「モーレツからビューティフルへ」

いつものように『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、大団円、第五十章が話題のようだが、銘々、新潮社刊『小林秀雄全作品』の別の巻も持参しているようだ。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 大阪万博に行ったんだって? どうだった。

凡庸な男(以下「男」) うん、イタリア館の入場券が当たってね、カラバッジョにミケランジェロ、なかなかよかった。

江戸紫の似合う女(以下「女」) でも、暑かったでしょう。

男 猛烈な暑さ。「オー、モーレツ」って感じ。

娘 なにそれ、なんかキモイ。

男 (口ごもりつつ)いや、あの、その、昭和のテレビには、えーと、あっ、そうそう「モーレツからビューティフルへ」なんてのがあってね。

女 (呆れながら)有名なテレビコマーシャルのコピーね。前の大阪万博があった1970年かな。私は同時代ではないけど、知っているわ。企業名も、商品名も出てこなくて、ただこの文字列だけが大写しになっている。

生意気な青年(以下「青年」) ビューティフルっていえば、最近だと、トランプ大統領の「私にとって辞書の中で最も美しい言葉(the most beautiful word)は、関税だ」っていうのを思い出しちゃいますね。

男 それこそ、ビューティフルというより、モーレツだ。

女 そういう言葉のいちいちに、眉をひそめて嘆いたりすること自体、術中にはまっているということよ。

娘 でも、美とか、美しいという言葉には、なにかササルものがある。

男 僕らも、小林秀雄先生の勉強を始めようとすると、まず、『美を求める心』を読むよね。

青年 すみれの花のくだりは、はっとさせられるというか、物の見え方が変わった感じで、一度読んだら忘れられないな。

娘 「何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。……菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまう事です。」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第21集246頁)とある部分だね。

 

男 僕らは、すみれは可憐な花を咲かせる野草くらいの認識でいるから、あっ、すみれだ、きれいだな、かわいいな、と思っておしまい。その「きれい」とか「かわいい」とかいう言葉が、花そのものを見ることを妨げているということだね。

青年 「諸君は頭の中でお喋りをしたのです。」(同頁)と書かれている、言葉を使いだすと、頭の中で言葉が言葉を呼び起こす連鎖反応が起き、言葉が自己増殖して、目の前の花に注意がいかなくなるんだね

女 一輪一輪のすみれは、みな、大きさも、形も、色合いも様々だし、陽射しに照らされ、風にそよぎ、ひと時として同じ形態ではないわ。形や色合いといった要素を記録し、それを合算しても、僕が見たあのすみれを再現できるわけではない。あるすみれが美しいというのは、それらのひとそろいの在り様、つまりその姿が美しいということなのね。

青年 小林先生は、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない。」(同、第14集137頁)とも書かれている。

男 『当麻たえま』だね。お能の話、世阿弥の話だから、かなり難しいけれど、この言葉も、一度読んだら忘れられないね、

女 能の姿、形についてのお話ね。

男 というと?

娘 確かに、こう書かれている。「音楽と踊りと歌と最小限度の形式、音楽は叫び声の様なものとなり、踊りは日常の起居の様なものとなり、歌は祈りの連続の様なものになって了っている。そして、そういうものが、これでいいのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えずささやいている様であった。」(同134頁)

女 先生は、能舞台を見るというのは、フィギュア・スケートの審判が、このジャンプは何点、このステップは何点と、分析的に採点し、それを合算して評価を決めるというのとは大違いで、そのときその場で演じられていることの総体、つまりその姿が美しいかどうかを感じ取ることなのだ、とお考えだと思うわ。

男 姿、形か。確かに、能のシテ方はたいてい能面を被っていて、顔の表情は見えない。挙措動作も、生身の役者が演じる現代劇みたいにリアルではないね。

女 人間の心の中の感情や、頭の中の観念は、顔の表情にどうしても現れる。そういう生身の人間の内面は能面の向こう側に閉じ込め、舞の動作や謡の声という外面的なものだけで、能舞台は構成される。その姿こそ観るべきだということじゃないかしら。

青年 言葉に置き換えて解釈するのではなく、対象そのものの姿、形をよく見るべきだというお考えだね。

娘 姿、形といえば、『美を求める心』では、山部赤人やまべのあかひとの歌を例にこう書かれているよ。「歌は意味の分かる言葉ではない。感じられる言葉の姿、形なのです。言葉には、意味もあるが、姿、形というものもある。」(同、第21集249頁)

男 なるほど。僕らの目下の課題である『本居宣長』第五十章では、宣長さんが『古事記』をどう読み、上古の人の生死観にどう肉薄していったかが書かれているけど、宣長さんも、上古の人が語り継いできた言葉の姿、形に注目しているということかな。

女 ええ。たとえば、『源氏物語』の「雲隠れの巻」(巻の名により主人公光源氏の死が示唆されるが、本文はない)について、「何故、作者は、物語から主人公の死を、黙って省略して、事を済まさず、『雲隠れの巻』というような、有って無きが如き表現を必要としたのか、と。言ってみれば、そういう問いを、宣長は解こうとはせず、この問いの姿に見入ったのである。」そして、「宣長は、作者式部の心中に入り込み、これを聞き分けた、と言っていい。」と書かれている(同、第28集197頁)

青年 ああそうか。宣長さんは、式部の書いたことばの意味内容を詮索するのではなく、そのような形(巻の名だけあって、本文がない)そのものから、式部の執筆動機を追体験しようとしているんだね。

女 『古事記』の注解についても、同じよね。

男 たとえば?

女 まず。小林先生は、宣長の学問において、(この世に生まれて来た意味なり価値なりの意識を)「引き出し、見極めんとする彼等の努力の『ふり』が、即ち古伝説の『ふり』である。」と書かれているでしょう(同、203頁)

男 うん、それで。

女 人間の生死の始まりについての物語りともいわれる黄泉よもつ比良坂ひらさかの場面(注)、とても有名よね。

娘 うん、「火の神を生んで死んだ伊邪那美命いざなみのみことを追い、黄泉の国へ行った夫の伊邪那岐命いざなぎのみことは、変わり果てた伊邪那美命を見て逃げ帰ろうとする、伊邪那美命は追うが、黄泉比良坂で伊邪那岐命は千引石を引き据え、追跡を断つ」(同204頁脚注)という場面だね。

女 このとき、伊邪那美命が千引岩ちびきいわの向こう側、つまり伊邪那岐命が帰ろうとする現世のことを、「みましくに」と呼ぶ。宣長はこれに、そもそも女神自らお生みなさった国のことを「かくよそげにのたまう、生死いきしにへだたりを思えば、いと悲哀かなし御言みことにざりける」という注を付けたのね。

男 どういうことかな。

女 小林先生は「宣長の直覚には、沢山な『詞』が必要ではなかったであろう。女神が、その万感を託した一言に、『天地の初発の時』の人たちには自明であった生死観は、もう鮮やかに浮かび上がってきたに違いない。」と書かれている(同、205頁)。宣長さんの眼前には、「みましくに」とのたまわれた女神の姿が、そしてその涙がまざまざと現れ、上古の人々の生と死に関する思いを追体験することができた、ということじゃないかしら。

娘 小林先生は書かれているね。「死は『千引石』に隔たれて、再び帰ってはこない。だが、石を中においてなら、生と語らい、その心を親身に通わせてくるものなのだ。上古の人々は、そういう死の像を、死の恐ろしさの直中から救い上げた。」そして、「宣長の洞察に依れば、そこに『神代の初めの趣』を物語る、無名作者たちの想像力の源泉があったのである。」(同、207頁)

女 宣長さんが『古事記』の言葉の姿、形から上古の人々の想像力の世界を追体験したように、小林先生も、宣長さんの注解の書きぶりから、宣長さん自身の生死についての思いを読み取ったということだわ。

娘 石を中に置いてなら、生と死との語らいが可能だなんて、ヤバくない!

男 宣長さんの遺言書も、死と生のあわいに置かれた石のようなものなのかな。

青年 小林先生は、宣長さんの遺言書を「彼の最後の自問自答」と書かれている(同、209頁)。宣長さんは、どういう問いを立て、それにどう答えているのかなあ。

娘 上古の人たちへのメッセージかなあ?。

女 小林先生は、遺言書の書きぶりから、そして宣長さんが学者として生きてきた姿から、何かを、私達にはまだ見えない何かを、読み取っていらっしゃるようね。この『本居宣長』というご本自体が、宣長さんに向けた、先生の自問自答なのかもしれないわ。

青年 でも、最後は、なんか、もういっぺん読んで欲しいとか、突き放されているみたいだな。

女 そうかしら。私達も、このご本を何度も読み返して、自分なりの自問自答を繰り返していけばいいんだわ。

娘 その自問自答が難しいんだなあ。

女 そうね、でも、私たち、いろんなお喋りしてきたじゃない。

男 モーレツな暴論を聴かされてきたけどね。

女 ごめんなさいね、妄想につきわせて。でも、まだ何の見通しもないけれど、こうして勉強していけばいいんだって、この道は間違ってないって、思えて来たわ。みんなとお喋りできて、よかった。

男 おやおや、ビューティフルにまとめるね。

女 あら、初めて褒められたわ。

 

四人はみな、穏やかに微笑み、『本居宣長』の思い思いの箇所を開き、見るともなく、読むともなく、うつらうつらと眺め、しばし黙りこくるのであった。 

 

(注)新潮社刊新潮日本古典集成『古事記』39頁では、この場面に、「人間の生死の起源」との見出しが付されている。

 

(了)

 

「下心」

いつものように『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女だが、今日は、SNSが話題のようだ。

 

生意気な青年(以下「青年」) SNSが猛威を振るってるね。

凡庸な男(以下「男」) そうだね。ファクトチェックとか、エビデンスとか、昭和の時代 には耳にしなかった言葉が飛び交う世の中になったけど、かえって、何が正しいのか分からない時代になった。

江戸紫の似合う女(以下「女」) そういうことが背景にあるのかどうか、分からないけど、国内でも国外でもいろんな変なことが起きているわね。

元気のいい娘(以下「娘」) 例えば?

女 戦争とか、選挙とか。

男 そうそう。戦争をめぐる超大国の指導者の発言なんか、よく言うなって感じだよね。無理が通れば道理が引っ込む。

生意気な青年(以下「青年」) 超大国ばかりじゃないさ。中東をめぐる欧米の先進国の立場って、ダブルスタンダードだよね。

娘 政治家の言うことって、全然信用できない。

男 政治家と言えば、いろんな国でいろんな選挙があって、なんか、世界中荒れ気味だね。

女 日本国内でもそう。SNSの影響がすごいみたいね。

男 みんな何を考えているのか、さっぱりわからないな。

娘 政治家とか、マスコミとか、専門家とか、全然信用できない。だから、SNSに頼るんだよ。

青年 そう思いたくなるのも、当然だよ。自分で考え、自分で発信するのは悪いことじゃない。

男 でもそうやって、みんなが自分が正しいって言い募り、ほかの意見に耳を貸そうとしない。それでかえって、何が正しいのかさっぱり分からなくなる。

娘 普通の人だったら、それは仕方ないじゃない。政治家は別。政治家が、下心みえみえで、嘘をつくのは許せない。

女 政治家の嘘といえば、気鋭の政治学者五百旗頭いおきべ薫さんが『<嘘>の政治史』(中公選書)という著書で、政治に嘘はつきものとはいうものの、バレるのを恐れながらも窮地を切り抜けるためにつく「必死の嘘」は、ときとして政治の妙手となりうるのに対し、はなからバレているのに平気で押し通す「横着な嘘」は、政治の腐敗を招くという趣旨のことを説いているの。

青年 嘘も方便っていうわけ、なんかいやだな。

女 でもね、ちょっと聞いてくれる。たとえば、色んな交渉事があるわね。交渉当事者の双方が、出身母体の利益を、外交でいえば国益を背負っている。双方とも簡単に譲歩などできない。そんなとき、双方がそれぞれ「自分たちが五一対四九の僅差で勝った」と思えるような妥協案が見つかれば、何とか交渉が成立するかもしれないわね。

娘 なんか騙されたようで、やーな感じ。

女 全面勝利でないものを受け入れるのだから、もやもやするのは分かるけど、そういう妥協を受け入れる内心の動き、そのための言葉の働きって、大切だと思うわ。

青年 でも、そういうのって、ある制約条件下での合理的な選択の問題だからでしょう。嘘とは違う。

女 そう割り切れれば、いいのだけれど、もう少し考えて欲しいの。

青年 どういうこと?

女 妥協イコール嘘って考える人も多いのよ。

男 確かに、その方が、潔癖な考え方かもしれないな。

女 ちょっと前のことだけど。トランプさんが最初に勝った二〇一六年のアメリカ大統領選挙。民主党はヒラリー・クリントンさんが候補者だったけど、候補者選びではサンダースさんという左派の人がかなり有力で、この民主党内の分裂がヒラリーさんの足を引っ張ったと思う。そしてサンダースさんの支持者が集会なんかでヒラリーさんを批判するときに連呼していたのが「妥協(compromise)」という言葉なの。

男 妥協によって物事を決めるワシントンのベテラン政治家は、嘘つきだってわけだね。

青年 その点は、共和党内でアウトサイダーだったトランプさんの支持者と同じだ。

娘 最近の日本の選挙にも、似たような雰囲気があるね。

女 政治家の嘘はないに越したことはないわ。でも、五百旗頭先生の言葉を借りれば、妥協案の説明というのは、支持者たちが認めたがらない自分たちの弱点にはあえて触れず、メリットだけを強調する類の「必死の嘘」。いったん隠した下心の部分をいずれどうするか、宿題となって残るのよ。言いっぱなしにはならないの。他方、「横着な嘘」というのは、平然と侵略を自国防衛と言い募る超大国の指導者の発言の類で、下心として隠しておいてよさそうな欲望を隠そうともしない。無理が通るだけ。そこは区別して考えられないかしら?

娘 なんか不純な感じだね、政治家って。

女 政治家って、そういう面倒な汚れ仕事を厭わない職人さんなのよ。小林秀雄先生がどこかで、「大臣という才能ある事務員」を支配人として選ぶ、と書いておられたけど、その通りだわ。事務員に純粋さを求めたら、開き直って、平然と下心を丸出しにした、というのでは元も子もないの。隠した下心をどうするか、言葉をどう使っていくか、微妙な問題なのよ。

青年 そういえば、『本居宣長』にも、「下心」という言葉はよく出て来るね。

娘 それも、大切なところに出てくる感じだね。

男 宣長さん自身が「下心」という言葉を使う場合、小林先生が宣長さんの気持ちを推しはかって使う場合、それに、小林先生がご自身の筆の進め方についてこの言葉を使う場合もあるね。

女 でも、「下心」についていえば、『本居宣長』(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集)の中で、圧巻っていうのもおかしいけれど、この言葉が大活躍するのは、紫式部について語る箇所じゃないかしら?

青年 そうだね、『本居宣長』で、「源氏物語」の「蛍の巻」で玉鬘と光源氏か物語についてかわす会話について宣長が書いた評釈に出て来るね。

男 「此段、表はただ何となく、源氏君と玉かづらの君との物語なれ共、下の心は、式部が此源氏物語の大綱総論也」、「表はたはむれにいひなせる所も、下心は、ことごとく意味あり」というんだな(同142頁)

女 式部は、「源氏物語」の中で、人情の機微や、人々の喜怒哀楽の真実を、「そらごとのまこと」として著すことができると信じ、実践したのね。

青年 そして「めでたき器物」(同147頁)のごとき作品が仕上がった。

男 そういう作品としての出来ばえとは別に、宣長さんが強調しているのは、式部が「表はただ何となく、源氏君と玉かづらの君との物語なれ共、下の心は、式部が此源氏物語の大綱総論也」(同142頁)ということなんだね。

娘 大綱総論なんて、随分大げさだね。

女 式部は、単なる語りの名手、お話づくりの達人ではなくて、自身の才能を存分に発揮するためにはどうすればよいかに、自覚的だったんだわ。

娘 自覚的?

女 当時、知識人達は、物語はめの童子わらわの娯楽を目当てとする俗文学だと思っていた。そして、表面的には、そういう既成の常識に逆らわなかったの。むしろ、式部には「この娯楽の世界が、高度に自由な創造の場所と映じていた」(同143頁)ということよ。

青年 知識人たちは、まんまと騙されていたということかな。

娘 「源氏物語」といえば、後世には、紫式部堕地獄伝説なんてのが出てきたんだね。

男 「上流男女の乱脈な交会の道を、狂言綺語きごろうして語った罪により、作者は地獄の苦患に在るのは必定ひつじょうであるから、供養してやらねばならない」(同175頁)というわけだ。

娘 ひどい言い方。でもそれだけ、多くの人に読まれていたということだね。

男 そうそう。高校の教科書なんかに出てくる「更級日記」の作者の少女時代の回想、「一の巻よりして、人もまじらず、几帳きちやうのうちに、うち臥して、ひき出でつつ見る心地、后の位も、何にかはせん」(同174頁)というのは、有名だね。

女 物語の魅力には抗しがたいものがあった。だから、堕地獄伝説なんかがでてきたこと自体が、「時代の通念に従い、婦女子の玩物がんぶつとして、『源氏』を軽蔑していながら、知らぬ間に、その強い魅力のいけどりになっている知識人達の苦境を、まことに正直に語っている」のね(同175頁)

娘 式部は、そのあたりのことも、お見通しだったのかな。

青年 堕地獄云々は、後世の余計なお世話だけど、多くの人が娯楽として読むであろうことは、自覚していた。そのなかには、「更級日記」の少女のように無邪気に喜ぶ読者もいれば、建前上は軽視しつつ実は物語の魅力に抗しえなかったおじさん達もいただろう。

女 でも、そのどちらも、物語の運びの裏がわにいる作者式部の心のうちのことなんか、考えもしなかった。こういう構造を、式部は見抜いていたんだわ。そのうえで、物語をつづっていった。

娘 読者の無知や誤解を逆手に取ったということ?

女 そこまで性悪ではないと思うけど、宣長さんのような読み手が現れて初めて明らかになるような何かが、式部の内面には潜んでいたんじゃないかな。

青年 紫式部という大批評家の真意を、やはり大批評家である宣長さんが見抜いたということ?

娘 そういってしまうと、何か違うような気がするな。

女 式部は、一般読者の目には届かないけれど、心の奥底で突き動かされる何ものがあって、「源氏」を書いた、でも、独創性を発揮して文学史に名をとどめたいなんて思ってなかったはず。宣長さんにしても、従前の解釈をひっくり返して学問上の功績を上げようと力んだのではなく、まずは「源氏」をとことん愛読していったのよ。

男 小林先生も、宣長は、「先ず『源氏』の愛読者であった」(同181頁)と書いているね。

女 式部だからこそ、「源氏物語」によって、母国語の歴史のとても深い処に何かを埋めることになった。宣長だからこそ、その深い処まで掘り進め、その何かを掘り当てることができた、ということじゃないかしら。

男 二人とも、「源氏」の執筆や、その注解に、今でいうやりがいみたいなのは感じてたとは思うけど、何か目標を掲げてその実現を目指す、という仕事の仕方ではないと思うんだ。

青年 そういえば、小林先生は、「宣長は『下心』という言葉をよく使うが、言葉の生命は人が言葉を使っているのか、言葉が人を使っているのか定かでないままに転じて行く。これが言葉に隠れた『下ごころ』であり、これを見抜くのが言語の研究の基本であり、言葉の表面の意味は二の次だ、という考えである」と書かれているね(「考えるという事」新潮社刊『小林秀雄全作品』第24集59頁)

女 式部や宣長という大天才を前提としてのことだけれど、国語が、式部を通じて、人情の機敏や人生の真実に形を与えた。それが「源氏物語」という物であった。そして国語は、宣長をして、そこから「あはれ」という物を見出させた、こういうことではないかしら。

青年 「人が言葉を使っているのか、言葉が人を使っているのか定かでない」って、面白いな。

娘 私心がない、というのはそういうことかな。

女 政治家であれ、式部や宣長であれ、俗と雅の違いはあっても、国語と言う大きな海の中で、言葉の下心に動かされているのかもしれないわね。

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

「夢の夢こそあはれなれ」

いつものように小林秀雄の『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、最初の方、宣長の遺言書が話題のようだ。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 大阪に行ってきたの?

江戸紫の似合う女(以下「女」) ええ、最近、人形浄瑠璃にはまってて。国立文楽劇場で、「曽根崎心中」を見て来たわ。

生意気な青年(以下「青年」) 近松門左衛門(一六五三~一七二四)ですか、今年は、没後三百年ですね。

凡庸な男(以下「男」) そうすると、近松は荻生徂徠(一六六六~一七二八)と同時代の人だね。

女 そうなの。それでね、徂徠も、近松は気に入っていたらしいのよ。

娘 えっ、ホント? ちょっと意外。

女 太田南畝なんぽ(一七四九~一八二三)という天明期の文人が、『俗耳鼓吹』という随筆の中で書いてるの。「曽根崎心中」といえば、おはつ・徳兵衛の有名な道行みちゆきがあるでしょう。

青年 ああ、この世のなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ、と続く、あれですね。

女 希代きたいの名文といっていいと思うけど、徂徠は「近松が妙處、此中にあり。ほかこれにておしはかるべし」と言ったらしいの(注1)

男 さすが近松というところかな。

女 ええ。それでね、近松の名作は多々あるけど、辞世がまた、面白いの。

娘 辞世?

女 近松は、亡くなる数週間前に、礼装で端座している自らの肖像を描かせ、そこに辞世文を書いている。かいつまんで紹介すると、こうなのよ(注2)

「代々甲冑の家に生まれながら武林を離れ」、高位の貴族に公家侍として仕えたが地位はなく、市井にただようも商売を知らず、「隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、ものしりに似て何もしらず、世のまがひもの」、和漢の教学、妓能・雜芸・滑稽の類まで「しらぬ事なげに、口にまかせて筆にはしらせ、一生をさへづりちらし」ていながら、「いまはの際に言ふべく思ふべき真の一大事は一字半言も」ないというのは、恥ずかしい限りで、七十年余の歳月を思うももどかしいが、もし辞世をと問われれば、

「それぞ辞世 去るほどにさても そののちに 残る桜か 花し匂はば」

また、戒名等を記したのち、末尾にこんな歌も書いている。

「残れとは 思うもおろか うつみ火の ぬ間あたなる きして」

娘 意外と面白いじゃん。

女 「一生を囀りちらし」といって過去を笑い飛ばし、「残れとは 思うもおろか」だなんて今生こんじょうへの未練を感じさせない乾いた感じがあるわ。

娘 偉大な劇作家にこういう言い方は変かもしれないけど、芝居っ気があるね。

女 この辺は、宣長さんが、北条時頼の重々しい遺偈いげについて、禅宗かぶれの連中は、「死なむとするきはに、かゝるさとりがましきいつはりごとする」を立派な行いのように言うが、「いとうるさく、かつは、をこなるわざなりけり」と難じているのを思い出すわ(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集296頁)

男 辞世だからといって、もっともらしいことを言おうとしないんだね。

女 宣長さんは、在原業平の「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのうけふとは 思はざりしを」という歌も、契沖の解に依るかたちで、「これ人のまことの心にて」と高く評価しているわ(同295頁)

青年 業平とか、時頼とか、それって、小林先生が宣長さんの「やまとだましひ」について論じている箇所でしょう。あなたは、近松が「やまとだましひなる人」だと論証したいわけ?

女 まさか、そんなこと。そういう分析に、私は興味がないし、多分意味がないと思ってる。ただね、近松の辞世の、周りをけむに巻く感じが、宣長さんの遺言書を思い出させるなって思って。

娘 けむに巻く?

女 小林先生も、(遺言書は)「宣長の思想を、よく理解したと信じた弟子たちにも、恐らく、いぶかしいものであった」と書いているわ(同37頁)。遺言書のことだけでなく、宣長から墓地の見立てをしたいので同道するように言われた養嗣子ようしし大平おおひらが、宣長の平素の教えのとおり、自分の死後のことなど思い図るのはさかしら事で古意に反するのではありませんかと答えたが、黙殺されたであろう、と小林先生は書いているわね(同38頁)

男 確かに、大平たちにしてみれば、けむに巻かれたような思いだったろうね。

女 遺言書に自分の葬式の手順やらお墓の仕様やらを事細かに記し、事前に墓所の下見までした宣長晩年の一連の言動を、小林先生は「その思想を一番よく判読したと信じた人々の誤読を代償として、演じられる有様」と評しているわ(同41頁)

娘 「誤読を代償として」って、なんか、すごい。それ自体、謎めいている。

女 素朴に考えれば、大平たちが誤読するであろうことは覚悟の上で、書きたいことを書きたいように書いた、ということだろうけれど。

青年 でも、遺言書の中身は、事務的というか実務的と言うか、具体的な指示の羅列だし、しかも、小林先生は「検死人の手記めいた」と評しているけれど(同31頁)、曖昧さや冗長さのない、明晰な文章だよね。

娘 稲わらを紙にていくつもつつみ、棺の中ところどころ、死骸が動かざるように、つめもうすべし、みたいなことまで書いてある。

男 それも、ひしと詰めそうろうには及ばず、動き申さぬように、ところどころ詰めそうらえてよろしくそうろう、なんてね。かゆいところに手が届く。

娘 完璧なマニュアルだね。

青年 そうなんだ。その意味では、誤読のしようがない。しかし、それでは済まないよね。

男 息子たちにしても、父親がなぜこういうことだけをここまで事細かく書き、それ以外のことを書かないのか、不思議な感じは消えなかったろうね。

女 何かを演じようとしていて、それが、分かる人にはわかるような仕掛けになっている、ということかしら。

青年 人生の最後の最後に、大芝居を打ったっていうわけ?

女 大芝居っていうのは少し変かもしれない。でも、謎を残してくれたわね。

男 だけど、「常に環境に随順した宣長の生涯には、何の波瀾はらんも見られない。奇行は勿論、逸話のたぐいさえ求め難い」(同46頁)という人なんでしょう?

女 ええ、大常識人という感じよね。生涯にわたり、世に学問程面白きものはなしという信念を貫いた人だけれど、だからといって家業を疎かにするとか、家産を傾けるようなことはない。

男 そうね、「あきなひのすじにはうとくて」、つまり商売には向いていないので、母親(恵勝大姉)の判断で、「京にのぼりて、学問をし、くすしにならむこそよかれ」ということになった(同44頁)

青年 医師として生計を立てることに、なにかわだかまりがあったのかな。「医のわざをもて、産とすることは、いとつたなく、こゝろぎたなくして、ますらほのほいにもあらねど」と書いているけど(同45頁)

女 どうかしら。「われもしもくすしのわざを、はじめざらましかば、家の産絶はてなましを、恵勝大姉のはからひは、かえすがえすも、有りがたくぞおぼゆる」とも書いている(同44頁)

男 そういえば、遺言書も、家門絶断これなきよう、永く相続のところ肝要にてそうろう、ご先祖父母への孝行、これに過ぎざりそうろう、と終わる(同36頁)。伝統墨守の決まり文句のようでもあるけど。

女 決まりきったことを斜に構えてないがしろにするような人ではないと思うわ。それに、小林先生も、「彼がけついだ精神は、主人持ちの武士のものとは余程違う、当時の言葉で言う町人心であったと言ってよい」と書いている(同43頁)

青年 でも、やっぱり。遺言書としては、相当変わったものだよね。なんでこんなものを書いたんだろう。

女 小林先生は、この遺言書は心身に何らの衰えもない時点で書かれたもので、「自分で自分の葬式を、文章の上で、出してみようと」したものであり、「遺言書というよりむしろ独白であり、信念の披瀝ひれき」であると書いているわ(同37頁)

青年 信念の披瀝って、どういうことかな。宣長さんも、自分の死後、近親者によって必ず読まれ、そのとおり実行されるというつもりで書いたわけでしょう。

娘 そうそう。棺の詰め物なんかは、書かれたその通り、実行できちゃうよね。

女 小林先生は、これを宣長の「最後の述作」と呼び、宣長という思想劇の「幕切れを眺めた」と書いているのよ(同40頁)

青年 宣長の死生観が現れている、ということですか。

娘 死生観って、何それ。

女 遺言書なんだから、自分の死について考えて書いたものではある。でも、字面を追う限り、自分の死後、残された近親の者、つまり生きている者が、それをどう受け止め、どう行動してほしいか、祥月しょうつきなどに自分のことをどんなふうに思い出して欲しいか、そういうことが書かれている。

娘 理屈じゃないんだよね。自分の死後、人々が、遺言書に従って、どんな言葉を発し、どんなふうに体を動かすか、動画でもみてるように、ありありと目に浮かぶ感じだね。

男 その「動画」の背後に、何か深い思想のようなもの、宣長さんの思索の到達点のようなものがあるのかなあ。

女 あるのかもしれないけれど、でも、それがむき出しでは出てきていない。その「動画」こそが、人々にとっての、生と死の有様なんだわ。

青年 宣長さんのそういう語り方が、「自分の身丈みたけに、しっくり合った思想しか、決して語らなかった」(同39頁)ということだといいたいわけ?

女 どうかしら、わからないわ。でも、禅宗の公案こうあんみたいな、もっともらしいけど曖昧模糊とした語り方とは対極よね。

娘 そこから何かを読み取って欲しかったのかなあ。

青年 そうかも。でもそれは簡単なことじゃないよ。

男 小林先生は、『本居宣長』の結びで、「私は、宣長論を、彼の遺言書から始めたが……ここまで読んで貰えた読者には、もう一ぺん、此の、彼の最後の自問自答が、(機会があれば、全文が)読んでほしい、その用意はした、とさえ、言いたいように思われる」と書いているね(同、第28集209頁)

女 小林先生には、宣長さんが遺言書に込めた何かが、きっと、見えていた、というか、あっ、宣長さん、そういうことですか、と腑に落ちるところがあったんだわ。だからこそ、読者に対しても、もう一度読むための用意はした、という言い方になるんじゃないかしら?

青年 で、あなた、何か分かったの?

女 いえ、まだまだ、そんな域には達してはいない。でも、宣長さんの晩年の歌に、「死ねばみな よみにいくとは しらずして ほとけの国を ねがふおろかさ」というのがあるでしょう(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集39頁)。こういう乾いた笑いと共通する、なにかめきったものを、宣長さんの遺言書にも感じる。

青年 小林先生は、「この人間の内部には、温厚な円満な常識の衣に包まれてはいたが、『申披六ヶ敷筋もうしひらきむつかしきすじ』の考えがあった」(同33頁)と書いているけど、そういうことがいいたいの?

女 そこまで背伸びするつもりはないけど、いまのところそんなような気がするの。でも、この遺言書には、検死人の手記ふうの乾いた部分だけでなく、桜への偏愛の部分もある。こちらはもう、さっぱりわからない。

娘 桜といえば、近松の辞世にも出てきたね。

女 それは、特に関係はないと思う。でも、「夢の夢こそあはれなれ」みたいに、死にゆく恋人たちの心情を情緒たっぷりと歌い上げた近松も、自らの死に臨んではとても醒めていて……。勝手な妄想だけど、宣長さんと似たものがあるような気がして、楽しくなるわ。

男 妄想ですか、やれやれ。

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

 

(注1)太田南畝『俗耳鼓吹』(吉川弘文館刊『日本随筆大成』第3期第4巻所収)に、徂徠の晩年の門人である宇佐美恵助(1710~1770)の話として伝える(同書p.146)。

(注2)引用は、『近松門左衛門三百五十年』(和泉書房、2003)p.102の翻刻から。なお、和歌の表記については、新潮古典文学アルバム第19巻『近松門左衛門』(新潮社刊)p.108の年譜を参考にした。

(了)

 

「一番好きなのは、どこ?」

いつものような『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、どの辺が話題だろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」)『本居宣長』のなかで、どこが一番好き?

江戸紫が似合う女(以下「女」)好きかどうかっていわれても困るけれど、初めて通読し   たとき一番心に残ったのは、第四十九章の最後の方、「そういう次第で、宣長が『上古言伝へのみなりし代の心』を言う時、私達が、子供の時期を経てきたように、歴史にも、子供の世があったという通念から、彼は全く自由であった」という一文から始まる数節かな(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集188頁)

凡庸な男(以下「男」)大河ドラマが大団円に近づいきてたときみたいに、読んでいて、力が入るというか、緊張してしまうところだね。

女 いや、そんな大それたことじゃないの。まだ、何もわからなかったし。とにかく、投げ出さずに、文字を追うのが精いっぱいで、論旨を追うなんて段階ではなかったわ。

娘 じゃあ、どうしてそこが、印象に残ったの?

女 お恥ずかしい、というか、申し訳ない話だけど、いわゆる原始人を想像しちゃったのね。

男 いわゆる原始人?

女 ええ。子供向けの図鑑とか学習漫画とかにあったじゃない。毛皮を腰に巻いて、ひげもじゃで、石斧みたいなのを手にした、ザ・原始人。

生意気な青年(以下「青年」)あああれね。ちょっと粗野だけど純朴で、みたいなステレオタイプのやつ。

女 うん、それでね、その原始人のおじさんが子供と手をつないで、夕陽を見てるのよ。

男 なんだって?

女 そういうイメージがわいてきたの、読んでいて。

娘 それって「……自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい……」(同)という辺りかなあ。

女 そうそう。青息吐息でページをめくり続けてきて、何にも頭に残らなかったんだけど、なぜかそこで、パっと、何かが見えたような気がしたのね。

青年 見えてきたって、理解のきっかけというか、ヒントが得られたとでもいうのですか?

女 いえいえ、全く。文章の意味とか、そんなレベルじゃないのよ。小林秀雄先生のお考えとかとは全く関係なく、なにか、イメージが湧いてきたの。

男 お得意の「妄想」かな。

女 ええ、まさにそう。上古の人々が、長い時の流れのどこかで、言葉を獲得していく。そこだけ見ると未開の原始人なんだけど、「どんな昔でも、大人は大人であった」(同)。つまり、上古の人たちは、文明の利器に囲まれ、人工的な環境に保護されている私達とちがって、大自然の猛威に生身の体で向き合っていたわけでしょう。五感の働きもはるかに鋭敏だったはずだし、周囲の状態を観察して、これから起きることを予期する力なんかも、はるかに強かったと思うの。命がけなんだから。「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々」(同)なんかには、及びもつかぬことだわ。

男 講釈師見てきたようななんとやら、だね。結局は妄想の域を出ないよね。

青年 あっ、そこなんだけど。

娘 なにか手がかりがあるの?

青年 最近、ゴリラ学者の講演を聞いてね。

娘 ゴリラ?

青年 うん。ゴリラも人間も、一千万年くらいさかのぼれば共通の祖先がいて、そこから枝分かれしたわけ。だから、共通する特徴もあるし、もちろん違いもある。ヒトはヒトとして進化し、ついに言葉を獲得する。

男 それがどうかしたのかい?

青年 ゴリラの生態を観察してほかの霊長類と比較したり、ゴリラと別れた後の人類の進化の過程を調べたりすると、いろんなことが分かって来るらしいんだ。

娘 たとえば?

青年 うん。たとえば、「現代人の脳の大きさはゴリラの三倍ある。では、いつ脳が大きくなり始めたかというと二百万年前である。しかも現代人並みの脳の大きさになったのは四十万年前で、言葉の登場よりずっと前だ」(注1)っていうんだ。

男 脳が大きいからこそ、言葉を使えるわけでしょう、万物の霊長たる所以だよ。

青年 でもね、人間が言葉を獲得したのは、七~十万年前ということらしいんだけど、「ホモサピエンスは二十~三十万年前に登場し、それ以前に脳は現代人並みの大きさになっている」(注2)というんだな。そして、霊長類の場合、「集団のサイズが大きい種ほど、脳の新皮質比(脳に占める新皮質の旧皮質に対する割合)が大きい」ことが分かっていて「日常的につき合う仲間の数が増えるとそれを記憶する脳の容量が増える」(注3)というわけ。言葉が登場する遥か前の二十~三十万年前に、百五十人くらいの集団ができあがっていたというんだな。

女 ああ、そうか。言葉が誕生する前にも、社会生活のようなものがあって、何らかのコミュニケーションが行われていたということね。

娘 身振りや手振り、足踏み、踊りのようなしぐさ、色んな音色の声を出すとかかなあ。なにか、楽しそうね。

男 誰かさんの妄想に出てきた原始人の親子の間にも、そういう、言語以前の身体的なコミュニケーションがあったのかもしれないね。

娘 言葉以前の身体的なコミュニケーション?

女 そういえば、人々が赤ちゃんに話しかけるときの言葉遣いには、文化圏を超えた共通性があるって話を聞いたことがある。

青年 対乳児発話とかいうやつかな。むくつけきオッサンでも、赤ちゃんには、ゆっくりとしたテンポで、抑揚がある高めの声で話すよね。

男 それで赤ちゃんがニッコリしてくれると、オッサンも満更でもない、ってことだね。

娘 そうやって、気持ちを伝えあう。まだ、言葉にはなっていないけど、人間どうしのコミュニケーションの原点がそこにあるわね。

女 言葉の、原型というか芽吹く前の種というか。そこに、言葉を生み出す原動力が宿っている感じね。

娘 ひょっとして、言霊?

男 それは飛躍。妄想も甚だしい。それはともかく、ちょっとホッコリする話だよね。

青年 でも、ショッキングな話もある。一万二千年前くらい前と比べると、現代人の脳は十~三十パーセント縮んでいるという説があるんだって。

娘 どういうこと?

青年 「人間が言葉の獲得に至った理由の一つは、脳の中の記憶を外に出すためだったのではないか」(注4)というんだ。

女 なるほど。赤ちゃんをあやすみたいな、その場面に応じて行われる身体的なコミュニケーションと違って、言葉というのは、なんていうか、一種の記号だから、データとして処理しやすくなる。脳の機能を外部のデバイスで代替しちゃうのね。

娘 あっ、それってやばいかも。スマホなくすと、自分の予定も、決済情報も、友達の連絡先も分かんない。好きな曲も聴けないし、気になる動画も見らんなくて、どうやって生きていけばいいか分かんない。

青年 他人ごとじゃないな。「今後、脳が不要になる時代が来るかもしれない」(注5)なんてことまでいうんだ。

女 でもそれは、書き言葉のことじゃないかしら。

青年 確かに、話し言葉であれば、「同じ言葉でも、それを発する人、受け取る人、互いの関係、置かれている状況、さらには声の大きさ、高さ、抑揚、手振り、身振り、態度によって意味は微妙に変わる。それが文字になった時には、相手はいない。発信者の意図と受信者の解釈にはずれがあり、それを即座に修正することはできない」(注6)からね。

女 そうでしょう。

青年 でもね、比喩の働きなんかは、話し言葉でも、十分に発揮されるよね。誰かのことを、オオカミのように残忍な、といえば、その人の行動を事細かに説明するより、はるかに簡単に済む。一瞬のうちに、強烈なイメージを喚起できる。敵愾てきがい心をあおって、一緒に戦う同志的連帯感まで湧いてくるかもしれない。

女 いまのは随分剣呑けんのんな喩えだけど、太陽のように輝くとか、海のように青いとか、山のように気高いとか、比喩の働きによって物事の捉え方や、感じ方、その伝達の仕方をより豊かに、よりきめ細かくしてくれるわね。

青年 そうなんだ。そしてその前段階の物事に名前を付けるということ自体に、重要な意味があるよ。サルだって、空を見上げれば何かがまぶしいとか、目の前に水の流れがあって進めないみたいなことは分かるかもしれないけど、それらに、お日様とか川とか名付けることで、その時その場で目にした光景の記憶にとどまらない、色んな意味を持つようになるよね。

女 単に気持ちを通わせるというだけじゃなくて、「世界を切り取って要素に分け、意味を付与して物語にし、それを仲間と共有する」(注7)というところにまで行くわけね。

青年 そういう意味で、たとえ無文字であっても、言葉を獲得したということの意味は大きいよね。

娘 身体的なコミュニケーションだけの世界から言葉が誕生していく過程は、実に神秘的よね。

女 だからこそ、宣長さんは、(輝く太陽、青い海、高い山などの)「計り知りえぬ威力に向かいどういう態度を取り、どう行動したらいいか、『その性質アル情状カタチ』を見究めようとした大人達の努力に、注目していた」(前掲書188頁)のね。

娘 それに続く、「これは言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そしてこの働きも亦(また)、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方(かなた)から、彼等の許にやって来たと考える他はないのであった。神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼らに通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。そういう声が、彼等に聞こえて来たという事は、言ってみれば、自然全体のうちに、自分等は居るのだし、自分等全体の中に自然が在る、これほど確かなことはないと感じて生きて行く、その味わいだったであろう」(前掲書189頁)という文章も、とても美しいね。

男 でも、難解だよ。

女 そうね、私も書かれた文章の意味というか、論理的な内容を理解できているわけではないわ。

青年 そもそも、人間が言葉の象徴作用を獲得したプロセスなんて、それを言葉で表現しようとすること自体、無理があるんじゃないの?

女 そうかもしれないわね。でも、このあたりの文章、声に出して読みたいほどだわ。そして、音楽を聴くように文章のリズムと響きに感じ入っているうち、何かが頭の中に下りて来て、イメージを映し出してくれるような気がするの。

男 それが、原始人親子のイメージってわけ?

女 図柄が陳腐で、センスがないのは認めるわ。でも。

男 でも、何?

女 小林先生は、文章の力で色んなイメージを喚起することによって、普通では表現できな いこと、伝達できないことを、読者の心の中に再現してくださってているような気がするわ。

男 おやおや、大きく出たね。『本居宣長』の理解が進んだってわけ?。

女 あら、そんなつもりはないわ。せっかくの美しく力強い文章なのに、月並みのイメージしか浮かんでこないのは、お恥ずかしいかぎり。でも、好きなんだわ、この一節が。

娘 初めからそういえばよかったのに。

女 そうね。難しいことを理解できたわけではないけれど、この一節に出会えたことで、この本全体がとても好きになったわ。それで、あなたは?

娘 なあに?

女 一番好きなのは、どこ?

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

注1 山極壽一『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)77頁

注2 前掲(注1)85頁 

注3 前掲(注1)77頁n

注4、注5 山極壽一『共感革命』(河出新書)13頁

注6 前掲(注1)94頁

注7 前掲(注1)86頁

 

「不適切にもほどがある?」

いつものような『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、どの辺が話題だろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」)『本居宣長』のなかで、どこが一番好き?

江戸紫が似合う女(以下「女」)好きかどうかっていわれても困るけれど、初めて通読し   たとき一番心に残ったのは、第四十九章の最後の方、「そういう次第で、宣長が『上古言伝へのみなりし代の心』を言う時、私達が、子供の時期を経てきたように、歴史にも、子供の世があったという通念から、彼は全く自由であった」という一文から始まる数節かな(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集188頁)

凡庸な男(以下「男」)大河ドラマが大団円に近づいきてたときみたいに、読んでいて、力が入るというか、緊張してしまうところだね。

女 いや、そんな大それたことじゃないの。まだ、何もわからなかったし。とにかく、投げ出さずに、文字を追うのが精いっぱいで、論旨を追うなんて段階ではなかったわ。

娘 じゃあ、どうしてそこが、印象に残ったの?

女 お恥ずかしい、というか、申し訳ない話だけど、いわゆる原始人を想像しちゃったのね。

男 いわゆる原始人?

女 ええ。子供向けの図鑑とか学習漫画とかにあったじゃない。毛皮を腰に巻いて、ひげも  じゃで、石斧みたいなのを手にした、ザ・原始人。

生意気な青年(以下「青年」)あああれね。ちょっと粗野だけど純朴で、みたいなステレオタイプのやつ。

女 うん、それでね、その原始人のおじさんが子供と手をつないで、夕陽を見てるのよ。

男 なんだって?

女 そういうイメージがわいてきたの、読んでいて。

娘 それって「……自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい……」(同)という辺りかなあ。

女 そうそう。青息吐息でページをめくり続けてきて、何にも頭に残らなかったんだけど、なぜかそこで、パっと、何かが見えたような気がしたのね。

青年 見えてきたって、理解のきっかけというか、ヒントが得られたとでもいうのですか?

女 いえいえ、全く。文章の意味とか、そんなレベルじゃないのよ。小林秀雄先生のお考えとかとは全く関係なく、なにか、イメージが湧いてきたの。

男 お得意の「妄想」かな。

女 ええ、まさにそう。上古の人々が、長い時の流れのどこかで、言葉を獲得していく。そこだけ見ると未開の原始人なんだけど、「どんな昔でも、大人は大人であった」(同)。つまり、上古の人たちは、文明の利器に囲まれ、人工的な環境に保護されている私達とちがって、大自然の猛威に生身の体で向き合っていたわけでしょう。五感の働きもはるかに鋭敏だったはずだし、周囲の状態を観察して、これから起きることを予期する力なんかも、はるかに強かったと思うの。命がけなんだから。「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々」(同)なんかには、及びもつかぬことだわ。

男 講釈師見てきたようななんとやら、だね。結局は妄想の域を出ないよね。

青年 あっ、そこなんだけど。

娘 なにか手がかりがあるの?

青年 最近、ゴリラ学者の講演を聞いてね。

娘 ゴリラ?

青年 うん。ゴリラも人間も、一千万年くらいさかのぼれば共通の祖先がいて、そこから枝分かれしたわけ。だから、共通する特徴もあるし、もちろん違いもある。ヒトはヒトとして進化し、ついに言葉を獲得する。

男 それがどうかしたのかい?

青年 ゴリラの生態を観察してほかの霊長類と比較したり、ゴリラと別れた後の人類の進化の過程を調べたりすると、いろんなことが分かって来るらしいんだ。

娘 たとえば?

青年 うん。たとえば、「現代人の脳の大きさはゴリラの三倍ある。では、いつ脳が大きくなり始めたかというと二百万年前である。しかも現代人並みの脳の大きさになったのは四十万年前で、言葉の登場よりずっと前だ」(注1)っていうんだ。

男 脳が大きいからこそ、言葉を使えるわけでしょう、万物の霊長たる所以だよ。

青年 でもね、人間が言葉を獲得したのは、七~十万年前ということらしいんだけど、「ホモサピエンスは二十~三十万年前に登場し、それ以前に脳は現代人並みの大きさになっている」(注2)というんだな。そして、霊長類の場合、「集団のサイズが大きい種ほど、脳の新皮質比(脳に占める新皮質の旧皮質に対する割合)が大きい」ことが分かっていて「日常的につき合う仲間の数が増えるとそれを記憶する脳の容量が増える」(注3)というわけ。言葉が登場する遥か前の二十~三十万年前に、百五十人くらいの集団ができあがっていたというんだな。

 

女 ああ、そうか。言葉が誕生する前にも、社会生活のようなものがあって、何らかのコミュニケーションが行われていたということね。

娘 身振りや手振り、足踏み、踊りのようなしぐさ、色んな音色の声を出すとかかなあ。なにか、楽しそうね。

男 誰かさんの妄想に出てきた原始人の親子の間にも、そういう、言語以前の身体的なコミュニケーションがあったのかもしれないね。

娘 言葉以前の身体的なコミュニケーション?

女 そういえば、人々が赤ちゃんに話しかけるときの言葉遣いには、文化圏を超えた共通性があるって話を聞いたことがある。

青年 対乳児発話とかいうやつかな。むくつけきオッサンでも、赤ちゃんには、ゆっくりとしたテンポで、抑揚がある高めの声で話すよね。

男 それで赤ちゃんがニッコリしてくれると、オッサンも満更でもない、ってことだね。

娘 そうやって、気持ちを伝えあう。まだ、言葉にはなっていないけど、人間どうしのコミュニケーションの原点がそこにあるわね。

女 言葉の、原型というか芽吹く前の種というか。そこに、言葉を生み出す原動力が宿っている感じね。

娘 ひょっとして、言霊?

男 それは飛躍。妄想も甚だしい。それはともかく、ちょっとホッコリする話だよね。

青年 でも、ショッキングな話もある。一万二千年前くらい前と比べると、現代人の脳は十~三十パーセント縮んでいるという説があるんだって。

娘 どういうこと?

青年 「人間が言葉の獲得に至った理由の一つは、脳の中の記憶を外に出すためだったのではないか」(注4)というんだ。

女 なるほど。赤ちゃんをあやすみたいな、その場面に応じて行われる身体的なコミュニケーションと違って、言葉というのは、なんていうか、一種の記号だから、データとして処理しやすくなる。脳の機能を外部のデバイスで代替しちゃうのね。

娘 あっ、それってやばいかも。スマホなくすと、自分の予定も、決済情報も、友達の連絡先も分かんない。好きな曲も聴けないし、気になる動画も見らんなくて、どうやって生きていけばいいか分かんない。

青年 他人ごとじゃないな。「今後、脳が不要になる時代が来るかもしれない」(注5)なんてことまでいうんだ。

女 でもそれは、書き言葉のことじゃないかしら。

青年 確かに、話し言葉であれば、「同じ言葉でも、それを発する人、受け取る人、互いの関係、置かれている状況、さらには声の大きさ、高さ、抑揚、手振り、身振り、態度によって意味は微妙に変わる。それが文字になった時には、相手はいない。発信者の意図と受信者の解釈にはずれがあり、それを即座に修正することはできない」(注6)からね。

女 そうでしょう。

青年 でもね、比喩の働きなんかは、話し言葉でも、十分に発揮されるよね。誰かのことを、オオカミのように残忍な、といえば、その人の行動を事細かに説明するより、はるかに簡単に済む。一瞬のうちに、強烈なイメージを喚起できる。敵愾てきがい心をあおって、一緒に戦う同志的連帯感まで湧いてくるかもしれない。

女 いまのは随分剣呑けんのんな喩えだけど、太陽のように輝くとか、海のように青いとか、山のように気高いとか、比喩の働きによって物事の捉え方や、感じ方、その伝達の仕方をより豊かに、よりきめ細かくしてくれるわね。

青年 そうなんだ。そしてその前段階の物事に名前を付けるということ自体に、重要な意味があるよ。サルだって、空を見上げれば何かがまぶしいとか、目の前に水の流れがあって進めないみたいなことは分かるかもしれないけど、それらに、お日様とか川とか名付けることで、その時その場で目にした光景の記憶にとどまらない、色んな意味を持つようになるよね。

女 単に気持ちを通わせるというだけじゃなくて、「世界を切り取って要素に分け、意味を付与して物語にし、それを仲間と共有する」(注7)というところにまで行くわけね。

青年 そういう意味で、たとえ無文字であっても、言葉を獲得したということの意味は大きいよね。

娘 身体的なコミュニケーションだけの世界から言葉が誕生していく過程は、実に神秘的よね。

女 だからこそ、宣長さんは、(輝く太陽、青い海、高い山などの)「計り知りえぬ威力に向かいどういう態度を取り、どう行動したらいいか、『その性質アル情状カタチ』を見究めようとした大人達の努力に、注目していた」(前掲書188頁)のね。

娘 それに続く、「これは言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そしてこの働きも亦(また)、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方(かなた)から、彼等の許にやって来たと考える他はないのであった。神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼らに通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。そういう声が、彼等に聞こえて来たという事は、言ってみれば、自然全体のうちに、自分等は居るのだし、自分等全体の中に自然が在る、これほど確かなことはないと感じて生きて行く、その味わいだったであろう」(前掲書189頁)という文章も、とても美しいね。

男 でも、難解だよ。

女 そうね、私も書かれた文章の意味というか、論理的な内容を理解できているわけではないわ。

青年 そもそも、人間が言葉の象徴作用を獲得したプロセスなんて、それを言葉で表現しようとすること自体、無理があるんじゃないの?

女 そうかもしれないわね。でも、このあたりの文章、声に出して読みたいほどだわ。そして、音楽を聴くように文章のリズムと響きに感じ入っているうち、何かが頭の中に下りて来て、イメージを映し出してくれるような気がするの。

男 それが、原始人親子のイメージってわけ?

女 図柄が陳腐で、センスがないのは認めるわ。でも。

男 でも、何?

女 小林先生は、文章の力で色んなイメージを喚起することによって、普通では表現できな いこと、伝達できないことを、読者の心の中に再現してくださってているような気がするわ。

男 おやおや、大きく出たね。『本居宣長』の理解が進んだってわけ?。<マル、トル>

女 あら、そんなつもりはないわ。せっかくの美しく力強い文章なのに、月並みのイメージしか浮かんでこないのは、お恥ずかしいかぎり。でも、好きなんだわ、この一節が。

娘 初めからそういえばよかったのに。

女 そうね。難しいことを理解できたわけではないけれど、この一節に出会えたことで、この本全体がとても好きになったわ。それで、あなたは?

娘 なあに?

女 一番好きなのは、どこ?

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

注1 山極壽一『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)77頁

注2 前掲(注1)85頁 

注3 前掲(注1)77頁n

注4、注5 山極壽一『共感革命』(河出新書)13頁

注6 前掲(注1)94頁

注7 前掲(注1)86頁

 

「歴史の枠と人間の自由」(対話ふうに)

男 今回の熟視対象は、どこかな?

女 第三十章の結語部分に「歴史を限る枠は動かせないが、枠の中での人間の行動は自由でなければ、歴史はその中心点を失うであろう」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集351頁)とあるでしょう。

男 そのどこが気になるの?

女 「自由」という言葉が、何かを感じさせるの。

男 僕はむしろ、「歴史を限る枠」っていうのにひっかかる。どういう意味かな?

女 引用文と同じパラグラフの前の方に「歴史を知るとは、己れを知る事だという、このような道が行けない歴史家には、言わば、年表という歴史を限る枠しか摑めない」(同上)とあるでしょう。ここでいう「年表という歴史を限る枠」のことよ。

男 ああそうか。「年表的枠組」という表現もあるね。でも、年表って、過去を振り返って作成された記録だよね。それがどうして、歴史を限る枠になるのかな?

女 言ってることがよく分からないわ。

男 証拠に裏付けられた客観的な事実とは別に、歴史なんてありえないよね。年表って、客観的な事実の集合体なんだから、歴史そのものなんじゃないの?

女 ああ、そういう話ね。もちろん、いついつ何々が起きたという記録を無視した歴史認識はあり得ないし、「かくかくの過去があったという証言が、現存しないような過去を、歴史家は扱うわけにいかない」(同350頁)

男 学問なんだから、客観主義に徹すればいいんじゃないの?

女 確かに、そういう「証言証拠の受身な整理が、歴史研究の風を装っている」(同349頁)こともあるわ。でも、宣長さんの学問はそうではないの。

男 というと?

女 宣長さんは、「『古事記』という『古事のふみ』に記されている『古事』とは何か」(同)を突き詰めていった。その際「主題となる古事とは、過去に起った単なる出来事ではなく、古人によって生きられ、演じられた出来事だ。外部から見ればわかるようなものではなく、その内部に入り込んで知る必要のあるもの、内にある古人のココロの外への現れとしての出来事、そういう出来事に限られる」(同)ということなのね。

男 年表は、「過去に起った単なる出来事」の羅列に過ぎないというわけだね。客観的な証拠や証言だけでは不十分なのかな?

女 そうね。「証言が現存していれば、過去は現在によみがえるというわけのものではあるまい。歴史認識の発条は、証言のうちにはない」(同350頁)ということよ。

男 歴史認識のバネか。でも、客観的な証拠や証言を離れて、どうするのかな?

女 「古人が生きた経験を、現在の自分の心のうちに迎え入れて、これを生きてみる」(同)ということなんだわ。

男 共感とか、追体験とか、そういうことかな。でも、そんなことが可能かな?

女 簡単なことではないわ。それでも、「過去の経験を、回想によってわが物とする、歴史家の精神の反省的な働きにとって、(中略)総じて生きられた過去を知るとは、現在の己れの生き方を知る事に他なるまい。それは、人間経験の多様性を、どこまで己れの内部に再生して、これを味う事が出来るか、その一つ一つについて、自分の能力を試してみるという事」(同350,351頁)はできる、そう考えてはどうかしら?

男 面白そうな話だけど、うまくいくのかな。各自が勝手に、自分の願望を投影しただけのものにならないのかな?

女 少なくとも宣長さんは、こういう方法で、「古事記」について何百年たっても通用するような読み解きをすることができた。でも、誰でもできることではないわね。「確実に自己に関する知識を積み重ねて行くやり方は、自己から離脱する事を許さないが、又、其処には、自己主張の自負も育ちようがあるまい」(同351頁)ということじゃなくて?

男 宣長さんも、もちろん、勝手な自己主張をしたわけではないよね?

女 そうよ。「宣長は、心のうちに、何も余計なものを貯えているわけではないので、その心は、ひたすら観察し、批判しようとする働きでみたされて、隅々まで透明」なの(同349頁)

男 何か、強烈な意思のようなものを感じるけど、どうかな?

女 宣長さんの場合、「何が知りたいのか、知る為にはどのように問えばよいのか、これを決定するのは自分自身であるというはっきりした自覚が、その研究を導」いていたのね(同349頁)。そういう宣長さんなればこそ、「倭建命の『言問ひ』は、宣長のココロに迎えられて」はじめて、「息を吹き返した」(同351頁)。「年表的枠組は、事物の働きをかたどり、その慣性に従って存続するが、人のココロで充たされた中身の方は、その生死を、後世の人のココロに託している」(同)というわけね。

男 そうなると、生死を託された後世の人のココロの働きがどのくらいあて・・になるか、心もとない気がするけど、どうかな?

女 そうよね。後世の私たちは答えを知っている。いくさの帰趨であれ何であれ、結局どうなったのか分かっている。そういう年表的枠組には手を付けないでいて、「過去の経験を、回想によってわが物とする」(同350頁)ことになる。

男 そうするとさ、追体験するにしても、所詮この人は最後はこうなる、なんて考えてしまう。それで、本当の意味で、過去を蘇らせたことになるのかな?

女 たしかに、過去の人々の行動について、大きな時代の流れの中の一つのエピソードくらいに考えがちよね。歴史的な必然性とか法則性、あるいは実証主義に基づく歴史解釈とか、そういったものの具体的な一事例として扱ってしまう。

男 それでは結局、「証言証拠のただ受身な整理」(同349頁)としての歴史学と大差ないんじゃないかな?

女 だからこそ、「歴史を限る枠は動かせないが、枠の中での人間の行動は自由でなければ、歴史はその中心点を失う」(同351頁)ということなんだわ。

男 どういうこと?

女 過去の人々にとって、その時点での未来は、当然、未知のものだった。結果論で言えば、「抗しがたい運命に翻弄されていた」ということになるかもしれないけど、彼らは、その運命に抗おうと奮闘していた。行動の自由があったんだわ。それを、「所詮、時代の流れには抗しがたかった」みたいに後知恵で裁いてしまうと、歴史の中心点を失うことになる。

男 中心点を失うっていうと?

女 結果論や後知恵では、年表的枠組しか掴めない。たまたま目の前にある証言証拠を眺めて、いつでも誰でも分かることを再確認しているだけなんだわ。それでは過去は現在によみがえらない。歴史の中心点、つまり歴史認識の最も重要な部分にたどり着けない。こういうことじゃないかしら。

男 なるほど。そうすると、自問自答の域を超えてしまうかもしれないけど、こうも言えるかな。今を生きる僕らも、過去の経緯とか、漠然とした時代の流れとかいったものには、何か抗いがたいものを感じている。でも、宣長さんのように歴史に向き合い、過去の人々の行動の自由に想いを馳せ、人間経験の多様性を自己の内部に再生して味わうことができれば、僕ら自身が、社会通念や固定観念から離れて、未来に向けての自由を取り戻す道が開かれることになる。なんて。言い過ぎかな。

女 ええ、言い過ぎは言い過ぎね。でも、同感、そうこなくっちゃ、だわ。

 

(了)

 

「ワインは分かる?」

「本居宣長」を手におしゃべりするのが大好きな四人の男女。今日も三々五々集まってきたようだ。

 

江戸紫が似合う女(以下「女」) あら、お買い物?

凡庸な男(以下「男」) 週末にワイン会があるので、買い出しに行ってきた。

女 ワインがお好きみたいね。

元気のいい娘(以下「娘」) ただの飲んだくれでしょう?

男 ご指摘は重く受け止める、でもね……

娘 記者会見みたいだね。「でもね」って、何か言いたいの?

男 呑めば酔っ払ってしまうけど、それでも、ワインというのは、奥深い世界だなと思うんだ。

娘 ほんと?あんた、ワインが分かるの?

生意気な青年(以下「青年」) だいたい、ワインって、構えからしてイヤミだね。こぶしがすっぽりと収まるほどの大きなグラスの、下四分の一ほどに白ワインを注ぐ。細く長い脚の根元を指で挟み、台座をテーブルの上で滑らせ、グラスを何度かゆっくりと回す、なんてね。

娘 そして、こう来るのよね。液体はグラスの中で揺れ、その膨らんだ部分に香りが満ちる。ゆっくりと香りを確かめ、おもむろにワインを口に含む、とかなんとか。

青年 極め付きは、「かりんや梅酒のような香り、それにかすかな蜂蜜のような香り。少し尖った酸味と柔らかな苦みがあって、余韻が口の中に長く残った」なんて能書きだね。

娘 キモすぎ。

青年 言ったもん勝ち、ハッタリの世界じゃないのかな。

男 でも、それだけでもないと思うんだ。飲むたびに、深みのある世界だって感じるんだよ。

女 あるワイン評論家がこんなふうに言ってるわ。「たとえば、ワインの質をはかる最大の基準は、『複雑さ』である。グラスについだワインに繰り返し戻るたびにさきほどとは違う香りブケや味に出会うことが多いほど、ワインは複雑だと言える」(マット・クレイマー『ワインがわかる』白水社刊23ページ)

男 だから、その複雑さについて深く知りたくなり、知ればしるほど、楽しみが増すような気がするんだ。

娘 確かに、そういうことって、ほかにもあるかもね。骨董品とか、絵画とか。

男 人間の感性を離れて明確に測定する、みたいなことができない世界。ワインを味わうように、絵画や骨董、詩や歌でも、「味わう」という言い方がピタッとくるよね。

青年 文学や美術のような文化的なものと、ワインなんかを同列に論じていいの?

女 そうかもしれない。でも、お叱りを覚悟していうと、こういう世界というのは、とても複雑で、奥が深くて、だからこそ、何度でも、繰り返し味わうことができるのでしょう。

娘 好きな絵や、気にいった骨董品であれば、何度見ても、長い時間見続けても、飽きることはないよね。

女 でね、これもさっき評論家の受け売りなんだけど、ワインにも、美術品や工芸品の世界と同じように、コニサーという人が存在するようなの。

娘 コニサー?

女 コニサー(connoisseur)。目利きとか、鑑賞家みたいな意味なんだけど。

青年 そういう人の言うことは、言ったもん勝ちのハッタリではないとでもいうわけ?

女 そうね。彼によれば、「コニサーについていちばん要を得た、おそらく最上の定義は、『好きなもの』と『良いもの』の区別ができる人」で、「理想的なコニサーとは、ワインを味わったあと、たとえば『こいつは偉大なワインだが、私はご免だ』といってのけられる人物」なんだそうよ(前掲書22頁)

娘 好き嫌いと、善し悪しの判断を区別するというのは、なんか分かる気がする。

青年 それは、主観を排して、客観的な基準で判断する、ということでしょう。物理的な測定を志向することになる。それが無理なら、結局、好き嫌いの世界に戻るんじゃない。

女 それもちょっと、乱暴というか、単純すぎるというか。

青年 なぜ?

女 単なる好き嫌いではないという意味で、主観的な判断ではない、とはいえるわ。でも、客観的な基準なんて、便利なものがあるわけではないのよ。

青年 では、どうやって判断するのさ。

娘 そうだね。複雑さに満ちていて、奥深く、飽きの来ないそういう世界で、万人が納得するような判断なんてできるのかな。

女 例の評論家が、アンティーク銀器のコニサーのお話を紹介しているの。「時代ものが当代のものより優れている、なんて根も葉もないことです。が、上等な銀器のコニサーにとってみれば、古物や新作にかかわらず、品物にひそむ、なにか名状しがたい気合のこもりかたから、あるものがオリジナルであるかどうかが判然とするのです。それは古さびた外観や傷、へこみの問題ではありません。よほど巧みに写してあっても、複製品にはオリジナルが必ず身につけているものが、どこか欠けている。作家の手の伸びやかで自然な動きがない、ともいえます。オリジナルには造った者の心意気と手の働きが体現されているけど、コピーにはこれがつかまえられない。ま、理由は説明しずらくても、実物を見れば納得がいくはずです」(前掲書p19,20頁)

男 こういう人たちって、対象のことが、ワインでも、銀器でも、絵画でも、詩歌でも、何でもそうなんだけど、とても好きで好きで、好きだからこそ、自分の勝手な感覚ではなくて、対象の中に備わっている良さを、なるべく本来の姿を損なうことなく知りたいと思うんだよ。

女 大好きだからこそ、対象が、そういう丹念な吟味に値するものだという確信がある。どうせこんなものだろうなんて決めつけはしない。その上で、容易にたどり着けないかもしれないけれど、学びを深めていくことに喜びを感じ、楽しんでいるのだと思うの。

娘 それって、好・信・楽の三題噺さんだいばなしに強引にもっていこうとしてない?(笑)

女 ばれたかしら(苦笑)。でも、あながち悪ふざけでもないと思うのよ。

娘 どういうこと?

女 小林秀雄先生は、(契沖と宣長の)「二人は、少年時代から、生涯の終りに至るまで、中絶する事なく、『面白からぬ』歌を詠みつづけた点でもよく似ている」と書かれているわね(新潮社刊「小林秀雄全作品」第二十七集、71頁)。二人とも、長じて偉大な歌学者になるのだけれども、その出発点には、歌を楽しむ心があったのではないかしら。

男 確かにそうかもしれないね。

女 だから、小林先生も、「『僕ノ和歌ヲ好ムハ。性ナリ、又癖ナリ、然レドモ、又見ル所無クシテ、みだリニコレヲ好マンヤ』いう宣長の言葉は、又契沖の言葉でもあったろう」と書かれたのではないかしら(前掲書71頁)

青年 しかしね。二人とも、歌が好きだったというのは、そのとおりかもしれないよ。でも、契沖と言う人は、「従来歌学の名で呼ばれていた固定した知識の集積を、自立した学問に一変」させるという卓越した精神の持ち主で(前掲書73頁)、宣長さんはそれをさらに発展させた大学者なんだよ。

女 それは、分かってるわ。二人とも、大学者よ。

青年 小林先生は、「ここで宣長の言葉を借りてもいいと思うが、年少の頃からの『好信楽』のうちに、契沖は、歌学者として生きる道を悟得した。私にはそう思われる」と書かれているけど(前掲書83頁)、二人の「好信楽」は、「好事家の趣味というような消極的な意味合い」ではない(前掲書66頁)、やがて大成する若い才能が自ずと示した「志」なのでしょう。

女 それも分かっているわ。二人の学者としての人生のドラマが、そこからどう展開していくのか、小林先生にご本の中で見せていただいている。でもね、だからといって、二人の「好信楽」と、私たちのそれとを、隔絶した別物とばかり思い込むこともないのじゃないかしら。

青年 なんだって。

女 宣長さんは、仏教の教説のみならず、儒墨老荘諸子百家つまり大陸由来の学問もまた「皆之ヲ好ミ信ジ楽シム」、さらには、「凡百雑技」から「山川草木」に至るまで、「天地万物、皆、吾ガ賞楽ノ具ナルノミ」と言ったそうね(前掲書60頁)

青年 それはあくまで「栴檀せんだんは雙葉から芳し」みたいなことだよ。

女 もちろん、宣長さんの場合は、こういう気質が、やがてご本人を新しい学問の道へと誘うことになる。これを直ちに、私たちのような凡庸な人間に引き付けて考えてはいけないのかもしれない。

青年 当然だよ。

女 でも、こういう、若き日の宣長さんの生き方には、なにかとても、健康的というか、ものごとに対する肯定的な雰囲気が感じられて、私は、好きだな。

青年 あなたの好き嫌いを言われてもね。

女 そうかしら。世の中の色んなことを楽しむことができる。楽しいからこそ、深く学び続けることができる。こういう姿勢って、私たちの学びにも通じるものがあるのではないかしら。私たちが、宣長さんや小林先生の作品を読み、学んでいるのも、別に誰かに強いられたわけではないし、フィギュアスケートみたいに誰かに採点してもらうためじゃない。自分のため、でしょう。

娘 でも、勝手読みはよくないよね。

女 もちろんよ。でも、きちんと読もうとするのも、宣長さんや小林先生のご本が好きだからなんだわ。好きだから、正しく知りたい。

男 そうなんだね。私もたくさんの間違いを犯しているかもしれないけど、間違いを恐れて、何か、萎縮してしまうのは嫌だな。好きだという気持ちを大事にしたいな。

女 おや、飲んだくれも、たまにはいいこというわね。

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

 

(了)

 

「さとりがましい」

「本居宣長」を手におしゃべりするのが大好きな四人の男女。今日も三々五々集まってきたようだ。

 

江戸紫が似合う女(以下「女」) あら、お買い物?

凡庸な男(以下「男」) 週末にワイン会があるので、買い出しに行ってきた。

女 ワインがお好きみたいね。

元気のいい娘(以下「娘」) ただの飲んだくれでしょう?

男 ご指摘は重く受け止める、でもね……

娘 記者会見みたいだね。「でもね」って、何か言いたいの?

男 呑めば酔っ払ってしまうけど、それでも、ワインというのは、奥深い世界だなと思うんだ。

娘 ほんと?あんた、ワインが分かるの?

生意気な青年(以下「青年」) だいたい、ワインって、構えからしてイヤミだね。こぶしがすっぽりと収まるほどの大きなグラスの、下四分の一ほどに白ワインを注ぐ。細く長い脚の根元を指で挟み、台座をテーブルの上で滑らせ、グラスを何度かゆっくりと回す、なんてね。

娘 そして、こう来るのよね。液体はグラスの中で揺れ、その膨らんだ部分に香りが満ちる。ゆっくりと香りを確かめ、おもむろにワインを口に含む、とかなんとか。

青年 極め付きは、「かりんや梅酒のような香り、それにかすかな蜂蜜のような香り。少し尖った酸味と柔らかな苦みがあって、余韻が口の中に長く残った」なんて能書きだね。

娘 キモすぎ。

青年 言ったもん勝ち、ハッタリの世界じゃないのかな。

男 でも、それだけでもないと思うんだ。飲むたびに、深みのある世界だって感じるんだよ。

女 あるワイン評論家がこんなふうに言ってるわ。「たとえば、ワインの質をはかる最大の基準は、『複雑さ』である。グラスについだワインに繰り返し戻るたびにさきほどとは違う香りブケや味に出会うことが多いほど、ワインは複雑だと言える」(マット・クレイマー『ワインがわかる』白水社刊23ページ)

男 だから、その複雑さについて深く知りたくなり、知ればしるほど、楽しみが増すような気がするんだ。

娘 確かに、そういうことって、ほかにもあるかもね。骨董品とか、絵画とか。

男 人間の感性を離れて明確に測定する、みたいなことができない世界。ワインを味わうように、絵画や骨董、詩や歌でも、「味わう」という言い方がピタッとくるよね。

青年 文学や美術のような文化的なものと、ワインなんかを同列に論じていいの?

女 そうかもしれない。でも、お叱りを覚悟していうと、こういう世界というのは、とても複雑で、奥が深くて、だからこそ、何度でも、繰り返し味わうことができるのでしょう。

娘 好きな絵や、気にいった骨董品であれば、何度見ても、長い時間見続けても、飽きることはないよね。

女 でね、これもさっき評論家の受け売りなんだけど、ワインにも、美術品や工芸品の世界と同じように、コニサーという人が存在するようなの。

娘 コニサー?

女 コニサー(connoisseur)。目利きとか、鑑賞家みたいな意味なんだけど。

青年 そういう人の言うことは、言ったもん勝ちのハッタリではないとでもいうわけ?

女 そうね。彼によれば、「コニサーについていちばん要を得た、おそらく最上の定義は、『好きなもの』と『良いもの』の区別ができる人」で、「理想的なコニサーとは、ワインを味わったあと、たとえば『こいつは偉大なワインだが、私はご免だ』といってのけられる人物」なんだそうよ(前掲書22頁)

娘 好き嫌いと、善し悪しの判断を区別するというのは、なんか分かる気がする。

青年 それは、主観を排して、客観的な基準で判断する、ということでしょう。物理的な測定を志向することになる。それが無理なら、結局、好き嫌いの世界に戻るんじゃない。

女 それもちょっと、乱暴というか、単純すぎるというか。

青年 なぜ?

女 単なる好き嫌いではないという意味で、主観的な判断ではない、とはいえるわ。でも、客観的な基準なんて、便利なものがあるわけではないのよ。

青年 では、どうやって判断するのさ。

娘 そうだね。複雑さに満ちていて、奥深く、飽きの来ないそういう世界で、万人が納得するような判断なんてできるのかな。

女 例の評論家が、アンティーク銀器のコニサーのお話を紹介しているの。「時代ものが当代のものより優れている、なんて根も葉もないことです。が、上等な銀器のコニサーにとってみれば、古物や新作にかかわらず、品物にひそむ、なにか名状しがたい気合のこもりかたから、あるものがオリジナルであるかどうかが判然とするのです。それは古さびた外観や傷、へこみの問題ではありません。よほど巧みに写してあっても、複製品にはオリジナルが必ず身につけているものが、どこか欠けている。作家の手の伸びやかで自然な動きがない、ともいえます。オリジナルには造った者の心意気と手の働きが体現されているけど、コピーにはこれがつかまえられない。ま、理由は説明しずらくても、実物を見れば納得がいくはずです」(前掲書p19,20頁)

男 こういう人たちって、対象のことが、ワインでも、銀器でも、絵画でも、詩歌でも、何でもそうなんだけど、とても好きで好きで、好きだからこそ、自分の勝手な感覚ではなくて、対象の中に備わっている良さを、なるべく本来の姿を損なうことなく知りたいと思うんだよ。

女 大好きだからこそ、対象が、そういう丹念な吟味に値するものだという確信がある。どうせこんなものだろうなんて決めつけはしない。その上で、容易にたどり着けないかもしれないけれど、学びを深めていくことに喜びを感じ、楽しんでいるのだと思うの。

娘 それって、好・信・楽の三題噺さんだいばなしに強引にもっていこうとしてない?(笑)

女 ばれたかしら(苦笑)。でも、あながち悪ふざけでもないと思うのよ。

娘 どういうこと?

女 小林秀雄先生は、(契沖と宣長の)「二人は、少年時代から、生涯の終りに至るまで、中絶する事なく、『面白からぬ』歌を詠みつづけた点でもよく似ている」と書かれているわね(新潮社刊「小林秀雄全作品」第二十七集、71頁)。二人とも、長じて偉大な歌学者になるのだけれども、その出発点には、歌を楽しむ心があったのではないかしら。

男 確かにそうかもしれないね。

女 だから、小林先生も、「『僕ノ和歌ヲ好ムハ。性ナリ、又癖ナリ、然レドモ、又見ル所無クシテ、みだリニコレヲ好マンヤ』いう宣長の言葉は、又契沖の言葉でもあったろう」と書かれたのではないかしら(前掲書71頁)

青年 しかしね。二人とも、歌が好きだったというのは、そのとおりかもしれないよ。でも、契沖と言う人は、「従来歌学の名で呼ばれていた固定した知識の集積を、自立した学問に一変」させるという卓越した精神の持ち主で(前掲書73頁)、宣長さんはそれをさらに発展させた大学者なんだよ。

女 それは、分かってるわ。二人とも、大学者よ。

青年 小林先生は、「ここで宣長の言葉を借りてもいいと思うが、年少の頃からの『好信楽』のうちに、契沖は、歌学者として生きる道を悟得した。私にはそう思われる」と書かれているけど(前掲書83頁)、二人の「好信楽」は、「好事家の趣味というような消極的な意味合い」ではない(前掲書66頁)、やがて大成する若い才能が自ずと示した「志」なのでしょう。

女 それも分かっているわ。二人の学者としての人生のドラマが、そこからどう展開していくのか、小林先生にご本の中で見せていただいている。でもね、だからといって、二人の「好信楽」と、私たちのそれとを、隔絶した別物とばかり思い込むこともないのじゃないかしら。

青年 なんだって。

女 宣長さんは、仏教の教説のみならず、儒墨老荘諸子百家つまり大陸由来の学問もまた「皆之ヲ好ミ信ジ楽シム」、さらには、「凡百雑技」から「山川草木」に至るまで、「天地万物、皆、吾ガ賞楽ノ具ナルノミ」と言ったそうね(前掲書60頁)

青年 それはあくまで「栴檀せんだんは雙葉から芳し」みたいなことだよ。

女 もちろん、宣長さんの場合は、こういう気質が、やがてご本人を新しい学問の道へと誘うことになる。これを直ちに、私たちのような凡庸な人間に引き付けて考えてはいけないのかもしれない。

青年 当然だよ。

女 でも、こういう、若き日の宣長さんの生き方には、なにかとても、健康的というか、ものごとに対する肯定的な雰囲気が感じられて、私は、好きだな。

青年 あなたの好き嫌いを言われてもね。

女 そうかしら。世の中の色んなことを楽しむことができる。楽しいからこそ、深く学び続けることができる。こういう姿勢って、私たちの学びにも通じるものがあるのではないかしら。私たちが、宣長さんや小林先生の作品を読み、学んでいるのも、別に誰かに強いられたわけではないし、フィギュアスケートみたいに誰かに採点してもらうためじゃない。自分のため、でしょう。

娘 でも、勝手読みはよくないよね。

女 もちろんよ。でも、きちんと読もうとするのも、宣長さんや小林先生のご本が好きだからなんだわ。好きだから、正しく知りたい。

男 そうなんだね。私もたくさんの間違いを犯しているかもしれないけど、間違いを恐れて、何か、萎縮してしまうのは嫌だな。好きだという気持ちを大事にしたいな。

女おや、飲んだくれも、たまにはいいこというわね。

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

 

(了)

 

「帰ってきた酔っ払い」

『本居宣長』を手におしゃべりする四人の男女。いつもながら、とりとめもない話が続くのだが、今日は、次の個所に話が及んで、ちょっと疲れたのか、みんな黙り込んでしまったようだ。

「宣長の真っ正直の考えが、何となく子供じみて映るのも、事実を重んじ、言葉を軽んずる現代風の通念から眺めるからである。だが、この通念が養われたのも、客観的な歴史事実というような、慎重に巧まれた現代語の力を信用すればこそだ、と気附いている人は、極めて少ない。」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集336頁)

 

元気のいい娘(以下「娘」) (所在なげに)なんか、ChatGPTって、バズってるね。

生意気な青年(以下「青年」) うん。試しにやってみた。日米安保条約一辺倒は日本の外交にとっていいことなのかって、ChatGPTに聞いたんだ。すると、「日米安保条約は日本外交にとってのきわめて重要ではあるが、唯一の選択肢ではなく、日本は他の国とも強い外交関係を持ち得る」とかなんとか、数秒で、答えを出したよ。

凡庸な男(以下「男」) なかなかもっともらしいこと、言うじゃないか。すごい時代になったね。

娘 なんか、優等生っぽくて、つまんねー。

青年 膨大なテキストデータを読み込んで、統計的な処理をして答えを作るというのだから、とんがった議論は出てこないんだよ、きっと。

男 それがコンピュータの限界だね。僕たちアナログ人間にも存在価値があるということだね。

江戸紫が似合う女(以下「女」) どうかしら。すくなくともこの例で、コンピュータくんを見限るのはおかしいと思うわ。

男 おやおや、根っからの文系人間だと思ってたが、人工知能に口出しするのかい?

女 まさか、まさか。疎いのはあなたと同じ。そうじゃないの。AIを利用するもっとずっと手前の問題。君のChatGPTへの質問のこと。

青年 なんだって。きわめてまっとうな問題提起でしょう。

女 問いが答えを含んでいる。

青年 えっ?

女 この世の中、何かに一辺倒なんて、それが唯一の選択肢であるはずがないじゃない。当然、何か保留を付したり、別の要素でバランスをとったりするでしょう。あなたのは、問いじゃない。

娘 結論を誘導してるのかな。一辺倒じゃなくてバランスね、みたいに。

女 何が正解か、あらかじめ決まっている。そのうえで、相手を「一辺倒」と決めつけて、「それでいいのか、いいわけがない」と言いたてたりるするのね。

男 でも、こういう言い回しって、政治の世界とか、マスコミ論調とかで、よく見聞きするよね。

娘 言葉による戦いのリングで、相手を追い詰めるパンチみたいなものね。自説が正しいということは当然の前提で、相手は間違っていることを、観客にアピールする。確信犯だね。

女 さっきの質問に、そんな覚悟はないわけでしょう。自分の言葉に自分で酔っている。AIくんがここまで深読みというか、先読みしていたかどうかわからないけど、お気楽な問題提起もどきに如才なく答えてくれたのよ。限界を露呈したのは、質問者のおつむの方じゃなくて?

青年 ひどいことをいうね。

男 でも、ボクたちが、『本居宣長』を読み進めるときに行っている「自問自答」はどうなのかな。これも、問いと答えがセットだけど。

女 私たちの「自問自答」は、問いを立て、これに答えるという型になっている。これは、本文にどう向き合い、どう読み取ろうとしたかを、自分自身に対して明晰にするという意味もあるわね。そしてその全体が、この『本居宣長』の本文に対する、究極的には小林秀雄先生に対する質問になることを目指しているのだわ。

娘 でも、その答えは、ボクたちの側にはないんだね。

女 そのうえで、本文そのものに何処まで近づいていけるか、というのが、私たちの勉強よね。ちょっと気負った言い方をすれば、訓詁くんこの道の第一歩かしら?

男 大きく出たね。

女 でも、難しいのは、言葉ってとても曲者くせもので、言葉を発する当の本人をだますということね。

男 そりゃどういうことだい?

女 私たちは、しばしば、いろんな文章を「解釈」したりするけど、本文の分かりにくさを自分なりに要約したり、抽象したりする過程で、本文の読み取りではなく、自分の思考や感情の表明へとすり替わっている。でも、それに気づかない。

青年 でも、それは、その人の読解が主観的というか、客観性を欠いているからじゃないの?

女 それが、言葉が人をだますってことよ。

青年 なんだって。

女 主観的と客観的。二つの言葉を比べれば、主観的は自分勝手で、独りよがりだけど、客観的は、そうではない。客観的こそ正しい考え方。だから、客観的事実というのは、正しいこと、と言い換えてもいいわよね。

男 それでいいじゃないか。

女 でも、なにかが正しいというのは、結論そのものでしょう。その結論でよいのか、なぜよいのか、そこのところが抜けているんじゃないかしら。

娘 客観的という言葉の中身が何か、ということかな?

女 そうね、自然科学の世界であれば、物理学や天文学の知見を活用して、紫式部が眺めた夜半の月の月齢を客観的事実として提示できるかもしれないわ。でも、その月を見て歌を詠んだ式部の気持ちや、周囲の人々の受け止め方なんて、わかるはずもない。

男 そんなことどうでもいいじゃない。分かるはずはない、難癖だよ。

女 でも、歴史上の事実って、みんな、同じようなに、分かるはずのないものでしょう。

青年 不可知論ってわけ?

女 そうじゃないの。歴史の研究は大事だし、厳格な史料批判などを通して豊かな知見がもたらされているとは思う。でも、そういう歴史研究も、過去の人々ではあっても、同じ人間なのだから、最低限、理解し、推量できる部分があるはずだ、という前提があるんだと思うわ。

青年 了解可能性みたいなこと?

女 さあどうかしら。でも、歴史家も、頭の中には、数式と数値ではなく、日本画や英語や中国語といった言葉が充満しているんだと思うわ。そうであれば、主観と客観の区別と言っても、単純なものではないはず。

青年 それはそうだけど、歴史というのは、物語ではなくて、歴史事実の積み重ねであるべきでしょう。

女 それもどうかしら。よく、歴史の流れとか、社会の動きとかいうけど、川の水が流れるとか、工作機械が動くみたいなのと違って、比喩に過ぎないの。もちろん、物事を理解したり、伝達したりするための上手な嘘とでもいうべきもので、知的な価値は否定しないわ。でも、歴史事実というのは、それを発見する人の言葉の働きと切り離せないはず。

青年 主観的であっていいというの?

女 そうではないの。客観的な歴史事実なんて、放射線炭素年代測定法で年代を特定できるマンモスの牙みたいに、地中深く埋まっているわけではないの。

青年 そんなことは、分かってるよ。

女 そうかしら。客観的な歴史事実なるものを追い求めるあまり、先人の言葉に耳を傾けることを軽視していないかしら?

青年 耳を傾ける?

女 そう。私たちは『本居宣長』の本文の意味するところに迫ろうと、「自問自答」を組み立てたうえで、小林先生の声を聴こうとするでしょう。古い文の意味を知り、歴史に迫ろうとすることは、それと同じようなことじゃなくて?

青年 先人の声が聴こえてこないかと、耳を澄ますとうわけ?

女 少しは感じをつかんでいただけたかしら?

青年 主観を通じて客観に迫るってことかな。

娘 なんか、すかしてるね。

女 せっかくつかみかけたのに、そういう現代的な言葉づかいで分かったつもりになるから、元に戻ってしまう。それだけ、言葉の力が強いということかしら。

娘 自分の言葉に酔って元に戻っちゃう。帰ってきた酔っ払いだね。

女 酔っ払いに失礼だわ。

 

青年は不服そうだが、四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

「批評家貫之って誰?」(対話ふうに)

女 今度の山の上の家の塾、あなた発表の当番よね。自問自答のテーマは?

男 「貫之が批評家であるとは、いかなる意味か」だよ。

女 ああ、あの箇所ね。小林秀雄先生は、紀貫之について、「やはり、彼の資質は、歌人のものというより、むしろ批評家のものだったのではあるまいか」(新潮社刊『本居宣長全作品』第27集306頁)とおっしゃっている。どうしてここ選んだの。

男 批評家という言葉は、やはり気になる。『本居宣長』という本を読む上で、一つの鍵になる言葉かもしれないと思ってね。

女 そうね、小林先生は、別のところで、(宣長という)「この大批評家は、式部という大批評家を発明したと言ってよい」(同上146頁)とも、書かれているわね。

男 だからさ、小林秀雄という大批評家が貫之という大批評家を発明したといってよい、なんてね。

女 あなた、そんな駄洒落みたいなことでいいと思ってるの。

男 厳しいな、どうしてさ。

女 小林先生ご自身は、いま私たちが普通に使う意味での批評家だけれども、貫之が批評家であり、式部が批評家であり、宣長が批評家であるというのは、それぞれ、小林先生が、考え抜いた末に述べた言葉でしょう。「発明した」という言葉にも、何か含みがありそう。そういう、それぞれの文脈を抜きに、単純に同じ意味とは考えられないわ。

男 それぞれの文脈が大事なのは分かるけれど、その上で、同じ言葉を使ったようにも思うんだけど。

女 そうかしら。でも、こういう抽象的な議論はだめね。具体的に、貫之について、あなたの答えはどうなの。

男 要点は、貫之は、『古今和歌集』の『仮名序』において、和歌論を和文で書くことに成功した、ということだと思う。

女 文を書いたから、批評家だというの。

男 和歌を詠むのではなく、和文を書いて歌を論じたわけだから。

女 歌と文とは、そんなに違うの。

男 それはそうさ。和歌はもともと声を出して歌うものだけど、和文は黙って目で読むのだから。

女 文字の有無が問題なの。

男 うん。我が国には、固有の言葉はあっても、それを表す文字がなかった。だから、大陸由来の漢字を転用して使っていた。

女 万葉仮名ね。でも、和歌以外の言葉も、万葉仮名で表せば同じことじゃないの。

男 なんだって。

女 文字がもたらされる前だって、「その先はがけで危ない」とか、「初霜が下りたらこの作物は急いで刈り取る」とか、情報伝達のための言葉はあったはずでしょう。散文的、とでもいうのかしら。これは別に、貫之さんの発明品じゃないわね。

男 まあ、それはそうだけど。

女 もちろん、太古の昔のそのまた昔、ヒトという生物がコトバを獲得した時点にまで遡れば、思いのたけを振り絞るような、感情の表出とも意思の伝達ともつかぬ、声やら身振り手振りやらの混淆した何かが、言葉の源だったかもしれないわね。そういう光景を、言葉は歌として生まれた、なんていうこともできそう。でも、『万葉集』が編まれたころには、まがりなりにも国家なるものが成立していて、いろんな出来事を記録するための言葉の使い方もあったはずでしょう。

男 そうだね。だから、『万葉集』にも、歌そのものとは別に、題詞や左注として、作歌の場所とか経緯とか、作者についての説明とか、補足情報みたいなものが書かれているよね。でも、それらはみんな、漢文なんだ。

女 それが不思議ね。

男 話し言葉と書き言葉の間には、大きな隔たりがあるということかな。だから、初めてそれを乗り越えて、和文で自分の言いたいことが書けた貫之さんは偉い、そういうことじゃない。

女 貫之さんが偉いのは、その通りだけど、それだけじゃ、貫之さんの資質は批評家のものだった、ということにならないわ。

男 また厳しいね。そうだな。小林先生は、「言葉が、音声とか身振りとかいう言葉でないものに頼っている事はない、そういうものから自由になり、観念という身軽な己れの正体に還ってみて、表現の自在というものにつき、改めて自得するという事がある」(同上309頁)と仰っている。表現の自在っていうくらいだから好きに書けばいいのに、なんて思っちゃうな。

女 そこよね。『万葉集』の編纂者たちは、題詞や左註を、外国語である筈の漢文で自由に書くことが出来た。これもすごいことだけど、でも、それだけの能力のある人たちが、和文を書くことはしなかった。

男 できなかったということ? でも、なぜだろう?

女 それが、和文の「体」ということかしら。

男 「体」というのは、文体みたいなことかな。

女 その辺は、私も、正確につかんでいるわけではないけれど、もっと根本的な、書き言葉の型みたいなもののことじゃないかしら。夏目漱石が、言文一致の現代書き言葉を作った、なんていうでしょう。

男 それは聞いたことがある。理屈はよくわかんないけど、実際、漱石は読めても、樋口一葉なんて歯が立たない。

女 それはあなたご自身の問題が、あっ、ごめんなさい、話を戻すわね。作者一人一人のスタイルの違いというより、もっと根本的な、書き言葉の型のようなものが必要なのじゃないかしら。貫之の『仮名序』によって、その型が生まれた。

男 なるほどね。でも、さっきの意趣返しじゃないけど、『仮名序』に何らかの型を見いだせるとしても、それだけじゃ、貫之が批評家であるという意味は明らかではないよ。

女 そうね。むしろ、「論文が和風に表現されたのは、これが初めてであった」(同上308頁)というところにヒントがありそうね。

男 和風に表現する、というところ?

女 ええ。表現するためには、形式がいる。小林先生は、「貫之は、自分で工夫し、決定した表現形式に導かれずに、何一つ考えられなかった筈である」(同上308頁)と書かれているでしょう。

男 表現形式なんていうと、なにか、出来合いの鋳型みたいなイメージがわいてしまうけど。

女 そうじゃないの。自分の考えを導いていく筋道というか、自分の考えをまとめることと、それにふさわしい言葉を与えることとが、表裏一体になっている。そういう働き全体が、「自分で工夫し、決定した表現形式」なのじゃないかしら。

男 それが、「和歌の体」に対応する「和文の体」ということなのかな。

女 湧き上がる思いがあってもそれがそのまま歌になるわけではない。歌として完成するためにはそれにふさわしい表現形式を持つ必要があるでしょう。そういう和歌の体があってこそ、歌に込められている思い自体がはっきりと見えてくる。

男 和文については、どうなるのかな。

女 から歌とやまと歌の違いについては、『万葉』のころから、なんていうのかな、言わずもがなの機微として、歌人たちは分かっていたはずよね。そのあたりの微妙なところを、貫之は、「やまと歌は、人の心を種として」と書いた。

男 ああ、そうか。貫之がそういうふうに書けたということは、そういうふうに考えることが出来たということでもあるんだね。それが批評というわけか。

女 ええ。貫之は、「和歌では現すことが出来ない、固有な表現力を持った和文の体」(308頁)を作り出すことによって、歌を詠むのではなく、詠むことについて深く考えて、表現した。そのとき、考えることと表現することとは、混然一体で、切り離すことはできないのね。

男 すると、こうかな。心の中の思いとしては、似たような事柄が浮かんだり消えたりするかもしれないけれど、その思いにふさわしい姿かたちを与えられるかどうかは別のことなんだ。だからこそ、和歌にとって「和歌の体」が肝心であるのと同じ意味で、和文にとっては「和文の体」が決定的なんだね。ずいぶん頭が整理された気がする。ありがとう。

女 でも、自問自答を三百字で書けるかしら。きちんとした和文の体で。

男 とことん厳しいなあ。でも、書いてみることにするよ。

(了)