誰にとっても、生きるとは

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する四人の男女。今日は、第二十四章の最後の二頁が話題のようだ。

 

元気のよい娘(以下「娘」) 甥っ子のお付き合いでテレビ見てたら、アンパンマン・マーチが流れて来て。ちょっとまいったな。

凡庸な男(以下「男」) ああ、「何のために生れて、何をして生きるのか」っていうあれね。やなせたかしさんの言葉は深いけど、そんなに大げさに考えなくていいんじゃない。

娘 でもね、「宣長が求めたものは、如何に生くべきかという『道』であった」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集125頁)っていうけど、実はピンとこないんだよね。

江戸紫が似合う女(「女」) どういうことかしら?

娘 「人生いかに生きるべきか」って、なんか重々しくて。もっともらしい辞世の句をありがたがるような感じ。でも、宣長さんも小林先生も、そんなの嫌いでしょ。

男 そうだね。具体的な道徳律を主張するのでも、道徳とは何かみたいな抽象的思弁を弄するのでもない。

女 自分という人間がどのように作られているのかをみつめること、それがよりよく生きることにつながる、ということじゃないの?

娘 でもさあ、生きるとは何か、人生とは何かなんて、みんなホントに分かってるのかなあ。普通の暮らしをしていて、いちいちそんなこと考えてないよ。

女 そうね、普通の人の、普通の暮らし、というものが、確かにあるのよね。太古の昔、原始人のころから、営々と繰り返されている人々の暮らし。そのそれぞれが、人生であったのよね。

娘 小林秀雄という名前を聞いたことがないような人にだって、人生はあるのでしょう。

女 頭の中で考えているだけではなくて、手を動かし、足を運んで、外の世界とかかわっている。何かを獲得したり、痛い目にあったり、恐れ悲しんだり、喜び勇んだりする。そうやって、みんな生きているんだわ。

生意気な青年(以下「青年」) 手ごたえってどういうことかなあ。恐れとか、喜びとか、結局、頭の中のことに過ぎないんじゃないの?

女 そうではないのよ、この間、私達は、むだ話をするのが好きだ、っていう話をしたわよね。

男 宣長さんが、「見るにもあかず、きくにもあまる」ところを、誰も「心にこめがたい」って言ってるやつだね。(同276頁)

女 外界とのかかわり、たとえば、北風に凍えて「寒い、寒い」と言葉にすれば、皮膚への温度刺激という現象が私たちの生活のひとこまというか、大げさに言えば、経験というものになるのでしょう。

男 小林先生は「生の現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印はなかろうし、(略)、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又基本的な人生経験であろう」(同頁)と仰っているね。

女 だから言葉の問題なの。国語というものは、そういうお喋りが、気の遠くなるような歳月をかけて、膨大に蓄積されて、できあがった大きな海のようなものだと思うの。そして、どんなにささやかで、自分だけの秘め事のような心の動きも、言葉の大海のどこかには、それにふさわしい言葉があるんじゃないかって。

青年 どうやって見つけるのさ。グーグル検索みたいにはできないよね。

女 単語や文の意味の問題じゃないの。口調とか、間合いとか。それに、見つける、というより、自ずと見つかるんだわ。

青年 そんなことってあるのかな。

女 たとえば、思わぬ出会いがあんまり嬉しくて、相手の名前を繰り返すばかりで言葉が続かなくなるみたいなこと。思ったように言葉を操ることはできなくても、それはそれで、その人の心の中を現わしていると思わない? こういうのが、国語の働きなんだと思うわ。

青年 そんなあやふやなものを、経験といっていいのかなあ。あの、お分りだと思うけど。近代科学は、時間、長さ、質量などの物理量の関係を、一貫性のある単位の体系の下、数式として表現することによって、世界を客観的に記述できるようになったのですよ。

男 魔術からの解放だね。ヤハウェの怒りとか、菅原道真の祟りとか、そういう超自然的なものの意思を介在させずに、人間は世界を理解できるようになった。そういう物理的な世界、合法則的な世界に、僕らは生きている。

青年 外部を認識するに当たって、感情で目を曇らせてはならない。事物は万人にとって無色なものだよ。こういう合理的思考に基づく近代科学こそが、僕たちの文明生活の生みの親でしょう。

女 もちろん、近代科学の成果を否定するつもりはないし、科学者でなくても、安全で健康な生活を送るには、仰るような意味での合理的な思考が必要だわ。でも、人間の心はどうなのかしら?

男 人間の心理だって、科学的な研究の対象だよ。

女 それは、数値として処理できる要素だけを拾い出してその要素間の関係を分析すれば、なんらかの法則性を見出せるということでしょう。

男 でも、そういう科学っぽいもの言い方は、結構浸透しているよね。たとえば、他人の行動について、承認欲求を満足させるためだとか、同調圧力に屈したとか、抽象的な概念で十把一絡げに説明しようとする。

娘 でも、人の心って、そんなに単純じゃないよ

青年 確かに、人の心の奥底とか、簡単には分からない。でも、分からなくてもいいんだよ。外部から観察可能な行動や、第三者とも共有できる価値観をベースにして世の中のルールを作っていくというのは、因習にとらわれない自由な社会の前提だよ。肚の底まで分かり合う関係を求められたら、重たくってやってられない。

男 政治も、経済も、法律も、抽象的な人間像を前提に組み立てたられた近代的な仕組みに支えられている。仕組みはみんな明治以来の輸入品だけど、それなしにやっていられないよ。

女 でもそういうのって、道具でしょう。日常の社会生活を円滑に遂行し、人々の幸せな暮らしを実現するための道具。道具なしには生きていけないけど、道具を使うことが生きることではないでしょう。そういう道具がなかった大昔から、日本人は、日本語で生まれ育ち、社会生活を送っていたんだわ。

青年 和魂洋才とかいいたいわけ。

女 民族とか言語に優劣をつけているんじゃないの。でも、私たち自身のこと、よく考えて。和服を脱いで洋服に着替えるみたいに、日本語を脱ぎ捨てるわけにはいかないでしょう。生きることと、日本語を使うことは区別できないわ。

青年 そうはいったって、何国人であろうと、同じウイルスに感染して死に、同じ薬が効いて命が助かるんだよ。

女 健康とか病気とかは、病理検査の結果から推知される体内の物理現象にすぎないのかもしれない。でも、私たちにとっては、気持ちがいいとか悪いとか、身体に何となく宿る感覚が出発点でしょう。そういう漠とした感覚が、さわやかだとか、つらいとか言った言葉を脳裏に浮かべることで、しっかりとした輪郭を持ち、自分でもあとで思い出したり、ほかの誰かに伝えたりできるものになる。そういう、身体の感覚とも心の動きとも判然としないもやもやが、言葉に出会い、喜怒哀楽といった感情と分かちがたいものとなる。それが私たちにとっての経験というものじゃないかしら。

娘 人々がおしゃべりをするなかで、見るにもあかず、聞くにもあまり、心に込めがたくなって、あふれ出るのは、そういう喜怒哀楽の「情で染められた」物なんだね。

女 長い年月の中で、そういう「情で染められた」物が積もり積もって、国語という大海の中で、伝えごととか、物語とかいうものになる。そんなふうに生まれた物語だからこそ、そこには、人が生きるということの「ありよう」が記されている、ということではないかしら?

娘 宣長さんは、物語のことを、そんなふうに考えていたということかな?

女 ええ。そして、同じ国語の大海に揺られて生まれ育った日本人ならば、太古の物語に潜んでいるはずの「情で染められた」物を探し当てることを通じて、太古の人生のありようを知ることができる、宣長さんはそんなふうに信じていたのではないかしら?

娘 そういう作業を通じて、誰にとっても生きるとは何かということが、解明されていくのかな。でも……

女 でも?

娘 まだ、「生くべきか」の「べき」が残ってるからさあ。

女 難しいわ。もっと勉強しないと。さきほどのアンパンマン・マーチ、こう続きますわ、「こたえられないなんて、そんなのはいやだ」。

 

 四人の話は、とりとめもなく、延々と続いていく。

 

(了)

 

むだ話が大好き

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する四人の男女。今日は、第二十四章と第三十五章が話題のようだ。

 

元気のいい娘(以下「娘」) 寄席、行ってきたんだけどさ。

生意気な青年(以下「青年」) うん。

娘 噺のなかで、長屋の連中が、寄り合って「馬鹿っぱなしでもしようじゃないか」ってくだりが出てきてさ。

凡庸な男(以下「男」) よくあるよね。それが、どうかしたの?

娘 どんな「馬鹿っぱなし」するのかな。

男 そりゃ、大屋の悪口とか、誰かの失敗談とか、他愛のない話でしょう。

娘 なんか、楽しそうだなって。

男 まあ、話の中身というより、みんなでわいわいやるのがいいんじゃないの。

娘 わいわいやる?

江戸紫の似合う女(以下「女」) そうね、言葉のやりとりはあるわけだけど、描写でも、説得でも、論難でもないのね。話題も次々移り変わるし、最初は何の話だったか誰も覚えていないかもしれない。でも、なにか、ぺちゃくちゃ、おしゃべりしたなっていう満足感は残る。そういうことかしら。

娘 わいわいとか、ぺちゃくちゃとか、擬態語でいうけど、どういうことかな。

青年 そうなんだ。一語一語の意味を、詩人みたいに吟味しているわけじゃない。でも、おしゃべりとしては成立してるのかな。

娘 カワイイと、ヤバイと、キモいと、ダイジョーブだけで成り立ってる会話でも、話し手の、そのとき、その人なりの気持ちがこもってるよね。

青年 一応ね。その瞬間の思いつきに過ぎないとも思えるけど。

男 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結び、ってわけか。

娘 ゲッ、そういう知ったかぶりって、キモくない?

男 だって、すぐに消えちゃうんだろ?

女 そこは少し違うかもしれないわ。誰かが何かを見聞きする。心の中に何かもやもやしたものが生まれる。でもそこでとまるんじゃなくて、それを言葉にするの。そしてその言葉が、語られ、聞かれる。そうすることで、心の中のもやもやしたものが、はっきりとした「気持ち」って呼べるようなものに変化するのじゃなくて。

青年 「これヤバくね」「うん、ヤバイヤバイ」みたいな会話でもそうなの?

女 そう思うわ。

青年 でも、一方の「ヤバイ」と他方の「ヤバイ」が同じ意味とは限らないよ。

女 もちろん、どんな会話でも、すれ違いとか、ずれとかはあるわ。そうじゃない方が珍しいのかもしれない。同じ人でも、一つの言葉を、その都度、微妙に色合いを変えて使うわ。言葉の意味を特定するとか、その意味が正確に伝達されたか検証するとか、そういう問題じゃないの。

男 小林秀雄先生は、「生まの現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印しはなかろうし、その有用無用を問うよりも、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又根本的な人生経験であろう」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集276頁。以下引用は同作品集から)と書かれているね。

女 おしゃべりとして成り立ったということが大事なんだと思うわ。

青年 そんな御大層なことなの? 第一、「意味を帯びた言葉」って、なんだろう。「ヤバくね」なんて言葉に、なんか意味があるの? ああ、ヤバイも形容詞か、ヤバかろう、ヤバかった・ヤバくない、ヤバイ、ヤバいとき、ヤバければ、って活用もするわけだ。

娘 こいつの頭ん中、キモすぎ。

女 意味っていうか、何か感じているのよね。あっ、これ、なんか変わってる、ちょっとびっくり、この気持ちお友達と共有したい、みたいにね。そしてそれを、伝えようとするのでしょう。

青年 それって、言葉なのかなあ。そういう漠然とした感じだけでは、自分を取り巻く世界を認識したことにはならないんじゃないかな。曖昧模糊とした感覚の世界に、分節化っていうのかな、折り目を入れて秩序を与え、きちんと認識できるようにするのが、言葉の働きなんじゃないの。

女 人間の言語活動を、そういうふうにとらえて議論することは出来るわね。それはそれで、どうぞご自由に。でも、わたしたちが生まれ育ってきた過程で身に着けた言葉って、少し違うのじゃないかしら。きちんと分る、という以前に、何かを感じているような。

男 そういえば、小林先生が、宣長さんの「物のあはれ」をめぐる説明に関し、次のように書かれているね。「明らかに、彼は、知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識を説きたいのである。知る事と感ずる事とが、ここで混同されているわけではない。両者の分化は、認識の発達を語っているかも知れないが、発達した認識を尺度として、両者のけじめもわきまえぬ子供の認識を笑う事は出来まい。子供らしい認識を忘れて、大人びた認識を得たところで何も自慢になるわけではない」(第27集151頁)。

青年 そういわれてもなあ。別に、「発達した認識」なるものを自慢するつもりはないけど、個人の感覚や感情を離れて、世界を正確に知ろうとすることは、大切なことでしょう。僕たちの文明生活の基礎だよ。

女 もちろんそういう世界があることは否定しないの。でも、言葉と私達の関係って、ちょっと不思議なところがあるでしょう。わたしたちみんな、いつの間にか国語としての日本語を話せるようになっているけど、その過程というのは、外国語を人工的に習うのとはずいぶん違うでしょう。

娘 人工的? ああ、落語や漫才の小咄に時々出てくるやつね。学校英語をネタに、「鉛筆を片手に『イズ・ディス・ア・ペンシル?』って、そんなの見ればわかるだろ」とか、「男子生徒が『アム・アイ・ア・ボーイ?』って、それは自分で考えろ」とか突っ込んで笑わせる。日本語はそんなふうには習わないよね。

男 小林先生は、先ほどの続きで、こうも書かれている。「よろずの事にふれて、おのずから心がウゴくという、習い覚えた知識や分別には歯が立たぬ、基本的な人間経験があるという事が、先ず宣長には固く信じられている」(第27集152頁)

女 そうですわ。こういう、おのずからなる心のウゴきが、自分の身体の外にほとばしり出る、それが言葉ではないかしら。ふつうの言葉でなくても、身振りでも、手振りでも同じだと思うけれど、身体の外側に出て、誰かほかの人に向かっている。何かを伝えようとしている。それが相手に届けば御の字だけれど、たとえ届かなかったとしても、伝えようとしたそのことで、自分の気持ちに形ができる、自分でもそれを味わえるようになる。そういうことですわ。

娘 思っているだけでは、だめなの?

女 だめというわけではないわ。遠くの恋人を思い浮かべ心の中で愛を告げるようなことも、同じだと思うの。とにかく、誰かに何かを伝えようとすることで、「意味を帯びた言葉」が生まれるのだと思うわ。

男 普段僕たち、そんな難しいこと考えてないよ。

女 そうじゃないの。まだ片言の幼な子が、犬を見て喜んで「ワンワン」っていう。まわりに優しい大人がいれば「そうだね、ワンワン、かわいいね」って答えてくれるかもしれない、でも、そうならなくても、その子は、もう、私たちと同じ言葉を話す仲間じゃないかしら。

男 なるほどね。もったいつけて言えば、幼な子が、犬を見て喜びや驚きといった感情をいだくことと、目の前の動くモノをニャンニャンでなくワンワンとして、つまり犬を犬として認知することが、「ワンワン」という一言で同時に実現している、ということかな。

娘 幼な子の頭の中にあるのが、「知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識」ということかなあ。

女 そうね。でも、子供段階の、発達の途上に限られるというわけではないと思うわ。「よろずの事にふれて、おのずから心がウゴく」というのは、大人も含めた、すべての人の言語活動の基になるものだと思うわ。

娘 ああそうか。だから、秀麗な「新古今集」の調べでも、「これヤバくね」「うん、ヤバイヤバイ」みたいな会話でも、根っこには、「おのずから心がウゴく」ということがあるんだね。

青年 学術論文を読んだり書いたりするのであれば、あらかじめ用語の定義や論述のスタイルが決まっている。だからそれを学ぶことから始めるわけだけど。

女 普通の言葉はそうじゃないのね。

娘 どういうこと?

女 小林先生が「『お早う』とか『今日は』という言葉を、先ずその意味を知ってから、使うようになったなどという日本人は、一人もいないだろう」(第28集48頁)と仰っているように、ことばは、まずは使ってみるという面がありますわ。

青年 でもそれは、子供が、挨拶のような定型を身に付けるときの話でしょう。

女 そうでもなくてよ。大人でも、或るとき或る場面の状況や気持ちにぴたりと合う言葉なんて簡単に見つかりそうにないけど、でも、何か言ってみるでしょう。

男 「これ、ヤバくね」とかでもいいのかね?

女 ええ、まずは言葉という形にする。そういう発話の積み重ねが、その人の言葉の世界を豊かなものにしていくのではないかしら。

青年 「うん、ヤバイヤバイ」でもそうだっていうの?

女 豊かにする、なんて言い方が気取りすぎかもしれないわね。でも、友達同士、何か通じ合うものがあれば、それは一歩前進でしょう。そのためには、言葉という形が必要なのよ。

娘 「初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではない」(第28集48頁)ということかな。

女 そうね。そうだとすると、小林先生の「大人になったからと言って、日に新たな、生きた言語の活動のうちに身を置いている以上、この、言語を学ぶ基本的態度を変更するわけにはいかない」(第28集48頁)というお話も、すこし分るような気がしますわね。

娘 何気ない、ぺちゃくちゃおしゃべりすることも、人間にとって大切なんだね。

男 我々四人のおしゃべりも、意味があるのかな。

娘 どうかな。約二名のキモイのは要らないかも。

女 あら、いいじゃない。小林先生も仰っているわ。「私達は、話をするのが、特にむだ話をするのが好きなのである」(第27集276頁)

 

 四人のむだ話は、いつにもまして、延々と続いていく。

(了)

 

「しっかり納得できればよい」

若い男女、小林秀雄「本居宣長」を学ぶ仲間だ。普段やたら元気のいい娘が何やら所在なげだ。気弱な男子がおずおずと話しかける。

―今度の自問自答、どうするの?

うん、まだ全然。でも、気になるトコは、あるにはある。熟視対象かな。「本居宣長」16章の終わりの方なんだけど、次のところ。

……式部が、創作の為に、昔物語の「しどけなく書ける」形式を選んだのは、無論「わざとの事」だった。彼女は、紫の上に仕える古女房の語り口を演じてみせたのだが、恐らくこの名優は、観客の為に、古女房になり切って演じつつ、演技の意味を自覚した深い自己を失いはしなかった。物語とは「神代よりよにある事を、しるしをきけるななり」という言葉は、其処から発言されている、言わば、この名優の科白なのであって、これを動機づけているものは、「史記」という大事実談が居坐った、当時の知識人の教養などとは何の関係もない。式部は、われ知らず、国ぶりの物語の伝統を遡り、物語の生命を、その源泉で飲んでいる。……(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集180頁。以下引用は同作品集から)

―気になるって、どの辺?

古女房の語り口を「演じる」とか、「この名優」とか、「演技の意味」とか、繰り返し出て来る。「演じる」って、文章を「書く」のとは、違うよね。まず、相手が目の前にいる。その人に向かって、自分で声を出す。声だけじゃなくて、顔つきとか、身振り手振りとか、なんとなくの雰囲気とかで、全然違ってくるよね。

―話し言葉と書き言葉の違いかな?

そうだね。もともと文字なんかなかったんだし。それに、文字で書けば同じ言葉でも、どういう場面で、誰が誰に、どんなふうに言うのかで、全然意味が違う。

―話し言葉の方が、多義的で、曖昧だということ?

そういうことじゃないよ。人と人の間で、何かが伝わるというのは、話す人がいて、その話に耳を傾ける人がいて、お互いを信じる気持ちになって、初めて成り立つ。「話し合う」こと、「かたらふ」ことが、そもそもの始まりだよ。

―ああ、そうか。小林秀雄先生も、すぐあとの箇所で、「『かたる』とは『かたらふ』事だ」(第27集181頁)として、その辺りのことを論じているね。

見聞きした出来事とか、自分たちの喜怒哀楽とか、まずは相手に語りかける。それに聞き手が耳を傾ける。互いに想像力を働かせ、それはそうだと信じる。こんなふうにして、人びとが心を通わせ、何かが伝わる。そこで伝わった何かが、多くの人びとに共有され、伝承されることで、物語が生まれた、ということだと思う。

―それが、「演技」につながるの?

式部ちゃんとしては、光の君の物語を「かたらふ」ことに集中してたんじゃないかな。人々との「かたらひ」が成立しないと伝わらないから、語り口に工夫を凝らした。

―そのため、「昔物語の『しどけなく書ける』形式を選んだ」ということだね、

うん。式部ちゃんという名優が、観客のために、紫の上に仕える古女房の語り口を演じてみせたというわけ。そうすることで、書き手と読み手とが、「かたらふ」ことになり、物語に出て来る様々な事柄の意味合や価値が伝わっていくということかな。

―それは、式部の独創なの?

そうじゃない。そういう物事の伝え方というか、伝わり方というか、神々の物語以来の、「国ぶりの物語の伝統」なんだろうね。それを見事に演じた式部ちゃんは、「物語の生命を、その源泉で飲んでいる」。激ヤバだよね。

―物語の内容ではなく、語り口に注力したということ?

てゆーかあ。小林先生も「(元来物語というものは)神代よりよにある事を、しるしをきけるななり、日本紀などは、ただ、かたそばかし。これら(物語)にこそ、みちみちしく、くはしきことはあらめ」という「蛍の巻」の源氏の言葉を引いているよね。朝廷の正史は、あくまで公式の歴史書で、政府の公式見解が書いてあるにすぎない。人々の暮らしや気持ちは、神々の物語以来の物語に記され、伝えられている。「源氏物語」も、正史には書かれようのない複雑な人間関係や多様な恋愛感情などあれこれを、「そらごと」に仕立て、しどけなく語ることで、人のこころの「まこと」を書こうとした。この点からも、日本古来の物語の魂を受け継いだってことかな。

―小林先生は、さらに、式部は「演技の意味を自覚した深い自己を失いはしなかった」とも書いているね。

ここヤバイよねえ。名演技をしつつ失わなかった自己って、なんだろう。

―次の17章に入ると、古女房の話が出て来るね。「式部は、古女房に成りすまして語りかける」とか、「宣長は、古女房の眼を打ち守る聞き手になる」とか。

チョーむずかしい。「ははきぎ」冒頭の「光源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれたまふ咎おほかなるに、……(例えば)交野の少将(の如き昔物語の好色家)には、笑はれ給ひけんかし」という一節から、式部の「下心」や「心ばへ」を読み取るなんて、宣長さんだからできることだよね。

―宣長さんには分かっていた。

そう。宣長さんは、「源氏」の研究者である以前に「源氏」の愛読者で、だから、式部と「共作者」であるくらいの気持ちになっていた。すごくない? 式部ちゃんが、なぜ、こういう内容のお話をこんな風に語ったのか。宣長さんは、そういう式部ちゃんの心の中にまで分け入り、理解しようとしたんだね。

―式部の心の中?

それが、演技の意味であり、演技しつつも失わなかった深い自己なんじゃないかな。そして、小林先生は、こう書かれているね。「源氏という人間につき、作者が聞き手の同意を求めて、親しげに語りかけ、聞き手と納得ずくで遊ぶ物語という格別の国を作ろうというのなら、喜んで、その共作者になろうと身構える。」(第27集183頁)

―聞き手と納得ずくで遊ぶ物語という格別の国を作る……

スゴスギ!「おーい、ノリナガ、何処まで行くんだ~」って叫びたくなるよね。宣長さんは、古女房に成りすました式部ちゃんと、直接「かたらふ」ことができるというんだから。

―創作の動機といえば、キミが熟視対象とした箇所の直前に、「宣長の視点が、作者の創作動機のうちにあった事」という小林先生の指摘があるね。これ、忘れてない?

そうなんだ。「創作の動機」というのが、あまりに普通の言い方で、読み流してしまっていたけど、宣長さんから見た式部の創作動機は、とても広がりがあるんじゃないかな。

―広がり?

たとえば、「昔物語の『しどけなく書ける』形式を選んだ」というのも、単に書き方の問題ではないんだよ。あくまで、「創作の為」に、「わざとの事」として選択しているんだね。

―どのように「わざと」なのさ?

しどけない語り口で「かたらふ」ことによってこそ、物語が生まれるのだという表現に関わる動機が一つ。それと、神々の物語以来、人々が体験し実感してきたことがらや、世の中に生起する様々な物ごとを記すものが物語であるという内容に関わることがもう一つの動機じゃないかな。

―さっきは、ずいぶん「演技」にこだわっていたね。

古女房の語り口を「演じる」というのも、式部ちゃんの創作動機の一つの現れなんだね。だからさ、演技というところだけに引っかかってはだめなんだ。「演技の意味を自覚した深い自己」を掘り下げ、式部ちゃんの創作動機の中身を考えなければならないってコトか。

―ずいぶんハードルは高そうだね。

そうだね。宣長さんは、「源氏」を愛読し、式部ちゃんと動機を共有しようとした。宣長さんの学問がそういう視点から出発していることを、小林先生は見抜いている。その小林先生を勉強するボクは……いけてないね。

―先生は、「ここでは、宣長の視点が、作者の創作動機のうちにあった事が、しっかり納得出来ればよい」と書いてくださっているね。

宣長さんは式部ちゃんの創作動機をどう考えたのか、もう一度じっくり読んでみるよ。「しっかり納得」には程遠いけど。

 

(了)

 

スマホはオフに

いつもながら、『本居宣長』を片手に談笑する4人の男女。今日は、第25章の最後の方を開いている。

 

元気のいい娘(以下「娘」) あのさ、「姿は似せ難く、意は似せ易し」って、やばくない?

江戸紫が似合う女(以下「女」) そうね、一度聴いたら耳から離れませんわ。

凡庸な男(以下「男」) 逆説というか、常識をひっくりかえす発言だね。

生意気な青年(以下「青年」) そうかな、分かりやすいともいえるんじゃない? 抽象的な概念の伝達は容易だが、その表現形式には巧拙があり、説得力も違う、みたいなことでしょ。

娘 そんな単純な話なの?

男 宣長さんは、同時代の学者の歌論を批判して、彼らは、「文辞の姿を軽んじ、文辞の意に心を奪われて」おり、「意と言わず、義と言い、義では足りず、大義」といったあげく、「言語文字の異はあれども、唐にて詩といひ、こゝにて和歌といふ、大義いくばくの違あらんや」などと論じるが、物が分かっていない、というふうに言っていたね。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集285頁。以下引用は同作品集から)

娘 どういうこと?

男 それらの学者にすれば、漢詩だろうが、和歌だろうが、なんらかの意味を、たとえば感情や感慨を表すものであって、同じ意味を表しているのなら、言語の違いすら関係ないということになるね。

女 同じ意味だなんて、ずいぶん簡単におっしゃるのね。

青年 いや、彼らも、それが簡単だと言っているのではないよ。むしろ、意味を理解するのは容易ではないことで、だからそれが大事なのであって、表現をまねるだけなら子供にでもできる、というんだな。

男 彼らは、小林秀雄先生の言う「言葉とは、ある意味を伝える為の符牒であるに過ぎないという俗見」の持ち主だったわけだね。

青年 宣長さんの逆説は、それをひっくり返した。だから僕の言ったとおりでしょう。抽象的な概念の伝達は容易だが、その表現形式には巧拙がある。

女 いいえ、そう簡単に、表現と内容を分けられないのではなくて? 小林先生が「歌人の心とその詞、歌の意とその姿という問題の、困難な微妙な性質」と仰っている、そこが大切なんですわ。

青年 なにが微妙なのさ。宣長さんも、「よのつねの世俗の事にても、弁舌よく、かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物」と言っている。今で言うインフルエンサーかな。SNS上で、鋭く、分かりやすく発言すれば、たくさんのフォロワーが付く。でも、誰にもそれができるわけではない。それが「似せ難い」ということでしょ。

娘 そうかな、何が伝わっているかってこと自体、問題じゃん。

女 SNSについて、エコーチェンバーという言葉がございますね。同じような意見の人たちが、聞きたい言葉だけをやりとりして盛り上がるのでしょう。スローガンのようなものがやりとりされているだけですわ。概念の伝達が容易だなんて、大仰におっしゃるけど、伝わり易い概念だけが容易に伝達される、それだけのことじゃなくて?

青年 そうかな、さっき、誰かが、宣長さんの同時代の学者の、漢詩でも、和歌でも「大義」は同じだという説を紹介していたね。それでいいんじゃない?

男 確かに、僕らだって、西洋文学を日本語訳で読むし、ミシマやハルキが外国語に訳されて広く読まれている。そういうのと、どう違うのだろう。

女 むずかしゅうございます。でも、こういうことかしら。たとえば、ゴッホの手紙を日本語訳で読んでも、他ならぬゴッホその人の叫びのようなものが、私の心の中で鳴り響くの。でもそれは、「この部分はゴッホの絶望を現わします」とか、「この部分は悲しみです」とか、テストの答え合わせをするように、私の中で、単純に言葉が感動へと置き換わっているわけではないの。翻訳を介してであっても、言葉が、私の中に、何らかの像を形作っているのですわ。

青年 それって、言語文字の違いを乗り越えて、意味が伝わったということでしょう。宣長さんが批判した学者が考えていたとおりじゃないの。

女 そこは、違いますわ。言葉が像を作るというのは、変換コードに従った置き換えではないの。さっき、「歌人の心とその詞、歌の意とその姿」が微妙で困難な問題だという、小林先生のお話をご紹介したわね。歌人が和歌を詠む。それは、歌人の心の中に、Aという気持ちがあって、それを、変換コードに従って、aという詞に置き換える、という作業ではないの。歌人にとっても、歌を詠むという行為、言葉を連ねるという経験を通して、初めて自分の気持ちが形作られるということじゃないかしら。

娘 歌の姿ってこと?

女 そうね。歌となる前の気持ちそのものは、どろどろとした不定形のもの、本人にとっても意味が定まらないものだけれど、優れた歌というのはそれに姿を与える、そうして、本人の心にも、読み手の心にも、まざまざとした像が映ずるようになる、ということかしら。

男 じゃあ、学者たちの言っていた、「唐にて詩といい、こゝにては和歌という、大義いくばくの違あらんや」って、なんの話、してるのかな。

女 たぶんこういうことかしら。歌に詠もうとする気持ちというのは、その人独自の、たった一回きりのかけがえのない体験だから、それに姿を与えるというのは、とても複雑で、微妙な作業でしょう。単純な置き換えではない。でも、そういう複雑さ、微妙さを無視して、単純な変換コードを持込めばどうなるか。たとえば、学校の参考書の鑑賞の手引きのように、この歌は別離の悲しみを、この歌は恋の喜びを詠っているというレッテル貼りをするとか、あるいはもっと精巧に、心理学用語をちりばめた感情リストを作るとかすれば、学者たちのように、「文辞の姿」と無関係に「文辞の意」を云々することができる。

娘 それが、「意は似せ易い」ということだね。

女 「万葉集」はますらおぶりだとか、古代人は朗らかだとかいう予備知識から出発すれば、個々の歌も、心理学用語や、文芸批評用語を使っての分析の対象になる。そういう作業は、やってる当人には難しい知的作業に思えるかもしれないけれど、結局、自分の作った変換コードに当てはめているに過ぎない。自分で先回りして結論を決めているようなものだから、実は簡単な作業よね。

娘 そういう「知的作業」では、一つ一つの歌が、なぜ、このような姿に歌われたのか、分かんない。なぜ、そのような姿の歌が時代を越えて万葉人の心情を伝えられているのか、感じらんないね。

女 小林先生は「ある歌が麗しいとは、歌の姿が麗しいと感ずる事ではないか」と仰っている。万葉の秀歌たちが、作品として自立しているというか、それ自体で一つの世界を作っていて、いつ、だれがどんな読み方をしようと、万葉人の命があふれ出してくるというような、歌の姿を味わうのですわ。

娘 姿って、なんだろう。なんか、難しい話になったね。

女 そうでもないわ。宣長さんや、小林先生のおっしゃる要点は、「文辞の伝える意を理解するよりも、先ず文辞が直かに示しているその姿を感ずる」ということだけれど、これは、歌道や歌学の話だけではなく、日常生活にも当てはまるし、現にみられることよ。

青年 でも、さっきのインフルエンサーの話、「かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物」の話は、評判悪かったですよね。

娘 君はちょっとずれてるから。

青年 そうかな。弁舌というものは、確かに効果がある。ものの言いようで、伝わり方が違う、もっといえば、伝えようとする側の心持も変わってくる。さわやかな弁舌、理路整然とした行論、声涙ともに下る熱弁は、社会生活上それぞれの活用場面みたいなのがあるのじゃないですか。

女 確かにそうですけれど、私たちの生活にはそれとは別の場面がありますわ。

青年 どういうことですか。

女 自分の人生は自分だけの一回限りのもので、誰にも追体験できないし、その時々の気持ちも共有できるものではないけれど、じゃあ、人間はみんなばらばらかというと、そうではなくて、それが、ある人の体験が他の人に生々しく伝わるということも、ときには起きますでしょう。

男 伝わりそうにないものが伝わるということ?

女 ええ、そこで用いられた言辞の姿が、「人目を捕らえて離さない」もの、つまり、「人生の生ま生ましい味わいを湛えている」ものだからこそ、受け手の心を動かすことになるのね。

男 そう簡単に見聞きできる言辞ではなさそうだ。

女 小林先生も、そういう言辞というのは、「比較や分析の適わぬ、個性とか生命感とかいうものに関する経験」を現わすものだが、そういう経験は「『弁舌』の方には向いていない。反対に、寡黙や沈黙の方に、人を誘うものだ。『姿』の経験は、『意』に抵抗する事も教えている筈である。『文辞の麗しさ』を味識する経験とは、言ってみれば、沈黙に堪えることを学ぶ知慧の事」であると仰っている。(第27集287、288頁)

男 沈黙に堪えるって言われても。

青年 まずは「弁舌」から距離をおくのかな。「意」に抵抗するってなんだろう?

女 そうね、抽象的な概念の多用やキーワードの流行から逃れ、もっともらしい今風の議論の進め方に与しないということじゃないかしら。

娘 そうか、スマホをオフにしよっ。

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

 

(了)

 

『2位じゃだめなんですか?』

小林秀雄の『本居宣長』を読んではおしゃべりをするのが楽しみの4人組。一人が何かを読みふけっている。

 

生意気な青年(以下「青年」) なに読んでるの?

元気のいい娘(以下「娘」) 小林秀雄先生の文壇デビュー作。

青年 『様々なる意匠』だね。

娘 これ、2位だったのね。

青年 そう。『改造』という雑誌の懸賞論文、昭和4年(1929)のことだけど、その二席だった。

娘 小林先生の上をいく作品があったなんて。

青年 宮本顕治という人の『「敗北」の文学―芥川龍之介氏の文学について―』という評論ですね。

凡庸な男(以下「男」) そうだ、ミヤケンだったね。

娘 知ってるの?

男 昭和30年代生まれの僕らとか、その上の世代にとっては、有名な人だよ。政治家としてね。代々木の、いや日本共産党の指導者として長かった。でもこの論文は、小林秀雄を差し置いて一席だったという話だけは有名だけど、いま読む人いるのかな。だいたい、昭和初年や、戦後しばらく盛んだったというプロレタリア文学運動というのが、僕らの世代ですら、もはやピンとこないしね。

青年 それで、ちょっと、怖いもの見たさで、読んでみたんです。

江戸紫が似合う女(以下「女」) あら、正しい学習の仕方とか、決まっているんじゃなくて。

青年 脅かさないでください。

女 で、独習の成果ございました?

青年 ええ、途中までは、なかなか読ませる作家論、芥川論なんですが、最後の方になって「小ブルジョア・インテリゲンチアの痛哭つうこくをそこにみなぎらせている」とか言い出すんです。(注1)

娘 小ブルジョア?インテリゲンチア?

男 プチブルとか、小市民とか、もう死語なのかな。資本家と労働者の中間の階級に属する人々。労働者とともに資本家と戦うべきなのに、そこそこの暮らしをしているため、政治意識が保守的になる。インテリゲンチアは、今でいうインテリ。合わせて、小賢しい日和見主義者みたいな感じかな。

青年 人間社会に不幸は絶えないが、だからと言って、社会全体のため闘うのではなく、自己に絶望したとかいって内向するのは、属する階級に由来する弱さだと非難するんです。「我々は氏の文学にされた階級的烙印らくいんを明確に認識しなければならない」とか「階級的土壌を我々は踏み越えて往かなければならない」とかいって(注1)。

娘 だから、「敗北」の文学っていうタイトルなんだね、理屈はよく分かんないけど。

青年 この宮本論文は、それほどでもないんですが。ついでに、同じころ有名だった蔵原惟人とか平林初之輔というあたりを、恐る恐る眺めてみると、いきなり「文学(芸術)は党のものとならなければならない」というレーニンの引用で始まるとか(注2)、「『古池や蛙飛び込む水の音』という芭蕉の句は、マルクス主義的評価によれば、価値は零である」(注3)と言ってのけるとか。ちょっとついていけません。

男 でも、小林先生がデビューした頃って、こういう言論がそれなりの支持を得ていたんだろうね。

娘 だからって、小林先生が2位じゃだめだよ。

男 確かに、いま読むと、ミヤケンたちのはイデオロギーに傾斜した強引な議論だね。

娘 えっ、イデオロギー?

男 まあ、厳密な定義は知らんけど、マルクス主義でいえば、マルクスの学説そのものではなく、マルクス主義革命の指導理念というかというか、運動の考え方みたいなものかな。

娘 運動?

男 そう。革命を目指すんだから、一人じゃできない。階級と階級の闘いなんだ。人々を奮い立たせ、目的を共にし、集団的に政治的に意味のある何かを実行していく。そういう運動を進めるため、集団が共有する考え方が、イデオロギーということかな。

娘 思想という言葉と、どう違うわけ。

青年 思想という言葉は、もともとは、心に浮かんだ考えくらいの意味ですよね。そこからさらに、人生や社会、政治に対する一つのまとまった考えの意味でも使われる。末法思想とか、反体制思想とか、危険思想とか。

男 だんだん政治の色がついてくるね。だから、思想というとイデオロギー的なものを連想するのは仕方ない面もあるけど、もともとは、集団ではなく個人の、他者に働きかける運動ではなく内面的で反省的な、思いや考えといった意味じゃないかな。

娘 小林先生の『本居宣長』には、宣長さんの「思想」という言葉が沢山出て来るけど、これはどうなのかな。

女 そこは要注意ですわ。宣長さんという「誠実な思想家は、言わば、自分の身丈みたけに、しっくり合った思想しか、決して語らなかった」と書かれているでしょう(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集39頁。以下引用は同作品集から)。

娘 ええと、宣長さん自身の考えや、思いということだね。

青年 イデオロギー的なもの、たとえば、国学の運動や、皇国思想とか、国粋主義なんかはどれも関係ないということですね。

女 そうね。

娘 じゃあ簡単だね。普通に受け取ればいいんじゃないの。

女 そうでもないの。宣長さんの「思想は、知的に構成されてはいるが、又、生活感情に染められた文体でしか表現できぬものでもあった。この困難は、彼によく意識されていた」とも書かれているでしょう(第27集39頁)。

娘 困難って、なんだろう。

男 宣長さんは、幅広い分野について深く考え、独創的な見解を多数著作として残した大学者だね。だから、後世の学者の研究の対象になるんだな。

青年 研究というからには、まず、宣長さんの論述をいくつかの要素に分解し、分類整理し、抽象化し、その学者なりの考えで、宣長さんの議論の進め方や組み立て方、いわゆる論理構造はこうだと仮定する。そして、その論理構造に沿った形で再構築された宣長学説を、それ以前や同時代、さらに後代の他の学者の学説と比較し、相互の影響関係を論じ、宣長学説は、このようにして生まれ、このような形式と内容を持ち、このように継承されていった、という風にまとめてしまうんですね。

男 でもそれは、普通の学問で用いられる方法だよね。環境という原因から思想という結果を導こうとする方法も、珍しくないよ。

女 だからこそ問題なんですわ。そういう方法を取ることで、抽象化しにくいことや構造化しにくいことは、見えにくくなる、あるいは、考えられなくなる。方法が研究者の思考を縛ってしまうのね。

青年 それが「思想構造という抽象的怪物との悪闘」というやつですかね。

娘 小林先生は、どうなの。

女 先生は、思想構造を抽き出そうなどとはせず、「自分はこのように考えるという、宣長の肉声」(第27集40頁)に、ただ、耳を傾ける。

娘 宣長さんの声? どうやって聞くの?

女 宣長さんの仕事を、「『さかしら事』は言うまいと自分に誓った人の、告白と受取る」(第27集52頁)と仰る。

娘 さかしら事?

女 宣長さんは、「物まなびの力」つまり学問だけを信じていて、学問という大きな力の中に小さな自分が浸っているという意識でいた。というのは、そうね、自分の知力で新しい理論を打ち立てて、新しい解釈を主張するということかしら。宣長さんは、そういうことには手を出さず、ただひたすら、いにしえふみを味読していたのですわ。

男 無私の精神で学問に臨むというわけだね。そういう宣長さんの学問の成果が宣長さんのだというのは、どういうことかな?

女 小林先生は、宣長さんの日記を読み、「彼の裡に深く隠れている或るもの」を想像し、これこそが、宣長さんの「自己」であり、宣長さんの思想的作品の独自の魅力の源泉であるとお考えのようね。宣長さんの作品には宣長さんならでは魅力が自ずと現れる。それを、小林先生は、宣長さんの告白として捉えていらっしゃるのではないかしら。

男 このあたりのことを、先生は「直知している」と書かれているね(第27集59頁)。

女 宣長さんの生涯にわたるいろいろな作品と向き合い、ご自身の直知について、宣長さんに質問をされている。『本居宣長』という書物全体が、小林先生の自問自答なのかもしれませんわ。

青年 おやおや、ずいぶんと大上段に。

女 そうね、ちょっと恥ずかしいわ。でも、宣長さんの思想や、それに耳を傾ける小林先生の思想が、時代の状況に左右されるイデオロギー的なものと縁遠いというとこは、間違いないでしょう。

娘 それじゃさ、いま懸賞論文があったら、小林論文が一等賞だね。

男 さあ、どうだろう。往時のマルクス主義も、貧しい者を救うという道徳的な正しさだけでなく、「すべての歴史は階級闘争の歴史である」みたいに、人間の社会や歴史のすべてを論理的・整合的に説明してしまう世界観としての迫力があるから、若い人の気持ちを摑んだ。今でも、人類の長い歴史の積み重ねをひっくり返して、人々の価値観を一新させるような議論が持てはやされるんじゃないかな。

女 流行の最先端であるとか、最大多数に支持されているとか、そういうことが思想の価値を決めるのではないということですわ。

娘 「2位じゃだめ」じゃないということだね。

 

4人の話は、取り留めもなく、続いていく。

 

 

(注1)宮本顕治『「敗北」の文学―芥川龍之介氏の文学について―』。引用は小学館刊『昭和文学全集』第33巻(随筆評論集Ⅰ)から。(注2)および(注3)も同じ。

(注2)蔵原惟人『「ナップ」芸術家の新しい任務―共産主義芸術の確立へ―』

(注3)平林初之輔『政治的価値と芸術的価値 マルクス主義文学理論の再吟味』

 

(了)

 

「個人の感想です」

小林秀雄の『本居宣長』を読む四人の男女。今日はどの章を読むともなく、とりとめのないおしゃべりが続いている。

生意気な青年(以下「青年」) おや、浮かない顔だね。

元気な娘(以下「娘」) コロナでオヤジが巣ごもり、家でゴロゴロしてて邪魔くさいんだよ。

凡庸な男(以下「男」) 邪魔だなんて言わないであげて、お父さんも多感なお年頃なんだから。

娘 ナントカ相哀れむってやつ、ウザッ。

江戸紫が似合う女(以下「女」) まあ。それで、お父さま何なさってるの。

娘 テレビショッピングにはまっちゃって。ああいう番組に、利用者の声みたいなのが出て来るでしょう。「個人の感想です」というテロップ付きで。あれが気に入らないらしくて、ぶつぶつ言ってるの。

女 どういうことかしら。

青年 ああそうか。あれって、商品の品質の信用度を高めるために、利用者個人の証言を示したつもりなんだろうけど、同時に、同じ効能を保証するわけではないと逃げを打ってるわけでしょう。

男 客観的な商品テストの結果を示さずに、主観的な体験談でごまかすのはおかしい、ということかな。

青年 それはそうだね。主観的、客観的といえば、普通、客観的の方が、いいに決まってる。主観的なものは個人の勝手な思い込みだけど、客観的なものは正しい、と考えるよね。

娘 あっ、でも、小林先生は、そうじゃないみたい。

男 なんだって?

娘 『本居宣長』の中で、「中身を洞ろにしてしまった今日の学問の客観主義」では、宣長さんの学問を説明できないと仰ってる(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集103頁。以下引用は同作品集から)。

男 どういうことだろう。宣長さんの学問は、客観的ではないの?

青年 そんなことないよね。「古事記」の訓詁であれ、「源氏」の注釈であれ、宣長さんの業績は、後世の学者も認めざるを得ないものだ。

男 そうだね。

青年 それに、古典を解釈する際に、儒教道徳や仏教教理を持ち込むようなことをしていない。あくまで、その作品自体に向き合うというか、その作品ができた当時にさかのぼって、一つ一つの言葉の意義を探っている。そしてその結論の多くは、現代でも支持されている。

男 結局、客観的だったということじゃないの。

女 それはそうですわ。でも、小林先生は、語釈の結論がどうのこうのではなく、学問の在り方そのものの違いを問題にされているんじゃないかしら。現代の学問、現代の学者とは違うのだと。

青年 現代の学問は、自然科学が典型だけど、先行業績を踏まえて、新たな仮説を立て、正確な観察と実験により、その仮説を論証していくわけだね。観察や実験の正しさや、推論の適切さは、他の学者が検証する。こういった、反証が可能だが、反証されていないということが、その結論の正しさを保証するというわけだね。

娘 それって、当たり前の事じゃないの。

青年 そうさ。小林先生も、こういう意味での、自然科学というものを否定しているわけではないよ。

女 ただ問題は、こういった学問についての考え方は、言葉の意味、歴史の姿、そして人間の在り様について研究する場合には、そのままでは通用しないということだと思いますわ。

娘 どういうこと? 自然科学と、歴史や言葉の研究が違うというのはわかるけど。

男 でも、文系の学問だって、実証的であることは必要だよ。

娘 証拠もないのに結論を出したり、価値観を事実認定に持ち込んだりしたら、つまり、実証的でなかったら。学問とは言えないよね。

女 それはそうですわ。宣長も、そこは手堅いのだと思う。でもそれにとどまらないということかしら。現代の学問では、実証的な証拠が得られないことには言及しない。そのような禁欲が、研究者の学問的な良心だとみなされるのですわ。

男 だから、調べて得られた客観事実を羅列すれば、それが学問だということになりかねない。

女 自然の観察であれば、調べて得られた事実の羅列でとどまっても、それでいいというか、余計な推論を加えない方がいいのかもしれない。でも、そういう態度では、たとえば歴史は分からないということではなくて?

青年 放射性同位元素を用いれば、ある「物」がいつごろできたのか、その年代の測定がかなりの精度で出来る。そういう方法で、仮に、色んな史料の年代推定ができたとしても、それは考古学であって歴史ではない。そうやって観察され、実証された史料を並べても、そこに書かれた言葉の意味を知ることはできない。

女 歴史って、昔から語り継がれてきた事柄よね。ある世代の人々が語らずにいられなかったことは、次の世代の人々も聞かざるを得なかった。こうして、文字がなくても、時の流れを越えて語り継がれたものが、歴史なのですわ。

娘 語り継がれ、聞き継がれるに値するほどに、物語りが面白かったということかな。

女 そうやって歴史の語りを聞き、歴史についての文章を読むことで、かつての世の有様が、と脳裏に浮かんできますわ。そして、自分だったらどうだろうというふうに想像し、追体験してみる。こんなふうに、わが身に歴史的事実を自分のものにするということ。かに得た知識ですわ。

娘 どうしてこういう違いが生じるのかな。

女 学問分野による目的の違い、事実の分析記述を主とするかどうかという違いじゃないかしら。

青年 自然科学は、まさに、自然の在り様の分析と記述だよね。自然法則は、人類の誕生前にも、人類の滅亡後にも、同じように妥当する。問題は、言葉とか、歴史とかに関する学問で、自然科学と同じようなことがそもそもできるのか、ということでもあるよね。

男 そうなんだ。でも、自然科学の発展と、その知見に支えられたテクノロジーが現代文明を支えていることは、誰にも否定できないよね。だから、人間の心や言葉、歴史や世の中のあり様を調べていく学問も、「科学」を名乗ることになるんだね。

青年 学問自体が、社会的な制度になっていて、たとえば、大学の学科として認められなければ、一つの学問分野として承認されているとは言えない、そのためにも、自然科学のような装いを身に着けたい、みたいな考え方になるんだろうね。

男 いろいろな学問分野が、それぞれ、対象分野を限定し、方法論を確立し、その分野での先行研究との差分を研究業績とするようなものになる。学問が細分化され、専門化される。でも、歴史や言葉を扱う学問分野に、ニュートンの法則やアインシュタインの理論のようなものが現れるわけもないから、膨大な事実の羅列で終わるんじゃないのかな。

娘 宣長さんの学問は、どう違っていたの。

女 宣長さんは、現代の学問の方法論などとは無関係に、古言の意味を探ろうとしたのですわ。その際、宣長さんは、「古事記」や「源氏物語」のような古言をにして、というか、古人の心を知るのが難しいことをいいことに、勝手に自説を展開したのではありません。古言に天地あまつちとあればそのまま天地あまつちと受け取るべきだとお考えだった。そのようにして、あるがままの、というか、物に名前がつく前の、物そのものを知ろうとなさった。でも、それを客観的事実と呼ぶと、ちょっと違うのかもしれませんわ。

娘 何かを知ろうとするときの、やり方のひとつということ?

女 見方を変えて言うと、こうかしら。私達が何かを経験し、何かを知るということは、私達の個人的、主観的な心の働きでしかありえないでしょう。だからこそ、そこで知ったことは、生き生きとした切実なものになるのですわ。言葉で組み立てた理屈よりも、こころで感じる体験の方が大事。そういう特定の誰かの具体的な体験から切り離された、客観的な事実とか、相互の因果関係なんかは、結局、間接的な知識ですわ。

青年 でも、そういう間接的な知識にすぎない学者の見解が、たとえば歴史観とか社会思想、あるいは新しい価値観みたいな形で、世間に流布し、人々に影響を与えていることも事実だよね。

女 それは便利ですからね。一応、客観的という装いをまとえば、どんな見解でも、一人一人の個人的、主観的体験を経るという手順を抜きにして、多くの人々に影響を及ぼしてしまう。社会生活を運営する上では、能率的で、応用が利くものですわ。

娘 あーあ、能率か。

女 結局、常套句に過ぎないのですわ。最新の常套句づくりを知的にやってみせるのが、インテリというわけ。万人向けに正しいものとして作られているから、人々も、すうっと受け入れてしまうけど、本当に腑に落ちたものかどうかわからない。だから、時を追うごとに、新たなスローガンが登場し、ひととき世間を支配し、やがて廃れていくのですわ。

男 とっかえ、ひっかえ、その時々の価値観を受け入れては忘れていく。かつては活字の論壇、次にテレビなど電波メディア、いまはネットの世界かな。饒舌で自己主張が強い人が現れ、それに心酔する人々がいるけど、どちらも心は空っぽじゃないのかな。

娘 じゃあ、どうすればいい?

女 むずかしいわね。小林先生は、『本居宣長』の連載と同時期の対談で、「持って生まれた自分の気質というものの抵抗をまるで感じ」ないで常套句に走る文士に懸念を示されている(同第26集220頁。『交友対談』)。でも、宣長さんは、そうではないでしょう。この辺りがヒントにならないかしら。

娘 よくわかんないよ。

女 でも、ひょっとすると、「個人の感想です」も馬鹿にできないのかもしれませんわ。

青年 さっき言ってたテレビショッピングのこと? 何言ってるのさ、あれは、あざといよ。

男 テレビのはそうかもしれない。でも、もし本当に自分の商品に自信があって、お客さんの為になると信じているなら、誰かにその良さを体験談として語ってもらうのが、一番いいんじゃないのかな。買う方だって、信頼できる知人の体験に基づくお薦めが、やはり一番の参考だ。

女 そうですわ。そういう、人々の日常の暮らしの中から生まれ育ってきた生活の知恵みたいなのは、意外と、馬鹿にできませんわ。

男 (娘に)お父さんも、着眼はよかったのさ。

娘 そういう主観的見解は、却下、却下!

 

四人の話は、とりとめもなく続いていく。

(了)

 

恋は、遠い日の花火ではない

1 恋の始まり

かつて、ウイスキーのテレビコマーシャルにこういうものがあった。夜の盛り場、会社の飲み会の帰り道、若い男女のグループは二次会へ向かうが、一人の女性が残る。長塚京三演ずる上司であろう中年の男が、君は行かないのかと問うと、「もう若い子はいいんです」。女性は立ち去るが、たった一言で、男はもう昨日までの彼ではない。「恋は、遠い日の花火ではない」とのナレーションが流れる。コマーシャルとはいえ、記憶に残る。言葉によって聞き手の心が動きだす様子を、巧みに描いているからであろうか。

 

2 言詞をなほざりに思ひすつることなかれ

我々は普段、伝達の手段としての言葉の有効性にばかり関心を寄せる。この気持ちが伝わらないのはなぜか、口下手のせいか、メールの無機質な文字列が誤解を生むのか、などなど。大切なのは伝える内容なのに、手段である言葉が不完全で、うまく伝わらないのだといらだつ。

しかし、宣長さんによればそれは逆さまである。こころよりことば、すなわち、意味内容ではなくそれを言い表す様子こそ、言語の本質なのだという。例えば、上代の「宣命せんみょう」とは、「ノリキカするワザをさしていへる」であって、「その文を指していふ名」ではなかった。勅命そのものではなく、それを伝える「読揚ヨミアゲざま、音声の巨細こさい長短昂低こうてい曲節」こそ重要であったのだ。こころよりことばが先行するという言語観は、神代「天ノ石屋戸」の頃にまで遡るもので、意を重んじて「言詞をなほざりに思ひすつる」は、漢意、すなわち後世の迷妄に過ぎないと断じる。

意味より表現が先行する。これは我々の日常の通念に反するのではないか。そこで、小林先生に耳を傾ける。

「眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現わそうとする身体のワザの、多かれ少かれ意識的に制御されたアヤは、すべて広い意味での言語と呼べる事を思うなら、初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではない」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集第48頁。以下、引用はすべて同全集からである)。

確かにその通りだ。赤ん坊も、単語や文という形式での言葉を知らないが、周囲に何かを訴えようと必死だ。そしてそれは、確かに通じるではないか。大人にとっても、同じことだ。何かを伝えたいと思ったとき、辞書のどこにも、その思いをぴたりと表す言葉などあるはずがない。だからといって、言葉を発しないわけにもいくまい。「日に新たな、生きた言語活動」に身を置き、実際にやり取りをすることによらずして、思いが伝わるはずもない。

なるほど、相手に伝えようとして、赤ん坊のように、懸命に努力するという行為こそが、言葉を発するということなのか。しかし、翻って、そのような、独りよがりかもしれない行為によって相手に思いが伝わるとは、いかなることであろうか。

 

3 しるしとして生きている言葉

どんなに言葉を尽くしても思いが伝わらないというもどかしさや、語るべき言葉を見つけられずに呆然とするという体験は、決して稀ではないだろう、しかし、それでも私たちは、何かを語ろうとする。それはおそらく、私たちが、同じ言葉の世界に生きているという確信のようなものを持っているからではないか。小林先生は、こう論ずる。

「この言語共同体を信ずるとは、言葉が、各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、そのシルシとして生きている理由を、即ち言葉のそれぞれのアヤになわれた意味を、信ずる事に他ならないからである」。(28集49頁)

私の目に映るもの、耳に聞こえるもの、触って感じるもの、これらの感覚は私固有のもので直接に他人と共有はできない。私の身振り手振りも、口調や声色も、自分としては自然な、あるいはやむに已まれぬ、動きなり音声なりであるのだが、そういった内心を他人と共有することはできない。しかし、言葉は、「各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、その徴として生きている」。言葉によって、私たちはばらばらにならずに済んでいる。だからこそ、言葉が発せられたとき、その言葉のいいざま、すなわち身振り手振りや口調や声色によって、自他がつながることができる。すなわち、「言葉のそれぞれのアヤに担われた意味」を信じる事ができるのだ。

そして先生は、こう論ずる。

「更に言えば、其処に辞書が逸する言語の真の意味合を認めるなら、この意味合は、表現と理解とが不離な、生きた言語のやりとりの裡にしか現れまい。実際にやりとりをしてみることによって、それは明瞭化し、錬磨され、成長もするであろう」。(28集49頁)

話しかける、それを受け止め返事をする。こういう言葉のやり取りによって、言葉の意味自体が決まってくる。表現の仕方が違えば、受け止め方も変わり、やりとりの行方も異なるものとなる。このようにして、話し手たちの気持ち自体が形作られていく。言葉は意味を伝える手段ではなく、言葉のやり取りによって、意味が形成される。

それでは、言葉のやり取り自体は、どのようにして始まるのであろうか。

 

4 人に聞する所、もつとも歌の本義

人はなぜ語りだすのか。宣長さんの答えは端的である。「すべて心にふかく感ずる事は、人にいいきかせではやみがたき物」であり、「さていひきかせたりとても、人にも我にも何の益もあらね共、いはではやみがたきは自然の事」であるというものだ(28集49頁)。

小林先生は、「そういう言語に本来内在している純粋な表現力が、私達に、しっかりした共同生活を可能にしている、言わば、発条ばねとなっているという考えが、彼の言語観の本質を成していた」と論ずる(第28集51頁)。

言葉が発条ばねになるとは、どうしても語り出さずにはいられないということだろう。なぜそうなるかといえば、心に深く感ずることは、それを人に聞かせることと不即不離であるからだ。意味(心に感ずる事)が表現(人に聞かせる事)に先行するのではない。言葉は意味を伝達する道具ではない。だからこそ、「人に聞する所、もつとも歌の本義」なのであり、「歌は人のききてアハレとおもふ所が緊要」であるのだ。小林先生の論じるように、「詠歌という行為の特色は、どう詠むかにあって、何を詠むかにはない。何を詠うかはどう歌うかによって決まる他ないからだ」(第28集54頁)

しかしここでまた、凡庸な通念が頭をもたげてくる。歌の出来栄えであれば、表現の巧拙によってきまるのだろう。しかし、私たちの気持ちというものは、歌を詠むかどうか、歌が上手か下手かで決まるものではなかろう。聞き手の受け取り方で自分の気持ちが変わるなどというのは、軽佻けいちょう浮薄な現代人にはありうるとしても、人間の本来の在り方とはいえないのではないか。自分の気持ちとは何か、ということだ。

 

5 心の動揺を鎮める

自分の気持ちとは何だろうか。怖い体験であれ、嬉しい出来事であれ、それを誰かに語ることによって、怖い思い、嬉しい思いが、確かなものとなる。目の前に聞き手がいるかどうか、実際に声を出すかどうかという問題ではない。「怖い」であれ「うれしい」であれ、内心、何らかの言葉を思い浮かべることで、自分の気持ちがはっきりとしてくるのだ。言葉のこういう働きは、「心に深く感ずる事」の場合、特に顕著となる。小林先生は論ずる。

「堪え難い心の動揺に、どうして堪えるか。逃げず、ごまかさず、これに堪え抜く、恐らくたった一つの道は、これを直視し、その性質を見極め、これをわが所有と変ずる、そういう道だ。(略)それが誰の心にも、おのずから開けている『言辞の道』だ、と宣長は考えたのである」(第28集58頁)。

そしてこう論ずる。

「言葉によって、限定され、具体化され、客観化されなければ、自分はどんな感情を抱いているのか、知る事も感ずる事も出来ない」。なぜなら、「心の動揺は、言葉という『あや』、或は『かたち』で、しっかりと捕えられぬうちは、いつまでも得体の知れない不安」だからである(第28集59頁)。

言葉の最初の聞き手は、言葉を発した自分自身であるということなのだ。

 

6 愛の告白の最初の聞き手

冒頭のテレビコマーシャルのシリーズには、次のようなエピソードのものもある。在来線のボックス席に座る中年男と若い女、出張中の上司と部下であろう。女が「わたし新人のころ課長に叱られて泣いちゃったことがあるんです」というが男には心当たりがない。女は、「だからいつか泣かせてやろうと思って」。愛を告げる女の言葉は、男を舞い上がらせるに十分のものであるのだが、同時に、女が自らの気持ちを確かめ、形作るためのものなのだろう。愛の告白の最初の聞き手は、女自身なのだ。

(了)

 

乳か知か、それが問題だ

……小林秀雄「本居宣長」を読んで取りとめもないおしゃべりをする男女4人、今日は、第二十五章辺りを読んでいるようだ……

 

元気のいい娘(以下「娘」) このさあ、大江のなんとかって学者の歌、やばくない?

凡庸な男(以下「男」) ああ、これね、大江匡衡おおえのまさひらが妻に贈る歌。「乳母めのとせんとて、まうで来りける女の、の細くはべりければ、詠み侍りける」と詞書があって、「はかなくも 思ひけるかも 乳もなくて 博士の家の 乳母せんとは」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集281頁。以下引用はすべて同全集から)。

生意気な青年(以下「青年」) 確かにいやみだな、知と乳をかけるなんていうのはね。

娘 っていうか、ちょっとロコツ。

男 ああ、「乳の細く」って、確かに、どんなお姉さんだったのかな。

娘 何考えてんの。

男 いや、だからさ、その、今日の、人権意識に照らしてですよ、ふ、ふてきせつな語句や表現がみられますけれども、それで、その……

娘 文庫本のことわりがきみたいなこと聞いてない。あんたの頭の中。

男 だ、だからですね……

江戸紫の似合う女(以下「女」)そんなに慌てなくてよくてよ。そのむかし、乳母という女のしごとがあった、それだけのこと。

娘 でもさあ

女 あかそめ衛門えもんも負けていないのですわ。

男 確かに、「そのかへし、――さもあらばあれ 大和心し 賢くば 細乳ほそぢに附けて あらすばかりぞ」(第27集281頁)。知がなくても、大和心が賢ければ十分だ、というわけだ。

娘 乳母さんのための弁明というより、匡衡に対するカウンターパンチだね。

女 あなたは学問をお修めかもしれませんが、それだけでいいのかしら。人を育てる上では、大和心が賢い女人の方が優れていてなくて?

男 匡衡には何かが足りない。才だけではだめなんだね。

娘 どういうこと?

男 「源氏物語」に、「猶、ざえを本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ」という一節があるね。「学問というものを軽んずる向きも多いが、やはり、学問という土台があってこそ、大和魂を世間で強く働かす事も出来る」と源氏君が言うんだ(第27集278頁)。

青年 才、つまり学んで得た智識と、大和心、つまりこれを働かす知恵の両方が必要というわけだ。

娘 そういえば、「今昔物語」に出てくる、善澄という学者が強盗に殺される話も、わるいけど笑っちゃうね。

男 ある夜、明法みょうほう博士はかせ善澄の家に強盗が押入った。善澄は、板敷スノコの下にかくれ無事だったのに、立ち去りかける強盗に、夜が明けたら検非違使けびいしに召し捕らせるとわめきたてて、引き返して来た強盗に殺されたという、あの話ね。

青年 物語の作者いわく「善澄、才ハメデタカリケレドモツユ和魂ヤマトダマシヒ無カリケル者ニテ、カカルココロ幼キ事ヲ云テ死ヌル也」(第27集280頁)

男 「机上の学問」や「死んだ知識」だけで、「生活の智慧」や「生きた常識」を欠いているわけだ。

娘 バカだよね、このオヤジ。

青年 腕っぷしが弱くて負けたのではなくて、わざわざ、自分の誇らしげな言動で危機を招いたのだからね。頭の中で、正義は我にあり、検非違使権力を発動させ得る自分が優位だと考えて、その通りの言動で他人を動かせると思ったんだな。観念の世界に自足し、現実から遊離した哀れなインテリだな。

娘 でも、大和魂って、ちょっと、コワッ。

男 武張ぶばった印象があるね。軍国主義と結びつける人もいるだろう。

青年 確かに、戦時中、変な使われ方をしたんだな。宣長さんの「やまとごころを人とはば」の歌が戦意昂揚の文脈で引用された。

男 だからといって、戦争と結び付けて宣長さんを論ずるのは、どうかと思う。近代的な国家や軍隊が誕生するはるか前の宣長さんと、近現代の人々とでは、見ている世界が違うんだよ。

青年 さかのぼれば、平田篤胤あつたねに始まり、吉田松陰、新渡戸稲造と連なる言説の集積があるから、昭和戦前期の青年将校の勘違いというわけでもないんだ。

娘 やまとだましひとか、大和心とか、大和やまとという言葉に、なんか思い入れがあんのかな。

青年 どうだろう。才に対する心、くらいのことだと思うがね。才つまり学問は、圧倒的にから、つまり中国からやってきたわけで、それとの対比じゃないかな。

男 宣長さん自身、国学とか和学という学問の呼び方について、「皇国の学をこそ、ただ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ」(第27集284頁)といっている。つまり、「和学国学」などというのは、「もろこし朝鮮於蘭陀オランダなどの異国」からみた言い方だということだね。

青年 だから、わが国の古典を学ぶ学者の心構えとして「やまと魂」などというのは、外から見た言い方で本当は「わろきいひざま」なんだけど、「漢意儒意」に妨げられてその心構えが固まっていないから、宣長さんとしては、「たとえば、『うひ山ぶみ』で、『やまとだましひを堅固カタくすべきこと』を繰り返し強調」(第27集281頁)することになるんだ。

娘 漢籍の勉強はよくないの?

男 そんなことはない。でも、こういうんだね。「から書をよめば、そのことよきにまどはされて、たぢろきやすきならひ也、ことよきとは、その文辞を、麗しといふにはあらず、詞の巧みにして、人の思ひつきやすく、まどはされやすきさまなるをいふ也、すべてから書は、言巧みにして、ものの理非を、かしこくいひまはしたれば、人のよく思ひつく也」(第27集284頁)

女 「ものの理非を、かしこくいひまわ」す「詞の巧」や、「言のよさ」に惑わされて、意味を頭で理解してはならない。言葉の姿そのものを見つめ、「文辞の麗しさ」を味わい識ることが大切、ということをおっしゃっています。

娘 「文辞の麗しさ」か。それが、「姿は似せ難く、意は似せ易し」ということにつながるのかな。

女 宣長さんにとって、「万葉集」などの古歌であれ、神道について記す古文であれ、読む者の想像裡に古人の命の姿を持ち込むべき文辞として変わりはないのですわ。

青年 多くの学者は、古文から、なんらかの意味を読み取って、それを学問上の概念として捉えて、論理的に構成しようとしたんだ。これがうまくいけば、説得力をもって多くの人を引き付けるかもって。

男 宣長さんはそうはしなかった。たとえば、宣長さんにとって、「神道とは、神典と言われている古文が現している姿そのものであり、教学として説いて、筋の通せるようなものではなかった」(第27集292頁)。

女 多くの学者の方々には、これが理解できなかったようですわ。だから、「大和魂」とか「大和心」という耳慣れないことを宣長さんが言い出されると、自分たちと同じように、新手の理論構築をし始めたと思い込んだのじゃないかしら。だから、これらの言葉も「標語」にしか見えない。

青年 篤胤の勘違いも、この辺りから生まれているということかな。

女 篤胤が先達と仰いだ宣長さんは、古文をお読みになるとき、「工夫がましきこと」、例えば「古の大義」みたいな概念を考え出して理論構成を試みるようなことはなさらない。あくまで、言葉そのものに向かい合い、その「調しらべ」に静かに耳を傾け、「姿」をじっと見つめておられた。

青年 篤胤には、こういう「文事の経験」が欠けていて、逆に、「天地の初発はじめから、人魂の行方に至るまで」、誰にでも納得がいくように説こうとしたわけだね。本人は、「大倭心のしづまり」といっているけど、もし宣長さんが見ていれば、これこそが詞巧みな そのものだったんじゃないかな。宣長さんの「やまと魂」とは方向が全く逆なんだね。

男 多くの人にとっては、篤胤のように、「意味」を追いかけ、組み立てることの方が分かりやすい。もっともらしく論理構成して言葉巧みに説明すれば、多くの人はそれを真に受ける。

青年 だから、他の学者にすれば、「やまと魂」という言葉が宣長の言説の裡に目立って来れば、「やまと魂」を「ますらをの高く直き心」と解して、宣長の国粋主義を論ずれば十分、ということになるんだね。

女 そういうところで使われる言葉は、結局、標語にすぎないのですわ。意味を追いかけ、概念と論理の世界で思考しているおつもりでも、実のところ、標語と化した言葉をやりとりしてパズルを解いているだけ。

青年 でも、そういうのを格好良く思う人も多いんだね。

女 おや、おや、お気づきなのね。宣長さんもおっしゃっているでしょう。「よのつねの世俗の事にても、弁舌よく、かしこく物をいひまわす人の言には、人のなびきやすき物な(り)」(第27集285頁)

娘 強盗に殺されちゃった善澄なんて、そういう、「弁舌よく、かしこく物をいいまわす」タイプじゃん。

男 今も変わらないね。いるでしょ、舶来の知識が服を着て歩いているようなヤツ。

青年 なんで僕の方見るんですか。

娘 あのさ、ハクライって、なあに?

男 あっ、そうか、いまはネットで仕入れた知識をSNSで発信ってわけだ。

女 おっしゃるとおりですわ。今も善澄さん、いっぱいいますわよね、ネットで炎上しても、殺されるわけではないですから。

 

……4人は楽しそうに(いや、青年だけはやや不満気かな)、おしゃべりを続けている。

(了)

 

ふたつの訓詁

……小林秀雄「本居宣長」を読んでは取りとめもないおしゃべりをする男女4人組。

元気のいい娘が、何か呟き、身体をリズミカルに揺らしながら現れる。……

 

生意気な青年(以下「青年」) おや、ご機嫌だね。

元気のいい娘(以下「娘」) 何だ、君か。

青年 ぶつぶつ言ってたけど、何なの?

娘 ぶつぶつじゃない。ラップよ、ラップ。

青年 相変わらずワケの分からないことを。で、中身は何なのさ。

娘 小林先生の『本居宣長』のなかで、なぜか気になるところ、書き抜いて読んでみたら、体がリズムを取り出したの。

青年 ますますワケが分からない。で、どこなの。

娘 ひとつはね、「宣長は、『古意を得る』ための手段としての、古言の訓詁くんこや釈義の枠を、思い切って破った。古言のうちに、ただ古意を判読するだけでは足りない。古言と私達の間にも、語り手と聞き手の関係、私たちが平常、身体で知っているような尋常な談話の関係を、創りあげなければならぬと考えた」というところ(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集268頁。以下引用はすべて同全集から)。

もう一つは、「訓詁はことごとく、直く、安らかな、古人の心ばえの全体的な直観の内部で、その照明を受けて行われる。そして、逆に、直観をいよいよ確かめて行くように行われる。ただ語句の訓詁の成功を総合し、安排して、目的を達するという、平板な姿を取ってはいない」というところ(第28集113頁)。

凡庸な男(以下「男」) ほお。ずいぶん難しいところだね。

青年 意味分かってんの。

娘 そこはね、パス。でも、作者の声っていうか、語り口っていうの? なんかゴツゴツしてるとこが気になって、スルーできないんだよね。

男 ゴツゴツだなんて、不躾な言い方だな。

娘 テンが、たくさんあるよね。

男 テン? ああ、読点ね。

娘 それを意識すると、すらすらとは読みたくない。

青年 それでぶつぶつ言ってたわけね。

娘 リズム乗せてるの、ラップよ、ラップ。

青年 何言ってんだか。

江戸紫の似合う女(以下「女」) あら、そういうこと、分かるような気がいたしますわ。わたくしも、小林先生のご本の気になるところどころ、気に入りの万年筆で書き写すことがございますのよ。

男 あなた達筆だから、すらすらきれいに書くのでしょ。

女 それが、長い文章の途中で、突然、読点で細かく区切られて、手が止まりますの。文章そのものが、なにか、考え込んでいるような、力をこめているような、不思議な感じがいたしますの。

男 不思議な感じか。(娘に)で、さっきの二箇所はどうなの。ゴツゴツだけ?

娘 それからね、クンコってとこかな、引っかかるのは。

青年 クンコ?ああ、訓詁学の訓詁ね。なんか、古臭いなあ。

男 そうだね、『論語』や『孟子』などの古典を恭しく押し戴いて、その片言隻句へんげんせっくについて、ああでもない、こうでもないと言い募る、カビくさい学問というイメージがあるな。

青年 この間も、経営学という分野の有名な学者が、昔の日本の学界には、海外の文献について「誰かがこういった」と解説するだけで日本の独自性を発揮しない、古色蒼然こしょくそうぜんたる解釈学、訓詁学が深く根を下ろしていた、と批判していたね。

女 そういう、私たちの日々の社会活動や経済活動を、いま、どうすればうまくいくか、そういう実用的、実践的な学問もあるわね。現実の社会の客観的、実証的分析が課題で、古典は関係ないのかもしれない。でも、そういう分析の中で、私たち一人一人の個性とか、成功や失敗の体験というものは、切り捨てられてしまう。あくまでも観察対象の一事例、統計処理される前の生データに過ぎないのでしょう。

青年 現在を客観的にとらえようとすると、かえって、いまの私たちに届かない。現に生きている一人ひとりの生きる喜びや悲しみは捨象されてしまうという逆説だね。

男 だからこそ、古典が大切というわけだ。一人ひとりの人間は、たった一度きりの人生を生きて、その中で思い悩む。そのときどきに内心の相談相手となる書物があり、世代を超え、時代を超えて受け継がれてきた。それが、古典だ。

女 ええ、でも、古典を対象にする現代の学問というのが、また、妙な代物でしょう。古典を、あくまで観察と分析の対象としてとらえる。文章をばらばらに分解して、基礎となる概念をこしらえて、その組み立て方に着目する。他の古典ともども、同じ尺度で比較可能な複数の作品群と考えて、諸作品を位置づける、みたいな。でも、こんな頭の体操みたいな学問では、私たち、一人ひとりの人生に、答えを出してくれそうにない。

男 だから、一人ひとりが古典に向き合うことが必要ということになんだな。

娘 で、向き合うって、どういうこと?

男 目の前にある書物の向こう側、印刷された文字の列の背後に、作者の姿をみるということかな。古典を、先哲の一つの仕事、一人の傑出した人物が語り、行動したことの記録として、味わい、何かを感じ取る、そういうことかな。

娘 ふーん。普通の読書とどこが違うの?

青年 それは、問いかけるってことじゃないかな。だから僕はいつも、質問しながら読んでいる。

娘 どんなふうに。

青年 宣長さんの『源氏』論も『古事記』の注釈も、そして小林先生の『本居宣長』も、言葉についての考察でしょう。言語論には僕も関心がある。だから、作品の部分部分をばらばらにするのではなくて、宣長さんや小林先生と対話するつもりで、僕のこんな考え方はどうですか、と問いかけるようにして読んでいる。そうすれば、僕の人生にとって意味ある答えが、読み取れるんじゃないかな。

女 そこがまた怪しいのよ。前近代の訓詁学者たちも一緒。彼らなりに、自分の人生とのかかわりの中で古典を読み解こうとしていたのでしょうけれど。でも、小林先生は、大意、こんなふうにおっしゃっている(第27集108頁)。訓詁学者にとって、古典は、一種の道徳学説だった、古典そのものというより、其処に盛り込まれた道徳学説が研究対象だった。学説は文章から成り、文章は字義から成る。それらをばらばらに分解し、分析した上で、再び組み立て直し、総合したものが、古典の、たとえば『論語』や『孟子』が意味するところの道徳学説なのだ、こんなふうに主張する。こういう思考を推し進めて、研究対象の既成の学説に欠けた論理を補うとか、曖昧な概念を明瞭化するわけね。

青年 それはそれで、いいんじゃないの。

女 でも古典を読む、というのは、そういうことではないと思いますわ。

青年 ああ、そう。あなたが言いたいのは、彼らは、古典に対して、無私ではなかったということね。確かに彼らは、近代の科学的思考には到達していないかもしれませんね。では、近代以降の実証主義、あれはあれで、文献に対する厳格な史料批判を行い、研究内容から研究者自身の価値判断や嗜好を排除し、客観的証拠のないことは述べず、第三者の批判を仰ぐという点で、これ以上の無私はないんじゃないの。

女 そこは違うの。古典の読み手としての研究者の人となりは、むしろ消してはいけないわ。そうじゃなくて、語り手の人生と切り離せない古典の扱いのこと。現代の実証的学問にとって、古典は、あくまで標本のような存在で、せいぜい、切片をプレパラートに固定して顕微鏡で観察するための観察資料なの。

青年 観察する・されるの関係において、観察する側が絶対的な存在で、古典に対して無私であるどころか、全く逆になってしまっている、というご主張ね。

女 相変わらず品のないおしゃべりですけど、そういうことですわ。

青年 あれもだめ、これもだめ。じゃあ、どうすれば。

女 小林先生は、「私の仕事の根本は、何度くり返して言ってもいいが、宣長の遺した原文の訓詁にあるので、彼の考えの新解釈など企てているのではない」とおっしゃっている。(第7集253頁)

娘 えっ、訓詁なの。さっきボクがラップしてたとこには、訓詁なんか「思い切って破った」って出て来るよ。

女 そうですわ。でも先生はそのすぐあとで、「古言のうちに、ただ古意を判読するだけでは足りない」とおっしゃっているでしょう。

娘 それだけの「訓詁」じゃだめなんだ。

女 そしてこんなふうにおっしゃっているでしょう。古言と私達の間にも語り手と聞き手の関係を生み出す、私たちが平常、身体で知っているような尋常な談話の関係を創る。

娘 訓詁にも二つあるってこと?そうか、そういうことが書いてあったんだ。だからなんか、ゴツゴツって感じたのかな。

男 ラップ娘の感性も、バカにできないね。

女 宣長も小林先生も、「訓詁はことごとく、直く、安らかな、古人の心ばえの全体的な直観の内部で、その照明を受けて行われる。そして、逆に、直観をいよいよ確かめて行くように行われる」。

娘 ふうん。そうか、とは思うけど、ボクたちも、小林先生のご本をこんなふうに読めるかなあ?

女 先ほど、先生のご本を書き写していて手が止まることがある、というお話をいたしました。

男 たとえば。

女 そうね、たとえば、「宣長の論述を、その起伏に逆わず、その抑揚に即して辿って行けば」(第27集159頁)というあたり。

青年 そんなことで、先生の論述を辿れたとでも言うつもりですか?

女 そうは申しません。ただ、ご本読んでいて、ここのところ先生にお尋ねしてみたいと思う瞬間がありますの。

男 そういうところばかりだなあ、けれど、どうお尋ねすればいいかも難題だなあ。

青年 刺激的な考察が満載、触発されて私の脳内回路も暴走していますよ。

女 おやおや、お二人とも。でもわたくしも似たり寄ったり、ぐずぐずしてばかり。それでも、滔々と流れる大河のような先生の論述の中に、ちょっと立ち止まって考え込みその都度解決していくような、あるいは、枝分かれしたお考えをひとまず束ねておくような、そういう細かな水脈のようなものがあるような気がしますの。その一つ一つに、ふと、気づかされることがある。それを少しずつ書き留めておくというのが、いまのわたくしの手仕事ですわ。

娘 手仕事か、いいなあ。ボクはラップさ。ノリノリで、声を出して。

 

……娘は、初めとおなじように、何か呟き、身体をリズミカルに揺らしながら去っていく。
青年はぽかんと口をあけて見送る。……

 

(了)

 

暗がりに身を潜めて

1 ふたつの晩年

 

宣長は、晩年、自らの学者人生を回顧し、「おのれは、道の事も歌の事も、あがたゐのうしの教のおもむきによりて、ただ古の書共を、かむがへさとれるのみにこそあれ」、「人にとりわきて、殊に伝ふべきふしもなし」と述懐している(小林秀雄「本居宣長」第12章。新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集128頁。以下、引用はすべて同全集からである)。これについて、小林秀雄先生は、平明な文ではあるが「文体というものは、はっきり割り切れた考え方では捕えられぬ、不透明な奥行を持つ」ものであり、「宣長の晩年の淡々たる口調」ないし語調には、「学問というものは広大なものであり、これに比べれば自分はおろか、師の存在も言うに足りないという考えが透けて見える」と指摘する(27集129頁)。

対するに、師である真淵は、宣長への最後の手紙の末尾にこう書くのだ。「人代を尽て、神代をうかがふべく思ひて、今まで勤たり」、しかし「今老極、憶事皆失、遅才に成候て、遺恨也」。悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。半年後真淵は没し、その訃に接した宣長は、日記に「不堪哀惜」とのみ記す。小林先生は、「真淵晩年の苦衷を、本当によく理解していたのは、門人中恐らく宣長ただ一人だったのではあるまいか」と看破する。(27集224頁・230頁、28集124頁・133頁)。

 

2 はきはきと語る真淵

 

真淵は、「古学の上で、道が開けてくるのを思えた」という田安家の知遇を得たころ(28集130頁)、ふるき史に書かれている神や神代について、次のように述べている。

「はつ国しらす天皇すめらみことよりこのかた、此御事をのたまひ挙つゝ、かくまでたえさせ給はぬ御すゑなれば、ふるき史にまかせて、しるしとせんぞ、民を教ふる大なる道にも侍らまし。もろこしとても、いとあがりたる代の事は、まことゝしも覚えぬことのみ多きを、信じていにしへを好むとひじりものたまひしは、人をみちびかん為にこそ侍らめ」(28集137頁)。

「信じていにしへを好む」とは孔子の言葉である。聖人孔子ですらたなごころに載せて論じるがごとき真淵の物言いは、自信に満ちているようにも見えるが、小林先生の筆は容赦ない。

「はきはきした物の言い方は、言わば見せ掛けだけで、露わに見える表現が圧し隠している内容の曖昧さを、読む者は見過ごすわけにはいかないだろう。そして、曖昧さは、何処から来ているかという事になると、これは考え詰めて行けば、どうしても、彼の携わっている問題自体の暗さに行き着かざるを得まい」(28集137頁)

これはどういうことか。小林先生の追及の跡をたどってみたい。まずは、真淵の見かけ上の「はきはきさ」とは、こういうことだ。

「彼にとって、『万葉』を学んで、これに熟するとは、古道の精神が、原理的に明らかになるという事であった」(28集138頁)。その上で、「自分が『万葉』から学んだところは、古道の『天地古今の本意』と、呼べば呼べる」という自信のもと、『ふるき史』に記された『真としも覚えぬ事』も、そのまま、『ふるき史にまかせて』、彼の自信の『しるし』として、知的な整理を受ける事になった」(28集138頁、139頁)。こうして真淵は、後世の人にとっては奇異に見える、ふるき史に記された神や神代について、当今すなわち真淵と同時代の人々が知的に理解できるよう説明することができると考えた。

しかし真淵は、上代について、一体何を語ったのであろうか。

 

3 真淵の曖昧さ

 

真淵は、度々「はらへ」や「みそぎ」に言及し「古道の本意」について原理的に論ずるが、それは、「はらへ」や「みそぎ」を行った上ッ代の人々の「信仰経験の内容の方を向いた言葉ではない」(28集140頁)。祝詞を重視はするが、彼にとって祝詞は、「その調べがいよいよ純粋になるにつれて、その内容は無色透明なものとなる」(28集140頁)ものに過ぎない。そして、「『祝詞考』という最後の仕事に到って」も、「その『序』の言う『なほく明らに、天地にかなふ上つ代の道』は、中空になった神という言葉を得て、合理的な一種の敬虔主義として、完結」(28集140頁・141頁)してしまう。結局、「古伝説に現れた上代の人々の神や信仰に出会った、という形はとっているものの」(同)、どのような出会いがあったかは明言されない。真淵が何を考えていたのか、その「内容の曖昧さ」は否定しがたい。

真淵の曖昧さはどこから来るのか、小林先生は見抜いてしまう。

「或る人の物の言い方が、直ちにその人の生き方を現わす、という宣長の徹底した考え方が、真淵には見られないのである。真淵には、神の古義はかくかくのものと、分析的に規定してみせるところで、足を止め、言葉の内部に這入り込もうとしないところがある」(28集141頁)。そして、「神という古言の、古人の生活に即した使い方の裡に入り込み、その覚束ない信仰を、そのまま受入れて、これにかかずらうというような事は、古道について目覚めた、彼の哲学的意識の許すところではなかった、とも言えようか」(28集141頁・142頁)。

そうすると、真淵の曖昧さは、宣長との個性の相違に由来するのであろうか。それだけではあるまい。「曖昧さは、何処から来ているかという事になると、(略)彼の携わっている問題自体の暗さに行き着かざるを得まい」(28集137頁)。「簡単に割り切ってみても片の付かぬものが、其処には残った」(28集142頁)のである。

 

4 暗い奥の方に残ったもの

 

残ったものは何か。「真淵自身、漠然と感じてはいたが、はっきりと意識出来なかった、その携わっていた問題に、言わば本来備わっていた暗さ、問題の合理的解決などには、一向たじろがぬ本質的な難解性」、これが、「暗い奥のほうに残った」(28集142頁)。

難解性とはすなわち「『古事記』に特有な言語表現、異様な内容を擁して、平然たる言語表現」といかに向き合うかにほかならない。宣長は、訓詁という仕事を忍耐強く続けることによって「古事記」という「古えよりの言い伝えに忠実な言語表現」に向き合った。言葉が生まれ育つ長い道のりの一番奥の方で、「上ッ代の事物の、あったがままの具体性或いは個性」が言葉という形をとった。その形から、人々は「事物の意味合なり価値なり」を直観した。「その『形』こそ、取りも直さず『上ッ代のマコト』と呼ぶものであり」、「これは、誰が工夫し、誰が作り上げた『形』でもない。人々に語り継がれて行くうちに、自らの力で、そういう『形』を整えたのである」(28集154頁)。

宣長は、それを直観したが、真淵の眼は「言語の働きそのものに向うより、むしろ、言語の使用に随伴する心の動き方を見ていた」(28集142頁・143頁)。真淵は、言葉を操ることによって言葉を純化させ、混じりけのない上古の人々の心に迫ろうとするのだが、言葉が形を整えようとする暗い奥の方まで見通すことはできなかった。

 

5 真淵は隠している

 

このような真淵の限界を、宣長は見逃さない。「古事記」や祝詞の註解に関し、「万世までの師と仰ぐべき人すら、なほかかれば、古へを知るはいよいよ難きわざになん」、「猶いにしへごころの、明らかならざらむことの、うれたさに、えしももださざるになむ」などと難じているのだ(28集144頁・146頁)。

しかし、問題はそこにとどまらない。小林先生の筆は容赦なく、「宣長は暴露する」とまで書くのだが、真淵の誤りの内容以上に重要なのは、真淵の誤りの生じた所以と、それを真淵が隠していたことだ。古言に鋭敏な真淵が「上代の人々の間で取交わされた言葉」をそのままに読みさえすれば生じるはずのない誤りが、なぜ生じたか。真淵自身が、古言は「不合理であるという考えからすっかり脱却できずにいる」からなのだ(28集146頁・147頁)。これが本心だとすれば、下心として暗いところに隠しておくほかはない。

 

6 宣長に見えていたもの

 

どうしてこんなことになったのか。

「古事記」の言葉は、事物の定義や説明や分析ではない。「『古事記』に記された言辞の『形』そのままが、『神の世の事ら』であった」のである。宣長は、言葉の操作により明らかに説明し尽くすことが本来困難であるような暗い世界に身を潜め、訓詁の仕事の末、直観により、上古の人々のありようを心に思い浮かべるに至った。

対するに、真淵にとって「古道を明らめるとは、古人の心詞を知る事であり、古人の心詞を知るとは、……、その『もはら』とする『しらべ』を得る事」(28集150頁)であった。「万葉集」において「いにしえ人のなほくして、心高く、みやびたる」しらべを見出したと自負する真淵は、このように「極度に純化された『しらべ』」(同)こそが古人の心詞であり、これにより「古事記」を読み解こうとしたが、果たさなかった。真淵にとって、上ッ代の「『こと』も『ありさま』も、『心こと葉』から推し量れるもの、或いは推し量れば、それで済むものであった」(28集156頁)。結局のところ、「自分の使っている『心こと葉』という言葉のうちに、閉じ込められている」のである。これでは、『古事記』を読むことはできない。「いかにも真淵の『しらべ』は、『古事記』に充満している『事』を処理するには、無力であった」のである(28集151頁)。

明るいところから暗がりの中は見えないが、暗がりに身を潜めれば、明るいところは見透かしになる。明晰な論理の世界ではきはきと言葉を操る真淵には、言葉以前の暗い世界で難問と格闘する宣長の姿など窺い知れない。逆に、暗がりに身を潜める宣長には、真淵の学問上の限界が、そして、自ら限界に半ば気づきつつ押し黙っている真淵の心中までが、まざまざと見えてしまっていた。哀しい話ではないか。

(了)