「楽屋落ち」

いつもながら、『本居宣長』を片手におしゃべりする四人の男女。今日は、どうだろう。

 

凡庸な男(以下「男」) 年末年始の休みに、テレビを見ていると、お笑いの人たちが内輪話で笑いを取っているのが結構多くて、普段、テレビもYouTubeも見ないロートルには、ちょっと疎外感があったなあ。

元気のいい娘(以下「娘」) ロートル?

江戸紫が似合う女(以下「女」) お年寄りのこと。もう死語ね。そういう言葉遣い自体、語るに落ちというか。

男 はいはい。分かりました。どうせ、感覚の古いジジイでございます。でも、楽屋落ちばかりというのは、どうかなあ。

生意気な青年(以下「青年」) 僕らでも、ちょっと鼻につくことはありますよ。

女 楽屋落ちというのは、江戸時代に書かれた歌舞伎の台詞にもあったりするらしいわ。当時の役者さん同士の楽屋話。今の人は分からないけれど、当時の観客には通じていて、きっと受けていた。

男 もちろん、生真面目なお芝居のところどころに、笑わせる場面を挟むのはよくあることだけど、楽屋話が受けるのは、本来そういう話題は出てこないはずの舞台の上で禁を破ってしまうところに、ドキリとか、ニヤリとかさせる面白さがあるわけでしょう?

青年 舞台と楽屋は、本来峻別されている、ということですかね。

娘 じゃあさ、和歌の楽屋入りってのは、どうゆうこと?

青年 えっ?

娘 「才学に公の舞台を占められて、和歌は楽屋に引込んだ」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集302頁)ってあるじゃない。

男 ああ、それはね、「極端な唐風模倣という、平安遷都とともに始まった朝廷の積極的な政策が、和歌を、才学と呼ばれる秩序の外に、はじき出した」(同上299頁)、その結果、和歌は「私生活のうちに没入した」(同上302頁)ということだよ。

青年 大陸の先進文明を必死で取り入れていた時代だからね。律令制とか仏教による鎮護国家みたいな統治のあり方ばかりでなく、今でいうテクノロジーやハイカルチャーの全体が大陸から流れ込んできて、支配層、知識階級の人々は、それを漢文、つまり外国語文献で学び、さらに自分たちも漢文を使いこなすようになった。自分の気持ちを漢詩で表すこともできた。

娘 それでも、国語は生き残ったのでしょう。

男 歴史を紐解けば、征服王朝で、被支配階級に、かつての被征服民族の言葉が残っているとか、珍しくはない。

女 そういうのとは、ちょっと違うと思うわ。支配層自身の問題でもあったのでしょう。だからこそ、「和歌は楽屋に引込んだので、何処に逃げ出したわけではない」ということになるのだわ。

娘 ああそうか、楽屋といえども、劇場の不可欠の一部だものね。そこにとどまった。

青年 この話は、和歌に限らないと思う。大陸由来の文明の様々なパーツを、有用なものとして、賞味したいものとして、あるいは外国に伍していくため必要なものとして、そっくりそのまま受け入れていったよね。そうやって、先進文明にキャッチアップしていくんだけど、それは、人々の心の中にまで及ぶものではなかった。おおやけわたくしという言葉遣いをすれば、支配層を含む文明全体として、わたくしの世界には、古来の、日本語の世界が残ったんだね。

娘 どこかで聞いたね。

男 『本居宣長』第二十五章で出てきた大和魂についての話だね。

娘 というと?

男 『源氏物語(乙女の巻)』で源氏君が「なほざえを本としてこそ、大和魂の世に用ひらるゝかたも、強うはべらめ」と言う(同上278頁)。小林先生は「才が、学んで得た智識に関係するに対し、大和心の方は、これを働かす知慧に関係するといってよさそう」(同上279頁)と書かれているね。

青年 しかも、大和心とか大和魂の「当時の日常語としてのその意味合は、『から』に対する『やまと』によりも、技芸、智識に対して、これを働かす心ばえとか、人柄とかに、重点を置いていた言葉として見てよいように思われる」(同上281頁)と論じている。

女 外国語と日本語の対立というより、漢文に代表される外来文明は消化済みであることを前提とした上で、人々の内面における公式の知識体系と心情的、感情的なものとの軋轢やすれ違いから生まれた言葉のように思えるわ。

青 だから、表舞台は才学でも、楽屋に戻ればやまと心みたいな、使い分けというか、支えあいみたいなものになったんだね。

娘 で、楽屋に引込んだ和歌は、その後どうなったわけ? 「私生活のうちに没入し」、「日常生活に必須の物」として「生活の一部」となったと書かれてるけど(同上302頁)、どういうこと?

青年 さっき、出てきた源氏君の言葉。あれは、学問という土台があってこそ大和魂を世間で強く働かせることが出来るという趣旨で、直接には、学問つまり公式の才を推奨するものではあるけれど、決して、公式の才と大和魂に主従があるという意味ではないよね。少なくとも、世間を渡っていくため大和魂が必要不可欠の存在であるとはいえる。和歌もまた、人々の暮らしに必要不可欠のものであった。

女 そうね。「和歌の贈答がなければ、他人との附合を暖める事もかなわぬ、それどころではなく、恋愛も結婚も出来ない」(同上)ということは、日々の暮らしの中で、思いを巡らし、心を砕くべき事柄について、言葉にして表そうとすると、それは和歌であったということじゃなくて?

男 人間関係というのは、書物に書かれた規則や先例を当てはめれば事足りるというものではないからね。

青年『古今集』に収められた歌は、『万葉集』の直情的な歌風に比べ技巧的だから、生活から遊離していたなんて人もいるけど、むしろ逆なんだね。

女 和歌は、公式の場面では使われなくなったけれど、人々の人間関係の機微を調ととのえるすべとしては、存分に働いていた。まさに大和魂の発揮の場所だったのね。

男 時代の経過とともに、和歌の表現の技法も、おのずと洗練されていくだろうね。

青年 技巧の洗練が、ついには、「叙事でも、抒情でもない、反省と批評とから、歌が生まれている」(同上303頁)いうことになったのかな? 

女 単なる技巧の話ではないと思うわ。日常生活の、さらに人生行路の種々の局面で去来する思いは様々なものがあるけれど、それを表すものが和歌しかないとして、和歌にどれほどのことが盛り込めるか、いろんな試行錯誤があったんじゃないかしら。

男 事績や自然の有様を述べたてる叙事の歌や、喜怒哀楽の感情をくみ取り表す抒情の歌は、和歌の最も普通の姿かもしれないが、それだけでは物足りないということだよね。

娘 じゃあ、反省と批評って、どんなこと? 

女 それは難題で、直接には答えられないけれど、少し考えていることはあるの。

娘 どういうこと?

女 歌を詠もうとして、複雑で陰影に富む感情のひだのようなもの、喜怒哀楽といった感情の定型に収まりきらないもの、そういう歌にうまく盛り込めないものが出て来る。作歌の過程で、そういう微妙な何かに、思いをはせることがあるのではないかしら。

娘 微妙な何か?

女 たとえば悲しいことがあったとして、悲しみに打ちひしがれるだけではなくて、悲しんでいる自分を眺めるもう一人の自分がいるのを感じたり、自分の悲しさについて人々が経験し共有してきた悲しみの記憶と引き比べてみたりすることがあるかもしれない。

男 自分の内面を見つめ直すということかな。

女 ええ、でも内面のことだけではないわ。歌を詠むという行為は、あの微妙な何かを直截には表していないかもしれないけれど、読めばその何かを思い起こさせるような言葉の連なりを目指している、そんな気がするの。

青年 歌にどういう姿を与えるかが、作者の内面に跳ね返ってくるし、歌を読む側の心中にどんな波を立てるのかも、それによって変わってくるんだね。

娘 そうか。和歌がそんな風に「出直」し、「己れを掴み直」したというのも(同上303頁)、大和心の働きなんだね。

女 そうね。よく、「古今集」は「手弱女たわやめぶり」だなんていうことがあるけど、そこじゃないのよね。

娘 そこじゃないって?

女 『古今集』を読んでいけば、手弱女を連想させるような繊細可憐な歌を見つけられるかも知れない。その人の好みでね。でも、大事なのは、そこじゃない。

男 「やまと歌は、人の心を種として」という、『古今集仮名序』の話かな。

女 ええ、でも、それは別の機会にしましょう。

 

男はちょっと物足りなさそうだが、四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

勝手にしやがれ

いつもながら、『本居宣長』を片手におしゃべりをする四人の男女。今日は、どうだろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 甥っ子がさ、保育所から帰ってきて、こんなこと言うんだ。「ユータにもバーバがいる」って。すごく驚いた様子なんだ。

凡庸な男(以下「男」) どういうこと。

娘 ゆうた君というのは、甥っ子の仲良しなんだけど、保育所で会うだけでしょ。甥っ子は、親が迎えに来てうちに帰れば、優しいばーばが待っている。で、うちにいる間は、ゆうた君のことは忘れちゃう。

男 小さいなりに、ゆうた君と、世間話みたいなことするようになったのかな。うちのばーばーがさあ、みたいな。

娘 ちょっとちがうんだ。甥っ子の知らないところでも、ゆうた君には家族がいて生活があるということに、驚いたみたいなんだ。

江戸紫が似合う女(以下「女」) ああ、そうか。ゆうた君は、甥っ子くんに見えている世界の登場人物、テレビの画面で動き回るけどスイッチを切れば消えてしまうアンパンマンみたいなものじゃなくて、自分と同じように、自分と関係なく、生きていることに気づいたということね。

生意気な青年(以下「青年」) 他者の発見ということだろうか。

女 さあ、どうかしら。でも、もう少し大きくなると、自分の見ている世界と、ほかの人が見ている世界が、本当に同じだろうかなんて、悩むというか、怖くなったりする時期もあるのよね。

男 でも、まあ、大人になると、他人のはらのうちなんか分りようもないけど、それは仕方がないことで、まあなるようになるだろうって思うようになる。

青年 呑み屋に行けばおっさんたちがわーわーしゃべってるけど、はたで聞いてると、同じ言葉を同じ意味で使っているとは限らないね。

娘 それでも、何か通じ合うものはあるんだよ。ボクらの女子トークでも、カワイイとヤバイが飛び交うだけみたいだけど、決してすれ違いじゃない。

女 小林秀雄先生も、こんな風におっしゃっているわね。「談話を交している当人達にとっては、解り切った事だが、話のうちに含まれて変わらぬ、その意味などというものはありはしないので、語り手の語りよう、聞き手の聞きようで、語の意味は変化して止まないであろう。私達の間を結んでいる、言語による表現と理解との生きた関係というものは、まさしくそういうものであり、この不安定な関係を、不都合とは誰も決して考えていないのが普通である」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集268頁)。

青年 不安定な関係か。なるほどね。日頃眼にする光景なんかでも、たとえば、雨雲の不気味な感じとか、誰かがつまずいたときの身体の奇妙な動きとか,言葉で表現するのは難しいよね。そのときどきの自分自身の思いだって、ピッタリとした言葉が見付かるわけじゃない。

女 でも、言葉ぬきに、目の前の出来事を理解したり、自分の気持ちを自覚したりすることはできないでしょう。

男 だからそこは妥協してんだよ。当たらずと言えども遠からず、持ち合わせの言葉で間に合わせるしかない。みんなが詩人になれるわけではなし。

女 そうかしら。身振り手振り、表情や声色,間の取り方などで,相手に伝わる中身は,千変万化じゃなくて? もちろん、話し手と聞き手の間にずれはありますわ。でも通じるの。小林先生は、「その全く個人的な語感を、互いに交換し合い、即座に翻訳し合うという離れわざを、われ知らず楽しんでいるのが、私達の尋常な談話であろう。そういう事になっていると言うのも、国語と言うおおきな原文の、おおきな意味構造が、私達の心を養って来たからであろう。養われて、私達は、暗黙のうちに、相互の合意や信頼に達している」と書かれている(同上)。

娘 でも、ずれはあるから、同じ言葉にいろんな意味が詰め込まれ、変化するんだね。

男 言葉は便利な道具だから,みんな工夫して使う。連想ゲームのような,物のたとえとして言葉を使い,それが,広く受けいれられれば,新しい意味を持つようになるんじゃないかな。顔にある「くち」という言葉は、きっと原始のころからあったんだと思うけど、土器を作るようになれば、瓶の口という言い方が出て来る、物事の始めと言う意味で、口火を切るなんて言い方も生まれる。まあ、全部勝手な想像だけどね。こんなふうにして,言葉が新しい意味を帯びるようになる。

青年 転義ということだね。

娘 小林先生も書いてるよね、「古事記」の訓詁をするに際し、「宣長が着目したのは、古言の本義よりもむしろその転義だった」って(同上271頁)。

青年 ちょっと不思議な感じがする。「古事記」が書かれた当時の、あるいは、天武天皇が稗田阿礼に語り聞かせた当時の言葉の使い方を、スナップショットを撮るみたいに再現できれば、それがベストだろうに。

女 小林先生は、その辺りの宣長さんの考え方を、「古言は、どんな対象を新たに見附けて、どのように転義し、立直るか、その現在の生きた働き方の中に、言葉の過去を映し出して見る人が、言語の伝統を、みずから味わえる人だ。そういう考えなのだ」(同上)と書かれているわ。

男 考古学者が遺跡を発掘し、出土品を吟味するようなやり方で、文字として記録されていない頃の言葉の意味を探求しても、実りはないということかな。

娘 だから、宣長さんは、「国語というおおきな原文の、おおきな意味構造」に期待を寄せたんだろうね。

男 小林先生は、「言葉の生き死にとは、私達の内部の出来事であり、それは、死んで生まれ変るという風に言葉を用いて来た私達の言語活動の歴史である」と書かれているね(同上270頁)。

女 言葉って、普段何気なく使っているけれど、長い時間の経過の中で、人々の生活と相連れ添って、様々に変化していき、その積み重なりのようなものが凝縮している。宣長さんは、きっと、古言が、どのような生き死にを繰り返して今に至ったか、逆に振り返ってみようとしたのですわ。

娘 振り返るの?

女 それは、たぶん、「人間経験の多様性を、どこまで己の内部に再生して、これを味うことが出来るか、その一つ一つについて、自分の能力を試してみる」(同上351頁)ということじゃないかしら?

娘 味わうことが出来るかどうか、ここが大事なんだね。

女 そうね。言葉と人々は、そういう関係にある。人々の生活が時とともに変化するように、言葉も姿を変える。でも、人間のそもそもの在り様にも、言葉という巨大な構造体にも、原始以来変わらぬものがある。だから、分る人には分かる、古人の声が聞こえてくるはずだ、このようにして古意を得るに至るのだ。こういうことじゃなくて?

男 それが、先生のおっしゃる「古人が生きた経験を、現在の自分の心のうちに迎え入れて、これを生きてみる」(同上350頁)ということなんだね。

娘 そうすることによって、「過去の姿が歪められず、そのまま自分の現在の関心のうちに蘇って来ると、これは、おのずから新しい意味を帯びる、そういう歴史伝統の構造を確める事が、宣長にとって『古へを明らめる』という事であった」(同上第350頁)というわけか。

青年 でも、過去の姿を歪めてないなんて、そんなこと言えるの?

女 それはむずかしいわ。

娘 無私ということかな。

青年 それもさあ、私は無私であるなんて主張自体が、なんか矛盾をはらんでるよ。

男 それで、よくいう主観的な解釈ってことになってしまう。やはり、客観性というものが必要だよ。

女 そうかしら。客観的というのは、尺度が自分勝手ではないということでしょう。その限りで、主観的ではない。多くの場合、社会的な、あるいは一定の専門家集団の中での、共通理解とでも言うのかな、ある種の通念を尺度としている。私達の日常生活の大半は、それで事足りているんだけど、宣長さんが取り組んだような、「古事記」の訓詁みたいな世界は大違いね。

青年 なんで? 宣長さんのやったことも、学問なのでしょう?

女 共通理解として承認された尺度を当てはめることに際し、個々の事物や事象が帯びている微細で偶発的な差異は、理論上の意味がないものとして捨象される。そういう学問も、人類の大切な知的財産ですわ。でも、歴史はどうかしら。大昔の人でも、与えられた状況の下、その人なりの決断で事に処していたわけでしょう。いまふうにいえば、自由な行動の主体なのですわ。宣長さんの「古事記」の訓詁は、古人の生活や感情を再現しようとする学問だった。だからこそ、客観的な尺度なんかに頼れなかった。

男 歴史なんてのは、実験できるわけじゃないし、再現性のある事象を扱ってるのではないから、自然科学で言うような客観性とは異質なのはわかる。でもなんか釈然としないなあ。

女 そうね。難しいわ。さっき、小林先生の、人間経験の多様性を己の内部に再生してこれを味わうという部分を引用したけれど、そういう作業を進めれば、自分は、或るものに共感するが他の或るものにはそうではない、というように、自分の個性と言うか、限界が見えて来る。こういう作業を繰り返し、突き詰めていけば、我がこととして語れるのはこれだと言えるような域に達する、こういうことかしら?

娘 我がこととして?

女 そう。対象を分析評価して結論を導くのではなく、思い出が記憶の奥底から浮かび上がって来るみたいに、何かが見えて来る。それを我がこととして語る。

男 そういえば、先生は、別のところで、「思い出すという心法のないところに歴史はない。それは、思い出すという心法が作り上げる像、想像裡に描き出す絵である。各人によって、思い出す上手下手はあるだろう。しかし、気儘きまま勝手に思い出す事は、誰にも出来はしない」と書かれている(同上117頁)。

青年 でも、思い出す心法というのも、よく分からない。各人の想像理に描き出すなら、気儘勝手なものに決まってる。

女 そういう心法がどんなものなのか、私にもよく分かりませんわ。ただ、宣長さんは、ことばこころを別々には考えなかった。何か言いたいことがあって、それを表現するために一定の文字列を対応させるルールがあり、その文字列が詞だ、とは考えていない。その詞の姿かたち自体に、意味内容が宿っているのね。そして、国語という巨大な意味構造も、一つ一つの言葉が背負っている転義の歴史も、個々の人間では、どうにも動かしようがないものでしょう。その上で、詞に向かい合うわけだから……

青年 なるほど、気儘勝手というのは言いすぎかな。でも、そこから先はどうだろう。思い出す上手下手っておっしゃるけど、僕らはどう考えればいいのさ?

女 そうね、とっても難しい。もっと、先生のご本に向かい合わないと、いけないわ。

男 下手な考え休むに似たり、なんちゃって。

娘 ケッ、勝手にしやがれ。

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていく。

(了)

 

木と語るひと

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する四人の男女。今日は、どうだろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 法隆寺のクラファンがバズってるんだってね。

凡庸な男(以下「男」) 二〇〇〇万円の募金目標をあっという間に超え、億に達するというから、すごいね。さすがに、日本が誇る世界最古の木造建築物だ。

娘 でさ、法隆寺の宮大工の人のお話、読んでみたんだ。

生意気な青年(以下「青年」) ああ、西岡常一つねかずさんだね。どうだった。

娘 やばい! カンドーしちゃった。小林秀雄先生の『本居宣長』を、初めて、二・一周したときに、あっ! と思ったのとおんなじ感じがした。

青年 なんだい、その二・一って?

娘 三周目に入って、五章末に差し掛かったってことさ。

男 その、二周とか三周とか、トラック競技でラップタイム計ってるんじゃないんだから、ちょっと失礼じゃないの。

娘 そうかなあ。正直さ、『本居宣長』って、最初はちんぷんかんぷんで、いやになりかけるんだけど、周りのオジサン、オバサン……

一同 ん?

娘 あっ、おにいさま、おねえさまから、とにかく読み続けなさい、何度も読みなさい、って言われるでしょ。最初はさあ、またあの読書百遍どうのこうの、ちょーアナログのお説教かと思うじゃん。でも我慢して、五十章までの通読を二回クリアして、三回目に入る。

青年 うん。

娘 でさ、五章の末尾、「契沖は、既に傍に立っていた」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集第67頁)で、あっと思った。『本居宣長』という長い長いお話の真ん中に、宣長さんや小林先生が白い光を帯びて立っていて、ボクの方では、安心して、その周りを、何周も何周も回っていればいい、そんな気がしたんだ。

男 光を帯びて立っているって、どういうことかな?

娘 SF映画みたいだけど、時空を超えてやってきた存在、まばゆい光にシルエットが浮かぶ人物像、みたいなね。そのときは、この難しい本も、なんとか読み続けられそうだって思った。宮大工さんの本読んで、そのときのこと、思い出したんだ。

江戸紫が似合う女(以下「女」) 『木のいのち木のこころ<天・地・人>』(新潮文庫)というご本ね。「天の部」が、西岡常一さんのお話ね。法隆寺金堂、法輪寺三重塔、薬師寺の金堂や西塔の復興を果たした方で、「最後の宮大工」と言われているわ。

青年 それがどんなふうに、『本居宣長』と関係しているわけ?

娘 「関係」とかいうことじゃなくて、ボクにとっては、おんなじ体験だったってことさ。

青年 どういうこと?

娘 法隆寺って、一三〇〇年くらい前に建ったんでしょう。「それもただ建っているいうやないんでっせ。五重塔を見られたらわかりますけど、きちんと天に向かって一直線になっていますのや」、「しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、かんなをかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや」、「こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ」(同上書30頁)っていうんだよ。

男 へーん。そういう、その道を究めた職人さんの話って、面白いよね。私も読んでみようかな。

娘 西岡さん、木を通じて、昔の人と対話してるんだ。

男 木を通じた対話?

娘 こんなふうに言うんだ。「解体修理をしてますと、いろんな時代の木に触りますが、昔の人の木の使い方、木に対する考え方がわかってきて、おもしろいもんでっせ」とか、「創建以来、何回も、さまざまな時代に大規模な修理がされていまっしゃろ。そこに使われた古材を見ていますと、時代によって木や建築に関する考え方の違いがよくわかりますのや」とか(同44頁)。

男 へーん、面白いもんだね。

娘 ボクには、西岡さんが、白い光を帯びて現れたんだ。

青年 訳が分からない。どういうこと?

娘 西岡さんの眼には、古代から近世に至る歴代の職人の仕事ぶりが見えるらしい。飛鳥の工人は木の性質をよく知っていて、力強く、組み合わせもよく考えられている。「これが室町あたりからだめになってきますな。まず、木の性質を生かしていない」から腐りやすく、すぐに修理がいる。「ひどいのは江戸ですわ。慶長の修理に至りましては、いやいややったのがよくわかります」そういう「江戸のころの修理や木の扱いを見ていますと、考えが現代に似てすさんでいますな。木は正直でっせ。仕事は残るんですわ」(同45,46頁)。こんな感じ。

女 素敵なお話ね。

娘 なんか、千数百年の月日の間に働いた職人たちが、いや、もっとだな、飛鳥人が材料に用いた樹齢二〇〇〇年の檜の種をまいた古代人の話なんかしてたから、そういう何千年もの歴史が西岡さんに乗り移ったみたいなんだ。

女 ああ、それで、西岡さんが白い光を帯びるというふうに。なんとなく分かったわ。

青年 ピンとこないなあ?

女 西岡さんは、あくまで、目の前にある木材を見つめ、触り、それでいて、その向こう側にいる往時の工人たちと会話しているのでしょう。

娘 そうなんだ。あのときはこうだったんですよ、みたいに話してくれる。

女 西岡さんの目には、「日本書紀」巻第一の素戔嗚スサノオノミコトの段から、昭和平成の大修理に至るまで、寺社建築のあらゆる事柄が一望に見渡せていたのではないかしら。

青年 それは要するに、知識が豊富だったということでしょう。

女 そうではないの。建築史家のように、過去の建築様式や建築技法を、客観的に認識し、分析し、ある体系のもとに記述する、ということではないの。なんていうのかしら、語られている寺社建築の歴史、もっといえば、山の木々と人々の長い付き合いの歴史が、西岡さんご自身の技や経験と分かちがたくて、西岡さんが歴史を語っているのだけれど、その西岡さんが歴史の中に溶け込んでいるようにも感じられるのね。

男 それを、時空を超えた存在と言いたいんだね。

娘 言いたいっていうか。ボクにはそう見えたということ。そして、これは『本居宣長』とおんなじだって思ったんだ。

青年 随分、また、飛躍するね。

娘 ボクの思い込みであることは認めるよ。でも、ボクにはそれが大事なんだ。『本居宣長』って、最初読んだときは、むずかしい引用が多くて、読んでいて、いったいどこまで読んだのか分かんなくなる。とにかく不安で、深くて暗い森を抜けだしたい一心で、頁を繰っていた。

男 よくわかるな。結局、何にも覚えてなかったりしてね。

娘 二周目には、ところどころ理解できそうなところも出て来て、線を引いたりして読むんだけど、お話が、歴史上の色んな時点を行き来するし、議論のテーマもあちらへ、こちらへと動き回るようで。

男 目が回るようだよね。振り落とされずについていくのが大変だ。それで、三周目に入るわけね。

娘 そう。さっきいった「契沖は、既に傍に立っていた」のところで、ああ、そうなんだ、この人たちがここにいたんだ、と気づいた。

青年 この人たち?

娘 宣長さんや小林先生が白い光を帯びて立っていたんだよ。

女 それはきっと、このお二人には、時間とか空間とか、関係ないということよね。

男 どういうこと?

女 「古事記」に取り組んだ宣長さんにとって、古の伝え事を唱えた稗田阿礼も、書き記した太安万侶も、何百年も前の研究の対象ではなくて、「古事記」を読み解いていく上での、ちょっと変な言い方だけど、共同作業者みたいなものだったんじゃないかしら。そして、伝え事のなかみも、たとえば原始の人々による神々への名付けなんかも、宣長さんにとっては、観察・分析の対象ではない。

男 自分ごとってやつかな?

女 そうね、だから、自分の言葉で、「古事記」を読み解いていけたんじゃないかしら。

男 ふーん。

女 小林先生も、同じ。本居宣長の人となりを知ろうとして、宣長さんと一緒に「古事記」の世界に沈潜するだけじゃなく、中江藤樹以来の近世の学問の系譜を辿ったり、「源氏物語」から式部の物語論を聴きとったり、賀茂真淵や上田秋成とのやり取りから宣長さんの気持ちを汲み取ったりする。私たちは思わず、その縦横無尽さ、広さと深さに眼を見張り、何処から手を付けたらいいのだろうと戸惑ってしまう。

男 そうそう。

女 でも、こうなのね。宣長さんも、小林先生も、神代の時代にさかのぼって、日本語の歴史を語ってくださっているけど、それは、膨大な知識を自家薬籠中にして、ロジカルに語るというのではない。お二人ご自身が、日本語の長い歴史に入り込み、そこに現れた種々の言語活動に共感し、そのイメージを伝えてくれているのではないかしら。

青年 それをあなたたちは、時空を超えてっていうわけか。

娘 ほの暗い森の奥の奥に潜む隠者じゃなくて、作品の真ん中に輝いて立っているという感じかな。怖がらずに、あきらめずに、ぐるぐる回ってみようって思ってる。

女 ところで、西岡さんのご本の「地の部」は、小川三夫さんというお弟子さんの話なんだけど、「(西岡棟梁は)『自分がわからないとき、わからないから、教えてくれって言うのは失礼なんだ』っていうんだ。質問するときは先に自分の考えを述べる、その大事さを痛いほど教えられた」(同241頁)というお話が出てくるの。

青年 徒弟制の面白いところかもしれないなあ。

女 でもこの話は、また今度にしましょうね。

 

四人の話は、とりとめもなく、延々と続いていく。

(了)

 

誰にとっても、生きるとは

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する四人の男女。今日は、第二十四章の最後の二頁が話題のようだ。

 

元気のよい娘(以下「娘」) 甥っ子のお付き合いでテレビ見てたら、アンパンマン・マーチが流れて来て。ちょっとまいったな。

凡庸な男(以下「男」) ああ、「何のために生れて、何をして生きるのか」っていうあれね。やなせたかしさんの言葉は深いけど、そんなに大げさに考えなくていいんじゃない。

娘 でもね、「宣長が求めたものは、如何に生くべきかという『道』であった」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集125頁)っていうけど、実はピンとこないんだよね。

江戸紫が似合う女(「女」) どういうことかしら?

娘 「人生いかに生きるべきか」って、なんか重々しくて。もっともらしい辞世の句をありがたがるような感じ。でも、宣長さんも小林先生も、そんなの嫌いでしょ。

男 そうだね。具体的な道徳律を主張するのでも、道徳とは何かみたいな抽象的思弁を弄するのでもない。

女 自分という人間がどのように作られているのかをみつめること、それがよりよく生きることにつながる、ということじゃないの?

娘 でもさあ、生きるとは何か、人生とは何かなんて、みんなホントに分かってるのかなあ。普通の暮らしをしていて、いちいちそんなこと考えてないよ。

女 そうね、普通の人の、普通の暮らし、というものが、確かにあるのよね。太古の昔、原始人のころから、営々と繰り返されている人々の暮らし。そのそれぞれが、人生であったのよね。

娘 小林秀雄という名前を聞いたことがないような人にだって、人生はあるのでしょう。

女 頭の中で考えているだけではなくて、手を動かし、足を運んで、外の世界とかかわっている。何かを獲得したり、痛い目にあったり、恐れ悲しんだり、喜び勇んだりする。そうやって、みんな生きているんだわ。

生意気な青年(以下「青年」) 手ごたえってどういうことかなあ。恐れとか、喜びとか、結局、頭の中のことに過ぎないんじゃないの?

女 そうではないのよ、この間、私達は、むだ話をするのが好きだ、っていう話をしたわよね。

男 宣長さんが、「見るにもあかず、きくにもあまる」ところを、誰も「心にこめがたい」って言ってるやつだね。(同276頁)

女 外界とのかかわり、たとえば、北風に凍えて「寒い、寒い」と言葉にすれば、皮膚への温度刺激という現象が私たちの生活のひとこまというか、大げさに言えば、経験というものになるのでしょう。

男 小林先生は「生の現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印はなかろうし、(略)、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又基本的な人生経験であろう」(同頁)と仰っているね。

女 だから言葉の問題なの。国語というものは、そういうお喋りが、気の遠くなるような歳月をかけて、膨大に蓄積されて、できあがった大きな海のようなものだと思うの。そして、どんなにささやかで、自分だけの秘め事のような心の動きも、言葉の大海のどこかには、それにふさわしい言葉があるんじゃないかって。

青年 どうやって見つけるのさ。グーグル検索みたいにはできないよね。

女 単語や文の意味の問題じゃないの。口調とか、間合いとか。それに、見つける、というより、自ずと見つかるんだわ。

青年 そんなことってあるのかな。

女 たとえば、思わぬ出会いがあんまり嬉しくて、相手の名前を繰り返すばかりで言葉が続かなくなるみたいなこと。思ったように言葉を操ることはできなくても、それはそれで、その人の心の中を現わしていると思わない? こういうのが、国語の働きなんだと思うわ。

青年 そんなあやふやなものを、経験といっていいのかなあ。あの、お分りだと思うけど。近代科学は、時間、長さ、質量などの物理量の関係を、一貫性のある単位の体系の下、数式として表現することによって、世界を客観的に記述できるようになったのですよ。

男 魔術からの解放だね。ヤハウェの怒りとか、菅原道真の祟りとか、そういう超自然的なものの意思を介在させずに、人間は世界を理解できるようになった。そういう物理的な世界、合法則的な世界に、僕らは生きている。

青年 外部を認識するに当たって、感情で目を曇らせてはならない。事物は万人にとって無色なものだよ。こういう合理的思考に基づく近代科学こそが、僕たちの文明生活の生みの親でしょう。

女 もちろん、近代科学の成果を否定するつもりはないし、科学者でなくても、安全で健康な生活を送るには、仰るような意味での合理的な思考が必要だわ。でも、人間の心はどうなのかしら?

男 人間の心理だって、科学的な研究の対象だよ。

女 それは、数値として処理できる要素だけを拾い出してその要素間の関係を分析すれば、なんらかの法則性を見出せるということでしょう。

男 でも、そういう科学っぽいもの言い方は、結構浸透しているよね。たとえば、他人の行動について、承認欲求を満足させるためだとか、同調圧力に屈したとか、抽象的な概念で十把一絡げに説明しようとする。

娘 でも、人の心って、そんなに単純じゃないよ

青年 確かに、人の心の奥底とか、簡単には分からない。でも、分からなくてもいいんだよ。外部から観察可能な行動や、第三者とも共有できる価値観をベースにして世の中のルールを作っていくというのは、因習にとらわれない自由な社会の前提だよ。肚の底まで分かり合う関係を求められたら、重たくってやってられない。

男 政治も、経済も、法律も、抽象的な人間像を前提に組み立てたられた近代的な仕組みに支えられている。仕組みはみんな明治以来の輸入品だけど、それなしにやっていられないよ。

女 でもそういうのって、道具でしょう。日常の社会生活を円滑に遂行し、人々の幸せな暮らしを実現するための道具。道具なしには生きていけないけど、道具を使うことが生きることではないでしょう。そういう道具がなかった大昔から、日本人は、日本語で生まれ育ち、社会生活を送っていたんだわ。

青年 和魂洋才とかいいたいわけ。

女 民族とか言語に優劣をつけているんじゃないの。でも、私たち自身のこと、よく考えて。和服を脱いで洋服に着替えるみたいに、日本語を脱ぎ捨てるわけにはいかないでしょう。生きることと、日本語を使うことは区別できないわ。

青年 そうはいったって、何国人であろうと、同じウイルスに感染して死に、同じ薬が効いて命が助かるんだよ。

女 健康とか病気とかは、病理検査の結果から推知される体内の物理現象にすぎないのかもしれない。でも、私たちにとっては、気持ちがいいとか悪いとか、身体に何となく宿る感覚が出発点でしょう。そういう漠とした感覚が、さわやかだとか、つらいとか言った言葉を脳裏に浮かべることで、しっかりとした輪郭を持ち、自分でもあとで思い出したり、ほかの誰かに伝えたりできるものになる。そういう、身体の感覚とも心の動きとも判然としないもやもやが、言葉に出会い、喜怒哀楽といった感情と分かちがたいものとなる。それが私たちにとっての経験というものじゃないかしら。

娘 人々がおしゃべりをするなかで、見るにもあかず、聞くにもあまり、心に込めがたくなって、あふれ出るのは、そういう喜怒哀楽の「情で染められた」物なんだね。

女 長い年月の中で、そういう「情で染められた」物が積もり積もって、国語という大海の中で、伝えごととか、物語とかいうものになる。そんなふうに生まれた物語だからこそ、そこには、人が生きるということの「ありよう」が記されている、ということではないかしら?

娘 宣長さんは、物語のことを、そんなふうに考えていたということかな?

女 ええ。そして、同じ国語の大海に揺られて生まれ育った日本人ならば、太古の物語に潜んでいるはずの「情で染められた」物を探し当てることを通じて、太古の人生のありようを知ることができる、宣長さんはそんなふうに信じていたのではないかしら?

娘 そういう作業を通じて、誰にとっても生きるとは何かということが、解明されていくのかな。でも……

女 でも?

娘 まだ、「生くべきか」の「べき」が残ってるからさあ。

女 難しいわ。もっと勉強しないと。さきほどのアンパンマン・マーチ、こう続きますわ、「こたえられないなんて、そんなのはいやだ」。

 

 四人の話は、とりとめもなく、延々と続いていく。

 

(了)

 

むだ話が大好き

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する四人の男女。今日は、第二十四章と第三十五章が話題のようだ。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 寄席、行ってきたんだけどさ。

生意気な青年(以下「青年」) うん。

娘 噺のなかで、長屋の連中が、寄り合って「馬鹿っぱなしでもしようじゃないか」ってくだりが出てきてさ。

凡庸な男(以下「男」) よくあるよね。それが、どうかしたの?

娘 どんな「馬鹿っぱなし」するのかな。

男 そりゃ、大屋の悪口とか、誰かの失敗談とか、他愛のない話でしょう。

娘 なんか、楽しそうだなって。

男 まあ、話の中身というより、みんなでわいわいやるのがいいんじゃないの。

娘 わいわいやる?

江戸紫の似合う女(以下「女」) そうね、言葉のやりとりはあるわけだけど、描写でも、説得でも、論難でもないのね。話題も次々移り変わるし、最初は何の話だったか誰も覚えていないかもしれない。でも、なにか、ぺちゃくちゃ、おしゃべりしたなっていう満足感は残る。そういうことかしら。

娘 わいわいとか、ぺちゃくちゃとか、擬態語でいうけど、どういうことかな。

青年 そうなんだ。一語一語の意味を、詩人みたいに吟味しているわけじゃない。でも、おしゃべりとしては成立してるのかな。

娘 カワイイと、ヤバイと、キモいと、ダイジョーブだけで成り立ってる会話でも、話し手の、そのとき、その人なりの気持ちがこもってるよね。

青年 一応ね。その瞬間の思いつきに過ぎないとも思えるけど。

男 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結び、ってわけか。

娘 ゲッ、そういう知ったかぶりって、キモくない?

男 だって、すぐに消えちゃうんだろ?

女 そこは少し違うかもしれないわ。誰かが何かを見聞きする。心の中に何かもやもやしたものが生まれる。でもそこでとまるんじゃなくて、それを言葉にするの。そしてその言葉が、語られ、聞かれる。そうすることで、心の中のもやもやしたものが、はっきりとした「気持ち」って呼べるようなものに変化するのじゃなくて。

青年 「これヤバくね」「うん、ヤバイヤバイ」みたいな会話でもそうなの?

女 そう思うわ。

青年 でも、一方の「ヤバイ」と他方の「ヤバイ」が同じ意味とは限らないよ。

女 もちろん、どんな会話でも、すれ違いとか、ずれとかはあるわ。そうじゃない方が珍しいのかもしれない。同じ人でも、一つの言葉を、その都度、微妙に色合いを変えて使うわ。言葉の意味を特定するとか、その意味が正確に伝達されたか検証するとか、そういう問題じゃないの。

男 小林秀雄先生は、「生まの現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印しはなかろうし、その有用無用を問うよりも、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又根本的な人生経験であろう」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集276頁。以下引用は同作品集から)と書かれているね。

女 おしゃべりとして成り立ったということが大事なんだと思うわ。

青年 そんな御大層なことなの? 第一、「意味を帯びた言葉」って、なんだろう。「ヤバくね」なんて言葉に、なんか意味があるの? ああ、ヤバイも形容詞か、ヤバかろう、ヤバかった・ヤバくない、ヤバイ、ヤバいとき、ヤバければ、って活用もするわけだ。

娘 こいつの頭ん中、キモすぎ。

女 意味っていうか、何か感じているのよね。あっ、これ、なんか変わってる、ちょっとびっくり、この気持ちお友達と共有したい、みたいにね。そしてそれを、伝えようとするのでしょう。

青年 それって、言葉なのかなあ。そういう漠然とした感じだけでは、自分を取り巻く世界を認識したことにはならないんじゃないかな。曖昧模糊とした感覚の世界に、分節化っていうのかな、折り目を入れて秩序を与え、きちんと認識できるようにするのが、言葉の働きなんじゃないの。

女 人間の言語活動を、そういうふうにとらえて議論することは出来るわね。それはそれで、どうぞご自由に。でも、わたしたちが生まれ育ってきた過程で身に着けた言葉って、少し違うのじゃないかしら。きちんと分る、という以前に、何かを感じているような。

男 そういえば、小林先生が、宣長さんの「物のあはれ」をめぐる説明に関し、次のように書かれているね。「明らかに、彼は、知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識を説きたいのである。知る事と感ずる事とが、ここで混同されているわけではない。両者の分化は、認識の発達を語っているかも知れないが、発達した認識を尺度として、両者のけじめもわきまえぬ子供の認識を笑う事は出来まい。子供らしい認識を忘れて、大人びた認識を得たところで何も自慢になるわけではない」(第27集151頁)。

青年 そういわれてもなあ。別に、「発達した認識」なるものを自慢するつもりはないけど、個人の感覚や感情を離れて、世界を正確に知ろうとすることは、大切なことでしょう。僕たちの文明生活の基礎だよ。

女 もちろんそういう世界があることは否定しないの。でも、言葉と私達の関係って、ちょっと不思議なところがあるでしょう。わたしたちみんな、いつの間にか国語としての日本語を話せるようになっているけど、その過程というのは、外国語を人工的に習うのとはずいぶん違うでしょう。

娘 人工的? ああ、落語や漫才の小咄に時々出てくるやつね。学校英語をネタに、「鉛筆を片手に『イズ・ディス・ア・ペンシル?』って、そんなの見ればわかるだろ」とか、「男子生徒が『アム・アイ・ア・ボーイ?』って、それは自分で考えろ」とか突っ込んで笑わせる。日本語はそんなふうには習わないよね。

男 小林先生は、先ほどの続きで、こうも書かれている。「よろずの事にふれて、おのずから心がウゴくという、習い覚えた知識や分別には歯が立たぬ、基本的な人間経験があるという事が、先ず宣長には固く信じられている」(第27集152頁)

女 そうですわ。こういう、おのずからなる心のウゴきが、自分の身体の外にほとばしり出る、それが言葉ではないかしら。ふつうの言葉でなくても、身振りでも、手振りでも同じだと思うけれど、身体の外側に出て、誰かほかの人に向かっている。何かを伝えようとしている。それが相手に届けば御の字だけれど、たとえ届かなかったとしても、伝えようとしたそのことで、自分の気持ちに形ができる、自分でもそれを味わえるようになる。そういうことですわ。

娘 思っているだけでは、だめなの?

女 だめというわけではないわ。遠くの恋人を思い浮かべ心の中で愛を告げるようなことも、同じだと思うの。とにかく、誰かに何かを伝えようとすることで、「意味を帯びた言葉」が生まれるのだと思うわ。

男 普段僕たち、そんな難しいこと考えてないよ。

女 そうじゃないの。まだ片言の幼な子が、犬を見て喜んで「ワンワン」っていう。まわりに優しい大人がいれば「そうだね、ワンワン、かわいいね」って答えてくれるかもしれない、でも、そうならなくても、その子は、もう、私たちと同じ言葉を話す仲間じゃないかしら。

男 なるほどね。もったいつけて言えば、幼な子が、犬を見て喜びや驚きといった感情をいだくことと、目の前の動くモノをニャンニャンでなくワンワンとして、つまり犬を犬として認知することが、「ワンワン」という一言で同時に実現している、ということかな。

娘 幼な子の頭の中にあるのが、「知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識」ということかなあ。

女 そうね。でも、子供段階の、発達の途上に限られるというわけではないと思うわ。「よろずの事にふれて、おのずから心がウゴく」というのは、大人も含めた、すべての人の言語活動の基になるものだと思うわ。

娘 ああそうか。だから、秀麗な「新古今集」の調べでも、「これヤバくね」「うん、ヤバイヤバイ」みたいな会話でも、根っこには、「おのずから心がウゴく」ということがあるんだね。

青年 学術論文を読んだり書いたりするのであれば、あらかじめ用語の定義や論述のスタイルが決まっている。だからそれを学ぶことから始めるわけだけど。

女 普通の言葉はそうじゃないのね。

娘 どういうこと?

女 小林先生が「『お早う』とか『今日は』という言葉を、先ずその意味を知ってから、使うようになったなどという日本人は、一人もいないだろう」(第28集48頁)と仰っているように、ことばは、まずは使ってみるという面がありますわ。

青年 でもそれは、子供が、挨拶のような定型を身に付けるときの話でしょう。

女 そうでもなくてよ。大人でも、或るとき或る場面の状況や気持ちにぴたりと合う言葉なんて簡単に見つかりそうにないけど、でも、何か言ってみるでしょう。

男 「これ、ヤバくね」とかでもいいのかね?

女 ええ、まずは言葉という形にする。そういう発話の積み重ねが、その人の言葉の世界を豊かなものにしていくのではないかしら。

青年 「うん、ヤバイヤバイ」でもそうだっていうの?

女 豊かにする、なんて言い方が気取りすぎかもしれないわね。でも、友達同士、何か通じ合うものがあれば、それは一歩前進でしょう。そのためには、言葉という形が必要なのよ。

娘 「初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではない」(第28集48頁)ということかな。

女 そうね。そうだとすると、小林先生の「大人になったからと言って、日に新たな、生きた言語の活動のうちに身を置いている以上、この、言語を学ぶ基本的態度を変更するわけにはいかない」(第28集48頁)というお話も、すこし分るような気がしますわね。

娘 何気ない、ぺちゃくちゃおしゃべりすることも、人間にとって大切なんだね。

男 我々四人のおしゃべりも、意味があるのかな。

娘 どうかな。約二名のキモイのは要らないかも。

女 あら、いいじゃない。小林先生も仰っているわ。「私達は、話をするのが、特にむだ話をするのが好きなのである」(第27集276頁)

 

 四人のむだ話は、いつにもまして、延々と続いていく。

(了)

 

「しっかり納得できればよい」

若い男女、小林秀雄「本居宣長」を学ぶ仲間だ。普段やたら元気のいい娘が何やら所在なげだ。気弱な男子がおずおずと話しかける。

―今度の自問自答、どうするの?

うん、まだ全然。でも、気になるトコは、あるにはある。熟視対象かな。「本居宣長」16章の終わりの方なんだけど、次のところ。

……式部が、創作の為に、昔物語の「しどけなく書ける」形式を選んだのは、無論「わざとの事」だった。彼女は、紫の上に仕える古女房の語り口を演じてみせたのだが、恐らくこの名優は、観客の為に、古女房になり切って演じつつ、演技の意味を自覚した深い自己を失いはしなかった。物語とは「神代よりよにある事を、しるしをきけるななり」という言葉は、其処から発言されている、言わば、この名優の科白なのであって、これを動機づけているものは、「史記」という大事実談が居坐った、当時の知識人の教養などとは何の関係もない。式部は、われ知らず、国ぶりの物語の伝統を遡り、物語の生命を、その源泉で飲んでいる。……(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集180頁。以下引用は同作品集から)

―気になるって、どの辺?

古女房の語り口を「演じる」とか、「この名優」とか、「演技の意味」とか、繰り返し出て来る。「演じる」って、文章を「書く」のとは、違うよね。まず、相手が目の前にいる。その人に向かって、自分で声を出す。声だけじゃなくて、顔つきとか、身振り手振りとか、なんとなくの雰囲気とかで、全然違ってくるよね。

―話し言葉と書き言葉の違いかな?

そうだね。もともと文字なんかなかったんだし。それに、文字で書けば同じ言葉でも、どういう場面で、誰が誰に、どんなふうに言うのかで、全然意味が違う。

―話し言葉の方が、多義的で、曖昧だということ?

そういうことじゃないよ。人と人の間で、何かが伝わるというのは、話す人がいて、その話に耳を傾ける人がいて、お互いを信じる気持ちになって、初めて成り立つ。「話し合う」こと、「かたらふ」ことが、そもそもの始まりだよ。

―ああ、そうか。小林秀雄先生も、すぐあとの箇所で、「『かたる』とは『かたらふ』事だ」(第27集181頁)として、その辺りのことを論じているね。

見聞きした出来事とか、自分たちの喜怒哀楽とか、まずは相手に語りかける。それに聞き手が耳を傾ける。互いに想像力を働かせ、それはそうだと信じる。こんなふうにして、人びとが心を通わせ、何かが伝わる。そこで伝わった何かが、多くの人びとに共有され、伝承されることで、物語が生まれた、ということだと思う。

―それが、「演技」につながるの?

式部ちゃんとしては、光の君の物語を「かたらふ」ことに集中してたんじゃないかな。人々との「かたらひ」が成立しないと伝わらないから、語り口に工夫を凝らした。

―そのため、「昔物語の『しどけなく書ける』形式を選んだ」ということだね、

うん。式部ちゃんという名優が、観客のために、紫の上に仕える古女房の語り口を演じてみせたというわけ。そうすることで、書き手と読み手とが、「かたらふ」ことになり、物語に出て来る様々な事柄の意味合や価値が伝わっていくということかな。

―それは、式部の独創なの?

そうじゃない。そういう物事の伝え方というか、伝わり方というか、神々の物語以来の、「国ぶりの物語の伝統」なんだろうね。それを見事に演じた式部ちゃんは、「物語の生命を、その源泉で飲んでいる」。激ヤバだよね。

―物語の内容ではなく、語り口に注力したということ?

てゆーかあ。小林先生も「(元来物語というものは)神代よりよにある事を、しるしをきけるななり、日本紀などは、ただ、かたそばかし。これら(物語)にこそ、みちみちしく、くはしきことはあらめ」という「蛍の巻」の源氏の言葉を引いているよね。朝廷の正史は、あくまで公式の歴史書で、政府の公式見解が書いてあるにすぎない。人々の暮らしや気持ちは、神々の物語以来の物語に記され、伝えられている。「源氏物語」も、正史には書かれようのない複雑な人間関係や多様な恋愛感情などあれこれを、「そらごと」に仕立て、しどけなく語ることで、人のこころの「まこと」を書こうとした。この点からも、日本古来の物語の魂を受け継いだってことかな。

―小林先生は、さらに、式部は「演技の意味を自覚した深い自己を失いはしなかった」とも書いているね。

ここヤバイよねえ。名演技をしつつ失わなかった自己って、なんだろう。

―次の17章に入ると、古女房の話が出て来るね。「式部は、古女房に成りすまして語りかける」とか、「宣長は、古女房の眼を打ち守る聞き手になる」とか。

チョーむずかしい。「ははきぎ」冒頭の「光源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれたまふ咎おほかなるに、……(例えば)交野の少将(の如き昔物語の好色家)には、笑はれ給ひけんかし」という一節から、式部の「下心」や「心ばへ」を読み取るなんて、宣長さんだからできることだよね。

―宣長さんには分かっていた。

そう。宣長さんは、「源氏」の研究者である以前に「源氏」の愛読者で、だから、式部と「共作者」であるくらいの気持ちになっていた。すごくない? 式部ちゃんが、なぜ、こういう内容のお話をこんな風に語ったのか。宣長さんは、そういう式部ちゃんの心の中にまで分け入り、理解しようとしたんだね。

―式部の心の中?

それが、演技の意味であり、演技しつつも失わなかった深い自己なんじゃないかな。そして、小林先生は、こう書かれているね。「源氏という人間につき、作者が聞き手の同意を求めて、親しげに語りかけ、聞き手と納得ずくで遊ぶ物語という格別の国を作ろうというのなら、喜んで、その共作者になろうと身構える。」(第27集183頁)

―聞き手と納得ずくで遊ぶ物語という格別の国を作る……

スゴスギ!「おーい、ノリナガ、何処まで行くんだ~」って叫びたくなるよね。宣長さんは、古女房に成りすました式部ちゃんと、直接「かたらふ」ことができるというんだから。

―創作の動機といえば、キミが熟視対象とした箇所の直前に、「宣長の視点が、作者の創作動機のうちにあった事」という小林先生の指摘があるね。これ、忘れてない?

そうなんだ。「創作の動機」というのが、あまりに普通の言い方で、読み流してしまっていたけど、宣長さんから見た式部の創作動機は、とても広がりがあるんじゃないかな。

―広がり?

たとえば、「昔物語の『しどけなく書ける』形式を選んだ」というのも、単に書き方の問題ではないんだよ。あくまで、「創作の為」に、「わざとの事」として選択しているんだね。

―どのように「わざと」なのさ?

しどけない語り口で「かたらふ」ことによってこそ、物語が生まれるのだという表現に関わる動機が一つ。それと、神々の物語以来、人々が体験し実感してきたことがらや、世の中に生起する様々な物ごとを記すものが物語であるという内容に関わることがもう一つの動機じゃないかな。

―さっきは、ずいぶん「演技」にこだわっていたね。

古女房の語り口を「演じる」というのも、式部ちゃんの創作動機の一つの現れなんだね。だからさ、演技というところだけに引っかかってはだめなんだ。「演技の意味を自覚した深い自己」を掘り下げ、式部ちゃんの創作動機の中身を考えなければならないってコトか。

―ずいぶんハードルは高そうだね。

そうだね。宣長さんは、「源氏」を愛読し、式部ちゃんと動機を共有しようとした。宣長さんの学問がそういう視点から出発していることを、小林先生は見抜いている。その小林先生を勉強するボクは……いけてないね。

―先生は、「ここでは、宣長の視点が、作者の創作動機のうちにあった事が、しっかり納得出来ればよい」と書いてくださっているね。

宣長さんは式部ちゃんの創作動機をどう考えたのか、もう一度じっくり読んでみるよ。「しっかり納得」には程遠いけど。

 

(了)

 

スマホはオフに

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する4人の男女。今日は、第25章の最後の方を開いている。

 

元気のいい娘(以下「娘」) あのさ、「姿は似せ難く、意は似せ易し」って、やばくない?

江戸紫が似合う女(以下「女」) そうね、一度聴いたら耳から離れませんわ。

凡庸な男(以下「男」) 逆説というか、常識をひっくりかえす発言だね。

生意気な青年(以下「青年」) そうかな、分かりやすいともいえるんじゃない? 抽象的な概念の伝達は容易だが、その表現形式には巧拙があり、説得力も違う、みたいなことでしょ。

娘 そんな単純な話なの?

男 宣長さんは、同時代の学者の歌論を批判して、彼らは、「文辞の姿を軽んじ、文辞の意に心を奪われて」おり、「意と言わず、義と言い、義では足りず、大義」といったあげく、「言語文字の異はあれども、唐にて詩といひ、こゝにて和歌といふ、大義いくばくの違あらんや」などと論じるが、物が分かっていない、というふうに言っていたね。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集285頁。以下引用は同作品集から)

娘 どういうこと?

男 それらの学者にすれば、漢詩だろうが、和歌だろうが、なんらかの意味を、たとえば感情や感慨を表すものであって、同じ意味を表しているのなら、言語の違いすら関係ないということになるね。

女 同じ意味だなんて、ずいぶん簡単におっしゃるのね。

青年 いや、彼らも、それが簡単だと言っているのではないよ。むしろ、意味を理解するのは容易ではないことで、だからそれが大事なのであって、表現をまねるだけなら子供にでもできる、というんだな。

男 彼らは、小林秀雄先生の言う「言葉とは、ある意味を伝える為の符牒であるに過ぎないという俗見」の持ち主だったわけだね。

青年 宣長さんの逆説は、それをひっくり返した。だから僕の言ったとおりでしょう。抽象的な概念の伝達は容易だが、その表現形式には巧拙がある。

女 いいえ、そう簡単に、表現と内容を分けられないのではなくて? 小林先生が「歌人の心とその詞、歌の意とその姿という問題の、困難な微妙な性質」と仰っている、そこが大切なんですわ。

青年 なにが微妙なのさ。宣長さんも、「よのつねの世俗の事にても、弁舌よく、かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物」と言っている。今で言うインフルエンサーかな。SNS上で、鋭く、分かりやすく発言すれば、たくさんのフォロワーが付く。でも、誰にもそれができるわけではない。それが「似せ難い」ということでしょ。

娘 そうかな、何が伝わっているかってこと自体、問題じゃん。

女 SNSについて、エコーチェンバーという言葉がございますね。同じような意見の人たちが、聞きたい言葉だけをやりとりして盛り上がるのでしょう。スローガンのようなものがやりとりされているだけですわ。概念の伝達が容易だなんて、大仰におっしゃるけど、伝わり易い概念だけが容易に伝達される、それだけのことじゃなくて?

青年 そうかな、さっき、誰かが、宣長さんの同時代の学者の、漢詩でも、和歌でも「大義」は同じだという説を紹介していたね。それでいいんじゃない?

男 確かに、僕らだって、西洋文学を日本語訳で読むし、ミシマやハルキが外国語に訳されて広く読まれている。そういうのと、どう違うのだろう。

女 むずかしゅうございます。でも、こういうことかしら。たとえば、ゴッホの手紙を日本語訳で読んでも、他ならぬゴッホその人の叫びのようなものが、私の心の中で鳴り響くの。でもそれは、「この部分はゴッホの絶望を現わします」とか、「この部分は悲しみです」とか、テストの答え合わせをするように、私の中で、単純に言葉が感動へと置き換わっているわけではないの。翻訳を介してであっても、言葉が、私の中に、何らかの像を形作っているのですわ。

青年 それって、言語文字の違いを乗り越えて、意味が伝わったということでしょう。宣長さんが批判した学者が考えていたとおりじゃないの。

女 そこは、違いますわ。言葉が像を作るというのは、変換コードに従った置き換えではないの。さっき、「歌人の心とその詞、歌の意とその姿」が微妙で困難な問題だという、小林先生のお話をご紹介したわね。歌人が和歌を詠む。それは、歌人の心の中に、Aという気持ちがあって、それを、変換コードに従って、aという詞に置き換える、という作業ではないの。歌人にとっても、歌を詠むという行為、言葉を連ねるという経験を通して、初めて自分の気持ちが形作られるということじゃないかしら。

娘 歌の姿ってこと?

女 そうね。歌となる前の気持ちそのものは、どろどろとした不定形のもの、本人にとっても意味が定まらないものだけれど、優れた歌というのはそれに姿を与える、そうして、本人の心にも、読み手の心にも、まざまざとした像が映ずるようになる、ということかしら。

男 じゃあ、学者たちの言っていた、「唐にて詩といい、こゝにては和歌という、大義いくばくの違あらんや」って、なんの話、してるのかな。

女 たぶんこういうことかしら。歌に詠もうとする気持ちというのは、その人独自の、たった一回きりのかけがえのない体験だから、それに姿を与えるというのは、とても複雑で、微妙な作業でしょう。単純な置き換えではない。でも、そういう複雑さ、微妙さを無視して、単純な変換コードを持込めばどうなるか。たとえば、学校の参考書の鑑賞の手引きのように、この歌は別離の悲しみを、この歌は恋の喜びを詠っているというレッテル貼りをするとか、あるいはもっと精巧に、心理学用語をちりばめた感情リストを作るとかすれば、学者たちのように、「文辞の姿」と無関係に「文辞の意」を云々することができる。

娘 それが、「意は似せ易い」ということだね。

女 「万葉集」はますらおぶりだとか、古代人は朗らかだとかいう予備知識から出発すれば、個々の歌も、心理学用語や、文芸批評用語を使っての分析の対象になる。そういう作業は、やってる当人には難しい知的作業に思えるかもしれないけれど、結局、自分の作った変換コードに当てはめているに過ぎない。自分で先回りして結論を決めているようなものだから、実は簡単な作業よね。

娘 そういう「知的作業」では、一つ一つの歌が、なぜ、このような姿に歌われたのか、分かんない。なぜ、そのような姿の歌が時代を越えて万葉人の心情を伝えられているのか、感じらんないね。

女 小林先生は「ある歌が麗しいとは、歌の姿が麗しいと感ずる事ではないか」と仰っている。万葉の秀歌たちが、作品として自立しているというか、それ自体で一つの世界を作っていて、いつ、だれがどんな読み方をしようと、万葉人の命があふれ出してくるというような、歌の姿を味わうのですわ。

娘 姿って、なんだろう。なんか、難しい話になったね。

女 そうでもないわ。宣長さんや、小林先生のおっしゃる要点は、「文辞の伝える意を理解するよりも、先ず文辞が直かに示しているその姿を感ずる」ということだけれど、これは、歌道や歌学の話だけではなく、日常生活にも当てはまるし、現にみられることよ。

青年 でも、さっきのインフルエンサーの話、「かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物」の話は、評判悪かったですよね。

娘 君はちょっとずれてるから。

青年 そうかな。弁舌というものは、確かに効果がある。ものの言いようで、伝わり方が違う、もっといえば、伝えようとする側の心持も変わってくる。さわやかな弁舌、理路整然とした行論、声涙ともに下る熱弁は、社会生活上それぞれの活用場面みたいなのがあるのじゃないですか。

女 確かにそうですけれど、私たちの生活にはそれとは別の場面がありますわ。

青年 どういうことですか。

女 自分の人生は自分だけの一回限りのもので、誰にも追体験できないし、その時々の気持ちも共有できるものではないけれど、じゃあ、人間はみんなばらばらかというと、そうではなくて、それが、ある人の体験が他の人に生々しく伝わるということも、ときには起きますでしょう。

男 伝わりそうにないものが伝わるということ?

女 ええ、そこで用いられた言辞の姿が、「人目を捕らえて離さない」もの、つまり、「人生の生ま生ましい味わいを湛えている」ものだからこそ、受け手の心を動かすことになるのね。

男 そう簡単に見聞きできる言辞ではなさそうだ。

女 小林先生も、そういう言辞というのは、「比較や分析の適わぬ、個性とか生命感とかいうものに関する経験」を現わすものだが、そういう経験は「『弁舌』の方には向いていない。反対に、寡黙や沈黙の方に、人を誘うものだ。『姿』の経験は、『意』に抵抗する事も教えている筈である。『文辞の麗しさ』を味識する経験とは、言ってみれば、沈黙に堪えることを学ぶ知慧の事」であると仰っている。(第27集287、288頁)

男 沈黙に堪えるって言われても。

青年 まずは「弁舌」から距離をおくのかな。「意」に抵抗するってなんだろう?

女 そうね、抽象的な概念の多用やキーワードの流行から逃れ、もっともらしい今風の議論の進め方に与しないということじゃないかしら。

娘 そうか、スマホをオフにしよっ。

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

 

(了)

 

『2位じゃだめなんですか?』

小林秀雄の『本居宣長』を読んではおしゃべりをするのが楽しみの4人組。一人が何かを読みふけっている。

 

生意気な青年(以下「青年」) なに読んでるの?

元気のいい娘(以下「娘」) 小林秀雄先生の文壇デビュー作。

青年 『様々なる意匠』だね。

娘 これ、2位だったのね。

青年 そう。『改造』という雑誌の懸賞論文、昭和4年(1929)のことだけど、その二席だった。

娘 小林先生の上をいく作品があったなんて。

青年 宮本顕治という人の『「敗北」の文学―芥川龍之介氏の文学について―』という評論ですね。

凡庸な男(以下「男」) そうだ、ミヤケンだったね。

娘 知ってるの?

男 昭和30年代生まれの僕らとか、その上の世代にとっては、有名な人だよ。政治家としてね。代々木の、いや日本共産党の指導者として長かった。でもこの論文は、小林秀雄を差し置いて一席だったという話だけは有名だけど、いま読む人いるのかな。だいたい、昭和初年や、戦後しばらく盛んだったというプロレタリア文学運動というのが、僕らの世代ですら、もはやピンとこないしね。

青年 それで、ちょっと、怖いもの見たさで、読んでみたんです。

江戸紫が似合う女(以下「女」) あら、正しい学習の仕方とか、決まっているんじゃなくて。

青年 脅かさないでください。

女 で、独習の成果ございました?

青年 ええ、途中までは、なかなか読ませる作家論、芥川論なんですが、最後の方になって「小ブルジョア・インテリゲンチアの痛哭つうこくをそこにみなぎらせている」とか言い出すんです。(注1)

娘 小ブルジョア?インテリゲンチア?

男 プチブルとか、小市民とか、もう死語なのかな。資本家と労働者の中間の階級に属する人々。労働者とともに資本家と戦うべきなのに、そこそこの暮らしをしているため、政治意識が保守的になる。インテリゲンチアは、今でいうインテリ。合わせて、小賢しい日和見主義者みたいな感じかな。

青年 人間社会に不幸は絶えないが、だからと言って、社会全体のため闘うのではなく、自己に絶望したとかいって内向するのは、属する階級に由来する弱さだと非難するんです。「我々は氏の文学にされた階級的烙印らくいんを明確に認識しなければならない」とか「階級的土壌を我々は踏み越えて往かなければならない」とかいって(注1)。

娘 だから、「敗北」の文学っていうタイトルなんだね、理屈はよく分かんないけど。

青年 この宮本論文は、それほどでもないんですが。ついでに、同じころ有名だった蔵原惟人とか平林初之輔というあたりを、恐る恐る眺めてみると、いきなり「文学(芸術)は党のものとならなければならない」というレーニンの引用で始まるとか(注2)、「『古池や蛙飛び込む水の音』という芭蕉の句は、マルクス主義的評価によれば、価値は零である」(注3)と言ってのけるとか。ちょっとついていけません。

男 でも、小林先生がデビューした頃って、こういう言論がそれなりの支持を得ていたんだろうね。

娘 だからって、小林先生が2位じゃだめだよ。

男 確かに、いま読むと、ミヤケンたちのはイデオロギーに傾斜した強引な議論だね。

娘 えっ、イデオロギー?

男 まあ、厳密な定義は知らんけど、マルクス主義でいえば、マルクスの学説そのものではなく、マルクス主義革命の指導理念というかというか、運動の考え方みたいなものかな。

娘 運動?

男 そう。革命を目指すんだから、一人じゃできない。階級と階級の闘いなんだ。人々を奮い立たせ、目的を共にし、集団的に政治的に意味のある何かを実行していく。そういう運動を進めるため、集団が共有する考え方が、イデオロギーということかな。

娘 思想という言葉と、どう違うわけ。

青年 思想という言葉は、もともとは、心に浮かんだ考えくらいの意味ですよね。そこからさらに、人生や社会、政治に対する一つのまとまった考えの意味でも使われる。末法思想とか、反体制思想とか、危険思想とか。

男 だんだん政治の色がついてくるね。だから、思想というとイデオロギー的なものを連想するのは仕方ない面もあるけど、もともとは、集団ではなく個人の、他者に働きかける運動ではなく内面的で反省的な、思いや考えといった意味じゃないかな。

娘 小林先生の『本居宣長』には、宣長さんの「思想」という言葉が沢山出て来るけど、これはどうなのかな。

女 そこは要注意ですわ。宣長さんという「誠実な思想家は、言わば、自分の身丈みたけに、しっくり合った思想しか、決して語らなかった」と書かれているでしょう(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集39頁。以下引用は同作品集から)。

娘 ええと、宣長さん自身の考えや、思いということだね。

青年 イデオロギー的なもの、たとえば、国学の運動や、皇国思想とか、国粋主義なんかはどれも関係ないということですね。

女 そうね。

娘 じゃあ簡単だね。普通に受け取ればいいんじゃないの。

女 そうでもないの。宣長さんの「思想は、知的に構成されてはいるが、又、生活感情に染められた文体でしか表現できぬものでもあった。この困難は、彼によく意識されていた」とも書かれているでしょう(第27集39頁)。

娘 困難って、なんだろう。

男 宣長さんは、幅広い分野について深く考え、独創的な見解を多数著作として残した大学者だね。だから、後世の学者の研究の対象になるんだな。

青年 研究というからには、まず、宣長さんの論述をいくつかの要素に分解し、分類整理し、抽象化し、その学者なりの考えで、宣長さんの議論の進め方や組み立て方、いわゆる論理構造はこうだと仮定する。そして、その論理構造に沿った形で再構築された宣長学説を、それ以前や同時代、さらに後代の他の学者の学説と比較し、相互の影響関係を論じ、宣長学説は、このようにして生まれ、このような形式と内容を持ち、このように継承されていった、という風にまとめてしまうんですね。

男 でもそれは、普通の学問で用いられる方法だよね。環境という原因から思想という結果を導こうとする方法も、珍しくないよ。

女 だからこそ問題なんですわ。そういう方法を取ることで、抽象化しにくいことや構造化しにくいことは、見えにくくなる、あるいは、考えられなくなる。方法が研究者の思考を縛ってしまうのね。

青年 それが「思想構造という抽象的怪物との悪闘」というやつですかね。

娘 小林先生は、どうなの。

女 先生は、思想構造を抽き出そうなどとはせず、「自分はこのように考えるという、宣長の肉声」(第27集40頁)に、ただ、耳を傾ける。

娘 宣長さんの声? どうやって聞くの?

女 宣長さんの仕事を、「『さかしら事』は言うまいと自分に誓った人の、告白と受取る」(第27集52頁)と仰る。

娘 さかしら事?

女 宣長さんは、「物まなびの力」つまり学問だけを信じていて、学問という大きな力の中に小さな自分が浸っているという意識でいた。というのは、そうね、自分の知力で新しい理論を打ち立てて、新しい解釈を主張するということかしら。宣長さんは、そういうことには手を出さず、ただひたすら、いにしえふみを味読していたのですわ。

男 無私の精神で学問に臨むというわけだね。そういう宣長さんの学問の成果が宣長さんのだというのは、どういうことかな?

女 小林先生は、宣長さんの日記を読み、「彼の裡に深く隠れている或るもの」を想像し、これこそが、宣長さんの「自己」であり、宣長さんの思想的作品の独自の魅力の源泉であるとお考えのようね。宣長さんの作品には宣長さんならでは魅力が自ずと現れる。それを、小林先生は、宣長さんの告白として捉えていらっしゃるのではないかしら。

男 このあたりのことを、先生は「直知している」と書かれているね(第27集59頁)。

女 宣長さんの生涯にわたるいろいろな作品と向き合い、ご自身の直知について、宣長さんに質問をされている。『本居宣長』という書物全体が、小林先生の自問自答なのかもしれませんわ。

青年 おやおや、ずいぶんと大上段に。

女 そうね、ちょっと恥ずかしいわ。でも、宣長さんの思想や、それに耳を傾ける小林先生の思想が、時代の状況に左右されるイデオロギー的なものと縁遠いというとこは、間違いないでしょう。

娘 それじゃさ、いま懸賞論文があったら、小林論文が一等賞だね。

男 さあ、どうだろう。往時のマルクス主義も、貧しい者を救うという道徳的な正しさだけでなく、「すべての歴史は階級闘争の歴史である」みたいに、人間の社会や歴史のすべてを論理的・整合的に説明してしまう世界観としての迫力があるから、若い人の気持ちを摑んだ。今でも、人類の長い歴史の積み重ねをひっくり返して、人々の価値観を一新させるような議論が持てはやされるんじゃないかな。

女 流行の最先端であるとか、最大多数に支持されているとか、そういうことが思想の価値を決めるのではないということですわ。

娘 「2位じゃだめ」じゃないということだね。

 

4人の話は、取り留めもなく、続いていく。

 

 

(注1)宮本顕治『「敗北」の文学―芥川龍之介氏の文学について―』。引用は小学館刊『昭和文学全集』第33巻(随筆評論集Ⅰ)から。(注2)および(注3)も同じ。

(注2)蔵原惟人『「ナップ」芸術家の新しい任務―共産主義芸術の確立へ―』

(注3)平林初之輔『政治的価値と芸術的価値 マルクス主義文学理論の再吟味』

 

(了)

 

「個人の感想です」

小林秀雄の『本居宣長』を読む四人の男女。今日はどの章を読むともなく、とりとめのないおしゃべりが続いている。

生意気な青年(以下「青年」) おや、浮かない顔だね。

元気な娘(以下「娘」) コロナでオヤジが巣ごもり、家でゴロゴロしてて邪魔くさいんだよ。

凡庸な男(以下「男」) 邪魔だなんて言わないであげて、お父さんも多感なお年頃なんだから。

娘 ナントカ相哀れむってやつ、ウザッ。

江戸紫が似合う女(以下「女」) まあ。それで、お父さま何なさってるの。

娘 テレビショッピングにはまっちゃって。ああいう番組に、利用者の声みたいなのが出て来るでしょう。「個人の感想です」というテロップ付きで。あれが気に入らないらしくて、ぶつぶつ言ってるの。

女 どういうことかしら。

青年 ああそうか。あれって、商品の品質の信用度を高めるために、利用者個人の証言を示したつもりなんだろうけど、同時に、同じ効能を保証するわけではないと逃げを打ってるわけでしょう。

男 客観的な商品テストの結果を示さずに、主観的な体験談でごまかすのはおかしい、ということかな。

青年 それはそうだね。主観的、客観的といえば、普通、客観的の方が、いいに決まってる。主観的なものは個人の勝手な思い込みだけど、客観的なものは正しい、と考えるよね。

娘 あっ、でも、小林先生は、そうじゃないみたい。

男 なんだって?

娘 『本居宣長』の中で、「中身を洞ろにしてしまった今日の学問の客観主義」では、宣長さんの学問を説明できないと仰ってる(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集103頁。以下引用は同作品集から)。

男 どういうことだろう。宣長さんの学問は、客観的ではないの?

青年 そんなことないよね。「古事記」の訓詁であれ、「源氏」の注釈であれ、宣長さんの業績は、後世の学者も認めざるを得ないものだ。

男 そうだね。

青年 それに、古典を解釈する際に、儒教道徳や仏教教理を持ち込むようなことをしていない。あくまで、その作品自体に向き合うというか、その作品ができた当時にさかのぼって、一つ一つの言葉の意義を探っている。そしてその結論の多くは、現代でも支持されている。

男 結局、客観的だったということじゃないの。

女 それはそうですわ。でも、小林先生は、語釈の結論がどうのこうのではなく、学問の在り方そのものの違いを問題にされているんじゃないかしら。現代の学問、現代の学者とは違うのだと。

青年 現代の学問は、自然科学が典型だけど、先行業績を踏まえて、新たな仮説を立て、正確な観察と実験により、その仮説を論証していくわけだね。観察や実験の正しさや、推論の適切さは、他の学者が検証する。こういった、反証が可能だが、反証されていないということが、その結論の正しさを保証するというわけだね。

娘 それって、当たり前の事じゃないの。

青年 そうさ。小林先生も、こういう意味での、自然科学というものを否定しているわけではないよ。

女 ただ問題は、こういった学問についての考え方は、言葉の意味、歴史の姿、そして人間の在り様について研究する場合には、そのままでは通用しないということだと思いますわ。

娘 どういうこと? 自然科学と、歴史や言葉の研究が違うというのはわかるけど。

男 でも、文系の学問だって、実証的であることは必要だよ。

娘 証拠もないのに結論を出したり、価値観を事実認定に持ち込んだりしたら、つまり、実証的でなかったら。学問とは言えないよね。

女 それはそうですわ。宣長も、そこは手堅いのだと思う。でもそれにとどまらないということかしら。現代の学問では、実証的な証拠が得られないことには言及しない。そのような禁欲が、研究者の学問的な良心だとみなされるのですわ。

男 だから、調べて得られた客観事実を羅列すれば、それが学問だということになりかねない。

女 自然の観察であれば、調べて得られた事実の羅列でとどまっても、それでいいというか、余計な推論を加えない方がいいのかもしれない。でも、そういう態度では、たとえば歴史は分からないということではなくて?

青年 放射性同位元素を用いれば、ある「物」がいつごろできたのか、その年代の測定がかなりの精度で出来る。そういう方法で、仮に、色んな史料の年代推定ができたとしても、それは考古学であって歴史ではない。そうやって観察され、実証された史料を並べても、そこに書かれた言葉の意味を知ることはできない。

女 歴史って、昔から語り継がれてきた事柄よね。ある世代の人々が語らずにいられなかったことは、次の世代の人々も聞かざるを得なかった。こうして、文字がなくても、時の流れを越えて語り継がれたものが、歴史なのですわ。

娘 語り継がれ、聞き継がれるに値するほどに、物語りが面白かったということかな。

女 そうやって歴史の語りを聞き、歴史についての文章を読むことで、かつての世の有様が、と脳裏に浮かんできますわ。そして、自分だったらどうだろうというふうに想像し、追体験してみる。こんなふうに、わが身に歴史的事実を自分のものにするということ。かに得た知識ですわ。

娘 どうしてこういう違いが生じるのかな。

女 学問分野による目的の違い、事実の分析記述を主とするかどうかという違いじゃないかしら。

青年 自然科学は、まさに、自然の在り様の分析と記述だよね。自然法則は、人類の誕生前にも、人類の滅亡後にも、同じように妥当する。問題は、言葉とか、歴史とかに関する学問で、自然科学と同じようなことがそもそもできるのか、ということでもあるよね。

男 そうなんだ。でも、自然科学の発展と、その知見に支えられたテクノロジーが現代文明を支えていることは、誰にも否定できないよね。だから、人間の心や言葉、歴史や世の中のあり様を調べていく学問も、「科学」を名乗ることになるんだね。

青年 学問自体が、社会的な制度になっていて、たとえば、大学の学科として認められなければ、一つの学問分野として承認されているとは言えない、そのためにも、自然科学のような装いを身に着けたい、みたいな考え方になるんだろうね。

男 いろいろな学問分野が、それぞれ、対象分野を限定し、方法論を確立し、その分野での先行研究との差分を研究業績とするようなものになる。学問が細分化され、専門化される。でも、歴史や言葉を扱う学問分野に、ニュートンの法則やアインシュタインの理論のようなものが現れるわけもないから、膨大な事実の羅列で終わるんじゃないのかな。

娘 宣長さんの学問は、どう違っていたの。

女 宣長さんは、現代の学問の方法論などとは無関係に、古言の意味を探ろうとしたのですわ。その際、宣長さんは、「古事記」や「源氏物語」のような古言をにして、というか、古人の心を知るのが難しいことをいいことに、勝手に自説を展開したのではありません。古言に天地あまつちとあればそのまま天地あまつちと受け取るべきだとお考えだった。そのようにして、あるがままの、というか、物に名前がつく前の、物そのものを知ろうとなさった。でも、それを客観的事実と呼ぶと、ちょっと違うのかもしれませんわ。

娘 何かを知ろうとするときの、やり方のひとつということ?

女 見方を変えて言うと、こうかしら。私達が何かを経験し、何かを知るということは、私達の個人的、主観的な心の働きでしかありえないでしょう。だからこそ、そこで知ったことは、生き生きとした切実なものになるのですわ。言葉で組み立てた理屈よりも、こころで感じる体験の方が大事。そういう特定の誰かの具体的な体験から切り離された、客観的な事実とか、相互の因果関係なんかは、結局、間接的な知識ですわ。

青年 でも、そういう間接的な知識にすぎない学者の見解が、たとえば歴史観とか社会思想、あるいは新しい価値観みたいな形で、世間に流布し、人々に影響を与えていることも事実だよね。

女 それは便利ですからね。一応、客観的という装いをまとえば、どんな見解でも、一人一人の個人的、主観的体験を経るという手順を抜きにして、多くの人々に影響を及ぼしてしまう。社会生活を運営する上では、能率的で、応用が利くものですわ。

娘 あーあ、能率か。

女 結局、常套句に過ぎないのですわ。最新の常套句づくりを知的にやってみせるのが、インテリというわけ。万人向けに正しいものとして作られているから、人々も、すうっと受け入れてしまうけど、本当に腑に落ちたものかどうかわからない。だから、時を追うごとに、新たなスローガンが登場し、ひととき世間を支配し、やがて廃れていくのですわ。

男 とっかえ、ひっかえ、その時々の価値観を受け入れては忘れていく。かつては活字の論壇、次にテレビなど電波メディア、いまはネットの世界かな。饒舌で自己主張が強い人が現れ、それに心酔する人々がいるけど、どちらも心は空っぽじゃないのかな。

娘 じゃあ、どうすればいい?

女 むずかしいわね。小林先生は、『本居宣長』の連載と同時期の対談で、「持って生まれた自分の気質というものの抵抗をまるで感じ」ないで常套句に走る文士に懸念を示されている(同第26集220頁。『交友対談』)。でも、宣長さんは、そうではないでしょう。この辺りがヒントにならないかしら。

娘 よくわかんないよ。

女 でも、ひょっとすると、「個人の感想です」も馬鹿にできないのかもしれませんわ。

青年 さっき言ってたテレビショッピングのこと? 何言ってるのさ、あれは、あざといよ。

男 テレビのはそうかもしれない。でも、もし本当に自分の商品に自信があって、お客さんの為になると信じているなら、誰かにその良さを体験談として語ってもらうのが、一番いいんじゃないのかな。買う方だって、信頼できる知人の体験に基づくお薦めが、やはり一番の参考だ。

女 そうですわ。そういう、人々の日常の暮らしの中から生まれ育ってきた生活の知恵みたいなのは、意外と、馬鹿にできませんわ。

男 (娘に)お父さんも、着眼はよかったのさ。

娘 そういう主観的見解は、却下、却下!

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

(了)

 

恋は、遠い日の花火ではない

1 恋の始まり

かつて、ウイスキーのテレビコマーシャルにこういうものがあった。夜の盛り場、会社の飲み会の帰り道、若い男女のグループは二次会へ向かうが、一人の女性が残る。長塚京三演ずる上司であろう中年の男が、君は行かないのかと問うと、「もう若い子はいいんです」。女性は立ち去るが、たった一言で、男はもう昨日までの彼ではない。「恋は、遠い日の花火ではない」とのナレーションが流れる。コマーシャルとはいえ、記憶に残る。言葉によって聞き手の心が動きだす様子を、巧みに描いているからであろうか。

 

2 言詞をなほざりに思ひすつることなかれ

我々は普段、伝達の手段としての言葉の有効性にばかり関心を寄せる。この気持ちが伝わらないのはなぜか、口下手のせいか、メールの無機質な文字列が誤解を生むのか、などなど。大切なのは伝える内容なのに、手段である言葉が不完全で、うまく伝わらないのだといらだつ。

しかし、宣長さんによればそれは逆さまである。こころよりことば、すなわち、意味内容ではなくそれを言い表す様子こそ、言語の本質なのだという。例えば、上代の「宣命せんみょう」とは、「ノリキカするワザをさしていへる」であって、「その文を指していふ名」ではなかった。勅命そのものではなく、それを伝える「読揚ヨミアゲざま、音声の巨細こさい長短昂低こうてい曲節」こそ重要であったのだ。こころよりことばが先行するという言語観は、神代「天ノ石屋戸」の頃にまで遡るもので、意を重んじて「言詞をなほざりに思ひすつる」は、漢意、すなわち後世の迷妄に過ぎないと断じる。

意味より表現が先行する。これは我々の日常の通念に反するのではないか。そこで、小林先生に耳を傾ける。

「眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現わそうとする身体のワザの、多かれ少かれ意識的に制御されたアヤは、すべて広い意味での言語と呼べる事を思うなら、初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではない」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集第48頁。以下、引用はすべて同全集からである)。

確かにその通りだ。赤ん坊も、単語や文という形式での言葉を知らないが、周囲に何かを訴えようと必死だ。そしてそれは、確かに通じるではないか。大人にとっても、同じことだ。何かを伝えたいと思ったとき、辞書のどこにも、その思いをぴたりと表す言葉などあるはずがない。だからといって、言葉を発しないわけにもいくまい。「日に新たな、生きた言語活動」に身を置き、実際にやり取りをすることによらずして、思いが伝わるはずもない。

なるほど、相手に伝えようとして、赤ん坊のように、懸命に努力するという行為こそが、言葉を発するということなのか。しかし、翻って、そのような、独りよがりかもしれない行為によって相手に思いが伝わるとは、いかなることであろうか。

 

3 しるしとして生きている言葉

どんなに言葉を尽くしても思いが伝わらないというもどかしさや、語るべき言葉を見つけられずに呆然とするという体験は、決して稀ではないだろう、しかし、それでも私たちは、何かを語ろうとする。それはおそらく、私たちが、同じ言葉の世界に生きているという確信のようなものを持っているからではないか。小林先生は、こう論ずる。

「この言語共同体を信ずるとは、言葉が、各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、そのシルシとして生きている理由を、即ち言葉のそれぞれのアヤになわれた意味を、信ずる事に他ならないからである」。(28集49頁)

私の目に映るもの、耳に聞こえるもの、触って感じるもの、これらの感覚は私固有のもので直接に他人と共有はできない。私の身振り手振りも、口調や声色も、自分としては自然な、あるいはやむに已まれぬ、動きなり音声なりであるのだが、そういった内心を他人と共有することはできない。しかし、言葉は、「各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、その徴として生きている」。言葉によって、私たちはばらばらにならずに済んでいる。だからこそ、言葉が発せられたとき、その言葉のいいざま、すなわち身振り手振りや口調や声色によって、自他がつながることができる。すなわち、「言葉のそれぞれのアヤに担われた意味」を信じる事ができるのだ。

そして先生は、こう論ずる。

「更に言えば、其処に辞書が逸する言語の真の意味合を認めるなら、この意味合は、表現と理解とが不離な、生きた言語のやりとりの裡にしか現れまい。実際にやりとりをしてみることによって、それは明瞭化し、錬磨され、成長もするであろう」。(28集49頁)

話しかける、それを受け止め返事をする。こういう言葉のやり取りによって、言葉の意味自体が決まってくる。表現の仕方が違えば、受け止め方も変わり、やりとりの行方も異なるものとなる。このようにして、話し手たちの気持ち自体が形作られていく。言葉は意味を伝える手段ではなく、言葉のやり取りによって、意味が形成される。

それでは、言葉のやり取り自体は、どのようにして始まるのであろうか。

 

4 人に聞する所、もつとも歌の本義

人はなぜ語りだすのか。宣長さんの答えは端的である。「すべて心にふかく感ずる事は、人にいいきかせではやみがたき物」であり、「さていひきかせたりとても、人にも我にも何の益もあらね共、いはではやみがたきは自然の事」であるというものだ(28集49頁)。

小林先生は、「そういう言語に本来内在している純粋な表現力が、私達に、しっかりした共同生活を可能にしている、言わば、発条ばねとなっているという考えが、彼の言語観の本質を成していた」と論ずる(第28集51頁)。

言葉が発条ばねになるとは、どうしても語り出さずにはいられないということだろう。なぜそうなるかといえば、心に深く感ずることは、それを人に聞かせることと不即不離であるからだ。意味(心に感ずる事)が表現(人に聞かせる事)に先行するのではない。言葉は意味を伝達する道具ではない。だからこそ、「人に聞する所、もつとも歌の本義」なのであり、「歌は人のききてアハレとおもふ所が緊要」であるのだ。小林先生の論じるように、「詠歌という行為の特色は、どう詠むかにあって、何を詠むかにはない。何を詠うかはどう歌うかによって決まる他ないからだ」(第28集54頁)

しかしここでまた、凡庸な通念が頭をもたげてくる。歌の出来栄えであれば、表現の巧拙によってきまるのだろう。しかし、私たちの気持ちというものは、歌を詠むかどうか、歌が上手か下手かで決まるものではなかろう。聞き手の受け取り方で自分の気持ちが変わるなどというのは、軽佻けいちょう浮薄な現代人にはありうるとしても、人間の本来の在り方とはいえないのではないか。自分の気持ちとは何か、ということだ。

 

5 心の動揺を鎮める

自分の気持ちとは何だろうか。怖い体験であれ、嬉しい出来事であれ、それを誰かに語ることによって、怖い思い、嬉しい思いが、確かなものとなる。目の前に聞き手がいるかどうか、実際に声を出すかどうかという問題ではない。「怖い」であれ「うれしい」であれ、内心、何らかの言葉を思い浮かべることで、自分の気持ちがはっきりとしてくるのだ。言葉のこういう働きは、「心に深く感ずる事」の場合、特に顕著となる。小林先生は論ずる。

「堪え難い心の動揺に、どうして堪えるか。逃げず、ごまかさず、これに堪え抜く、恐らくたった一つの道は、これを直視し、その性質を見極め、これをわが所有と変ずる、そういう道だ。(略)それが誰の心にも、おのずから開けている『言辞の道』だ、と宣長は考えたのである」(第28集58頁)。

そしてこう論ずる。

「言葉によって、限定され、具体化され、客観化されなければ、自分はどんな感情を抱いているのか、知る事も感ずる事も出来ない」。なぜなら、「心の動揺は、言葉という『あや』、或は『かたち』で、しっかりと捕えられぬうちは、いつまでも得体の知れない不安」だからである(第28集59頁)。

言葉の最初の聞き手は、言葉を発した自分自身であるということなのだ。

 

6 愛の告白の最初の聞き手

冒頭のテレビコマーシャルのシリーズには、次のようなエピソードのものもある。在来線のボックス席に座る中年男と若い女、出張中の上司と部下であろう。女が「わたし新人のころ課長に叱られて泣いちゃったことがあるんです」というが男には心当たりがない。女は、「だからいつか泣かせてやろうと思って」。愛を告げる女の言葉は、男を舞い上がらせるに十分のものであるのだが、同時に、女が自らの気持ちを確かめ、形作るためのものなのだろう。愛の告白の最初の聞き手は、女自身なのだ。

(了)