜂蜜のような香り。少し尖った酸味と柔らかな苦みがあって、余韻が口の中に長く残った」なんて能書きだね。

娘 キモすぎ。

青年 言ったもん勝ち、ハッタリの世界じゃないのかな。

男 でも、それだけでもないと思うんだ。飲むたびに、深みのある世界だって感じるんだよ。

女 あるワイン評論家がこんなふうに言ってるわ。「たとえば、ワインの質をはかる最大の基準は、『複雑さ』である。グラスについだワインに繰り返し戻るたびにさきほどとは違う香りブケや味に出会うことが多いほど、ワインは複雑だと言える」(マット・クレイマー『ワインがわかる』白水社刊23ページ)

男 だから、その複雑さについて深く知りたくなり、知ればしるほど、楽しみが増すような気がするんだ。

娘 確かに、そういうことって、ほかにもあるかもね。骨董品とか、絵画とか。

男 人間の感性を離れて明確に測定する、みたいなことができない世界。ワインを味わうように、絵画や骨董、詩や歌でも、「味わう」という言い方がピタッとくるよね。

青年 文学や美術のような文化的なものと、ワインなんかを同列に論じていいの?

女 そうかもしれない。でも、お叱りを覚悟していうと、こういう世界というのは、とても複雑で、奥が深くて、だからこそ、何度でも、繰り返し味わうことができるのでしょう。

娘 好きな絵や、気にいった骨董品であれば、何度見ても、長い時間見続けても、飽きることはないよね。

女 でね、これもさっき評論家の受け売りなんだけど、ワインにも、美術品や工芸品の世界と同じように、コニサーという人が存在するようなの。

娘 コニサー?

女 コニサー(connoisseur)。目利きとか、鑑賞家みたいな意味なんだけど。

青年 そういう人の言うことは、言ったもん勝ちのハッタリではないとでもいうわけ?

女 そうね。彼によれば、「コニサーについていちばん要を得た、おそらく最上の定義は、『好きなもの』と『良いもの』の区別ができる人」で、「理想的なコニサーとは、ワインを味わったあと、たとえば『こいつは偉大なワインだが、私はご免だ』といってのけられる人物」なんだそうよ(前掲書22頁)

娘 好き嫌いと、善し悪しの判断を区別するというのは、なんか分かる気がする。

青年 それは、主観を排して、客観的な基準で判断する、ということでしょう。物理的な測定を志向することになる。それが無理なら、結局、好き嫌いの世界に戻るんじゃない。

女 それもちょっと、乱暴というか、単純すぎるというか。

青年 なぜ?

女 単なる好き嫌いではないという意味で、主観的な判断ではない、とはいえるわ。でも、客観的な基準なんて、便利なものがあるわけではないのよ。

青年 では、どうやって判断するのさ。

娘 そうだね。複雑さに満ちていて、奥深く、飽きの来ないそういう世界で、万人が納得するような判断なんてできるのかな。

女 例の評論家が、アンティーク銀器のコニサーのお話を紹介しているの。「時代ものが当代のものより優れている、なんて根も葉もないことです。が、上等な銀器のコニサーにとってみれば、古物や新作にかかわらず、品物にひそむ、なにか名状しがたい気合のこもりかたから、あるものがオリジナルであるかどうかが判然とするのです。それは古さびた外観や傷、へこみの問題ではありません。よほど巧みに写してあっても、複製品にはオリジナルが必ず身につけているものが、どこか欠けている。作家の手の伸びやかで自然な動きがない、ともいえます。オリジナルには造った者の心意気と手の働きが体現されているけど、コピーにはこれがつかまえられない。ま、理由は説明しずらくても、実物を見れば納得がいくはずです」(前掲書p19,20頁)

男 こういう人たちって、対象のことが、ワインでも、銀器でも、絵画でも、詩歌でも、何でもそうなんだけど、とても好きで好きで、好きだからこそ、自分の勝手な感覚ではなくて、対象の中に備わっている良さを、なるべく本来の姿を損なうことなく知りたいと思うんだよ。

女 大好きだからこそ、対象が、そういう丹念な吟味に値するものだという確信がある。どうせこんなものだろうなんて決めつけはしない。その上で、容易にたどり着けないかもしれないけれど、学びを深めていくことに喜びを感じ、楽しんでいるのだと思うの。

娘 それって、好・信・楽の三題噺さんだいばなしに強引にもっていこうとしてない?(笑)

女 ばれたかしら(苦笑)。でも、あながち悪ふざけでもないと思うのよ。

娘 どういうこと?

女 小林秀雄先生は、(契沖と宣長の)「二人は、少年時代から、生涯の終りに至るまで、中絶する事なく、『面白からぬ』歌を詠みつづけた点でもよく似ている」と書かれているわね(新潮社刊「小林秀雄全作品」第二十七集、71頁)。二人とも、長じて偉大な歌学者になるのだけれども、その出発点には、歌を楽しむ心があったのではないかしら。

男 確かにそうかもしれないね。

女 だから、小林先生も、「『僕ノ和歌ヲ好ムハ。性ナリ、又癖ナリ、然レドモ、又見ル所無クシテ、みだリニコレヲ好マンヤ』いう宣長の言葉は、又契沖の言葉でもあったろう」と書かれたのではないかしら(前掲書71頁)

青年 しかしね。二人とも、歌が好きだったというのは、そのとおりかもしれないよ。でも、契沖と言う人は、「従来歌学の名で呼ばれていた固定した知識の集積を、自立した学問に一変」させるという卓越した精神の持ち主で(前掲書73頁)、宣長さんはそれをさらに発展させた大学者なんだよ。

女 それは、分かってるわ。二人とも、大学者よ。

青年 小林先生は、「ここで宣長の言葉を借りてもいいと思うが、年少の頃からの『好信楽』のうちに、契沖は、歌学者として生きる道を悟得した。私にはそう思われる」と書かれているけど(前掲書83頁)、二人の「好信楽」は、「好事家の趣味というような消極的な意味合い」ではない(前掲書66頁)、やがて大成する若い才能が自ずと示した「志」なのでしょう。

女 それも分かっているわ。二人の学者としての人生のドラマが、そこからどう展開していくのか、小林先生にご本の中で見せていただいている。でもね、だからといって、二人の「好信楽」と、私たちのそれとを、隔絶した別物とばかり思い込むこともないのじゃないかしら。

青年 なんだって。

女 宣長さんは、仏教の教説のみならず、儒墨老荘諸子百家つまり大陸由来の学問もまた「皆之ヲ好ミ信ジ楽シム」、さらには、「凡百雑技」から「山川草木」に至るまで、「天地万物、皆、吾ガ賞楽ノ具ナルノミ」と言ったそうね(前掲書60頁)

青年 それはあくまで「栴檀せんだんは雙葉から芳し」みたいなことだよ。

女 もちろん、宣長さんの場合は、こういう気質が、やがてご本人を新しい学問の道へと誘うことになる。これを直ちに、私たちのような凡庸な人間に引き付けて考えてはいけないのかもしれない。

青年 当然だよ。

女 でも、こういう、若き日の宣長さんの生き方には、なにかとても、健康的というか、ものごとに対する肯定的な雰囲気が感じられて、私は、好きだな。

青年 あなたの好き嫌いを言われてもね。

女 そうかしら。世の中の色んなことを楽しむことができる。楽しいからこそ、深く学び続けることができる。こういう姿勢って、私たちの学びにも通じるものがあるのではないかしら。私たちが、宣長さんや小林先生の作品を読み、学んでいるのも、別に誰かに強いられたわけではないし、フィギュアスケートみたいに誰かに採点してもらうためじゃない。自分のため、でしょう。

娘 でも、勝手読みはよくないよね。

女 もちろんよ。でも、きちんと読もうとするのも、宣長さんや小林先生のご本が好きだからなんだわ。好きだから、正しく知りたい。

男 そうなんだね。私もたくさんの間違いを犯しているかもしれないけど、間違いを恐れて、何か、萎縮してしまうのは嫌だな。好きだという気持ちを大事にしたいな。

女 おや、飲んだくれも、たまにはいいこというわね。

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

 

(了)

 

「さとりがましい」

「本居宣長」を手におしゃべりするのが大好きな四人の男女。今日も三々五々集まってきたようだ。

 

江戸紫が似合う女(以下「女」) あら、お買い物?

凡庸な男(以下「男」) 週末にワイン会があるので、買い出しに行ってきた。

女 ワインがお好きみたいね。

元気のいい娘(以下「娘」) ただの飲んだくれでしょう?

男 ご指摘は重く受け止める、でもね……

娘 記者会見みたいだね。「でもね」って、何か言いたいの?

男 呑めば酔っ払ってしまうけど、それでも、ワインというのは、奥深い世界だなと思うんだ。

娘 ほんと?あんた、ワインが分かるの?

生意気な青年(以下「青年」) だいたい、ワインって、構えからしてイヤミだね。こぶしがすっぽりと収まるほどの大きなグラスの、下四分の一ほどに白ワインを注ぐ。細く長い脚の根元を指で挟み、台座をテーブルの上で滑らせ、グラスを何度かゆっくりと回す、なんてね。

娘 そして、こう来るのよね。液体はグラスの中で揺れ、その膨らんだ部分に香りが満ちる。ゆっくりと香りを確かめ、おもむろにワインを口に含む、とかなんとか。

青年 極め付きは、「かりんや梅酒のような香り、それにかすかな蜂蜜のような香り。少し尖った酸味と柔らかな苦みがあって、余韻が口の中に長く残った」なんて能書きだね。

娘 キモすぎ。

青年 言ったもん勝ち、ハッタリの世界じゃないのかな。

男 でも、それだけでもないと思うんだ。飲むたびに、深みのある世界だって感じるんだよ。

女 あるワイン評論家がこんなふうに言ってるわ。「たとえば、ワインの質をはかる最大の基準は、『複雑さ』である。グラスについだワインに繰り返し戻るたびにさきほどとは違う香りブケや味に出会うことが多いほど、ワインは複雑だと言える」(マット・クレイマー『ワインがわかる』白水社刊23ページ)

男 だから、その複雑さについて深く知りたくなり、知ればしるほど、楽しみが増すような気がするんだ。

娘 確かに、そういうことって、ほかにもあるかもね。骨董品とか、絵画とか。

男 人間の感性を離れて明確に測定する、みたいなことができない世界。ワインを味わうように、絵画や骨董、詩や歌でも、「味わう」という言い方がピタッとくるよね。

青年 文学や美術のような文化的なものと、ワインなんかを同列に論じていいの?

女 そうかもしれない。でも、お叱りを覚悟していうと、こういう世界というのは、とても複雑で、奥が深くて、だからこそ、何度でも、繰り返し味わうことができるのでしょう。

娘 好きな絵や、気にいった骨董品であれば、何度見ても、長い時間見続けても、飽きることはないよね。

女 でね、これもさっき評論家の受け売りなんだけど、ワインにも、美術品や工芸品の世界と同じように、コニサーという人が存在するようなの。

娘 コニサー?

女 コニサー(connoisseur)。目利きとか、鑑賞家みたいな意味なんだけど。

青年 そういう人の言うことは、言ったもん勝ちのハッタリではないとでもいうわけ?

女 そうね。彼によれば、「コニサーについていちばん要を得た、おそらく最上の定義は、『好きなもの』と『良いもの』の区別ができる人」で、「理想的なコニサーとは、ワインを味わったあと、たとえば『こいつは偉大なワインだが、私はご免だ』といってのけられる人物」なんだそうよ(前掲書22頁)

娘 好き嫌いと、善し悪しの判断を区別するというのは、なんか分かる気がする。

青年 それは、主観を排して、客観的な基準で判断する、ということでしょう。物理的な測定を志向することになる。それが無理なら、結局、好き嫌いの世界に戻るんじゃない。

女 それもちょっと、乱暴というか、単純すぎるというか。

青年 なぜ?

女 単なる好き嫌いではないという意味で、主観的な判断ではない、とはいえるわ。でも、客観的な基準なんて、便利なものがあるわけではないのよ。

青年 では、どうやって判断するのさ。

娘 そうだね。複雑さに満ちていて、奥深く、飽きの来ないそういう世界で、万人が納得するような判断なんてできるのかな。

女 例の評論家が、アンティーク銀器のコニサーのお話を紹介しているの。「時代ものが当代のものより優れている、なんて根も葉もないことです。が、上等な銀器のコニサーにとってみれば、古物や新作にかかわらず、品物にひそむ、なにか名状しがたい気合のこもりかたから、あるものがオリジナルであるかどうかが判然とするのです。それは古さびた外観や傷、へこみの問題ではありません。よほど巧みに写してあっても、複製品にはオリジナルが必ず身につけているものが、どこか欠けている。作家の手の伸びやかで自然な動きがない、ともいえます。オリジナルには造った者の心意気と手の働きが体現されているけど、コピーにはこれがつかまえられない。ま、理由は説明しずらくても、実物を見れば納得がいくはずです」(前掲書p19,20頁)

男 こういう人たちって、対象のことが、ワインでも、銀器でも、絵画でも、詩歌でも、何でもそうなんだけど、とても好きで好きで、好きだからこそ、自分の勝手な感覚ではなくて、対象の中に備わっている良さを、なるべく本来の姿を損なうことなく知りたいと思うんだよ。

女 大好きだからこそ、対象が、そういう丹念な吟味に値するものだという確信がある。どうせこんなものだろうなんて決めつけはしない。その上で、容易にたどり着けないかもしれないけれど、学びを深めていくことに喜びを感じ、楽しんでいるのだと思うの。

娘 それって、好・信・楽の三題噺さんだいばなしに強引にもっていこうとしてない?(笑)

女 ばれたかしら(苦笑)。でも、あながち悪ふざけでもないと思うのよ。

娘 どういうこと?

女 小林秀雄先生は、(契沖と宣長の)「二人は、少年時代から、生涯の終りに至るまで、中絶する事なく、『面白からぬ』歌を詠みつづけた点でもよく似ている」と書かれているわね(新潮社刊「小林秀雄全作品」第二十七集、71頁)。二人とも、長じて偉大な歌学者になるのだけれども、その出発点には、歌を楽しむ心があったのではないかしら。

男 確かにそうかもしれないね。

女 だから、小林先生も、「『僕ノ和歌ヲ好ムハ。性ナリ、又癖ナリ、然レドモ、又見ル所無クシテ、みだリニコレヲ好マンヤ』いう宣長の言葉は、又契沖の言葉でもあったろう」と書かれたのではないかしら(前掲書71頁)

青年 しかしね。二人とも、歌が好きだったというのは、そのとおりかもしれないよ。でも、契沖と言う人は、「従来歌学の名で呼ばれていた固定した知識の集積を、自立した学問に一変」させるという卓越した精神の持ち主で(前掲書73頁)、宣長さんはそれをさらに発展させた大学者なんだよ。

女 それは、分かってるわ。二人とも、大学者よ。

青年 小林先生は、「ここで宣長の言葉を借りてもいいと思うが、年少の頃からの『好信楽』のうちに、契沖は、歌学者として生きる道を悟得した。私にはそう思われる」と書かれているけど(前掲書83頁)、二人の「好信楽」は、「好事家の趣味というような消極的な意味合い」ではない(前掲書66頁)、やがて大成する若い才能が自ずと示した「志」なのでしょう。

女 それも分かっているわ。二人の学者としての人生のドラマが、そこからどう展開していくのか、小林先生にご本の中で見せていただいている。でもね、だからといって、二人の「好信楽」と、私たちのそれとを、隔絶した別物とばかり思い込むこともないのじゃないかしら。

青年 なんだって。

女 宣長さんは、仏教の教説のみならず、儒墨老荘諸子百家つまり大陸由来の学問もまた「皆之ヲ好ミ信ジ楽シム」、さらには、「凡百雑技」から「山川草木」に至るまで、「天地万物、皆、吾ガ賞楽ノ具ナルノミ」と言ったそうね(前掲書60頁)

青年 それはあくまで「栴檀せんだんは雙葉から芳し」みたいなことだよ。

女 もちろん、宣長さんの場合は、こういう気質が、やがてご本人を新しい学問の道へと誘うことになる。これを直ちに、私たちのような凡庸な人間に引き付けて考えてはいけないのかもしれない。

青年 当然だよ。

女 でも、こういう、若き日の宣長さんの生き方には、なにかとても、健康的というか、ものごとに対する肯定的な雰囲気が感じられて、私は、好きだな。

青年 あなたの好き嫌いを言われてもね。

女 そうかしら。世の中の色んなことを楽しむことができる。楽しいからこそ、深く学び続けることができる。こういう姿勢って、私たちの学びにも通じるものがあるのではないかしら。私たちが、宣長さんや小林先生の作品を読み、学んでいるのも、別に誰かに強いられたわけではないし、フィギュアスケートみたいに誰かに採点してもらうためじゃない。自分のため、でしょう。

娘 でも、勝手読みはよくないよね。

女 もちろんよ。でも、きちんと読もうとするのも、宣長さんや小林先生のご本が好きだからなんだわ。好きだから、正しく知りたい。

男 そうなんだね。私もたくさんの間違いを犯しているかもしれないけど、間違いを恐れて、何か、萎縮してしまうのは嫌だな。好きだという気持ちを大事にしたいな。

女おや、飲んだくれも、たまにはいいこというわね。

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

 

(了)

 

「帰ってきた酔っ払い」

『本居宣長』を手におしゃべりする四人の男女。いつもながら、とりとめもない話が続くのだが、今日は、次の個所に話が及んで、ちょっと疲れたのか、みんな黙り込んでしまったようだ。

「宣長の真っ正直の考えが、何となく子供じみて映るのも、事実を重んじ、言葉を軽んずる現代風の通念から眺めるからである。だが、この通念が養われたのも、客観的な歴史事実というような、慎重に巧まれた現代語の力を信用すればこそだ、と気附いている人は、極めて少ない。」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集336頁)

 

元気のいい娘(以下「娘」) (所在なげに)なんか、ChatGPTって、バズってるね。

生意気な青年(以下「青年」) うん。試しにやってみた。日米安保条約一辺倒は日本の外交にとっていいことなのかって、ChatGPTに聞いたんだ。すると、「日米安保条約は日本外交にとってのきわめて重要ではあるが、唯一の選択肢ではなく、日本は他の国とも強い外交関係を持ち得る」とかなんとか、数秒で、答えを出したよ。

凡庸な男(以下「男」) なかなかもっともらしいこと、言うじゃないか。すごい時代になったね。

娘 なんか、優等生っぽくて、つまんねー。

青年 膨大なテキストデータを読み込んで、統計的な処理をして答えを作るというのだから、とんがった議論は出てこないんだよ、きっと。

男 それがコンピュータの限界だね。僕たちアナログ人間にも存在価値があるということだね。

江戸紫が似合う女(以下「女」) どうかしら。すくなくともこの例で、コンピュータくんを見限るのはおかしいと思うわ。

男 おやおや、根っからの文系人間だと思ってたが、人工知能に口出しするのかい?

女 まさか、まさか。疎いのはあなたと同じ。そうじゃないの。AIを利用するもっとずっと手前の問題。君のChatGPTへの質問のこと。

青年 なんだって。きわめてまっとうな問題提起でしょう。

女 問いが答えを含んでいる。

青年 えっ?

女 この世の中、何かに一辺倒なんて、それが唯一の選択肢であるはずがないじゃない。当然、何か保留を付したり、別の要素でバランスをとったりするでしょう。あなたのは、問いじゃない。

娘 結論を誘導してるのかな。一辺倒じゃなくてバランスね、みたいに。

女 何が正解か、あらかじめ決まっている。そのうえで、相手を「一辺倒」と決めつけて、「それでいいのか、いいわけがない」と言いたてたりるするのね。

男 でも、こういう言い回しって、政治の世界とか、マスコミ論調とかで、よく見聞きするよね。

娘 言葉による戦いのリングで、相手を追い詰めるパンチみたいなものね。自説が正しいということは当然の前提で、相手は間違っていることを、観客にアピールする。確信犯だね。

女 さっきの質問に、そんな覚悟はないわけでしょう。自分の言葉に自分で酔っている。AIくんがここまで深読みというか、先読みしていたかどうかわからないけど、お気楽な問題提起もどきに如才なく答えてくれたのよ。限界を露呈したのは、質問者のおつむの方じゃなくて?

青年 ひどいことをいうね。

男 でも、ボクたちが、『本居宣長』を読み進めるときに行っている「自問自答」はどうなのかな。これも、問いと答えがセットだけど。

女 私たちの「自問自答」は、問いを立て、これに答えるという型になっている。これは、本文にどう向き合い、どう読み取ろうとしたかを、自分自身に対して明晰にするという意味もあるわね。そしてその全体が、この『本居宣長』の本文に対する、究極的には小林秀雄先生に対する質問になることを目指しているのだわ。

娘 でも、その答えは、ボクたちの側にはないんだね。

女 そのうえで、本文そのものに何処まで近づいていけるか、というのが、私たちの勉強よね。ちょっと気負った言い方をすれば、訓詁くんこの道の第一歩かしら?

男 大きく出たね。

女 でも、難しいのは、言葉ってとても曲者くせもので、言葉を発する当の本人をだますということね。

男 そりゃどういうことだい?

女 私たちは、しばしば、いろんな文章を「解釈」したりするけど、本文の分かりにくさを自分なりに要約したり、抽象したりする過程で、本文の読み取りではなく、自分の思考や感情の表明へとすり替わっている。でも、それに気づかない。

青年 でも、それは、その人の読解が主観的というか、客観性を欠いているからじゃないの?

女 それが、言葉が人をだますってことよ。

青年 なんだって。

女 主観的と客観的。二つの言葉を比べれば、主観的は自分勝手で、独りよがりだけど、客観的は、そうではない。客観的こそ正しい考え方。だから、客観的事実というのは、正しいこと、と言い換えてもいいわよね。

男 それでいいじゃないか。

女 でも、なにかが正しいというのは、結論そのものでしょう。その結論でよいのか、なぜよいのか、そこのところが抜けているんじゃないかしら。

娘 客観的という言葉の中身が何か、ということかな?

女 そうね、自然科学の世界であれば、物理学や天文学の知見を活用して、紫式部が眺めた夜半の月の月齢を客観的事実として提示できるかもしれないわ。でも、その月を見て歌を詠んだ式部の気持ちや、周囲の人々の受け止め方なんて、わかるはずもない。

男 そんなことどうでもいいじゃない。分かるはずはない、難癖だよ。

女 でも、歴史上の事実って、みんな、同じようなに、分かるはずのないものでしょう。

青年 不可知論ってわけ?

女 そうじゃないの。歴史の研究は大事だし、厳格な史料批判などを通して豊かな知見がもたらされているとは思う。でも、そういう歴史研究も、過去の人々ではあっても、同じ人間なのだから、最低限、理解し、推量できる部分があるはずだ、という前提があるんだと思うわ。

青年 了解可能性みたいなこと?

女 さあどうかしら。でも、歴史家も、頭の中には、数式と数値ではなく、日本画や英語や中国語といった言葉が充満しているんだと思うわ。そうであれば、主観と客観の区別と言っても、単純なものではないはず。

青年 それはそうだけど、歴史というのは、物語ではなくて、歴史事実の積み重ねであるべきでしょう。

女 それもどうかしら。よく、歴史の流れとか、社会の動きとかいうけど、川の水が流れるとか、工作機械が動くみたいなのと違って、比喩に過ぎないの。もちろん、物事を理解したり、伝達したりするための上手な嘘とでもいうべきもので、知的な価値は否定しないわ。でも、歴史事実というのは、それを発見する人の言葉の働きと切り離せないはず。

青年 主観的であっていいというの?

女 そうではないの。客観的な歴史事実なんて、放射線炭素年代測定法で年代を特定できるマンモスの牙みたいに、地中深く埋まっているわけではないの。

青年 そんなことは、分かってるよ。

女 そうかしら。客観的な歴史事実なるものを追い求めるあまり、先人の言葉に耳を傾けることを軽視していないかしら?

青年 耳を傾ける?

女 そう。私たちは『本居宣長』の本文の意味するところに迫ろうと、「自問自答」を組み立てたうえで、小林先生の声を聴こうとするでしょう。古い文の意味を知り、歴史に迫ろうとすることは、それと同じようなことじゃなくて?

青年 先人の声が聴こえてこないかと、耳を澄ますとうわけ?

女 少しは感じをつかんでいただけたかしら?

青年 主観を通じて客観に迫るってことかな。

娘 なんか、すかしてるね。

女 せっかくつかみかけたのに、そういう現代的な言葉づかいで分かったつもりになるから、元に戻ってしまう。それだけ、言葉の力が強いということかしら。

娘 自分の言葉に酔って元に戻っちゃう。帰ってきた酔っ払いだね。

女 酔っ払いに失礼だわ。

 

青年は不服そうだが、四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

「批評家貫之って誰?」(対話ふうに)

女 今度の山の上の家の塾、あなた発表の当番よね。自問自答のテーマは?

男 「貫之が批評家であるとは、いかなる意味か」だよ。

女 ああ、あの箇所ね。小林秀雄先生は、紀貫之について、「やはり、彼の資質は、歌人のものというより、むしろ批評家のものだったのではあるまいか」(新潮社刊『本居宣長全作品』第27集306頁)とおっしゃっている。どうしてここ選んだの。

男 批評家という言葉は、やはり気になる。『本居宣長』という本を読む上で、一つの鍵になる言葉かもしれないと思ってね。

女 そうね、小林先生は、別のところで、(宣長という)「この大批評家は、式部という大批評家を発明したと言ってよい」(同上146頁)とも、書かれているわね。

男 だからさ、小林秀雄という大批評家が貫之という大批評家を発明したといってよい、なんてね。

女 あなた、そんな駄洒落みたいなことでいいと思ってるの。

男 厳しいな、どうしてさ。

女 小林先生ご自身は、いま私たちが普通に使う意味での批評家だけれども、貫之が批評家であり、式部が批評家であり、宣長が批評家であるというのは、それぞれ、小林先生が、考え抜いた末に述べた言葉でしょう。「発明した」という言葉にも、何か含みがありそう。そういう、それぞれの文脈を抜きに、単純に同じ意味とは考えられないわ。

男 それぞれの文脈が大事なのは分かるけれど、その上で、同じ言葉を使ったようにも思うんだけど。

女 そうかしら。でも、こういう抽象的な議論はだめね。具体的に、貫之について、あなたの答えはどうなの。

男 要点は、貫之は、『古今和歌集』の『仮名序』において、和歌論を和文で書くことに成功した、ということだと思う。

女 文を書いたから、批評家だというの。

男 和歌を詠むのではなく、和文を書いて歌を論じたわけだから。

女 歌と文とは、そんなに違うの。

男 それはそうさ。和歌はもともと声を出して歌うものだけど、和文は黙って目で読むのだから。

女 文字の有無が問題なの。

男 うん。我が国には、固有の言葉はあっても、それを表す文字がなかった。だから、大陸由来の漢字を転用して使っていた。

女 万葉仮名ね。でも、和歌以外の言葉も、万葉仮名で表せば同じことじゃないの。

男 なんだって。

女 文字がもたらされる前だって、「その先はがけで危ない」とか、「初霜が下りたらこの作物は急いで刈り取る」とか、情報伝達のための言葉はあったはずでしょう。散文的、とでもいうのかしら。これは別に、貫之さんの発明品じゃないわね。

男 まあ、それはそうだけど。

女 もちろん、太古の昔のそのまた昔、ヒトという生物がコトバを獲得した時点にまで遡れば、思いのたけを振り絞るような、感情の表出とも意思の伝達ともつかぬ、声やら身振り手振りやらの混淆した何かが、言葉の源だったかもしれないわね。そういう光景を、言葉は歌として生まれた、なんていうこともできそう。でも、『万葉集』が編まれたころには、まがりなりにも国家なるものが成立していて、いろんな出来事を記録するための言葉の使い方もあったはずでしょう。

男 そうだね。だから、『万葉集』にも、歌そのものとは別に、題詞や左注として、作歌の場所とか経緯とか、作者についての説明とか、補足情報みたいなものが書かれているよね。でも、それらはみんな、漢文なんだ。

女 それが不思議ね。

男 話し言葉と書き言葉の間には、大きな隔たりがあるということかな。だから、初めてそれを乗り越えて、和文で自分の言いたいことが書けた貫之さんは偉い、そういうことじゃない。

女 貫之さんが偉いのは、その通りだけど、それだけじゃ、貫之さんの資質は批評家のものだった、ということにならないわ。

男 また厳しいね。そうだな。小林先生は、「言葉が、音声とか身振りとかいう言葉でないものに頼っている事はない、そういうものから自由になり、観念という身軽な己れの正体に還ってみて、表現の自在というものにつき、改めて自得するという事がある」(同上309頁)と仰っている。表現の自在っていうくらいだから好きに書けばいいのに、なんて思っちゃうな。

女 そこよね。『万葉集』の編纂者たちは、題詞や左註を、外国語である筈の漢文で自由に書くことが出来た。これもすごいことだけど、でも、それだけの能力のある人たちが、和文を書くことはしなかった。

男 できなかったということ? でも、なぜだろう?

女 それが、和文の「体」ということかしら。

男 「体」というのは、文体みたいなことかな。

女 その辺は、私も、正確につかんでいるわけではないけれど、もっと根本的な、書き言葉の型みたいなもののことじゃないかしら。夏目漱石が、言文一致の現代書き言葉を作った、なんていうでしょう。

男 それは聞いたことがある。理屈はよくわかんないけど、実際、漱石は読めても、樋口一葉なんて歯が立たない。

女 それはあなたご自身の問題が、あっ、ごめんなさい、話を戻すわね。作者一人一人のスタイルの違いというより、もっと根本的な、書き言葉の型のようなものが必要なのじゃないかしら。貫之の『仮名序』によって、その型が生まれた。

男 なるほどね。でも、さっきの意趣返しじゃないけど、『仮名序』に何らかの型を見いだせるとしても、それだけじゃ、貫之が批評家であるという意味は明らかではないよ。

女 そうね。むしろ、「論文が和風に表現されたのは、これが初めてであった」(同上308頁)というところにヒントがありそうね。

男 和風に表現する、というところ?

女 ええ。表現するためには、形式がいる。小林先生は、「貫之は、自分で工夫し、決定した表現形式に導かれずに、何一つ考えられなかった筈である」(同上308頁)と書かれているでしょう。

男 表現形式なんていうと、なにか、出来合いの鋳型みたいなイメージがわいてしまうけど。

女 そうじゃないの。自分の考えを導いていく筋道というか、自分の考えをまとめることと、それにふさわしい言葉を与えることとが、表裏一体になっている。そういう働き全体が、「自分で工夫し、決定した表現形式」なのじゃないかしら。

男 それが、「和歌の体」に対応する「和文の体」ということなのかな。

女 湧き上がる思いがあってもそれがそのまま歌になるわけではない。歌として完成するためにはそれにふさわしい表現形式を持つ必要があるでしょう。そういう和歌の体があってこそ、歌に込められている思い自体がはっきりと見えてくる。

男 和文については、どうなるのかな。

女 から歌とやまと歌の違いについては、『万葉』のころから、なんていうのかな、言わずもがなの機微として、歌人たちは分かっていたはずよね。そのあたりの微妙なところを、貫之は、「やまと歌は、人の心を種として」と書いた。

男 ああ、そうか。貫之がそういうふうに書けたということは、そういうふうに考えることが出来たということでもあるんだね。それが批評というわけか。

女 ええ。貫之は、「和歌では現すことが出来ない、固有な表現力を持った和文の体」(308頁)を作り出すことによって、歌を詠むのではなく、詠むことについて深く考えて、表現した。そのとき、考えることと表現することとは、混然一体で、切り離すことはできないのね。

男 すると、こうかな。心の中の思いとしては、似たような事柄が浮かんだり消えたりするかもしれないけれど、その思いにふさわしい姿かたちを与えられるかどうかは別のことなんだ。だからこそ、和歌にとって「和歌の体」が肝心であるのと同じ意味で、和文にとっては「和文の体」が決定的なんだね。ずいぶん頭が整理された気がする。ありがとう。

女 でも、自問自答を三百字で書けるかしら。きちんとした和文の体で。

男 とことん厳しいなあ。でも、書いてみることにするよ。

(了)

 

「楽屋落ち」

いつもながら、『本居宣長』を片手におしゃべりする四人の男女。今日は、どうだろう。

 

凡庸な男(以下「男」) 年末年始の休みに、テレビを見ていると、お笑いの人たちが内輪話で笑いを取っているのが結構多くて、普段、テレビもYouTubeも見ないロートルには、ちょっと疎外感があったなあ。

元気のいい娘(以下「娘」) ロートル?

江戸紫が似合う女(以下「女」) お年寄りのこと。もう死語ね。そういう言葉遣い自体、語るに落ちというか。

男 はいはい。分かりました。どうせ、感覚の古いジジイでございます。でも、楽屋落ちばかりというのは、どうかなあ。

生意気な青年(以下「青年」) 僕らでも、ちょっと鼻につくことはありますよ。

女 楽屋落ちというのは、江戸時代に書かれた歌舞伎の台詞にもあったりするらしいわ。当時の役者さん同士の楽屋話。今の人は分からないけれど、当時の観客には通じていて、きっと受けていた。

男 もちろん、生真面目なお芝居のところどころに、笑わせる場面を挟むのはよくあることだけど、楽屋話が受けるのは、本来そういう話題は出てこないはずの舞台の上で禁を破ってしまうところに、ドキリとか、ニヤリとかさせる面白さがあるわけでしょう?

青年 舞台と楽屋は、本来峻別されている、ということですかね。

娘 じゃあさ、和歌の楽屋入りってのは、どうゆうこと?

青年 えっ?

娘 「才学に公の舞台を占められて、和歌は楽屋に引込んだ」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集302頁)ってあるじゃない。

男 ああ、それはね、「極端な唐風模倣という、平安遷都とともに始まった朝廷の積極的な政策が、和歌を、才学と呼ばれる秩序の外に、はじき出した」(同上299頁)、その結果、和歌は「私生活のうちに没入した」(同上302頁)ということだよ。

青年 大陸の先進文明を必死で取り入れていた時代だからね。律令制とか仏教による鎮護国家みたいな統治のあり方ばかりでなく、今でいうテクノロジーやハイカルチャーの全体が大陸から流れ込んできて、支配層、知識階級の人々は、それを漢文、つまり外国語文献で学び、さらに自分たちも漢文を使いこなすようになった。自分の気持ちを漢詩で表すこともできた。

娘 それでも、国語は生き残ったのでしょう。

男 歴史を紐解けば、征服王朝で、被支配階級に、かつての被征服民族の言葉が残っているとか、珍しくはない。

女 そういうのとは、ちょっと違うと思うわ。支配層自身の問題でもあったのでしょう。だからこそ、「和歌は楽屋に引込んだので、何処に逃げ出したわけではない」ということになるのだわ。

娘 ああそうか、楽屋といえども、劇場の不可欠の一部だものね。そこにとどまった。

青年 この話は、和歌に限らないと思う。大陸由来の文明の様々なパーツを、有用なものとして、賞味したいものとして、あるいは外国に伍していくため必要なものとして、そっくりそのまま受け入れていったよね。そうやって、先進文明にキャッチアップしていくんだけど、それは、人々の心の中にまで及ぶものではなかった。おおやけわたくしという言葉遣いをすれば、支配層を含む文明全体として、わたくしの世界には、古来の、日本語の世界が残ったんだね。

娘 どこかで聞いたね。

男 『本居宣長』第二十五章で出てきた大和魂についての話だね。

娘 というと?

男 『源氏物語(乙女の巻)』で源氏君が「なほざえを本としてこそ、大和魂の世に用ひらるゝかたも、強うはべらめ」と言う(同上278頁)。小林先生は「才が、学んで得た智識に関係するに対し、大和心の方は、これを働かす知慧に関係するといってよさそう」(同上279頁)と書かれているね。

青年 しかも、大和心とか大和魂の「当時の日常語としてのその意味合は、『から』に対する『やまと』によりも、技芸、智識に対して、これを働かす心ばえとか、人柄とかに、重点を置いていた言葉として見てよいように思われる」(同上281頁)と論じている。

女 外国語と日本語の対立というより、漢文に代表される外来文明は消化済みであることを前提とした上で、人々の内面における公式の知識体系と心情的、感情的なものとの軋轢やすれ違いから生まれた言葉のように思えるわ。

青 だから、表舞台は才学でも、楽屋に戻ればやまと心みたいな、使い分けというか、支えあいみたいなものになったんだね。

娘 で、楽屋に引込んだ和歌は、その後どうなったわけ? 「私生活のうちに没入し」、「日常生活に必須の物」として「生活の一部」となったと書かれてるけど(同上302頁)、どういうこと?

青年 さっき、出てきた源氏君の言葉。あれは、学問という土台があってこそ大和魂を世間で強く働かせることが出来るという趣旨で、直接には、学問つまり公式の才を推奨するものではあるけれど、決して、公式の才と大和魂に主従があるという意味ではないよね。少なくとも、世間を渡っていくため大和魂が必要不可欠の存在であるとはいえる。和歌もまた、人々の暮らしに必要不可欠のものであった。

女 そうね。「和歌の贈答がなければ、他人との附合を暖める事もかなわぬ、それどころではなく、恋愛も結婚も出来ない」(同上)ということは、日々の暮らしの中で、思いを巡らし、心を砕くべき事柄について、言葉にして表そうとすると、それは和歌であったということじゃなくて?

男 人間関係というのは、書物に書かれた規則や先例を当てはめれば事足りるというものではないからね。

青年『古今集』に収められた歌は、『万葉集』の直情的な歌風に比べ技巧的だから、生活から遊離していたなんて人もいるけど、むしろ逆なんだね。

女 和歌は、公式の場面では使われなくなったけれど、人々の人間関係の機微を調ととのえるすべとしては、存分に働いていた。まさに大和魂の発揮の場所だったのね。

男 時代の経過とともに、和歌の表現の技法も、おのずと洗練されていくだろうね。

青年 技巧の洗練が、ついには、「叙事でも、抒情でもない、反省と批評とから、歌が生まれている」(同上303頁)いうことになったのかな? 

女 単なる技巧の話ではないと思うわ。日常生活の、さらに人生行路の種々の局面で去来する思いは様々なものがあるけれど、それを表すものが和歌しかないとして、和歌にどれほどのことが盛り込めるか、いろんな試行錯誤があったんじゃないかしら。

男 事績や自然の有様を述べたてる叙事の歌や、喜怒哀楽の感情をくみ取り表す抒情の歌は、和歌の最も普通の姿かもしれないが、それだけでは物足りないということだよね。

娘 じゃあ、反省と批評って、どんなこと? 

女 それは難題で、直接には答えられないけれど、少し考えていることはあるの。

娘 どういうこと?

女 歌を詠もうとして、複雑で陰影に富む感情のひだのようなもの、喜怒哀楽といった感情の定型に収まりきらないもの、そういう歌にうまく盛り込めないものが出て来る。作歌の過程で、そういう微妙な何かに、思いをはせることがあるのではないかしら。

娘 微妙な何か?

女 たとえば悲しいことがあったとして、悲しみに打ちひしがれるだけではなくて、悲しんでいる自分を眺めるもう一人の自分がいるのを感じたり、自分の悲しさについて人々が経験し共有してきた悲しみの記憶と引き比べてみたりすることがあるかもしれない。

男 自分の内面を見つめ直すということかな。

女 ええ、でも内面のことだけではないわ。歌を詠むという行為は、あの微妙な何かを直截には表していないかもしれないけれど、読めばその何かを思い起こさせるような言葉の連なりを目指している、そんな気がするの。

青年 歌にどういう姿を与えるかが、作者の内面に跳ね返ってくるし、歌を読む側の心中にどんな波を立てるのかも、それによって変わってくるんだね。

娘 そうか。和歌がそんな風に「出直」し、「己れを掴み直」したというのも(同上303頁)、大和心の働きなんだね。

女 そうね。よく、「古今集」は「手弱女たわやめぶり」だなんていうことがあるけど、そこじゃないのよね。

娘 そこじゃないって?

女 『古今集』を読んでいけば、手弱女を連想させるような繊細可憐な歌を見つけられるかも知れない。その人の好みでね。でも、大事なのは、そこじゃない。

男 「やまと歌は、人の心を種として」という、『古今集仮名序』の話かな。

女 ええ、でも、それは別の機会にしましょう。

 

男はちょっと物足りなさそうだが、四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

勝手にしやがれ

いつもながら、『本居宣長』を片手におしゃべりをする四人の男女。今日は、どうだろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 甥っ子がさ、保育所から帰ってきて、こんなこと言うんだ。「ユータにもバーバがいる」って。すごく驚いた様子なんだ。

凡庸な男(以下「男」) どういうこと。

娘 ゆうた君というのは、甥っ子の仲良しなんだけど、保育所で会うだけでしょ。甥っ子は、親が迎えに来てうちに帰れば、優しいばーばが待っている。で、うちにいる間は、ゆうた君のことは忘れちゃう。

男 小さいなりに、ゆうた君と、世間話みたいなことするようになったのかな。うちのばーばーがさあ、みたいな。

娘 ちょっとちがうんだ。甥っ子の知らないところでも、ゆうた君には家族がいて生活があるということに、驚いたみたいなんだ。

江戸紫が似合う女(以下「女」) ああ、そうか。ゆうた君は、甥っ子くんに見えている世界の登場人物、テレビの画面で動き回るけどスイッチを切れば消えてしまうアンパンマンみたいなものじゃなくて、自分と同じように、自分と関係なく、生きていることに気づいたということね。

生意気な青年(以下「青年」) 他者の発見ということだろうか。

女 さあ、どうかしら。でも、もう少し大きくなると、自分の見ている世界と、ほかの人が見ている世界が、本当に同じだろうかなんて、悩むというか、怖くなったりする時期もあるのよね。

男 でも、まあ、大人になると、他人のはらのうちなんか分りようもないけど、それは仕方がないことで、まあなるようになるだろうって思うようになる。

青年 呑み屋に行けばおっさんたちがわーわーしゃべってるけど、はたで聞いてると、同じ言葉を同じ意味で使っているとは限らないね。

娘 それでも、何か通じ合うものはあるんだよ。ボクらの女子トークでも、カワイイとヤバイが飛び交うだけみたいだけど、決してすれ違いじゃない。

女 小林秀雄先生も、こんな風におっしゃっているわね。「談話を交している当人達にとっては、解り切った事だが、話のうちに含まれて変わらぬ、その意味などというものはありはしないので、語り手の語りよう、聞き手の聞きようで、語の意味は変化して止まないであろう。私達の間を結んでいる、言語による表現と理解との生きた関係というものは、まさしくそういうものであり、この不安定な関係を、不都合とは誰も決して考えていないのが普通である」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集268頁)。

青年 不安定な関係か。なるほどね。日頃眼にする光景なんかでも、たとえば、雨雲の不気味な感じとか、誰かがつまずいたときの身体の奇妙な動きとか,言葉で表現するのは難しいよね。そのときどきの自分自身の思いだって、ピッタリとした言葉が見付かるわけじゃない。

女 でも、言葉ぬきに、目の前の出来事を理解したり、自分の気持ちを自覚したりすることはできないでしょう。

男 だからそこは妥協してんだよ。当たらずと言えども遠からず、持ち合わせの言葉で間に合わせるしかない。みんなが詩人になれるわけではなし。

女 そうかしら。身振り手振り、表情や声色,間の取り方などで,相手に伝わる中身は,千変万化じゃなくて? もちろん、話し手と聞き手の間にずれはありますわ。でも通じるの。小林先生は、「その全く個人的な語感を、互いに交換し合い、即座に翻訳し合うという離れわざを、われ知らず楽しんでいるのが、私達の尋常な談話であろう。そういう事になっていると言うのも、国語と言うおおきな原文の、おおきな意味構造が、私達の心を養って来たからであろう。養われて、私達は、暗黙のうちに、相互の合意や信頼に達している」と書かれている(同上)。

娘 でも、ずれはあるから、同じ言葉にいろんな意味が詰め込まれ、変化するんだね。

男 言葉は便利な道具だから,みんな工夫して使う。連想ゲームのような,物のたとえとして言葉を使い,それが,広く受けいれられれば,新しい意味を持つようになるんじゃないかな。顔にある「くち」という言葉は、きっと原始のころからあったんだと思うけど、土器を作るようになれば、瓶の口という言い方が出て来る、物事の始めと言う意味で、口火を切るなんて言い方も生まれる。まあ、全部勝手な想像だけどね。こんなふうにして,言葉が新しい意味を帯びるようになる。

青年 転義ということだね。

娘 小林先生も書いてるよね、「古事記」の訓詁をするに際し、「宣長が着目したのは、古言の本義よりもむしろその転義だった」って(同上271頁)。

青年 ちょっと不思議な感じがする。「古事記」が書かれた当時の、あるいは、天武天皇が稗田阿礼に語り聞かせた当時の言葉の使い方を、スナップショットを撮るみたいに再現できれば、それがベストだろうに。

女 小林先生は、その辺りの宣長さんの考え方を、「古言は、どんな対象を新たに見附けて、どのように転義し、立直るか、その現在の生きた働き方の中に、言葉の過去を映し出して見る人が、言語の伝統を、みずから味わえる人だ。そういう考えなのだ」(同上)と書かれているわ。

男 考古学者が遺跡を発掘し、出土品を吟味するようなやり方で、文字として記録されていない頃の言葉の意味を探求しても、実りはないということかな。

娘 だから、宣長さんは、「国語というおおきな原文の、おおきな意味構造」に期待を寄せたんだろうね。

男 小林先生は、「言葉の生き死にとは、私達の内部の出来事であり、それは、死んで生まれ変るという風に言葉を用いて来た私達の言語活動の歴史である」と書かれているね(同上270頁)。

女 言葉って、普段何気なく使っているけれど、長い時間の経過の中で、人々の生活と相連れ添って、様々に変化していき、その積み重なりのようなものが凝縮している。宣長さんは、きっと、古言が、どのような生き死にを繰り返して今に至ったか、逆に振り返ってみようとしたのですわ。

娘 振り返るの?

女 それは、たぶん、「人間経験の多様性を、どこまで己の内部に再生して、これを味うことが出来るか、その一つ一つについて、自分の能力を試してみる」(同上351頁)ということじゃないかしら?

娘 味わうことが出来るかどうか、ここが大事なんだね。

女 そうね。言葉と人々は、そういう関係にある。人々の生活が時とともに変化するように、言葉も姿を変える。でも、人間のそもそもの在り様にも、言葉という巨大な構造体にも、原始以来変わらぬものがある。だから、分る人には分かる、古人の声が聞こえてくるはずだ、このようにして古意を得るに至るのだ。こういうことじゃなくて?

男 それが、先生のおっしゃる「古人が生きた経験を、現在の自分の心のうちに迎え入れて、これを生きてみる」(同上350頁)ということなんだね。

娘 そうすることによって、「過去の姿が歪められず、そのまま自分の現在の関心のうちに蘇って来ると、これは、おのずから新しい意味を帯びる、そういう歴史伝統の構造を確める事が、宣長にとって『古へを明らめる』という事であった」(同上第350頁)というわけか。

青年 でも、過去の姿を歪めてないなんて、そんなこと言えるの?

女 それはむずかしいわ。

娘 無私ということかな。

青年 それもさあ、私は無私であるなんて主張自体が、なんか矛盾をはらんでるよ。

男 それで、よくいう主観的な解釈ってことになってしまう。やはり、客観性というものが必要だよ。

女 そうかしら。客観的というのは、尺度が自分勝手ではないということでしょう。その限りで、主観的ではない。多くの場合、社会的な、あるいは一定の専門家集団の中での、共通理解とでも言うのかな、ある種の通念を尺度としている。私達の日常生活の大半は、それで事足りているんだけど、宣長さんが取り組んだような、「古事記」の訓詁みたいな世界は大違いね。

青年 なんで? 宣長さんのやったことも、学問なのでしょう?

女 共通理解として承認された尺度を当てはめることに際し、個々の事物や事象が帯びている微細で偶発的な差異は、理論上の意味がないものとして捨象される。そういう学問も、人類の大切な知的財産ですわ。でも、歴史はどうかしら。大昔の人でも、与えられた状況の下、その人なりの決断で事に処していたわけでしょう。いまふうにいえば、自由な行動の主体なのですわ。宣長さんの「古事記」の訓詁は、古人の生活や感情を再現しようとする学問だった。だからこそ、客観的な尺度なんかに頼れなかった。

男 歴史なんてのは、実験できるわけじゃないし、再現性のある事象を扱ってるのではないから、自然科学で言うような客観性とは異質なのはわかる。でもなんか釈然としないなあ。

女 そうね。難しいわ。さっき、小林先生の、人間経験の多様性を己の内部に再生してこれを味わうという部分を引用したけれど、そういう作業を進めれば、自分は、或るものに共感するが他の或るものにはそうではない、というように、自分の個性と言うか、限界が見えて来る。こういう作業を繰り返し、突き詰めていけば、我がこととして語れるのはこれだと言えるような域に達する、こういうことかしら?

娘 我がこととして?

女 そう。対象を分析評価して結論を導くのではなく、思い出が記憶の奥底から浮かび上がって来るみたいに、何かが見えて来る。それを我がこととして語る。

男 そういえば、先生は、別のところで、「思い出すという心法のないところに歴史はない。それは、思い出すという心法が作り上げる像、想像裡に描き出す絵である。各人によって、思い出す上手下手はあるだろう。しかし、気儘きまま勝手に思い出す事は、誰にも出来はしない」と書かれている(同上117頁)。

青年 でも、思い出す心法というのも、よく分からない。各人の想像理に描き出すなら、気儘勝手なものに決まってる。

女 そういう心法がどんなものなのか、私にもよく分かりませんわ。ただ、宣長さんは、ことばこころを別々には考えなかった。何か言いたいことがあって、それを表現するために一定の文字列を対応させるルールがあり、その文字列が詞だ、とは考えていない。その詞の姿かたち自体に、意味内容が宿っているのね。そして、国語という巨大な意味構造も、一つ一つの言葉が背負っている転義の歴史も、個々の人間では、どうにも動かしようがないものでしょう。その上で、詞に向かい合うわけだから……

青年 なるほど、気儘勝手というのは言いすぎかな。でも、そこから先はどうだろう。思い出す上手下手っておっしゃるけど、僕らはどう考えればいいのさ?

女 そうね、とっても難しい。もっと、先生のご本に向かい合わないと、いけないわ。

男 下手な考え休むに似たり、なんちゃって。

娘 ケッ、勝手にしやがれ。

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていく。

(了)

 

木と語るひと

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する四人の男女。今日は、どうだろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 法隆寺のクラファンがバズってるんだってね。

凡庸な男(以下「男」) 二〇〇〇万円の募金目標をあっという間に超え、億に達するというから、すごいね。さすがに、日本が誇る世界最古の木造建築物だ。

娘 でさ、法隆寺の宮大工の人のお話、読んでみたんだ。

生意気な青年(以下「青年」) ああ、西岡常一つねかずさんだね。どうだった。

娘 やばい! カンドーしちゃった。小林秀雄先生の『本居宣長』を、初めて、二・一周したときに、あっ! と思ったのとおんなじ感じがした。

青年 なんだい、その二・一って?

娘 三周目に入って、五章末に差し掛かったってことさ。

男 その、二周とか三周とか、トラック競技でラップタイム計ってるんじゃないんだから、ちょっと失礼じゃないの。

娘 そうかなあ。正直さ、『本居宣長』って、最初はちんぷんかんぷんで、いやになりかけるんだけど、周りのオジサン、オバサン……

一同 ん?

娘 あっ、おにいさま、おねえさまから、とにかく読み続けなさい、何度も読みなさい、って言われるでしょ。最初はさあ、またあの読書百遍どうのこうの、ちょーアナログのお説教かと思うじゃん。でも我慢して、五十章までの通読を二回クリアして、三回目に入る。

青年 うん。

娘 でさ、五章の末尾、「契沖は、既に傍に立っていた」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集第67頁)で、あっと思った。『本居宣長』という長い長いお話の真ん中に、宣長さんや小林先生が白い光を帯びて立っていて、ボクの方では、安心して、その周りを、何周も何周も回っていればいい、そんな気がしたんだ。

男 光を帯びて立っているって、どういうことかな?

娘 SF映画みたいだけど、時空を超えてやってきた存在、まばゆい光にシルエットが浮かぶ人物像、みたいなね。そのときは、この難しい本も、なんとか読み続けられそうだって思った。宮大工さんの本読んで、そのときのこと、思い出したんだ。

江戸紫が似合う女(以下「女」) 『木のいのち木のこころ<天・地・人>』(新潮文庫)というご本ね。「天の部」が、西岡常一さんのお話ね。法隆寺金堂、法輪寺三重塔、薬師寺の金堂や西塔の復興を果たした方で、「最後の宮大工」と言われているわ。

青年 それがどんなふうに、『本居宣長』と関係しているわけ?

娘 「関係」とかいうことじゃなくて、ボクにとっては、おんなじ体験だったってことさ。

青年 どういうこと?

娘 法隆寺って、一三〇〇年くらい前に建ったんでしょう。「それもただ建っているいうやないんでっせ。五重塔を見られたらわかりますけど、きちんと天に向かって一直線になっていますのや」、「しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、かんなをかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや」、「こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ」(同上書30頁)っていうんだよ。

男 へーん。そういう、その道を究めた職人さんの話って、面白いよね。私も読んでみようかな。

娘 西岡さん、木を通じて、昔の人と対話してるんだ。

男 木を通じた対話?

娘 こんなふうに言うんだ。「解体修理をしてますと、いろんな時代の木に触りますが、昔の人の木の使い方、木に対する考え方がわかってきて、おもしろいもんでっせ」とか、「創建以来、何回も、さまざまな時代に大規模な修理がされていまっしゃろ。そこに使われた古材を見ていますと、時代によって木や建築に関する考え方の違いがよくわかりますのや」とか(同44頁)。

男 へーん、面白いもんだね。

娘 ボクには、西岡さんが、白い光を帯びて現れたんだ。

青年 訳が分からない。どういうこと?

娘 西岡さんの眼には、古代から近世に至る歴代の職人の仕事ぶりが見えるらしい。飛鳥の工人は木の性質をよく知っていて、力強く、組み合わせもよく考えられている。「これが室町あたりからだめになってきますな。まず、木の性質を生かしていない」から腐りやすく、すぐに修理がいる。「ひどいのは江戸ですわ。慶長の修理に至りましては、いやいややったのがよくわかります」そういう「江戸のころの修理や木の扱いを見ていますと、考えが現代に似てすさんでいますな。木は正直でっせ。仕事は残るんですわ」(同45,46頁)。こんな感じ。

女 素敵なお話ね。

娘 なんか、千数百年の月日の間に働いた職人たちが、いや、もっとだな、飛鳥人が材料に用いた樹齢二〇〇〇年の檜の種をまいた古代人の話なんかしてたから、そういう何千年もの歴史が西岡さんに乗り移ったみたいなんだ。

女 ああ、それで、西岡さんが白い光を帯びるというふうに。なんとなく分かったわ。

青年 ピンとこないなあ?

女 西岡さんは、あくまで、目の前にある木材を見つめ、触り、それでいて、その向こう側にいる往時の工人たちと会話しているのでしょう。

娘 そうなんだ。あのときはこうだったんですよ、みたいに話してくれる。

女 西岡さんの目には、「日本書紀」巻第一の素戔嗚スサノオノミコトの段から、昭和平成の大修理に至るまで、寺社建築のあらゆる事柄が一望に見渡せていたのではないかしら。

青年 それは要するに、知識が豊富だったということでしょう。

女 そうではないの。建築史家のように、過去の建築様式や建築技法を、客観的に認識し、分析し、ある体系のもとに記述する、ということではないの。なんていうのかしら、語られている寺社建築の歴史、もっといえば、山の木々と人々の長い付き合いの歴史が、西岡さんご自身の技や経験と分かちがたくて、西岡さんが歴史を語っているのだけれど、その西岡さんが歴史の中に溶け込んでいるようにも感じられるのね。

男 それを、時空を超えた存在と言いたいんだね。

娘 言いたいっていうか。ボクにはそう見えたということ。そして、これは『本居宣長』とおんなじだって思ったんだ。

青年 随分、また、飛躍するね。

娘 ボクの思い込みであることは認めるよ。でも、ボクにはそれが大事なんだ。『本居宣長』って、最初読んだときは、むずかしい引用が多くて、読んでいて、いったいどこまで読んだのか分かんなくなる。とにかく不安で、深くて暗い森を抜けだしたい一心で、頁を繰っていた。

男 よくわかるな。結局、何にも覚えてなかったりしてね。

娘 二周目には、ところどころ理解できそうなところも出て来て、線を引いたりして読むんだけど、お話が、歴史上の色んな時点を行き来するし、議論のテーマもあちらへ、こちらへと動き回るようで。

男 目が回るようだよね。振り落とされずについていくのが大変だ。それで、三周目に入るわけね。

娘 そう。さっきいった「契沖は、既に傍に立っていた」のところで、ああ、そうなんだ、この人たちがここにいたんだ、と気づいた。

青年 この人たち?

娘 宣長さんや小林先生が白い光を帯びて立っていたんだよ。

女 それはきっと、このお二人には、時間とか空間とか、関係ないということよね。

男 どういうこと?

女 「古事記」に取り組んだ宣長さんにとって、古の伝え事を唱えた稗田阿礼も、書き記した太安万侶も、何百年も前の研究の対象ではなくて、「古事記」を読み解いていく上での、ちょっと変な言い方だけど、共同作業者みたいなものだったんじゃないかしら。そして、伝え事のなかみも、たとえば原始の人々による神々への名付けなんかも、宣長さんにとっては、観察・分析の対象ではない。

男 自分ごとってやつかな?

女 そうね、だから、自分の言葉で、「古事記」を読み解いていけたんじゃないかしら。

男 ふーん。

女 小林先生も、同じ。本居宣長の人となりを知ろうとして、宣長さんと一緒に「古事記」の世界に沈潜するだけじゃなく、中江藤樹以来の近世の学問の系譜を辿ったり、「源氏物語」から式部の物語論を聴きとったり、賀茂真淵や上田秋成とのやり取りから宣長さんの気持ちを汲み取ったりする。私たちは思わず、その縦横無尽さ、広さと深さに眼を見張り、何処から手を付けたらいいのだろうと戸惑ってしまう。

男 そうそう。

女 でも、こうなのね。宣長さんも、小林先生も、神代の時代にさかのぼって、日本語の歴史を語ってくださっているけど、それは、膨大な知識を自家薬籠中にして、ロジカルに語るというのではない。お二人ご自身が、日本語の長い歴史に入り込み、そこに現れた種々の言語活動に共感し、そのイメージを伝えてくれているのではないかしら。

青年 それをあなたたちは、時空を超えてっていうわけか。

娘 ほの暗い森の奥の奥に潜む隠者じゃなくて、作品の真ん中に輝いて立っているという感じかな。怖がらずに、あきらめずに、ぐるぐる回ってみようって思ってる。

女 ところで、西岡さんのご本の「地の部」は、小川三夫さんというお弟子さんの話なんだけど、「(西岡棟梁は)『自分がわからないとき、わからないから、教えてくれって言うのは失礼なんだ』っていうんだ。質問するときは先に自分の考えを述べる、その大事さを痛いほど教えられた」(同241頁)というお話が出てくるの。

青年 徒弟制の面白いところかもしれないなあ。

女 でもこの話は、また今度にしましょうね。

 

四人の話は、とりとめもなく、延々と続いていく。

(了)